月曜日, 4月 30, 2007

超興奮の一日

5日間滞在の旅行で今日は中日にあたり、当初から今日は休養日と決めていた。昨日のサンフランシスコ交響楽団の天使の歌声のせいか、それともCoorsビール3缶のせいか、朝10時までたっぷりと寝ることができた。ということで、朝食はいつものレストランでBeafed Potato & two eggsを取った。それにしても、金曜版のニューヨーク・タイムズは重い。実は私はニューヨーク・タイムズより全国紙のTODAYの方が好きである。

さて、朝食後、といってもほとんど12時に近かったが、近くの劇場で公演されている2006年トニー賞のベストミュージカルを受賞した『JERSEY BOYS』の今夜のチケットを1枚買った。今日はミュージカルでも見て、骨休めをするつもりでいた。

その後、Virgine Recordへ行きクラシックのCDの買い漁りに走る。日本より安いのかどうかわからないが、2枚組で12.99ドルはいいのではないかと思い、曲名うんぬんより2枚組のCD探しに走る。なんとなくオバサン感覚になっている。(苦笑)

エルガー交響曲1ー2など(2枚組)     $12.99
 (ユーディー・メニューイン指揮ロイヤル・フィイル)
チャイコフスキーピアノ協奏曲1ー3(2枚組)$12.99
 (Mikhail pletnef & The philharmonoia/Vadimir Fedoseyev)
シベリス交響曲1ー4(2枚組)       $12.99
 (ヘルシンキフィルハーモニック)
ベルリオーズ幻想交響曲           $12.99
 (マイケル・ティルソン・トーマス指揮サンフランシスコ交響楽団)
ベートーヴェン交響曲第9番         $12.99
 (カラヤン指揮ベルリンフィル)
ブラームス交響曲1ー4番(4枚組)     $27.99
 (ジョルグ・ショルティ指揮シカゴ交響楽団)

今のところ、最初の3枚を聴いたがエルガーはなかなかの掘り出し物かもしれない。

そして、例によって1時間ばかりの昼寝をして、あまり期待していなかった『JERSEY BOYS』を観にいった。仕事上の関係でこれまでに数限りないミュージカルを観ている。そんななかで期待したミュージカルでそれ以上の感動を得たのは『レ・ミゼラブル』だけで、『キャッツ』『オペラ座の怪人』『プロデューサーズ』といった有名作はほとんど討ち死に状態であった。

逆に全然期待しないで観た『コーラスライン』や『グランドホテル』といった作品は今でも心に残っている。そして、今夜みた『JERSEY BOYS』はとにかく感動した。

話の内容を書く前に、これからニューヨークへ行く人、そして、サンフランシスコへ行く人、絶対に見るべきです。超おすすめです。もう涙ちょちょきれもんの感動と興奮の2時間30分です。このミュージカルを見て感動しない人がいたら、あんた人生もう一度やり直ししなさいと言いたい。

お話は60年代に活躍したニュージャージー出身のフランキー・バリーとフォー・シーズンの話だが、彼らのヒット曲と同時に彼らの紆余曲折とした人生が描かれている。あのABBAの『マンマミア』は甘っちょろいラブストーリーだったが、こっちは実話がベースとなっていて、悲喜こもごもが彼らのヒット曲と一緒に綴られるのである。いや〜、見ながら何回泣いたことか。もう涙腺の制御装置が完全に破壊されました。主演の4人はいずれも芝居も歌も素晴らしく、お客さんからは常にヤンヤンヤ喝さいの拍手を浴び、そして最後は場内完全にスタンディングオベーションである。いや〜、久しぶりに興奮したミュージカルだった。凄かった〜!

これからニューヨークやサンフランシスコにいく人、もしくは住んでいる人、騙されたと思って観にいってください。あの興奮を味わってください。う〜ん、ビールがうまい!

日曜日, 4月 29, 2007

眠〜い一日

朝は8時過ぎまでは寝ているつもりだったが、結局6時半に目がさめてしまい、朝食をとってから一眠りをするべく、近くのレストランに向った。部屋の外には日経、ニューヨークタイムズ、サンフランシスコ・エキザミナーの3紙がおいてあったので、それらを抱えて、行きつけの24時間レストランで、新聞を読みながらデンバー・オムレツをたいらげる。

このお店は私のサンフランシスコ滞在ではかかせないレストランで、かれこれ5年以上はヒイキにしている。イタリア人のおじいさんが経営者なのだが、働いている人は彼の娘さん以外はみんなメキシカン。店のなかではイタリア語とスペイン語が飛び交いながらも、ちゃっと料理がでてくる不思議な店。お客も別になに食わぬ顔でいる。アメリカのレストランなんてだいたいこんなもんである。

