月曜日, 11月 30, 2009

江戸時代へタイムスリップ(前編)

先週の月曜日(23日の勤労感謝の日)、江戸時代へタイムスリップするべく本所深川を散歩してきた。

マイ・ブームは江戸である。(笑)この4〜5年は読む本が司馬遼太郎、吉村昭、杉浦日向子、藤沢周平と、そのほとんどが江戸中期から明治初期にかけた話ばかりである。なかでも、藤沢周平には相当入れ込んでいる。というか、魔物に取り憑かれているようで、10月には海坂藩の舞台である庄内地方まで出かけてしまった。そして、今回は藤沢周平の江戸市井話を理解するべく、これまであまり行ったことがない江戸下町の面影を把握するべく本所深川を歩いてきた。

正午過ぎに東西線木場駅を出発。まずは北にある木場親水公園へ向かう。公園内には江戸情緒を醸し出すべく、木舟が置いてあったり木橋(写真上)が架っていたりする。公園を後にしたあとは要橋から西に歩き、平久川にかかる大和橋を渡り、左折して富岡八幡宮をめざす。

八幡宮には裏手から入るが、そこには歴代の横綱を顕彰している横綱力士碑(写真中)があった。境内にはちょっと遅めの七五三のお参りをする家族連れや、翌日の酉の市の準備をする人々で賑やかである。ここで目を見張ったのが、2台の大神輿。特に「御本社一の宮神輿」は重さがなんと4.5トンもあり、その大きさは日本一と言われている。それにしても、4500キロもある神輿を担ぐとなると、いったい何人で担ぐのだろうか。

富岡八幡宮を後にしてからは、一端門前仲町の商店街に出て、すぐそばにある深川不動堂(写真下)に立ち寄る。ここは成田山新勝寺の東京別院。門前の参道は「人情深川ご利益通り」と呼ばれていて、お菓子屋やおそば屋さんが多い。深川不動堂からは深川公園を抜けて、門前仲町の交差点から一気に永代橋へ進む。ここまでで約1時間のお散歩。

(以下、後編に続く)

土曜日, 11月 28, 2009

映画『ゼロの焦点』を観る

松本清張の有名小説でこれまでにも映画化やドラマ化が何度もされている。ストーリーは結婚したばかりの禎子(広末涼子)の夫・鵜原憲一(西島秀俊)が金沢で失踪。禎子はそれを解明するべく金沢に向かうが、そこで次々と事件が起きる。事件には夫の隠された過去が絡んでいるようで、関係する女2人(佐知子:中谷美紀と久子:木村多江)の存在が徐々にクローズアップされていく。

結論からいうと、可もなく不可もなくという映画だった。3人の女優陣の演技はそこそこ頑張っているとは思うが、じゃあ〜、この演技で映画賞を受賞するかというとそれほどでもない。

広末涼子は以前より目に問題がある女優だと思っている。映画のタイトルではないが、焦点が定まらないというか、目が泳いでいるというか、目に安定感がない。その意味では今回の役は不安定な役どころで適役だが、やはり最後の最後で目力を発揮しておらず、まだまだ課題の多い女優だ。

中谷美紀は一番おいしい役どころで存在感はしっかりしているものの、細かい演技力に難点がある。どことなく口先で演技をしているのが気になってしまった。3人のなかで一番地味な役だったが、木村多江は好演だった。スッピンに近いメークと訛りのある言葉に味わいがあり、さすがに一日の長を感じた。ただ、演技とは関係ないがどうして字も読めない久子が受付係をやっていたのかが不思議である。(ネタバレかな w)

さて、演出に関しては疑問がいろいろと残る。最初のニュース映像にしろ、最後の英語の挿入歌にしろ、余りにもありきたりで、今どきの学生映画でも使いそうにない手法を用いている。最後の最後の現代の映像だけで、時代を十二分に表せなかったのだろうか・・・。

映画『ゼロの焦点』公式サイト
http://www.zero-focus.jp/index.html

木曜日, 11月 26, 2009

よ〜く、憶えておこう!

