土曜日, 8月 30, 2008

コンビニ規制より深夜テレビ自粛を

コンビニの深夜営業自粛などを話し合う京都市の「環境にやさしいライフスタイルを考える市民会議」の会合が27日に始まった。これは地球温暖化対策や夜型生活を見直すなどを名目した会議のようであり、会議の冒頭に京都市長が「青少年の健全育成や家族のきずなを強めるということからいろいろ考えた方がいい」と述べたという。

これに対して参加を要請されていたコンビニの団体である日本フランチャイズチェーン協会は「会議は公平性を欠き、自粛要請ありきだ」として不参加を表明した。当然であろう。8月28日付けの読売新聞によると「こうした動きに、日本フランチャイズチェーン協会は『自粛しても、二酸化炭素排出量の削減効果はわずか。交番や駐在所が減少する中、まちの安全拠点としての役割も大きい』と反発。どの自治体からの自粛要請も受け入れない考えを示している」と書いている。

日本フランチャイズチェーン協会によれば、深夜営業を自粛すると売り上げの2割が減る上に、冷蔵庫の電源を落とすわけにはいかないので、温暖化対策にはならないと指摘している。投資経済データリンクというHPの記事によると、コンビニの規制によって3,633億円の市場が影響を受ると書いている。つまり、3,633億円すべてとはいわないが、相当額な経済的損失をうけるのである。ここまでしてコンビニの深夜営業を規制する必要があるのであろうか。

コンビニを規制するならば、深夜テレビ(午前1時から午前5時ぐらい)の自粛の方が先決ではなかろうか。前述の投資経済データリンクによれば、深夜放送の自粛の場合は年間844億円の市場が消失すると書いている。しかし、逆に深夜テレビを自粛することによる経済効果も期待される。

深夜テレビがなくなれば、まずテレビの録画や再生のためにDVDなどデジタル放送機器を買う人が増える。これは地上デジタル放送の販売促進にもなる。これによって馬鹿げたデジタル放送推進予算も減らせるはずだ。この他にも、読書する人が増える。CDを聴く人が増える。フェミレスやコンビニの売り上げがあがる。子供が増える。などなどいろいろな経済効果が考えられる。コンビニ規制よりこちらの方が間違いなく経済効果が見込めるので、先決なのではなかろうか。

それではなぜ、深夜テレビの自粛が話題にならないかと言えば、それは新聞社がヘゲモニーをもっているマスコミが取り上げないからである。所詮テレビ局は新聞社の子会社であり、天下り機関でもあるのだから、自分たちで自分の首をしめたりはしない。マスコミも所詮権力者と変わらないのである。

深夜のコンビニ規制よりも、まずは深夜のテレビ規制(自粛?)の方が「環境にやさしいライフスタイル」である。京都市の会議のみなさんも、頭をやわらかくして、まずは矛先をコンビにでなくマスコミに向けてはどうだろうか。それにしても、政府や自治体がこうしたコンビニやテレビなどライフスタイルに規制をかけること自体がおかしい。

投資経済データリンク
http://blog.h-h.jp/investnews/2008/03/10/

水曜日, 8月 27, 2008

早すぎるぞ、加奈子。悲しすぎるぞ、加奈子。

女優の深浦加奈子が48歳という若さで亡くなってしまった。

昨日の夕方のニュースでその第一報が流れたとき、思わず「エッ」と言ってしまった。ショックであった。私と同じような言葉を口走った演劇およびドラマ関係者は数多かったに違いない。

深浦加奈子は明治大学在学中の1980年に、川村毅率いる第三エロチカの旗揚げに参加した。そして、89年に退団するまでに看板女優として、80年代小劇場ブームのど真ん中を歩んだ。退団後はその演劇力を買われて、舞台だけでなくドラマ、映画と仕事の幅を広げていった。