部屋に戻って一眠りする。その後、タクシーを利用してサンフランシスコ・ジャイアンツの本拠地SBCボールパークのグッズショップに向う。歩いていけない距離ではないのだが、昨日の疲労で今日は脚をお休みさせてあげた。今年はこのSBCボールパークでオールスターが開かれるということで、すでにオールスター関係のグッズもいっぱい並んでいる。

私の友人にはジャイアンツ・ファンなどというのはあまりいないのだが、それでも本家本元のジャイアンツのグッズが欲しいというわがままなジャイアンツ・ファンがいるので、仕方がなく買いにきてやった。ちなみに、私はどちらのジャイアンツにも全く興味がなく、アスレチックスとパリーグ一筋です。

で、そのあと久しぶりにMacy'sに行き、母親向けの土産はないかと散策するが、結局なにも見つからず、ホテルにもどり、今度は近くのタイ料理店でシーフードサラダを食べて夜にそなえる。また少しうたた寝をしてから、シャワーを浴び、ちょっとオシャレをして、コンサート会場であるDavies Symihpony Hallに向う。午後7時からレクチャーを30分ほどやったのだが、これはデュトワがやるのでなく交響楽団の事務局の人がやるもので、なんのことはない「ファウスト」の説明だけで、結局あまり意味がなかった。こんなんならその分、寝ていればよかったと後の祭りである。

そして、夜8時開演。メンバーは下記の通りでかなり豪華。

演目:ベルリオーズ: 劇的物語「ファウストのごう罰」

メゾ・ソプラノ/マルグリット: ルクサンドラ・ドノーゼ
テノール/ファウスト: グレゴリー・クンデ
バス・バリトン/メフィストフェレス: ウィラード・ホワイト

合唱:サンフランシスコ交響楽団合唱団
   サンフランシスコ少女合唱団
   パシフィック少年合唱団
指揮:シャルル・デュトワ

3人の歌声は文句のつけようがありません。しかし、問題点はいくつかあり、そのことに関しては帰国してから書きます。昨日も長い一日でしたが、今度はぐっすり眠れました。

金曜日, 4月 27, 2007

長〜い1日

ここ数年1年に1回、長〜い1日を送っている。今年はその日が4月25日だった。朝は8時頃に起床。簡単な朝食をとった後、新聞を読んだりネットサーフィンをしたりダラダラと午前中を過ごし、昼過ぎに成田空港に向った。成田エクスプレスの車中でサンドウィッチを食べて、そのあとはうとうとしていると成田空港についてしまった。

ここからが長い1日の始まりのような気がする。空港カウンターでチェックインした後に、保険をかけ、両替を行う。そして、手荷物検査、出国審査を行う。慣れているとはいえ面倒くさくてならない。この一連の流れがどうにも好きになれない。といっても、これらのことをしないと海外にはいけないのだから、仕方がないといえば仕方がない。

約8時間のフライトの後、サンフランシスコには予定より20分ほど遅れて到着。入国審査、税関を特に問題もなく通過して、すぐに空港からBART (高速地下鉄)に乗り、ダウンタウンのホテルにチェックイン。ただ、まだ午前中ということもあり(日本時間ではとっくに翌日)、部屋の準備ができておらず、とりあえず荷物だけをおいて、すぐにシャルル・デュトワ指揮によるサンフランシスコ交響楽団のチケットを買いにいく。ホテルからBox Officeがある劇場まで歩いていったのだが、意外に距離が遠いのに少し戸惑う。

そのあとはNIKETOWNとLeviesへ向う。共に日本にもお店はあるが品数が全然違うので、アメリカにきたときはこの二つのお店に行くことは欠かせない。女性がブランドものを買うのと一緒かもしれない。(笑)買い物を済ませてホテルへ戻ると、部屋が準備されていて、部屋に行き少し昼寝をする。

夜はどうするか迷ったが、結局衝動的にBARTに乗って、オークランド・コロシアムまで行き、アスレチックス対マリナーズの試合を見てしまった。試合は両チームの投手が完投するという投手戦のような貧打戦の凡戦だった。城島がホームランを打ったのだが、私はそのときはトイレに行っていて目の当たりにすることはできませんでした。結果は0対2でアスレチックスの完封負け。試合も約2時間と短く、かなりフラストレーションがたまる試合だった。

こうして、結局ハードな長い一日を送ってしまった。足はパンパンに張ってしまったので、バスタブに湯をいれて、ふくらはぎをマッサージせざるをえなかった。1日40時間の疲れをとるつもりでベッドにもぐりこんだが、あまりよく眠れい。やはり時差が関係しているのだろうか、それとも興奮しているのだろうか。

火曜日, 4月 24, 2007

Let' go Oakland !

