金曜日, 11月 30, 2007

フィラデルフィア美術館展、一見の価値あり

20代30代にアメリカを旅行したとき、私は数多くの美術館や博物館を訪れた。そのなかでも印象に残っている美術館のひとつがフィラデルフィア美術館である。

映画『ロッキー』の撮影地としても知られているフィラデルフィア美術館だが、その所蔵品は約25万点にも及び、その質もメトロポリタン美術館、ボストン美術館と並ぶアメリカでも屈指の大美術館である。もし、その展示品を全部見て回るとなると、一日以上かかるだろう。

フェラデルフィア美術館は印象派の作品を数多くコレクションしている美術館として有名だが、今回の展覧会も「印象派と20世紀美術」と題している。出展されている作品はマネ、モネ、ドガ、ゴーギャン、ルノワール、ゴッホ、セザンヌといった印象派の傑作がずらりと並び、加えて、ピカソ、マティス、シャガール、ミロ、デュシャンなど20世紀の天才たちの名作も出品されている。その数は油彩画72点(うちヨーロッパ絵画57点、アメリカ絵画15点)、彫刻が5点の計77点で構成されている。

今回展示されている作品のなかでは、ルノワールの「ルグラン嬢の肖像」とピカソの「自画像」「三人の音楽師」の3点に釘付けになった。ルノワールは裸婦画が有名だが、「ルグラン嬢の肖像」は彼がまだ注文肖像画家時代に描いた作品で、その繊細で淡い色彩感覚と筆のタッチには驚かされた。ピカソの「自画像」は大胆にして華麗。若くして自分自身をここまでデフォルメする力量は凄いの一言と言わざるえない。また『三人の音楽師』はフォービズムの傑作のひとつと言われ、秀れたデッサンと滑稽さを見事に融合させていて、見るものをほのぼのとさせてくれる。

この他にも下記の作品に興味を抱いたが、どうしても女性を描いた作品が多くなってしまう。仕方がないことである。(笑)

クールベ:「スペインの女」
マネ:「カルメンに扮したエミリー・アンプルの肖像」
ブーダン:「エトルタの浜辺」
ドガ:「14歳の小さな踊り子」(彫刻)
モネ:「ポプラ並木」
ルノワール:「ルノワール夫人」
デュシャン:「画家の父の肖像」
マティス:「青いドレスの女」
モジリアーニ:「ポーランド女の肖像」
ガーバー:「室内、朝の光」

フィラデルフィア美術館展は上野の東京都美術館で12月24日まで開催中(月曜休み、最終日の月曜のみ開催)。午前9時〜午後5時。入場料は当日一般1500円とちょっとお高いが、一見の価値は十二分にあると思います。

火曜日, 11月 27, 2007

ミシュラン調査員入店お断り

東京中の飲み屋で、今もっとも話題になっている話はこのネタでしょう。

客A「あそこの店がミシュランのひとつ星なんだって」
客B「まあ、この辺りで一番高い店だからね」
客C「いくらするの?」
客A「ランチ6,000円、夜は15,000円」
客C「ここなら夜は5〜6回は飲めるね」
店主「5回以上飲めるよ。食事だけで15,000円だから、飲んだら20,000円」
客C「ヒェ〜、だな」
客D「フランス人に日本料理が解かると思えないのにね」
客A「ミシュランの選んだ店って、みんな値段が高いよな」
客B「まあ、ここは最初からミシュランの対象外だしな」(笑)
店主「ミシュランはお断りですよ」
客C「わかる、わかる」
客E「入口に『ミシュラン調査員入店お断り』の看板でも出しておけば」
客B「それ、いい。うけるよ」
客C「おれの店も出そうかな」
客D「衣料品店にミシュランですかぁ」(笑)
客E「女子高生とかに受けるかもしれませんね」
店主「うちも看板だそうかなぁ」
一同「え〜〜〜」

そのうち、文房具屋さんに「駐車お断り」と同じように「ミシュラン調査員入店お断り」というプレートが売られることでしょう。(笑)

金曜日, 11月 23, 2007

夕日が目に沁みる「ALWAYS 続・三丁目の夕日」

これから下記に書く日記には、映画のネタバレがかなり含まれていますので、映画をこれからご覧になろうとしている人はなるべく読まないようにしてください。お願いします。(笑)





ネットにある数多くの映画評やマスコミの論調は「前作を上回る出来」と書いているが、私には残念ながらそうは思えない。どう贔屓目にみても「前作と同等ぐらいの出来」もしくは「前作に同等ぐらいの上出来」である。

お話は前作同様夕日町三丁目に済んでいる人々を描いていて、主要キャストは前作と全く変らない。前作で話題になった昭和30年代を再現したCGは今回も全編にうまく散りばらめられている。その完成度は非常に高いのだが、あまりにもCGで再現されているシーンが多いせいか、その時代を実際に知っている私としては、何故か時折白々しく見えたりしてしまった。このために、前作では全編に漂っていた昭和30年代の郷愁感というか哀愁感が、私には薄らいでしまった。