ここまで書いて、文章が続かなくなってしまった・・・。


私は80年代に2度ほど舞台で彼女と仕事をしている。

とにかく残念でならない。そして、彼女の知人ならば誰もが「早すぎるぞ、加奈子。悲しすぎるぞ、加奈子」と言っていると思う。

ご冥福をお祈りします。

火曜日, 8月 26, 2008

近くのコンビ二の閉店は痛い

先週、家から一番近いコンビ二が閉店になってしまった。売り上げが悪かったわけではなく、ビルとの契約切れ(ビルを建て直すようだが、いつになるか未定)のためである。

私にとってこのコンビニ閉店は非常に痛い。ここでいつも昼飯のサンドウィッチやお弁当などを買っていた。ビール、酎ハイ、水、お茶も買っていた。スポーツ新聞、夕刊紙、競馬新聞、週刊誌、月刊誌も買っていた。ティッシュやゴミ袋も買っていた。電池や香典袋も買っていた。本当にいろいろなものを買っていた。それらをもう買いに行くことはできなくなった。

このためにスポーツ新聞は宅配を頼まざるをえなくなったし、雑誌もいくつかは定期購読をしようか思案中である。

すぐ近くに碑文谷ダイエー(7階建て)があり、買物には事欠かないのだが、器が大きすぎるためにいくつものフロアに行かなければならない。そう考えるとコンビ二の便利さを痛感する。日常生活に大きな支障である。

碑文谷ダイエーの1階にコンビニを作ってくれないかなぁ・・・。(笑)

ダイエー碑文谷店
http://shop.daiei.co.jp/shop/ShopPageTop.do?shopid=0284

土曜日, 8月 23, 2008

セリーグしか知らない星野では世界に勝てない

私はプロ野球ファンである。今回のオリンピックで日本プロ野球悲願の優勝することを願っていた。しかし、実はその可能性は低いと疑っていた。結果は案の定である。というのも、タイトルに書いたように、セリーグしか知らない星野仙一では勝てないと思っていたからである。

星野仙一という男は中日と阪神でリーグ優勝経験はあるものの、日本一になっていない。つまり短期決戦に勝てない監督なのだ。今回のオリンピックやWBC(ワールド・ボールベース・クラシック)などような短期決戦では、知力と運を兼ねそなえた監督でないと勝てない。そういう意味では、最初から星野は日本代表の監督に向いていないのである。

その星野が選んだ首脳陣も問題である。山本浩二、田淵幸一という仲良しトリオに、大野豊ではあまりにも野球の世界観が狭すぎる首脳陣である。というのも、この4人のなかでパリーグを経験したことがあるのは田淵ひとりだけ。他の3人はパリーグで一度もプレイおよび指導をしたことがない。つまり、この首脳陣はパリーグ野球を熟知していないのだ。加えて、星野は日本人選手のメジャーリーグ進出に批判的であり、世界最高峰の野球であるメジャーリーグもほとんど知らない。このように、基本的に首脳陣の野球観が広くないのである。ちなみに、WBCのとき王貞治監督はコーチ陣全員をセパ両リーグ経験者で固めていた。

次に選手選考がおかしい。24人しかない選手枠なのにキャッチャーを3人にしたことが不思議でならない。ブルペン・キャッチャーが入れられないので、3人にしたというが、やはり1人は小笠原(巨人)、和田(中日)、北川(オリックス)のようなキャッチャー経験の野手をいるべきであった。もし、ブルペン・キャッチャーがいないときは田淵がやるぐらいの気構えが欲しかった。

そして、最大の問題は選手起用法である。すでにいろいろなところで言ったり書いたりしてきたが、星野の中日および阪神選手偏重の選手起用には呆れはてた。新井(阪神)の4番は解るとしても、第1戦、第2戦の3番に森野(中日)を起用したことには啞然とした。3番打者はある意味で4番打者より重要なのに、国際経験の乏しい森野を据えたことは、星野の選手起用がいかに盲目的であるかを象徴しているようであった。加えて、投手起用にしても重要な場面では常に中日・阪神の投手を登板させて、ほとんどが裏目に出ている。つまり、星野は子飼いの選手しか信用していないのである。しかし、結果としてそれがことごとく裏切られた。

これ以上書くと、選手個々の批判になってしまうので止めるが、星野には二度とジャパンのユニフォームを着てもらいたくない。来年3月開催予定のWBC監督なんてもってのほかである。

最後に余談になるが、日本のプロ野球はもっと国際化を進めるべきである。ボールを国際球と同様のものにする。ストライク・ボール・アウトの呼び方、つまりSBOをBSOにする。年に何回は国際審判員を起用して公式戦を行う。また、両翼98メートル以下センター115メートル以下の狭い球場での公式戦を行わないなど、あらゆる面で世界基準にすべきである。

