誰にも忘れられない1日というのがある。最近では東日本大震災の2011年3月11日だろう。また、阪神大震災(1995年1月17日)もそうであろう。
そして、28年前の今日も忘れられない1日である。
その日(1985年8月12日)は暑かった。とにかく暑かった。私は渋谷ジァンジァンで公演していた芝居の制作を担当していた。一報である「日航ジャンボ機が行方不明」は劇場事務所で聞いた。そして、終演後大阪から来ていた人をホテルに送るために乗ったタクシーのなかから聞こえた「500名以上を乗せた日航ジャンボ機が行方不明」と、という言葉は今も脳裏に焼きついている。そして、まず最初に「え、ジャンボ機って500人以上も乗れるの?」という浅はかなことを思い浮かべたことも覚えている。
帰宅したのは深夜近かったが、そのときはもうテレビは乗客名簿を放送するなど大騒ぎになっていて、各局とも終夜および翌日中報道特別番組を放送していた。
テレビが1日中報道番組を行うようになったのは1972年の「あさま山荘事件」が最初と言われているが、私のなかでは「日航ジャンボ機墜落事故」のテレビ報道の方がいまでも強く心に残っている。
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