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水曜日, 1月 11, 2023

近代美術館や現代美術館は演劇ポスターを収集するべき

昨晩なにげに『開運!なんでも鑑定団』を観ていたら、横尾忠則デザインの状況劇場「腰巻お仙」のポスターが出品されていた。依頼主は希望価格を50万円としたが、結果は200万円。

正直、安すぎる。

演劇関係者なら誰もが知っていますが、60年代から90年代にかけての演劇ポスターはほとんどがアート。そのなかでも、このポスターは最高傑作の1つです。

そして、国立近代美術館もしくは東京都現代美術館はこうした演劇ポスターをどんどん収集していくべきである。




木曜日, 10月 27, 2022

来年もブロムシュテットを聴けるぞ N響第1967回定期公演Bプログラム(1日目)

昨日(26日)はサントリーホールで開かれたN響第1967回定期公演Bプログラム(1日目)を聴いてきた。ピアノはオリ・ムストネン。指揮はヘルベルト・ブロムシュテット。演目は下記の通り。

グリーグ/ピアノ協奏曲 イ短調 作品16
ニルセン/交響曲 第3番 作品27「広がり」

1曲目。オリ・ムストネンは譜面を置いてのとても丁寧な演奏なのだが、なんかピアノ本体がいただけない。高音は妙にキンキンするし、低音は温かみも深みもない。これってピアニストの好みなのか調律師の問題なのか。いずれにしろ、30分間の演奏はどことなく表面的というか、慈しみというか愛らしさを感じることができなかった。

2曲目はおそらく初めて聴く曲。ニルセンはデンマークの作曲家。題名の「広がり」は広い世界へ歩んでいこうという前向きな姿勢の意味らしい。第1楽章は人間として生まれた意義を伝えているような楽章で快活で明るい。第2楽章はバリトン(青山貴)とソプラノ(盛田麻央)を入れて、生命の大切さと生きる喜びを表現する。第3楽章はスケルツォながらも人の葛藤を表現。第4楽章は人は前へ進んで歩いていくんだという「広がり」を表す。とにかくポジティブな人生を歩もうという曲であった。

そして、演奏ではあるが、指揮のブロムシュテットは先週のNHKホールでのシューベルトの時より指揮幅が広がり、以前のように手刀を切るかのようにキレッキレ。それはまるで「ニルセンは俺にまかせろ、俺についてこい」のようであり、オーケストラをグイグイと引っ張っていく。とても95歳とは思えない驚愕の指揮。

先日のシューベルトのときは、ブロムシュテットを聴くのは今年で最後になるかもしれないなあと感慨深げになってしまったが、昨日の演奏を聴くと、これは来年も聴けるぞ、に変わった。まさにタイトル通りの「広がり」を実践してくれたブロムシュテットだった。




金曜日, 10月 21, 2022

小田和正コンサート「こんど、君と」@さいたまスーパーアリーナ

一昨日(19日)はさいたまスーパーアリーナで開かれた小田和正の「こんど、君と」のコンサートを聴きに行く。

私が小田和正を聴きに行くことを訝しがる人もいるかもしれない。基本的には”お供”なのですが、実は私は古くからの小田和正、いやオフコースのファンなのです。今はもう高円寺にある知人の中古レコード店に上げてしまったが、オフコース時代のドーナッツ盤レコード『夜明けを告げに / 美しい世界』(1971年10月発売)がお気に入りで、高校時代によく聞いていました。このシングルA面『夜明けを告げに』は作曲が加藤和彦だが、B面の『美しい世界』は作曲が小田和正で、これが彼の作曲家デビューの曲でもあった。

今回のコンサートのチケットは飲み屋仲間の人に手配をお願いした。するとなんとアリーナ席の正面のかなり良い席を手配してくれた。もつべきは友達であり、飲み屋仲間です。(笑)これにはお供も驚きでした。

さて、コンサートは完全に満席(25000人ぐらい?)のさいたまスーパーアリーナで約2時間半行われました。小田和正は齡75ということもあり、正直お顔は少し崩れてしまった感があるが、歌声はまだまだ艶があり、トータルで24曲を歌いきった。『愛を止めないで』や『ラブストーリーは突然に』などの有名どころの曲はもちろん演奏されたが、オフコース時代の名曲『秋の気配』(1977年8月発売)が歌われた時には、ちょっと涙腺が熱くなってしまった。



木曜日, 5月 26, 2022

N響第1958回定期公演Bプログラム(1日目)

昨日はサントリーホールで開かれたN響第1958回定期公演Bプログラム(1日目)を聴きに行った。指揮は先週に続いてファビオ・ルイージ。ピアノは小菅優。演目は下記の通り。