映画の冒頭、私と同い年のゴジラが夢の世界で登場する。このシーンはすべてCGで撮影されていて迫力満点で効果的なのだが、どうも納得がいかない。というのも、やはりゴジラは人間が入ってうごく着ぐるみの動きの方がしっくりくるからだろう。いずれゴジラ映画は復活するだろうが、もし全編にわたってゴジラがCGだったら、興ざめするに違いない。せめて着ぐるみとCGをうまくミックスして製作してほしいものである。

少し話が脱線するがゴジラは第1作が昭和29年に公開され、第2作が昭和30年で、その後は昭和37年まで製作されていない。となると、この映画は昭和34年が舞台なので、冒頭でゴジラを登場させることは時代考証的には少し無理がある。だが、その意気込みだけは買いたい。

ゴジラ以外にも、昭和30年代の東京駅前、羽田空港、日本橋、特急こだまなどがCGで再現されている。その映像は実に素晴らしい出来ばえである。人によっては昔の東京を見ているのではないかと錯覚するかもしれない。ただ、天の邪鬼なのかもしれないが、自分の記憶とオーバーラップはできるても、どうもうまく感情移入できなかった。なぜなのだろうか。それは私のなかにある残像がカラーでなく、映画ニュースや写真などにあるものがモノクロかセピアでしかないからであろうか。

さて、お話の方だが、前作は鈴木オートをメインに描かれていて、堤真一と薬師丸ひろ子の演技に驚嘆させられたが、今回は茶川竜之介(吉岡秀隆)と淳之介(須賀健太)の話がメインになっている。それでも、鈴木夫妻のそれぞれの戦争秘話なども描かれている。また、鈴木家に世話になる親戚の娘の美加(小池彩夢)や、六子(堀北真希)の幼馴染の武雄(浅利洋介)らが登場して、話が少々もりだくさん気味になる。

しかし、映画の後半は茶川が芥川賞に臨む話に集約されていく。しかし、話の展開が誰にでも簡単に読めてしまう。それでも、観客を飽きさせないものは何故なのであろうか。昭和30年代の人間関係の良さなのだろうか。それともしっかりとした人物描写ができているからだろうか。答えは最後に登場する夕日のシーンに凝縮されているようであった。

結論、この映画は前作と2本で1作品である。前作をご覧になっている方は、間違いなく観るべき作品だ。前作を観ていないで、この映画に興味ある方、先にDVDかビデオで前作を観ておいた方がいいかもしれない。ただ、こう書くと東宝の思うツボでイヤなのだが・・・。ブツブツブツブツ。(笑)

木曜日, 11月 22, 2007

安いワインが一番おいしいと思う。ウィツ!

東京の巷ではミシュランの話題でもちきりだ。で、昨晩は料理には全く無頓着な友人に無理矢理ボージョレ・ヌーボーを飲まされた。

昨年の日記にも書いたが、私はボージョレ・ヌーボーが好きではない。理由は簡単である。ボージョレ・ヌーボーはめちゃくちゃまずいからだ。これは単なるアルコール入り葡萄ジュースとしか思えない。それなのにソムリエやメーカーは毎年お題目のように「フルーティで飲みやすく、今年のワインは近年で最高」などと嘘八百をいう。

で、今晩飲んだお味の結果は予想通りまずかった。それでも、味オンチの友人は「うまい、うまい」と言いながら何杯も飲んでいた。こういう奴がミシュランに騙されるのだ。

日本人はどうしてこうもヴァレンタイン・デーやハロウィーンなど西洋のお祭りが好きなのだろうか。まったく西洋人にとって日本人はいいカモネギだ。地元でボトル数百円以下で飲めるワインを2500円以上も払って飲んでいる。お馬鹿さん以外の何ものでない。

ところで、そこのボージョレ・ヌーボー通の方、アメリカ東海岸ヴァージニア州でワインを作っているって、知っていますか?

私はコンビニで買える安いカリフォルニアやチリのワインが一番おいしいと思います。ウィツ!
(飲み過ぎに注意)

水曜日, 11月 21, 2007

日本人があまり行かない観光地 オレゴン・コースト


太平洋を挟んで日本の対岸にあるオレゴン・コースト。冷たい海流の関係でほとんど泳ぐことはできないが、約600キロにおよぶ海岸線は、切り立った崖、白い砂が広がる浜辺、そしてその浜辺に迫る森林と、起伏に富んだ光景は日本では目にできない、雄大にして美しい光景が広がる海岸線である。

オレゴンは日本から飛行機に乗って約8時間。シアトルのあるワシントンとカリフォルニアに挟まれているせいか、ここを訪れる日本人観光客は非常に少ない。オレゴンには観光客を呼ぶような大都市もアミューズメントパークもない。ただ、オレゴンには日本の北海道のような豊かな自然がある。

日本の約3分2の広さのオレゴンには、豊饒な森林、常に白い雪をいただく山々、ドラマチックな渓谷など自然の美しさが保たれている。そのなかでも、オレゴン・コーストは何も海岸線が広がるだけだが、ゆっくりと流れる時間がある。コースト沿いには養殖業で栄えるニューポート、リゾート地のリンカーン・シティ、野生動物が生息するフローレンスなどいくもの小さいながらも魅力的な町も散在している。

サンフランシスコからロサンゼルスへのカリフォルニア・コースト101号線をドライブする人は日本人にも数多いが、オレゴン・コーストをドライブする人はほとんどいない。

オレゴンコースト・スライドショー
http://otc.traveloregon.psykel.com/japanese/slideshow.cfm?regionNum=1&CFID=80401&CFTOKEN=50628581

火曜日, 11月 20, 2007

スカートめくりが好きだった

小学生の頃(1960年代です)、スカートめくりが好きだった。といっても、毎日のようにスカートをめくるのでは女の子にも嫌われるので、不意をついて効果的にするのが好きだった。いわゆる確信犯です。(笑)では、なぜスカートをめくるかといえば、別に女の子の穿いているパンツを見たいわけではありませんでした。脚を見たいわけでもなかった。キャーッという女の子の姿を見たかっただけで、そのあとに見せるふくれっつらがとても可愛く愛おしかったのです。今思えば、なんと大人げなかったのでしょう。(笑)

ウィキペディア(Wikipedia)によると、スカートめくりの起源は、マリリン・モンローが映画『七年目の浮気』で見せたあの有名なスカートの舞い上がりシーンを、子供が真似たことに端を発しているという。私がスカートをめくっていた時代はまだ男の子と女の子のじゃれあい程度ですんでいました。しかし、マンガ『ハレンチ学園』が登場した以降は、スカートめくりは小学生から中学生へ、中学生から高校生へ、そして大人へと進み、その行為はまさに破廉恥化して、女性へのセクシャルハラスメントとになった。

そして、1990年代以降はミニスカートや女の子のズボンの定着、ブルマーやハーフパンツなどによる重ね穿きなどから、男の子ににスカートをめくる行為を失わせてしまい、スカートめくりは減少していったという。

私がスカートをめくっていた女の子たちのなかには、すでにお祖母ちゃんになっている子もいる。

月曜日, 11月 19, 2007

ゲルギエフのNHK音楽祭

今年のNHK音楽祭はオペラ・バレエ音楽を主体にした音楽祭で、登場するオーケストラはパリ管弦楽団、ドレスデン国立歌劇場管弦楽団、マリインスキー劇場管弦楽団、そしてNHK交響楽団と錚々たるメンバーで行われている。すべての公演を聴きにいきたいところだが、そこまで経済的余裕はとてもないので、このなかから演目も吟味してワレリー・ゲルギエフ指揮のマリインスキー劇場管弦楽団選んだ。

この日は10数年ぶりの「妹」とのデート。久しぶりに会う彼女は体型こそ変らないが、以前に比べてすっかり落ち着いていた。その彼女に「コンサートに行くのは10数年前に一緒にサントリーホール以来」と言われて、「え、そんなことあったっけ」とまるで記憶にない私は完全に50過ぎのオッサンだ。国会議員の言う「記憶にありません」が笑えなくなってしまった。

さて、NHKホールは2日前に定期公演で行ったばかりなのだが、ロビーなどは赤と黒のペナントや花が飾ってあり、なんか音楽祭というよりクリスマス・ムード。客席は休日公演ということもあるせいか、チケットは前売の段階で完売になっていたために満席。我々の席は2階席なのだが、こちらは勝手知ったるホールなのですんなり着席できるが、この日は初めてここを訪れる人も多く、あっちへ行ったりこっちへ行ったり。加えて、2階席の案内係のお姉さん2人は全くのド素人。これまたあっちへ行ったりこっちへ行ったりで失笑すらかっていた。サントリーホールではとても考えれない光景だったので、これには私もアングリだった。

マリインスキー劇場管弦楽団はロシアのピョートル大帝時代の18世紀に創設された。1860年からはサンクトペテルブルクのマリインスキー劇場にて、数多くのオペラ、バレエを初演して名声を極めた。20世紀に入ってからも、ムラヴィンスキー、テミルカーノフといった優れた芸術監督の下で名演奏を行ってきた。そして、1988年ゲルギエフがオペラの芸術監督に選出され、彼は新人歌手を発掘・成功させて、マリインスキー劇場および管弦楽団の名を世界のトップレベルまで引き上げた。

