月曜日, 10月 09, 2006

キミは駒沢球場を知っているか


北海道日本ハムファイターズがレギュラー・シーズンを1位で通過して、優勝目前だ。私は小学生の頃、ファイターズの前身であった東映フライヤーズのファンだった。なぜかといえば、本拠地・駒沢球場が家の近くにあったからだ。これほど身近な球団は後にも先にもない。そんな駒沢球場の薄暮ゲーム(薄暮ナイターともいった)に私の父はよく家族を連れていってくれた。

東映フライヤーズは別名“駒沢の暴れん坊”と言われたぐらい、血の気の多いチームとしてして知られた。投手では尾崎行雄、土橋正幸、久保田治の3人がローテションを組み、打者では張本勲、毒島章一、山本八郎、西園寺明夫、安藤順三、種茂雅之と一癖も二癖もある選手たちが自由奔放なチームカラーを形成して、パ・リーグの異端児集団として人気を集めていた。

駒沢球場は1953年に旧陸軍駒澤練兵場跡地の一角、現在の駒沢陸上競技場あたりに東急フライヤーズの本拠地として自前の球場としてオープン。そして、東映フライヤーズと名を改めてからも1961年まで使用された。しかし、東京オリンピックのために解体され、わずか9年という短命の球場だった。東映フライヤーズはその翌年の1962年に移転した神宮球場において水原茂監督に率いられて日本一に輝いた。

私の父が野球好きだったのかフライヤーズファンだったのかは知らない。だが、駒沢球場の週末によく開かれていた午後4時開始の薄暮ゲームは、家族づれがピクニック気分で野球を見るには絶好の環境だった。外野席はすべて芝生席で子供は走りまわることができ、応援団なんて我がもの顔をしている集団もなく、みんな寝転がったり、お弁当を食べたりとほのぼのと観戦していたた。そして、この駒沢球場から見た夕焼けは、今でも私の脳裏から離れることはない。「三丁目の夕日」(映画「ALL WAYS」の原作)の世界だった。

※写真の駒沢陸上競技場の後方に見える東京医療センター(元の国立第二病院)は旧陸軍病院。ちなみに中目黒にある東京共済病院は旧海軍共済組合病院。

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