火曜日, 11月 09, 2021

「夜明けの雷鳴」を読む。やはり長州は好きになれない

久しぶりに本を一気に読んだ(2日かかったが)。吉村昭の作品はこれまでに何冊も読んでいるが、この「夜明けの雷鳴」は読もう読もうと思いながら今日まで至ってしまった。

主人公の高松凌雲は幕末から大正初期まで活躍した医師。一橋家の医師だった凌雲は徳川昭武が名代のパリ万博日本代表団の随行医師として渡欧。万博後は留学生としてオテル・デュウ(HOTEL-DIEU:神の家)という病院兼医学校で勉学に勤しむ。しかし、明治維新によって帰国。ここまでは現在放送中の大河ドラマ「青天を衝け!」で描かれていたのでご存知の方も多いのではないだろうか。

帰国後、凌雲は榎本武揚率いる旧幕府軍に従軍して、箱館病院頭取となり、敵味方関係なく治療を施す。このことが新政府軍に評価され、五稜郭開城降伏の仲介役として活躍した。終戦後は東京の徳島藩邸に4ヶ月幽閉される。その後、徳川慶喜がいる静岡藩に奉公を願いでるも、帰国して水戸藩主になっていた昭武の願いによって水戸家に仕える。と同時に開業しても構わないという許しを得て、1870年(明治3年)に浅草新片町で開業した。その凌雲には再三政府より要職につくように依頼きたが、彼はすべて辞退した。1877年(明治10年)に上野桜木町に鶯渓病院を設立。その後は一貫して民間の医師として赤十字の先駆けとなる同愛社を作り、大正5年に亡くなるまで貧困者の救済に尽力を注いだ。

さて、この本の中には多く幕末の裏話が描かれている。なかでも箱館戦争に関してのことが興味深い。旧幕府軍の死者は会津戦争と同様に埋葬されることなく野ざらしされた。本当にこの措置は酷い。これはおそらく会津の時と同じように長州藩の意向があったのではないだろうか。新政府軍参謀だった黒田清隆は榎本武揚らの才能を高く評価していて、凌雲を信頼して根気よく講和を問い続けた。もし、この講和が実現しなかったら業を煮やしていた西郷隆盛の命を受けていた桐野利秋(中村半次郎)らの大隊と激しい戦闘になっていたに違いない。また、長州の木戸孝允(桂小五郎)は榎本らの処刑を迫ったが、黒田、福沢諭吉らが強く反発して、1872年(明治5年)に特赦で釈放され、榎本は北海道開拓史に出仕を命じられ、その後は新政府の要職を歴任した。

このほかにも興味深かったのが、徳川昭武が北海道開拓に力を入れていて、昭武は北海道天塩川流域に実際に足を運んでいて、その時には凌雲も同行している。

読後の感想としては、渋沢栄一ほどではないにしろ高松凌雲も大河ドラマの題材になりうる人物だと思う。これまでに彼を描いたドラマがないのも不思議である。そして、やはり長州は好きになれない。

0 件のコメント: