火曜日, 12月 30, 2008

『篤姫』が面白かった秘めたる理由

『篤姫』は面白かった。全50回の平均視聴率が24・5%(関東地区)になり、21世紀に入ってからの大河ドラマとしては最高記録。これだけの視聴率を上げ、なおかつ面白かった理由を検証してみたい。

『篤姫』は歴史ドラマであるが、同時にホームドラマでもあり、純愛ドラマであった。このため、歴史ドラマにあまり親近感を感じなかった女性層にも支持が高く、これが結果的に高視聴率につながった。なかでも、女性の心をくすぐるともいうべき、一途な恋心をいくつも描いた。小松帯刀の篤姫に対する想い、篤姫の家定に対する想い、和宮の家茂に対する想いは、メロドラマを王道を行くような描き方であった。一方で、篤姫の生き方は男ばかり表舞台の政治にも口を出しているところがあり、言わばキャリアウーマン的でもあり、この辺に共感を得た女性も多かったのではないだろうか。

主役の宮崎あおいは、朝の連続テレビ小説『純情きらり』を演じていたことから、年配の女性視聴者には下地として親近感があったことも大きかった。また、彼女は大河史上最年少主演ということもあってか、これまで大河ドラマをほとんど観ていなかった20代女性という新しい視聴者層も開拓した。このとこについては、佐野元彦プロデューサーが記者会見で「従来の大河ドラマ以上に女性の支持が高く、中でも20代の女性から、かつての大河ドラマになかった高い支持を得た」と語っている。

とここらあたりまでは、どんな新聞や週刊誌でも書くであろう。さて、ここからは独断と偏見の私見である。

今回のドラマで篤姫と共に小松帯刀が大いにクローズアップされた。帯刀はその名前こそ知られていたものの、これまで歴史ドラマにほとんど登場することがなかった。そんな彼が脚光を浴びたことは、昔歴史少年だったおじさん視聴者には新鮮だったに違いない。また、その帯刀を水々しく演じた暎太の好演ぶりもそれを見事にフォローしていた。

出演者ではやはり女優陣の健闘が光った。宮崎あおいの演技は言うにおよばないが、その脇を支える女優陣の演技も誰もがその役を勉強しているようで見事にその様を演じていた。樋口可南子、真野響子、松坂慶子、稲森いずみ、高畑淳子、中島朋子と登場する女優さんたちの演技がそれぞれ個性豊かでその役柄を見事に際立たせていた。そして、こうした脇役のために脚本の田淵久美子は大事なセリフをいくつも用意していた。こうなると、脇役といども役者冥利にもつき、女優さんは頑張り誰もが光り輝いていた。

そして、最も秘めたる理由はジャニーズ系の役者を器用しなかったことではないだろうか。ジャニーズ系が出てくると、どうしても芝居の足腰が妙に軽くなってしまい、浮わついた感じになってしまう。『新選組』や『義経』などが良い例である。できれば、今後も大河ドラマにはジャニーズ系を主要キャストには起用しないほうがいいのではないだろうか。

来年は妻夫木聡による『天地人』、再来年は福山雅治による『龍馬伝』とイケメン風大河が続くが、またいつの日か『篤姫』のような大河ドラマを観たいものである。

日曜日, 12月 28, 2008

2008年株を上げた人、下げた人(後編)

昨日の前編に続いて後編。今回は2008年株を上げた人である。

1位 石川遼〔プロゴルファー)
2位 篤姫
3位 バラク・オバマ(次期米大統領)
4位 上野由岐子(ソフトボール)
5位 益川敏英(物理学者)
6位 三浦皇成(騎手)
7位 水谷豊(俳優)
8位 渡辺久信(埼玉西武ライオンズ監督)
9位 岩村明憲(メジャーリーガー)
10位 緒方拳(俳優)

1位は文句なしであろう。私のようにゴルフをしない輩でも、彼の活躍には驚かざるをえなかった。加えてその颯爽とした姿に、多くの大人が、自分の子供には彼のようになってほしいと思ったに違いない。プレーするときはガムシャラに、プレー以外ではクールに、ゴルフ界のみならずスポーツ界の超新星である。

2位は超個人的な選択である。大河ドラマ『篤姫』はとにかく面白かった。そのおかげで、今年は数多くの歴史小説、時代小説を読むことになってしまった。過去の大河ドラマでこれほど私に影響を与えた作品は『赤穂浪士』以来かもしれない。

3位は日本の政治家でないのが残念だが、「Change !」「Yes, we can」の人である。現時点でのアメリカでの支持率は82%。日本の首相もここまでは無理としても、せめてその半分ぐらいの支持率はあってもらいたいものである。

4位以降は簡略に。北京オリンピック最大の功労者は上野由岐子である。最低の功労者だった某監督は彼女のツメの垢を煎じて飲むべきである。5位のノーベル賞受賞の益川教授の言動は面白かった。大学の教授にはこうした愛嬌のある人がいる。何かと暗かった師走をこの人は明るくしてくれた。6位の三浦騎手は今年3月にデビューしたばかりの新人騎手。これまで武豊がもっていた新人最多勝記録を破ってすでに90勝以上。変幻自在の騎乗ぶりはとても新人とは思えない。来年は100勝以上、最多勝も夢ではない逸材である。

7位は言葉は悪いが狂い咲きの人である。ドラマ『相棒』は母親が好きなので以前より時たま観ていたが、映画まで大ヒットして、水谷豊は今年もっとも脚光を浴びた俳優である。余談ではあるが私は彼の奥さんのファン。w 8位の渡辺監督にはビックリである。新人監督にして日本シリーズ制覇。正直、Bクラスは固いと思われたチームが優勝であるから、プロ野球はなにがあるか解らない。来年もパリーグを大いに盛り上げていただきたい。9位は惜しくもWチャンピオンになれなかったが、日本人メジャーリーガーのなかでも一番の活躍をしてインパクトを与えてくれた岩村選手。WBCではイチローらと共に日本チームを牽引してもらいたい。10位は他界されてしまったが緒方拳さん。合掌。

この他にも、スポーツ選手では、錦織圭(テニス選手)、石井慧(格闘家)といった人たちが株をあげた。女優では上野樹里、堀北真希なども昨年に続いて株をあげたのではないだろうか。残念なことというか、当然のことなから政治家で株を上げた人はいなかった。

土曜日, 12月 27, 2008

2008年株を上げた人、下げた人(前編)

未曾有の世界的株価暴落に見舞われ、景気後退が明らかになった2008年。今年も今日を含めてあと5日になったが、今年(2008年)株をあげた人、下げた人を独断と偏見で記したい。まずは株を下げた人から。

1位 福田康夫(前総理大臣)
2位 星野仙一(前日本代表監督)
3位 小室哲哉(作曲家)
4位 北の湖(前日本相撲協会理事長)
5位 麻生太郎(総理大臣)
6位 泰葉(歌手)
7位 中山成彬(前国土交通大臣)
8位 山本モナ(タレント)
9位 小泉純一郎(元総理大臣)
10位 榮倉奈々(モデル・女優)

1位はダントツで福田康夫でしょう。総理大臣の椅子を放り投げて「あなたとは違うんです」と興奮してタンカを切った人が、とても日本一重責の立場にある人であったとは嘆かわしい限り。あの言葉は文句なしに今年最低の名言です。早く衆議院議員のバッジも放り投げて「あなたとは違うです」と言っていただきたい。

2位は星野仙一。あんだけ大口を叩いて、仲良しトリオと臨んだオリンピックでは戦術も戦略は何もなく、メダルにも手が届かずで惨敗。この結果はひとえにこの人と、この人を擁護した渡辺恒雄らの責任である。二度と野球解説者として登場してほしくない。

3位は迷ったが小室哲哉。一時は資産が数百億円あったとかなかったとか。私は彼が作った曲で良いと思うのは渡辺美里の「My Revolution」ぐらいで、あとはほとんど興味なし。正直、この人の曲が売れるのか解らなかった。今後はどういう生活をしていくのか知らないが、周りの取り巻きには注意をした方がいいだろう。

4位以降は簡略に。北の湖は大横綱だったのにもかかわらず、力士暴行事件、大麻問題、朝青龍問題とすべて無策無能だった。辞任は当然である。5位の麻生太郎は漢字を読めない。彼は学習院初等科から大学まで進み政経学部卒業している。学習院大学も「頻繁」でなく「煩雑」のようである。6位の泰葉はある意味で可哀想な人。この人には知的および脳的障害がありそうなのである。「金髪ブタ野郎」などと名言を吐いたが、来年には忘れ去られているだろう。7位の中山成彬の数多くの発言にも驚いた。国土交通大臣にもかかわらず、話は教育問題ばかり。越権行為とは言わないが、ちゃんと仕事をしてほしかった。8位の山本モナは不倫を連発。そんな彼女が通った大学は麻生と同じで学習院大学。宮内庁も注意しましょう。9位は小泉純一郎。引退宣言は潔いが後継が自分の息子と世襲である。前回の総選挙で当選した刺客たちはどう思っているのだろう。10位は榮倉奈々。『瞳』は酷かった。彼女は女優としてのセンスはあまり感じないので、今後はモデル1本で頑張ってもらいたい。

この他にも東国原宮崎県知事、マラソンの高橋尚子なども株を下げた。

木曜日, 12月 25, 2008

年賀状の不思議

年毎に年賀状を出す枚数が減っている。忙しかった90年代は毎年50枚前後は出していたと思う。しかし、今年は30枚前後になりそうである。

年賀状というものは不思議なものだ。出す相手はだいたい旧友であったり、親戚であったり、仕事先の人だったりする。飲み屋仲間やジム仲間、それからネットで知り合った人たちには出すことがまずない。それはよく顔を合わせたり、ネット上で交流しているからだろう。しかし、どことなく不思議である。

もうひとつ不思議なのは、2〜3回しか仕事をしたことがない人と何年も年賀状だけのやりとりがあったりする。私にも2人ほどいる。彼らとはもう10年以上も会ったことがないのに、年賀状だけは来る。こういう人は筆マメなのだろう。それとも、いつかまた一緒に仕事が出来るとでも思っているのだろうか。私にはよく解らない。

年賀状書きは私にとってはあまり嬉しい作業ではない。しかし、世の中には年賀状書きが楽しいという人もいらっしゃる。これも私には不思議である。w

水曜日, 12月 24, 2008

「葵の御紋」は何処から来たの?

水戸黄門でお馴染の「葵の御紋」。この家紋は戦国時代までは徳川家の家紋ではなかった。その由来には諸説あるようだが、ネットの辞典ともいうべき(あまり信用はできないが)Wikipediaによると、日本家紋総覧にある徳川家「葵の御紋」には下記の4つの由来があるという。

1. 酒井氏由来説
2. 本多氏と交換したという説
3. 家康が自ら考案したという説
4. 松平氏を継ぎ、その家紋を踏襲したという説

このなかでもっとも有力な説が1番目の徳川家の譜代の家来である左衛門尉酒井家の紋と交換したという説のようである。そもそも「葵の御紋」なる前の「葵の紋」は京都の賀茂神社や、鴨長明、賀茂真淵などを輩出した賀茂家の「二葉葵」が代表的であった。そして、その賀茂家とつながりのあった三河の土豪・坂伊(酒井)家や本多家が葵を使った家紋を使用していたという。そのなかで家康の家臣として仕えた酒井忠次が家康に献上、松平家の家紋であった「片喰紋」と交換したらしいというのである。

どこまで本当かどうか解らない話ではあるが、以前お会いした鶴岡の人は、庄内藩(ただしくは鶴岡藩)のお膝元では、この話を知らない者はいないそうである。

いつの日にか水戸黄門に「葵の御紋」の由来を解明してもらいたい。

月曜日, 12月 22, 2008

新・東京観光名所?

世界一有名な交差点はおそらくニューヨークのタイムズ・スクエアだろう。しかし、世界一歩行者数の多い交差点は間違いなく渋谷ハチ公前のスクランブル交差点である。

このスクランブル交差点の1回の歩行者数は最大約2000人、その周辺の1日あたりの歩行者数は約60万人と言われている。このために、ビルには数多くの広告を流すモニターがある。それゆえかどうか解らないが、外国人観光客はここへ来ると、誰もが写真を撮っている。おそらく、外人観光客にとっては見学が一部制限された築地市場と同じように観光スポットなのではないだろうか。

築地市場、秋葉原、浜離宮などは以前から外国人観光客に人気スポットだったが、最近は上野公園(イラン人がいなくなって穏やかになったため)、両国の江戸東京博物館、新宿の東京都庁舎などが外国人観光客に人気があるそうだ。また、ディープな外国人観光客は根津・千駄木・谷中、佃・月島といった昔ながらの東京の面影を残すところへも足を運ぶそうである。それに比べれば、渋谷や原宿あたりで写真を撮っている外国人はまだまだ可愛い方々なのかもしれない。

金曜日, 12月 19, 2008

クリスマスになるとバブルが懐かしい(笑)

もうすぐクリスマス。youtubeの下記の映像が懐かしい。

JR東海 X'mas Express 歴代CM 1988年〜1992年
(深津絵里、牧瀬里穂、高橋理奈、溝渕美保、吉本多香美)
http://www.youtube.com/watch?v=ZGu7SGxNWyo&NR=1

山下達郎『Christmas Eve』のメロディに乗って、新幹線のプラットホームでくりひろげられる恋のひととき。いい時代だった。バブルだった。男も女もみんな浮かれていた。でも、みんな輝いていた時代でもあった。このCMはまさにそんな時代を反映している。

今では新幹線ホームで抱き合う姿など珍しくもない。このCMをきっかけに昼間から堂々とチュッチュッしている。新幹線ホームの恋人たちは今も昔もバブルなのかもしれない。(笑)

日曜日, 12月 14, 2008

新幹線の食堂車

先月末(11月30日)、初代新幹線車両である0系新幹線がラストランをした。その0系新幹線の思い出となると、私はどうしても食堂車を思い出してしまう。

新幹線は1964年開業以来、ビュフェと呼ばれる小さなカフェテリアみたいな車両があった。そして、山陽新幹線が博多まで通じることを機会に、1974年より食堂車が連結されるようになった。