4月25日(水)より5月1日(火)まで私のご贔屓チーム、オークランド・アスレチックスの試合を見にサンフランシスコに行ってきます。関係ない話ですが、飛行機は全日空で行きます。いつもはユナイテッド航空を利用するのですが、満席で買えませんでした。どうやらアメリカ経済は堅調のようである。おかげで、急遽ANAのマイレージカードを作るはめになった。

アスレチックスは25日および26日はイチローと城島のいるシアトル・マリナーズと、27日〜29日は好調な岩村がいるタンパベイ・デビルレイズと対戦。全ての試合を見るわけではありませんが、28日はアスレチックスの主砲エリック・チャベスのバブルヘッド人形が先着15000人にプレゼントされるので、これを絶対にゲットしにいきます。また、29日には現地の日本人ファンたちが行うテールゲートBBQ(試合が始まる前に駐車場でBBQパーティ)にも参加する予定でいます。

この他に、滞在中にサンフランシスコ交響楽団がシャルル・デュトワ指揮で「ファウストの劫罰」を演奏しているので、もしチケットが入手できるようなら行きたいと思っています。というわけで、しばらくブログは書けません。まあ、パソコンはもっていきますけど。

追記:ホテルでネットが簡単につながった(有料です)ので、ブログを書いてしまいました。m(__)m

月曜日, 4月 23, 2007

失望した区議会議員選挙結果

今朝、新聞を見て落胆してしまった。参議院補選の結果ではない。地元目黒区議会議員選挙の結果である。トップ当選は須藤甚一郎。この人は芸能レポーターにして、目黒区議会の政務調査費などの不正を追及する急先鋒である。前回もトップ当選だから当然の結果かもしれない。

しかし、その次の2位から4位はすべて公明党議員。創価学会の区割りされた組織票で全員当選。目黒区議会を混乱させて、追及される矛先が自分たちに向きそうなときに勝手に辞任してしまった公明党区議団なのに、どうしようもない組織票によって全員上位当選である。目黒区にマインドコントロールされている人が1万人もいるかと思うとゾッとする。これは成人の約20人に1人の割合である。

私がもっとも失望したのは、須藤甚一郎と共に目黒区議会の不正を追及してきた無所属で現職の女性議員二人が落選したことである。目黒区民は知らないのである。彼女たちがどれだけ不正追及してきたかを。それでいて、町会や商店街といった利権組織をバックにした不正の温床である自民党および民主党議員がほとんど当選したのである。

区議会議員は本来政党所属の議員でなくていいはずである。政党のしがらみなんか関係なく、区民のことを考えてくれる人が議員になるべきである。その意味では今回の選挙結果にめちゃくちゃ失望した。今日の酒はまずそうである。

水曜日, 4月 18, 2007

選挙はまだまだ前時代的だ

私の家は碑文谷ダイエーのそばにある。そのために、日曜日の午後はうるさい。何がうるさいかというと政治家(政治屋とも言う)が街頭演説がうるさいのである。そして、今週は区議会議員選挙ということで、選挙カーはひっきりなしに通るし、入れ替わり立ち替わり演説が行われていて毎日うるさい。あと3日間我慢するしかないないのか・・・。

さて、選挙というと選挙公報なるものが配付される。しかし、先日の東京都知事選挙のときにはなぜか私の家には公報が届かなかった。昔は新聞の折り込みと一緒に入っていたのだが、今の目黒区ではシルバー人材センターというところが配付している。このシルバー人材センターがどういうものかよく知らないが、公報はちゃんと選挙人名簿を見て配付するのがスジなはずだ。それがどうやら、ボランティアという名のおじさんおばさんが選挙人名簿など確認せずに、行き当たりばったりでポストに入れているだけのようである。こんなんでいいのだろうか。

まあ、ボランティアを使うことはいいとしても、こうした配付とは別になぜコンビニやスーパー、駅の改札など有権者が手に取りやすいところに選挙公報を置かないのだろうか。また、選挙公報を選挙管理委員会がホームページでPDFにして開示すればネットで簡単に見ることもできる。日本の選挙は相変わらず前時代だ。それと、あの何十人も貼ってある選挙ポスター掲示板も投票所前だけで充分である。あの掲示板を減らすだけでかなりの選挙費用が減るはずである。いずれにしろ、日本の選挙は定数を減らすことを含めて、まだまだいっぱい改善する余地がある。

