金曜日, 12月 30, 2011

2011年私的10大ニュース


今年も残すところわずか。今年は本当にいろいろありました。これほど劇的というか変化に富んだ年は人生初かもしれません。ということで、私的な1年をランキングで振り返りました。

1位. 数多くの再会と新しい出会い(4月〜)
2位. 三陸沿岸を訪れる(9月と11月)
3位. 大腸検査でポリープを切除(10月)
4位. サッカーに夢中(1〜2月と6〜7月)
5位. ツイッターとFacebookを始める(3月〜)
6位. オペラ・バレエの観劇回数が増える(1月〜)
7位. 電力意識改革に目覚める(3月〜)
8位. ひと月に1回は映画を観る(1月〜)
9位. ブログおよびMixiが6年目に突入(9月)
10位. 読書量が激減 (3月〜)

1位は「数多くの再会と新しい出会い」。今年は本当に多くの人と再会した。昔の芝居仲間、高校時代の同窓生など古い友人知人と再会した。先日も道端で中学時代のクラスメートとばったり再会した。そして、新しい出会いもいっぱいあった。微力ながら東北を支援するなかで、数多くの素晴らしい人たちとの出会いがあった。とにかく人との繋がりがいかに大切なのかを再確認した年である。これからもこの気持ちを大切に多くの人と触れ合うようにしたい。

2位は三陸沿岸への訪問。これまで数多くの土地を旅をしてきたが、自分が訪れたことがある場所が廃墟や野原と化してしまったところは初めてである。釜石の市街地や根浜海岸などに行ったときは声も出なかった。そして、初めて訪れた陸前高田や気仙沼はただ唖然とするだけだった。

3位は自分の健康問題。今年は身体にかなり変調をきたした。そのために、大腸検査、胃カメラ、CTスキャンといろいろな検査をした。まあ、検査をせざるをえない歳になったということだ。そのなかで、大腸検査ではポリープが発見され、その場で即刻切除。

4位はサッカー。男子のアジアカップも良かったが、なんといっても女子ワールドカップでのなでしこジャパンの活躍は素晴らしかった。予選リーグから決勝まで全試合をテレビ観戦。次はロンドン五輪での優勝と世界ランキング1位を獲得してもらいたい。

5位はSNS。これまではMixiしかやっていなかったが、震災の情報を得るためにTwitterとFacebookを始めた。そのおかげでいろいろな再会もあり、今では3つ掛け持ちの状態だが、うまく使い分けることはできない。難しい。

6位以降は省略。

来年は今年以上に人との繋がりを大切にしていきたいと思います。

日曜日, 12月 25, 2011

かなり楽しい「殿様も犬も旅した 広重・東海道五拾三次」展


昨日(24日)、東京ミッドタウン内にあるサントリー美術館で開かれている『殿様も犬も旅した 広重・東海道五拾三次 ― 保永堂版・隷書版を中心に ―」』展を観てきた。

世間的にはあまり知られていないが、歌川広重の「東海道五拾三次」は生涯で20種類以上のシリーズが刊行されている。そのなかでもっと有名なのが1833年(天保4年)の保永堂版「東海道五拾三次之内」。この展覧会は基本的にこの保永堂版と隷書版「東海道五拾三次」を見比べる形で展示されている。また、一部の絵は初刷から絵柄や刷り方が変わった「変わり図」も展示されていて、これらが大変興味深い。

展示はオーソドックスに「日本橋」から「三条大橋」への順にされている。私はその多くをこれまでに目にしているが、前述したようにそれぞれの宿場の絵が2〜3点飾られているので、いろいろ対比しながら観れるのがとても楽しい。なかには「戸塚」のようにまったく同じ構図にも関わらず、間違い探しのような変わり図もあったりして、広重や彫師・刷師の遊び心が楽しい。またマンガチックな絵もいくつかある。

作品のなかで印象に残ったのはやはり「日本橋 朝の景」「蒲原 夜之雪」「庄野 白雨」の3点。この3点は誰もが認める広重の傑作であろう。多くの絵がいわゆる俯瞰の風景画なのだが、この3点には何か人を寄せつける力というか魅力がある。

実は自宅にこの3点のうち「日本橋」と「蒲原」がある。といっても江戸時代に刷られたものではなく、戦後の復刻版である。会場ではこうした復刻版も売られていたが、それでも1枚が1〜2万円する。それゆえに、これを機会にいっそう大事にしたいと思わざるをえなかった。

なお、タイトルにある「殿様も犬も旅した」とは、殿様は参勤交代行列のことをいい、犬もとは主人に代わってお伊勢参りした犬のこと指している。というのも「四日市」の絵のなかに荷物を背負って旅をする犬が描かれているのである。

浮世絵好きおよび江戸好きにはかなり楽しい展覧会だ。

「殿様も犬も旅した 広重・東海道五拾三次― 保永堂版・隷書版を中心に ―」展
会期:2011年12月17日(土)〜2012年1月15日(日)

http://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/11vol06/index.html

http://www.suntory.co.jp/news/2011/11197.html



火曜日, 12月 20, 2011

5,000円札をもっと刷ってもらいたい


あなたの財布のなかに5,000円札は何枚入っていますか?、と問われれば、大概の人は1枚あるかないかと答えるのではないだろうか。

日本銀行が昨年(2011年)発行した1,000円札は12億2000万枚、10,000円札は18億0000万枚。これに対して5,000円札は2億8000万枚と極端に少ない。なぜなのだろうか。理由は簡単である。銀行のATMが1,000円札と10,000円札にしか対応しないからである。しかし、これは明らかに銀行の怠慢である。なぜならば自動販売機などは5,000円札を使えるのだから。

ということではないが、日本銀行はもっと5,000円札を刷ってもいいのではないだろうか。というのも、今の日本経済はずっとデフレスパイラルに入ったままである。こんな状況が何年続いているのだろうか。このままいくと、税収入はどんどん減っていき、そのたびに赤字国債を発行してはいかなくなっていく。もう悪循環の繰り返しである。

こうした状況では思い切った打開策を打ち出さなければならないのではないだろうか。そこで、今日の日本経済でもっとも循環していると思われる5,000円札を多く刷ることによって、少々のインフレ策を取るというのはどうだろうか。インフレになれば円高も少しは一服するであろうし、仮に円が1ドル=90円台あたりに戻れば、輸出産業にはプラスになるであろうし、農業にとってもプラスになる。

まあ、こうした短絡的なインフレ策は問題が多いことは解っているが、財布のなかからすぐに消えてしまう5,000円札をもう少し発行する必要性はあるし、銀行は5,000円札対応のATMを導入するべきである。

日曜日, 12月 18, 2011

中目黒駅と学芸大学駅


東京メトロ(営団地下鉄)の地下鉄が作られた順番は、銀座線、丸の内線、日比谷線、東西線、千代田線、有楽町線、半蔵門線、南北線、副都心線。(ここまで先日のツイート流用 w)

銀座線は戦前に出来ていて、丸の内線は戦後に最初に開通した。そして、日比谷線は私が小学生だった1964年に東京オリンピックに間にあわせるために全線開通、東急東横線とも相互乗り入れを行い日吉駅まで直通運行がされるようになった。また、最初にセミステンレス製の営団3000系電車という銀色の車両を使い、それはそれはモダンな電車という感じだった。

この日比谷線が開通したことによって、中目黒駅に東横線の急行が止まるようになった。それまでは、渋谷発の急行の最初の停車駅は我が(笑)学芸大学駅だった。つまり、渋谷へ行くのも学芸大学駅からひと駅で渋谷駅だった。今でもよく覚えているけど、5分ぐらいで着いたような感じで、めちゃくちゃに早かった。

そして、2001年になると東横線に特急が走るようになった。ところが、なぜか中目黒駅は停車駅に選ばれず、日比谷線利用者から大ブーイングが起き、2年後にようやく特急が止まるようになった。一方、学芸大学駅には特急は止まることはない。

時代の変化によって学芸大学駅は中目黒駅より格下になってしまったが、周辺住民にとってはそんなことを気にしている人は誰もいないだろう。

火曜日, 12月 13, 2011

男は動的、女は静的が・・・


先日の『ブラタモリ』でタモリがいかんなく鉄オタぶりを発揮していたが、男という動物は多かれ少なかれ鉄オタだと思う。

というのも、男なら幼い頃に誰もが電車を見るのが好きだったり、電車に乗ればすぐに窓のそばにいって外の景色を眺めたりしたもんだ。ところが、女という動物は電車にはまったく興味を示さず、お人形さんやぬいぐるみなどに興味を抱く。

つまり、男は動的なものが好きであり、女は静的なものが好きなのである。

しかし、これが大人へ成長していくうちに変化していく。男でフィギュアを好きなヤツはいっぱいいるし、“鉄子”と称される女も生まれてくる。つまり生物としての先天性と社会という後天性によって変化していくのだろう。そして、その動と静がうまく掛けあわってこそ、男と女という「人間」が生まれるのではないだろうか。


火曜日, 12月 06, 2011

我が家のスズメ事情

先日、立教大学と岩手医科大のグループが、過去20年間でスズメの数が約6割減ったと発表した。特に都市部での減少が著しいようで、その理由としてスズメは屋根瓦の下など人工物を利用して巣作りをすることが多いので、住宅の構造変化によって巣を作れる場所が減ってきたということと、餌の減少で少子化が進んだことが大きな原因とみているようだ。

ところで、自宅のベランダには毎日スズメがやってくる。というのも、自宅前の大きな木にスズメが穴蔵を作っているというか、お宿があるからである。つまり、スズメは屋根瓦の下ばかりでなく、普通の木々にも巣を作ることがきるので、上記の説は少々疑問に思う。

一方で餌が減っているのは確かだろう。以前の東京の住宅街はどこにもが一軒家があり、そして、そこの庭は芝生が敷き詰められていて、スズメが地中にいる虫を摘んだりしていた。ところが、住宅事情が様変わりして、住宅街にもビルが立ち並ぶようになり、芝生の庭がある家などはほんの一握りになってしまった。

これでは、スズメが減少するのも当たり前である。ということで、私は毎朝花咲じいさんならぬスズメおじさんと化して、スズメに玄米、パンや煎餅のカスなどを上げている。もう2〜3年も続けているので、エサがないと時おりガラス越しに羽ばたいて催促されたりすることもある。ただ、スズメに餌を上げなくてはならなくなったことは、決して喜ばしいことではないだろう。

月曜日, 12月 05, 2011

被災地に巣食う魑魅魍魎たち

このことは全く報道されていないから、知らない人も多いと思うが、被災地にはいろいろな宗教団体がボランティアとして入っている。ちゃんと自分たちの団体名を名乗って活動しているところはいいが、NPO法人にしても実態は宗教団体というところもあるらしい。

つまり、こうした宗教団体はボランティアを隠れ蓑にして宣教活動などもしている。そもそもこうした宗教団体は人の不幸につけこむことによって、信者を増やしているところがあり、被災地に入り込むなどとんでもないことである。

一方でボランティア団体の代表たちのなかには、これを機に政治家に転んじようとしている輩もいるらしい。被災地にはこうした魑魅魍魎が巣食っている。

金曜日, 12月 02, 2011

被災地“観光”にあたっての注意

12月1日から東日本大震災の復旧・復興を支援のために、東北地方の高速道路(岩手県、宮城県、福島県のすべての高速道路と、茨城県の常磐自動車道の水戸インターチェンジより北側の全線、それに青森県の八戸自動車道)が無料となった(来年3月31日までの予定)。また、土日祝日に限って青森県、秋田県、山形県のすべての高速道路、それに新潟県の磐越自動車道と日本海東北自動車道も無料となる。

この高速道路無料化にともなって、被災地を訪れる観光“客”も増えるのと思われる。ただし、被災地を訪れるにあたっては最大限の注意を払ってもらいたいと思う。まず津波被害を受けた沿岸部の地域は基本的に観光地ではない。その認識をもってもらいたい。それゆえに、こうした場所に行くときは物見遊山な言動は絶対に慎んでもらいたい。もちろん、むやみやたら写真を撮るのは止めてもらいたい。ましてや、被災された場所を背景に記念写真を撮るなどということは論外である。

また、被災された地域で、人の家(土台)に入って間取りなどを確認したりする行為は、住居不侵入罪に値する行為でありもってのほかである。同様に、用もないの仮設住宅を訪れるなどということもしないでほしい。あと、あちらこちら脇見しながらのノロノロ運転はしないように。交通の妨げになるばかりか、事故につながる可能性もあるので、被災地を訪れるときは必ず車を道路脇か駐車スペースに止めるようにしてもらいたい。

ほかにも多々注意すべき点あると思うが、被災地のありのままの姿を見ることは、被災地のあり方を少しでも多くの人と共有することになり、復旧・復興に繋がっていくだろう。そして、被災地を訪れたならば、各地に出来つつある復興屋台村、復興食堂、カキ小屋といったお店などで食事をしてもらいたいし、また、気仙沼だったら魚市場、釜石だったら駅前橋上市場などというように各地の市場に足を運んで、特産品を数多く買ってもらいたい。

被災地“観光”は復旧・復興に欠かせないと私は信じている。ただし、物見遊山で行くのは絶対に止めてもらいたい。

月曜日, 11月 28, 2011

被災した酒造会社(蔵元)を支援しよう

東日本大震災で被災した酒造会社は数多い。そのせいもあってか、震災後全国各地で「東北のお酒を飲もう」というムーブメントが起こり、東北地方のお酒がどんどん売れる状態になった。実際に東北の多くの蔵元がこれまでにない売れ行きを示しているという。

ただ、語弊はあるかもしれないが、こうした風潮に便乗して儲けたメーカーも少なくない。しかし、今後は蔵が大きく破損したり、会社ごと津波に流されてしまったという甚大な被害を受けた蔵元を支援すべきまたは救済すべきではないだろうか。

マスコミの報道で多くの人は知っていると思うが、岩手県陸前高田市の『酔仙』や『雪っこ』を出している酔仙酒造と、岩手県大槌町で『浜娘』を出している赤武(あかぶ)酒造は、会社も蔵も何もかもが津波に流されて何も残っていない。また、宮城県大崎市の新澤醸造、宮城県名取市閖上の佐々木酒造、宮城県柴田郡の大沼酒造などは蔵が崩れたりして甚大な被害をうけた。そして、福島県双葉町の『白富士』の蔵元冨沢酒造は、原発から数キロ圏内にあることから、ここでの営業再開は絶対に無理で移転を余儀なくされている。

お酒好きの人、日本酒好きの人、日本酒党の人たちは今後はこうした蔵元を応援してほしいと思う。酔仙酒造は現在は一関市の千厩酒のくら交流施設内の酒蔵で操業して、10月に『雪っこ』を販売するまでになった。赤武酒造は盛岡市内の新事業創出支援センターの工場を利用して、リキュールの製造を行っている。また、冨沢酒造は会津若松市の花春酒造に間借りして新たな『白富士』の製造にとりかかっている。

ただ、これらの蔵元はいずれ新たな場所に工場を建設をしなければならない。そのためには何億の金がかかる。そのためにも、国などが助成金を出すのはもちろんのこと、お酒好きの人は直接支援を行うかファンドを使って支援をしていってもらいたい。お願いします。

酔仙酒造
http://suisenshuzo.jp/

赤武酒造
http://www.akabu1.com/

おいしい三陸応援団の赤武酒造支援のためのページ
http://oishiisanriku.com/akabu.html

株式会社 冨沢酒造店
http://ja-jp.facebook.com/hamanoshirafuji

菱屋酒造店
http://otokoyama.ftw.jp/

日曜日, 11月 27, 2011

釜石の無料情報誌『Re-born』vol.3を読む

昨日、釜石の無料情報誌『Re-born』Vol.3を東銀座「いわて銀河プラザ」で手に入れた。写真にあるようにモノトーンの表紙に写るおじさん2人の自然体がとてもいい。この雑誌のコンセプトである「勝ち負けなんてどうでもいい、笑っていけらばそれでいい」という笑顔と共に「俺たちは元気だぜ。簡単にはへこたれないよ。まだまだやることはいっぱいあるからな」と言われているようでもある。

この『Re-born』は国からの緊急雇用対策補助金を受けて、9月より釜石にあるoffice Rという会社が制作、釜石市内の全世帯に行政連絡員が届けている。ただ、この情報誌はその内容の濃密度や完成度から、釜石出身者もちろんのこと仕事や旅行で釜石を訪れた者(私もその1人)たちにも広く支持されている。

今号の特集は地域誌ならではの小さな集落に関するものだが、厳しい現実のなかでも前へ向いて歩いていく人々の姿を克明に伝えている。一方で、小学生が書いた津波体験記「たくさんありがとう」を読むとやはり胸がつまされる。

『Re-born』は補助金を受けている関係で、釜石市内だけを対象にした無料情報誌だが「三陸の今を発信する情報誌」でもある。これだけクオリティの高い情報誌なのだから、釜石だけでなくもう少し広い地域に向かって発信配布される情報誌に育ってもらえたらと思う。

地域再生へ向けての雑誌『Re-born』
http://k21komatsu.blogspot.com/2011/10/re-born.html

金曜日, 11月 25, 2011

被災地を訪れよう 〜観光“客”の必要性〜

これまでに何十万人というボランティアが被災地を訪れ、瓦礫処理、高圧洗浄、炊き出し、引っ越し手伝い、写真洗浄など数多くの作業をしてきた。しかし、彼らがいくら手間のかかる大変な仕事を汗だくになりながらこなしても、被災地での経済活動からは少し離れた存在でいる。

というのも、ボランティアで被災地に泊まる人は限られている。食事にしてもコンビニ利用が主流だったり、また被災地の特産品をお土産で買っていく人も少ない。それは当然である。被災地に来るまでの交通費は自前であるし、ボランティアの多くは経済的に余裕のあるとはいえない若者が中心なのだから仕方がない。

しかし、これから被災地支援に必要なものは直接的な経済支援である。それには観光“客”は欠かせない。数多くの人が被災地を訪れ、被災地の宿泊施設に泊まり、その場で特産品を買うなど、現地に直接お金を落としていってもらうことが、復旧復興に繋がっていくのである。

被災地の宿泊施設も徐々にではあるが復旧してきている。例えば釜石では観光“客”を受け入れできるであろう市内のホテルが年内にはほぼ平常稼働される。また、港そばにある最大の観光ホテルである陸中海岸グランドホテルにしても来春には再スタートを切るという。

このように100%にはまだまだほど遠いかもしれないが、現地の宿泊施設はあちらこちらで完全復旧しはじめている。そして、これまでこうしたホテルの宿泊客は工事関係者で占められてきたが、こうした状態も来年2〜3月までだろうと予測され、春の訪れと共に新たなる宿泊客になるであろう観光“客”の必要性が生じてくるのではないだろうか。

被災地観光に関しては疑問を抱く人も多い。しかし、年金生活者や高齢者のなかには自分たちは肉体的にボランティアはできないが、観光で訪れることによって直接経済活動に役立ってほしいと思う人もいるのである。そういう人たちが、被災地を訪れることによって、百聞は一見に如かず、ではないが、震災津波被害の甚大さを目の当たりにすることによって、オーナー制度参加や通信販売へ足がかりになるなど新たなる支援の輪が広がる可能性もある。

とにかく多くの観光“客”が被災地の姿を見ることは、被災地のあり方を少しでも多くの人と共有することになる。加えて、雇用促進につながり、人口流出を防ぐことにもなる。観光“客”は間違いなく被災地の復旧復興にプラスになるはずである。

被災地を訪れよう 〜被災地に観光“客”を〜
http://k21komatsu.blogspot.com/2011/11/blog-post_15.html

火曜日, 11月 22, 2011

節電努力=脱原発の実現に繋がる

今月も届いた「電気ご使用量のお知らせ」。このところ各企業が工場などでの電気使用量を減らす努力をするという報道がなされているが、この企業努力と家庭での節電努力が今後も進めば、間違いなく原発は必要でなくなるであろう。少なくとも東京電力管内は可能であるはずだ。

先月も書いたが、節電努力を継続していくという人は少なく見積もっても7〜8割の人、つまり4人に3人は存在するのである。こうした人々の努力の結晶がいずれ脱原発の実現に繋がるはずである。

ということで、毎月同じことを書いているのは気がひけるが、こうした節電努力=脱原発の実現のためにも今月(11月分)の自らの節電努力を記しておきたい。

       昨年11月分(29日間)今年11月分(10/18〜11/16の30日間)
自宅(60A)     354kwh     274kwh   22%減
深夜電力(4kw)   239kwh     267kwh   
仕事場(20A)     64kwh      32kwh   50%減
合計          657kwh     573kwh   13%減

今回はトータルで13%減という結果に終わってしまったが、今後も前年比15〜20%減を目標に節電努力にガンパっていきたい。

こんな話を書いて「お笑い草だね」と思う人がいるかもしれないが、企業および家庭の節電努力によって、確実に東京電力管内の電気使用量は減っている。このままいけば柏崎原発を使用しなくても(火力発電所の増設は必要になるだろうが)、十二分にやっていけると信じる。

日曜日, 11月 20, 2011

義援金よりも寄付金(支援金)が必要だと思う

日本赤十字の義援金の流れが少々不鮮明だ。

赤十字のホームページhttp://www.jrc.or.jp/contribution/l3/Vcms3_00002096.htmlによると、赤十字が各県の「義援金配分委員会」へ送った金額は約3,048億円(11月15日現在)。各県の「義援金配分委員会」がそれぞれの市町村へ送った金額が2,747億円(11月4日現在)。そして、各市町村が被災者へ渡した金額は2,481億円(11月4日現在)。時間的ズレがあるにせよ、被災者のもとにまだ567億円が届いていない。

各市町村とも職員の数が足りなかったり、被災者が移転していたり、義援金を受け取りにこなかったりと、義援金の配布が滞りがちなのは解る。しかし、できれば年内にちゃんと届くようにしてもらいたい。そして、赤十字および「義援金配分委員会」は、不明なお金が絶対に発生しないようにしっかりと注視してもらいたい。

一方で、日本赤十字はこうした手間のかかる各家庭に配布する義援金の募集を止めて、被災地の自治体が自由に使える支援金(寄付金)の募集を行うべきではないだろうか。

義援金だけでなく寄付金も送ろう
http://k21komatsu.blogspot.com/2011/04/blog-post_26.html

土曜日, 11月 19, 2011

新・土曜日はいつも雨

4年前にも同じことを書いているが、土曜日になると東京は雨が降ることが多い。不思議でならない。1週間に1回ぐらい雨が降ることは、人間の営みにとっては必要不可欠なものであるから良いことなのだが、こうも毎週土曜日に降ると経済的にも影響が出るのではないかと心配になる。

土曜日はスポーツイベントが数多く開かれる。プロ野球やJリーグの試合、ラグビーのトップリーグや大学の試合、JRA(中央競馬)などなど。こうした試合は屋外で行われるプロ野球の試合以外は、雨でも開催される。しかし、雨が降ると観客動員は愕然と落ちる。

同じように屋内のイベント、演劇やコンサートにしても、雨が降ると観客動員は1割から1割5分ぐらいは減ってしまう。このようにスポーツや娯楽産業には雨は痛手である。そして、レストランなどの飲食産業、旅館やホテルなどの観光産業も同様であろう。

人はやはり雨が降ると外出したくなくなる。それは仕方がない。しかし、このことが日本の経済活動を下げているようでならない。とにかく土曜日に雨が降るサイクルをなんとかしなければならない。月曜日に雨が降ると、仕事をすることに影響が出そうなので、雨は週の半ばである水曜か木曜あたりに降るのが一番望ましいかもしれない。おてんと様、よろしくご検討のほどお願いします。

土曜日はいつも雨
http://k21komatsu.blogspot.com/2007/04/blog-post_14.html

金曜日, 11月 18, 2011

堤防が高ければいいという問題ではない

今回の三陸(釜石市、大槌町、山田町)訪問では多くの人と話をする機会があったが、そのなかでもっとも話題になったのが今後作られる海岸堤防(防波堤)の高さ。

これは地域や集落によっても違うが、今後三陸のほとんどのところで高さ10メートル以上の堤防が作られる。しかし、その堤防の高さに疑問を抱いている人が意外に多かった。例えば、大槌町では14.5メートルの防波堤の建設が予定されている(町はもっと高い防波堤を要望している)。これだけ高い防波堤を作れば、ある程度津波の被害を防げると思う。しかし、これだけ高い防波堤を作ると、町から海を望むことはできなくなる。こうなると、海に慣れ親しむこともなくなるだろうし、また海は危険なものであるという意識も希薄になる可能性が高い。

先日、陸前高田では今回の津波が到達したところに桜の木を植えて、記憶だけでなく記録として津波の恐さを伝承していくことを行った。同じように他の自治体も今回の津波の記録をなんらかの形で残すべきであろう。それは震災資料館もしくはメモリアルなどのような形でもいいが、もっと普段から人目に触れるような形で残すべきではないだろうか。例えば、防波堤のそばに今回の記録や教訓をレリーフにしておくとか、津波が到達した地点に何か目立つものを設置するとかするべきである。また、避難経路に関しても、大きく解りやすい誘導標識の設置が望まれる。

いずれにしろ、堤防が高ければいいという問題ではないようだ。

水曜日, 11月 16, 2011

東北へ行こう 〜東北応援パス〜

JR東日本は東京-新青森駅間の「東北新幹線全線開業1周年」を記念して、12月の土曜・休日の連続する2日間に限り、JR東日本全線および、青い森鉄道、いわて銀河鉄道、北越急行、伊豆急行の各線の普通車自由席が乗り降り自由という「東北応援パス」を発売している。

値段は大人が9,500円、子供が4,000円で、これとは別に特急券を買えば新幹線や特急も利用できる。この「東北応援パス」は従来の「ウイークエンドパス」を拡張したもので、これによって岩手県、秋田県、青森県などへかなり安く行けるようになる。

例えば、東京〜新青森間を往復した場合、「東北応援パス」と新幹線特急券の組み合わせると、平日より8,260円安くなるという。また、先日私が訪れた釜石にしても5,000円以上は安くなると思われる。

できれば、こうした「東北応援パス」は12月だけに限ることなく、来年3月や4月にも行ってもらいたい。そうすれば、観光客だけでなくボランティアの人も使いやすくなるだろうし、私がテーマにしている被災地への観光“客”も増えると期待できる。一方で、被災地の人もこのパスを使えば、少し息抜きのために東京や関東に住む親戚のところに行きやすくなるのではないだろうか。また、「大人の休日倶楽部」では4日間乗り放題のパスを是非とも発行してほしい。そして、同様のパスをJR各社にも広まれば、東北の復興が少しでも早くなるに違いない。

ちなみに、このチケットの購入は利用日の1カ月前から当日までで、販売場所はJR東日本のみどりの窓口とびゅうプラザや主な旅行会社にて。

JR東日本:おトクなきっぷ「東北応援パス」
http://www.jreast.co.jp/tickets/info.aspx?GoodsCd=1785

火曜日, 11月 15, 2011

被災地を訪れよう 〜被災地に観光“客”を〜

物見遊山で被災地を訪れてはいけない、とよく言う。しかし、私はそれでももう良いのではないかと思っている。なぜならば、訪れてみれば解る。自分が物見遊山で来たことの愚かさを知るからだ。

被災地は見せ物ではない。観光地でもない。でも、瓦礫の山や野原と化してしまった光景を目の当たりにすれば誰もが解る。そこには人間の営みがあったこと。命の息吹があったこと。そして、今でもそこに暮らす人々がいて、復旧復興への絶え間ない努力をしていることを。

観光“客”が来ることにはいろいろな意見がある。しかし、私は“観光”は復興への大きな足がかりとなると思っている。ボランティア活動も大切だ。ただ、ボランティアは若い人が多いせいもあったりするために、正直地元にあまり多くのお金が落ちない。また、宿泊所も直接の被災地から離れている場合が多い。

しかし、観光“客”は被災地にお金を落としていってくれる。魚市場やショッピングセンターで買い物をする。ホテルにも泊まってくれる。つまり、こうしたお金を落とすことが雇用を生むことになり、被災地からの人の流出を防いでいくことにもなる。

復興への過程はいろいろあると思う。場所によっては解体作業やボランティア活動の手を離れて、プロの建設業者による工事、ファンドなどによる経済支援などへと徐々に移っている。そして、私は観光“客”の誘致も欠かせないと思う。いろいろな人が被災地を直接訪れることは、経済の活性化になると共に人々の心の活性化にもなるからだ。

12月から2月までの三陸から宮城沖は寒いために観光には向いていないが、3月以降になれば穏やかな天候になるので、被災地まで足を伸ばしてほしいと思う。そのために、旅行会社はそうしたツアーを積極的に企画していってほしい。被災地に泊まることができない場合、花巻温泉などの温泉地や遠野などの観光地をベースにしたツアーでも構わない。是非とも数多くいろいろなプランを立案してもらいたい。一方、被災地側も観光客を受け入れられるような施設である宿泊施設、魚市場、復興食堂、ショッピングモールなどの再建を急ぐべきである。

復旧復興のための道程はまだまだ長く遠い。それでも、多くの人が一歩一歩いろいろな形で支援していると思う。私は「被災地に観光“客”を」テーマに自分なりに支援を続けていこうと思っている。

さんりく観光情報
http://www.iwatetabi-sanriku.jp/

木曜日, 11月 10, 2011

品のない応援団同士の日本シリーズ

福岡ソフトバンクホークス・ファンおよび中日ドラゴンズ・ファンには申し訳ないが、今度の日本シリーズは観ないことにしました。その理由は両チームの品のない応援団にあります。

この両チームの応援団は相手から1つアウトをとるたびに、下品極まりない♬テンケテンのスッテテン♬というアウトコールをラッパで長々と鳴らします。これは明らかに応援ではなく侮辱行為であり、彼らは応援団ではなく侮辱団です。そして、これらのラッパは球場の雰囲気は悪くするのはもちろんのこと、試合を遅らせている要因にもなっています。こうした行為をいつまでも放置している球団およびオーナーはお馬鹿さんです。

それゆえに、こんなチーム同士の日本シリーズは観ないことにします。ちなみに、勝敗予想は4勝1敗でホークスです。一応パリーグ・ファンなもので。

水曜日, 11月 02, 2011

11月は季節商戦の穴場かも!?

毎週火曜日は、母親が通っている自由が丘の東急ストア4階にあるカルチャースクール(お絵描き教室)にお供している。といっても、タクシーで一緒に行くだけで、そのあとは適当に時間をつぶして、帰ってくるだけなのだが。

で、昨日、その東急ストアに行って驚いた。入口にはすでにクリスマス・デコレーションが、店内のBGMは『ジングルベル』なのである。ハロウィーンが終わったからといって、もうクリスマスかいと思わずツッコミを入れたくなった。昨日などは気温は20℃を越えていていて、雪模様した飾りが可笑しくてならなかった。

普通ならば、ここで終わる日記なのだが、ちと考えてみた。

日本の季節商戦というのは面白い。1月は正月と成人式、2月はバレンタインデー、3月はひな祭りとホワイトデー、4月は入学、5月は端午の節句。そして、秋になると10月はハロウィーン、12月はクリスマスと移っていく。つまり、11月は空白月なのである。アメリカでは感謝祭があるが、これが日本に根付くことはありえない。

ということで、11月になにか季節商戦のイベントということで、ボージョレーヌーボーが台頭してきているが、私のようにお酒に興味があっても「ぶどうジュース」に興味がない人間からすると、クソくらえである。そこで、11月にはもっと違った季節商戦ができるのではないだろうか。大手広告代理店のみなさん、何か考えてみてくださ〜い。(笑)

火曜日, 11月 01, 2011

路上靴磨き屋さんは何人残っているのだろうか

先日、渋谷を歩いていたら靴磨きのおじさんを見かけた。場所は東急東横店の西側、マークシティへの横断歩道脇。そのとき、私はバックスキンの靴を履いていたので、靴磨きを頼むことはできなかったが、値段は1回500円と書かれていた。

日本で路上靴磨きが始まったのはいつ頃からなのか全く知らないが、路上に靴磨きが氾濫するようになったのは間違いなく戦後のことであろう。戦災で浮浪児となった少年たちが進駐軍相手の靴磨きをするようになってからだ。いわゆる「シューシャインボーイ」である。私も子供の頃、路上ではないが玄関先で父親の靴磨きをしてお小遣いをもらった経験がある。

この靴磨き、日本をはじめアジア諸国では少年が路上で行う仕事のようなイメージがあるが、これがアメリカにいくと、年配のおじさんたちがバス・ターミナルや大きなビルの一角で楽しそうに仕事をしていたりする。なかには、美声を披露しながら靴磨きをする人も見たことがある。

今日では靴が合成皮革のものになったり、家庭でも簡単に靴磨きできるスポンジがあったりと、革靴に歯ブラシでワックスを塗って、ボロ布で磨くという時代ではなくなってしまった。日本においても今日ではミスター・ミニットなど靴修理店の一部が靴磨きを行うが、路上での靴磨きをする人は、東京にいったい何人いるのだろうか。今度、見かけたときは是非とも靴磨きをお願いしたい。

金曜日, 10月 28, 2011

大腸検査でポリープを切除する

先月末より原因がよく解らない胃腸炎に時おり煩わされていたが、本日その原因を究明するべく大腸検査を受けた。その際にポリープが見つかったら切除するという希望も加えておいた。

前日より食事制限をして朝6時に起床。6時半から水で薄めた下剤2リットルを2時間かけてゆっくり飲む。これが滅茶苦茶にマズい。(> <) しかし、飲み始めてから1時間もしないうちにトイレに駆け込むようになる。結局2時間で4回も行った。こんなテキメンに効く下剤は初めてである。(苦笑)

その後も便をもよおすものの、起床が早かったせいか9時頃からはしばらく寝てしまった。そして、午後1時に検査を行う病院へ向かう。

検査室ではまずお尻が割れている特製の紙パンツに着替えて検査台に横たわる。続いて腕に点滴が行われ、いよいよ、お尻から内視鏡が入っていく。う〜ん、初体験。w ところが痛みもかゆみも全くなくカメラはスイスイと入っていく。私も頭上にあるモニターを見ながら先生(医師)と会話する。

私 「なかなかきれいじゃないですか?」
医 「これが普通ですよ」
私 「あ、これポリープじゃないですか?」
医 「よく解りますね」
私 「大きさはどれぐらいですか?」
医 「5〜7ミリぐらいじゃないかな。あとで切除しますよ」
私 「これで1週間禁酒ですか(がっくり)」
医 「でも、今回の問題箇所じゃないですから、発見してよかったですよ」
私 「問題箇所はどうですか?」
医 「憩室(大腸のくぼみ)がありますね。でも、炎症とかは起こしてないです」
私 「ホッ」
医 「ポリープは1個だけですね」

ということで、20分ぐらいの検査の最後にポリープ1個が手際良く切除される。このために本日から1週間はお酒、サウナ・風呂はダメと言われる(シャワーはOK)。また、食事もやわらかくて消化のいい物で、食べ過ぎずにということであった。ただ、粘り強い交渉の結果、ビールに関しては火曜からOKということになった。(^_^)v

なお、ポリープを切除したことは医療行為の「手術」にあたるようで、医療保険が適用されるとのこと。ということで、保険代理店に電話をして早急に書類を送ってもらうように頼む。ポリープの検査結果は2週間後だが、きれいに切除したのでさしたる問題はないだろう。ただ、結果が出るまでは旅行やスポーツなど強い腹圧をかける行為は避けるようにということなので、しばらくジムに通えないのが残念でならない。

月曜日, 10月 24, 2011

耳がよく聴こえない人は22〜23人に1人!?

実は私の母親は片耳がよく聞くことができない。片耳の難聴者である。子供の頃に患った中耳炎のために聞こえにくくなったそうである。それでも、米寿間近にしてもいわゆる年寄りのような耳が遠いということはないので、日常生活で困ることはほとんどない。

そして、私の母親のように片耳がよく聞こえない人を私は何人も知っている。高校時代の友人、編集者時代の知人、ジム仲間のおじさん、舞台役者など・・・。そこで、ちょっと調べてみると、日本には聴覚障害者として身体障害者手帳を交付されている人は約36万人いるそうだが、片耳がよく聞こえなかったり、聴力が衰えている高齢者など難聴の人はなんと約500〜600万人もいるらしい。となると、日本人の22〜23人に1人が聴覚に問題を抱えているのだ。

22〜23人に1人という数字は、一般的な仕事をする人ならば1日に接する人のなかには必ず聴覚障害者もしくは難聴者がいるということである。あまり外出しない人でも3〜4日に1人は潜在的にそうした人に接する機会があるのだ。こうしたことを考えると、日本はもう少し聴覚障害者もしくは難聴者のためにいろいろな意味で優しい社会になってほしいものである。

金曜日, 10月 21, 2011

今後も節電意識=脱原発意識を持ち続けましょう

先日の朝日新聞の世論調査によると「この夏の程度の節電なら、電力不足かどうかにかかわらず、これからも続ける」という人が86%にのぼった。新聞社の世論調査を基本的に信じない私だが、これは大方正しいのではないだろうか。少なく見積もっても7〜8割の人、つまり4人に3人は今後も節電に心がけると思える。それを信じたい。こうした「塵も積もれば山となる」ではないが、こうした意識が原発を必要としない社会を作っていくことに繋がっていくはずでもある。

ということで、毎月同じことを書いているのは気がひけるが、こうした節電意識=脱原発意識を確認するためのも今月(10月分)の節電状況を記しておきたいと思う。

       昨年10月分(33日間)今年10月分(9/16〜10/17の32日間)
自宅(60A)     321kwh     244kwh   23%減
深夜電力(4kw)   213kwh     241kwh   
仕事場(20A)     69kwh      50kwh   27%減
合計          603kwh     524kwh   12%減

毎月思うのだが、深夜電力だけはなかなか減らない。炊事、洗面、お風呂などに使うので、これを減らすのは至難の業である。高齢の母親のそれを強いることはできない。

一昨日からすっかり秋(冬?)模様になった東京だが、パソコンに掲示される「東京電力の電力使用状況」は今後もしっかりと見続けていきたい。

木曜日, 10月 20, 2011

地域再生へ向けての雑誌『Re-born』

釜石の無料情報誌『Re-born』Vol.1(A4判16頁 9月発刊)を読む。表紙コピーの「勝ち負けなんかどうでもいい 笑っていければそれでいい」という言葉が印象的。誌面がひた向きで前向きなのがいい。Vol.2を読みたくなるような読後感も雑誌のクォリティとして評価していいのではないだろうか。

この雑誌が釜石および周辺のみなさんの情報交換の場となり、地域再生へのカンフル剤になることを期待したい。編集後記によると『Re-born』とは「生まれ変わる」と「人と人をつなぐリボン」の意味をもつと書かれている。その誌名がいつの日にか『Re-born』から『リボン』になることを願っている。

東京では、銀座のいわて銀河プラザ、渋谷のジュンク堂・丸善(東急本店7F)、深川のArt laboいっぷくに置いてあるそうです。また、Vol.2も発行されたようです。

火曜日, 10月 18, 2011

アイドリング公害車を売らせるなよ!

自宅および仕事場は目黒通り沿い近くにあるので、自動車騒音にはかなり慣れっこになっている方だが、最近その騒音のなかで気になるというか頭にくるのが停車中の車が発するアイドリング公害。

時代はハイブリッド、電気自動車などエコで静かなアイドリングになろうとしているのに、フェラーリ、ポルシェなど外国製スポーツカーのアイドリングはかなりうるさい。特に夜間のアイドルリングは騒音であり、当世の言葉で言わせてもらうならばウザい。加えてこれらの車がスタートをかけて目黒通りを走っていくときは、まるで暴走族まがいの轟音をかき立ていく。明らかに東京都の迷惑防止条例に違反しているような爆音でけたたましい。

昨今はユーロ安もあってかヨーロッパの車も以前に比べて買いやすくなっている。かといって、アイドリング公害を発するような外国製スポーツカーの販売はしっかりと規制してもらいたい。

月曜日, 10月 17, 2011

ベランタは華やかな方がいい

少し体調を崩してしまったが、何もしないのも退屈なので、昨日久しぶりにベランダ・ガーデニングの手入れをした。

春夏の花はそろそろ終わりに近づいているが、10月半ばを過ぎたというのに、朝顔は鉢ごとにまだ一輪二輪と花が咲いている。そろそろチューリップを植えない季節になってきたので交代してほしのだが・・・。

ということで、朝顔からチューリップに植え変えるのは1〜2週間後にして、ポーチュラカなどを植えていた鉢を利用して、ボンザ・マーガレット2鉢、よく咲くスミレ2鉢、ミルフル1鉢を植えた。今後はパンジー、ビオラ、バーベナ、りんどうなどを植えたいと思う。

ベランダはやっぱり秋冬といえども、やっぱり華やかな方がいいに決まっている。

水曜日, 10月 12, 2011

教師を“先生”とは呼ばず、“さん”づけで呼んでいた

詳しいいきさつなどは知らないが伝統なのだろう。私が通っていた高校(ン十年前の都立大学附属高校)では、生徒間では教師のことを「○○先生」とは呼ばず「○○さん」と呼んでいた。つまり、「明日の○○先生の授業、どうする?」みたいな会話は「明日の○○さんの授業、どうする?」がごく普通だった。入学当初はこうした会話にはちょっと戸惑いというか、不思議な感じがしたが、クラブ活動で先輩と話したりしているうちにすぐに慣れてしまった。

そして、授業の場でも一年生では「○○先生、ちょっと聞きたいことがあるんですが・・・」が、二年、三年生ともなると「○○さん、ちょっと聞きたいことがあるんですが・・・」と自然と変わっていった。

こうした呼び方は教師を敬うということでは問題点があるかもしれないが、教師に親しみを覚えるということにおいてはかなりの利点があった。そのおかげもあったのかもしれないが、高校時代に国語、現代社会、日本史、世界史、地学、体育などの授業で面白いことを教わると共に、世間に対する見方などを知ることができた。

こうしたことを考えると、教師のレベルが高かったこともあるかもしれないが、教師を先生と呼ばず、“さん”づけで呼んだことは私には大きな意味があったように思う。

月曜日, 10月 10, 2011

年齢の呼称、覚えとかないとね

先日のワインバーで盛り上がった話が年齢の呼称。お客さんのおじさんが「私は古希が過ぎたので、次は喜寿までは頑張らない」と言うと、店のパパさん(それなりのお歳)が「私は喜寿まで頑張れるかどうか」と返事をするも、周りの若い(?)女性陣はどうもこの呼称を理解していないようで「古希って77歳ですよね」とか「喜寿って還暦のことですよね」などとトンチンカンな話が出る始末。

かくいう私も正直、こうした高齢者(失礼!)の呼称をよく解っていなかったのでお勉強をした。(^_^)

呼称のなかでもっとも有名なのが還暦だが、この還暦、現在は満60歳を迎えた人を祝う呼称となっているが、そもそもは干支(六十干支)が一回りした数えの61歳のことを言っていたそうで、戦後しばらくはこの数え61歳(≒満60歳)が通用していたそうである。しかし、太陽暦が定着してからは還暦=満60歳が定着するようになっていった。

一方、古希は数え70歳(≒満69歳)なのであるが、還暦と同じように太陽暦に従うならば69歳になるはずだが、こちらはなぜか古希=満70歳が定着化していった。

なお、還暦や古希とは別に下記のように今日では数多くの呼称がある。一応99歳までは常識の範囲内ということで覚えておいた方がよさそうである。

60歳 還暦 かんれき  
66歳 緑寿 ろくじゅ  2002年に日本百貨店協会が提唱したもので、世間的には定着していない
70歳 古希 こき   
77歳 喜寿 きじゅ   「喜」の草体が七十七のように見えることから
80歳 傘寿 さんじゅ  「傘」の略字(仐)を分解すると八十に見えることから
81歳 半寿 はんじゅ  「半」の字を分解すると八十一になるから
88歳 米寿 べいじゅ  「米」の字を分解すると八十八になるから
90歳 卒寿 そつじゅ  「卒」の略字(卆)を分解すると九十になるから
99歳 白寿 はくじゅ  「百」の字から「一」を取ると「白」になるから

このほかに、111歳を川寿(せんじゅ)皇寿(こうじゅ)と呼ぶそうだ。ただ、これらはさすがに覚える必要はないと思う。w

水曜日, 10月 05, 2011

ミクシィに未来はあるのだろうか

ミクシィの「足あと」機能が「先週の訪問者」機能に変わったのは6月13日だった。

「足あと」機能がなくなったことにより、おそらくミクシィ本体のサーバーへの負担が軽減され、以前より“重たさ”がなくなり、ロムが快調になったりしているはずである。また「足あと」を使った誘導的なスパムがなくなるなど改善された点はいくつかあった。

一方で「足あと」機能がなくなったことによって、自分がいま誰と繋がっているのかが確認できなくなったり、「足あと」をきっかけとした新しい「マイミク」関係が出来にくくなり、ユーザーの不満が募ったのも事実である。そのために、Mixiの利用者が減っていっているような気がしてならない。

というのも、前述の「先週の訪問者」機能に変わった6月頃は、「私の「マイミク」さんの8割の人が「先週の訪問者」機能に表示されていたが、現在では5割近い状態である。この原因は私の日記の内容にもよるものなのかもしれないが、やはり「足あと」機能の変化によるところが大きいと思う。加えて、現在私の110人の「マイミク」さんのうち3分の1の人はほとんど休眠状態になってしまった(以前は1割ぐらいだった)。

現在のミクシィはTwitterとFacebookの良いとこ取りをしているようなSNSに成り下がり、以前のようなコミュニティを中心とした活発な交流も希薄になっている。私自身ももはやミクシィは自分の日記の直接的な反応を見る場にしているような気持ちになり、FacebookやTwitterを使う比重が高くなっていたりする。

ミクシィは今後どうなるのだろうか。その未来はあるのだろうか。ちょっと懐疑的な心持ちになっている。

土曜日, 10月 01, 2011

胃腸不良の原因はウイルスだった?

25日(日)の夕方ぐらいから右脇腹近辺に違和感を覚えた。9月半ばはお祭りやなんやらで飲む機会が多く、前日も地元のワインバーで1本空けていたので、これはヤバいと思い、26日(月)朝いちにホームドクターに行った。

「お腹、張っているねえ。飲み過ぎじゃないの。血液検査と検便を行うからね」と言って、まずはその場で血を抜かれる。そして、検便は明日と明後日の2回行うように言われる。それから処方箋をもらい、薬局で薬を受け取る。

その後、翌日の27日(火)まではお腹に張りがあり、また少し微熱もあり、気分はさほど優れたものではなかったが、水曜日になって薬の効果が表れたようで、かなり回復するところまで至った。そして、木曜日にまず血液検査の結果を聞きに行った。

「GOT、GPT、γ-GT、中性脂肪、血糖値も正常値内だね。残念ながら(笑)肝臓じゃないね。リンパ球が少し増えているから、これはウィルスと抵抗しているので、ウイルス性胃腸炎の可能性が高い。ちょっと薬を変えるから、今度は検便の結果が出る土曜日に来てね」と言われる。加えて「このウイルスへの特効薬はないから、あとは自分で治すんだという気持ちの回復力だからね」と念を押される。

そして、本日(1日)検便の結果を聞きにいくと「血液反応もないし、特に問題ないね」ということで、飲酒も解禁となった。めでたし、めでたし。ただ、しばらくは飲酒は控えめにしたいと思う。

火曜日, 9月 27, 2011

洗濯機は全自動と二槽式の2つある

家には洗濯機が2台ある。1台は自宅の洗面所に、もう1台は仕事場のベランダに置いてある。仕事場にある洗濯機は普通の全自動洗濯機で、こちらは主にジムで着るウエアやタオル類などを洗うために使っている。で、自宅にある洗濯機は下着やシャツなどを洗っているが、こちらは昔ながらの二槽式の洗濯機である。

いまどき珍しい二槽式洗濯機を使っている理由は母親にある。母親はどうも全自動が「どういう洗い方をしているか見えない」ということでお好みでないようである。確かに、全自動は汚れ落ちが確認しずらいし、全自動に比べると洗濯した気分になれる。

少し調べてみると、この二槽式洗濯機はまだまだ根強い人気を保っているようで、一般家庭の5%は二槽式を使っているようである。特に地方や年配者の人気は根強く、メーカー各社もいずれも何種類の生産を続けていて、製造を止めることはないようである。

二槽式洗濯機が根強い人気の理由としては「分け洗いが簡単」「汚れ落ちが途中で確認できる」「節水ができる」「衣類が傷みにくい」などだそうだ。そして、母親のように洗い、脱水、すすぎ、脱水と面倒な作業をするもものの、洗濯をしているという満足感も得ることができる。

ということで、我が家はまだまだ二槽式洗濯機の生活のようである。w

土曜日, 9月 24, 2011

「東日本大震災〜避難所から視たもの〜」

釜石のシープラザ“遊”で見た写真展「東日本大震災〜避難所から視たもの〜」が忘れられない。

この写真展は釜石市只越町で写真館を経営していた菊地信平さん(63歳)が、1台だけ持ち出せたカメラで押し寄せてくる津波や町の様変わり方を分刻みで撮影した写真や、翌日からの避難所、隣町大槌町の様子などの写真200点が展示されていた。その菊地さん自身も自宅兼写真館が被災。5カ月近い避難所生活をしいられた。

そして、その菊地さんの写真が明日(25日)夜10時から放送されるBS朝日の「よみがえれ!東北」で天海祐希のナレーションで紹介されるようである。これまでに数多くの震災関連の写真集が出ているが、彼のような被災者目線での写真集が出版されたらと思う。この番組をキッカケに彼が撮った写真が写真集となり、しっかりした形で記録として残ってほしいものである。加えて、菊地さんが今後撮り続けるであろう復旧復興への姿も記録として残ってもらいたい。

BS朝日 - 「よみがえれ!東北 」(9月25日(日)よる10:00〜10:54)
http://www.bs-asahi.co.jp/touhoku/iwate.html

金曜日, 9月 23, 2011

『おひまさま』(脚本:岡田惠和)の名セリフ

現在放送中の朝ドラ『おひさま』の脚本を書いている岡田惠和(よしかず)は好きな脚本家のひとりだ。これまでに『彼女たちの時代』や『ちゅらさん』など数多くの名作ドラマの脚本を手掛けて来た。そうしたドラマのなかでもいくつもの名セリフを書いていたが、今回の『おひさま』でも印象に残る名セリフをいくつも書いている。そんな名セリフを集めてみた。

今週放送分のなかの語り(若尾文子)の一言。
「悲しみを忘れないで、みんな幸せを求めていた時代だった」

名セリフの決定打は富士子おばあさま(渡辺美佐子)の一言。
「東京だけでなく日本も大丈夫。そんなヤワな国ではありません、私たちの国は」

富士子おばあさまにはほかにも名セリフがある。
「よその人に比べて、自分の辛さや大変さは “大したことはないんだ” なんて思う必要ありません。全くありません。あなたは大変な思いをした。辛かった。悲しかった。それだけでいい。誰かと比べる必要なんてありません」

「あなたが生きていく中で、本当に誰にも頼れなくて、どうしようもなく困ったことがあったら、そのときはわたくしを思い出しなさい。わたくしが助けてあげましょう。そういう人が一人いることは、きっとあなたの強さになるはずです」

「よくあの子に言ってたの。あなたは太陽のようになりなさい、誰の力も借りずに、自分の力で輝いて、みんなを明るく照らす太陽な女性におなりなさい。これからの女性は、何でもできる時代なのよって」

良一父さん(寺脇康文)のこの一言。当たり前だけどなかなか言えない。
「死ぬべき人間なんていない! お前の命はお前だけのものじゃない! 私のものでもある。陽子のものでもある! 春樹のものでもあるんだ!」

良一父さんも富士子おばあさま同様に良いことを言っている。
「お父さんが怖くしていられるのは、お母さんがいるからだろ。怖いお父さんだけじゃ、子供は縮こまっちまう。お父さんが怖くて、お母さんが優しくて、それでちょうどいいんだ」

「21年間、娘でいてくれてありがとう。太陽の陽子のおかげで曇りの日は1日もなかった」

オクトパス(飯田小太郎=近藤芳正)のなにげない一言も良かった。
「女性たちよ、良き人生を!」

茂樹兄さん(永山絢斗)は戦地に赴く気持ちがよく表れていた。
「陽子……、俺は……、星になる。お前は……、太陽になれ」

あと、意外な名セリフだと思ったのが、陽子(井上真央)の一言。
「お店が好きです。だって、お店はいつでも戸が開いてるから」

岡田惠和は女性の心を掴むのが上手いと同時に、女性の声をうまく代弁しているように思う。

水曜日, 9月 21, 2011

脱原発まで節電に努めよう

東京電力から「電気使用量のお知らせ」9月分が届いた。5月分は前年比約25%減、6月分6%減、7月分は6%増(これが不思議でならない)、8月分は26%減だった電気使用量が、今回は前年比24%減という結果であった。

       昨年9月分(30日間)  今年9月分(8/17〜9/15の30日間)
自宅(60A)     492kwh      309kwh   37&減
深夜電力(4kw)   143kwh      178kwh   
仕事場(20A)     54kwh       37kwh   31%減
合計          689kwh      524kwh   24%減

今月のお知らせから「昨年9月分は30日間○○kwhです。今月分に比べ○○%減少しています」と小さく表示されていて、東京電力も少しは利用者に対して節電意識の啓蒙を促すようになった感じである。

昨日からすっかり秋模様になった東京。台風が通過したあとは本格的な秋が訪れるだろう。しばらくの間はパソコンに掲示される「東京電力の電力使用状況」という案内をさほど気にすることはなくなるだろうが、それでも今後もしっかりと節電意識を持ち続けたいと思う。

火曜日, 9月 20, 2011

被災地を訪れて(その6) 〜継続は力なり〜

被災地を訪ねてみて、僭越ながらこれは長い長い闘いになると思った。

被災地が復旧復興するには何年かかるか全く解らない。阪神淡路大震災のときは、その被災地が都市部に集中していて、大阪から近いこともあり、復興への道程はある程度順調にいった。

しかし、今回の被災地はいずれも大都市から離れた沿岸部にあり、広く長くそして遠い。加えて、原発というやっかいな問題も抱えている。

本当にいつ復旧復興するのか見当もつかない。いつ終わるか解らない瓦礫の処理、いつ決定するか解らない都市計画、いつまで続くのか解らない仮設住宅住まい、などなど。すべてが解らないだらけなのである。とにかく一歩一歩進めていかなければならない。

それゆえに、被災地以外の人はいつまでも支援を続けなければならない。いろいろな形で支援を続けていこうではありませんか。ボランティア活動、義援金・支援金・寄付金、ファンド投資、企業投資、物資支援、物品購入、観光などなど。

なにごとも、継続は力なり、である。(連載終了)

写真上:拾得物(写真、位牌など)の公開場となっている釜石市民文化会館の看板。
写真下:少し活気に満ちていた気仙沼魚市場。

月曜日, 9月 19, 2011

被災地を訪れて(その5) 〜木を見て森を見ず〜

震災から半年が経った。マスコミはいまだに続く被災地の厳しい状況を伝えている。それは大事なことである。なぜならば、この震災を風化させない為にも必要なことである。そして、この教訓を活かしていくためにも必要である。

しかし、マスコミはそれだけに終始していないだろうか。現地の状況を伝えるのは当たり前として、各地のボランティアセンターの実情などを的確に伝えているだろうか。また具体的な復興への道のりを伝えているだろうか。というよりも、マスコミとしての提言を行っているだろうか。

3月11日以降、世間にはマスコミ不信が蔓延している。何度も書くが原発事故の原因、その収束の遅れの責任は「政官財学マ」の癒着構造にあり、マスコミも加担している。その後の菅前首相下ろし政局の一因もマスコミだった。マスコミは震災復興、原発収束への足がかりを完全に引き止めていた。加えて、先日の「死の町」報道にしても偏見に満ちていて犯罪的ですらある。

マスコミの論調はいつも同じである。国が悪い、政治家が悪い、官僚が悪い、自治体が悪いというだけで、自分たちの責任をまったく問わない。そして、自分たちは口先で行動もしない。震災に関しても義援金を集めるだけで、ボランティア活動を自分たちで行うこともなければ、支援機構を組織することもしない。なぜならば、ボランティア活動を行って怪我でもしたら、責任を問われなかねないからである。リスクを伴うことはしないのである。ここにもマスコミには責任回避の論理が働いているのだ。

今日のマスコミは本当に建設的でない。創造的でない。それは官僚以上に保身であり、自分たちの権力を失わないように失わないようにという守りの姿勢しかみせていない。報道することは大切だ。しかし、報道することは仕事であって支援ではない。実際に被災地に行ってみて、マスコミは取材するだけで何もしないと、苦言を呈する人が何人もいた。いまだに配慮を欠いた土足であがるような取材をするマスコミがいるそうである。

自戒の念を含めて、マスコミよ、人に話をするなら、人の話をまず聞けよ。(続く)

写真上:大船渡線陸前高田駅近く。
写真下:気仙沼。電線は復旧しているのに、船はいまだに放置状態。

金曜日, 9月 16, 2011

被災地を訪れて(その4) 〜聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥〜

9月11日(日)は震災から半年にあたる日だったが、その日はちょうど岩手県知事選挙および県議会選挙の日でもあった。釜石市では市議会議員選挙も重なったために、前日まで選挙カーがめまぐるしく走っていた。ただ、釜石の中心街に人はほとんどおらず、余所者の私がいうのものも何だが、選挙カーの姿と音声がなにか虚ろに思えてならなかった。

さて、今回の被災地の訪問の目的のなかに、以前取材でお世話になった人に会うということもあった。特に10年前に雑誌『旅』の取材でお世話になった橋上(きょうじょう)市場の菊鶴商店のおばさん(菊池静子さん)にはなんとしても会いたかった。

橋上市場は町の中心部を流れる甲子川に架かる大渡橋に並行する形で1958年に完成した橋(長さ110m、幅13m)で、その上に鮮魚、野菜、お土産品、日用雑貨、食堂など約50店舗が営業する市場だった。ここは日本で唯一の橋の上の市場としても知られ、市民や観光客に親しまれたが、河川法の改正などにより2003年1月に閉鎖され、現在は橋そのものも存在していない。

そのなくなってしまった橋上市場のおばさんに会いたいと思い、ホテルで聞くとすぐに駅前にある「サン・フィッシュ釜石」に居ますよ、という答えが返ってきた。橋上市場の店舗のほとんどは「駅前橋上市場 サン・フィッシュ釜石」に移転していたのである。そして、おばさんは釜石でもそれなりの有名人のようで、後に訪れた平田の仮設住宅の人たちの誰もが知っていた。というわけで、おばさんとは簡単に再会できたのだが、おばさんも家が津波の被害をうけて、以前取材したときの本は流されてしまった。いつしか本を上げたいのだが・・・。

このように再会もあったが、新しい出会いもあった。1日目に大槌町へ行ったとき、プレハブで酒店(酒店というよりコンビニのような感じ)をオープンしたいわき(岩喜)酒店のご主人からいろいろな話を伺うことができた。

ご主人は俳優の勝村政信に似ていて笑顔を絶やさない人だったが、「私も隣にあった自宅と一緒に流されたんですよ。で、左腕を挟まれて九死に一生でした。左腕はその後しばらく痺れていました」と。また、お店周辺の被災前のGoogle Earthの写真と被災後の写真を見比べさせていただき、その違いに言葉を失ってしまった。以前の写真ではお店の周囲には民家が数多く立ち並んでいたのが、被災後の写真は土台しか写っていなかったのである。(続く)

菊鶴商店サンフィッシュ釜石
http://kikuturu.com/

大槌町地場産品復興プロジェクト
http://www.otsuchi.jp/index.html

写真上:いち早くお店を再開した市の中心街青葉通りにある「養老乃瀧」釜石店。

写真下:大槌町のいわき商店。遠くにはまだ瓦礫と化した建物が立っている。写真は撮らなかったが、すぐそばの鉄筋コンクリート製の大槌病院は変わり果てた姿だった。

木曜日, 9月 15, 2011

被災地を訪れて(その3) 〜聞くと見るとでは大違い。百聞は一見に如かず〜

今回の被災地訪問最大の目的は“観光”であった。観光といっても物見遊山で被災地を観光するのではなく、被災地に観光客が訪れる土壌があるのかどうかを実際の目で見極めたかったのである。私は長い間ガイドブックや旅行雑誌の執筆・編集を行っていたので、この分野においてはプロである。そのプロの目から見て、被災地への観光が可能かどうかをどうしても知りたかった。

というのも、ボランティアをしている人たちは若い人が多く、そのほとんどが深夜バスやチャーターバスで来て宿泊もすることなく帰ってしまう。これではボランティアは肉体的および精神的貢献はできても、経済的貢献ができていないのが現実である。彼らは食事もコンビニ弁当で済ませたり、お土産を買う財力も十二分にない。これでは残念ながら被災地に経済効果はなかなか生まれない。ならば、お金と時間を十二分にもっている年配の人たちに被災地に来てもらうしかないのだ。

私は以前より復旧復興には観光客は絶対欠かせないと思っている。観光客が訪れることによってどれだけの経済効果が表れ、そのことが雇用の促進に繋がっていくかは正直解らない。しかし、現在の被災地はどこもかも働き場所がなくて困っている。しかし少しでも観光客が訪れるようになれば、宿泊施設、お土産店、飲食店、コンビニ、宅配業者、タクシーなどで働く人にとっては朗報となり、もしかすると新たなる雇用が生まれる可能性もある。

東京都は9月17日から来年2月末まで東北3県(岩手、宮城、福島)を訪れる人に1日3,000円の補助金を出す制度を実施する。ただ、この制度は旅行会社を通さないといけないので、少し面倒であるが、私はこの制度を利用するしないに関わらず、多くの人が被災地へ行くことを望む。もちろん被災者の心情を理解しない物見遊山な観光は勘弁であるが、被災地の現状を見るということは大切なことであり、そのことによって支援の輪が広がることを願いたい。

で、被災地(釜石、大槌、陸前高田、気仙沼)を回って、私の結論としては釜石と気仙沼は十二分に観光客を受け入れる態勢ができつつあると判断した。

10月に入ると東北は紅葉シーズンに突入する。この時期に多くの観光客が東北を訪れるようになれば、経済の活性化がなされていくだろう。そのときに、できれば釜石や気仙沼などに直接足を運び、そこで地酒や海産物を買えばどれだけ地元の人は喜ぶであろうか。釜石ではすでにホテルサンルート釜石、ベイシティホテル、ホテルマルエ、陸中海岸グランドホテル別館などが仮オープンしているので宿泊することができる。。

今回の訪問で、私が被災地(ほとんどが釜石だが)に直接落としたお金は2泊分の宿泊費、日本酒「浜千鳥」1升瓶2本、釜石のお水「仙人秘水」1箱、日本酒「仙人郷」4合瓶4本、筋子、三陸昆布などお土産費、それに飲食費を加えるとおそらく総額で4万円ぐらいになるだろう。

こうしたお金が増えていくことが被災地の復旧復興に繋がっていくと信じている。とにかく多くの人が被災地を訪れて、その現実を直視すると共にその場で頑張っている人たちと触れ合って、支援の輪を広げていってもらいたい。(続く)

写真上:シープラザ釜石内のお土産店。釜石の銘酒「浜千鳥」そして「仙人郷」などがたくさん売られていました。
写真下:気仙沼漁港のそばにある「お魚いちば」。お昼どきということもあって観光バスが2台来て、結構賑わっていた。

東京都による「GO! TOHOKU 被災地応援ツアー」
http://tcvb.or.jp/ja/go_tohoku/index.html

水曜日, 9月 14, 2011

被災地を訪れて(その2) 〜人は人のために生きてこそ人と申す〜


被災地支援にはいろいろな方法がある。そのなかで、現地の人たちの大きな支えになっているのはやはりボランティア活動だろう。たった半日だけではあるが、そのボランティア活動に参加して、その意義の大切をほんの少しだけだが実感することができた。

今回、私が参加したのは釜石市災害ボランティアセンター(以後ボラセンと略す)。ボラセンは各地にあるが、場所によっては個人の参加を断っているところもあるので注意が必要。釜石市のボラセンは下記のホームページにあるように月曜以外は毎日活動を行い、その報告もきっちりと公開されていて、非常にオーガナイズされている。そして、その活動報告を見ると私が参加した9月10日は個人ボランティアが60名、団体ボランティアが302名だったが、なかでも、2〜3人連れの若い女性が個人ボランティアとして数多く参加していたのがとても印象的だった。

ボラセンの場所は釜石駅近くシープラザ“遊”大型テントの横にあり、駅から徒歩3〜4分。スタッフはみんな若く、私が訪ねたときも非常に明るくキビキビとした応対をしてくれた。

そして、今回私が行ったボランティア活動は釜石中心街にあるビルの1階にある飲み屋さん(クラブ?)の洗浄作業。この洗浄作業には私を含めて男性5人女性2人の計7人が派遣された。洗浄する空間はおおよそ100平方メートル高さは3.5メートル。室内はすでに完全にスケルトン状態になっていて、その天井、壁、床についた泥や磯の香りを取り落とす作業である。

高圧洗浄機は業務用のMakita製。私が普段自宅で使っている家庭用ケルヒャーにに比べて水圧はかなり高く、女性が扱うには少し無理がある。ということで、高圧洗浄機は男性が交代交代で取り扱い、天井や壁を洗い流しいき、その他の人たちは水掻きやデッキブラシなどによる汚れ落としを行った。

釜石の中心街はほとんどが津波に襲われ、木造の建物の多くは流されてしまったが、防波堤や岡村製作所の大きな工場の建物のおかげで、土台のしっかりしているビルは数多く残っている。そのために、すでに再開しているホテルや飲食店もあり、復興への歩みを感じ取ることができる。この飲み屋さんにしても、建物自体が非常にしっかりしているので、経営者のママさんは年内は難しいかもしれないがなんとか早くお店を再開したいとのことだった。そして、再開したあかつきに私が訪れたときは最初の1〜2杯は奢ってくださいね、とお願いしたら「もちろんですよ」という返事をもらった。w

洗浄作業は7人の連携プレイの成果で思っていたより早く終えることができた。

今回ボランティア活動に参加してみて、人と人の触れ合いの大切さ、継続していくことの大切さ、できる限り支えていけなければならないということの大切さなどを学んだ思いである。そして、改めて実感したのが先人の言葉である「人は人のために生きてこそ人と申す」だ。今後もこの言葉を忘れないで生きていきたい。(続く)

写真:釜石市災害ボランティアセンター。左側が事務所。真ん中のテントは休憩所。右側は倉庫。

釜石市災害ボランティアセンター
http://blog.canpan.info/kamaishi-vc/

火曜日, 9月 13, 2011

被災地を訪れて(その1) 〜私のなかに流れている東北の血〜


何を書いていいのか、よく解らない。

何から書けばいいのかすらよく解らない。


被災地へは以前より行きたくて堪らなかった。それは以前に釜石や宮古を訪ねたことがあるからでもあるが、最大の理由は私のなかを流れている東北の血のせいだろう。

以前の日記にも書いたが、私の身体のなかには東北と京都の血がクロスオーバーのようにして流れている。そのなかでも、一番強く感じるのは父方の祖父の血である。昭和5年に亡くなった祖父は山形県庄内地方の出身で、東京で立身出世をして小金持ちになった。そして、そのお金を地元の人に還元したり、庄内出身者たちのための学生寮を建てたりと慈善事業にも相当なお金を注いだようである。そんな祖父や、沖縄で戦死した軍医だった伯父の血が何処か自分の身体のなかを流れているようでならなかった。