私はこの食堂車が好きだった。というのも、あの5人掛けの狭い座席が嫌いだからである。それゆえに、新幹線に乗ると食堂車へよく行った。ビールを飲みながら本を読んだり、ビールとカレーライスで外の景色を見ながら、普通車両の車窓とは少し違った旅情を味わったりしていた。

食堂車は最盛期に東京〜新大阪間では、日本食堂、ビュフェとうきょう、帝国ホテル列車食堂、都ホテル列車食堂と4つの会社が味を競いあい、時刻表には列車ごとに担当の会社が書かれていた。そのために、自分好みの列車を利用する人がかなりいた。私もその一人で、記憶が定かではないので申し訳ないが、カレーライスは帝国ホテル列車食堂、えびフライは日本食堂が美味しかったような・・・。

この食堂車も80年代終わりごろまでは混雑していたが、90年代に入り、バブルが崩壊、そして「のぞみ」が登場したことによって徐々にお客は減っていた。そして、1995年の阪神・淡路大震災発生以降、0系新幹線の食堂車は営業休止となり、2000年には100系新幹線の食堂車も営業を止めてしまい、すべての新幹線から食堂車が消えてしまった。

今となっては食堂車がある列車は寝台列車「北斗星」や「カシオペア」などだけになってしまった。

私が最後に食堂車を利用したのはいつのことであろうか。

金曜日, 12月 12, 2008

ゴマノハエ

ゴマノハエとは「護摩の灰」もしくは「胡麻の蠅」と書く。日常ではほとんど使われなくなった慣用句だが、時代小説などでは結構登場する。

「護摩の灰」はその昔、高野聖の格好をした僧侶が、護摩木を焚いて仏に祈る際に出る灰を、弘法大師の「護摩の灰」と偽って、売り歩いた者が多くいたことから、偽物を売る者もしくは押し売りをする者のことを、そう呼ぶようになった。それが江戸時代になると、旅人の姿をして道中で旅人の持ち物を置引きしたり盗み取ったりする泥棒のことを、「胡麻の蠅」と言うようになった、と言われている。そして、このゴマノハエという言葉が、今日の「ごまかす」という言葉の語源になっているという。

今年の漢字一字はもうすぐ発表されるが、昨年の漢字一字は「偽」であった。食品の偽装表示、賞味期限偽装、そして産地偽装などによるもので、まさにゴマノハエの年だった。さて、今年の漢字は何であろうか。まさか、またゴマノハエのような一字ではないだろう。

私は「変」「混」「低」あたりと予想しているが・・・。



結果はやはり『変』だった。

木曜日, 12月 11, 2008

かいまき布団が意外に人気とか

子供の頃、冬になるとかいまき布団をかぶって寝ていた。この布団をかけると妙に暖かく感じたものである。しかし、小学校4年の12月からベッドを使うようになり、かいまき布団とも縁がなくなってしまった。ちなみに、私の最初のベッドは東京オリンピック選手村の払い下げ。このことについて後日、また書こう。

さて、かいまき布団であるが、これは室町時代からあるといわれていて、江戸時代になって一般的に使われるようになったようである。本来は木綿製であるが、今は羽毛製が主流である。この布団は本来は背中側を上にして掛けて使うものだが、人によってはうつぶせで寝るために半纏のようにかぶるという人もいる。

最近、このかいまき布団が若い人にも結構人気のようで、大手寝具メーカーも生産をして近くの碑文谷ダイエーなどでも売っている。襟や肩の部分にたっぷり綿や羽毛が入っているので、首まわりや両肩に隙間ができないので暖かい。それゆえの人気なのであろう。

火曜日, 12月 09, 2008

世論調査による内閣支持率と不支持率

昨日の新聞各紙はそれぞれ一面に、各社が行った世論調査による麻生内閣の支持率と不支持率を掲載した。各社の結果は下記の通り。

   支持率( )は前回  不支持率( )は前回
朝日 22%(37%)    64%(41%)
毎日 21%(36%)    58%(41%)
読売 20.9%(40.5%)  66.7%(41.9%)
共同 25.5%(40.9%)  61.3%(42.2%)
日経 31%(48%)    62%(43%)

これまで内閣支持率&不支持率となると、新聞各社によって数字のバラツキが目立ち、マスコミによる作為だの恣意的煽動だのという声が多く上がっていたが、今回は久しぶりに(?)ほぼ同じような数字が出た。結局、今回の調査結果、国民の2〜3割が麻生内閣を支持するが、約6割は支持しないということである。これほど早く支持率が低下した内閣は過去にあっただろうか。あの論外と言われる宇野内閣ぐらいではないだろう。

支持率が20%を切ると政権末期と言われるが、これでは来年早々にも20%を切るのは間違いない。過去の政権で20%近くまで支持率が下降した内閣が、支持率を戻したという例はあるのだろうか。ちゃんと調べていないので申し訳ないが、過去に20%以下になった内閣はほとんどが総辞職しているか、解散総選挙を行っていると思う。

麻生太郎の代わりになる総理大臣候補は残念ながら現在の自民党にはいない。となると、このまま内閣支持率が低下した場合は、やはり自民党は野党第1党に政権を委ねるか、自らの手で解散・総選挙するしかないであろう。ただし、国民が不支持なのは「麻生内閣」だけではなく、自民党、民主党を含めた「政治家」および保身的な「官僚」であるということを、政治家は認識してもらいたい。ただ、世襲だらけの政治家がこのことを悟るかどうか・・・。

月曜日, 12月 08, 2008

だんだんヒドくなってきた『だんだん』

NHK朝の連続テレビ小説『だんだん』が魑魅魍魎というか、ジェットコースター・ドラマかのような迷路に入りこんできてしまった。

『だんだん』は幼くして離ればれなった、主人公である双子の姉妹(三倉茉奈演じる田島めぐみと、三倉佳奈演じる一条のぞみ)の歩む道を描くお話だが、先週あたりから話の筋道が本流(双子の姉妹)から、完全に亜流(吉田栄作と石田ひかりが演じる離婚した両親)になってきてしまい、どうも脈絡がなくなってしまった。こうなると、脚本(森脇京子)およびプロデューサー(青木信也)は全体のプロットを考えて、台本を作っているのだろうかと疑ったりしてしまう。そのせいか、長沖渉(NHK大阪ドラマ班のドン)をはじめとした演出も平坦で面白みにかける。

前作の大駄作だった『瞳』ほどではないにしろ、大河ドラマ『篤姫』があまりにも絶好調のために、『だんだん』の迷走はNHKにとっては頭痛のタネになりかねない。

余談ではあるがタイトルをつけるのに悩んだ。上記のように、だんだんヒドくなってきた『だんだん』にするか、それとも『だんだん』がだんだんヒドくなってきた、にするかである。意味はもちろん同じであるが、前者の方が少し救いがあるように思えたので、そちらを使うことにした。(苦笑)

金曜日, 12月 05, 2008

「癒し」という言葉が聞かれなくなった

一時期、テレビや新聞などでやたらと使われた「癒し」という言葉。最近あまり耳や目にしません。

この「癒し」という言葉がいつ頃から使われ始めたかというと、約10年ぐらいまの90年代後半からです。最初は「ヒーリング」という言葉が流行して、その和訳的な言葉として広まったように覚えています。

そもそも、この言葉は広辞苑などの辞典には「卑し」という言葉は載っていても「癒し」という言葉は存在しません。おそらく「癒し」という言葉は「癒す」という言葉を勝手に名詞化して作られたのでしょう。広辞苑によると、「癒す」とは「病や飢渇や心のなやみをなおす」と書いてありますから間違いないでしょう。

ただ、私はもともとこの言葉を使うことが好きではありません。発音が「卑し」と同じであり、どうしても意味を「卑しい」という方向にとってしまうのと、言葉自体のニュアンスが現実逃避のようにしか思えなかったからです。

「癒し」という言葉が使われなくなった最大の理由は、不景気に突入した昨今では、もうそんな悠長なことを言っていられなくなったからであろう。言葉は生き物、世相を見事に反映していると思います。

水曜日, 12月 03, 2008

お父さんに言いつけてやる!

私が通うジムの前にある、信号機付きの小さな交差点での出来事。

私がその信号に向かって歩いていると、後ろから2台の自転車が横を通りすぎていった。1台はママチャリで、乗っているのはいかにも主婦と思われるお母さん。もう1台はピカピカのサイクルロードで、しっかりサイクル帽を被った小学校4〜5年生と思われる男の子。

先に交差点に着いた主婦はいったん停止をするが、信号機は赤にもかかわらず、スーっと交差点を直進してしまう。それを見ていた後ろから来た子供は、

「あ、いけないんだ。お父さんに言いつけてやる!」

と大声で叫んだ。

それでも、主婦の自転車は我関せずという感じで走っていく。子供の方はちゃんと交差点で停止している。そして、信号が青になって自転車を漕ぎだした子供は、再度、

「お父さんに言いつけてやる!」

と大声で叫んだ。

私は胸の内で「お父さんだけでなく、おじいちゃんやおばあちゃんにも、先生や近所の人にも、言いつけてほしい」と思ってしまった。w

月曜日, 12月 01, 2008

芸術はバクハツだ〜!


先日(26日)、11月17日より渋谷駅コンコース(JR山手線と京王井の頭線を結ぶ渋谷マークシティ内の連絡通路)で公開された岡本太郎の壁画「明日の神話」を見てきた。

「明日の神話」は岡本太郎がメキシコシティのホテル業者に依頼されて作成に取りかかったが、完成間近にホテル経営が頓挫してしまい、作品は一時行方不明になってしまった。しかし、2003年にメキシコシティ郊外の倉庫で発見され、日本へ搬送して修復した。

その後、汐留や東京都現代美術館で公開されたが、恒久の設置場所として「岡本太郎記念館や作品展示場所などが点在する国道246号の中間に位置する場所」などという理由から渋谷に飾られることが決まった。

設置場所は1日約30万人も通るということで、ハチ公のような待ち合わせ場所になることはないだろうが、間違いなく渋谷の新たなる名所になるだろう。縦5.5メートル、横30メートルもある迫力はもの凄く、外国人の間でも評判になっているようで、私の横にいた観光客夫妻は感嘆の声を上げていた。

岡本太郎 - 明日の神話オフィシャルページ
http://www.1101.com/asunoshinwa/

金曜日, 11月 28, 2008

七面鳥の日

アメリカでは11月第4週の木曜日はThanksgiving Day(感謝祭)で休日である。通称、Turkey Day(七面鳥の日)とも言い、この日は七面鳥受難の日でもある。

一般的なアメリカの家庭では、この日の昼食もしくは夕食に感謝祭の伝統的な料理を食べる。そして、そのメイン料理が七面鳥の丸焼きであることは言うまでもない。その作り方はいろいろであるが、基本的に一羽丸焼きである。

実は私も一度、遊学中にInternational Student Clubパーティのためにメキシコ人のルームメートと一緒にこの七面鳥料理を作ったことがある。

近くのスーパーで特大の七面鳥を買ってきて、内蔵を取り出し、その部分に野菜やパンなどを煮込んだスタッフィングを詰め込むなどして、何時間もオーブンで焼いて作ったことがある。ところが、この七面鳥料理はアジア人やヨーロッパ人にはあまり評判がよくなく、半分も残ってしまった。

捨てるのももったいないので、我々はアパートに持ち帰り、それから1週間は七面鳥漬けの日々を送った。ターキー・サンドウィッチ(美味しくなかった)、ターキー・スパゲティ(意外にも美味)、ターキー・シチュー(全然ダメでした)、ターキー・カレー(これもダメでした)、ターキー・ハンバーグ(失敗作でした)、フライド・ターキー(そこそこの味でした)などを作り、やっとの思いで七面鳥を食べ尽くした。

そして、二人で「一生分のターキーは食った」と笑わざるをえなかった。

それにしても、アメリカ人はあんなパサパサして決して美味しいとはいえない肉を感謝祭とクリスマスと食べるのである。このために年間1億羽以上の七面鳥が受難にあっている。

火曜日, 11月 25, 2008

婿二人

久しぶりに江戸小噺です。

「火事と喧嘩は江戸の華」とよく言われるが、その語源は「火事、喧嘩、伊勢屋、稲荷に犬の糞」に由来するらしい。

で、そのどこにでもあった伊勢屋の娘に縁談が一度に二つ舞い込んできた。

一人は醜男だが、大変なお金持ちの跡取り。もう一人は金はないが役者絵から抜け出したような色男。

母親はどちらにするか迷って、娘に話すと、娘は
「それなら、両家に嫁ぎましょう」
という。母親はあきれて、
「両家に嫁ぐとは、一体どういうこと?」
と尋ねると、娘は
「昼はお金持ちの家で食べたいものを食べ、夜は色男に抱かれたい」

土曜日, 11月 22, 2008

メタボ予備群の「正規軍」

先日受けた「平成20年度目黒区特定健康診断」の結果を聞いてきた。

結論はタイトルにも書いたように「メタボ予備群」と言われた。

私自身は予備群などと思っていない。「正規軍」である。(笑) 身長168cm、体重80ンkg、腹囲96cm(これは思いっきりお腹を膨らませたときの数値なので、実際は90cm以下)。これで「予備軍」はないだろう。ということで、先生に「正規軍」にしてください、と伝えたら、「う〜ん、血糖値、糖質などの数値はみんなOKだから、まあ、予備群の正規軍ぐらいですね」と言われてしまった。

ということで、血液検査、尿検査、大腸ガン検査、胸部レントゲン、エコー、心電図、すべて問題はありませんでした。これでじっくりと酒が飲める。ただし、先生はしっかりと「最低でも週2回は休肝日をもうけるしてください」と。

健康である人も、少し問題がある人も、飲み過ぎには注意しましょう。

木曜日, 11月 20, 2008

暑いときは暑く、寒いときは寒く

今シーズン一番の寒気が日本列島に流れ込んでいるようである。昨日(19日)は西日本で軒並み最低気温を記録したようで、大阪で6.2度(平年8.8度)、京都で2.4度(同6.9度)、神戸で4.4度(同9.4度)、福井で1.2度(同6度)、松江で1.3度(同6.6度)、松山で2.6度(同8.2度)といずれも今季最低を記録した。