メンデルスゾーン/序曲「静かな海と楽しい航海」作品27
ラヴェル/ピアノ協奏曲 ト長調
※メシアン/前奏曲集から第1曲「鳩」
 〜 休 憩 〜 
リムスキー・コルサコフ/交響組曲「シェエラザード」作品35
※はアンコール曲

1曲目のメンデルスゾーンの序曲は初めて聴く。これが清麗にして美しい曲。これまで数多くのオペラやバレエの序曲を聴いてきたが、この曲が取り上げられなかったのが不思議なくらい。メデルスゾーンらしいアップダウンのある弦と煌びやかな金管が鳴り響く。隠れた名曲だと思う。オペラに精通しているファビオ・ルイージには今後もこうした曲を紹介してもらいたい。

2曲目。小菅優は円熟期にあるような気がする。語弊があるかもしれないが第2楽章は自分のサガを出すところは思いっきり出し、第1・第3楽章の引っ込めると引っ込めるといった変幻自在の感情的抑揚には感心させられた。そのことによってフランス的なラヴェルというよりエスニック的というか時空を超えたラベルを堪能することができた。

3曲目。「シェエラザード」はアラビアン・ナイトの世界をモチーフに作られた曲だが、ファビオ・ルイージはこれに全く捉われることなく、コンマス篠崎史紀を先頭になんというか日本的というか江戸時代の風情を想像させるような古風な音色を次々と聴かせてくれる。そして、最後は1曲目の序曲と同じように静かに大海に船出するかのような姿をみせてくれる。これまで何度もこの曲を聴いてきたが、こんな印象を与えてくれた指揮者はルイージが初めてである。ルイージ恐るべし、であり、首席指揮者に就任する9月以降がとても楽しみになった。



日曜日, 5月 22, 2022

N響第1957回定期公演池袋Cプログラム(1日目)

NHKホール改装工事のためにNHK交響楽団(N響)は1年半にわたって池袋の東京芸術劇場で公演を行っている。東京芸術劇場というと東京の粗大ゴミ建築物の一つと言われた建物であり、ホールの音響も酷いものだった。しかし、10年前に改装されてからは音響も改善されて、以前よりずっとよくなった。ただし、この6月にはNHKホールの改装工事も終了なので、秋以降は行く機会は減るだろう。

さて、そんな東京芸術劇場にN響第1957回定期公演池袋Cプログラム(1日目)を聴きに行ってきた。指揮は9月に首席指揮者に就任するファビオ・ルイージ。ピアノはアレクサンドル・メルニコフ。演目は下記の通り。

モーツァルト/歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲
モーツァルト/ピアノ協奏曲 第20番 ニ短調 K. 466
※モーツァルト/幻想曲ニ短調(k.397)
ベートーヴェン/交響曲 第8番 ヘ長調 作品93
※はアンコール曲

モーツァルトは不得手である。とにかく眠くなる。目を閉じるようになる。今回も目を閉じてはいけない、いけないと思いつつ聴いた。ピアノのアレクサンドル・メルニコフはどことなく学校の先生という佇まいというか、その弾き方も冷静沈着。音色も清風明月というか端正かつ流麗。それゆえに、やはり私の瞼は次第に閉じていく。やはり、モーツァルトは松任谷由実ではないが「瞳を閉じて」聴く方が穏やかな気持ちになる。

2008年にファビオ・ルイージのベト7を聴いた時にその躍動感というか炎のようなエネルギッシュな音色に驚いたが、今回も驚かされた。ベト8というとコンサートではほとんどメインになることのない交響曲なのだが、それをルイージはビールのコマーシャルではないが徹頭徹尾キレとコクのある演奏にした。こんなベト8は後にも先に聴いたことがない。ひょっとするとファビオ・ルイージは現存する指揮者のなかでも一二を競うベートーヴェン指揮者なのかもしれない。2年後ぐらいにはベートーヴェン・チクルスをやってほしい。


水曜日, 4月 20, 2022

N響定期公演「4月池袋Cプログラム」

テレビとネットでのメジャーリーグ観戦が忙しくて、なかなかレビューなどを書けない。かまけています。それにしても鈴木誠也の活躍は凄い。(^_^;;

さて、先週金曜(15日)は東京芸術劇場で行われたN響定期公演Cプログラムを聴きに行ってきた。演目はマーラーの『交響曲第5番』。指揮は82歳になるクリストフ・エッシェンバッハ。彼はドイツ生まれの有名なピアニストでもある。