最後の最後に、日本プロ野球機構が用意していたであろう報奨金はすべて女子ソフトボール・チームにあげてほしい。

木曜日, 8月 21, 2008

枕はどちら向き

枕の向きを気にする人は結構多い。私はまったく無頓着で、部屋の作りによって枕の位置はあちらこちらを向いている。現在の寝室では南側に枕が置いてある。しかし、何年か前に部屋替えをするまでは西向きであった。以前借りていた高田馬場の仕事場で、週2〜3回は寝床として使っていたソファ(折りたたみ式)の枕は北向きにあった。

旅行に行っても枕の向きは都合のいいように変えている。ホテルはベッドなのでさすがに変えようがないが、旅館では夜になって布団が敷かれても、テレビや机の配置などによって好き勝手に変えたりしてしまう。もちろん、そのときに南がどっち、北がどっちなどと考えようもしない。

日本では昔から「北枕」は縁起が悪いと言われてきているが、風水などでは「北枕」と「東枕」が良いとされているようだ。北は落ち着く方向で、ゆったりと眠られ身体にたまった悪い運気を流してくれるそうだ。また、東は発展の運気や若々しい気を与えてくれる方角のようで、「東枕」は別名「若返りの枕」とも言うそうである。しかし、風水をよく知らないというか、そういうことに興味のない私にとっては、これまたどうでもいい話である。

東南アジアやアメリカではあまり枕の向きの話を聞いたことない。枕の向きより枕の高さや柔らかさを調整しろとは言われたりすることはよくあるが・・・。

火曜日, 8月 19, 2008

『バス通り裏』の元子さん

その昔『バス通り裏』というテレビドラマがNHKにあった。放映開始は1958年4月7日で、終了は1963年3月30日。放送時間は平日の19時15分からの15分間。夜7時のニュースのあとの生放送(当時はVTRなどなかった)だった。

下町商店街のバス通り裏に住む高校教師の赤沢家(小栗一也と織賀邦江)と、その向かいにある美容院の川田家(露原千草と武内文平)を中心に、近隣の商店街の日常生活を描いた明るいホームドラマで、朝の連続テレビ小説の原点となったとも言われる作品である。

この番組からは川田家の娘・元子役を演じた十朱幸代、その友達役を演じた岩下志麻、赤沢家の居候の五郎役を演じた佐藤英夫の3人がデビューして、後に人気者になった。他にも、宗方勝巳、田中邦衛、米倉斉加年、荒木一郎などが出演して、番組は若手俳優の登竜門的存在でもあった。

それにしても、この番組での十朱幸代が演じた元子さんは明るく溌剌としていた。「当時は私自身が女学生でしたから、学校の帰りにスタジオに行っていた。アルバイトして楽しんで通っているみたい。町で “元子さん” と呼ばれるのが嬉しかったですね」(テレビドラマ全史より)彼女の元気な姿を見ることが私も楽しみだった。そして、この番組が私をテレビドラマ好きにしたのかもしれない。しかし、それからしばらくして元子という名の子に恋するとは思わなかった。(笑)

金曜日, 8月 15, 2008

靖国神社には行かない

今日は終戦記念日である。

以前にも書いたが、私の伯父は沖縄の終戦前後に軍医として亡くなっている。それゆえに、おそらく伯父の御霊も靖国神社に祀られているのであろう。しかし、5年前に亡くなった父は靖国神社へ一度も行くことはなかった。彼も陸軍の下士官(職業軍人ではない)として、中国で終戦を迎えている。その父にしても靖国神社に対しては何かワダカマリがあったのだろう。

毎年、気象庁が東京のサクラの開花宣言を靖国神社で行っていることに対しても、私は少なからず抵抗感がある。

沖縄旅行3日目(平和の礎へお墓参り)
http://k21komatsu.blogspot.com/2008/03/blog-post_06.html

木曜日, 8月 14, 2008

肉離れは全治3週間 リハビリは一ヶ月以上

オリンピック女子マラソン代表の野口みずきが、左太もも裏肉離れのために出場を辞退した。賢明な判断と思う。オリンピックだけがすべてではないし、今後の彼女の競技人生を考えれば、今は治療およびリハビリに専念にするのが一番である。なぜ、こんなことを簡単に書けるかというと、実は私も現在肉離れの治療中であり、走ることがどれほど難しいかを痛感しているからである。