東京も今朝は最低気温が6.6度だったようで、かなり冷え込んだ感じがした。そして、札幌では本日早朝に「ササラ電車」が今季初めて出動した。昨年より3日早いという。札幌では積雪がすでに14センチもあり、今日は一日中氷点下だという。すでに本格的な冬が到来しているようだ。

つい少し前までは平気で半袖で過ごしていたのが、いまではセーターやカーディガンが欠かせない。温暖化現象が問題になっている近年であるが、今年の冬は到来が早いようであるが、今年は暖冬ではなく日本列島全体がしっかりした冬になってもらいたい。季節というのは、やはり「暑いときは暑く、寒いときは寒く」がベストである。このことが農作物を育てることになり、経済の循環にも良いことになる。

「ちゃっぷい、ちゃっぷい」といっている方々、冬は寒いものなのですよ。(笑)

月曜日, 11月 17, 2008

アジア・シリーズは存続させるべき

埼玉西武ライオンズのサヨナラ勝ちで終わった第4回アジア・シリーズだが、その存続が微妙になっているという。というのも最大の要因は採算面が合わないからだという。

2005年 千葉ロッテ   12万0877人
2006年 北海道日本ハム 7万3698人
2007年 中日      7万6801人
2008年 埼玉西武    5万5073人

4日間の観客動員はこのように毎年減り続けている。私も第1回と第2回は観戦に行ったが、3回目はパリーグのチームでないということで、今回は時間的に余裕がなくて観にいくことができなかった。しかしながら、この観客動員の減り方は少し異常である。仮に巨人が出場していても、おそらく10万人は行かなかっただろう。

この大会は昨年までのコナミが冠スポンサーをしていたが、今年はどこも冠スポンサーがつかず、すべての費用は日本プロ野球機構(NPB)がまかなったという。しかしながら、おそらく今大会は間違いなく赤字で、来年以降の開催に暗雲が漂いはじめているという。

これに対して主催者のトップである加藤良三コミッショナーは「どういう形であれ、アジアシリーズは、日本やアジアのチームが世界のチャンピオンを目指すステップ。有意義なシリーズだ」と存続への意向を強調したという。

今大会の結果を見ればわかるように、韓国や台湾のレベルは日本と全く遜色がない。正直、今年は日本が負けるのではないかと思っていたぐらいである。それぐらい、ハイレベルな戦いを繰り広げている。コミッショナーが言うように、この大会はいずれ世界チャンピオンを決めるためのものであるのだから、日本で開催するにしても、韓国や台湾で開催するにしても、ぜひとも来年以降も存続させてもらいたい。

そのためには、有力なスポンサー探しも大事だろうが、プロ野球12球団全体の意識向上、およびファンの意識改革も必要ではないだろうか。また、今回はテレビ中継がCSの有料チャンネルだけで、地上波やBSで放送をしなかったことも、観客動員減少に大きく影響したのではないだろうか。

土曜日, 11月 15, 2008

ボストン美術館 浮世絵名品展

10月中に見に行くつもりでいたのが、ついついノビてしまい、先日(12日)やっと見にいくことができた。

ボストン美術館は世界最大の浮世絵コレクションと言われ、その数は5万点以上はあるという。ただし、そのほとんどがまだ未整理状態とか。私が80年代後半にかの地の美術館を訪れたときも、飾られるている浮世絵は数点ぐらいしかなかった。

今回の展覧会ではそのなかから150点余を、第1章「浮世絵初期の大家たち」、第2章「春信様式の時代」、第3章「錦絵の黄金時代」、第4章「幕末のビッグネームたち」と時代ごとに4つのコーナーにわけて展示している。

第1章の「浮世絵初期の大家たち」
ここではやはり、浮世絵独自がもつ遠近法を屈指した奥村政信の「駿河町越後屋呉服店大浮絵」という現在の三越を描いた作品に目がいく。「浮絵とは、透視図法を用いることで距離感を強調して描いた絵のこと。近景が浮き出しように見えることから、この名称がついた。歌舞伎の劇場や遊郭の座敷、あるいは建物に挟まれた町の通りなど、奥行きが強調しやすい画題が好んで書かれた」という説明も非常にわかりやすい。

第2章「春信様式の時代」
タイトルに入っているように、やはり鈴木春信の絵がずらりと並ぶ。なかでも「雨中美人」「見立浦島」「座鋪八景 ぬり桶の暮雪」「座鋪八景 鏡台の秋月」などの美人画が素晴らしい。そして、今回の図録(上写真:2300円もする)の表紙にもなっている磯田湖龍斎の「雛形若菜の初模様」シリーズの「四つ目屋内 かほる 梅の しげの」や「がくたはらや内 れん山」などの逸品もある。

第3章「錦絵の黄金時代」
ここでは鳥居清長、喜多川歌麿、東洲斎写楽の絵が並ぶが、なかでも歌麿の「蚊帳」の繊細な描写には誰もが溜め息げでるばかりである。写楽ファンには申し訳ないが、歌麿を観てしまうと写楽の役者絵が大胆ではあるが、面白みにかけてしまった。

第4章「幕末のビッグネームたち」
このコーナーは凄い。歌川一門(豊国、国政、国貞、広重、国芳)、葛飾北斎、渓斎英泉の風景画が並ぶ。北斎の「富嶽三十六景 尾州不二見原」(通称「桶屋の富士」)、「山下白雨」の斬新な構図は目を見張るものがある。他にも渓斎英泉の「木曽街道三十一 塩尻嶺 諏訪ノ湖水眺望」、広重の「東海道五十三次」シリーズの「丸子 名物茶店」や「庄野 白雨」、「名所江戸百景」シリーズの「両国花火」や「深川木場」など素晴らしい作品がいっぱいである。しかし、ここで一番見とれてしまったのは歌川豊国の肉筆画「遊女と禿図」。これは素人目に見てだが、国宝・重文クラスの価値があるではないだろうか。これまで江戸時代の肉筆画を見てきたが、これほど素晴らしいものはかつてない。この1点だけはぜひとも日本に返してほしいと思ってしまった。

それにしても、アメリカの美術館というのは昨年のフィラデルフィア美術館展での印象派コレクションといい、今回のボストン美術館の浮世絵展といい、その保存状態が素晴らしい。国賊と言われるかもしれないが、今回の浮世絵展を見ていて、これらの作品がボストンにあったからこそこれだけ状態が良かったのではないかと思えてしまう。まだまだボストン美術館の浮世絵は未整理状態なのだから、今後も知られざる名品や状態の素晴らしい名品が発見されるだろう。ぜひとも、何年か後にパート2を開催してもらいたい。

そして、今回は同時に江戸東京博物館で開催されている特集「錦絵にみる忠臣蔵」も見てきた。こちらはお客さんが少なく、十二分に堪能することができた。私が行った日は掲載第2期(11月24日まで)にあたるために、歌川(安藤)広重の「忠臣蔵」と渓斎英泉の「仮名手本忠臣蔵」などが展示されていた。なかでも広重の「忠臣蔵」は素晴らしい。「大序」から「十段目」で松の廊下から討入り前夜までを描き、「十一段目」では「夜討押寄」「乱入」「本望」「引取」「両国引取」「焼香場」と6枚の絵を描いている。そのどれもが、鮮やかな情景描写で忠臣蔵ファンにはたまらないだろう。

第3期(11月26日〜12月21日)には葛飾北斎の「新板浮絵忠臣蔵」と北尾政美の「浮絵仮名手本忠臣蔵」などが展示される。できれば、こちらも見てみたいと思う。

ボストン美術館 浮世絵名品展(11月30日まで)
http://ukiyoeten.jp/index.html

錦絵にみる忠臣蔵(12月21日まで)
http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/

金曜日, 11月 14, 2008

どうやって飛んで来るの?

昨日の時事通信のHPに、日本航空が来年2月から投入するブラジル製小型ジェット「エンブラエル170」を名古屋空港で公開した、とあった。

記事よると、ブラジル製ジェット機が日本で定期運航されるのは初めてとか。アメリカもしくはカナダ製、ヨーロッパ製以外のジェット機があることに少し驚きを覚えたが、それよりもブラジルからどうやって日本へ飛んできたが不思議でならない。

この飛行機、どうみても短距離飛行機であり、最大飛行距離は約3100kmもあるそうだが、それでも、ブラジルからどうやって飛んできたのかが不思議でならない。

太平洋のいくつかの島々に止まって、給油しながら飛んできたのだろうか。それとも、ブラジルからアフリカ大陸に渡って、南インド、インドシナ半島を経由して飛んできたのだろうか。それとも、機内に燃料を余分に積んで、それを補充しながら飛んできたのだろうか。それとも、空中給油機を使って補給しながら飛んできたのだろうか。

昔の春日三球・照代の地下鉄漫才ではないが、考えると眠れなくなってしまう。(笑)

ブラジル製小型ジェット公開=来年2月就航、客室ゆったり−日航
http://news.goo.ne.jp/article/jiji/nation/jiji-081113X302.html

木曜日, 11月 13, 2008

法律覚えるより箸の使い方覚えろ

ご存知の方も多いかと思うが、海外の日本料理店へ行くと、箸袋に箸の使い方を英語とイラストによって説明書きがされている。外人のお客さんたちはそれを見ながら、すぐに器用に箸を使いこなすようなる。それゆえに、日本でも箸袋にこうした説明書きを入れてほしい、と私はつくづく思っている。

先日、甥っ子が司法試験に合格したので、母親と一緒にいつもの寿司屋でお祝いをしてやった。法科大学院に行って一発で合格したのだから、初めて御祝儀もはずんでやった。しかしである。彼の箸の使い方がいただけない。内に居候していたときは、朝早く起きて夜遅く帰ってくるような生活をしていたので、一緒に食事をしたことなどなかったので気がつかなかったが、箸の使い方はまるっきりなっていないのに驚いた。

で、思わず、

「法律覚えるより、箸の使い方覚えろ」

と言ってしまった。

まあ、彼もそのへんのことが解っているのか解っていないのか、「まだ覚える法律や判例もあるから、そのあとで勉強するよ」と素っ気ない。

今月下旬から彼は司法研修生として地方で実務研修が始まる。そのときから、一般社会に出て、自分の箸の使い方がおかしく恥ずかしいことと感じるようになってもらえればいいのだが・・・。いくらお偉い弁護士か検事か裁判官になっても、正しい箸の使い方ができないようでは、とても一人前の大人とは言えない。

日本の箸袋にもしっかり日本語で箸の使い方を明記した説明書きを入れた方がいいのかもしれない。

月曜日, 11月 10, 2008

何事も良いときもあれば悪いときもある

昨日(9日)、東京文化会館で行われた東京バレエ団によるモーリス・ベジャール追悼特別公演の『くるみ割り人形』を観てきた。

開演してまもなく主役のひとりである猫のフェリプス役のダンサーが足のアクシデントを起こしてしまった。バレエなのだからアクシデントがあるのは仕方がない。しかし、この後が良くなかった。客席の中央にいた関係者が2〜3人席を立ってしまう。こういうアクシデントはあり得ることなのだから、関係者が客席の真ん中で動くなど、アクシデントがあったことを観客に知らせるようなものでいただけない。そもそもこのような場所に関係者が座っていることすら疑問に思う。

急遽、松下裕次が代役となり舞台はつつがなく進んだが、やはりダンサーたちには動揺の色は隠せなかったようで、第一幕の踊りはどれもが小じんまりしていて面白みにかけてしまった。加えて、音響オペレーターの操作の悪さも手伝って、会場はずっとどんよりした曇り空のなかでバレエを観ているような印象だった。

バレエといえば、本来はオーケストラピットにオーケストラがいて上演するものだが、故ベジャールのようにテープを好む演出家もいる。こうした場合は、指揮者ではなく舞台監督、音響オペレーター、照明オペレーターなどのスタッフのセンスと力量が問われる。特に昨日のようにアクシデントがあったときは尚更である。

しかしながら、結局第二幕に入って、チャイコフスキーの名曲が並ぶところでも、残念ながらダンサーたちとスタッフの歯車はなかなか合うことはなかった。舞台セットはシンプルで素晴らしい。照明も素晴らしい。衣装も素晴らしい。しかしながら、ひとつ歯車が狂うと舞台というのはなかなか立て直せない。

何事も良いときもあれば悪いときもある。

唯一の救いは急遽代役で奮闘した松下裕次の踊りだった。高さあるジャンプ。テンポのよいステップ。そして、人を引きつける愛嬌のある仕草。彼はそう遠くないうちに間違いなくトップダンサーになれるだろう。

金曜日, 11月 07, 2008

『ロベルト・デヴェリュー』(演奏会形式)

先日(4日)、東京文化会館で行われたウィーン国立歌劇場による『ロベルト・デヴェリュー』(演奏会形式)公演に行ってきた。『ロベルト・デヴェリュー』は1837年にナポリで初演された作品で、作曲はガエターノ・ドニゼッティ。

指揮はフリードリッヒ・ハイダー。この人は主役を演じるプリマドンナのエディタ・グルベローヴァの旦那さん。演奏はウィーン国立歌劇場管弦楽団。コンマスは世界のコンマスともいうべきライナー・キュッヒル。

エリザベッタ:エディタ・グルベローヴァ
ノッティンガム公爵:ロベルト・フロンターリ
サラ:ナディア・クラステヴァ
ロベルト・デヴェリュー:ホセ・ブロス
セシル卿:ペーター・イェロシッツ
グアルティエロ・ローリー卿:甲斐栄次郎
小姓:伊地知宏幸
ノッティンガム公爵の従者:マリオ・ステッラー
合唱:ウィーン国立歌劇場合唱団(男性38名、女性38名)
合唱指導:トーマス・ラング。
《18時30分開演、21時15分終演》

話のあらすじは、優柔不断な女王に愛人、友人、そしてその夫が翻弄され、最後は誰もが悲劇で終わってしまうという救いようのないお話である。ただ、そこまでの過程は非常にドロドロしていて、まるで浄瑠璃か歌舞伎を観ているようでもあった。