演目(※アンコール曲)
チャイコフスキー/バレエ音楽「白鳥の湖」から
プロコフィエフ/バレエ音楽 組曲「ロメオとジュリエット」から
  〜休 憩〜
ストラヴィンスキー/バレエ音楽「春の祭典」
※チャイコフスキー/バレエ音楽「くるみ割り人形」からパパドゥ
※プロコフィエフ/オペラ「三つのオレンジへの恋」から行進曲
※チャイコフスキー/バレエ音楽「くるみ割り人形」からトレパック

最初に結論の半分、これまでNHKホールでいくつかのオケを聴いてきたが、このマリインスキーほど音量のあるオケを聴いたことはない。ホールの大きさを考えてなのかもしれないが、普段聴くN響の1.2倍いや1.5倍は音がでかい。

1曲目の「白鳥の湖」。当初の予定は「眠りの森の美女」第3幕の演奏だったが、この演目変更は大正解だったようだ。いきなりあの有名なメロディなのだが、第一ヴァイオリンと第二ヴァイオリン総勢28人が一糸乱れず弓を弾くのである。もちろん、音色も素晴らしい。ロシアのオケというのはあんまり聴いたことがないのだが、人づてに「弦も弓もボロボロだから」などと聞いていたが、そんなことは全然ない。金満ロシア経済が背景にあるせいか、弦も弓もしなやかで緊張感みなぎる音を奏でる。さすがチャイコフスキー、さすがゲルギエフという見事なものであった。

2曲目は難曲のプロコフィエフ。ここでも第一ヴァイオリンと第二ヴァイオリンは乱れません。しかし、これでは第一と第二に分かれている意味がないのでは・・・。そして、ゲルギエフは金管をこれでもかというぐらい音量を上げる。おかげで、木管がまるっきり聞こえない。金管フェチには嬉しい演奏かもしれませんが、音のメリハリやバランスを重視する私にとってこの演奏は完全にペケ。ゲルギエフが大音量主義なのかどうなのか知らないが、もし、この演奏を褒めるような評論家がいたら顔がみたいくらいであった。2階席にいても耳鳴りがするぐらいの超弩音響の演奏で正直辟易した。もう少し、音の出し入れ、抑揚と考えて指揮をしろといいたい。大きい音を出せばいいってもんじゃないぞ、ゲルギエフ。

休憩を挟んで本日のお目当ての「春の祭典」。舞台には100人近いメンバーがいる。あ〜、また大音響か〜と危惧してしまう。しかし、今度はそんな危惧も徒労に終わる。冒頭のファゴットやフルートなどの木管の音色が弱音ながらも美しい。そして、ジャンジャンジャンジャンとチェロの低音が響き渡る。いいです。痺れます。イケテマス。広いNHKホールの白い壁面を流れるかのように音が伝わってくる。ゲルギエフの指揮も前2曲と違って、身体を大きく動かしながらも慎重かつ繊細だ。時折、あまりない前髪を掻き上げては指揮をする姿はご愛嬌だが、音へのあくなき追求する姿勢はその後ろ姿からビシビシと伝わってくる。最後の《いけにえの踊り》では全身全霊をこめて指揮している印象をうけた。

私にとって今回が初ゲルギエフだったが、衝撃的な印象はさほどなかった。音量は別にして指揮そのものは大胆というわけでなく、割りとオーソドックスなタイプと見受けした。聞くところによるとゲルギエフと東京交響楽団の演奏がすばらしかったようなので、ロンドン交響楽団だけでなく日本にも単身指揮者としても来日してタクトを振っていただきたい。

金曜日, 11月 16, 2007

いつまでも閑古鳥が鳴く大相撲九州場所

相撲という世界はいつまで前近代的な世界なのだろうかと思う。今年は朝青龍騒動や時津風部屋の新弟子リンチ事件など数多くの悪材料があったとはいえ、九州場所はここ数年ずっと閑古鳥が鳴いている。収容人数9348人あるのに対して、4日目の入場者数は3971人と約3分の1しかなかった。最後の一番になっても3分2は空席なのである。こんなことでいいのだろうか。このままでは大赤字は必至という。

そもそも、大相撲の6場所制は多過ぎる。春夏秋冬の4場所でもいいのではないだろうか。東京2場所、大阪1、名古屋1にして福岡をなくせばいいので、非常に簡単でありすっきりする。

もし、6場所制を維持したいのなら、東京3場所、大阪1、名古屋1、福岡と仙台を隔年開催にすのがいいだろう。いくら夏に東北巡業があるといっても、東北出身力士が多いのだから本場所が開催されないというのも興行的にはもったいない話である。

と、こんなことを書いたところで、相撲協会は聞く耳をもたないだろう。なぜならば、こうした改革に対して相撲利権で食べている相撲茶屋が絶対に反対するからだ。つまり、大相撲改革をするにはまず相撲茶屋制度を改革しないと無理なのである。しかし、その相撲茶屋の運営しているのが、親方衆の身内だったりするので、これまた無理な話なのである。

ということで、相撲は当分の間は前近代的な世界でしかないだろう。九州場所の閑古鳥は今しばらくは鳴き続けるしかないだろう。

木曜日, 11月 15, 2007

アスレチックス vs レッドソックス@東京ドーム


メジャーリーグは来年3月25、26日に東京ドームで、オークランド・アスレチックス対ボストン・レッドソックスの開幕戦を行うと正式に発表した。このことは、先月26日のメジャーリーグのホームページでもこの2チームによる開幕戦が有力と報道されていたが、移動距離などの問題からレッドソックスの選手たちの同意がなかなか得られかったようで、対戦カードが変更される可能性もあったという。

それでは、なぜこの2チームが選ばれたかといえば理由は簡単である。アスレチックスは本来は2003年3月にイチロー(鈴木一朗)、佐々木主浩、長谷川滋利がいたシアトル・マリナーズとの開幕戦を東京ドームで迎えるはずだった。ところが、ブッシュによるイラク攻撃が不可避となったために、選手や関係者の安全を考えて中止となってしまったのである。私はそのときに苦労して開幕2戦のチケットを手に入れたが、試合は泡となって消えてしまった。しかし、チケットを払い戻したら、なぜか幻となった公式プログラムや関連グッズをもらってしまった。

当時のアスレチックスには「ビッグ3」と言われたティム・ハドソン、マーク・マルダー、バリー・ジトという3人の20勝およびサイヤング賞投手がいて、打線もエリック・チャベス、ミゲール・テハダ、ジャーメイン・ダイという強力クリーンアップを擁していた。しかし、現在のアスレチックスには「ビッグ3」はおらず、選手全部を見渡してもチェベスとマーク・エリス以外誰も残っていない。今年のアスレチックスは76勝86敗、勝率.469という散々な成績で2000年以降では最低だった。

そんなアスレチックスの対戦に選ばれたのがレッドソックスである。もはや説明の必要がないぐらい今年日本でもっとも有名になった球団である。おかげで、この開幕戦のチケットを入手するのは大変になりそうである。

なお、開幕2連戦のほかに、セ・リーグの球団とのエキシビションゲーム(オープン戦)4試合も行われる。ただ、ナベツネ新聞主催なので、どうせ巨人が2試合で、あとは阪神と中日であろう。

写真:幻となった2003年公式プログラム

水曜日, 11月 14, 2007

西鉄ライオンズと南海ホークス

「神様、仏様、稲尾様」と言われた大投手・稲尾和久氏が昨日急逝した。

1960年(昭和35年)前後のパリーグは三原脩が率いる西鉄ライオンズと、鶴岡一人が率いる南海ホークスが強く、私が好きだった東映フライヤーズは大毎オリオンズと共に常に3番手に甘んじるチームだった。

1956年から1965年までの10年間で西鉄ライオンズと南海ホークスはそれぞれ4回優勝していて(後の2回は60年の大毎オリオンズと62年の東映フライヤーズ)、パリーグは完全に西鉄と南海の2強時代だった。

それでは、なぜこの2チームが強かったかといえば、西鉄には鉄腕稲尾和久がいて、南海に下手投げの名投手杉浦忠と皆川睦雄の二人がいたからである。また、西鉄は「野武士軍団」と言われた高倉照幸、玉造陽二、豊田泰光、中西太、大下弘、仰木彬、和田博実という個性的な打線が強力だった。

私は駒沢球場か神宮球場で稲尾和久や杉浦忠、皆川睦雄の投げる姿を見ている。しかし、3人とも故人となってしまった。西鉄ライオンズのフランチャイズだった平和台球場、南海ホークスのフランチャイズ球場だった大阪球場および日生球場もすでにない。

昭和も遠くになりにつつあるのかもしれない。寂しい限りだ。

稲尾和久さん
心よりご冥福をお祈りします。そして、ありがとうございました。


[追記]中学へ登校する道沿いに玉造陽二の家があった。窓ガラス越しに見える部屋には写真やトロフィーが飾ってあり、西鉄ライオンズの隆盛を毎日垣間見ていた。玉造さんは球界を引退後、実業家になり成功したという。

月曜日, 11月 12, 2007

『ちりとてちん』が底抜けに面白い

いま放送されているNHK朝の連続テレビ小説(朝ドラ)『ちりとてちん』が面白い。

最近は民放のテレビドラマをめっきり見なくなってしまったが、過去にドラマに関する本を何冊か編集および執筆した者としては、朝ドラと大河は最低でも見るようにしている。まあ、他にも話題性のあるドラマは押さえているつもりでいるのだが。