それゆえに、大震災後ずっと被災地へボランティア活動および自分なりのジャーナリスティックな視察をしたくて堪らなかった。しかし、3月11日以降も6月頃までは余震が頻繁に続き、年老いた母親を独りにして、現地へ向かうことはとてもできなかった。そして、夏は暑さのために体力的にも無理があり行くのを控えざるをえなかった。ただ、その夏の間にお会いした被災地出身の人たちやボランティアをしている人たちの話を聞いていると、9月になったらという思いがどんどんと募っていった。

そして、やっとの思いで行けるようになった。震災からもう半年になっていて、なにを今更と言う人もいるだろうが、私が被災地へ行く道は遠かったのである。そして、実際に行ってみて、被災地はまだまだ遠い世界にある。それを自分なりにもっと身近な世界にしていきたいと思う。(続く)

写真:私が呆然と立ち尽くした大槌小学校。1階は津波で、2階以降は漂流してきたプロパンガスなどによって火災が発生したそうです。現在、校庭に町役場、消防署、釜石警察署の仮庁舎があります。

東北人と京都人の血が流れています
http://k21komatsu.blogspot.com/2011/06/blog-post_17.html

月曜日, 9月 12, 2011

釜石、大槌、陸前高田、気仙沼を訪れた3日間

◎9月9日(金)
10時56分 新幹線で新花巻到着
11時20分 レンタカーで新花巻を出発。
12時00分 遠野近辺を通過
12時35分 釜石駅到着
12時45分 ボランティアセンターで話を聞く
13時00分 シープラザ釜石でお酒を注文
13時10分 シープラザ遊で地元の写真家の震災に関する写真展を観る
13時45分 大槌町到着 いわき(岩喜)酒店でご主人にお話を伺う
14時30分 大槌町吉里吉里地区到着
15時10分 大槌町に戻り、大槌小学校前で呆然と立ち尽くす
15時50分 宿泊先サンルトート釜石にチェクイン
16時30分 インターネット開始
17時00分 釜石市中心街を散策
19時00分 キッチンカープロジェクトで夕食

◎9月10日(土)
08時25分 ボランティアセンターでオリエンテーション
09時10分 釜石市内でボランティア(高圧洗浄)作業開始
11時40分 作業終了、撤収
12時00分 ボラセンに帰還
12時15分 まんぶく食堂にて昼飯
13時30分 駅前橋上市場 サン・フィッシュ釜石の「菊鶴商店」で10年前に取材させてもらったおばあちゃんと再会。
14時30分 ホテルに戻り昼寝とシャワー
17時00分 資料整理など
19時30分 養老乃瀧にて夕食
21時00分 ホテルでもう一杯

◎9月11日(日)
09時00分 ホテルをチェックアウトして出発
09時10分 釜石市平田地区にある仮設住宅訪問。センター長が不在でお話は伺えなかったのが残念
10時00分 陸前高田市到着。
11時30分 陸前高田市大石地区。地元のおじさんに「動く七夕」の話をお聞きする
12時00分 気仙沼市浜町→商港→漁港
14時00分 お魚いちばの海鮮レストランにて昼食
14時46分 気仙沼漁港で黙祷
15時10分 気仙沼出発
16時50分 ガソリンスタントによって、一関駅にレンタカー返却
17時53分 一関を新幹線で出発
19時35分 仙台を新幹線で出発
21時40分 東京着
22時20分 帰宅

火曜日, 9月 06, 2011

看護師不足を痛感させられる

私が通院している(といっても2ヶ月に1回降圧剤をもらっているだけだが)病院の玄関ロビーに、「看護師募集」という横は5メートル以上高さは3メートル以上はあろうかという横断幕が張られていた。

私の担当医は「ちょっとみっともないですよね」と言っていたが、私はあんな大きな広告幕を作るお金があるならば、もう少し違うところに使った方がいいのにとも思ったりした。

病院は東急東横線中目黒駅近くにありとても近代的な病院で、看護師寮も5つもあるという、看護師さんにとって条件はかなり良い病院である。だが、やはり仕事がいろいろと大変なためだろうか、担当医は「どこの病院も同じかもしれないが、看護師さんの入れ替わりが激しい」そうである。

看護師不足が深刻な事態であることを見せつけられた思いである。

月曜日, 9月 05, 2011

井上ひさし作詞の釜石小学校校歌

昨日、調べものをしていてたまたま知ったのだが、今回の大震災で甚大な被害をうけた岩手県釜石市の市立釜石小学校校歌は作詞が井上ひさし、作曲が宇野誠一郎という『ひょっこりひょうたん島』のコンビだ。

井上ひさしは学生時代の休学中に2年間国立釜石療養所の事務職員をしている。おそらく、その縁からこの校歌を書いたと思われる。

そして、この校歌の詩が実に素晴らしい。

以前、私の出身小学校の校歌について、そこには地名や常套句が何もなく、その校歌が今でも歌えて好きだと書いたことがあるが、この釜石小学校の校歌は生きる喜びを教えていて、校歌というよりも哲学というか人生の応援歌のようで、校歌の範疇を超越している。どんなメロディの歌か全く解らないが、間違いなく活き活きした曲に違いない。こんな素晴らしい校歌を歌える子供たちは絶対に震災に負けないだろう。

一 いきいき生きる いきいき生きる
ひとりで立って まっすぐ生きる
困ったときは 目をあげて
星を目当てに まっすぐ生きる
息あるうちは いきいき生きる

二 はっきり話す はっきり話す
びくびくせずに はっきり話す
困ったときは あわてずに
人間について よく考える
考えたなら はっきり話す

三 しっかりつかむ しっかりつかむ
まことの知恵を しっかりつかむ
困ったときは 手を出して
ともだちの手を しっかりつかむ
手と手をつないで しっかり生きる

http://www.youtube.com/watch?v=BFo6p90dJko

水曜日, 8月 31, 2011

野田佳彦新総理大臣に望むこと

現在の日本の財政事情を考えると、私は増税は止むなしと思っている。ただし、それを行う前にやることが最低でも3つある。

まず第一に公務員の削減。国家公務員の削減はもちろんだが、地方に対しても国から積極的に公務員削減を呼びかけること。ちなみに亡くなった私の父は国家公務員だったが「公務員は半分でいいよ」が口ぐせだった。

第二に国会議員の定数削減。次期総選挙までに衆議院の定数を380に、参議院の定数を200にすること。とにかく無駄な「数の論理」だけの国会議員が多いことは周知の事実。自分たちの身を削ることができなければ、国民の信頼を取り戻すことなどできない。

第三に宗教法人に課税すること。高級外車を乗りまわしたり、お妾さんを抱えたり、年中海外旅行に出かけたりと、宗教法人関係者の行動はとても宗教人として目にあまるところがある。それを戒めるためにも全国のありとあらゆる宗教法人に課税をすること。

以上3つが菅前首相の退陣3条件ではないが、増税するならばの3条件だと私は考えているし、多くの国民がそう思っているのではないだろうか。

火曜日, 8月 30, 2011

渋谷・目黒より新宿・池袋の方が雨が降る

先日、東京は雷を伴ったゲリラ豪雨に見舞われた。私が住む目黒区碑文谷も久しぶりの大雨が降り、少し面食らった。今回のゲリラ豪雨は東京全域および神奈川県に大雨をもたらしたが、しかし、目黒のある城南に比べて、もう少し北側の新宿・池袋に近い地域の方が雨はヒドかったようである。

私は1986年から2005年まで高田馬場に仕事場を構えていたが、その間に思ったことのひとつは、高田馬場の雨の多さである。私は目黒生まれの目黒育ちだが、同じ東京にありながら、高田馬場は目黒の2倍以上は雨が降るのではないだろうかと感じていた。

というのも、高田馬場や新宿で雨が降っているのに、渋谷や目黒では全然雨が降っていないことを何度も経験したからである。私はちゃんとした気象学や地理学・地形学を学んでいるわけではないが、池袋や新宿は秩父山系で発生した雲や雷の流れを受けやすいと考えている。そして、この流れは神田川沿いに進み、本郷から神田方面へ行っているように思われる。一方、渋谷や目黒はその流れから外れていて、どちらかというと奥多摩山系か丹沢山系で発生した雲や雷の流れを受けているような場所だと考えている。

ただ、先日の豪雨は南から吹き込んだ風が南下する前線に当たったことによる豪雨であり、それゆえに東京および神奈川など広い地域に大雨ももたらしたようである。

月曜日, 8月 29, 2011

日本の男は南国化していないか

地球温暖化のために日本の気候は熱帯化して、風土は南国化しているように思える。なかでも、日本の男どもが南国化しているような気がしてならない。

東南アジアなど南の国へ行った人ならば解ると思うが、南の国の男はあまり働かない。あまりというか全然働かない男たちもいっぱいいる。働くのはせいぜい力仕事が必要なときだけで、それ以外の家事などはまったく行わないし、商売もさほど熱心ではない。

日本でも沖縄の男は働かない、とよく言われる。ところが、どうだろう。最近は本土の男も相対的に働かなくなっていないだろうか。半隠居生活の身の自分がいうのもなんだが、今の日本は、雇用問題もあるだろうが、女性の方が圧倒的に働いていると思う。

先日も最初に行った飲み屋では店主よりも女将さんの方があくせく働いていた。また、次に行った最近お気に入りのワインバーのバイトの子たちも、昼間はしっかりと仕事をして夜そこで働いている。それでいて、休みの日はサーフィンやツーリングなどを楽しんでいるという。エライ!

日本の男どもよ、「疲れた」だの「やることはやっているのに」だのと愚痴を言うまえに、もっともっと真摯に働くべきではないだろうか。昔のことを言うのもなんだが「1日が24時間でなく30時間あればなあ」なんていう男はもういないのだろうか。

土曜日, 8月 27, 2011

介護福祉タクシーという名の普通のタクシー

先日、屋根の上にタクシーの社名表示灯がついていないタクシーに乗った。

「あの〜、どうして屋根の上にタクシーマークがついてないのですか」と運転手さんに尋ねると、「介護福祉タクシーなんです」と言われた。

それでも私の頭のなかはウニ状態で「え、介護タクシーは屋根にマークとかつけなくていいんですか」と聞くと、「介護タクシーは所轄が厚生労働省でいらないんです。一般のタクシーの国土交通省とは違うんですよ」と答えた。

ならば、流しはできないかと思って聞くと、「それはできるんですが、あまりお客さんは付きませんね。ほとんど午前中に病院などに行く予約客だけで、それ以外の収入はあまりありませんね」と。

どうも解らない。一般的な介護福祉タクシーというと、車椅子の人が乗るようなワゴン車を考えてしまうが、私が乗ったのは極普通のタクシーとまったく代りのないもの。どうして、このような介護福祉タクシーが必要なのだろうか。私には全く解らない。また、所轄官庁が2つに分かれているというのも解らない。

金曜日, 8月 26, 2011

被災地の商品を扱う店がもっと出来てほしい

震災後、被災地支援のために「被災地のアンテナ・ショップ」へ行こうという言葉が少し流行ったが、ここにきて、東京だけでなく名古屋と藤沢に被災地の商品を扱うお店ができている。

まず、8月6日に名古屋市中区大須に「東北産直プラザみちのく屋」(TEL 052-252-0202)が開店した。このお店は仙台市出身の若林隆之さんがオーナーで、宮城県産の野菜や東北の特産品など約150点が並んでいるという。営業時間は10時〜20時。

8月7日に藤沢駅北口の遊行通りに岩手・宮城・福島の早期復興支援を目的とした三県合同アンテナショップ「岩手・宮城・福島観光物産プラザ」(TEL 0466-24-0312)がオープンした。営業時間は11時〜18時30分。水曜定休。

期間限定でも構わないので、こうした店舗が各地にできることを願うばかりである。

なお、都内の各県のアンテナ・ショップは下記の通り。

「いわて銀河プラザ」
●住所/東京都中央区銀座5-15-1 南海東京ビル1F
●電話/03-3524-8282
●営業時間/10:30〜18:00(毎月末日は17:00)無休
http://www.iwate-ginpla.net/

「宮城ふるさとプラザ」
●住所/東京都豊島区東池袋1-2-2東池ビル1・2F
●電話/03-5956-3511
●営業時間/10:30〜18:00
http://cocomiyagi.jp/plaza/

「福島県八重洲観光交流館」
●住所/東京都中央区八重洲2丁目6-21 三徳八重洲ビル 1F
●電話/03-3275-0855
●営業時間/10:00〜17:00 無休
http://www.tif.ne.jp/jp/sp/yaesu/

火曜日, 8月 23, 2011

ボランティアに行っている人に聞く

先日、ボランティアに参加している人に話を聞く機会があったので、そのときの話を掲載します。

ーーボランティアに参加したキッカケは

「当初から自分の目で見たい、知りたいという単純な好奇心があったのですが、ある程度落ち着くまでは行くべきではないと思っていました。実際に一度行ってからは、何をするのが一番いいのだろうかと常に考えるようになりました」

ーーボランティアに参加してみて感じられたことは

「津波の ”痕” は ”凄まじい” の一言です。すべてがなくなった風景も衝撃的ですが、一本の道、1メートルの違いが運命を分けたという事実も強く心に残りました」

「被災の状況も、復旧状態も、テレビを見ているだけでは絶対にわからないと思いますね。7月になってようやく水道が通った、仮設に移ったら水道から出てくる水は飲めなかったなど、現地の方の話を聞いて驚くようなことが、未だにたくさんあります」

ーーいま被災地で求められていると思うものは

「いちばん必要なものは“仕事”なんですよね。仮設に移ったら経済的に自立しなければならないんですが、自宅で食べる野菜は自分の畑で作っていた、魚なんか買ったことがない、という方も多いんです。だから現金収入が途絶えたということ以上に、生活は苦しくなっているんです。いくら暑くても電気代が高いから、クーラーは使えないという声がとても多かったです。被災地はもともと過疎地で仕事がないという地区も多かったので、これは本当に難しい問題だと思います」

「有志のボランティアは、これから何ができるのか、みんなが模索しているところです。例えば、仮設住宅を回る移動販売車でご用聞きをしながらニーズを探ろうとか、買い出しのお手伝いをしようとか、いろいろな話が出てきています」

ーー今後ボランティア活動したいと考えている人へ

「とにかく一度行ってほしいです。行けばどんなところか解るし、気持ちもスッキリすると思います。ボランティアのニーズは場所と時間の経過によって変わっていくと思いますが、まだまだ瓦礫の撤去はありますし、片付け作業はいつまで続くか解りません。また、今後はお話を聞くという “傾聴ボランティア” とかかも必要になるかもしれません。被災を受けた土地でこれからも生活していこうとしている人たちはみんな、自分たちは見捨てられないかという不安があるんです」

ーー行きたくても行けない人への助言があれば

「後方支援、とっても重要です。TwitterやFacebook、ブログなどで情報を伝えたり、人と人とをつなげたりしている人。現地になんども電話をして、必要物資をアマゾンやふんばろう日本のサイトにアップしている人。自分の人脈を活用して支援物資を集めまくる人。いろんな人がいます。NPOに寄付をするとか、ボランティアに行っている知人に何かを託すとか、ホントになんでもいいからアクションを起こすことが大切だと思います」

「あと、何も支援することができない人のできる最大の支援は、とにかく関心を持ち続けることです。東北は東京から遠いです。西日本からだともっと遠いです。でも、少しでも関心を持ち続けていれば、被災者のみなさんの心の支えになっていると思います」

ーーありがとうございました。

月曜日, 8月 22, 2011

会いたい人には会おう

3月11日の震災から約2週間後の3月27日の日記に『大震災後の肉体的および精神的変化』と題して、早寝早起きになった、眉毛の白髪が増えた、喉頭炎を患った、精神的イラツキがでるようになったと4つの肉体的および精神的変化を記している。

あれから約5ヶ月が経ち、その4つのなかで「早寝早起き」は変わらないが、残り3つはなんとか解消することができた。その解消できた大きな理由は精神的な安定であり、とにかく多くの人と会うことをするようになったからだと思っている。

震災前、コンサートなどのライブは独りで行くものだとか、飲み屋へは独りで飲みに行くものだと妙に意気がって固執していた。しかし、震災後は積極的に人に会うようになっていった。震災後のお花見もそうであったし、先日の劇団の同窓会にしてもそうであったように、今はとにかく会いたい人会える人には会えるように努めている。これは間違いなく震災の影響であろう。それゆえに、コンサートに行っても、顔見知りの人とはなるべく多く話すようになったし、終演後に一杯やるようにもなった。

大震災後の肉体的および精神的変化
http://k21komatsu.blogspot.com/2011/03/blog-post_27.html

日曜日, 8月 21, 2011

ケルヒャーしています

先日購入した家庭用高圧洗浄機(ドイツのケルヒャーK2.360)で、自宅の側道(通路道?)や裏の階段などにに付いている苔や汚れを洗い落としている。それにしても、この高圧洗浄機の性能は大したものだ。

3年ほど前に業者に業務用の高圧洗浄機(やはりケルヒャー製)で、同じような場所を洗い落としてもらったのだが、その性能とさほど変わらないような気がする。それでいて、業務用は音がかなりうるさいのに対して、家庭用はさほど凄い騒音がなく近所迷惑をかけることがないと思う。

この高圧洗浄機、私のように苔を落とすだけではなく、お風呂場のタイルについた頑固な汚れや、ガラス戸や網戸の洗浄などにも向いていそうなのでいずれ使うつもりでいる。

また、先日テレビの番組のなかで東大の児玉教授も言っていたが、福島で放射線が溜まっていそうな側溝や家の樋そばに溜まっている汚泥をこれで洗浄すれば、ある程度の除染になると思える。もちろん、津波でまだまだ洗浄を必要としている地域でもいろいろなものを洗い流すこともできるに違いない。

ただ、この高圧洗浄機、水道代がどれぐらいかかるのかが気になる・・・。


家庭用高圧洗浄機K 2.360
http://www.karcher.co.jp/private/products/K_2.360.html

金曜日, 8月 19, 2011

節電頑張っています

東京電力から「電気使用量のお知らせ」8月分が届いた。5月分は前年比約25%減、6月分6%減、7月分は6%増となった電気使用量が、今回は比較対象期日が3日間の違いがあるが、なんと前年比26%減であった。

      昨年8月分(32日間)  今年8月分(7/19〜8/16の29日間)
自宅(60A)     451kwh      328kwh
深夜電力(4kw)   159kwh      166kwh
仕事場(20A)    122kwh       44kwh
合計          732kwh      538kwh

先月分は6月下旬からの猛暑の影響で前年比が増えてしまった電気使用量でしたが、今月分は予想に反して前年比大幅ダウン。理由がよく解らないが、昨年の使用量があまりにも多過ぎたとしかいいようがない。仕事場の電気使用量が大幅減なのは節電もあるが、仕事の減が顕著に出ている。困ったものである。

今日の東京(目黒)は久しぶりの雨。これから涼しくなり、これで今夏の節電のピークを越したことになりそうだが、今後も何が起きるか解らないので節電に努めたいと思います。

月曜日, 8月 15, 2011

A級戦犯には戦争を終結させなかった責任がある

終戦記念日である。

以前にも書いたが、私の伯父は沖縄戦で軍医として亡くなっている。それゆえに、おそらく伯父の御霊も靖国神社に祀られているであろう。しかし、8年前に亡くなった父は一度も靖国神社へ行くことをしなかった。彼も陸軍の下士官(職業軍人ではない)として中国で終戦を迎えているが、靖国神社に対してワダカマリがあり訪れることはなかった。

そのワダカマリとは靖国神社にA級戦犯が知らないうちに祀られていたことである。東京裁判のあり方についてはいろいろな意見があるが、私は少なくともA級戦犯とよばれる「戦争指導者として平和に対する罪を犯した者」と認定された被告たちには、戦争犯罪の責任があると考えている。と同時に、彼らは戦争終結を回避した責任もある。

もし、硫黄島が占領されたとき(3月26日)に日本が戦争を止めていたら、沖縄にいた私の伯父をはじめ約19万人の人々は命を落とすことはなかっただろう。もし、沖縄がアメリカ軍に占領されたとき(6月23日)に日本が戦争を終えていたら、広島・長崎の原爆投下はなかっただろう。そして、北方領土もソ連に占領されることはなかっただろう。シベリア抑留もなかっただろう。残留孤児問題もなかっただろう。また、沖縄基地問題もなかったかもしれない。

そうしたことを考えると、戦争を始めた行為と共に戦争を終結させなかった行為に対する罪は深い。それゆえに、そんな犯罪者が合祀されている靖国神社に私は参拝することは絶対にできない。

沖縄旅行3日目(平和の礎へお墓参り)
http://k21komatsu.blogspot.com/2008/03/blog-post_06.html

日曜日, 8月 14, 2011

感触という不思議な記憶装置

記憶というものは不思議なものである。都合の良いことは憶えているのに、都合の悪いことは忘れていたりする。また、楽しかったことを憶えているのに、面白くなかったことを忘れていたりする。もちろん、その逆もある。

そんな記憶とは別に手や足の感触も不思議と憶えていたりする。小学校の音楽会でマリンバを叩いていたときのの手首の感覚。中学時代バスケットボールの試合で試合終了直前に決めかねたシュートしたとき指触り。高校のクラスマッチでバレーボールをやったときに相手のバレー部の男が打ったスパイクをブロックしたときの掌の感触。同じく高校のときに、ソフトボール大会で放ったホームランの手ごたえ。などと変な感触をいまだに憶えている。

これが女性ならば、好きなアイドルと握手をしたときとか、ファーストキッスとか恋や愛に関するものになるのだろうか。それとも、初めて指輪をしたときとか、初めてブーツを履いた瞬間とか、物品的な感触なのかもしれない。

ひょっとすると記憶は五感(視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚)によって作られるのかもしれない。その五感のなかでも触覚は視覚や聴覚よりも記憶を作り出す装置なのかもしれない。いずれにしろ、人間の記憶というのは不思議なものである。思い出そうと思ってなかなか思い出せなかったり、なんでこんなことを思い出すのということが甦ってきたりと、コントロールがなかなかできない厄介なものでもある。w

土曜日, 8月 13, 2011

演劇舎螳螂の同窓会

昨日は新宿で23年前に解散した演劇舎螳螂の同窓会に参加した。

演劇舎螳螂は1976年に明治大学の学生だった小松杏里(私と血縁関係はない)大鷹明良らが立ち上げた劇団。寺山修司の流れをくむ劇団として前衛的な芝居を上演してきたが、80年代に入り『銀幕迷宮』『聖ミカエラ学園漂流記』などが評判をよび、80年代小劇場演劇を​代表する劇団のひとつになった。

