昨日(28日)は港区立伝統交流館で開かれた「第31回芝浜落語会~新春正太郎二ツ目卒業」へ行ってきた。今回の目的は春風亭正太郎がマクラでも言っていたが、落語というより開演場所である港区立伝統交流館見学が目的。
この港区立伝統交流館は1936年(昭和11年)に芝浦の花柳界の芝浦見番として建設され、都内に現存する唯一の木造見番建造物。今回落語会が開かれた大広間(70畳+舞台部分30畳)はもともと芸者さんたちの稽古場として使われたり、戦時中・戦後は港湾労働者の「協働会館」の宿泊所として使用されたりもしていた。建物内には格子天井や磨りガラスの窓などが残されていて当時の面影をそのまま伝えている。
この見番を建設したのは当時芝浦に芝浦雅叙園を持っていた目黒雅叙園の創始者である細川力蔵。そして、この建物の棟梁をしていたのが、私の知人でもある学芸大学のチェロキー・ライブタバーン(チェロキー寄席もやっている)で働くSさんのおじいさんである酒井久五郎(1898~1993)。
酒井久五郎は33歳の若さで雅叙園の棟梁を任せられ、37歳の時に映画『千と千尋の神隠し』のモデルにもなった「百段階段」を手掛けた。おそらく彼は当時最高の技術を持った一級建築士兼現場監督だったに違いない。そして、彼の凄いのは棟梁としてでだけではなく、中華料理の回転テーブルを細川の依頼で作った。回転テーブルの発祥の地が雅叙園であったことを知ってました? もちろん私は知りませんでした。
ちなみに落語会は緊急事態宣言下ということで、開演時刻を19時から18時30分に繰り上げして、仲入りもなく2席ストレートの1時間10分公演。演目は下記の通り。
春風亭正太郎 「堪忍袋」
「妾馬」
ということで、今回は落語より「芝浦見番」に興味津々でした。なお春風亭正太郎は春風亭柳枝を襲名しても隔月でここで落語会を開く予定とのこと。他の落語家もここを大いに利用してもらいたい。というより、港区は定期的に落語会を行うべきである。
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