私は8月3日(日)にジムで左足ふくらぎ(ひ腹筋)の肉離れを起こしてしまった。ステップという台に上がったり降りたりするエクササイズをしている最中、着地に失敗して左足にバキッという音がした。と同時にふくらはぎが硬直して、軽い痛みが走った。音がしたので、初めはアキレス腱を切ったかなと思ったが、実際は肉離れ=筋肉断裂であった。

すぐにインストラクターたちが飛んできて、氷や保冷剤を使ってふくらはぎの損傷部分を冷却した。そして、翌日(4日)整形外科へ赴き診察をうけた。結果は全治3週間、その後は一ヶ月以上のリハビリということであった。それでも、翌日(5日)に川崎で行われるコンサートへ行くことは許され、ふくらはぎを包帯でぐるぐる巻きにして、左足を引きづりながらも駆けつけた。

肉離れの治療はとにかく冷却して安静にすることである。最初の1週間は処方の冷湿布薬「モーラス」を貼り、その上から保冷剤で足を冷やし続けた。仕事をしているときも、テレビを見ているときも、本を読んでいるときも、そして、寝るときも保冷剤を手ぬぐいで縛りつけていた。その効果が表れたのであろうか、痛みはほとんどなくなっていた。それでも、歩き方には注意して、特に階段を降りるときは今でも細心の注意を払っている。

11日に2回目の診察を受けた。先生は「あと2週間は安静にしてください。今までどおり、湿布を続けて、その上からサポーターをしてください」と言われた。また、寝るときだけは冷やしてください」とのことである。野口選手とは肉離れの損傷部分も違うが、肉離れは全治するのに3週間、それから1ヶ月以上のリハビリが必要らしい。

ということで、私もしばらくはジムで運動をすることはできない。旅に出ることもできない。先斗町へ飲みに行くこともできそうにない。ただし、地元の飲み屋へは行っている。(笑)

それにしても、私の病院好きは困ったものである。

火曜日, 8月 12, 2008

オリンピックでマスコミは大政翼賛会

高校野球ほどではないが、オリンピックもさほど興味がある方ではないので、テレビ中継をあまり見ない。それでも、好きな野球だけは今回はなんとか優勝してほしいと思っている。それ以外では、女子ホッケーとかマスコミにあまり注目されていない競技に期待を寄せている。

そんななかで、昨日女子バトミントン・ダブルス準々決勝で世界ランク8位の末綱・前田組が、世界ランク1位で第1シードのペアを下す金星を挙げた。素直にこれは嬉しかった。こうした大番狂わせは爽快である。このように各種の競技でメダルうんぬんより想定外の良い結果を出していただきたい。

それにしても、各テレビ局は朝から晩までオリンピックだらけである。膨大な放映権を払っているからである。テレビ局の親会社である新聞社も同様で、紙面はオリンピックの文字が踊っている。そして、その内容は美辞麗句とお涙頂戴記事ばかりである。どうして、男子サッカーは予選敗退したのか(あの監督は大会前にメダルがちらついていると言っていたのに)、どうして予選を突破できない水泳選手(おそらく陸上も)や、柔道で1回戦で負けるような選手を選んだのかなど批判する記事を書けないのだろうか。それは想定外の可能性があるからと、反論されるからだろうか。

日本のマスコミは大政翼賛会状態である。

月曜日, 8月 11, 2008

野茂英雄よ、ありがとう

先日、野茂英雄が現役引退を表明した。

近鉄バッファローズで活躍した野茂英雄は1995年にロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結んだ。この前年、メジャーリーグでは大きなストライキが行われ、この年も開幕戦が1ケ月も遅れた。このことから、野茂英雄が初めてメジャーのマウンドに立ったのは5月2日の対サンフランシスコ・ジャイアンツ戦で、場所はサンフランシスコのキャンドルスティック・パークだった。

そして、6月2日の7度目の登板で野茂は初勝利をあげ、それから、野茂の快進撃が始まった。投げては勝ち、投げては勝ちと連戦連勝になり、いてもいられなくなった私はその勇姿を見たいと思い、急遽ロサンゼルスまで行ってしまった。