第1楽章。冒頭の首席トランペット(長谷川智之)の鮮やかにして高らかな響きから、この交響曲のもつ起伏性というか人間の葛藤をうまく描き出していく。

第2楽章ではチェロが緩急自在に音色を変えていき、終盤ではトランペットのアンサンブルが締まった音色を聞かせてくれる。

第3楽章は首席ホルン(今井仁志)が軽やかにして快活な旋律を響かせていく。N響のホルンというと、これまで松崎裕、福川伸陽と名手がいて、今井はさほど目立つ存在はなかったが、この日の彼は今まで聞いたことがないような清美な音色で、彼の実力を十二分に発揮させてくれた。

第4楽章は有名なアダージョ。弦とハープだけの荘厳にして楽章だが、ここではハープ奏者(早川りさこ)が弦楽の間に雅な音色を挟んでいく。彼女の音色はいつ聞いても心地いい。

最終の第5楽章。ここでは指揮のエッシェンバッハがそれまでオケの主体性に任せていたのを、今度は自分の指揮についてこいという感じで、ビシッとした決めていく。それでいて、マーラーのもつ懐の深さも表現していく。最後の大団円ももちろんビシッと締めてくれた。会場は「ブラボー~」の声こそ出せないが、それこそ会場が割れんばかりの拍手だった。

それにしても、長谷川智之、今井仁志、早川りさこの3人は本当に素晴らしかった。





月曜日, 3月 28, 2022

非日常の世界を味わうにはやはり夜の方がいい

別に夜が好きというわけではないが・・・。

映画、演劇、音楽、落語などのライブ鑑賞を終えた後、会場の外が夜の灯びになっていると落ちつく。なんというか「ああ、非日常の世界を味わった」という想いになる。ところが、鑑賞後に外に出て周りが明るいと、なんかすぐに日常に引き戻されたようになり、非日常の世界を味わったという余韻が残らない。

もともと私は昼間に酒を飲むことをしない。昼下戸というほどではないが、昼に飲む酒は美味くないのである。夏の暑い日に時たまビールを飲むぐらいである。それも外に出た時ぐらいで、家で飲むことはない。それゆえに、時折り見かける昼から蕎麦屋で日本酒をちびりちびりやりながら、蕎麦を食べている年配客をみると、少し羨ましく思ったりもするが・・・。

また、読書にしても自宅で夜長にするようにしている。外気というか外音がない方が、じっくり本を読むことでできるし、時代小説などではその世界にしっとりと浸れることができる。

こうしたことがあるので、私はマチネというか昼の公演に足を運ぶことはほとんどなかった。ところが、コロナ禍になり、飲食店の多くの店が早く閉まるようになり(まんえん防止ナンチャラは解除されたが相変わらずの感染者数であるので)、ライブ活動後の楽しみである一杯ができなくなってしまった。そのために、最近は仕方なく昼の公演にも行くようになっている。

しかし、非日常の世界を味わうにはやはり夜の方がいい。




土曜日, 2月 26, 2022

プーチンはロシアの信用を完全に失墜させた

ロシアがウクライナとの戦争に踏み切った(これは侵攻ではなく侵略)ことによって、プーチンのお友達である指揮者のゲルギエフはニューヨーク・カーネギーホールでのウィーンフィル公演の指揮を交代させられた。また、サッカーのヨーロッパ・チャンピオン・リーグの決勝開催地はサンクトペテルブルクからパリに変更された。また、ロシアで行われる多くのスポーツイベントが中止することになった。

おそらく今後5年いや10年はロシアで世界的なスポーツイベントは開かれることはないだろう。そればかりでない。残念なことだが、今後ロシアの著名なオーケストラ、バレエ団は欧米諸国で公演することはできなくなるだろう。また、ロシア人指揮者やソリストたちの出演もかなり制限されるだろう。もちろん、スポーツのロシア代表も同じであろう。それぐらい、今回の戦争でロシアは文化・スポーツ面で国際社会から信用を失った。プーチンはそれだけの代償を負ったのである。

この戦争が今後どういう展開になるか分からない。しかし、世界のロシアに対する信用は完全に失われた。ロシアで文化・スポーツで活躍している人々は本当に可哀想である。この信用を取り戻すにはプーチンが大統領の座を去るしかないだろう。




月曜日, 1月 17, 2022

反田恭平と原田慶太楼、若い才能に期待する

コロナ禍で仕事が減ったり、失業した人は数多くいる。その一方で逆に仕事が増えた人たちもいる。そのひとつが日本人指揮者だ。外国人指揮者の来日が難しくなったことから、東京だけでなく全国各地のオーケストラや合唱団で日本人指揮者が引くてあまたの状態になった。それはある意味、日本人指揮者にとって絶好のチャンスとなったとも言える。