この作品は歌にかなりの比重が置かれているようで、舞台上演形式より演奏会形式の方が魅力的なようである。しかしながらも、出演者はまるで役を演じているかのように、感情豊かに歌い上げる。なかでも、主役を演じたエディタ・グルベローヴァと、まだ若手のようであるサラを演じたナディア・クラステヴァの2人の歌声には本当に聴き惚れてしまった。

グルベローヴァはソプラノとしてはかなりマイルドな声で、ソプラノ特有の尖った感じは全くしない。その分、奥行きのある深みのある声で包容感に満ちている。一方、クラステヴァはジプシーのような情熱的なメゾ・ソプラノの美声で、非常に好対照で楽しませくれた。この2人の女性陣に比べると、ロベルト・デヴェリューを演じたヘセ・ブロスは声にあまりキレや幅が感じられず少し残念であった。

久しぶりのオペラの演奏会形式だったが、東京文化会館がとても優れている音響のホールであることを再認識させられた。


【追記】主演のエディタ・グルベローヴァは11月13日にサントリーホールで、18日に新潟りゅーとぴあ、27日に横浜みなみらいホールでリサイタルを行う。指揮はラフル・ヴァイケルト。演奏は東京交響楽団。

木曜日, 11月 06, 2008

テミルカーノフとサンクトペテルブルク・フィル

昨日(5日)、東京オペラシティで開かれたサンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団のコンサートに行ってきた。指揮は1988年からサンクトペテルブルク・フィルの芸術監督兼首席指揮者を務めているユーリ・テミルカーノフ。チェロはタチアナ・ヴァシリエヴァ。

まずはこのことを書かなければならない。オペラシティのコンサートホールへ入ってびっくり。というのも、客席にお客さんがまばらのである。客席は3割、いや2割ぐらいの人しかいない。その光景に目を疑わざるをえなかった。しばし、茫然である。いくらチケットが高いとはいえ、いくら実力があっても人気のないオケといえ、こんな悲惨な状態の客席を見たのは初めてである。これは明らかに招聘元(梶本音楽事務所)の興行的失敗であり、ちょっと先が思いやられた。

しかし、そんなことはすべてが危惧に終わり、最後は感動的なシーンで終わるコンサートだった。

演目(※はアンコール曲)
チャイコフスキー/幻想序曲「ロメオとジュリエット」
チャイコフスキー/ロココ風の主題による変奏曲
  〜休 憩〜
チャイコフスキー/交響曲第6番「悲愴」
※エルガー/「エニグマ変奏曲」からニムロッド
《19時00分開演、21時15分終演》

1曲目。舞台に入ってきた楽団員たちの表情はどことなく暗かった。誰もその観客数の少なさに驚いたからであろう。苦笑いを浮かべている人もいた。しかし、テミルカーノフが指揮台に上がったときには、その顔はみんな引き締まっていた。

「ロメオとジュリエット」といえば、多くの人がプロコフィエフの曲を思い浮かべるが、チャイコフスキーの「ロメオとジュリエット」も傑作である。テミルカーノフは大らかにして、しなやかにして、緩やかな身振り手振りの指揮である。その指揮から弦を荘厳にして大胆な音色を引き出し、木管金管からは華麗にして優美な音色を醸し出す。この曲はこれまでも2〜3回生演奏を聴いているが、今回はその傑作ぶりを思いっきり再認識させられた。

1曲目から場内は割れんばかり拍手とブラボーが響き渡った。観客は2〜3割しかいないのにである。

2曲目。チェロのタチアナ・ヴァシリエヴァは2001年の第7回ロストロポーヴィチ国際チェロ・コンクールで優勝したロシア人。使用楽器はフランスのルイ・ヴィトン・モエ・ヘネシー社から貸与された1725年ストラディヴァリウス製のVaslin。

この人、とっても上手いでなく美味い。テミルカーノフのまなざしと笑顔にアイコンタクトで応えながら、颯爽とチェロを奏でる。チェリストとしはちょっと華奢な身体だが、その音色はいつも好奇心旺盛で、高音は軽やかに低音は重くといった単純なものでなく、常に何かを探るような若さと勢いの音を奏でる。

今回の演奏ではテミルカーノフの優しさに包まれながらの演奏だったが、もっともっと激しい感情的なチョロ協奏曲を彼女で聴いてみたいと思った。ブラヴァー!

休憩後は「悲愴」である。


3曲目は感無量であった。これはあの場にいた人だけが共有するような演奏だったので書かないことにしておく。書くのは野暮というものである。


「悲愴」のあとは普通はアンコール曲はない。私自身もあまり聴きたい方ではないが、このときはなぜかアンコールを聴いてみたいと思ったので、「悲愴」の余韻を崩すことのない素晴らしいエルガーは嬉しかった。

終演の舞台挨拶が終わり、舞台から楽団員が引き上げていったが、3〜4百人しかいなかった観客のほとんどは帰らず、最後の最後までスタンディングオベーションで彼らを送りつづけた。そして、テミルカーノフが再度舞台に登場したときの光景は今までにない熱いものを感じた。テミルカーノフは1階、2階、3階席の四方に残っていたすべての人に何度も何度も感謝の視線を送り続けた。

観客全員が指揮者と視線を合わせたコンサートなどめったにない。

テミルカーノフは最初から最後まで全く手を抜くことなく、サンクトペテルブルク・フィルと観客をチャイコフスキーという糸で結びつけ、完全に一体化させたコンサートにした。ひょっとして、これは伝説になるようなコンサートなのかもしれないと、そのとき思わざるを得なかった。

火曜日, 11月 04, 2008

麻生首相の祝電の意義は大きい!?

昨日の日刊スポーツの紙面によると、麻生太郎首相がJリーグナビスコ杯初優勝を飾ったトリニータ大分の事務所に祝電を送ったという。

記事のなかで「首相がプロ野球やJリーグなどの優勝クラブに祝電を送ることはめったにないい」と書かれている。私もこのような話を聞いたことはない。麻生首相は隣りの福岡県(小学3年以降は東京)出身という好しみと、選挙対策への意外性のパフォーマスとして祝電を送ったのであろう。

しかし、この異例ともいうべき祝電は、麻生首相がひょっとすると地方分権論者なのではないかと思わせてくれる。というのも、その祝電の内容は「地方の元気が日本の元気をつくります。私は、そう信じています。今回の快挙に、敬意と感謝の意を表します」とあり、かなり思わせぶりなのである。

世間的には「地域の活性化、地方の活性化」と呼ばれるが、実際にそれを行うことは非常に難しい。日本各地ではサッカーや野球などのスポーツ、音楽や演劇などの芸術文化活動などによって「地域の活性化、地方の活性化」を試みている。しかしながら、それが完全に実を結んでいる場所はまだまだ少ない。

もし、麻生太郎がこのような祝電を送るなら、消費税増税を言う前にもっと地方活性化を後押ししてもらいたい。そして、地方分権への道も拓り開いてもらいたい。

月曜日, 11月 03, 2008

目黒通りの空が広くなっている

日本各地で電線などを地下に埋める地中化、無電柱化工事が行われている。この無電柱化計画は幹線道路や歴史的街並み保存地区を中心に行われている。

東京でも平成16年からその計画が進めれているようで、その恩恵で目黒通りの電柱も取り除かれ始めている。そのために、イチョウ並木が鮮やかに見えるようになり、空が広くなった。

この無電柱化推進計画には相当なお金がかかっているが、地中に共同溝を作ることによって無駄な工事がなくなり、景観もよくなるので、今後も推進してもらいたい。

空が広く見えることは気持ちがいい。

東京都「無電柱化推進計画」の策定について
http://www.metro.tokyo.jp/INET/KEIKAKU/2004/04/70e4q100.htm

金曜日, 10月 31, 2008

映画『ブロードウェイ♪ブロードウェイ〜コーラスラインにかける夢〜』を観る

原題は『Every Little Step』。記録映画である。ドキュメンタリー映画である。プロモーション映画である。ただし、そんな概念をすべて吹っ飛ばすぐらい面白い。

『コーラスライン』は1975年から1990年までロングランされたブロードウェイ史上最高傑作と言っても過言でないミュージカル。私もその間にニューヨークで2回観ている。また、1985年に映画化された作品も観ている。その『コーラスライン』が2006年から16年ぶりにブロードウェイでリヴァイバル上演されているのだが、この映画はその配役を射止めるためにオーディションに集まるダンサーたちと、オーディションをする側のスタッフたちの8ヶ月におよぶ真剣勝負を追いかけた作品である。

とてもドキュメンタリー映画には思えない。『コーラスライン』という舞台に賭けるダンサーたちとスタッフたちの言動は誰もがドラマチックで、下手な青春映画なんかより圧倒的に感動的だ。ダンサーたちが人生のスポットライトを浴びるがんために、『コーラスライン』に駆ける情熱の光と影が見事に描かれている。合格するであろうと思われたダンサーが最終選考で落ちたり、エッと思えるダンサーが合格したり、オーディション最中にスタッフが不覚に陥ったりと、「事実は小説よりも奇なり」なストーリー(出来事)がいろいろ展開される。

とにかく観て損はない映画である。そして、この『コーラスライン』は来年8月に渋谷Bunkamuraオーチャードホールで上演される。おそらく、私は観にいくだろう。その意味では見事なプロモーション映画でもある。

映画「ブロードウェイブロードウェイ」公式サイト
http://www.broadway-movie.jp/

木曜日, 10月 30, 2008

麻生も野党もマスコミもみんな庶民でない

麻生首相が夜な夜なホテルのバーに通っていることがなにかと話題になっているが、野党やマスコミがこのことをどうして問題にするのか私にはあまり解らない。彼が通うバーは帝国ホテルやホテルオークラ内にある会員制バーであり、その入会金は50万円以上するという。日本一高いバーと言っても過言ではない。

しかしながら、彼はおぼっちゃま育ちで、首相になる前からこれらのバーに通っていた。そして、自腹でその代金を払っている。それを今さらヤメろというのも可愛そうな話である。もし、ヤメたら彼はどこに飲みにいけばいいのかである。仮に彼が私の行きつけの飲み屋に来たら、どうなるであろうか。そりゃもう大変である。新聞記者やSPなど何十人がぞろぞろついてくる。マスコミは常連客をすぐに取材対象にするだろうし、ご近所中が大騒動になってしまい、それこそパトカー騒ぎで迷惑千万になる。

政治家が高級料亭で会合を開いていることは問題である。それは政党交付金をはじめとした税金を使われている可能性があるからだ。しかしながら、麻生は日本一高いバーといえども、自腹で飲んでいる。野党も野党である。酒を飲むぐらい好きにさせてやれよ、と言いたい。

麻生がカップ麺の値段を400円と答えたことは明らかに庶民感覚の欠如であるが、あまり野党やマスコミも庶民感覚、庶民感覚と言わない方がいいだろう。衆議員議員は最低でも年収が約2400万円ある。また新聞記者やテレビ局の連中たちの年収も30歳を過ぎれば、みんな1000万円以上ある。そんな彼らに正直、庶民感覚だと私は言われたくない。

水曜日, 10月 29, 2008

ナベツネは胸中穏やかでないだろう

来年2009年のWBC監督が巨人の原辰徳監督に決まった。

今から一ヶ月ぐらい前に行きつけの寿司屋で私は「WBC監督は王総監督、原監督になるよ」と言ったことがある。いみじくも大筋で当たってしまった。星野仙一がならないだけでもマシだったが、それでも、この結果にナベツネ(渡辺恒雄)は苦笑しているかに違いない。

そもそもナベツネは今年の春頃に、星野を次期巨人監督にすると共に、オリンピックに続いてWBC監督も星野で行く腹づもりでいた。そして、オリンピックで惨敗しても相も変わらず星野に固執していた。ところが、天変地異というか阪神の余りの弱体化によって巨人が棚ぼたでセリーグ優勝してからは、その言動をいっさい控えるようになった。WBC監督に原辰徳の芽が出てきたからである。

ナベツネは現役監督にはずっと反対してきた。それはなぜかといえば、長嶋茂雄、王貞治、星野ときた日本代表監督にパリーグ出身者を据えたくなかったからである。世間的には野村克也、玄人的にはボビー・バレンタインを推す声が強かったが、ナベツネはこれらの声にいっさい耳を傾けなかった。それはパリーグ出身者を監督にすると、巨人およびセリーグの権益に影響をするからである。

しかしながら、今後は原監督にしろナベツネにしろバラ色とは言えない。もしかするとイバラの道かもしれない。まず、巨人はもし日本シリーズに勝った場合、11月中旬に行われるアジア・シリーズに出場することになる。このアジア・シリーズで日本のチームは3連覇をしているので、原巨人は絶対に負けられない。

そして、3月初旬にWBC1次リーグ(アジア予選)で韓国、台湾、中国のそれぞれのオールスターチームと戦って、2位以内を確保しなければサンディエゴで行われる2次リーグ、ロサンゼルスで行われる準決勝・決勝へ進むことはできない。日本はディフェンディング・チャンピオンであるから、少なくともベスト4ぐらいまで行かないと正直格好がつかない。

ナベツネはほくそ笑んでいると同時に、実は原辰徳と心中できるのかと胸中穏やかでないだろう。

月曜日, 10月 27, 2008

立会川は小便飛ばし川だった

久しぶりに地元話です。

先場所の大相撲では立ち合いが話題になったが、こちらの立ち会いは相撲ではなく川である。

立会川(たちあいがわ)は目黒区と品川区を流れる東京都の二級河川。源流は碑文谷公園と清水池公園のそれぞれの池の湧き水である。目黒区のHPによると「昭和20年代までは、小魚やザリガニがいるきれいな小川で、子どもたちの絶好の遊び場だった」らしい。しかし、私が子供だった昭和30年代はすでに生活廃水が流れ込んでいて、小魚もザリガニもほとんどいなかった。それでも、子供たちに格好の遊び場のひとつであり、なかでも誰が一番遠くまで小便を飛ばせるかという「小便飛ばし」には最適の場所ではあった。良き時代であった。(笑)

しかしながら、東京オリンピック頃に川には蓋がかぶせられ、暗渠(あんきょ)となり、川は遊歩道へと変貌していってしまった。

立会川の名の由来は諸説あるのだが、なかでも有名なのが、鈴ヶ森刑場へ向かう罪人を立会川で、家族らが最後に見送ったことから名付けられたという説である。しかしながら、鈴ヶ森刑場が出来たのは1651年(慶安4年)のことであり、その頃まで川に名が付いていなかったとは思えないので、この説はあまり説得力がない。