気象庁は昨日(25日)、この12月から来年2月までの3ヶ月予報を発表した。それによると、エルニーニョ現象が来春まで続く可能性が大きいことなどから、日本の南の高気圧が強まり、冬型の気圧配置が長続きせず、気温は全国的に平年より高い見通し。

降水量は東日本の日本海側で少ないほかは、他は平年並みか多い見込み。降雪量は北日本では平年並みか少ない可能性だが、東日本・西日本は少ない見込みとのこと。

つまり、全国的に暖冬の予報である。
ということを、よ〜く、憶えておこう!

気象庁 3ヶ月予報
http://tenki.jp/long/?forecast_span=three_month

金曜日, 11月 20, 2009

野球が終わったら、観るものがないねぇ

朝食を食べていると、母親が唐突に「野球が終わると、観るものがないねぇ」と言うのである。ちょっと耳を疑った。えっ、『はなまるマーケット』とか『ちい散歩』とかCSでやっている天気予報を観ているんじゃないの、と思ってしまった。

母親は野球好きである。戦前、樺太に住んでいたときに職業野球を観にいったのがキッカケで野球のルールを覚えたらしい。亡くなった父親とも2人して後楽園球場、神宮球場、横浜球場にプロ野球を観に行ったりしていた。

今ではさすがに球場まで足を運ばないが、夜はたいして観るものがないときはCSやBSでプロ野球を観ている。また、朝もNHK-BSで放送されているメジャーリーグの試合を結構楽しく観ている。今年はご贔屓のデレク・ジーターがいるヤンキースがワールド・シリーズで勝ったのでかなりご満悦であったはずだ。それゆえに、「野球が終わると、観るものがないねぇ」なのかもしれない。

話は少し飛ぶかもしれないが、メジャーリーグの観客席には女性ファンが非常に多い。そして、かなり年配の御婦人の姿もみかける。しかしながら、日本では女性ファンの数は増えたものの、年配の御婦人をみかけることはほとんどない。少子高齢化社会であるから、プロ野球も年配女性ファンが行きやすい球場作りをすべきではないだろうか。

火曜日, 11月 17, 2009

大正・昭和と昭和・平成の狭間生まれ

久しぶりに昔の飲み屋仲間と一緒になった。このメンバーと飲むといろいろな話ができて楽しい。その中で、やはり飲み屋仲間の1人であったK爺さんが先日亡くなられたという話を聞いた。残念である。

客A「K爺さんは大正15年生まれだったから、えっと・・・84歳だったのかな」
客B「残念ですけど、男の平均寿命を越していますから・・・」
客C「K爺さんと同級生のT爺さんはお元気ですかねぇ」

K爺さんとT爺さんは同学年ということもあり、いつも仲良くカウンターで昔話に花を咲かせていた。

客A「K爺さんとT爺さんは同学年なんだけど、年齢は2つ違うんだよね」
客D「どちらかがご病気したとか・・・」
客A「K爺さんは大正15年生まれで、T爺さんは昭和2年の早生まれなんだ」
客B「昭和元年というのは、12月25日から12月31日までの7日間しかいないね」
客D「となると、大正15年生まれ、昭和元年生まれ、昭和2年生まれは一緒になりますね」
客C「これって、昭和と平成でも同じですよね」
客B「そうなんですよ。うちのクラスにも昭和64年生まれという人が1人いるんですよ」
客A「それは希少価値ですねぇ」(笑)

御存じのように平成元年は1月8日から始まっている。つまり前日の1月7日までは昭和64年である。

客D「昭和63年生まれ、昭和64年生まれ、そして平成元年の早生まれは同級生なわけですね」
客B「でも、大学だと浪人して来る人もいますから、一概に言えませんが・・・」
客A「そりゃそうだ」
客C「先生がそんなこと言っていいんですか」
客B「内緒、内緒・・・」(笑)

もう一度K爺さんともこういう話をしたかった。

月曜日, 11月 16, 2009

日本人ほど血液型判断の好きな人種はいない

血液型は全世界何処へ行っても4つしかない。海外では占星術などが盛んだが、日本人ほど血液型相性判断や性格判断を好む国はない。飲み屋でも血液型の話をする人は非常に多い。一昨晩行った飲み屋でも、なぜか血液型で盛り上がるグループがいた。また、先日のMixiニュースにも「相性がよくないと思う血液型の組み合わせランキング」というのがあり、《男性A型×女性B型》の組み合わせが一番悪いそうである。