朝ドラはいつの頃か知らないが、4月スタートを東京製作、10月スタートを大阪製作とするようになった。しかし、90年代の大阪製作の朝ドラは製作能力が弱く、東京製作と大阪製作では視聴率にかなり差が生じた。このために90年代半ばより、東京からNHKのなかでも凄腕のプロデューサーを大阪に移動させるなどテコ入れを図った。そして、99年秋放送の『あすか』あたりから大阪製作の朝ドラが面白くなり、逆に東京製作の方が『ちゅらさん』(01年春)と『純情きらり』(06年春)を除いて面白くなくなってしまった。特に前回の『どんと晴れ』や『天花』(04年春)のように無惨な作品を東京が製作している。

で、『ちりとてちん』のどこが面白いかといえば、いまのところ全てが面白い。

ヒロインを演じる貫地谷しほりの演技力は表情豊かで、一見コメディアンヌそうなのだが一本芯の通った演技も堂にいっている。最近のヒロイン(藤山直美は除く)では抜群の演技力である。加えて、脇を締める小浜の家族や飲み屋の連中たちもいい。なかでも光っているは和久井映見と松尾貴史の二人である。和久井映見もいきなり18歳の母親とは可哀想な気もするが、彼女のすっとんきょな母親は笑わせられるばかりでなく、凄さを見せつけられる。松尾貴史は普段のアクの強いキャラクターを完全に殺して、落語好きの床屋さんを地味に演じながらもドラマをまとめている。他にも京本政樹のダメ男ぶりや、江波杏子のおばあさん、きまじめ美人の佐藤めぐみ、頼もしい友人役の宮嶋麻衣などが魅力的である。

そして、このドラマがもっとも面白い最大の理由は藤本有紀の脚本だ。私はこの藤本有紀という人をよく知らない。『二千年の恋』とか『花より男子』などの脚本を書いているのだが、私はこれらのドラマを観たことがなかった。なのでどうだかよく解らないが、彼女の描くストーリーがとても新鮮でならない。なかでも、和久井映見演じる母親が本来は宅配便で送るものを、そのまま割烹着姿で抱えて大阪まで来てしまうなどといったマンガチックなことを書いていたり、つっぱりの弟弟子が飼っていた九官鳥に落語の稽古をしていたことを解らせてしまうところなど、ドラマならでの面白さを脚本のあちらこちらに入れている。また、これは誰もが言うであろうが、落語を題材にした劇中劇も非常に面白い。

ドラマではこれからヒロインの貫地谷しほりが渡瀬恒彦演じる徒然亭草若に入門して、落語家の道を進んでいく。今後は大阪を舞台に展開していくだろうが、あのユニークな小浜の家族や友人2人たちの新たなる登場と活躍も期待している。

ちなみに、「ちりとてちん」とは上方落語の演目で、東京では「酢豆腐」と言う。

「ちりとてちん」の視聴率とBSの普及率
http://k21komatsu.blogspot.com/2008/04/blog-post_03.html

土曜日, 11月 10, 2007

諏訪内晶子&パリ管弦楽団

7日に続いて、一昨日(8日)もサントリーホールでパリ管弦楽団の演奏会を聴いてきました。指揮はクリストフ・エッシェンバッハ。ヴァイオリンは日本の至宝・諏訪内晶子。7日のラン・ランのときは女性客や女子高生が多かったサントリーホールだったが、諏訪内になると俄然背広姿の男性陣が目立った。

7日の公演も素晴らしいものがありましたが、8日の公演はもう興奮の坩堝でした。チケットを買ったときはプログラムからすると「1日目の方がいいのかなぁ」なんて思っていましたが、どうしてどうして、もう昨日の公演は大当たりです。万馬券をとったような気分でした。高いお金出して2日間のチケットを買ったかいがありました。パリ管よ、ありがとう。

演目(※はアンコール曲)
チャイコフスキー/ヴァイオリン協奏曲二長調
※バッハ/無伴奏ヴァイオリンソナタ第3番よりアンダンテ
  〜休 憩〜
ラヴェル/ラ・ヴァルス
ストラヴィンスキー/バレエ音楽「火の鳥」組曲(1919年版)
※ラヴェル/ボレロ

1曲目の『ヴァイオリン協奏曲』。冒頭から諏訪内晶子の1714年製ストラディバリウス「ドルフィン」が唸ります、呻きます、軋みます、泣きます、叫びます。私はこれまでに諏訪内が奏でるこの協奏曲を2度ほど聴いているが、昨晩の演奏はもう鬼気迫るものであった。

諏訪内は出産のために昨年はほとんど演奏活動を行いませんでしたが、今年に入って再開。5月にミューザ川崎で見たときより、幾分ふっくらした感じで貫録さえ感じます。そして、その音色も以前にもまして豊饒です。低音部には明らかに母親としての強さが加わり、高音部に技術的な精密さが増した感じがしました。昨日のラン・ランを「いま最高のピアニスト」と書きましたが、諏訪内ももはや「日本の至宝」ではなく、名器「ドルフィン」と共に「世界の至宝」になりました。