さて、一昨日(15日)行ったN響コンサートではそんな日本人指揮者の活躍を如実に表してくれた。

コンサートはショパンコンクールで2位になった反田恭平が出演することもあって、チケットは早々に売り切れた。で、演目は下記の通り。

ショパン(グラズノフ編)/軍隊ポロネーズ イ長調 作品40-1(管弦楽版)
ショパン(ストラヴィンスキー編)/夜想曲 変イ長調 作品32-2(管弦楽版)
パデレフスキ/ポーランド幻想曲 作品19*
  〜 休憩 〜
ストラヴィンスキー/バレエ音楽「火の鳥」(1910年版)

反田恭平はパデレフスキの難解な曲を見事に演じきったが、その演奏は繊細的なパッションのなかにも抑揚をつけたり、逆にアクティビティある華麗さに変容を入れたりと、音域の広さというか情感の広さを見せつけるような演奏をして、テクニック的な巧さではなくテイスト的な美味さを感じた。それゆえに、私は休憩時間にTwitterに「反田恭平のピアノはミックスサンドより美味い。幕の内弁当よりも美味い」とちょっと意味深なことをツイートした。これはコンサート会場で売られているミックスサンドや劇場で売られている幕の内弁当より美味いという意味で、つまり、反田のピアノはホール内ではどんなものよりも美味いという意味を込めている。

そしたら、そのツイートに終演後に独りだけ「いいね」をつけてくれた人がいた。それはその指揮をしていた原田慶太楼だった。原田慶太楼は冒頭にも書いたようにコロナ禍で引っ張りだこになった指揮者の一人である。ただ、彼は日本人指揮者というよりも、アメリカやロシアを拠点に活動してきたので、他の日本人指揮者とは少し毛色が違う。そして、その指揮ぶりも開放的というかおおらかにして自由奔放というか、オーケストラに制約をかけずに伸び伸びと演奏してもらうスタイルで、これまでの日本人指揮者が求めがちな緻密さとか和音を追い求めるという感じではなかった。それゆえに、終演後の電車のなかで「原田慶太楼のオーケストレーションにはこれまでの日本人指揮者にはない華やかさと鮮やかさがある」とツイートしたら、これまた彼および何人かに「いいね」をされた。

今年初のコンサートで反田恭平と原田慶太楼という今後間違いなく世界で活躍する若い2人の才能に出会えたのは嬉しい限りであった。




水曜日, 1月 12, 2022

大相撲も30歳以上の力士だらけで高齢者社会?

一昨日になるが両国国技館に大相撲観戦に行ってきた。

昨年3月は横綱不在で横綱土俵入りがないという大相撲観戦だったが、あれから10ヶ月、横綱白鵬は引退、今は照ノ富士が独り横綱として土俵を支えている。

その横綱・照ノ富士の土俵入りも今場所が3場所目ということもあり、まったく不安げもなく堂々したものだった。また、取組にしても相変わらず立会いは悪く、一瞬若隆景にヒヤリとさせられるものの、腕を返すというか腕をがっちり掴んでからは強く、小手投げで勝った。もし今場所も優勝すると横綱昇進から3場所連続優勝は1918年の栃木山以来とか。

さて、一昨日は祝日ということもあり、オミクロン株による感染拡大が広がるなかでも、1階のマス席は完全に売り切れ、2階席(1席空き)も観やすい正面席と向正面席はほとんどがいっぱいだった。

そんななかで、力士のなかで注目したのは今場所幕内に上がった王鵬(本名:納谷幸之介、大鵬の孫だが顔立ちはあまり似ていない)。身長191cm、体重181kgという見事な体型で琴恵光を最初は突き放して、その後素早く突き落として勝利。明らかに大器の片鱗をうかがわせた。まだ先が長いがもし今場所10番以上勝つと、祖父大鵬、親父貴闘力に続いての新入幕で2桁勝利となる。そうなることを期待すると共に、あと1年以内には間違いなく三役までいく素質を秘めていると思えた。

その他では幕内最年長の玉鷲(37歳)はまだまだ若く、また好きな妙義龍(35歳)も相撲巧者ぶりを見せてくれた。大相撲といえば、その昔は30歳になると引退と言われいた(大鵬は30歳で引退)が、今や30歳以上の力士が22人もいる。そして、照ノ富士はすでに30歳になるが、とてもそうは見えない。


火曜日, 11月 16, 2021

我が青春の地、東急文化会館

渋谷の再開発が進んで、もう何処に何があったんだが分からなくなってしまった。

私が渋谷でもっとも足を運んだのは現ヒカリエが建っている東急文化会館だ。東急文化会館は1956年(昭和31年)2月に渋谷パンテオン、渋谷東急、東急名画座、東急ジャーナルの4つの映画館とプラネタリウムなどが入った複合文化施設としてオープンした。