それでは、日本には《男性A型×女性B型》の夫婦やカップルが1組もいないのだろうか。そんなことはありえない。おそらく何十万組といるに違いない。それらの人々は相性がよくないから離婚でもするのだろうか。もしそうだとすると、私はB型の女性とお付合いすることができなくなってしまう。

これまでの経験則からすると、飲み屋などで血液型の話を持ちだすのは、なぜかB型の人が多い。ということで、私はB型の人は血液型話が好きであるという性格判断をしている。まあ、こういうことを言うから《男性A型×女性B型》が一番相性が悪いのだ、と言われるのかもしれない。(笑)

土曜日, 11月 14, 2009

マッサージのおばさんとヤマハ音楽教室

行きつけのマッサージ店の馴染みのおばさん(私とほぼ同年齢)が、薮から棒に「小松さんは子供の頃にピアノとかやっていたんですか」と聞いてきた。

「ええ、小学校5年生ぐらいまでやっていました」
「孫がピアノをやりたいと言い始めたんですよ」
「おいくつですか」
「4歳半」
「いいんじゃないですか。物心つく前からピアノ始める人は多いですよ。私もいつ始めたか全然覚えていません。おそらく幼稚園のときだったと思いますが」

と答える間に、おばさんの指や手や肘が容赦なしに、私の腰部を攻撃していく。半分ヒィ〜ヒィ〜呻きながら答えている。

「ピアノをやるといいことありますかねぇ」
「あると思いますよ。感性が広がるというか・・・、イテテテ〜〜〜」
「感性ですか。お転婆も直りますかねぇ」
「直ると思いますよ。姿勢とかよくなるし・・・、ウ、ウ、ウ〜〜〜」
「お友達とか減ったりしませんかねぇ」
「新たなお友達ができる・・・、ヒィ〜〜〜〜」
「ピアノって高いですよねぇ」
「電子ピアノだったら5万円ぐらいで・・・・、オモチャならばもっと・・・」
「そうですか。それならば私でも買ってあげられますね」
「はい。ただ、良い先生につかないと、長続きしませんので・・・・・」
「私のようにですか」(笑)
「ウ、ウ、ウギュ〜〜〜〜」
「解りました。ありがとうございます」
「なんかこういう話をしていると、私もまたピアノを弾きたくなってきますね」
「あらそうですか。目の前にヤマハ音楽教室がありますよ」

マッサージ台に伏せていた顔をあげてみると、ガラス窓の向こうには「ヤマハ音楽教室」「大人の音楽レッスン」という文字があるではないか。おばさんはヤマハ音楽教室の回し者なのかと思ってしまった。w

木曜日, 11月 12, 2009

藤沢周平ゆかりの部屋に泊まる

先月上旬に庄内地方を訪れたとき、藤沢周平ゆかりの宿・湯田川温泉「九兵衛旅館」に泊まったが、そのときに幸運にも彼が好んだという部屋「桂の間」を利用することができた。

藤沢周平(本名:小菅留治)は1927年(昭和2年)12月に湯田川温泉の近くの旧山形県東田川郡黄金村(現在の鶴岡市高坂)に生まれた。彼は1959年(昭和24年)に山形師範学校(現山形大学)を卒業。その後、当時の西田川郡湯田川村立湯田川中学校へ赴任した。そして、彼はここで国語、英語、社会などを教えていた。


九兵衛旅館の女将(大滝澄子さん)はそんな小菅先生の教え子のひとりであり、先生が作家となってからは、帰省の際にはここの旅館に泊まり、そのことから、ここが藤沢周平ゆかりの宿となった。

旅館は湯田川温泉のメイン通りから一歩奥に入ったところにあるが、建物はつい最近(平成21年5月)リニューアルしたばかりのため、綺麗に整備されていてロビーや廊下に余計なものなどが置かれてなく、広々としていて気持ちがいい。また、廊下も畳敷きで暖かみがある。
また、若い庄内美人のスタッフの応対もテキパキしていて、これまた気持ちがよかった。料理の味付けも濃くもなく薄くもなく、私の舌にマッチしていたし、名物の芋煮も美味であった。もちろん温泉もゆったりとした広さでゆっくりとくつろげることできた。

藤沢周平がよく利用した部屋からは春になると白い馬酔木の花と薄い黄色を散らしたようなサンシュの花が見えるそうであるが、私が泊まったのは10月であったので見ることができなかった。というより、私にはそれがどのような木であることが解るはずもない。(苦笑)