プログラムには、この協奏曲は初演のときヴァイオリンの名手や批評家たちにけんもほろろにされそうだが、この人たちがもしいま諏訪内の演奏を聴いたら、何というだろうか。私は「この協奏曲は諏訪内晶子とドルフィンのためにある。いや、諏訪内晶子とドルフィンのためにこの協奏曲は生まれた」と言いたい。

さて、休憩を挟んで後半のプログラムであるが、諏訪内に酔いしれてしまった私は、休憩時間には普段はビールだけしか飲まないのに、ワインまで飲んでしまった。(笑)

『ラ・ヴァルス』とはフランス語でワルツという意味で、本来はバレエ音楽として書かれている。全体に流れるゆるやかなメロディを、エッシェンバッハは弦と2台のハープを巧みに操りながら、ちょっと幻想的で優しい音色を築き上げていった。これを聴いているとき、パリ管の十八番は昨日の『幻想交響曲』のような交響曲ではなく、バレエ音楽なのではないかと思ったが、その予想はいみじくも的中する。

3曲目の「火の鳥」組曲(1919年版)。これぞパリ管というキラビヤカにしてオシャレな演奏だった。一昨日はパリ管の弦の上手さに驚かされたが、昨日は弦の上回る木管金管打楽器陣の艶やかさを堪能させてもらった。なかでも、この曲の最後を飾るところでのトランペットとトロンボーンの上品な響きは、残念ながら日本のオケでは聴くことはできない。終演後、エッシェンバッハはクラリネット(昨日の頭剥き出し感情むき出しの人ではなかった)やファゴットなどの木管の首席をスタンディングさせていたが、私は金管のみなさんに最大の拍手を送っていました。ブラボー!

そして、アンコールがなんと『ボレロ』。『ボレロ』がアンコールなんてもちろん初めてである。ところが、いきなりアクシデント。フルートがメロディを奏ではじめると、第2ヴァイオリンの首席のお兄さんが咳込んでしまったのです。でも、エッシェンバッハは演奏を止めません。そして、なんとエッシェンバッハはタクトを振っていません。アイコンタクトで指揮をしている。咳込んでいるお兄さんは涙目ですが、演奏は続いていく。クラリネット、バスーン、ソプラニーノクラリネット、オーボエ・ダモーレ、トランペットと続いていく。そして、弦のピッチカットあたりで咳も止まり、オケは徐々にエンジンもフル回転です。そして、オケが完全に一体化して、音響もグラデーションのように上がっていき、最後にはサントリーホールの空間には情熱の赤い炎が陽炎のように見えました。凄かった。

至福の2日間だった。

木曜日, 11月 08, 2007

武蔵小杉がトンデモナイ


武蔵小杉駅前の開発が凄い。武蔵小杉とは東急東横線と南武線が交差するところで、川崎市にとっては重要な交通の要所である。しかし、駅周辺には工場が立ち並び、これまではいたって静かなローカル駅だった。

ところが、現在はかつての東京銀行(現三菱UFJ銀行)丸子グラウンドおよび東京機械製作所工場跡地に、40階以上の高層マンション建設がいくつも進んでいて、まるで西新宿のオフィス街か、豊洲の高層マンション街のような近未来都市に変わろうとしている。

これは2009年末に、横須賀線(湘南新宿ライン含む。いわゆる品鶴線)の西大井駅と新川崎駅間に武蔵小杉新駅ができることで、川崎市が広範囲にわたって再開発を行っているのである。

新駅がオープンして横須賀線および湘南新宿ラインが止まるようになると、武蔵小杉からは横須賀線で東京と横須賀へ、湘南新宿ラインで新宿と湘南へ、南武線で立川と川崎へ、東横線で渋谷と横浜みなとみらいへ、目黒線で南北線および三田線へと行くことができるようになり、通勤通学の立地条件としては最高の場所になる。そのために、東横線の武蔵小杉駅と横須賀線の武蔵小杉駅に挟まれた再開発地域にはいくつもの高層マンションが建つ予定になっている。

いくら時代の流れとはいえ、こんなに高層マンションができたら、ますます人口の一極集中は加速されていく。こうした高層マンション群の建設をみるたびに、地方の活性化が遅れていくのである。

〜 武蔵小杉南口 再開発予想図〜
http://www.alles.or.jp/~salut/gallery20040208.html

水曜日, 11月 07, 2007

老害あって一利なし

タバコは百害あって一利なしだが、読売新聞は老害あって一利なし、である。

今回の大連立構想&小沢一郎辞任劇騒動を仕掛けたのは、福田康夫総理でも小沢民主党代表でもなく、どうやら読売新聞の渡辺恒雄(ナベツネ)らであったことが徐々に判明してきた。このことに関しては、馬鹿げた報道機関の「紳士協定」(馴れ合い)によって、新聞やテレビは報道できないが、いずれ週刊誌が大々的に書くであろう。