土曜日, 4月 14, 2007

土曜日はいつも雨

東京は今は晴れているが(笑)、このところ「土曜日はいつも雨」という気分だった。このことはこの2〜3年の話ではなく、10年以上にわたっていると思う。というのも、Jリーグが開設されたのは1993年5月だが、それ以降テレビで見ているJリーグの試合は雨が多いなあという印象がある。なんでサッカー選手は雨に泣かされなければならないのかと、可哀想に思うことすらある。正確なデータは気象庁に聞かないとわからないが、「土曜日はいつも雨」と感じる人は結構多いのではないだろうか

野球はドーム球場が主流になってしまったので(これはあまり好きではない)、雨が降っても平気だが、それでも球場まで行くのに傘を差していかなければという憂うつもあり、観客動員数はやはり減る。芝居の制作をしていたときの経験則から言わせてもらうと、雨の日の観客数は確実に1割から1割5分は減るのです。それぐらい雨というのは人間の行動意欲を失わせのです。

80年代の土曜はそんなに雨が降っていたような記憶がない。80年代の土曜の夜といえば、だいたい芝居を見にいって酒を飲むのが常だった。それが、バブルが崩壊した91年ごろからなぜか土曜は雨にたたられるようになった。土曜に雨が降るということは、娯楽産業やスポーツ産業の収益にとってはかなり大きい。

今テレビで見ている新潟でのJリーグの新潟vs大阪の試合も雨である。Jリーグは水曜&土曜(一部日曜)の日程を組んでいるが、水曜&日曜(一部土曜)の日程に変更した方がいいのではないだろうか。

木曜日, 4月 12, 2007

春なのに黒い服は勘弁してよ

桜の木も葉桜になりかけ、本格的な春となりました。しかし、街なかを歩く人たちの服装が華やかではありません。なぜならば、春なのに黒い服を着ている人が実に多いからです。学生服や喪服はまだしも、若い女性まで春なのに黒い服なのにはガッカリします。

黒い服は汚れが目立たないとか、痩せて見えるとか、格好良く見えるとか、セクシーに見えるとかいくつかの利点があります。しかし、町中を歩いていたり電車に乗れば、背広のおじさんや黒服のお兄さんたちに溶け込んでしまい、まるで一羽のカラスです。没個性です。もちろん、女性同士の華やかな場所に入っても、黒い服の人は自分だけが悦に入っていて、周りの人の視線は違う人にいっているはずです。

最近の日本の若い女性はとてもスタイルがよくなりました。公園にいる若いお母さんたちもみんなスタイルがいいです。日本には四季があり、女性がファッションを楽しむのに良い環境の国です。ですから、黒なんかでなくカラフルなファッションを楽しんでもらいたいです。お洒落イコール黒、という時代はとっくに終わっていると思います。

火曜日, 4月 10, 2007

東京バレエ団『白鳥の湖』(4/9公演)

チャイコフスキーの三大バレエのひとつ『白鳥の湖』。これまでにボリショイバレエ団、アメリカン・バレエ・シアターなどで何度も見ている演目である。しかし、何度見ても不思議と新鮮な余韻を残してくれる。それだけ傑作であり、逆にそれを乗り越える作品がなかなか出来ないという現実もある。まあ、それが古典たるものだが。さて、そんなことに関係なく、今回の公演のお目当ては主役のオデットを演じるポリーナ・セミオノワである。私のご贔屓ダンサー兼振付師、ウラジーミル・マラーホフの秘蔵っ子として活躍する若手プリマドンナである。

彼女はボリショイ・バレエ学校在学中にモスクワ国際コンクールで金賞を受賞。18歳にしてベルリン国立バレエ団のプリンシパルを務めている。古典バレエからモダンバレエまでなんでもこなす弱冠22歳の若手のホープで世界各国からの客演のオファーが引きもきらないという。

さて、その彼女の演技であるが、いや〜上手いです。華麗です。綺麗です。どんな美辞麗句を上げても追いつかないほど上手いです。言葉は悪いが、ヤバイです。(笑)彼女はもう存在するだけで舞っているようなのです。これまで数多くのプリマドンナを見てきましたが、若手では間違いなく最高だと思います。私の知り合いの某大学教授など、3年前に初来日したときから大絶賛していましたが、その目に狂いはありませんでした。脱帽です。まあ、どれぐらい上手いかは自分の目で確認してほしいです。公演は今日と明日とまだ二回残っていますので。