写真上:ロビー横にある藤沢周平コーナー
  中:藤沢周平が好んだ桂の間
  下:客室へ通じる廊下脇の読書コーナー

追記:この九兵衛旅館では藤沢周平関連の無料でDVDを見ることができ、私も久しぶりに内野聖陽・水野真紀主演の『蝉しぐれ』(NHK)を借りて見てしまった。

水曜日, 11月 11, 2009

週末は俄(にわか)ペンキ塗り職人に

先月から週末の時間のあるときに、秋の陽射しのもとでペンキ塗りをしている。何処にペンキを塗っているかというと、ベランダ柵、屋上の柵、屋上への階段の柵や床など雨に濡れてサビつくところで、塗る面積はかなり広い。

先日、雨漏り修理のときにきた業者さんに聞いたら、「これをペンキ屋さんに頼んだら、職人3人で3日、ペンキ代などを入れると何十万円かかりますよ」と言われた。別にお金をケチるつもりはないが(結果的にはしているが)、最近は仕事も少なくなったし、ちょっとした運動にもなるからと、自分でできる範囲内はやろうということにした。

ということで、ペンキ塗りを始めたはよかったが、これが時間がかかる。実にかかる。始めのうちは簡単なところをラジオを聴きながら、鼻歌まじりにペンキを塗っていた。ところが、細かい部分になると本当に時間がかかる。ペランダ柵や屋上柵には縦に細い棒が無数にあり、これを塗るのには、かなりの労力と神経を費やす。先日の日曜などはあまりの疲労で翌日はマッサージに行かざるをえないくらいだった。

ペンキ塗りは心地よい陽射しのもとで行うと案外気持ちいいものである。ただし、屋上など場所によっては危険を伴うので、慎重にも慎重を重ねて作業をしている。あと、2〜3日かければ全ての作業が終了すると思うが、さて、今日は雨だが今週末の天気はどんなものだろうか。

火曜日, 11月 10, 2009

金曜日を持て余す人たち

10月から通っているスポーツ・ジムの定休日が毎週金曜日となった。それまでは10日・20日・30日だったが、この日が土日祝日に当たると営業していたので、定休日は月にだいたい2回だった。それが今度は倍の4回になった。

理由は景気後退によってスポーツ・ジム全体の利用者が減ったことと、金曜日の利用者が以前から少なかったためだ。私はジムへは基本的に火・木・土(もしくは日曜)の週3日は行くようにしている。ただ、土曜に用事があるときは金曜に行くことがあったが、実際に金曜に行くと利用者が少ないことに驚かされたことがあった。

ジムに毎日来ているという人は少なくない。午前中は幼稚園へ子供を送り迎えしているお母さんたちの社交場になっていたり、午後は年金生活者の遊び場にもなっているという。夜も力自慢というかマッチョ系の人たちは、日々筋肉の手入れに余念がない。また、毎晩銭湯代わりに来ているオジサンも数多い。

ということで、金曜日が定休日になってから、木曜日の夜になると、風呂場では「明日はどうしようかねぇ」という声がいつも聞こえてくる。う〜ん、みなさん、行くところがないのねぇ。家にいればいいじゃない。などと思わざるをえない。私のように「飲み屋に行けばいいじゃないの」と言っても、ジムに来ている人たちは本来が健康的で、あまりお酒を飲んだりしない。それゆえに、オジサン、オバサンたちは金曜日を持て余している。

ということで、私も金曜日夜は持て余すことがありますので、遊んでやってください。(笑)

日曜日, 11月 08, 2009

タクシー運転手が悲鳴をあげている

先月30日の日経新聞の報道によると、札幌では最大で3割以上のタクシーの減車が必要と、北海道運輸局が試算を公表した。それによると、9月30日時点で札幌には5296台が登録されているが、最も多く減らす想定では35.1%減の3435台、最低でも13.5%減の4581台が適正台数としている。

札幌ハイヤー協会会長の話ではこの10年間で売り上げは約30%も落ちているので、現状では減車をせざるをえないとのことである。このことは札幌だけでなく全国各地で具体化しはじめている。