4つの映画館の中で渋谷パンテオンと渋谷東急は新作洋画の上映を主体としていて、渋谷パンテオンは70mmフィルム映写機の特大スクリーンがあり、ここで数多くの洋画を観た。渋谷東急はどちらかというと洋画のB級映画の上映が多かった。

で、私が一番多く足を運んだのが東急名画座だった。1960年代後半から1970年代前半、私が中学生・高校生だった時、ここでは洋画や邦画の旧作が確か120円か150円という価格で観られた。ヒッチコック作品や1950年代のミュージカル映画、恋愛映画を数多く観た。当時の封切り映画が1000円から1200円の時代だったので、中高生や若者にとって名画座は頼もしい味方だった。

そして、東急ジャーナルへも何度も足を運んだ。ここはもともと10円でニュース映画を観れる映画館だったのだが、確か毎週月曜夜にNET(現・テレビ朝日)が日曜に放送していた「あ〜、ヤンなちゃった」でお馴染みの牧伸二が司会を務めていた『大正テレビ寄席』の収録が行われていた。私はこの収録に抽選で当った父親に連れられて何度か足を運んだ。そこで林家三平、三遊亭歌奴(後の三遊亭圓歌)、月の家円鏡(後の橘家圓蔵)、立川談志、東京ぼん太、Wけんじ、てんやわんや、漫画トリオ、チャンバラトリオなどを観た記憶がある。私が今でも演芸に対する愛情を持っているのはこの時の経験が大きい。

今や渋谷には名画座のような映画館は無くなってしまった。しかし、演芸はユーロスペースを始めとして、あちこちのホールで行われている。渋谷に定員150人ぐらいの寄席があればなあ、と最近は思っている。

写真は東急レクリエーションより

月曜日, 7月 26, 2021

スピークイージーな時代

飲めない人には申し訳ないが、私は日頃から「飲めない人は人生の半分を損している」と思っている。といって、飲めない人に無理矢理飲ませたりするようなことは絶対しない。飲酒は飲める人同志が楽しく飲むのが一番であることを知っているからだ。

その意味においてコロナ禍になって、下戸の人は無理矢理に参加しなければならない歓送迎会などがなくなりホッとしているに違いない。一方で、酒飲みたちは飲む機会がなくなってしまって大いに嘆いているか、自宅で焼け酒をしているに違いない。w

しかし、人生を楽しもうとしている人たちはいろいろ知恵をしぼる者である。なにぶんオリンピックは勝手にやっているし、宴会はダメだと言いながらぼったくり男爵バッハの歓迎会はやるなど矛盾だらけなのだから、酒飲みたちも自由に宴会をやろうと勝手である。

さて、昨今コロナ禍で飲食店で東京で飲むことはなかなかできない。それでも、都内ではいろいな知恵を絞って感染対策をしながら営業している店はいっぱいある。またスピークイージーではないが、禁酒法時代のように水面下で営業している店もある。しかし、まさかスピークイージーを楽しめる時代になるとは思わなかった。



火曜日, 7月 20, 2021

新宿花園神社野外劇『貫く閃光、彼方へ』

昨日(19日)は新宿花園神社で公演された椿組の野外劇『貫く閃光、彼方へ』(脚本=中村ノブアキ、演出=高橋正徳)へ行ってきた。椿組は新宿ゴールデン街「クラクラ」の店主・外波山文明が主宰している演劇集団であり、椿組は37年間毎夏、花園神社で野外劇を行っている。もはや新宿の夏の風物詩といっても過言ではない公演。昨年は中止を余儀なくされたが、今年は感染症対策をしっかりして行われた。


小劇場演劇を観まくっていた昔は毎年観ていたこの野外劇だが、今回は本当に久しぶりで、おそらく10年ぶりぐらい。トバさん、ごめんなさい。

『貫く閃光、彼方へ』は1964年の東京オリンピック直前、東海道新幹線の難所・新丹那トンネル貫通工事にまつわる話だが、それにタスキの由来を語る昔話と現代の箱根駅伝の話が絡められて三重的に展開していく。このような多重的展開は演劇ではごく一般的で、それは時に観ている者を難解するかもしれないが、話が膨らんで面白くもなる。だが、逆にコンガラガッて解らなくなる時もある。今回はというと、話は膨らむが結末が少し予定調和すぎるかなという感じだった。このへんは観ている者の感性次第なのだが。

さて、出演者で良かったのは、東の熱海口から工事を行う加形組の世話役・渡辺を演じた田渕正博と、西の函南口から掘削をした近藤組の世話役・岡田を演じた中山祐一朗の演技が印象に残った。世話役はもうけ役だったのかもしれない。それにしても、この2人の演技を観ているともっと東対西の男臭いドラマにした方が良かったのかと思ったりもした。