ナベツネという男はもともとは大野伴睦の番記者を行っていて、その関係で児玉誉士夫とも、親しくなり、児玉らと共に九頭竜ダム建設の補償問題や日韓国交正常化交渉の場でも暗躍した。大野の死後は中曽根康弘元総理と親密になり、その関係は今日までも続いている。ナベツネと中曽根は共に大の改憲論者であり、その後ろ盾にはロン&ヤス以来親密なアメリカがいる。

もし、今回の大連立構想が成功すれば、憲法改正へのお膳立てができたことになり、この二人にとって万々歳である。仮に失敗したとしても、民主党だけが傷つくだけであって、読売新聞(ナベツネ)および自民党(中曽根康夫)に損することはないのである。そんなことも解らず、ひょいひょいと出てきた小沢一郎は軽薄短小であった。

ナベツネや中曽根などという過去の遺物(妖怪ではない)に踊らされた小沢は相変わらずの壊し屋だが、それに依存しようとしている民主党も所詮子どもでしかない。小沢一郎もあと半年静かにしていれば、民主党政権になろうというのを解っていたにもかかわらず、ここで一騒動起こすようでは大人げないというか、民主党議員たちを自ら信じていないことを露呈してしまった。

いずれにしろ、こうした状況が生まれるだろうことを解っていた上で、党首会談のお膳立てをつくった読売新聞はもはや報道機関でなく完全に第二の権力者である。

読売新聞を購読しているみなさん、あなたの読んでいる新聞は報道機関だけではなく、ナベツネや中曽根による情報操作を行っている特務機関でもあることをご承知ください。

火曜日, 11月 06, 2007

オザワとカメダ

客A「オザワも馬鹿だよなぁ、ナベツネやナカソネの口車にのって」
客B「フクダはヘラヘラしているのに、オザワは辞めるなんて肝っ玉小さいねぇ」
客C「オザワも全く軽薄短小だよ。なんで半年待てないないのかねぇ」
客D「半年待てば政権が転がりこんできたのに、オザワも所詮壊し屋でしかないね」
客E「オザワ、オザワって、うるさいんだよ。まったく、もう」
客C「ああ、ここにもオザワがいた」(笑)
店主「さっきから苦虫かんでいましたよ」
客B「ああ、ここのオザワちゃんは人畜無害だから平気ですよ」
客E「こら〜」
客A「オザワと言っても、昭一もいるし、征爾もいるし」
客C「カメダに比べればオザワなんて可愛いもんですね」
客B「オザワは大人しか言わないけど、カメダは子供でも言うからなぁ」
客D「小学生のカメダくんたちは学校で大変だろうなぁ」
客C「その点、オザワくんは大人にしかイジメられないだろうしな」
客E「こら〜」

昨日の飲み屋の会話は白熱していました。オザワは大人間の話で済みますが、カメダは子供たちの間でも話題になっていて、全国のカメダくんは苦い思いをしていることと思います。亀田一家、TBSならび電通などで仕事している連中は、こういうことを考えたことがあるのでしょうか。全く罪作りな連中です。もちろん、小沢一郎もですが。

土曜日, 11月 03, 2007

週刊文春の「女が嫌いな女」2007

今週発売の週刊文春が面白い記事を掲載している。タイトルは『小誌恒例「女が嫌いな女」2007 細木数子から王座を奪った「新女王様」』とある。小誌恒例とあるのが、今回で4年目を迎える。で、そのランキングは下記の通りである。( )内は昨年のランキング。

1 沢尻エリカ (圏外) 
2 細木和子  (1)
3 和田アキ子 (3)
4 神田うの  (8)
5 西川史子  (8)
6 久本雅美  (18)
7 田中真紀子 (圏外)
8 工藤静香  (20)
9 さとう珠緒 (2)
10 長澤まさみ (圏外)

以下、浜崎あゆみ、小倉優子、泉ピン子、倖田来未、青木さやか、梨花、あびる優、叶恭子、松野明美、叶姉妹、磯野貴理、熊田曜子、ほしのあき、黒木瞳、三船美佳、松田聖子、松嶋菜々子、上戸彩、デヴィ夫人、にしおかすみこ、坂下千里子と続く。

1位になったのは主演映画の舞台挨拶で無愛想な態度をしめしてバッシングされた沢尻エリカ。たった1回の失態で1位なのであるから、女性は恐い。

このランキングを見ていると、「何様という女」「図々しい女」「品がない女」「ブリッコな女」「男に媚びる女」「身体を売り物にする女」「男にもてる女」といったイメージのある女性が嫌われているようである。ちなみに、このワースト10のなかでは、私は1位の沢尻エリカと10位の長澤まさみ以外はみんな嫌いである。