日曜日, 2月 28, 2021

東京でオリンピックを未来永劫やらないように

1964年(昭和39年)に東京オリンピック開催されたとき私は10歳だった。この時分の東京の変容ぶりはよ〜く憶えている。道路はどんどん舗装され、側溝には蓋がされ、板塀がいつの間にかブロック塀になっていった。そして、都心では路面電車の都電が次々と廃止され、高速道路が瞬く間に作られて日本橋の上まで高速道路が走るという悲劇が起きた。


私の家の近くでは環状7号線を通すために、立ち退きを拒絶した家が行政代執行で壊された。私はこの光景を目の当たりにしている。家の近くを通る通学路でもあった目黒通りは目黒駅から目黒郵便局まではすでに舗装されていたが、目黒郵便局から柿の木坂まで舗装されたのは1963年ごろだったと思う。(写真はgoo地図の昭和38年=1963年航空写真より)そして、柿の木坂より先は1964年になってから舗装された。ころ頃に通学途中にあったピンク映画館のポスター掲示板もなくなった。寂しかったなあ。w

このように東京の変容を体験していたので、正直オリンピックに対しては嬉しさも興味もほとんどなかった。動員されて観に行った聖火リレーよく見えなかったし、親に連れられて観に行ったサッカー決勝戦(ハンガリー対チェコスロバキア)の試合もプロではないのでたいして面白いものではなかった。このように私は1964年東京オリンピックにいい思い出はまったくない。

こうしたことから、東京でオリンピックが開かれることに鼻っから賛成ではないし、大してレガシーを残せるものでないと全く思っていなかった。当初言われていた「震災から復興を遂げた五輪」はいつの間にか「コロナに打ち勝った五輪」になり変わっている。また「コンパクトな五輪」が「大風呂敷な五輪」にもなった。

どこかの誰かが「多様性を五輪レガシーに」なんて言っていたが、開催前に五輪レガシーがすでにいっぱいである。エンブレム盗作疑惑、国立競技場建築問題、徳洲会問題での猪瀬都知事辞任、誘致賄賂疑惑で竹田JOC会長辞任、「お・も・て・な・し」は4世政治家と結婚、猛暑対策でマラソン札幌移転、安倍マリオは病気を理由に辞任、女性蔑視発言で森会長辞任などなど。もはや不名誉と汚点のレガシーだらけのオリンピックである。

1度目は街を破壊。2度目は不名誉と汚点だらけ。東京でオリンピックは永遠にやってはいけない。

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