いずれにしろ、夏の風物詩であり芝居の醍醐味を味わえる椿組の花園神社野外劇、いつまでも続くことを望む。

水曜日, 7月 14, 2021

不良外国人と接触せず、ワクチン接種して、東京脱出

4度目の緊急事態宣言。政権にとっては「先手、先手」を打ったという言い訳宣言で、もはや政権も専門家も国民も誰もその効果を期待していない。そして、オリンピックは開催予定で、海外からは選手団と共に、マスメディアで働く不良外国人が大挙来日する。先日のコカインや大麻で捕まるなんてもはや可愛い者である。この不良外国人のなかには間違いなくウイルスを撒くスプレンダーがいるだろう。それゆえに、8月の閉会式までは間違っても彼らが大好きな六本木、渋谷、新宿、浅草などのバーには行かないことを勧める。

さて、東京の陽性者数は完全に感染拡大である。1週間の1日平均の陽性者数も1ヶ月前の377人から476人、563人、720人と倍々ゲームではないが、1.2~1.3倍と増えていき、これだと今週は900人台になり、来週は確実に1000人台である。いくらワクチン接種が進もうが、8月上旬までは拡大の一途を辿りそうである。

ただ、こうしたなかで東京は重症者数が少ないから安心と思う人もいるが、これは大間違いである。東京の重症者数が少ないのは都独自の基準によるもので、国の基準に換算すると5〜6倍は多くなるといわれている。それゆえに、知人の医師も言っていたが重症者数が少ないからといって安心はしていられないと。

感染を避けるためには第一に不良外国人が訪れそうな所へは行かない、第二にできればワクチン接種をする、第三に夏はなるべく東京を離れて安心なところで過ごすしかないだろう。



木曜日, 6月 17, 2021

オーケストラは不思議な生き物

オーケストラというのは不思議な生き物である。素晴らしい指揮者が良い指揮をすると、そのオケの実力以上の音を奏でる。ところが、普通の指揮者が良い指揮をしても、それなりの音しかでない。

コロナ禍が1年半近く続いている間、海外から素晴らしい指揮者はほとんど来日できなかった。そのために、日本人指揮者が代わって指揮をすることになったが、残念ながらそれなりの音しか聞くことしかできなかった。

昨日(16日)、N響の首席指揮者であるパーヴォ・ヤルヴィが約1年9ヶ月ぶりにサントリーホールの指揮台に立った。観客はおそらく定員の3分の1ぐらいの600人ぐらいであっただろうか。演目は下記の通り。

ペルト/スンマ(弦楽合奏版)
シベリウス/ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 作品47(独奏:青木尚佳)
ニルセン/交響曲 第4番 作品29「不滅」

音色はどの曲も素晴らしかった。この1年余の鬱憤を晴らすかのように聞き入ってしまった。特にニルセンの交響曲第4番では2台のティンパニー(植松透と元読響の菅原淳)の叩き合いが鮮やかで、こうした音を引き出すヤルヴィの手腕にも惚れ惚れした。

9月以降は海外オケの来日は無理にしても、指揮者、ソリストの来日は以前通りになりそうだ。9月以降は以前と同じように気軽にコンサート会場に足を運びたい。


 

月曜日, 2月 22, 2021

芸術文化サブカルチャーの十字図(撒布図)

芸術文化およびサブカルチャーを観るようになって50年以上になるが、そのなかで現在の各分野の総合的かつ俯瞰的観点(ただし不可逆的ではない w)から作った二軸による十字図(撒布図)はこんな感じである。


小劇場演劇はおそらく最も進歩的分野の文化だ。演劇は制約された時空間でありながら、その創造性は他に類がないと思う。次に落語は古典的で保守的だと思われがちだが、古典のなかにも現代を反映させているし、新作落語は風刺に富んでいる。同じことはミュージカルやバレエにも言える。特にモダンバレエは前衛的かつエモーショナルと言えるのではないだろうか。

映画、テレビドラマは広範囲な分野なので、無難な場所に位置づけした。(笑)お笑いというのは主にコントやバラエティのことだが、今は吉本などの影響で保守的分野になってしまった。歌舞伎は伝統芸能として価値はとても高いが余りにもやはり閉鎖的だ。そして、同じことはクラシック音楽やオペラにも言える。クラシックには現代音楽もあるが、独りよがりの作品がほとんどで進歩的とは言えない。