劇団には小劇場演劇のアイド​ル・美加理や原サチコ(今はドイツで活躍)など美少女​が揃い、美少女たちが小劇場という小空間で演劇をする先駆けを作った。また、男性陣も大鷹明良をはじめ一癖も二癖もある俳優が多く在籍していた。

私は1983年から88年に解散するまで関わったのだが、それはそれは面白い5年間を一緒に過ごさせてもらった。私の芸術関係へのキッカケは小学校のときの音楽や高校時代のアングラ映画やアングラ演劇鑑賞だが、実際に現場に関わるようになったのはこの演劇舎螳螂が最初であった。その意味では私の人生に大きな影響を与えた劇団でもある。

ほとんどのメンバーと何年ぶりかの再会だが、なかには23年ぶりにあった人も何人かいた。それにしても、もう年齢的にはおじ​さんおばさんになっているのだが、みんなみんな信じられないくらい若い若い。特に女性陣の若さには驚愕だった。(笑)


金曜日, 8月 12, 2011

秋刀魚とイワシ

ひさしぶりにジムのサウナでのおじさんたちの会話。

客A「みなさん、お盆なのに何処にも行くところないんですか」
客B「金はないし、行くところもないしね」
客C「私は1日だけ墓参りで帰ります」
客D「どちらなんですか」
客C「銚子です」
客A「遠くないからいいですね」
客C「生まれ育ったところですから、私は帰るはいいんですが・・・」
客B「いいんですが・・・」

客C「子供たちが嫌がるんですよ。醤油の臭いがキツいと。ふたりとも年頃の娘ですからねぇ」
客D「それは仕方がないのですかねぇ・・・」
客A「銚子といえばヒゲタとヤマサですよね」
客C「料理屋にはヒゲタ、普通の家庭にはヤマサ、というの一般的らしいのですが」
客B「うちはヤマサですね」
客D「うちもヤマサのような・・・」

客A「銚子といえば醤油だけでなく、秋刀魚とイワシも有名ですよね」
客C「秋刀魚は今は三陸の方が有名ですけどね」
客D「私は秋刀魚よりイワシが好きですね。塩焼き、甘露煮、生姜煮とか」
客B「イワシの方が小さいのから大きいのまでいろいろ食べれるしね」
客C「地元の人間が言うのもなんですが、やっぱりイワシです」

客A「秋刀魚は3回塩焼きで食べたら飽きるけど、イワシは1年中食べられますもんね」
客D「・・・いいこと言いますねぇ」
客B「○○さんは、たまに核心をつく」
客A「たまにですか。w でも、みなさん、秋刀魚の塩焼き年4回食べます?」
客C「確かに銚子でも今は食べないでしょうね」

水曜日, 8月 10, 2011

脱原発以外に道はないのだ

先日、福島県南相馬市が東北電力浪江・小高原発建設計画に伴う交付金の申請を辞退した。当然であろう。南相馬市は今回の東京電力福島第一原発事故で甚大な被害をうけているのだから、いまさら新たな原発建設に協力を意味する交付金をもらうようなことは出来ようもない。そして、昨日9日、長崎市長が「原子力にかわる再生可能エネルギーの開発を進めることが必要」と脱原発宣言を行った。

現在、国内には54基の原発があるが、今後新たに青森県大間(建設中)、上述の福島県浪江・小高(未着工)、山口県上関(未着工)などの建設が予定されている。しかし、福島第一原発事故を受けて、地元では根強い反対が巻き起こって、建設が滞っている。当然であろう。

今後日本で地元の協力を得て、新規に原発を作ることなどはもう不可能ではないだろうか。それならば、日本は脱原発に向かう道しかないはずである。すでに原発が安価な電力発電という経産省のプロパカンダも覆され、原発は最も高価にして最も危険な発電ということが解った。それなのに、今後も原発を建設するという論理が成り立つのだろうか。

そもそも日本の陸地面積は約37万㎢しかなく、世界のわずか0.27%である。そこに全​世界の原発約430基中54基がある。つまり、世界の0.27%の土地に12.5%の原発があるのだ。異常な数字でないだろうか。そして、日本は世界でも名だ​たる地震多発地帯であり、台風などの自然災害もある。加えて、原発のほ​とんどが海に面していてテロ攻撃にも無防備な状態だ。こんな安心安全​からほど遠い原発が日本に必要だろうか。

日本は脱原発以外に選択の道はないのだ。

月曜日, 8月 08, 2011

タイムラグがあるMixiボイスとTwitterの連携

震災以降、Mixiボイスのつぶやき及びTwitterのツイートを積極的に利用するようになったが、ひとつ非常に不可解なことがある。それはMixiボイスとTwitterの連携のタイムラグである。

いつから始まったかは知らないが、MixiボイスとTwitterは連携して自動的に転送ができるシステムになっている。それゆえに、MixiボイスでつぶやくとTwitterにはほぼ同時に転送されて文章が表示される。しかし、TwitterでツイートしてもMixiボイスには1時間いやそれ以上かかってからでないと表示されない。時にはTwitterにツイートしても、Mixiボイスに全く表示されなかったこともあった。

それゆえに、最近は必ずMixiボイスでつぶやいてから、Twitterに転送するようにしている。それにしても、このタイムラグは何んなのだろう。これってMixiボイスに問題があるのだろうか? それともTwitterに問題があるのだろうか? いずれにしろ、早くこの問題を解決してもらいたい。

日曜日, 8月 07, 2011

「ペットボトル症候群」という名の急性糖尿病

「ペットボトル症候群」という言葉があるそうだ。「急性糖尿病」のことである。

ペットボトル症候群とは糖分の高いコーラ、ジュース、缶コーヒー、スポーツドリンクなどを大量に飲みことによって、体内の血糖値が高くなっていき、特に肥満傾向にある人(その1人です w)は急性の糖尿病になるというものだ。症状として体のダルさ、喉の渇き、トイレに行く回数が増えるなどがあり、最悪の場合は昏睡状態に陥る。

夏場はある程度の糖分を取ることは必要だが、過度の摂取は危険である。これはペットボトルばかりでなく、アイスクリームとかスイーツなども同じことではないだろうか。私のような飲兵衛でも夏場はやはり糖分を取らざるをえない。1日1個はアイスクリームを食べている。気をつけねばならない。

このペットボトル症候群、以前は10代などの若者が中心だったが、最近では中高年にも見られるそうだ。なお、予防策としてはこうした糖分の高い飲料水を飲んだきは、お茶や水などをあわせて飲むことが必要とのこと。いずれにしろ、糖分の高い清涼飲料水は極力避けるようにしたい。

金曜日, 8月 05, 2011

「ドラえもん」や「鉄腕アトム」は悪くない

「ドラえもん」も「鉄腕アトム」もどちらもその動力は原子力だ。そのために、今回の福島第一原発事故によって、妙に悪者扱いにされている。正直、私もテレビ朝日の「ドラえもん募金」という言葉に違和感を抱いた。しかし、ドラえもんも鉄腕アトムも決して悪くない。

ドラえもんに内蔵されている動力の原子炉は、食べたものを原子レベルにまで分解して、そこからエネルギーを作り出すもののようで、核分裂エネルギーによって動いているわけではないようだ。

一方、鉄腕アトムの動力は小型原子炉で、こちらは明らかに核分裂のエネルギーで動いている。そもそもアトムとは原子であり、妹の名前はウランちゃんなのだから、とても非核エネルギーとはいえない。そのために長らくそして今でも原発推進のために利用されているような気がする。

しかし、手塚治虫は反原発論者である。ふゅーじょんぷろだくとが編集発行している漫画誌「コミックボックス」が手塚治虫は『私も原発に反対です』というインタビューを載せている。そのインタビュー記事を掲げてふゅーじょんぷろだく代表の才谷遼氏は脱原発デモに参加している。

「ドラえもん」にしろ「鉄腕アトム」にしろ、その動力である原子力は現実離れしているが平和利用が目的であって、利権と癒着の構造の上になりたっている原発とはほど遠い存在なのである。原発事故によって「ドラえもん」も「鉄腕アトム」もなんとなくその身が狭くなってしまったが、悪いのは彼らでは決してない。もし、今後「ドラえもん」や「鉄腕アトム」が漫画やテレビで見られるなくなってしまったら、その責任はもちろん東京電力と政府にある。

水曜日, 8月 03, 2011

東北旅行へいろいろな補助制度を

日本マイクロソフトが社員向けに、岩手、宮城、福島の3県へ旅行すると最高で6万円を補助する制度を設けた。これは被災地復興支援と同時に、節電対策にもなる一石二鳥の企画だそうである。そのために、この制度は電力使用制限令がかかる9月22日までで、平日を2泊以上含む旅行が対象とのこと。

非常にいい制度である。他の企業もぜひとも追随してほしい。ご存知のように、現在の東北の観光客減は著しいものがある。それは仕方がないことかもしれない。しかし、被災地が復旧復興していくには観光は必要不可欠である。

できれば、こうした補助制度は会社だけではなく、すでにリタイアしているシニアに対する補助も行ってほしい。例えばJR東日本は「大人の休日倶楽部」会員限定や期間限定ではなく、シニア向けに東北6県に関してはいつでも格安にいける割引チケットを発売することはできないのだろうか。東北のレンタカー会社もシニアに対する割引を設けることはできないのだろうか。また、西日本から東北への飛行機は格安にするとか、いくらでも方策はあると思うのだが。

企業が補助金制度を設けて東北観光を促すことは素晴らしいことだが、観光客としてもっとも需要の多いのは若い世代よりもシニア世代である。そして、こうした世代の方がお土産を買うなり落とすお金も大きいのだから、JR東日本をはじめ旅行会社は今後ぜひとも企業努力してもらいたい。


被災3県旅行に6万円補助 日本マイクロソフトが社員に
http://www.asahi.com/business/update/0802/TKY201108020695.html

月曜日, 8月 01, 2011

復旧復興に一町一村支援を

目黒区はさんま祭りの縁で気仙沼市と防災協定を結んでいる。その関係で目黒区からは気仙沼市に職員が派遣されたり、気仙沼市への義援金として区民からこれまでに8,657万4,178円が送られている。

同じように品川区も防災協定を結んでいる岩手県宮古市と福島県富岡町へ義援金を送っている。他にも石巻市には防災協定を結んでいる平塚市から義援金支援金が送られた。また、水戸市には「桜田門外ノ変」で因縁のある彦根市(井伊直弼のお膝元だが今は友好都市)をはじめ多くと自治体から支援物資が届いたという。このように、震災後多くの自治体が被災した自治体になんらかの形で支援をした。

しかし、まだまだ支援を必要としている被災地は多い。その意味において、一村一品運動ではないが一町一村支援をすることはできないだろうか。

別にいまさら防災協定を結ぶ必要性なんかないだろう。大都市の自治体は被災地のどこかの市町村となんらかの縁があるはずである。そこに対してささやかな支援体制を作るというのはできないであろうか。もし何も縁がないというならば、例えば東京で最大の人口のある世田谷区(群馬県川場村と防災協定を結んでいる)は東北最大の都市である仙台市を応援するとか、最大級の被害を受けた陸前高田市を応援するとかでもいいではないだろうか。

大都市の自治体はもう少し長いスパンで被災地に目を向けて、継続的な支援体制を作ってもらいたい。

日曜日, 7月 31, 2011

子供の頃は新聞記者になりたかった・・・

子供の頃、自分は大きくなったら新聞記者になるんだ、と思っていた。小学校の卒業文集にもそのようなことを書いた記憶がある。しかし、中学でバスケットボールに熱中し、高校ではバスケット部と新聞部に入り、その夢をキッパリと捨てた。

というのも、日本の新聞は客観中立公正報道主義という新聞綱領を掲げながらも結局は商業新聞でしかない、ということを悟ってしまったからだ。そのために、その後は新聞記者ではなく漠然とマスコミで働きたいということを考えるようになり、その夢というか目標は編集者になることである程度達成することができた。

それにしても、今回の大震災および原発事故で、新聞がこんなに腐っていて、頭デッカチの非力なものなのかということを思い知らされた。強がりで言うのでも、負け惜しみでも言うのでもない。つくづく新聞記者にならなくて良かったと思う。もし、新聞記者になっていたら、今ごろはデスククラスにでもなって、年収1,000万円以上になっていたかもしれない。しかし、その考え方は本来の自分の考えとはほど遠い保身保守になっていただろう。

どんな仕事も続けるということは大変であり、「継続は力なり」という言葉があるように継続は力を発揮する源である。と同時に、継続は自分の身を守ることにもなっている。今の新聞記者たちは初心を忘れて、保身を継続しているようでならない。新聞は客観中立公正による報道も大事かもしれないが、在野精神に富み、加えて建設的な意見を伝えるのも仕事のはずである。今の新聞には在野精神もなければ、建設的な意見もほとんどない。

新聞記者にならなくて良かった。

木曜日, 7月 28, 2011

映画『大鹿村騒動記』を観る

この映画の感想を一言で述べるならば「笑うに笑えない映画だ」である。

単なる田舎の村芝居を題材にした喜劇ではない。というのも、映画の本質には少し表層的かもしれないが、認知症のような疾患、性同一障害、シベリア抑留などしっかりといろいろな問題提起をしている。ただ、それがあまりのも駆け足すぎるので、重さもなければ深みもない。ただ、それが監督の狙いであろうし、解る人は解るに違いない。

出演者陣はユニーク。どことなく鈴木清順監督の流れを汲むようなキャスティングで原田芳雄、大楠道代、石橋蓮司といった役者陣は安定感があるが正直あまり新鮮味があるとは言えない。しかし、こういった人たちの存在なくしてはこの映画はなりたたない。そして、こうしたベテラン陣に支えられながら光っていたのが松たか子。

松たか子は本当に上手い。こんな子が山奥の小さな村にいるはずはないと思ってしまうが、不思議とこの映画では村にマッチしている。その上、演技が顔や上半身だけでなく全身で行えている。さすがに舞台女優だけのことはある。

最後に、この映画は一律入場料が1,000円。それゆえに、金券ショップへ行っても特別鑑賞券は売っていない。(笑)今日、日本映画では若者離れが深刻らしい。その意味でも、1,000円という価格は嬉しい。ただし、この映画は題材も題材ということと、原田芳雄のことを惜しんで観るくる人が多いせいか、観客の多くはどうみても「いつでも1,000円で映画が観られる」60歳以上だった。(苦笑)

火曜日, 7月 26, 2011

理想的な兄弟(姉妹)構成はどれだろう

世間には様々な兄弟(姉妹)構成がある。一般的には一姫ニ太郎が、理想的な兄弟姉妹構成と言われているが、果たしてそうであろうか。一姫ニ太郎の場合、それは本人たちにとって理想的なのではなく親にとって理想的なのではないだろうか。

2人兄弟姉妹だと、当たり前の話だが、男男、女女、男女、女男の4つの構成しかありえない。これが3人になると、2の三乗で8通りになる。4人兄弟姉妹になると2の四乗で16通りになり、5人兄弟姉妹になると32通りにまでなり、その構成は多様化される。

私の従兄弟は男女男女男という構成で、真ん中の従兄弟は「俺には兄貴も姉貴もいて、妹も弟もいるんだ」という稀な人がいる。女男男男女などでもそのような構成になるが、それにしても私の伯母は男女男女男と見事に生み分けたものである。w

話が少し横道に逸れたが、それでは一体理想的な兄弟姉妹構成というのはどういうものであろうかと、ちょっと考えてみた。今の時代、子供が5人作れるような時代ではないから、せいぜい3人までと考える。となると、男男男、女女女、男男女、女女男、男女男、女男女、女男男、男女女の構成になるが。

まず三兄弟、三姉妹という場合は真ん中の子にいろいろとプレッシャーがかかるらしい。そのため、真ん中の子は頭がいい子になるかグレるかと極端になる、とよく聞く。真偽のほどは解らないが、実は私もそう思っている。同じことは、男女男、女男女という構成も近いものがありそうである。となると、男男女と女女男、男女女と女男男のどちらかが理想的な兄弟構成となりそうだが、さてどっちなのだろうか。

ちなみに、私は二人兄弟の下だが、小さい頃から妹がいたらなぁ、と思っている。

月曜日, 7月 25, 2011

前を向いてポジティブに生きよう

3月11日以来、いまだに悲観にくれている人が多いという。政治も悪い。経済も悪い。マスコミも悪い。なにもかもが悪い。仕方のないことかもしれない。

しかし、今回の震災および原発事故で学んだことも多い。日本の社会構造がいかに歪んでいるかを学んだ。政治がいかに責任の擦り合いの場であるかということを悟った。何度も書くが原発がいかに「政官財学マ」による利権の上になりたっているかも解った。

こうしたことを、逆に活かさないといけない。とにかく私はポジティブに生きたいと思う。脱原発はもちろんのことだが、被災地への経済的支援、ボランティア活動に対しての応援も続けていきたい。そして、なによりも今後の国政および地方選挙において、新エネルギーを政策に掲げる人にしか投票しないことにした。

エネルギー政策の大転換は絶対に必要である。脱原発への方向性を明確にしないと、日本はいつしか太平洋戦争のときのように権力者たちによって国がまた滅びるだろう。もし、そうなったときに歴史上の犯罪人として問われるのは、現政権なのだろうか、それとも過去の自民党政権なのだろうか、それとも我々国民なのだろうか。

昨日のオールスター戦前にイーグルスの選手会長である嶋基宏が良いことをいっぱい言った。そのなかで「生かされている僕たちは前を向いて、自分の人生を切り開いていく使命があります」という言葉はもっとも印象に残った。

人間、生きることは権利であり、義務であり、使命なのだから。

プロ野球球宴:楽天・嶋「ヒトの力はスゴイ!」 あいさつ
http://mainichi.jp/enta/sports/baseball/news/20110724k0000e050024000c.html

日曜日, 7月 24, 2011

ツイッターのフォローお願い

ツイッターに登録したのは今から2年前の2009年7月21日でしたが、当時は使い方がまったく解らず、ずっと放置したままでした。しかし、震災以降徐々に利用方法が解るようになり、最近はMixiのつぶやきなどを通じて、140字以内メッセージ行っています。

このブログを読んでいただいている方で、ツイッターしている​方はよろしければフォローをお願いします。

http://twitter.com/#!/k21komatsu

土曜日, 7月 23, 2011

日本赤十字社の義援金の受付状況がペースダウン

「義援金だけでなく寄付金(支援金)を送ろう」と言っている私が書くのはちょっと矛盾するが、下記のように日本赤十字社に対する東日本大震災義援金受付が7月に入ってからペースダウンしている。

3月29日(火)  112万8434件 594億2,128万4,898円
4月5日(火)  159万1744件 1,396億3,924万6,398円
4月22日(金)  205万1844件 1,518億64万481円
5月12日(木)  218万7290件 1,840億2,630万4,772円
6月6日(月)  231万1499件 2,224億7,948万9,070円
7月1日(金)  238万6187件 2,588億4,113万1,847円
7月6日(水)  239万6442件 2,599億4,683万9,562円
7月20日(水)  242万9408件 2,694億4,414万7,975円

ほとんどの国民はすでになんらかの形で募金なりをしている、と思う。そして、滞っていた義援金も被災者の手に徐々に渡るようになってきている。しかし、それらのお金はまだまだ微々たるもので、急場の生活費(車や電化製品を買うなど)で消えてしまっているという。今後は被災地でも避難所ではなく仮設住宅を中心とした自立した生活が求められていくことになるだろうが、それでも本当の復旧復興にはまだまだ遠い状況にあると思う。

それゆえに、今後も継続的支援が大事なのであるから、国民ひとりひとりがそれを自覚して、継続的な募金をしてほしものである。なお、自分に縁のある市町村への寄付金および義援金の口座は下記を参照にしてください。

東日本大震災に係る被災地方公共団体に対する寄付金及び義援金の受入口座一覧について
http://www.soumu.go.jp/menu_kyotsuu/important/110404_1_kojin.html

義援金だけでなく寄付金も送ろう
http://k21komatsu.blogspot.com/2011/04/blog-post_26.html

木曜日, 7月 21, 2011

電気使用量が増えてしまった

東京電力から「電気使用量のお知らせ」7月分が届いた。先々月は前年比約25%、先月も6%電力使用量を削減できたが、今月はなんと前年比6%増になってしまった。

      昨年7月分(30日間)  今年7月分(6/16〜7/18の33日間)
自宅(60A)     313kwh      377kwh
深夜電力(4kw)   174kwh      201kwh
仕事場(20A)     87kwh       34kwh
合計          574kwh      612kwh

気の弛みもあるだろうが、増えてしまった理由は分っている。まず検針期間が3日間も違うのだから、当然ながら昨年より今年の方が使用量が多くなる。そして、昨年8月半ばに入れた母親の寝室のエアコンが、6月末ごろから稼働しているからである。

昨年は大変な猛暑だった。そのために、熱中症対策として8月に急遽母親の寝室にエアコンを入れた。それ以来寝室で夏場および冬場はエアコンを使用するために電気使用量が増えてしまった。その影響が今回はモロに出たようである。このままでいくと来月も前年比プラスになりそうである。ただし、それ以降はすでにエアコンが設置されているので、前年比マイナスになるように努力したい。

それにしても、今日は涼しい。こういう日が続くと節電のためには嬉しいのだが、ただ、暑い日の熱中症対策にエアコンは有効であるということも認識しておこう。特に高齢者のいる家庭の方は、エアコンを適温(28度ぐらい)で使うようにするべきである。また、夜間は東京電力管内の電力使用量は少ない上、睡眠不足を防ぐこともできるので、節電節電と言わず、眠れないときはエアコンを使いましょう。

水曜日, 7月 20, 2011

返す返すも残念だった南米選手権出場辞退

なでしこジャパンの快挙に隠れて、スポーツファンの間でもほとんど話題にならないのがアルゼンチンで開催されているサッカーの南米選手権。本来ならば、日本代表もこの大会に招待されていて、なでしこジャパン同様に活躍しているかもしれなかったである。しかしながら、震災によってJリーグの日程が大幅に変更となり、代表選手を抱えるチーム事情などから出場を辞退せざるをえなくなった。

こうした経緯を踏まえて、下記のサイトではこの結果についてアンケートをとったところ、「出場するべき」という人が約77パーセントで「辞退もやむなし」という人の約23パーセントを大きく上回ったそうだ。私もなぜ出場しなかったのだろうか、と今でも悔やまれてならない。

現在の日本代表は世界ランキング13位というところまで上りつめている。今回行われている南米選手権で日本よりランキングが上なチームはブラジルとアルゼンチンの2チームしかないが、日本がワールドカップの決勝トーナメント1回戦でPK敗けしたパラグアイやウルグアイといった強豪チームがひしめいていて、武者修行にするのにはうってつけの場でもあった。

予定では日本は1次リーグでアルゼンチン(10位)、コロンビア(54位)、ボリビア(93位)と対戦するだったので、もし順当な結果だったら決勝トーナメントに進むことができただろう。しかし、1999年に参加したときは、日本は今ほど強くはなかったがペルーに2-3、パラグアイに0-4、ボリビアに1-1と3戦未勝利に終わっているので、順当な結果になるかどうかなど解らない。

なでしこジャパンの快挙があるだけに、もし日本代表が南米選手権でも大活躍していれば、もっともっと日本の活力の源になっていたのではないだろうか。また、代表チームの強化にもつながってに違いない。ナヨナヨしたことを書く様だが、返す返すも南米選手権出場辞退は残念でならなかった。

南米選手権への出場を辞退した日本代表、サッカーファンはこの決断をどう思うのか
http://www.soccer-king.jp/blog_item/20110405_japan.html

火曜日, 7月 19, 2011

ツイッター人気の理由

ツイッターは7月1日に、1日当たりのつぶやき(ツイート)投稿数が2億件を突破したと発表した。約1年前が6,500万件だったそうだから、1年でほぼ3倍になったということになる。そして、その投稿数の約2割は日本だと言われている。

それでは、どうしてこんなツイッターが人気になったかといえば、いくつかの理由が上げられるのではないだろうか。日本ではミクシィなどと連動する(私もこれを利用している)ようになり、それに伴い自動的に投稿数が増えた。また震災を機会にその利用度が増えている。私もそのひとりで、登録こそ2年前なのに使い始めたのは震災以降である。

そしてなりよりも大きな理由は、iPadやiPhoneなどスマートフォンの普及ではないだろうか。iPadやスマートフォンはブログのような長文を書くには適していないが、140文字以内という呟きには適していると思える。おそらく、世界のツイッター利用者の半分以上がiPadやiPhone(スマートフォン)ではないだろうか。

一方で、こうしたツイッター利用者の増加により、日本では若者の間ではミクシィ離れが進んでいる。そのことについては、いずれまたの機会に書こう。

月曜日, 7月 18, 2011

読売が手をひけば、すべてがいい方向へ進む!?