ポリーナ・セミオノワ以外にもいくつかの収穫がありました。第一幕だけしか登場しなかったが小出領子の可憐さに磨きがかかったこと、道化を演じた大島正樹の表現力が前回の『中国の不思議な役人』以上にパワーアップしたことなどある。また、四羽の白鳥を演じたアンサンブルの踊りも良かった。二十数羽の白鳥たちが膝をついてその姿を表すときの演技なども、ホンモノの白鳥を思い浮かべるほどの表現をしていた。

最後に今回の公演でちょっと驚いたのは、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団の演奏が良かったことである。これは指揮者のアレクサンドル・ソトニコフの力によるものが大きいかもしれないが、演目のなかでソロを務めたハープ、オーボエ、ヴァイオリンの音色は特筆すべきものが多かった。私は2階サイド席にいたこともあって、終演後は舞台上のダンサーに拍手をおくりながらも、オーケストラピットに目を向けていたのだが、ソトニコフはハープとオーボエらの奏者に拍手をおくっていた。また、舞台上で花束をもらった後も、一輪をハープのお姉さんにもう一輪を誰かに舞台上から投げ入れていた。彼にとってもおそらく満足な演奏だったに違いない。

日曜日, 4月 08, 2007

ママチャリを規制してくれ

私はいわゆるママチャリが大嫌いだ。私もたまに自転車に乗る。ただ私が乗る自転車はママチャリではく、いわゆるスポーツタイプのもので、私は歩道を自転車で走ることをしない。

歩道というところは本来歩行者が歩くところであって自転車が走るところではない。それがいつの頃からか、自転車も走れるようになったのだが、今では自転車、特にママチャリがわがもの顔で走っている。加えて、違法駐輪もいっぱいしている。

こうしたママチャリのなかには猛スピードで人と人の合間を走っていく暴走族やら、携帯電話をしながらやら、傘をさしながら走る無謀な片手族がいる。そして、駅前などに勝手に駐輪していく放置族。こうした自転車を運転しているヤカラを道路交通法で取り締まるべきである。

去年の自転車が加害者となった交通事故は4600件にものぼる。毎年事故は増え続け、特にこの4年間で急増している。暴走自転車および片手自転車は明らかに道路交通法違反であり、もし歩行者にケガをさせた場合は傷害罪が適用される。ケガをしなくても危ない目にあった場合でも傷害未遂として告訴することができる。

このような状態が続くようでは、取り締まりだけでなく、非常に情けないことだが自転車も免許制にした方がいいのかもしれない。そうでない限り今のような無法自転車はなくならない。

火曜日, 4月 03, 2007

桜の木の思い出

昭和30年代、私がまだ子供の頃、近くの家々には桜の木がありました。当時はどこの家も敷地が最低でも70坪はあり、庭にはいろいろな木々が植わっていました。私の家も敷地100坪の家で椿、木蓮、桜など四季おりおりに花が咲く木がありました。今となっては豪邸のような家なのかもしれませんが、昔はそれがごく一般的な家でした。

桜は開花、葉桜、紅葉と三度楽しめるとよくいいますが、うちにあった桜はそれに加えて葉桜のあとに毛虫というお邪魔虫の楽しみもありました。今となっては毛虫なんて都会ではなかなかお目にかかれません。それだけ当時は都会でも昆虫が住める環境があり、強力な農薬や殺虫剤というものが普及していなかったのです。ですから、桜の木に毛虫が発生すると、もう大変でした。家のなかに侵入するものまで出てきます。それを防ぐために、毎年DDTのような白い粉を桜の木にシュッシュッと撒いたりしたことを憶えています。

しかし、昭和も50年代になると桜の木はめっきり少なくなりました。その最大の理由は相続による土地の切り売りによるものです。また、車のガレージにするために木々を切った家も多かったです。そして、バブル期になると建て替え需要が増えて、多くの家が木造建築から鉄筋3階建てのアパートを兼ねた建物になっていきました。その際、建物は建ぺい率いっぱいいっぱいに建てるために、庭は次第に猫の額の広さになっていってしまいました。

テレビとかで一軒家に住んでいると、それは凄いですね。豪邸にお住まいなんですね。などという輩がいるが、本当は家というのは一軒家が普通であり、マンションなんていうのがおかしいのである。もし、一軒家が豪邸とひがむなら、東京以外のところに住めばいい。いくらでも一軒家はあるのだから。東京生まれの東京育ちの私に言わせてもらえれば、あまりにも東京に人が多すぎるから、桜の木もなくなれば毛虫もいなくなるのだ、と言いたい。