これ以外の説では「川を挟んで小競り合いが会った事から「太刀会川」となった」とか、「品川区中延の滝間(たきあい)という地を流れていたので滝間川(たきあいがわ)と呼ばれ、それが立会川に変わった」という。

今となっては目黒区ではこの立会川の流れを全く見れなくなってしまったが、私の記憶のなかには川の姿が鮮明に残っている。

写真上:碑文谷公園方面の裏道から目黒通りを越して
  下:目黒消防署碑文谷出張所裏から田向公園脇を流れていた

金曜日, 10月 24, 2008

後家がいい

久しぶりに、江戸小話です。

男が集まって、酒を飲むと、いつの世でも必ず出るのが女の話。

「おいらは振り袖姿のよく似合うおぼこ娘と寝てみたい」
「おいらは新造さんより、年増の方がいい」
「おいらは遊ぶならやっぱり夜鷹か比丘尼(びくに)に限る」

すると、横の席で飲んでいた男が
「いやいや、後家、後家、後家に限る」
と言うと、
「そうそう、後家がいいに決まっている」
「なるほど、男を知った後家が一番かもしれない」
「後家がいい、後家にしよう」

と、みんなが口ぐちに後家、後家と言うものだから、
後ろの席で話を聞いていた馬鹿な男が、
「そんなにいいなら、おいらのカカァも早く後家にしたい」
と言ったそうだ。

水曜日, 10月 22, 2008

鳥取県がちょっと熱い

鳥取県の人口は2008年9月1日時点で595,184人(男284,091人、女311,093人)と、日本でもっとも人口が少ない都道府県である。また、市の数もたった4つ(鳥取、倉吉、米子、境港)しかなくこれまた最少である。

そして、鳥取県は福井県、高知県と並んで観光客の少ない県とも言われてきた。その鳥取県が今ちょっと熱いのである。というのも、2012年までには中国横断自動車道姫鳥線(全長62.3キロ)が全線開通するからである。

姫鳥線は中国自動車道の佐用ジャンクションから鳥取市までを結ぶ路線で、開通時にはこの区間が全線無料で走れるようになる。鳥取市は47都道府県の県庁所在地で唯一高速道路が開通していない都市だそうで、鳥取市民にとっても開通は悲願でもある。この開通によって関西方面から観光客の増加を期待すると共に、観光鳥取県への脱皮をアピールしたいようである。

鳥取県といえば鳥取砂丘が有名であるが、それ以外にも世界屈指のラドン温泉として有名な三朝温泉、米子のすぐ近くの海岸沿いにある風光明媚な皆生温泉などいくつもの温泉がある。また、ベニズワイガニをはじめとして海産物にも恵まれている。

また、最近では水木しげる(境港市)、谷口ジロー(鳥取市)、森秀樹(米子市)、青山剛昌(北栄町)ら数多くの漫画家を輩出していることから、「まんが王国」としてアピールして中国や韓国からの観光客の誘致も盛んにすすめている。

鳥取県はこれまでは日本一マイナーな県と揶揄されたりもしてきたが、姫鳥線の開通によって産業も観光も変わるかもしれない。やはり地方では高速道路ができるかできないかで経済が大きく左右するようである。

火曜日, 10月 21, 2008

イチロー、松井、岩村たちの弊害

タイトルからすると、WBC監督問題での例のイチロー発言かと思う方がいるかもしれないが、申し訳ないが話は全然違うことである。

先日、行きつけの寿司屋で少年野球の監督をしている人と話をする機会があった。

「イチローや松井の活躍で、野球をする子供が増えたのではないですか」
「確かにここ3〜4年は増えています」
「楽しくていいですね」
「それが、そうでもないんです。悩み事が多いんですよ」
「なにがですか?」
「親が子供に左打ちをさせたがるのですよ」
「ああ・・・・、イチローや松井、岩村らの影響ですね」

監督さんは軽く頷いた。

「野球の場合、左打ちの方が優位であるのは事実ですが、左打ちにするとやはり身体のバランスとかが悪くなり、右では打てる子も打てなくなってしまうんです」
「そうでしょうね」
「バッティングは利き腕だけの問題でなく、利き目、足の早さ、バランス感覚などで、右打ちを左打ちにしてもOKな場合はありますが、それ以外の子は右打ちの子はそのままの方がいいんです」
「解ります。しかし、親としては少しでも活躍のチャンスがある左打ちにさせたい」
「そうなんです。それで、チームは左バッターだらけの打線になってしまい、相手のチームに良い左投手がいると、もうイチコロなんですよ。ですから、右の強打者がほしいんです」
「なんか日本のプロ野球と一緒ですね」
「今年はセパ共に右打者が本塁打王になったり、首位打者になったりしましたが、野球の底辺は左打ち流行なんです・・・・」
「そうですかぁ」
「えええ・・・・」

監督さんの溜め息は、なんか今後の日本のプロ野球の行く末を案じているかのようにも思えた。

月曜日, 10月 20, 2008

10,982,020円で得た教訓

昨日、京都競馬場で行われた3歳牝馬によるGIレース秋華賞で、1着から3着までを当てる3連単という馬券で、なんと10,982,020円という配当が出た。

以前は「競馬で家はつぶれるが、家が建つことはない」と言われたが、100円の馬券が1000万に化けてしまうのだから、この格言はもはや当たらなくなってしまった。今は「パチコンで家庭は崩壊するが、その仲は立ち直らない」と言った方が世情に当てはまっているかもしれない。

さて、その秋華賞で私は馬連(順不同で1〜2着を当てる)で馬券を買った。私の本命はトライアルレースで好走した8番人気のムードインディゴからの7点流し。牝馬のレースは荒れるということで、ちょっと穴狙いをした。それでも、それなりの自信はあった。

で、結果はというと、私のムードインディゴが最後直線で突っ込んできて2着に食い込み、思わず「やったー!」と叫んでしまった。ところが1着にきたのが、11番人気のブラックエンブレムで、私はその馬への馬券を買っていなかった。もし、買っていれば馬連の配当は23,080円。私はだいたい1000円単位で馬券を買うので、当たれば23万円にもなっていたのだが、結局はつかの間のぬか喜びで終わってしまった。

競馬を見終えた後は、少し肩を落としながら近くのジムに行ったのだが、ロッカーで競馬の話をよくする清掃員のおじさんが「取りましたよ」とニヤニヤするではないか。まさか、1098万円をと思ったが、おじさんは「馬単52,130円を」というではないか。凄い〜〜。

当てた秘訣を聞いてみたら「私の好きな数字を5点でボックス買いしたんですよ」と。やはり競馬は無欲の人が高額配当を当てるようである。1,089万円を当てた人も、おそらくおじさんのように好きな数字で買った人たちではないだろうか。ということは、いつの日にかおじさんも1000万を当てる可能性がある。今後もおじさんとは仲良くしておかなければならない・・・。w

土曜日, 10月 18, 2008

来年のセリーグ観客動員を危惧する

プロ野球ファンである。ただし、熱烈なパリーグファンである。そのパリーグファンである私がセリーグのことについて言うのもなんだが、あえて言わせていただく。

今年(2008年)のプロ野球レギュラーシーズンの観客動員数は下記の通りである。

阪神      2,976,754(3,144,180/前年比94.7%)
巨人      2,876,274(2,911,358/前年比98.8%)
中日      2,427,805(2,390,532/前年比101.6%)
広島      1,390,680(1,129,061/前年比123.2%)
東京ヤクルト  1,281,714(1,333,231/前年比96.1%)
横浜      1,129,954(1,231,997/前年比91.7%)

福岡ソフト   2,250,044(2,307,160/前年比97.5%)
北海道日本ハム 1,873,931(1,833,054/前年比102.2%)
千葉ロッテ   1,601,632(1,558,430/前年比102.8%)
埼玉西武    1,413,583(1,093,471/前年比129.3%)
オリックス   1,266,765(1,137,186/前年比111.4%)
東北楽天    1,149,061(1,117,369/前年比102.8%)

セ・リーグの総観客動員数は前年比0.5%減の12,083,181人で、パ・リーグの総観客動員数は5.6%増の9,555,016人であった。

セリーグでは阪神が甲子園球場の改修により客席数が約4,000席も少なくなったり、最後に優勝を逃したこともあり、前年比5.3%減であったが、なんとか4年連続のトップ観客動員数をキープした。そして、土壇場で2連覇を成し遂げた巨人も1.2%減で終わってしまった。セリーグで観客動員を増やしたのは、最後までクライマックス・シリーズを競い合った中日と広島だけで、広島は広島市民球場最後の年ということもあり、23.2%の大幅増となった。

そんなセリーグだが、来年の観客動員数もお先真っ暗ではないだろうか。阪神は岡田監督の辞任に加えて、若手選手がまったく育っていないために、来年はクライマックス・シリーズを戦えるAクラスは難しい戦力になりそうである。強い阪神に慣れてしまった阪神ファンの観客動員は確実に落ちると思われる。このことは、阪神の観客動員数だけにとどまらず東京ヤクルトや横浜のように相手チームの観客動員に頼っているチームの観客動員を下げることになるだろう。

そして、巨人であるが、今年は2連覇したにもかかわらず、観客動員数を伸ばせなかったとはなさけない。昔はプラチナ・チケットと言われた巨人戦のチケットも今では簡単に入手できる。それは日本でプロ野球観戦にもっと行くと言われる、20代30代といった男性に巨人ファンが少ないからである。というよりも、巨人がそういうファンを育てなかったツケが今となって反映しているのである。ということで、巨人は来年も優勝争いをするであろうが、観客動員を伸ばすことができるかは微妙である。

来年、セリーグで観客動員数を大幅に伸ばせそうなのは広島だけではないだろうか。新球場がオープンということもあり、またセリーグ唯一の地元密着球団だから、今年の2〜3割増になり、ひょとして200万人も夢ではないかもしれない。一方、パリーグは優勝を手にした埼玉西武と、若手投手陣が成長したオリックスが大幅増になり、来年の観客動員数もよほど景気が悪くならないかぎり増加が見込めそうである。

ただし、来年3月に開催されるWBCで日本代表が悪い成績だと、観客動員数に大きな影響がでるだろう。そして、そのときの監督がもし星野仙一だと、阪神や中日の観客動員数は大幅に減るであろうから、セリーグのためにも絶対に星野をWBC監督にしてはならない。

木曜日, 10月 16, 2008

『埴生の宿』は心に残る歌

BSハイビジョンで再放送されている『純情きらり』を録画して見ている。2年前の放送のときは4:3のテレビ画面で見ていたが、今回は16:9のハイビジョン対応画面で見ているので、内容は解っていながらも少し新鮮な気分である。

その『純情きらり』の第1週では主人公の桜子が亡くなった母を慕う音楽として、『埴生の宿』が効果的に使われている。この歌は小学校の音楽唱歌になっていたり、「日本の歌百選」に選ばれていたり、数多くの映画やドラマで印象的に使われ、日本人にはとても馴染み深い歌である。しかし、この歌はご存知の方も多いと思うが原題は『Home, Sweet Home』といい、日本の歌ではない。

『埴生の宿』は1823年にイギリスで初演されたオペラ『ミラノの乙女』のなかの挿入歌で、作詞はアメリカ人のジョン・ハワード・ペイン、作曲はイギリス人のヘンリー・ローリー・ビショップ。日本では明治時代に里見義(ただし)の訳詞よって紹介されたという。

里見義は1824年(文政7年)福岡県豊津町生まれ。小倉藩藩校の流れをくむ旧制豊津中学(現福岡県立育徳館高校)の校長をした後、1881年(明治14年)に文部省の音楽取調掛御になり、おそらくここに在任中に『Home, Sweet Home』を知るようになり、それを自ら訳詞したと思われる。そして、1889年(明治22年)12月22日発行の『中等唱歌集』に納められている。しかし、残念ながら里見はそれ以前の1886年(明治19年)8月12日に亡くなっている。

先にも書いたように『埴生の宿』は映画、ドラマなどで度々印象的な音楽として使われている。もっとも有名なのが1956年に市川崑が監督した映画『ビルマの竪琴』だろう。そして、最近では1988年にスタジオ・ジブリが製作したアニメ映画『火垂るの墓』(原作:野坂昭如)であろう。しかし、私にとっては昭和30年代に放送された少年向けテレビドラマ『ナショナル・キッド』の「謎の宇宙少年シリーズ」のなかで、宇宙少年が故郷の星を思うときに歌っているシーンが今でも瞼に残っている。

※「埴生の宿」とは「埴輪」という言葉からも連想できるように、土で造った粗末な家のことを言う。

火曜日, 10月 14, 2008

京都・幕末ゆかりの地を訪れる

先週の京都滞在での最大の目的は料亭めぐりでなく、神社仏閣めぐりでもなく、幕末ゆかりの石碑およびお墓めぐりであった。なかでも、今年の7月に建てられたばかりの「小松帯刀寓居参考地」が最大のお目あてであったので、まずはここからスタートした。

「小松帯刀寓居参考地」と書かれた石碑は堀川通から一条戻橋を東に渡って30メートルほど先の右手(南側)にある。正確には石碑の正面に「此向かい 近衛堀川屋敷跡 小松帯刀寓居参考地」と書かれ、右側面には「此付近応仁の乱洛中最初合戦地」、左側面には「藤原道綱母子 源頼光 一条邸跡」と書かれている。そして、石碑の横にある副碑には下記のような文が書かれている。

「なお当地の向かいは、五摂家筆頭の近衛家の堀川邸で、内部に「御花畑」があった。薩摩島津家の家老小松帯刀は「御花畑」のある近衛邸を寓居としたとされるため、当邸は有力候補地といえる。慶応2年(1866)1月、小松寓居には長州毛利家の桂小五郎(木戸孝允)が入り、その地で薩長同盟が締結された可能性がある。」