なでしこジャパンが優勝セレモニーで表彰されているとき、何故かすべての元凶は読売新聞だなぁ、と思ってしまった。昔から読売新聞は嫌いだが、これは案外的を射ているのではないだろうか。

プロ野球。ご存知のように読売新聞のドラフト制度への介入の歴史は酷いものがある。しかし、ここ数年はその介入も大人しくなり、その結果、プロ野球はセリーグからパリーグの時代へと移り、両リーグはほぼ均等にテレビ放映されるようになり、セパ共存の世界に落ち着くようになった。

Jリーグ。読売ヴェルデイの傍若無人ぶりの振る舞いも醜かった。そして「東京」に固執したチームは低迷が続き、その間にJリーグは地域密着が定着化していき、読売は結局チームを手放してしまった。女子サッカーも同様で、強豪チームだった日テレベルーザの経営から手を引き、今では命名権をもつだけとなっている。

つまり、読売新聞がスポーツに口を挟むことがなくなると、プロ野球ではチームが均等化されていき、その結果2回連続ワールド・ベースボール・クラシックで優勝するまでになった。サッカーも男子日本代表はワールカップでベスト16まで進み、今年1月のアジアカップでも久しぶりに優勝した。現在ではFIFAランキングで13位までになり、サッカー大国のチームとも互角で勝負できるようになった。そして、女子サッカーである。決勝戦の中継をしていた民放がフジテレビであったことで解るように、今の女子サッカーに読売の影はほとんどない。

このように、読売が口を挟まなくなったスポーツは、みんな発展していっている。このことは、おそらく政治や経済も同じではないだろうか。原発擁護のプロパカンダ新聞である読売新聞が原発から手をひけば世の中はもっといい方向に進むだろう。読売新聞の読者のみなさん、疫病神のような新聞を読むのは止めましょう。

日曜日, 7月 17, 2011

映画『小川の辺』を観る

藤沢周平ファンである。全てとは言わないがほとんどの小説を読んでいる。そして、その映像化(映画&テレビ)されている作品もほとんど観ている。

私にとってこれまで映画化された藤沢作品のベスト3は下記のとおりである。
 たそがれ清兵衛 (監督山田洋次、主演真田広之)
 花のあと (監督中西健二、主演北川景子)
 隠し剣鬼の爪 (監督山田洋次、主演永瀬正敏)

前置きはこれぐらいにして本題である。まずは結論から。映画『小川の辺』は間延びした映画だった。時代劇というのは間が大切である。この間が時代劇特有の緊張感を作り上げていく。ところが、この映画の間はどこもかも1秒ほど長く感じられ間延びしている。これでは緊張感が倦怠感に変わってしまう。

加えて、どうしても東山紀之の演技が好きになれない。彼の所作や殺陣は非常に綺麗で上手い。しかし、妙なナルシシズムを感じてしまい、そこに武士が本来もっているはずであろう無骨さを見いだすことができない。それゆえに、映画を見終えてから他のキャスティングだったら、どうだったのかなぁと想像してしまったりした。堤真一だったらどうだったろうとか、佐々木蔵之介だったらどうだったろうか、などと考えてしまった。

最後に、これまで映画化されている藤沢作品はみんな海坂藩ものばかりで、江戸の市井ものがない。市井ものはチャンバラシーンのような見せ場がないために映画化にしずらいのかもしれないが、江戸情緒や男女の情愛の美しい小説がいくつもある。そろそろそうした作品が映画化されることを願っている。

金曜日, 7月 15, 2011

マスコミよ、たまには自分たちのことを世論調査してみては

マスコミは月1回内閣支持率などの世論調査を行っている。それならば、たまには自分たちのことについても各社いっせいに世論調査してみてはいかがだろうか。もちろん、マスコミ各社だけの調査では誘導などが行われる可能性があるので、同時に日本世論調査会や海外の調査機関にもお願いして、その違いもはっきりさせてみてはをいかがだろうか。

ちなみに、質問は下記のようなものでお願いしたい。

1. 新聞やテレビは信頼できる報道機関だと思いますか。 Yes No

2. 新聞やテレビが行う世論調査は誘導報道と思いますか。 Yes No

3. 新聞やテレビの震災および原発事故報道は役にたっていると思いますか。 Yes No

4. 新聞やテレビは原発利権を得ていると思いますか。 Yes No

5. もっとも信頼できる報道をしている新聞社およびテレビ局は何処だと思いますか。
  朝日、読売、毎日、日経、産経、東京、地元紙(    )、なし
  NHK、日本テレビ、TBS、フジテレビ、テレビ朝日、テレビ東京、なし

6. もっとも偏向報道をしている新聞社およびテレビ局は何処だと思いますか。
  朝日、読売、毎日、日経、産経、東京、地元紙(    )、なし
  NHK、日本テレビ、TBS、フジテレビ、テレビ朝日、テレビ東京、なし

木曜日, 7月 14, 2011

女子ワールドカップ日本開催を

なでしこジャパンが快進撃である。今朝は準決勝でスウェーデンを3対1で破って、見事に決勝進出を果たした。こうなれば、なんとしても決勝でアメリカを破って優勝してもらいたい。切に願っている。と同時に、近い将来日本で女子ワールドカップの開催も願っている。

サッカーの女子ワールドカップは、これまで第1回大会が1991年に中国で開かれて以来、1995年にスウェーデン、1999年と2003年がアメリカ、2007年が中国で行われ、今回(2011年)がドイツ、そして2015年はカナダで開催されることが決まっている。このように、基本的にアジア(中国)、アメリカ大陸、ヨーロッパの順番で開催されているので、2019年に日本が立候補すれば、実現する可能性は少なくない。

女子ワールドカップは出場チームが16チームと男子に比べると少ないので、会場(今回のドイツ大会は9ヶ所)も8カ所ぐらいで十分である。となると、日本でも札幌、仙台、埼玉、鹿島、東京、静岡、豊田、神戸など既存の競技場だけで開催可能である。

個人的威信と無駄遣いなオリンピック開催よりも、よりコンパクトにしてお金のかからない女子ワールドカップの開催を願っている。

水曜日, 7月 13, 2011

映画『SUPER 8』を観る

昨日(12日)あまり評判が芳しくないが、一応話題作ということで、映画『SUPER 8』を観に行ってきた。結論からまず書くと、駄作でも失敗作でもないが、かといって傑作でもなければ成功作とも言えない、映画だった。

映画や演劇はラストシーンありきで脚本を書くものが多いが、この映画はまさにその典型。最後のシーンと付録(これはネタバレになるので書かない)を映像にしたいがために作られている映画だ。蛇足だが、先日観た二期会オペラ『トゥーランドット』も最後のシーンを描くための舞台美術と演出をしていた。

確かにラストシーンは映画の印象付けになるので大変重要なシーンだが、しかし、そこにたどり着くまでのいくつかのハイライトがしっかりしていないと盛り上がらない。その意味においては、この映画はそれらが非常に弱い。もっとインパクトがあったハイライトの列車事故のシーンにしても、あまりにCGに頼りすぎていて面白みにかけるし、あんな大事故なのにどうして主犯者が生存してているのかが解せない。他にもどうしても腑に落ちないストーリー展開がいくつもあり、脚本としてはB級映画以下である。

一方、映像の方はスピルバーグが関わった映画の『激突!』『ジョーズ』『未知との遭遇』『ポルターガイスト』『E.T.』などに対するオマージュというかコラージュにすぎず、スピルバーグ映画が好きな人にとっては回顧的に観る価値があるかもしれないが、それ以外の人にとっては単なるモンスターパニック映画でしかないだろう。

ということで、かなり中途半端なパニック映画でしかなく、昼間の渋谷の映画館にもかかわらず、お客さんの数は50人余りと寂しい限りであった。

火曜日, 7月 12, 2011

小沢征爾が世界文化賞を受賞したが

今年で第23回を迎える世界文化賞(日本美術協会主催)の音楽部門に小沢征爾が選ばれた。ただ、この世界文化賞というのは、いまだにどことなく胡散臭いものという疑念がある。というのも、これを主催している日本美術協会はフジサンケイ・グループ傘下にある団体で、どうもその息がかかっているというか、趣味嗜好もしくは利害関係にある人が選ばれているのではないかという気がしてならないからだ。

また、5部門のジャンル分けにも違和感がある。この世界文化賞はノーベル賞を補完するために作られたといういきさつもあるようなので、ノーベル賞にある文学部門はないにしろ、絵画、彫刻、建築、音楽、演劇映像という区分けはおかしいだろう。彫刻(衣装も含まれる)をしている人には申し訳ないが、彫刻が1部門として独立しているのが驚きである。常識的に考えれて、もし5部門にするならば、絵画彫刻、建築衣装、音楽、演劇舞踊、写真映像あたりになるのが妥当ではないだろうか。

そして、歴代の受賞賞者一覧を見ると、なんでこんなに建築部門に日本人が多いのだろうかと驚きに思う。私は建築に関してはまったくのド素人であるが、丹下健三、安藤忠雄、槇文彦、谷口吉生、伊東豊雄と5人も受賞している。日本の建築デザインが世界のトップレベルにあるのは解るが、こんなに受賞者が多くていいのだろうかと思わざるをえない。他国には該当者がいないのだろうか。

いずれにしろ、小沢征爾が受賞したことは喜ばしいことだが、私のなかで世界文化賞への疑念はまだまだ拭いきれることはないだろう。


世界文化賞受賞者一覧
http://www.praemiumimperiale.org/laureate/laureates

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%9D%BE%E5%AE%AE%E6%AE%BF%E4%B8%8B%E8%A8%98%E5%BF%B5%E4%B8%96%E7%95%8C%E6%96%87%E5%8C%96%E8%B3%9E

月曜日, 7月 11, 2011

ツイッターであっという間に伝わった人の死

7月5日に漫画家の和田慎二さんが虚血性心疾患のために急死された。この訃報に関しては翌6日の昼ごろからマスコミ各社が報道するようになった。しかし、この報道が出る前にツイッター上ではまるで伝言ゲームのように和田さんの死が広まり、ツイッターをやっている人の多くは、6日午前中にはそのことを知ってしまっていた。

それではなぜこのようなことが起きたかといえば、6日午前1時ごろに、漫画家の野間美由紀さんが「白泉社と秋田書店のそれぞれから連絡をもらった」ということで、ツイッターで和田さんの死をつぶやいてしまったからだ。それが即座に100人以上の人にリツィート(拡散)され、それがまたリツィートされるような形になり、ツイッター上を席巻してしまったのである。そのおかげもあってか、私も寝る直前の午前2時半ごろに知ってしまった。ツイッターの凄さというか恐ろしさをみせつけられたような出来事だったが、ただ、問題はそれだけでは済まなかった。

野間さんがツイッターでつぶやいていいものかということが問題になった。下記の文章には「野間さんは以前からブログでの行動に批判が多かった」ために今でも批判されているという。確かに人の死をいくら出版社などからの確認をしているとはいえ、ツイッターで軽々しくつぶやいていいものだろうかと思う。親族や関係者からすれば、和田さんの死は一定の時間をおいて公的に発表されるものであり、野間さんがツイッターのような私的なもので先走りでつぶやくことではない。よって、親族や関係者に断りもなく、軽々とつぶやいたことはやはり非礼だとして非難されるだろう。そのことに対して、野間さんも反省しているようで「お知らせするのが12時間ほど早かったのは私の間違いでした」と自分の非を認めている。

先日の松本龍復興大臣の件もそうだが、ツイッターもしくネット上の情報伝達は異常に早い。しかし、それがあるときは流言飛語になりかねない。また、今回のように人の死を軽々しくつぶやくことも問題である。ネットが社会が根付いてはや10年以上経ったが、まだまだ最低限のルールやモラルが確立されていないようである。

「生きてるの? 死んでるの?」 『スケバン刑事』和田慎二さん死去を巡るドタバタ劇
http://npn.co.jp/article/detail/38965024/

火曜日, 7月 05, 2011

首相の任命責任も問題だが、マスコミ報道はもっと問題だ

松本龍復興大臣が辞任した。当然である。あのような恫喝大臣は国政に必要ない。このことによって菅直人首相の任命責任が問われることも当然である。菅首相の粘り腰もついに徳俵一枚だけになってしまったようだ。

さて、今回の辞任劇で責任を問われるのは任命責任の菅首相だけではない。もっと問題なのはマスコミである。あの恫喝をきちんと報道したのは東北放送(よくやった!)だけである。その他のマスコミは「オフレコ」だからな、と言われてまともな報道はほとんどしなかった。

つまり、あの松本恫喝大臣の言動は3日(日)の午後にあったのだが、その日のうちにこのことについて報道したのは東北放送だけであり、他のテレビ局はまったく報道しなかった。また新聞も4日の朝刊で「松本大臣きわどい発言」程度で、その責任を追及することはなかった。

ところが、4日にネット上に情報が氾濫して、国民の怒りが民主党政権中枢にも及ぶようになり、結局本日(5日)に辞任となった次第である。

政界とマスコミの癒着は原発事故でも明らかになったが、本当に現在のマスコミは腐っている。いくら「オフレコだからな」と言われても、あの恫喝する姿勢を追及しないのは、癒着もしくは馴れ合い以外の何ものでない。こうした体質は今に始まったことでなく、自民党政権から受け継がれてきたものであるが、今後はこうした体質を一掃しなければ、国民のマスコミ離れは止まらないし、信頼を回復することはできない。

月曜日, 7月 04, 2011

「ハエ取りペットボトル」は「ゴギブリホイホイペットボトル」にもなる

東日本大震災の被災地でハエが大量発生して問題になっているが、そんななかで、大船渡市の県臨時職員、伊藤寛宣さんが考案した「ハエ取りペットボトル」が高い効果を上げ、下記のニュースにもあるように話題になっている。

実はこの「ハエ取りペットボトル」は「ゴギブリホイホペットボトル」にもなる。このことを私は偶然に発見というか知ってしまった。

昨年だったか一昨年だったか、ある日、玄関にペットボトル回収のために並べていたペットボトルのなかのひとつ、コーラのペットボトルにゴキブリが入っていて昇天していた。そこで、私はそれからそのペットボトルをあまり目につかない場所に1ヶ月ほど置いていたら、なんとまた数匹のゴキブリが入っているではないか。

ゴキブリはコーラの匂いにつられてペットボトルの口から入ったものの、出られなくてしまったのである。“へえ〜、こんなことがあるのか”と、ネットで調べたら、ゴキブリは発酵性の匂いが好きらしいことや、仲間を呼び寄せる集合フェロモンを出しているということを知った。

ゴキブリでお悩みの方がいましたら、ぜひともお試しください。

東日本大震災:ハエがホイホイ 岩手・大船渡の避難所職員考案 発酵臭がポイント
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110630dde041040022000c.html

手作りゴキブリホイホイ
http://okguide.okwave.jp/guides/25182

土曜日, 7月 02, 2011

第1外国語はスペイン語、第2外国語はフランス語

アメリカ西海岸にいるとスペイン語はもう必須のようなもので、カリフォルニア州では少しオーバーな表現だが、スペイン語を抜きにしては生活がなりたたない。それぐらい、スペイン語が日常当たり前のように氾濫している。それゆえに、私は大学では迷いもなく第1外国語をスペイン語にした。

次に第2外国語を選択するときに、私は中国語を取りたいと希望したのだが、カウンセラーに日本人は漢字を読み書きをするからダメだと言われて、仕方なくフランス語にした。メキシコ人が第2外国語にスペイン語を取ったり、中国系ベトナム人が中国語がOKだったのに、なぜか私は第2外国語に中国語を取ることが許されなかった。ブツブツ・・・。

で、仕方がなく極普通のアメリカ人と同じようにドイツ語かフランス語を選択さぜるをえなかった。そして結局友人にフランス語の方が可愛い子が多いぞという勧めによってフランス語を第2外国語にした。フランス語の授業は楽だった。それにゆえに、テストはいつも満点近かったのだが、発音がまったくダメで、担当の教授に「お前の発音はスペイン語だ」と何度も怒られた。

あれから30年以上。日本に戻ってきてからスペイン語もフランス語も使う機会はまったくなくなり、ほとんどもう解らなくなってしまった。

もし、あのとき中国語を習っていたら、もう少し中国に興味をもったかもしれない。もし、あのときドイツ語を習っていたら、ドイツ音楽やドイツオペラをもっと深く理解できたかもしれない。タラレバではあるが、次に語学を勉強する機会があるならば、もう一度スペイン語を習いたいと思うし、今度はイタリア語にも挑戦してみたい。

木曜日, 6月 30, 2011

見かけはボロボロだけどまだまだ現役

19歳のときに、アメリカの大学の購買部で買った馬革製の財布を今でも使っている。二つ折にできるタイプのもので、中には紙幣だけでなくクレジットカードも入れることができる。もうかれこれ38年も使っているので、表面はテカテカで、折の部分はボロボロになっていてテープなどで補強している。

実はこれまでにこのお財布に別れを告げるべく、2回ほど同じような財布を買ったのだが、使い心地がよくなく、1週間も経たないうちに元の木阿弥になっている。(笑)

私は洋服などに関しては物持ちが良い方だと思うが、それ以外はパソコン関係、メガネ、靴(サンダル)など日常に使うものの物持ちはあまり良い方ではない。そんななかで、38年も同じ財布を使っているのだから、これはちょっと異常かもしれない。

こうなると、この財布に愛着があるというより執念で使っているとしかいいようがない。見かけはボロボロだが、まだまだ現役の馬革製のお財布。あと、最低でも2〜3年は現役で頑張ってもらいたい。

水曜日, 6月 29, 2011

あまり節電できなかった電気使用量

先週、東京電力から「電気使用量のお知らせ」6月分が届いた。先月は前年比約25%も電力使用量を削減したことで、我ながら悦に浸ったが、今回はたったの6%しか削減できなかった。理由は深夜電力の使用(つまりお湯の使用)が前年より多かったためである。ただ、この深夜電力はなかなか節電できない。というのも、お湯を大量に使おうが使うまいが、深夜になればある程度勝手に動いてしまうのである。これからの夏場はあまりお湯は使わないと思うが、来月もこの点だけは注視していきたい。

いずれにしろ、5月分はトータルで589kwhだったので、今月分は100kwh近く減らしている。言い訳がましいが、それだけでも良しとしていたきたい。

昨年6月分(28日間)  今年6月分(5/19〜6/15の28日間)
自宅(60A)     268kwh      230kwh
深夜電力(4kw)   207kwh      229kwh
仕事場(20A)     47kwh       33kwh
合計          522kwh      492kwh

今回は前年比たったの6%の削減しかできなかったが、今後も電力使用量を控えるために、照明をコマメに消したり、使ってない電気機器のコンセントは抜くようにしていきたいと思います。また、エアコンもできる限り使用しないように努めていきたい。

我が家の節電成果
http://k21komatsu.blogspot.com/2011/05/blog-post_20.html

火曜日, 6月 28, 2011

実はカミナリが好きです

先日Mixi(Twitterに連動)のつぶやきで「梅雨も佳境に入ってきて、あちこちで雷が発生しているようです。ちょっと不謹慎ですが、実は私は子供の頃から家のなかから雷を見るのが好きです。w」と書いたら、信じられないことに数多くの人、特に女性から「実は私も」的に賛同者がいっぱい現れた。

少し前に「恐いことを例える諺というか代名詞といえば「地震・カミナリ・火事・オヤジ」が一般的だが、今回の東日本大震災で、新たに『地震・津波・原発・風評被害』という言葉が生まれるかもしれない」と書いたが、まさかカミナリがそれ以前に恐いものでなく、好かれているものになっているとは知らなかった。こうなるとオヤジも同じなのかもしれない。(笑)

子供の頃、外でゴロゴロと鳴り始めると、縁側に座布団を敷いて、ガラス戸越しに雨空を眺めるのが好きだった。なぜだかよく解らない。そして、雨空が一瞬光り輝いて、次に音がするまでの時間を数えて、どれぐらい雷が近づいてくるかを楽しんでいた。今はもう縁側もなければ座布団もないが、雷の季節となると、ベランダ越しにしばらく外の様子を楽しんでいる。

子供心にカミナリが好きだった理由はひょっとするとカミナリが鳴ると、梅雨が明けて夏がやってくるということを察していたからかもしれない。雷三日、梅雨明け十日などということを自然に察していたのかもしれない。

ただ、このカミナリ。東京などの都会では避雷針が多いので、ほぼ安心安全なのだが、地方だとそうはいかない。ゴルフ場で落雷にあって亡くなる人も毎年何人かいる。また、そして集中豪雨による川の氾濫なども起きて被害をもたらす。それゆえに、カミナリが好きだというのは不謹慎なのだが、好きなものは好きで仕方がない。

最後に、私がもっとも感動したカミナリはグランド・キャニオンで目撃したものだ。カミナリの閃光が2〜3百メートル下の渓谷に落ちていくさまは凄かった。雷鳴降臨といった感じで、渓谷が一瞬閃光で輝き、それと同時に地響きのような雷鳴が谷底から轟いてきたのである。あんな光景は後にも先にも見たことがない。また、コロラド平原では視界の左半分が雷雨、右半分が快晴という光景も見て、このときは大陸の広さをつくづくと感じさせれた。

月曜日, 6月 27, 2011

いまだに政治家のなかには藩閥学閥閨閥意識がある

1年前に菅直人が内閣総理大臣に就任した。市民運動出身者が首相になるとは、日本もついにここまで来たかと、多少なりと喜んだ。ところが、すぐに組閣した内閣を「奇兵隊内閣」と自らが表した。これは自分の生まれ故郷である山口県と、大河ドラマ『龍馬伝』を意識して、そう呼んだのだろうが、私はこの言葉にかなり失望した。

というのも、日本の政治家たちが依然として薩長藩閥意識のなかで生きているのだなと思ったからである。薩長閥の流れをくむ自民党の政治家が言うならまだしも、市民運動家にして社会市民連合(社民連)という小さな組織から這い上がってきた政治家の発する言葉とは思えなかった。

日本の政治家はいまだに明治維新を意識している人が多いような気がする。大阪府の橋下知事にしても「維新の会」という名をつけて、まるで幕末の志士気取りでいる。歴史を意識をすることは大切ではあるが、それを模倣するようでは今日の政治家としは情けない。

今の時代はもはや一国のことだけでなく、全世界を見据えた政治をしなくてはならない。その意味においては、今の日本の首相は藩閥学閥意識や党利党略といった狭い了見を棄て、しっかりと国民と国家のことを考え、それでいて国内および国外の両視点から物事を判断できるような人になってもらいたい。ただ、残念なことにそのような資質をもった政治家がいるように思えない。

金曜日, 6月 24, 2011

原発やめますか? それとも人間やめますか?