皆さんもお時間があればお好きな十字図を作ってはみませんか。


金曜日, 9月 25, 2020

タンス預金を引き出す政策が必要だ

 一昨日、約7ヶ月半ぶりにサントリーホールへ行った。N響コンサートである。

座席は舞台前1階2列および舞台周りの2階1列にお客を入れず、あとは市松模様に1席交互に座るという形。これにカメラ席の空きも加わる。チケットは完売だったらしいが、本来は2000人入るところに700人ぐらいの観客ではなかっただろうか。

さて、今回のコンサートでとても気になったのが、中年女性客の多さであった。N響というと老人ホームと揶揄されるぐらいおじさん・おじいさんの観客が多く、女性客は全体の2〜3割ぐらいであった。ところが、昨日はとにかく女性客の多さが目につき、半数は女性だったような気がする。まあ基礎疾患を持つ高齢者はまだまだコンサート会場に来づらいだろうから、それは仕方がないにしても、一方でいつもは少しはいる音楽を勉強している感じの20代の姿はほとんどなかった。

う~ん、コロナによって客層が変わるのはある程度予測してはいたが、こうも顕著になると高齢者たちのお金は一体どこに消えていくのかを考えてしまう。集団免疫を行なっているスウエーデンでは、高齢者の消費が落ちたために経済が悪化したようだが、日本でもこのまま高齢者が外に出ない状況が続くと、経済が低迷するのではないだろうか。新しい政権は将来のためにと少子化対策に躍起だが、それとは別に現状打破をするために高齢者の財布を緩める政策を推進するべきではないだろうか。

例えば、60歳以上の都民には近県(神奈川、埼玉、千葉)での宿泊を優遇するとか、逆に近県者には都心の高級ホテルに半額で泊まれるようにするとか・・・。一方で、あまりにも高齢者対策に不満を持つ若者には、近場のコンビニなどで使えるクオカードを配るなどしてはどうだろうか。いずれにしろ、高齢者の経済活動を促進させないと、タンス預金が増えるばかりで、経済が成り立たなくなってくる。


水曜日, 2月 12, 2020

韓国映画がアカデミー賞を取るのは当然の結果

韓国映画『パラサイト』がアカデミー賞作品賞を受賞した。そのことに日本では日本より先にアカデミー賞作品賞を取りやがってと、ネトウヨ的な地団駄を踏んだ輩が結構いると思うが、これはある意味当然の結果である、と私は思っている。というのも、韓国と日本では文化事業に対する行政支援が違いすぎる。
 
日本の文化庁の年間予算は1043億円(国家予算の0.11%)に対して、韓国は2821億円(1.05%)である。一人当たりだと日本は819円で、韓国は5467円と相当な開きがある。ただ、韓国の文化予算の中にはスポーツ・観光も含まれているので、実際の文化予算はその半分程度だと思われるが、それでも国家予算の0.5%以上、一人当たりだと2700円ぐらいになる。
 
そして、何よりも日本と韓国の違いはその予算の増加率の違いだ。日本の文化予算は2003年に1000億円を突破するものの、それ以降ずっと1000億円台(1100億円になっていない)だが、韓国はこの10年間でほぼ倍増している。これだけ国家が文化に対するお金のかけ方が違うのである。
 
こうした違いにより、韓国では文化人が育つ土壌が出来上がり、そのことによって国民が文化芸術に対する誇りを持つようになった。一方で、日本は大企業優先の経済政策ばかりで、文化予算だけでなく基礎医学、基礎工学などの研究費にもお金を出さない。これでは人は育たないし、アカデミー賞のメーキャップ・ヘアスタイリング賞を受賞したカズ・ヒロ(辻一弘)さんのように優れた人材は海外へ流出してしまう。
 
残念なことだが、今の日本の文化予算では10年20年経ってもアカデミー賞作品賞は取れないだろう。

水曜日, 2月 13, 2019

安藤広重と歌川広重は二刀流?

子供の頃『東海道五十三次』の作者は安藤広重と覚えていた。それがいつの頃からか安藤広重という名は使われなくなり、作者は歌川広重と言われるようになった。もちろん安藤広重と歌川広重は同一人物である。では、なぜ安藤広重が歌川広重になったのかをちょっと調べてみた。

広重は江戸の八代洲河岸の定火消屋敷の同心、安藤源右衛門の子として生まれた。下級武士である。広重は幼名を徳太郎といい、のちに重右衛門、鉄蔵また徳兵衛とも名乗った。つまり彼の本名は安藤徳太郎もしくは安藤重右衛門である。そんな男が1809年(文化6年)2月に数え13歳で火消同心職を継いだ。ところが、15歳の時に歌川豊広に入門して広重という名を与えられた。それから、広重は1832年(天保3年)、嫡子仲次郎が元服したのを機に同心職を譲り、絵師に専念するようになった。つまり、それまで広重は絵師と同心の二足のわらじを履いていたというか、二刀流だったようである。