この後は、薩摩藩邸跡(同志社大学)、大久保利通旧邸跡、相国寺にある薩摩藩士の墓、長州藩士の墓、御所のすべての門などを歩いて廻り、最後に滞在したホテルである京都ホテル=長州藩邸跡と戻るコースを歩いた。

そして、その途中に京都滞在中だった皇太子を乗せた車が烏丸通を通るために、南北に一直線の烏丸通の信号がいっせいに青になるという珍しい光景に出くわした。今となってはあの光景を写真に撮っておけばと残念でならない。

日曜日, 10月 12, 2008

備中松山城を訪れる

私はお城マニアではないが、名城と呼ばれるお城へはなるべく足を運ぶようにしている。日本には国宝となっているお城が4つあるが、犬山城以外の姫路城、松本城、彦根城には行ったことがある。この4カ所の他に江戸時代以前に建造された天守閣を有するお城が8カ所あり、それらはいずれも重要文化財に指定されている。これらを現存12天守(もしくは十二現存天守)、国宝四城、重文八城(もしくは重文八天守)と呼ぶそうである。

今回、私が訪ねた備中松山城(岡山県高梁市)は現存天守のなかで唯一の山城であり、もっとも標高の高い所(標高430m)にあるお城である。場所はJR西日本伯備線・備中高梁駅からタクシーで8合目のふいご峠駐車場まで約10分。そこから少しきつい上り坂や階段を登ること約15〜20分でお城に辿り着く。

このお城、築城が1240年というから、768年にもおよぶ長い歴史をもっている。もともとはお城というよりは砦であったのだが、写真のような天守閣ができたのは江戸時代に入ってからで、1683年に当時の藩主であった水谷勝宗によって造られた。しかし、いくらお城といえども、山の上では藩の執務に不便をきたすために、麓に御根小屋という御殿を造り(現在の高梁高校がある所)、そこで藩主は寝起きをする共に政務を行った。

私がここを訪れた理由は江戸幕府最後の老中と言われた板倉勝静と、彼を支えた山田方谷の郷土を見たかったためである。生憎の雨になってしまったが、昔ながらの城郭や町中に残る武家屋敷を見ていると、つくづくこの地が戊辰戦争の戦いの場にならなくて良かったと思わざるをえなかった。

備中松山城(高梁市観光協会)
http://www.takahasikanko.or.jp/matsuyamajo-kaisetu.htm

参考までに重文八天守とは、弘前城、丸岡城(福井県坂井市)、備中松山城、松江城、丸亀城、松山城、宇和島城、高知城の8カ所。

土曜日, 10月 11, 2008

先斗町で生まれ育った京懐石のお店『ふじ田』

『ふじ田』は三条大橋の近く先斗町歌舞練場前にあり、わかり易いロケーションである。外観はいかにも料亭風の作りで、ちょっと敷居が高そうな感じがする。店内は1階が掘り炬燵式カウンターで12席、2階が和室の個室(席料なし)が3部屋、3階が25人まで入れる宴席用が1部屋となっている。

しかし、ここのお店は板前さんたちの話が楽しい。料理長の田中さん、板前の川村さんは聞き上手にして話し上手。そういう意味では、1階のカウンター席がお勧めと言えよう。もちろん、2階の個室でしっぽりまたはまったりと京料理を味わうのもいい。個室にもかかわらず席料のチャージはないという。

料理はシーズン到来ということもあって松茸のどびん蒸し、子持ち鮎の塩焼、このお店の名物ともいうべき鴨の石焼などが出てきた。どの料理も手がこんでいる上に、旬の素材でうまく彩っている。こうした料理がうまかったせいか、それとも料理長たちのお酒の進め方がうまかったせいか、それともお酒がうまかったせいか、写真にある「京の銀明水仕込み『古都』」を4〜5杯飲んでしまった。

夜はやはり少しお高くなるが、昼の会席料理はかなりリーズナブルではないだろうか。女性一人でも気軽に入れそうなお店である。

『ふじ田』
京都市中京区先斗町三条下ル歌舞練場前
電話:075-255-0500 (要予約)
昼 11:30〜14:00
夜 17:00〜22:30(ラストオーダー21:00)
定休 毎月曜日
http://www.pontocho-fujita.jp/

金曜日, 10月 10, 2008

京都・美食日記(新町仏光寺 木乃婦)

京都でいま評判の高い京料理のお店と言われている『木乃婦』(きのぶ)へ行ってきた。夜はちょっとお高いので、昼のミニ会席を味わせてもらった。

『木乃婦』は初代高橋元信氏によって昭和10年に創業。京都には江戸時代から続くお店がいくつかあるので、老舗中の老舗というほどの京料理のお店ではない。以前は宴席や仕出し弁当のお店として評判だったが、三代目高橋拓児さんが若主人になってから、新たな創作料理も手がけるようになり、新感覚な京料理を作りだし注目を集めるようになったようだ。彼はソムリエの資格をもっていることから、ワインと相性のいい「ワイン献立」というコースも設けている。

この『木乃婦』はカウンター席はなく、全室お座敷のために1人客はお断りである。というわけで、奈良に住んでいる女友達(小学校の同級生)を急遽呼び出して伺うことにする。そして、彼女と午前11時に京都駅で待ち合わせをしたあと、タクシーで『木乃婦』へ向かった。

ところが、タクシーのおじいさん運転手は「『木乃婦』ですかぁ、あまり評判よろしいおまへんねぇ。私は『菊乃井』の方がいいと思いますが・・・」といきなり先制攻撃を食らってしまった。そりゃ、そうだろう。『菊乃井』は東山にあり、京都駅近くの『木乃婦』よりは距離が稼げるからねぇ、と半分言いかけそうになった。w そして、お店に着くと今度は店先が全面改装中で「こりゃ、大変だわなぁ」と運転手の口は止まらない。困ったものである。せっかく美味しい料理を食べに行こうと思っているのに。ブツブツブツ。ちなみに、このタクシーは山科にある●●タクシーであった。

お店へ入ると京都ならではの水を打った小道を少し歩いて玄関になり、そこは外の喧噪がまるで嘘のように静かさである。案内された2階の部屋は15〜6畳はあろうかという広さ。そこに写真のような席が二つ。電話では「大部屋でご相席になりますが」と言っていたが、こういうのは東京では相席とは言わない。窓からは隣のお寺(仏光寺?)も見ることができる。もし、1階の部屋だと店の箱庭を眺めながら食事をいただけるようである。

さて、料理であるが写真にあるように先付を皮切りに、お造り、お椀、揚物、煮ものなどが次々に出されてくる。女友達は「これでミニ会席、ちゃうんじゃないの」と驚いていた。そして、味はどれもこれも手の込んだ雅な味がして「大変おいしゅうございました」としか言いようがない。最後にデザートのアラカルトが出てきたときには、これは女心を得ているお店だなぁと感心しながらも、私も食べてしまった。(笑)

下記のHPには「最高の京料理と心尽くしのおもてなし」というキャッチフレーズが書かれているが、その言葉に偽りはない。今度はぜひとも夜の「ワイン献立」という料理をいただいてみたいものである。どなたか、連れて行ってください。w

写真上:私たちの席から撮ったもうひとつの席
  中:ミニ会席の先付
  下:デザート
(上段左からココナッツアイス・ゼリー・バニラアイス)
(下段左からみたらし団子・ムース・くず餅)

「木乃婦」(きのぶ)
京都市下京区新町通仏光寺下ル岩戸山町416
電話075-352-0001(要予約)
昼はミニ会席(平日のみ) 5250円・6300円・7350円
夜は会席料理 8400円〜21000円
ワイン献立  15750円〜21000円
http://www.kinobu.co.jp/

木曜日, 10月 09, 2008

先斗町の隠れた名店『炭火割烹いふき』

京都へ行ってきた。ということで、飲兵衛としては先斗町へ足を運ばざるをえない。ただし、今回は居酒屋やバーといったお店でなく、ちょっとリッチに京料理を味わうことができるお店へ伺った。

『炭火割烹いふき』は先斗町21番路地の一番奥、つき当たり右側にあり、本当に隠れているようなお店である。店内はカウンターが8席、テーブルがひとつ、それ以外に8人まで入れる個室がひとつある。こうした隠れたお店ではお酒と料理と雰囲気を楽しみたいので、料理の写真を撮るのは野暮というもので、料理や店内の画像を見たい人は下記のお店のHPか他のブログをご参照いただきたい。ちなみに店内は個室以外は禁煙。

「炭火割烹」と名がついているので、炭火料理ばかりかと思われるかもしれないが、おまかせコースではお造り、煮付け、鯖寿司なども出される。今回、私が食べたお造りのなかでは、ごま塩で食べる五島列島産のイカが逸品であった。他には定番ではあるが鱧のお吸い物など京料理らしい上品な味わいで絶妙な舌鼓であった。

お酒は『奥琵琶湖』という少し昔風のしっかりとした味と香りのする日本酒を飲んだ。このとき、女将さんにかなり高価な陶器のオチョコを出していただき、初参者である私にまで気配りある心遣いをしてもらい嬉しかった。そのためかどうか知らないが、お酒はぐいぐいと進んでしまった。(笑)

このお酒同様に楽しかったのが、目の前で料理を造る板さんたちの立ち振る舞いである。カウンター前にある厨房はきれいに機能的に整備されている。そのなかで、店主の山本典央さんは主にお造りやお椀ものなどを手がける。また、中央の炭火の前では山本さんと同郷(舞鶴出身)の焼き方のお兄さんが、機敏な動きと個性的な笑顔で、銀杏を炙ったり魚や牛肉などを焼く。こうしたキビキビした姿が見ていて楽しい。そして、その彼が焼いたキンキは火のとおり方、焦げ方などパーフェクトで筆舌に尽くしがたい味であった。ブラボー!である。

私は常日頃、料理は舌で味わうだけでなく、目で味わうものであり、話で味わうものだと思っている。独りで寡黙に酒をチビチビ飲みながら、料理を味わうのもいいかもしれないが、私のような饒舌な男には無理である。こうした男は京都には似つかわしくないかもしれないが、それを受け入れてくれるお店は嬉しい。『炭火割烹いふき』は私のような飲兵衛には嬉しい隠れた名店である。

炭火割烹いふき
先斗町21番路地奥 電話番号075-211-3263(要予約)
午後5時〜午後10時(ラストオーダー)不定休
http://ifuki.jp/

金曜日, 10月 03, 2008

TINNA(ティナ)というグループを憶えていますか

まずは下記のYou Tubeの曲を聴いてみてください。

シャイニング☆スカイ
http://jp.youtube.com/watch?v=KcbT9K2RBws

TINNAは1979年に、ソロのシンガー・ソング・ライターとしても活躍していた惣領智子と、アメリカ在住の日系3世の高橋真理子の2人で結成された女性デュオ。そして、このグループのアレンジャー兼プロデューサーは惣領智子の旦那さんであった惣領泰則。

惣領泰則は70年代にロサンゼルスでフランク・シナトラのアレンジャーだったドン・コスタに音楽を学び、当時国立音楽大学に在学中だった惣領智子をリード・ボーカルに抜擢してブラウン・ライスというバンドを結成。全米各地を4年に渡って廻って活躍した。

こうしたことから、TINNAはそれまでの日本にはない、思いっきりアメリカン・テイストの洗練された女性デュオで、70年代半ばにカリフォルニアに住んでいた私には親しみがあると共に、かなり鮮烈なインパクトを与えたグループであった。

TINNAはおそらく『LONG DISTANCE』『童夢』『MONDAY MORNING RAIN』『1999/TINNA』という4枚のアルバムをリリースしているが、押し入れのなかを調べたら、『童夢』以外の3枚と惣領智子のソロ・アルバム『IT'S ABOUT TIME』が出てきた。しかしながら、現在の私はレコード・プレイヤーをもっていないので、残念なことに彼女たちの歌声を聴くことができない。おそらく80年代のグループなのでCD化もされていないだろう。いずれCD化もできるレコード・プレイヤーを買うしかない。

Googleで調べたら、惣領智子さんは沖縄・那覇市でライブも行える飲食店『母家』を経営していたが今年5月末に閉じ、来年、別の場所に違うお店をオープンさせるようです。次に沖縄へ行くときは、4枚のレコードを持ってサインをもらいに行こうかなとミーハーな気分でいる。。

惣領智子の母家
http://omoya.ti-da.net/

木曜日, 10月 02, 2008

引退セレモニーあとの清原の思いやり

昨晩はたまたま家にいたので、何気なしにオリックス・バッファローズの清原和博の引退セレモニーをCS放送で見てしまった。長渕剛が登場したこともあって、おそらくプロ野球史上もっともド派手なセレモニーだったに違いない。

引退セレモニーは清原の涙、涙、涙で、それはそれで良かったのだが、今朝、スポーツ新聞(日刊スポーツ)を読んで、清原の人柄の良さに感心させられた。

清原は現役最後の打席で三振。全球まっすぐで勝負してくれたソフトバンク・ホークスの杉内俊哉投手に一礼した。そして、球審から最後となった記念のボールを少し苦笑いしながら受け取った。しかし、清原は球場を離れる直前に関係者を通じて、ボールを杉内投手に戻した。そこには『杉内へ 最高の球をありがとう 清原和博』と書き込まれていた。

また、「勝利投手になってウィ二ング・ボールを清原さんに渡すんだ」と公言していた近藤一樹投手は、その通り完投勝利して、記念のウィ二ング・ボールを清原に渡したが、清原は『10勝おめでとう』と書いて近藤投手に戻した。

バッターにとってボールはたとえ記念のホームランボールでも、それよりはそれを打ったバットの方が記念の品なのかもしれない。ウィ二ング・ボールなどの記念のボールはやはり投手のものなのかもしれない。

派手なセレモニーに隠れているが、清原の思いやりをみるエピソードである。

月曜日, 9月 29, 2008

日本初の健康診断は新選組

6月に目黒区から特定健康診査のご案内というのが届いた。一昨日は「お済みですか」という督促状まがいのハガキまできてしまった。早い話が健康診断とがん検診である。6月から11月までに区内の医療機関で検診ができる。ただ、この医療機関には大病院は含まれておらず、個人医院に対する政策ともいえる。その善し悪しは別にして、私も来月には検診をするつもりでいる。