いまだに収束化のメドすらつかない東京電力福島第一原子力発電所。人間を豊かにすると共に、人間を破壊する原発。いったん大事故が起きると、人間が制御することができない原発。今、私たちが問われていることは「原発やめますか? それとも人間やめますか」なのではないだろうか。もし、今後も原子力発電を推進していっても構わないという人は、原発という悪魔に魂を売り「人間をやめる」と宣言した人たちと言っても過言ではないだろう。

原発を安心安全と推進した自民党をはじめとした政治家たちは政界から引退すべし。隠蔽工作を率先した原子力保安院および原発事故対策を怠った東京電力は解体すべし。健康被害を過小評価する御用学者は学問の場を去るべし。原発推進の片棒を担いだマスコミは自己批判すべし。そして、いまだに原発の存在を容認する国民は福島県もしくは原発近くに移住するべし。

ちょっとラジカルでヒステリックな発言と思われるかもしれないが、「原発やめますか? それとも人間やめますか」ということを、誰もが問われているときなのである。

水曜日, 6月 22, 2011

福沢諭吉の格言に学ぶ

一番立派なことは、一生貫く仕事があること。
(一番立派なことは、地道に人生を歩むこと)

一番寂しいことは、することがないこと。
(一番寂しいことは、時に空回りしてしまうこと)

一番惨めなことは、人間として教養がないこと。
(一番惨めなことは、教養がなかなか身につかないこと)

一番貴いことは、奉仕して恩をきせぬこと。
(一番貴いことは、多くの友人知人飲み仲間がいること)

一番醜いことは、他人を羨むこと。
(一番醜いことは、ちょっとメタボ体型なこと)

一番悲しいことは、嘘をつくこと。
(一番悲しいことは、万馬券を取り逃すこと)

一番美しいことは、全てのものに愛情を持つこと。
(一番美しいことは、お酒と女性と芸術に愛情をもつこと)

月曜日, 6月 20, 2011

「想定外」という言い逃れは許されない

想定外の地震と想定外の津波で原発事故は起きた、ということになっている。しかし、自然というものはいつも人間の想定するものなど超越してしまう。

日本は地震大国である。何処でマグニチュード8以上の地震が起きてもおかしくない国である。それゆえに、今後はどんな地震が起きようが、どんな津波が起きようが、どんな天変地異が起きようが、そのとことに対して、政府も電力会社もそしてマスコミも「想定外」という言い逃れは許されない。それゆえに、これからは「想定外」の事故が起きても責任問題が生じる。それは単なる賠償とかそういった問題だけにとどまらない。

海江田万里経済産業相は、運転停止中の原発についても再稼働を認めるよう各自治体に要請したが、もし万が一の事故があった場合、海江田大臣は政治責任をとって政治家を辞める覚悟があるのだろうか。また、原子力保安院に務める官僚および御用学者は懲戒免職される覚悟はあるのだろうか。そして、各自治体の首長は、地元において一生その罪を償う覚悟はあるのだろうか。

もはや「想定外」という言い逃れは絶対に許されない。

金曜日, 6月 17, 2011

東北人と京都人の血が流れている

子供の頃はまったく気にしなかったが、歳を重ねていくと自分のルーツが何処にあるのかを気にするようになる。

私の父は東京生まれの東京育ちだが、祖父は山形県八幡町(現・酒田市)出身で、電柱と電線を辿りながら上京したという逸話の持ち主である。そして、祖母は京都市出身の看護婦だったそうで、共に農家出身だ。一方、私の母は台湾生まれの東京育ちで、祖父は京都府亀岡市出身で祖母は秋田県秋田市生まれ。こちらは共に士族だったそうである。

ということで、私の身体のなかには東北と京都の武士と農民の血がブレンドされて流れている。それゆえだろうか、今回の大震災は人ごとではないように肌で感じるというか妙に血が騒いでしまう。

父方の祖父(林蔵)は中国でちょっとした財を成したようで、地元に神社を建てたり、学校に寄付したり、庄内出身者たちのための学生寮を建てたりと気前のいい人だったようである。私は残念ながら祖父のように財を成すことはなかったが、できる限りの経済的支援は続けたいと考えている。

郷土の先人93 小松林蔵
http://www.shonai-nippo.co.jp/square/feature/exploit/exp93.html

写真上:旧八幡町にある八幡神社
下:庄内平野から見る鳥海山

火曜日, 6月 14, 2011

マスコミが少しおとなしくなってきたが・・・

先週金曜のNHK「ニュース9」で大越キャスターが「明日で震災からもう3ヶ月。でもまだ3ヶ月なのかもしれない」と少し自戒的なことを言った。私は震災が起きたときから、半年間は政治も経済も協力しあって復旧復興に望むべきだと思ってきて、そうした言動をしてきた。

しかしながら、政局は菅直人首相の指導力無さもあったが、結局自民党および与党内野党である小沢派による菅下ろしに明け暮れ、マスコミもそれに踊らされた。ところが、菅首相が一定のメドがついたら辞任すると表明してからは、マスコミは急に政局への報道をトーンダウンさせた。これは、おそらくマスコミ自体が相当批判されているからであろう。世間一般の人から見れば、あの菅下ろしにマスコミは踊らされたのではなく、加担していたとしか見えなかったからだ。

何度も書くが、震災は天災だから誰の責任でもない。しかし、原発事故は明らかに天災と人災の複合的要因があり、その責任の源は「政官財学マ」の癒着構造にある。そして、この「政官財学マ」はいまだに自己責任を認めない。政界のなかにはある程度それを表明する人がいるにもかかわらず、マスコミで自己責任を認める新聞社やテレビ局はひとつもない。

そんな連中たちの報道というか分析・解説・コメントを誰が信じることができるだろうか。永田町の常識は世間の非常識同様に、マスコミの常識も世間の非常識なのである。私はまだまだマスコミ批判をやめるつもりはない。

土曜日, 6月 11, 2011

エレベーターの「開」「閉」ボタン表示

人間、誰しも不得手なものがいくつかある。私がその不得手にしているひとつが、エレベーターの開閉表示を咄嗟に見分けることだ。

現在の日本のエレベーター開閉表示には下記のように3つのタイプがある。

「開」「閉」   「◁|▷」「▷|◁」    「|←→|」「→||←」

しかしながら、この3つはすべて私には解りにくい。ドアが閉まりかけているとき、誰かが乗ろうとして開けてあげようと思ったのに、右側のボタン(つまり「閉」)を押してしまうことがしばしばある。こういう経験は誰もがあるだろう。

そもそも「開」「閉」という表示は同じ門構えの漢字のために見分けにくい。また「◁|▷」「▷|◁」にしても「|←→|」「→||←」にしても、一瞬の判断で見分けるのが難しい。というよりも、視覚的感覚からいうと、「◁|▷」「▷|◁」などは右側の方が開くという風に見えてしまう。

それゆえに、今後のエレベーターの開閉表示は、「◁|▷」「▷|◁」もしくは「|←→|」「→||←」マークのしたに、必ず「Open」「Close」もしく「ひらく」「とじる」という言葉を入れて、マークと言葉の二重表示にしてもらいたい。すでにこのような表示のエレベーターはあるようなのだが、これからの高齢者社会を考えると、安全重視のためにもぜひともお願いしたい。

押し間違いしない!! エレベーターの開閉ボタン
http://www.geocities.jp/shuuchan56/kaiheibutton.html

木曜日, 6月 09, 2011

京都には妖怪がいっぱい住んでいる

先日、京都に住んでいる人と話をする機会があった。そのときに「京都には妖怪がいっぱいいるんです」という話になった。確かにいる。舞妓さん、芸妓さん、お姐さん、女子学生、おばさん・・・いっぱいいる。京都という街へ人を呼び寄せようとしている妖怪は確かに多い。

そして、こうした妖怪たちに誘われて、東京などから日帰りで行く「来ようかい」だの、京都でちょっと仕事をしたいという「雇用かい」もいるそうだ。ただこうした妖怪はまだまだ妖精であり可愛いものだそうだ。

京都の本物の妖怪は宗教で生業をたてている。こうした妖怪は本来ならば俗界から離れて、慎ましやかな生活しなければならないはずなのに、お寺というお金がなる木に住んでいるために、高級外車を乗り回したり、別荘を持っていたりするらしい。困ったものである。

そんな妖怪だらけの町には、もうひとつ京料理という魔物もある。そろそろその魔物を食べに行きたくなってきた。(笑)

月曜日, 6月 06, 2011

星野仙一は菅直人の前に辞任すべし

昨日(5日)は神宮球場でのプロ野球セ・パ交流戦、東京ヤクルト・スワローズ対東北楽天・イーグルスフの試合を観てきた。

試合は両チーム共に18安打計36安打の乱打戦。と言いたいところだが、結果は13対5でヤクルトの楽勝。ついでに書くならば、楽天は負けたにもかかわらず毎回安打。私はこれまでに数多くのプロ野球およびメジャーリーグの試合を観てきたが、負けたチームが毎回安打というのは初めてである。毎回安打して勝てなかった理由がどこにあるかといえば、それはすべて監督の采配にある。つまり星野監督の無能さを露呈した試合だった。

星野の無能さにはいくつあった。まず攻撃のチグハグさだ。2回にノーアムト・ランナー2塁で草野にバントを指示したことである。しかし、草野はバントを失敗してランナーは2塁でアウト。4回の攻撃でワンアウト2塁3塁のときに、ピッチャーの片山に代打(用意していたにもかかわらず)を出さなかったこと。結局、片山は打てず、この回の楽天は1点も取れなかった。それどころかその裏にヤクルトの猛攻攻撃を受けて10点も取られる始末。その間、星野は片山をまでバッティング投手のように晒し者にした。もう馬鹿です、星野という男。

片山はこの回に何十球投げたか知らないが、選手たちは星野野球の馬鹿さかげんを知ったであろう。まともな監督ならば若い投手をこんな晒し者にすることは絶対にありえない。ところが、星野は根性論だけで蛮行に及んだのである。監督失格である。このことは、片山という投手を殺すだけでなく、試合を観にきた楽天ファンに対して失礼千万である。わずか4回という時点で試合に勝つという行為を放棄したのであるからだ。

加えて、5回の攻撃で松井稼、山崎が出塁したのだが、そのときに代走を出したのも信じられなかった。確かに12対0で東北楽天は負けていた。しかし、松井稼にしても山崎にしても主力打者であり、もう1打席回ってくれば大量得点になる可能性はあるのに、5回で負けているのにも関わらずお役御免である。試合のことも選手のこともファンのことも、この馬鹿監督は何も考えていない。直感だけで采配している。

また、6回にホームでクロスプレイになって楽天の選手がアウトになったのだが、これは明らかに審判の誤審でセーフなのに、その判定に星野は抗議にすら出てこない。これでは選手はやっていられない。星野仙一は菅直人より先に即刻辞任すべきである。選手が可哀想である。ファンが可哀想である。

星野仙一がお馬鹿さんであることは解っていたが、こんなに酷いとは思っていなかった。パリーグ・ファンとして言わせてもらうが、彼はパリーグに害をもたらすだけで、全く必要ない男である。

Yahoo スポーツによる試合結果

http://baseball.yahoo.co.jp/npb/game/2011060502/top

金曜日, 6月 03, 2011

国難を生きる国民と、国難に背を向けた国会議員

国難といわれる時代を生きている、という実感がある。我々は100年に一度とも1000年に一度とも言われる大震災に直面した。その結果2万4千人近い尊い命が失われてしまった。加えて、いつ収束するか解らない原発事故という現実も存在している。

そんな国難と言われる時代のなかで、国会議員はドタバタ茶番劇を演じた。最後に君子豹変した鳩山由起夫、相変わらず優柔不断で曖昧模糊な菅直人、そして、そろそろ孤城落日になるか小沢一郎。自民党政権下でも見れなかった3人のヒステリックな憎悪劇は本当に見苦しかった。

一方で、被災地を省みずこうした時期に内閣不信任決議案を提出した自民党と公明党の醜態も酷かった。国民のほとんどが政局の混乱を望んでいないのにもかかわらず、「国民は、国民は」といって、国民という言葉をダシにつかった言動は許しがたく、犯罪者といっても過言ではない。

結局、から騒ぎのすえに不信任決議案は否決されたが、政局はますます混迷を続けていくばかりとなった。こうしたことがなぜ起こったかといえば、その背景には必要のない国会議員が多すぎるということがある。もし、衆議院議員が350人、参議院議員が200人だったら、国難に対して誰もが真摯に向き合っていただろう。こうしたことをなぜ国会議員もそしてマスコミも言わないのだろうか。

国難のなかでほどんどの日本人が冷静に行動している。これは凄いことだと思う。誇りに思っていいことだ。これがもし他国だったら、どうだっただろうかとよく思う。大震災後、最初に騒いだのは一部のマスコミとネガティブな報道しかしない外国のマスコミぐらいだった。しかし、2ヶ月半経って、自己顕示欲と責任転嫁の集団である国会議員が大茶番劇を演じた。彼らのなかには国難という時代を生きるという意識はさらさらなかったようである。

木曜日, 6月 02, 2011

飲食業界にとっての風評被害の源は

先日、今年になって飲み屋を開いたばかりの店主とネットについての話をした。

店主曰く「食べログ」とか「ぐるなび」の書き込みは、励みにもなるが脅威でもあると。その通りだと思う。私はグルメに関することは自分のブログには書くが、「食べログ」と「ぐるなび」などのようなグルメサイトに投稿をしたことは一度もない。

こうしたサイトは基本的に匿名であり、お店の常連さんが書いているというより一見さんが書いている方が圧倒的多い。こうした人たちは、自分がまるで料理記者か評論家のように書いているのだろうが、これが時にお店にとって営業妨害にもなりかねない。

「ネットとかは飲食業界にとって、風評被害の源ですよ。褒めてくれるのはたしかに嬉しいですが、1回だけの来店で、まるでお店の味をすべて解ったように書かれるのは勘弁ですよね」

同意せざるえない。1回だけの訪問ならば自分のブログに書くぐらいに止めておいて、影響力の大きい「食べログ」とか「ぐるなび」へ投稿するのは控えるべきであろう。

原発の風評被害も1回の検査結果だけで、それが結局ひとり歩きして、大きな風評となってしまっているところがある。今日、ネットの投稿に左右される人は少なくない。そのことを考えると、グルメサイトは風評被害の源であると言ってもおかしくない。

水曜日, 6月 01, 2011

映画『ブラック・スワン』を観る

映画は騙し絵である、ということを見事に具現化している映画だ。芝居にしても、映画にしても、絵画にしても、音楽にしても、芸術の新作というものは、期待と失望、信用と裏切りといった相対したなかで作り上げられていく。つまり、芸術はある意味、虚構であり虚偽で騙しでもあるのだから。

映画のあらすじは『白鳥の湖』の主役に抜擢されたニナ(ナタリー・ポートマン)が、演出家の強い要望により官能的な「ブラック・スワン」を演じるために、苦悩と葛藤を繰り返していくという至極単純なストーリー。ただ、それを現実と虚構(妄想?)をうまくミックスさせながら、スリラー映画ばりの緊張感と不安感を煽りながら観せていく。また、ちょっと大胆な性描写も織り込まれていて、大人の映画にもしている。

主演のナタリー・ポートマンはこの映画の振付師だったべンジャミン・ミルピエと出来ちゃった結婚をしてしまい、映画のストーリーと同じような道を歩んでいる。ただ、こうしたことは映画や演劇の世界では別にありふれたことである。というのも、芸術の世界で生きる人たちは現実と虚構の狭間を行き交いしながら生きているのだから。

決してバレエ映画でもく、ホラー映画でもないが、冒頭にも書いたように、映画が実に楽しい騙し絵であることを立証してくれた秀作である。ただ、ちょっとスリラー度が刺激的なので、ちょっと心臓の弱い人向きではない。また、女性客はできれば1人で観に行くのではなく、誰かと一緒に行くのがいいだろう。そうすれば、観賞後の会話が楽しくなるのではないだろうか。

ブラックスワン公式サイト
http://movies2.foxjapan.com/blackswan/

月曜日, 5月 30, 2011

自民党に不信任決議案を提出する資格なし

以前にも少し書いたが、今回の震災および原発事故の政府対応に関して、菅首相の指導力の無さには呆れるが、政府全体としての対応は一生懸命やっていると思う。それなのに、野党自民党も与党内野党も自己顕示、自己保身に終始していて、さしたる建設的なアイデアをまったく示していないのに、不信任決議案を出そうとしているのだから不思議でならない。まさに永田町の常識は日本の非常識である。

震災についてはこれは天災だから誰に責任があるとはいえない。しかし、原発事故は天災と人災の複合物であることはいうまでもない。そして、その最大の責任がどこにあるかといえば、それは自民党と東京電力である。

「原発は安心安全」と大ボラを吹きながら、原発交付金という甘い汁を地方に与え、そして、政官財だけでなく、学会、マスコミを取り込んだ癒着と恩恵の構造のもとで推進してきたのである。また、官僚の隠蔽体質や東電の情報開示がなされない体制を作ったのも、もちろん自民党政権の産物以外になにものでない。こうした過去の自分たちの政策や責任を棚にあげて、現政府の対応が悪いとは責任転嫁も甚だしい。全くもって無責任極まりない。

私は別に民主党を支持しているわけではないが、震災と原発事故という嵐が吹き荒れているなかで政権を変えるなどというには愚の骨頂である。少なくとも自民党は政権に協力するか、半年ぐらいは自分たちの責任を反省するなりして、それこそ自粛してもらいたい。それでなくとも、もし、今自民党政権になったら、国家公務員給与を削減することができるだろうか。また、検証委員会なるものが機能することができるだろうか。

何度も書かせてもらうが、今回の原発事故は政界、官僚、財界、学会、マスコミの利権に対する癒着構造のうえで起きた事故といっても過言ではない。そして、その責任は第一に原発を推進した自民党と東電にあり、第二にそれを継承した民主党と官僚にある。そして、恩恵をあずかってきた学会やマスコミがそれを批判できる立場などまったくもってない。

まずは誰もが自己責任と自己批判をしてから、政権論争をしてもらいたい。その意味において、今、自民党もしくは公明党などが政権につくようなことがあれば、それは癒着構造と隠蔽体質がまた酷くなるだけであり、このことは原発事故並みの人災である。

原発事故でマスコミが自民党批判しない理由
http://k21komatsu.blogspot.com/2011/05/blog-post_17.html

原発交付金の恩恵とは
http://k21komatsu.blogspot.com/2011/05/blog-post_11.html

土曜日, 5月 28, 2011

人の名前を思い出せないとき

歳を重ねていくと困ることがいくかあるが、そのなかでも辛く感じるのは、顔見知りにあったときに、その人の名前をすぐに思い出せないことである。ましてや、会話をしながらもその人の名前を思い出せないときはかなり辛い。

こうしたときに、名前を直接聞きだすのはちょっと失礼になるので、話題を湾曲にしてどことなく以前何処であったかなどを聞くようにして思い出すようにしている。それでも、まったく思い出せずその場を分かれたこともある。そうなると、どうしても自分が情緒不安定になり、電車のなかであったり、帰宅してから思い出すように努める。それでもまったく思い出せなかったこともある。

いずれにしろ、人間の記憶などというものは限界があり、必要なものはすぐに思いだせても不必要なものは忘れてしまうものだと、開きなおるようにしている。そうでないとストレスが溜まってしまうので、何かで気を紛らわして気にしないようにしている。で、何で気を紛らわすかといえば、それはお酒が一番である。(笑)

金曜日, 5月 27, 2011

今年初のプロ野球観戦

一昨日(25日)は神宮球場でのプロ野球セパ交流戦、東京ヤクルト・スワローズ対オリックス・バッファローズの試合を観てきた。試合はオリックスの先発投手フィガロ、セットアッパーの平野、抑えの岸田が好投して、4対1でオリックスが勝った。

この日の神宮球場は湿度もあまりなく、気温もおそらく20度ぐらいで絶好の観戦日和(日夜?)だった。そのせいもあってか観客数もパリーグチームとしては人気のないオリックス戦にもかかわらず、12,694人と健闘した。ただし、東京ドームの巨人vsソフトバンク戦は40,049人と満員だったようだが。

ちなみに、神宮球場の照明灯は内野の2基には全部ライトがついていたが、外野の3基は3分の1には灯りがついておらず、全体としても光量が抑えられていた。そのため、以前は内野席から外野席のスタンドがはっきり見えたが、昨日は外野席はぼんやりとしか見えなかった。