どうやらこうしたことによって安藤という本名と広重という雅号が一緒になって安藤広重という名が伝わったようである。ただ広重自身は絵の世界で生涯「安藤広重」と自ら名乗ったことはなかったようである。いずれにしろ、広重が武士であったことから、その名が明治・大正・昭和と受けつかがれていき、安藤広重と歌川広重が混在するようになってしまったようである。そして、それを避けるために2017年02月15日の文部科学省の「次期学習指導要領等の改訂案」で雅号である「歌川広重」に統一され、「安藤広重」という名は教科書等から消えていった。

しかしである。なんで安藤広重という名を無くしたのであろうか。安藤広重という名があったからこそ、彼が武士であり浮世絵師であったこともわかるのに・・・。まあこれからは『東海道五十三次』の作者は歌川広重と覚えられるようだが、私からすれば別名も覚えておいてほしい。ただ、葛飾北斎のいくつあるか分からない別名を覚えろとは言わないが・・・。(笑)


金曜日, 12月 21, 2018

春風亭正太郎百貨店 赤坂支店 歳末大感謝祭五夜の第四夜

昨日(20日)は赤坂会館稽古場(本来は赤坂芸者のお姐さんたちが踊りの稽古をするところ)で開かれた「春風亭正太郎百貨店 赤坂支店 歳末大感謝祭五夜」の第四夜を聞く。春風亭正太郎は1981年目黒区生まれの二つ目。限定60席の会場はほぼ満員。演目は下記の通り。

入船亭扇ぽう  「寿限無」
春風亭正太郎  「堪忍袋」
入船亭扇遊「   棒鱈」
  〜 仲入り 〜
扇遊・正太郎   対談
春風亭正太郎  「死神」

開口一番の前座・入船亭扇ぽうは入船亭扇遊の弟子。イガグリ頭にして童顔。あとで春風亭正太郎に「定吉(落語に出てくる丁稚の代名詞)みたいでしょ」といわれるが、今回が寄席以外の高座は初めてということだったらしい。それでも、さして緊張することもなく入船亭一門が最初に習うという『寿限無』を実直に好演。

「堪忍袋」は熊五郎とおかみさんの口喧嘩の仲裁をするために作られた‘’堪忍袋‘’が近所中に大評判となり、最後は商家のお嫁さんがその袋に姑の悪口を言うまでに、ということを描いたお話。作者は明治大正の実業家にして劇作家でもあった益田太郎冠者。正直、お話はたわいもない。しかし、それをいかに面白く演じるかが落語である。春風亭正太郎は緩急の抑揚をつけながら、噺を巧く進めていく。特におかみさんの嫉妬する表情や喋りは滑稽。彼にはこの噺が合う。あと蛇足だが、マクラで正太郎と奥さんが京都旅行に行った時に正太郎が「鳥獣戯画、見に行かない?」と言ったら、奥さんは「なんでそんな大容量のスマホが欲しいの」と。これには腹を抱えた。

ゲストの入船亭扇遊は今年3月に芸術選奨を受賞。もはや誰もが認める落語名人の一人。そして、その芸はあくまで清麗にしてスマート、そしてシックである。マクラ以外では余計なことをほどんど喋らない。下手な下ネタなどを入れない。とにかく格好いい落語家である。その師匠が意外にも「棒鱈」を披露。その話ぶりは小気味よく、前座や二つ目が演じる「棒鱈」とは一味も二味も違う。酒を飲むさま、胡椒でくしゃみをする仕草は秀逸で名人ならではと感心させらる。

対談では正太郎の師匠である春風亭正朝がまだ学生で、前座だった扇遊師匠の話を批評されて、師匠はムカついたといい、その正朝師匠が5代目春風亭柳朝に入門して寄席で会った時に「お前かあ」と叫んだのは爆笑モノ。これには、弟子の正太郎が平謝りでおかしかった。

正太郎の「死神」は決して怖くない。なったって、呪文が「アジャラカモクレン、アパマンショップ、テケレッツのパー」である。風刺をきかせていることによって、話がちょっと現実的になってしまう。それゆえに、話の比重はどうしても死神より一攫千金を求める男の方にいってしまう。それゆえか、男が商家で値段を吊り上げていく貪欲さや、枕元で死神が寝てしまう描写などが傑出している。これまでに春風亭小朝や柳家喬太郎が演じる怖い「死神」を聞いてきたが、正太郎のようにさっぱりした「死神」も悪くはない。ただ、もっと強欲な医者になった男の弱さをもう少し際立たせてもらいたかった。いずれ正太郎が真打になってからの「死神」を聞いてみたい。