ところで、この健康診断のルーツは新選組と言われている。慶応元年(1965年)初夏、近藤勇が幕府典医松本良順による新選組隊士170数名に対して健康診断が行った。そのうち、70数名が感冒(風邪)、食傷、梅毒などの病気にかかっていた。また、1人は心臓肥大、1人は肺結核であった。肺結核と診断されたのはおそらく沖田総司だったであろう。

隊士の3分の1が病人ということで、松本良順は西洋の病院の概略を話したら、新選組はその日のうちに病室をつくったり浴槽を改装させたりして、衛生面の気をつけるようになったという。

私は新選組のことがあまり好きではないが、健康診断という当時としては画期的なことをしたことに対しては敬服せざるをえない。司馬遼太郎の小説「胡蝶の夢」のなかにこういう文章がでてくる。

「この当時も、これ以後半世紀以上そうであったが、この国の社会で医師に診てもらうということは普通、半ば死にかけの重病人にかぎられていた。集団一般に対して健康診断というかたちのことをやったのは(松本)良順自身も最初の経験であったし、隊士たちもむろんはじめてであった。この種の形式が日本で行われたのは、あるいはこの慶応元年初夏の新選組屯所でのことが最初であったかもしれない。もっともそれ以前の長崎時代、良順は稲佐の仮設の遊郭で梅毒検査をやったことがある。万延元年のことで、相手は外国艦船の乗組員を客とする娼妓たちであった。しかしその集団検診とこの場合は当然ながら内容が異なっている。」

ということで、日本初の健康診断は新選組だったようである。

木曜日, 9月 25, 2008

麻生内閣の祖先もしくは親族

麻生太郎(首相)の曾々祖父は言わずと知れた大久保利通。曾祖父は牧野伸顕。内大臣をはじめ数多くの大臣を歴任。昭和11年(1936年)の226事件の際に湯河原の伊藤屋旅館別荘に宿泊していたところを襲撃されたが一命はとりとめた。そして、祖父は吉田茂元首相。

鳩山邦夫(総務)の曾祖父は鳩山和夫は、江戸末期の美作勝山藩士。明治維新後は政治家、弁護士となり、外務次官、衆議院議長などを歴任。専修学校(専修大学)の設立に大きく貢献、東京専門学校(早稲田大学)の校長なども歴任した。そして、祖父は鳩山一郎元首相。父の鳩山威一郎は元外務大臣。

森英介(法務)の祖父は森矗昶(のぶてる)。森コンツェルンの創設者、大正・昭和初期の衆議院議員。父は衆議院議員・森美秀。伯父の森曉、森清も共に衆議院議員。千葉県で森一族を知らない者はいないとまで言われている。

中曽根弘文(外務)の父は大勲位・中曽根康弘。帝国大学を卒業後、内務省に勤務。戦地への任官を逃れるために海軍主計に転職。戦後は衆議院議員になると共に正力松太郎や岸信介(2人ともA級戦犯)に近づき権力を延ばし、首相までなる。

中川昭一(財務・金融)の父は中川一郎元衆議院議員。「北海のヒグマ」と呼ばれ、青嵐会結成時の代表世話人。結成メンバーは31人で、渡辺美智雄、中尾栄一、浜田幸一といった武闘派と呼ばれる人や、後に権力の中枢で幅を利かせるようになった森喜朗、綿貫民輔、石原慎太郎、三塚博、山崎拓などもいた。

ここまで書いてくたびれた。あとは申し訳ないが、かなり省略します。

塩谷 立(文部科学)の父は元衆議院議院塩谷一夫。
舛添要一(厚生労働)は食品店経営の息子で、親族に政治家はいない。
石破 茂(農林水産)の父は元鳥取県知事で参議院議員だった石破二朗。
二階俊博(経済産業)の父は二階俊太郎で元衆議院議員。
中山成彬(国土交通)の親族には政治家はいないが、彼は元大蔵官僚。
斎藤鉄夫(環境)は公明党議員。
浜田靖一(防衛)の父はご存知暴れん坊ハマコーこと浜田幸一(元衆議院議員)。
河村建夫(内閣官房)の父は山口県議だった河村定一。
佐藤 勉(国家公安)は叩き上げの党員で親族に政治家はいない。
与謝野馨(経済財政)家系に政治家はいないが、彼は中曽根康弘の元秘書だった。
甘利 明(行政改革)の父は衆議院議員だった甘利正。
野田聖子(消費者)の祖父は衆議院議員だった野田卯一。
小渕優子(少子化)の祖父は衆議院議員だった小渕光平。そして父は元首相の小渕恵三。

水曜日, 9月 24, 2008

この紋どころが目に入らぬか


お彼岸ということで青山墓地へお墓参りに行ってきた。今回のお墓入りの目的はご先祖様に申し訳ないが、墓石に彫られている家紋の確認でした。(失笑)

みなさん、自分の家紋をご存知ですか。

紋付袴などをお持ちの方は「そんなの常識だろ」とおっしゃると思いますが、意外に落とし穴があるのでくれぐれもご注意ください。というのも、我が家の家紋は「三階松」ということを私でも知っていました。しかし、三階松にも下記のように右三階松、左三階松、丸に右三階松、丸に左三階松、荒枝付き右三階松、荒枝付き左三階松などいろいろあるのです。

http://www.otomiya.com/kamon/plant/matsu.htm

それゆえに、今回の墓参りは上記の写真にあるように家紋の確認に行ったようなものでした。ということで、私の家の家紋は「丸に右三階松」。「この紋どころが目に入らぬか」と言われているようでした。(笑)

月曜日, 9月 22, 2008

麻生太郎よ、補正予算より大政奉還を

司馬遼太郎をはじめ、数多くの幕末関係の本を読んでいると、今の日本の官僚たちは幕末の官僚(旗本・御家人)となんら変わりないのではないかと思ってしまう。危機意識の無さ、先見性の無さ、自らの保身とその生態は同じといっても過言ではない。

具体的にいえば、年金の改ざん、居酒屋タクシー、事故米の責任転嫁など上げたら切りがない。そして、こうした官僚機構を取り締まるべき若年寄や目付の存在であるはずの譜代大名(自民党)はまるで機能しておらず、袖の下ともいうべき癒着構造というぬるま湯に浸りっぱなしである。

こうした官僚機構を根幹から変えないと、明日の日本に未来はないように思える。やはり、譜代大名である自民党は外様大名である野党に対して大政奉還を行い、王政復古の大号令の発しないとダメなようである。そして、公務員改革だけでなく地方の自治権拡大を行い、地方は廃藩置県ならぬ廃県置藩ぐらいの意識をもって地方行政改革にもとりくむべきであろう。

そして、自民党新総裁になる麻生太郎は無能な官僚たちが作る補正予算などを審議することなく、大政奉還するなり総選挙で国民の声を問うべきである。

木曜日, 9月 18, 2008

日本人があまり行かない観光地 パールハーバー

パールハーバーとはもちろんハワイの真珠湾のことである。昨今は原油高によって燃油サーチャージが高騰、加えてハワイがインフレに陥り、ハワイを訪れる観光客が少なくなっている。それでも、日本からは年間約180万人の観光客を訪れるという。しかし、そのなかでいったいどれほどの人がパールハーバーを訪れるであろうか。おそらく2〜3万人もいないのではないだろうか。

パールハーバーはホノルルの西約10kmの位置にあり、ワイキキのホテル街からも簡単に行くことできる。ここには今でもアメリカ海軍太平洋艦隊の司令部があり、アメリカの重要な戦略基地として機能している。そして、このパールハーバーには日本軍の真珠湾攻撃で撃沈された戦艦アリゾナとユタの2隻が、今でも沈んだまま残されている。その沈んだ戦艦アリゾナの上には博物館が建てられていて、そこには日本軍との戦闘で亡くなった1,177人の名が刻まれた慰霊碑がある。

私がここを訪れたのは今から30年以上前のことだが、海軍の士官によって行われるツアーに乗っていた日本人は私ひとりだけで、ツアー客から私は少し希有の目で見られた。しかし、しばらくして「私の父も伯父も太平洋戦戦争を戦い、伯父は沖縄で亡くなった」と言うと、太平洋戦線に従軍したという年配の人が、私に向かって最敬礼をして「彼らはヒーローだよ」と言ってくれた。

先日、G8の下院議長会議というのが広島で行われて、アメリカのナンシー・ペロシ下院議長がアメリカの下院議長として、初めて原爆慰霊碑に献花した。その後、原爆資料館を訪れて、いろいろな質問をして涙ぐんでいた。そんなニュース映像を見た人も多いのではないだろうか。

日本の政府もしくは議会高官がパールハーバーを訪れたことがあるのかどうか知らない。そんなことよりは、日本人観光客はパールハーバーを積極的に訪れるべきであろう。

土曜日, 9月 13, 2008

日本人があまり行かない観光地 サンアントニオ

サンアントニオはテキサス州の南西部、メキシコ国境に接する町で、テキサスではヒューストンに次ぐ大きな都市。全米でも10傑に入るか入らない人口を擁する町でもある。サンアントニオというと、日本では若者にはプロバスケットボールのNBAの強豪チーム・スパーズの本拠地として知られているが、アメリカではもちろん「アラモの砦」のある土地として、知らない者はいない。

「アラモの砦」は1836年のテキサス独立戦争中に起きたメキシコ軍とテキサス軍の間で行われたアラモの戦いの舞台となったところである。この戦いの詳細について書くと長くなるので省略させてもらうが、この戦いによって独立を求めるテキサス軍(アメリカの支援をうけていた)は全員玉砕し、結果的に自由と独立を求めるアメリカの神話として受け継がれるようになった。

「アラモの砦」は僧院を改造して造られたものなので、砦としてはさほど大きくはない。ただ、頑丈な石造りであったためか、戦闘は簡単に終わらず、13日間の戦闘でテキサス軍188人、メキシコ軍約350人が死亡したという悲惨な戦いになった。

なお、サンアントニオ市内にはパセオ・デル・リオ(リバーウォーク)があり、市内の中心を流れるサンアントニオ川沿いを歩いて楽しめる。川沿いにはスペイン領時代の面影も数多く残っていて、ここを歩くと「アラモの戦い」がこの地であったのかと不思議に思ってしまうぐらいの悠久の流れと静けさを感じる。

木曜日, 9月 11, 2008

ナベツネ発言の明白な真意

WBC監督問題でナベツネ(渡辺恒雄)がマスコミに牽制球を投げている。

北京オリンピックでの惨敗後、ナベツネは「星野くん以上の人間がいるかね? 星野くん以上のさい配をする人物なんているのかね?」と発言して、星野仙一の続投を望んだ。ところが、その星野がブログで監督辞退を伝えた後「ワンちゃんに頼むしかない。コミッショナー以下が土下座して頼むしかない」などと発言して、今度は王貞治の再登板を訴えた。

それでは、なぜナベツネがこのような発言するかといえば、その答えはひとつである。彼の頭のなかには巨人の利益しかなく、パリーグ色の強い監督(野村克也、バレンタインなど)をWBC監督にさせたくないのだ。

ナベツネはパリーグのことを、以前より快く思っていないし、パリーグはFA選手の供給の場ぐらいにしか考えていない。もし、パリーグ系の監督になると、どうしてもメジャーおよびパリーグ色の強いチーム構成になり、巨人およびセリーグが埋没してしまうという危機感がある。それでは、予選で東京ドームを提供する読売新聞としては面白くない。また、もし王監督になれば、ヘッドコーチに原辰徳を選んでもらい、次のWBC監督にしようという狙いも見え隠れする。

ナベツネは日本野球界全体のことなど考えていない。彼の頭のなかには巨人のことと自己利益しかない。彼はそういうご都合主義な爺さんである。

火曜日, 9月 09, 2008

コロッケ、肉じゃが、カレーの始まりは脚気対策

近くのコンビニが閉店してしまったおかげで、碑文谷ダイエー1Fの食品売り場に足を運ぶ回数が増えている。以前は週に1〜2回しか行かなかった食品売り場だったが、このところは毎日のように行っている・・・。

その食品売り場でついつい足が止まってしまうのがコロッケである。コロッケといえば昭和30年代には子供のおやつであり、肉屋さんや惣菜屋さんの店先には揚げたてのコロッケが置いてあり、1個10円ぐらいで売られていた。今ダイエーで売られているコロッケは1個105円である。

そのコロッケ売り場に最近「元祖肉じゃがコロッケ」「よこすか海軍コロッケ」と書かれた紙袋にはいったものが売られている。そして、この紙袋には下記のように書いてあった。

【肉じゃが発祥秘話】肉じゃがの発祥の地は京都府舞鶴市。時は明治34年。舞鶴海軍初代長官の東郷平八郎が、青年時代に留学していた英国のビーフシチューが忘れられず、水兵さんたいの脚気防止に作らせたのが「肉じゃが(甘煮)」の始まりと言われています。元祖肉じゃがの作り方は唯一、海上自衛隊舞鶴第四術学校に海軍厨業管理教科書に残されています。

【カレーライスのルーツは横須賀にあり!】明治時代、旧日本海軍の食事は栄養のバランスが悪かったために改善策として、英国軍のカレーシチューが採用されました。それを初めはパンにつけて食べていましたが、これでは力がつかないということで、日本人の口に合うように小麦粉を加え、とろみをつけたものをごはんにかけて食べるようにしたのがカレーライスのルーツといわれております。そしてこのカレーを故郷に持ち帰った水兵さんたちにより全国の家庭に広まっていきました。

※肉じゃがについては、広島県呉市も東郷平八郎が呉鎮守府の参謀長をしていたことから「肉じゃが発祥の地」と名乗りあげていて、肉じゃが発祥地論争というのがある。

日本におけるコロッケの起源ははっきりしていなが、普及にはカレーライス、肉じゃが同様に海軍の影響が相当にあったようである。戦前に大湊警備府があった青森県むつ市では「海軍コロッケ」の元祖として、町おこしを行っている。