さて、当たり前の話だが、やはりプロ野球もライブは面白い。カーンという打球音、キャンチャーのミット音などテレビではとても解らない爽快感を味わえる。また、プロならでの好守備好走塁は観る者を惹きつける。

一昨日の試合の殊勲者は新聞などでは4安打を放ったトップバッター坂口になっていたが、私と一緒に行ったヤクルト大好きおじさんの間では田口だった。

1対1の同点で迎えた8回表1アウトランナー2塁で打席には田口。ヤクルト大好きおじさんは「次の李承ヨプが不調なんだから、ここは敬遠だよなぁ」と言っていたら、田口は1塁線上を抜く2塁打を放ち2対1となる。つづく、李承ヨプの何球目かにヤクルトバッテリーはパスボールをして、田口はすかさず3塁へ。ここでヤクルト内野陣は前進守備を取らざるをえなくなった。

今度は私が「これで李承ヨプは思いっきり叩きつけて打てばいいだけだから楽になるなぁ」と言ったら、李承ヨプの打球は大きなバウンドをして1塁手の頭上を越え、ライト前のタイムリーヒットになった。9回にオリックスの捕手伊藤にプロ入り初ホームランのオマケがついたが、8回で試合はほぼ決着していた。

個人的にはオリックスのセットアッパー平野、抑えの岸田と両看板投手を観れたのが非常に嬉しかったが、当然ながらチケットをくれたヤクルト大好きおじさん(同級生)も一緒に観に行ったヤクルト大好きおじさん(飲み屋仲間)も落胆していた。w

Yahoo スポーツによる試合結果
http://baseball.yahoo.co.jp/npb/game/2011052502/top

木曜日, 5月 26, 2011

流言飛語を検証するぐらいの責任をマスコミはもつべし

一昨日、原発事故の原因究明のために「事故調査・検証委員会」が作られたが、同じようにマスコミも震災後に飛びかわった数多くの流言飛語を改めて検証してもらいたい。特に「枝野官房長官の妻子がシンガポールへ避難」と「原発作業員の日当が40万円」については、どんな方法にしろその真実を極めてもらいたい。

「枝野官房長官の妻子がシンガポールへ避難」という噂は官邸の中枢にいる人間だけに、これがもし本当ならば政治家としての責任を取らざるをえないだろう。一方「原発作業員の日当が40万円」はどうみても懐疑的である。この話は新聞でもネットでも伝聞でしか伝えておらず、かなり懐疑的なところが多いが、それでもやはり検証してもらいたい。

マスコミはいろいろなことを報道することも大事であるが、その報道に対する責任も担っている。そろそろこうした流言飛語の真偽を再検証する機関を設けて、その結果を明らかにしてもらいたい。

火曜日, 5月 24, 2011

がんばれ!うら若き女性たちよ

このところ知人が相次いで、被災地で行ったボランティア活動のことをブログに書いている。1人は医療関係で福島県へ、1人は福祉関係で同じく福島県へ、そして1人は泥はけ作業のために宮城県へ行った。3人ともうら若き女性(?)である。

彼女たちのブログを読んでいると、つくづく自分の非力を感じざるをえない。もう少し若ければとか、年老いた家族と同居していなければとか、自分で動かせる組織をもっていればとか、もうタラレバの言い訳がましいことばかりが頭のなかを巡ってしまう。以前訪ねた釜石と宮古には行きたいと思っているのだが、情けない・・・。

被災地では私のように50歳台のおじさんも数多くボランティアとして参加している。しかし、こうした人たちは手に職をもっている人がほとんどで、私のように手に職はなく、体力もさほどない男がああした現場にいけば足手まといになるだけである。ましてや口八丁頭八丁(?)のような人間は迷惑千万である。それゆえに、私は東京にいて経済的支援を続けていくことと共に、いかに建設的なことを考えるか、支援体制をいかに支援していくかを考え行動ぐらいしかできない。これまた言い訳がましい・・・。

3人の女性たちが素晴らしいのは、活動報告と共に3人とも継続的な支援と、支援の輪を広げることを訴えていることである。日本もまだまだ見捨てたもものじゃない。がんばれ!うら若き女性たちよ。

金曜日, 5月 20, 2011

我が家の節電成果

昨日、郵便受に東京電力から毎月届けられる「電気ご使用量のお知らせ」5月分が入っていた。4月分は震災のために正確な検針がされておらず、3月11日以降に実際にどれぐらいの電気量を使っていたかが解るのかは今回が初めてになる。そして、昨年との比較も初めてできるようになった。

我が家には3つの電気料金がある。第一は自宅、第二は深夜電力、第三は仕事場である。深夜電力とは主に自宅のお湯を湧かすための電気である。

さて、その電気使用量は下記の通りである。 

種類     昨年5月分(33日間)今年5月分(4/18〜5/18の31日間)
自宅(60A)     425kwh      250kwh
深夜電力(4kw)   289kwh      294kwh
仕事場(20A)     93kwh       45kwh
合計          807kwh      589kwh

昨年の日数がなぜか33日間と2日間多いが、電気使用量は全体で約73%となり、つまり約27%の節電したことになった。まあ、日数の違うことを考慮しても約25%は削減したと思える。これをこのままうまくキープすれば、今夏の国による節電目標である15%は軽くクリアできる。

それにしても、いったい何にこんな電気を使っていたのだろうかと思う。東日本大震災後、照明はとにかくコマメに消すようにしている。また、使ってない電気機器のコンセントは抜くようにした。あとは、冷蔵庫の温度設定を上げたのとか、洗濯機を使う回数を減らしたぐらいである。それだけでも、こんなに使用量を減らすことができたのである。正直、驚きである。

今後も節電対策を続けていくのは無論のことではあるが、こうした数値もしっかりと見極めていきたい。

火曜日, 5月 17, 2011

原発事故でマスコミが自民党批判しない理由

自民党は原発事故責任に関してダンマリ戦術に徹している。そして、マスコミは原発事故に関して過去の自民党政権に全く批判の矛先を向けない。この理由はいまさら書くまでもないことだが、自民党と電力会社、そして、電力会社とマスコミの癒着(利権)があるからだ。

自民党政権下で毎年数百億円とも数千億円とも言われる原発関連のお金が動いた。その最たるものは原発交付金であり、政府から原発を抱える各自治体および電力会社に交付されている。そして、そのなかのお金が地元選出の国会議員にあれやこれの手を使って流れていることは言うまでもない。

一方、電力会社からは国会議員、地方議員などには政治献金が行われている。このなかには、自民党議員はもちろんのこと、公明党、民主党、その他の政党もいる。加えて、電力会社は電気の自由化をされたくない、送電と発電の一体化を維持したいがために経済産業省などからの官僚の天下りを山ほど受け入れてきている。

電力会社は新聞・テレビなどのマスコミに多額の宣伝広告費を払ってきている。また、そのマスコミに寄生する政治評論家は講演料や原稿料の名目で分不相応な金額を貰っている。そして、原子力学会に入っている御用学者も同じように多額の研究開発費をもらい、学生たちの就職斡旋をもしてもらっている。

他にもいろいろな癒着構造があり、マスコミも原子力学者も官僚しっかりと電力会社の恩恵にあずかってきたのである。これでは電力会社を批判することもできなくなり、そのバックであり原子力を推進した自民党を批判することはできない。残念なことに揺るぎない利権という社会構造が出来上がっているのである。

原発関連としてバラ撒かれたお金はもちろん税金であり、電力会社がバラ撒いたお金はもちろん電気料金である。

土曜日, 5月 14, 2011

新しい観光キャンペーンを作ろう

2001年の同時多発テロが起きた後、ニューヨークのジュリアーニ市長は全米および全世界に向けて「ニューヨークに来てください」というメッセージを発信した。そして、ブロードウエイの再開をいち早く望み、そして、ニューヨークには徐々に観光客が戻ってきた。

いま日本を訪れる外国人観光客はほとんどいない。原発から遠く離れた京都ですら、外国人観光客は激減している。それならば、「Discover Japan !」ではないが、「Meet to Japan !, Visit to Japan !」といったようなキャンペーンを、国をあげて展開しないといけないのではないだろうか。

とにかく多くの外国人に来てもらい、全世界から支援を受けている感謝の気持ちと日本独自のおもてなしの心で彼らを歓待しようではないか。そして、できれば彼らに日本が安心安全な国であることを発信してもらうように努めよう。そうでなければ、日本はいつまでたっても放射能に汚染された国というイメージのままになってしまう。

水曜日, 5月 11, 2011

原発交付金の恩恵とは

10年ぐらい前愛媛県の保内町(現在は八幡浜市の一部)に取材に行ったがある。

保内町は愛媛県西部の佐田岬半島のちょうど付け根みたいな位置にある。この町は明治時代には県内で一番最初に電気が敷かれたり、銀行が出来たりと文明開化の先端を担っていた。そのために、町内にはあちらこちらに昔ながらの古い建物が残り、隠れた観光地でもあるが、主な産業はミカンなどの柑橘類栽培で、町の丘陵は柑橘類の畑に覆われている。

そんな古風な町で人口が約1万人ほどしかいないのに、庁舎や公民館は信じられないほど立派であった。理由は簡単だった。原発交付金で出来たのである。保内町のすぐそばには四国電力伊方原原子力発電所がある。このおかげで、町は毎年多額の交付金をもらっている。そのために、道路や学校などは綺麗に整備されている。

ちなみに、昨年伊方原原発3号機のプルサーマル実施に伴い、国からの総額60億円の核燃料サイクル交付金が、県と伊方町に各26億7000万円、八幡浜市に6億6000万円が交付されていることが決まっている。

先日の菅首相による浜岡原発停止要請のとき、静岡県知事は歓迎すると表明したが、御前崎市長は興奮気味に憤りと戸惑いの表情をみせた。ところが、翌日、交付金はこれまで貰えるということが解るとニコニコ顔になっていた。

火曜日, 5月 10, 2011

巨人ファンとプロ野球ファンの違い

先日、読売ジャイアンツの小笠原道大が通算2,000本安打を記録した。

小笠原で思い出すのが、今から7年前の2004年日米野球のときのことである。その日、私は知人のアメリカ野球研究家と一緒に、東京ドームで試合を観戦した。日本チームはすでにメジャーに移籍していたイチローを除いてはベストのオールジャパンのメンバーであった。

そして、試合が始まり小笠原が打席に立つとき、後ろから「小笠原って誰や、何処の誰や」というダミ声がした。私は思わず後ろを振り向いたら、そこにはジャイアンツ帽を被ったオジサンが中学生ぐらいの子供と話をしていた。当時の小笠原といえば日本ハム在籍で2003年・2004年と2年連続パリーグの首位打者を獲得していたのだが、オジサンは小笠原をまったく知らなかったのである。

巨人ファンは他チームのことを知らない人が多い。私の知人にも何人か巨人ファンがいるが、そのなかの一人は他チームのことなどどうでもいいと公言して憚らない。その理由は小さいときから巨人以外テレビで観たことがないからだと言う。純粋培養されたある意味洗脳されたファンである。

このように、巨人ファンは巨人以外の野球に興味がない人が多い。すべての巨人ファンがそうとは言わないが、極端な話、巨人ファンは巨人ファンであって、プロ野球ファンではない人が少なくない。今は阪神ファンのなかにもそういう人が多いかもしれない。

一方で、パリーグのファンというのは、自分の御贔屓チームだけでなく、他チームのことも結構詳しい。それはパリーグだけでなくセリーグのチームについても詳しい。つまり、御贔屓チームファンというわけでなく、プロ野球全体のファンといっていいかもしれない。

小笠原は巨人のユニフォームを着て2,000本安打を達成した。そのとき、あのオジサンは大喜びしたに違いない。そして、「小笠原って誰や、何処の誰や」と言ったことなど今となっては全く覚えていないだろう。

月曜日, 5月 09, 2011

早急に地域医療専門医養成大学の設置を

今回の大震災でいろいろな教訓が生まれているが、私がもっと必要性を感じているのが、自治医大のように地域医療に従事する医者を養成する大学の新たなる設立である。

周知のことではあるが、地方での医者不足は深刻だ。小泉自民党政権下の大失政のひとつに医療制度改革がある。この改革によって、研修医は自由に研修先の医療機関を選べるようになったた。このために、ほとんどの研修医が都市部の大きな病院を研修先にしてしまい、医師の地域格差が生まれ、医療崩壊を起こしてしまった。

今回の大震災でも医師不足は顕著であり、今後は国立大学医学部入学者に対しては一定期間地域医療を専念させる義務を負わすとか、それとも自治医大のような地域医療に専念する医者の育成を目指す大学を少なくとも、東日本、中日本、西日本に1つずつ作るなりしないといけないだろう。つまり、優秀な専門医でなく、どんな病気でも初期治療ができるドクター・コトーのような医者がもっと必要なはずなのだから。

現在の医療制度は都市部と医者には優しいが、地方と弱者には厳しいものがある。医療制度の抜本的改革は無論なことだが、地域医療専門医養成大学の早急の設置が望まれる。

金曜日, 5月 06, 2011

反射シールや反射テープを付けよう

先日(1週間ぐらい前だろうか)、碑文谷ダイエーの前で女性警察官がティッシュペーパーを配っていた。「振り込め詐欺防止」のためのティッシュかなと思ったら、彼女は「このなかに小さな反射板のシールが6つありますから、これをご利用ください」と言った。これには警察もなかなか効果的なものを配っているなと思わざるをえなかった。

昨今、節電の為に街灯が消されているところもあり、暗がりでの歩行者は車などの運転者から非常に見えにくくなっている。加えて、日本人は自分が太っていないように見せるために黒い服を着たがる。そして、黒いカバンも多い。これでは夜間の歩行者は車ばかりでなく、自転車からでも危険でならない。

こうした暗がりで威力を発揮するのが反射シールや反射テープだ。反射シール(テープ)は車のヘッドライトなどの光を効率的に反射させ、夜でも明るく輝いて見える特性を持っている。そのために、夜間路上で働く作業員のユニフォームは身を守るために必ず用いられている。また、今日では子供の安全のためにほとんどのランドセルにも使われている。

ということで、私ももらった反射シールをさっそくデイバッグの後ろにあるファスナーの引き手部分2カ所に貼り付けた。これで私のデイバックは夜道で不気味に輝いているはずである。

水曜日, 5月 04, 2011

3つのSNSをいかに使いこなすか

SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)にこんなに嵌まるとは思わなかった。というより、もはやSNSは私にとって飲み屋よりも重要なコミニケーションの場になっている。

最初に嵌まったのは「Mixi」だが、開始当初は使い方もよく解らず、ブログの延長線上のような存在だった。しかし、いろいろな世代および地域の人たちから真摯なコメントをもらうようになり、ブログよりこちらを主体に書くようになっていった。

Mixiがなによりも私を虜にしたのは、その反応の良さと共に反応を示してくれた人の顔なり生活がある程度解るということであった。そして、いつしかコンサート会場などで数多くの人と面識をもつようになり、すでに5年近くになっている。

「Twitter」はどうも上手く使いこなせない。理由はおそらく文字数に制限があるからだろう。私のような物書き、ましてやダラダラ文を書く者には字数制限はつらい。また「つぶやき」というものは、個人的には文章としては未完成であると思っているし、単なる喋りでしかないと感じてしまう。

文章を書くということは、それなりの思考回路を働かすものだが、「つぶやき」は本能的思考であって直感力に欠ける鈍感な私には向いていない。とまあ、こんな屁理屈をつけているが、結局のところは使い方がよく解らず、利用できないだけなのかもしれない。

さて、最近「Facebook」を始めたが、こちらは基本的に面識のある人を優先してコミュニケートしている。海外の知人や学校の同級生など旧知の人との仲を大事にしたいと思いながら使っている。ただ、これもまだまだ使いこなすに至っておらず、いつまで続くのかと思うときがある。

ということで、いずれのSNSを極めることは難しく、使いこなすことがなかなかできていない。ただ、自分を見失うことなく楽しみながら有効的に利用したいと思っている。

火曜日, 5月 03, 2011

なんでもかんでも政府責任を問う人に閉口

テレビのいわゆるコメンテーターと呼ばれる人たちのなかに、なんでもかんでも今回の大震災および原発事故に対して、政府責任を問う人がいる。政府も自治体もそして国民も真剣に震災からの復興をめざしているのに「仮設住宅が8月までにできなかったら、菅首相は責任をとるのか」とか「原発避難地域の人が1年以内帰宅できなかったら、国はどう責任をとるのか」とか言いたい放題である。

もちろん言論の自由だから構わないが、地震と津波は天災であり、これに関して政府批判をできる人など誰もいない。一方、原発と風評被害は天災と人災の両方(もちろん人災の方が比率は高い)であり、このことを批判するならば、なぜ政府だけでなく東京電力は無論のこと、これまでずっと原発を推進してきた人々(自民党およびその支持者)を問わないのだろうか。

原発に反対してきた政党は社民党と共産党だけである。他の政党はすべて推進もしくは容認であった。私も推進こそしないが、容認してきた一人であり責任を痛感する。それゆえに、今後の選挙においては脱原発を政策に掲げる人にしか投票しないことにした。

私も菅首相の指導力の無さには呆れるが、今回の大震災での政府対応は一生懸命やっていると思う。これがもし、自民党政権だったらどういう対応していただろうかと思うとゾッとする。原発建設の責任問題が沸騰したり、その責任転嫁に終始したりして、対策どころではなかったかもしれない。

マスコミで働く人たちは私と同じようにほとんどが原発を容認してきた。それなのに、過去の責任や自分の責任を問わないのはどうしてなのだろうか。政府を批判することは誰にでもできるが、マスコミ人は自分たちの言動にもっと責任と自覚をもたなければならない。まずは自己批判してから政府批判をすべきである。

月曜日, 5月 02, 2011

災い転じて福(吉)となす

プロ野球の話である。

大震災のために開幕戦から地方球場で試合を行うようになったり、デイゲームが増えたことで新しいファンを開拓できているのではないだろうか。また、節電のことを考えて試合時間が3時間半を越すと新しいイニングに入らないなくなったために、試合テンポが昨年より俄然早くなった。どうやら平均して10分近く試合時間が短くなっているようである。

そして、「野球は太陽の下でやるものだ」という意識が甦ったことも嬉しい。来年以降も土日祝日はもちろんのこととして、平日でもデイゲームを積極的に開催してもらいたい。

加えて、これは震災とは関係ないが、低反発の統一球を使用することになって、ちょっと擦っただけでホームランになるような打球がなくなった。打者の誰もがバットの芯にしっかり当てようと振るようになり、そのおかげで試合に緊張感も生まれるようなった。

今年のプロ野球はこれまでとはひと味もふた味も違う面白さがある。

日曜日, 5月 01, 2011

日本に残っている外国人に感謝

今回の大震災で日本に滞在していた外国人何万人かが帰国した。そして、数多くの外国人が来日を中止したり延期している。仕方がないことである。見知らぬ国でまだ余震が続き、原発事故が依然として収束化していないのだから、危険な国・日本にいるもしくは来る必然性などはないだろう。

そんななかにあって、日本に残り続け平静に仕事を続けている外国人も少なくない。また、被災地に出向いてボランティア活動をしている人も意外に多い。嬉しい限りである。

大震災後、海外メディアの誇大妄想的にして、センセーショナリズムな報道は信じられなかった。とにかく数多くの抑制のない煽動的な報道が見られた。それに対して、山形弁研究家のダニエル・カールをはじめとした何人もの知日家が警鐘を鳴らしていた。

そして、現在の海外メディアの報道はどうであろう。掌を返したように日本人の冷静さを賞賛している。ふざけるな!と言いたい。自分たちの報道を検証して自己批判してから、そんなことを言えよ、と言いたい。外国人記者クラブにはいつの日か懺悔してもらいたい。

日本は今やとても安心安全の国ではない。しかし、大震災後の日本人の行動をみていると、日本政府がまだまだ安心安全でないにしろ、日本人が安心安全な人種だと実感する。こうしたことを、日本にいる外国人が認識して、どんどん自国に発信してくれればと思う。日本に残っている外国人に心より感謝したい。

土曜日, 4月 30, 2011

同級生が去るのはつらい

先日、同級生の死を知った。この歳になると、こういう知らせを聞かざるをえなくなるのだがやはりつらい。そして、昨日彼女のお母さんに電話をして詳しいことを知った。

彼女は小学生のとき学校中で水泳が一番速く、いつも元気で何事にもがんばり屋さんだった。大人になってからは鍼灸師になり、オランダで働いていた。そんな彼女が1年半近く前に亡くなっていたとは・・・。子宮ガンだったそうである。

3年前のクラス会のときに「正月に帰国したばかりなので、行けないけどみんなによろしくね」というメールをもらった。幹事だった私もクラス会終了後にクラス会の写真を添付して返信した。それっきりだった。

これで40人いた同級生のうち3人が他界してしまった。いずれも死因はガンだ。ガンは治る病気になりつつあると言われているが、まだまだ不治の病でもある。早期発見早期治療が大切なことはいうまでもない。定期的な検診は怠らないようにしよう。

勝てないだろうけど、もう一度彼女と泳いでみたかった・・・。慎んで彼女の冥福を祈りたい。

木曜日, 4月 28, 2011

議員が多すぎるから無意味な内部抗争が起きるのだ

自民党の派閥抗争も酷かったが、今回の民主党の「菅おろし」の内部抗争も醜い。

このような抗争がなぜ起きるかといえば理由は簡単である。国会議員が多いからである。現在の政権与党である民主党には小沢一郎、鳩山由紀夫をはじめとして100人以上の冷や飯食い(無駄飯食いとも言える)の国会議員がいる。そのほとんどが小沢チルドレンと呼ばれ、小沢の金(これは元を正せば金丸から受け継いだ金)と選挙戦略で国会議員になったのだから仕方がないが、そもそもそれだけ小沢の金によって彼に必要だが、国にとっては不必要な国会議員が多いという証しでもある

つまり、こうした何の身にもならない抗争を終わらせるためには国会議員の定数を削減するしかない。衆議院は現行の480を350前後に、参議院は252から200にすれば約180人の不必要な議員が減り、今後は民主党だろうが自民党だろうが、くだらない抗争はなくなるだろう。

参議院では1票の格差をなくすと共に選挙制度改革が活発に論議されている。しかし、衆議院では抗争を続けているだけで何の論議もされていない。次の衆議院選挙は2年後の2013年夏である。もし、その前に解散総選挙となっても、選挙は無効になる可能性を秘めている。そうなると、国政はますます低迷する。民主党は内部抗争するよりも具体的な衆議院の選挙制度改革案を提示すべきである。