1995年6月24日、私はドジャー・スタジアム1塁側スタンドでいた。トロネード投法から繰り出す速球とフォークボールは冴え渡り、野茂は9回13奪三振を奪い、完封勝利を得た。試合中、私は周囲のドジャース・ファンから、野茂についてあれこれ質問され、できる限りのことを答えた。アマチュア時代にすでに日本代表(アメリカでは大学のオール・アメリカンに匹敵する)だったこと、ドラフトで史上最多の8球団から同時指名を受けたこと、新人の年に最多勝をはじめありとあらゆる賞を獲得したこと、などなど知る限りのことを話した。

野茂はこの6月の活躍が評価されて、オールスターにも選ばれ先発登板する栄誉をえた。この年、野茂は13勝6敗でナショナル・リーグ新人王を獲得した。そして、翌年にはノーヒットノーランを達成した。2001年にはアメリカン・リーグのボストン・レッドソックスでもノーヒットノーランを達成ししているので、彼は両リーグでノーヒッターを成し得た。このような投手は野茂を含めて4人しかいない。

野茂が最後にメジャーに登板したのは今年の4月10日でカンザスシティ・ロイヤルズの一員としてであった。その登板は2005年7月15日以来でなんと1000日ぶりだった。

野茂英雄よ、夢と感動をありがとう。

木曜日, 8月 07, 2008

先斗町で飲んでみたい

当たり前の話だが夏は暑い。夏は祭りが多い。お盆もある。そのために人出が多い。観光客もいる。帰省客もいる。それゆえに、夏には旅に出かない。

しかし、夏に行ってみたいところはいっぱいある。なかでも、京都の貴船で川床料理を食べていみたい。そして、夜には先斗町で飲んでみたいと思う。

先斗町は南は四条通から北は三条通の一筋南にいたるまでの南北500メートル余りの細長い路地である。東側は鴨川をのぞみ、西側は高瀬川に沿った木屋町通の間にあり、京都を代表する花街のひとつである。

その昔、京都に数多くの花街があったは、現在は上七軒、祇園甲部、祇園東、宮川町、そして先斗町の5つだけだそうで、『五花街』(ごかがい)と呼ばれている。

先斗町にお茶屋が建てられたのは江戸時代の半ば頃と言われ、高瀬川を上り下りする、いわゆる高瀬舟の船頭や客目当ての旅籠が、茶くみ女を置いていたことから始まったようである。そのご、文化10年(1813年)に芸妓渡世が公儀より許され、祇園と並ぶ花街として栄えるようになったそうである。

その先斗町の通りは木屋町通と南北に平行に走っているが、その間を抜ける横(東西)の路地は何番と記されて、北から南に10数本あり、まるでビルの合間をすり抜けるかのような路地も何本かある。そして、こうした薄暗い路地の左右には、値段が安くて味もいい飲み屋が数多くある。

結局は貴船の川床料理より先斗町で飲みたいだけのようである。(笑)

日曜日, 8月 03, 2008

ラーメン屋の色紙

暑い季節にはほとんど行かないが、私はラーメン屋に飾ってある色紙が嫌いである。それこそ、言葉は悪いが「ウザイ!」のである。

いわゆる芸能人の色紙はラーメン屋に限らず、そば屋やうどん屋でも目にする。しかし、私にはあの色紙がみんな目障りでならない。壁一面に貼ってあるような店などに入ったりすると、二度と行きたくならないばかりか、その場でラーメンがマズイという気分になってしまう。

いつ頃からラーメン屋の色紙が始まったのか知らないが、当初はテレビ局や劇場や稽古場近くなどに、芸能人がお世話になっている証しという感じで色紙を書いていた。ところが、こうした風習がテレビで紹介されると、あっという間に「ラーメン屋の色紙」は全国に広まってしまった。

今では芸能人とおぼしき人がくると、食後に店主が色紙とマジックをもってきて、書いてもらうようである。まあ、頼まれればなかなかイヤとは言えないので、芸能人は仕方なしに書かざるをえない。しかし、知人の芸能人などは「「仕事などで訪れてお礼としてサインをするのはいいけど、プライベートで食べに行ってサインしてくれと言われると、その店には二度と行きたくなるね」という。

ラーメン屋にとって、芸能人の色紙をいっぱい飾ってあることが宣伝になると思っているようであるが、私には脂まみれなって飾られている色紙は汚くしか見えない。あれでは書いてくれた人にも失礼である。