タクシーは小泉政権下の2002年に台数の規制がなくなり、新規参入が容易になった。そのために、タクシーの台数は野放し状態になり、東京でも45,000台前後だったタクシーの数が59,964台(平成20年3月末)まで膨れ上がった。このために、以前は運転手1人当たりの年収が342万円(税込み)あったのが、景気後退も重なって、年間100万円以上の減収になっているという。つまりおおよそではあるが、税金のこと考えると以前は手取り25万円あった月収が15万円になってしまったのである。

私はタクシーをかなり利用するが、運転手の誰もが「東京のタクシーは多すぎるよ」と言う。「10,000台は減車しないと、自分たちで自分の首をしめるよ」と口々にする。そして、こうした話をしていると、「大手広告代理店がチケットを廃止した」とか「何処何処の会社が夜10時以降のタクシー券をダメにした」と、悪い話ばかりで悲鳴をあげている。

タクシーの規制緩和は競争意識を高めサービスが向上する、という考えだったが、これはどうやら完全に裏目に出たようであり、もはやサービス向上以前の死活問題となってしまった。タクシーは景気のバロメーターのひとつでもある。ある程度の減車によって見せかけかもしれないが、景気回復への布石を作る必要性があるのではないだろうか。

金曜日, 11月 06, 2009

松井秀喜のチャンピオン・リングは何処で

ニューヨーク・ヤンキースが27回目のワールド・シリーズ制覇を成し遂げた。MVPを獲得した松井秀喜もこれで念願のチャンピオン・リングを手にする。

チャンピオン・リングというのはワールド・シリーズを制覇したチームだけが作ることが許されているリングのことをいう。このチャンピオン・リングがいつからメジャーリーグで始ったのかはよく知らないが、ヤンキースの往年の名選手ヨギ・ベラが10個ももっているそうだから、第2次世界大戦以前にはすでにあったと思われる。

さて、このチャンピオン・リングを最初に獲得したのは日本人選手は伊良部秀輝だ。彼は1998年、1999年にヤンキースに在籍していて、ワールド・シリーズに出場する機会はなかったものの、2年連続して手にすることができた。次に獲得したのは2005年のチャンピオンになったシカゴ・ホワイトソックスの井口資仁と高津臣吾だ。井口はワールド・シリーズにも出場して活躍したが、高津はその年の8月に解雇されていた。それでも、その年のチームに在籍していたことからもらうことができた。

その後も日本人選手は続々とチャンピオン・リングを手にしている。田口壮は2006年にセントルイス・カージナルスで、2008年にフィラデルフィア・フィリーズと2度も得ている。また、2007年にはボストン・レッドソックスで松坂大輔と岡島秀樹が獲得した。

そして、松井秀喜はヤンキース在籍7年目にしてついにチャンピオンリングに指を通すことができる。ただ、このチャンピオン・リングの授与式は、通常翌年のホームでの開幕戦の前に行われる。松井の契約は今年まで。まだ来年は何処でプレイするか解らない。

昨晩、通っているスポーツ・ジムの風呂でイチローの先輩にあたりメジャーリーグに詳しい人とそのことについて話した。シリーズMVPに輝いたことで、契約の内容はかなり複雑になるだろうが、松井はニューヨークで来年もプレイをしそうだと結論に達した。ただし、ヤンキース・スタジアムに広告を出している日本企業の料金は上がるかもしれないね、と顔を見合わせて風呂の中で笑った。

月曜日, 11月 02, 2009

AC公共広告機構のCMが変わった!

8月にこのブログに書いた「公共広告機構のCMに疑問あり」のCM「したたかおばあさん」のセリフが全面的に変わった。映像は全く変わっていないのに、セリフが様変わりした。どうやら、私のような批判が相次いで、変えざるをえなかったのであろう。

その違いは下記の画像を比較してもらえれば一目瞭然である。以前のバージョンでは電話のなかの息子は全く自分の名前を名乗らなかったが、新しいバージョンでは「こうたろう」としっかり名乗っている。また、前回の気になった息子の妙なアクセントのある訛りも少し解消されマシになった。

このようにCMは改善されたが、やはり電話をかけるときは、まずは自分から名乗るようにしてもらいたい。

古い「したたかおばあさん」
http://www.youtube.com/watch?v=d1qnKasetyU

新しい「したたかおばあさん」
http://www.ad-c.or.jp/campaign/self_all/03/index.html

公共広告機構のCMに疑問あり
http://k21komatsu.blogspot.com/2009/08/blog-post_13.html