家庭の食卓の歴史に海軍あり、である。そして、これらの「海軍グルメ」は脚気対策のためであった。

海軍グルメ、始まりは脚気対策
http://mytown.asahi.com/hiroshima/news.php?k_id=35000390804170001

月曜日, 9月 08, 2008

山口4区と群馬4区の責任をなぜ問えない

日本のマスコミはおかしい。ジャーナリズムは狂っている。

安倍晋三に続いて福田康夫と二人も政権を放り出したのに、マスコミは売名行為的茶番劇の自民党総裁選のことばかり報道して、二人の責任をまったく問い糾していない。なぜ、安倍晋三は健康がよくないのに今でも議員辞職もせずにいられるのだろうか。なぜ、福田康夫は自分自身を客観的に見ることができるのに議員辞職をしないのだろうか。そして、なぜこんな二人を選んだ選挙区の責任を問わないのだろうか、と。

2005年の総選挙の結果は次の通りである。二人とも圧勝である。

山口4区(下関市、長門市)
 1 安倍晋三  自民党 前 137,701 ◎
 2 加藤 隆  民主党 新 36,847
 3 木佐木大助 共産党 新 12,499

群馬4区(高崎市、藤岡市、多野郡)
 1 福田康夫  自民党 前 118,517 ◎
 2 中島政希  民主党 新 56,364
 3 酒井悦夫  共産党 新 13,809

二人は山口4区および群馬4区の期待を担って当選した。そして、総理大臣になった。しかし、二人は政権を放り投げた。こんな二人を当選させた選挙民に責任がないのだろうか。どうして、マスコミはそれぞれの選挙民たちの声を報道しないのだろうか。

次の総選挙でもおそらく安倍と福田は厚顔無恥にも立候補するだろう。そのとき、選挙民は彼らに投票するのであろうか。もし、二人がまた当選したならば、この二つの選挙区の民度は日本一低いということになり、誰もが今後100年山口県と群馬県から総理大臣を出してほしくないと思うようになってもおかしくない。

政治に責任があるのは政治家だけでなく、その政治家を選んだ選挙民にもある。こんな解りきったことを問えないマスコミは政治家以下の無責任者である。

土曜日, 9月 06, 2008

親方衆が禁煙しなければ問題は解決しない

大相撲で大麻が問題になっているが、日本ほどスポーツ選手が喫煙している国は世界にない。あくまでも推測であるが、プロ野球選手の3割前後は喫煙者だと思う。同じく、プロゴルファーの3割前後が喫煙者だと思う。スポーツではないが、身体が資本である舞台役者やロック・ミュージシャンの半分近くが喫煙者である。

一方、喫煙者がほとんどいないスポーツは陸上や水泳ぐらいであろう。有酸素運動にして心肺機能に負担がかかるスポーツは喫煙すると、記録がてきめんに落ちるので、この二つのスポーツ選手のほとんどはタバコを吸わない。

なぜこうまで日本ではこんな喫煙者が多いかといえば、学生時代の影響があるのはないだろうか。というのも、指導者たちに喫煙者が多いことが遠因となっている。クラブの顧問や監督が平気で喫煙をしている。もともと高校生や大学生になると、どうしてもちょっと大人ぶりたくなり、タバコに手が届いてしまう。これでは当然ながら真似をする者もでてくるだろう。

もし、大相撲で大麻問題を起こしたくないならば、親方衆が率先して禁煙するしかないだろう。

木曜日, 9月 04, 2008

学力テストの地域格差を考える

先日(8月29日)、文部科学省が今年4月22日に実施された全国学力テストの結果を発表した。その結果、秋田、福井、富山など日本海側の県が2年連続で好成績をあげるが、沖縄、北海道、大阪などが2年連続低迷して、学力の地域格差が鮮明になっていることが明らかになってしまった。

それでは、どうしてここまで格差が生じているのかを、我ながら最近は退化しつつある脳味噌をしぼって考えてみたが、思い浮かんだのが離婚率との関連性であった。下記の離婚率は、厚生労働省が2006年に人口千人あたりに何組の離婚数があるかを調査したもので、全国平均は人口千人あたりで2.04組だった。

第1位 沖縄県  2.68    〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
第2位 大阪府  2.37   第42位 秋田県  1.68
第3位 北海道  2.36   第43位 岐阜県  1.67
第4位 宮崎県  2.34   第44位 福井県  1.66
第5位 福岡県  2.25   第45位 島根県  1.64
第6位 和歌山県 2.21   第46位 富山県  1.61
第7位 高知県  2.19   第47位 新潟県  1.52

ご覧のように一目瞭然で、日本海側は離婚率が低く、学力テストで低迷した道府県の離婚率が高いのである。

また、下記の都道府県別生活保護率(2004年調査)によれば、生活保護を受けている率は都道府県は北海道、福岡、大阪、青森、東京、沖縄、高知、徳島といったところが高く、富山、岐阜、福井、愛知、静岡、石川、新潟、山梨が低い。

こうなると、学力テストと家庭環境はかなり密接であると言わざるをえない。つまり、学力は学校の力だけでなく、家庭の力が大きいということである。母子家庭や父子家庭だと、生活することだけで大変であり、なかなか子供の教育や躾というところまで手が回りにくい。子供の宿題を見てあげたり、塾通いをさせるも難しいに違いない。

まだまだこの学力テストにおける地域格差の根本が何かわからないが、大阪の橋下知事が「大阪の公教育は崩壊している。府教委は最悪だ。教育委員はみんなお飾り」と批判したところで、大阪府全体の問題として捉えないと、学力アップには繋がらないだろう。

都道府県別生活保護率
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/7347.html

火曜日, 9月 02, 2008

日本の三悪人はこの人たち

古代ローマ帝国の時代から現代までつづく三悪は「売春・麻薬・賄賂」と言われている。この3つは5,000年の歴史があり、残念ながら将来にわたって消えることはないだろう。

それでは、現代の日本における三悪は何かを考えてみたが「政党・宗教法人・マスコミ」ではないだろうか。そして、その象徴ともいうべき三悪人は森喜朗(自民党)・池田大作(創価学会)・渡辺恒雄(読売新聞)である。

森喜朗は小泉純一郎・安倍晋三・福田康夫というロクでもない首相3人を擁立して、自らの世を謳歌してきた暗躍者である。小泉は5年に渡って国民をかどわかし、安倍と福田は共に1年で政権を投げ出すなど政権能力のない輩であった。こんな連中の派閥の領袖である森喜朗こそ政界最大の悪党である。

池田大作は宗教という隠れ蓑を使い、金銭的利益、政治的権益、個人的な女性愛好、北朝鮮まがいの世襲制など行う悪党である。税金も納めず浮世をすごいて宗教法人はやはりナンセンスである。その象徴が池田大作であることは誰もが認めるところである。

渡辺恒雄は、政界、マスコミ界、スポーツ界を横断的に徘徊する偽善者である。政治記者でありながら中曽根康広の腰巾着となり読売新聞の権力を握り、その後は新聞ばかりでなくテレビや雑誌などを使い、人の意見を全く聞かないワンマンぶりを発揮している。

この三悪人は結局百害あって一利なしの連中である。それゆえに早く引退してもらい、できればその後ろ楯である組織も崩壊してもらいたい。

月曜日, 9月 01, 2008

自分と同じ名前の人は何人いるのだろう

『日本の苗字7000傑』というHPによると、日本の多い苗字10傑は、佐藤、鈴木、高橋、田中、渡辺、伊藤、山本、中村、小林、斎藤の順で、10位の斎藤を除いて、上位9傑はそれぞれ人口が100万人以上いるそうだ。ちなみに、小松は107位で人口は約171,000人だそうである。

次に多い名前のHPを探したが、これは残念ながらなくて、どうやら、男性の多い名前は1位ヒロシ、2位タカシ、3位アキラのようである。一方、女性の多い名前は1位ケイコ、2位ヨウコ、3位ヨシコのようである。おそらく、私の名前であるカツヒコは苗字の小松同様に100位台であろう。となると、カツヒコという名前は約171,000人の半分(男女比として)の85,000人ぐらいであろう。

日本の人口は約1億2500万人である。小松とう名前は約171,000人であるから、日本の総人口に占める割合は0.1368%である。これと同じ割合で、小松とカツヒコの割合を出すことにする。小松の男性約85,000人に0.1368%を掛けると、11.628という数字がでてきた。つまり、この世のなかに私以外に「小松カツヒコ」という人は10人はいることになる。ただ、「カツヒコ」は「勝彦」と「克彦」があるので、実際に私と同性同名の人は5人ぐらいではなかろうか。

これと同様の計算をすると、佐藤ヒロシもしくはケイコさんという人は、それぞれ14,807人いることになる。あなたの周りに佐藤ヒロシもしくはケイコさんという名前の方はいませんか。もし、いたら「あなたと同じ名前の人は14,806人はいるのです」と教えてあげましょう。

日本の苗字7000傑
http://www.myj7000.jp-biz.net/

土曜日, 8月 30, 2008

コンビニ規制より深夜テレビ自粛を

コンビニの深夜営業自粛などを話し合う京都市の「環境にやさしいライフスタイルを考える市民会議」の会合が27日に始まった。これは地球温暖化対策や夜型生活を見直すなどを名目した会議のようであり、会議の冒頭に京都市長が「青少年の健全育成や家族のきずなを強めるということからいろいろ考えた方がいい」と述べたという。

これに対して参加を要請されていたコンビニの団体である日本フランチャイズチェーン協会は「会議は公平性を欠き、自粛要請ありきだ」として不参加を表明した。当然であろう。8月28日付けの読売新聞によると「こうした動きに、日本フランチャイズチェーン協会は『自粛しても、二酸化炭素排出量の削減効果はわずか。交番や駐在所が減少する中、まちの安全拠点としての役割も大きい』と反発。どの自治体からの自粛要請も受け入れない考えを示している」と書いている。

日本フランチャイズチェーン協会によれば、深夜営業を自粛すると売り上げの2割が減る上に、冷蔵庫の電源を落とすわけにはいかないので、温暖化対策にはならないと指摘している。投資経済データリンクというHPの記事によると、コンビニの規制によって3,633億円の市場が影響を受ると書いている。つまり、3,633億円すべてとはいわないが、相当額な経済的損失をうけるのである。ここまでしてコンビニの深夜営業を規制する必要があるのであろうか。

コンビニを規制するならば、深夜テレビ(午前1時から午前5時ぐらい)の自粛の方が先決ではなかろうか。前述の投資経済データリンクによれば、深夜放送の自粛の場合は年間844億円の市場が消失すると書いている。しかし、逆に深夜テレビを自粛することによる経済効果も期待される。

深夜テレビがなくなれば、まずテレビの録画や再生のためにDVDなどデジタル放送機器を買う人が増える。これは地上デジタル放送の販売促進にもなる。これによって馬鹿げたデジタル放送推進予算も減らせるはずだ。この他にも、読書する人が増える。CDを聴く人が増える。フェミレスやコンビニの売り上げがあがる。子供が増える。などなどいろいろな経済効果が考えられる。コンビニ規制よりこちらの方が間違いなく経済効果が見込めるので、先決なのではなかろうか。

それではなぜ、深夜テレビの自粛が話題にならないかと言えば、それは新聞社がヘゲモニーをもっているマスコミが取り上げないからである。所詮テレビ局は新聞社の子会社であり、天下り機関でもあるのだから、自分たちで自分の首をしめたりはしない。マスコミも所詮権力者と変わらないのである。

深夜のコンビニ規制よりも、まずは深夜のテレビ規制(自粛?)の方が「環境にやさしいライフスタイル」である。京都市の会議のみなさんも、頭をやわらかくして、まずは矛先をコンビにでなくマスコミに向けてはどうだろうか。それにしても、政府や自治体がこうしたコンビニやテレビなどライフスタイルに規制をかけること自体がおかしい。

投資経済データリンク
http://blog.h-h.jp/investnews/2008/03/10/

水曜日, 8月 27, 2008

早すぎるぞ、加奈子。悲しすぎるぞ、加奈子。

女優の深浦加奈子が48歳という若さで亡くなってしまった。

昨日の夕方のニュースでその第一報が流れたとき、思わず「エッ」と言ってしまった。ショックであった。私と同じような言葉を口走った演劇およびドラマ関係者は数多かったに違いない。

深浦加奈子は明治大学在学中の1980年に、川村毅率いる第三エロチカの旗揚げに参加した。そして、89年に退団するまでに看板女優として、80年代小劇場ブームのど真ん中を歩んだ。退団後はその演劇力を買われて、舞台だけでなくドラマ、映画と仕事の幅を広げていった。


ここまで書いて、文章が続かなくなってしまった・・・。


私は80年代に2度ほど舞台で彼女と仕事をしている。

とにかく残念でならない。そして、彼女の知人ならば誰もが「早すぎるぞ、加奈子。悲しすぎるぞ、加奈子」と言っていると思う。

ご冥福をお祈りします。

火曜日, 8月 26, 2008

近くのコンビ二の閉店は痛い

先週、家から一番近いコンビ二が閉店になってしまった。売り上げが悪かったわけではなく、ビルとの契約切れ(ビルを建て直すようだが、いつになるか未定)のためである。

私にとってこのコンビニ閉店は非常に痛い。ここでいつも昼飯のサンドウィッチやお弁当などを買っていた。ビール、酎ハイ、水、お茶も買っていた。スポーツ新聞、夕刊紙、競馬新聞、週刊誌、月刊誌も買っていた。ティッシュやゴミ袋も買っていた。電池や香典袋も買っていた。本当にいろいろなものを買っていた。それらをもう買いに行くことはできなくなった。

このためにスポーツ新聞は宅配を頼まざるをえなくなったし、雑誌もいくつかは定期購読をしようか思案中である。

すぐ近くに碑文谷ダイエー(7階建て)があり、買物には事欠かないのだが、器が大きすぎるためにいくつものフロアに行かなければならない。そう考えるとコンビ二の便利さを痛感する。日常生活に大きな支障である。

碑文谷ダイエーの1階にコンビニを作ってくれないかなぁ・・・。(笑)

ダイエー碑文谷店
http://shop.daiei.co.jp/shop/ShopPageTop.do?shopid=0284

土曜日, 8月 23, 2008

セリーグしか知らない星野では世界に勝てない

私はプロ野球ファンである。今回のオリンピックで日本プロ野球悲願の優勝することを願っていた。しかし、実はその可能性は低いと疑っていた。結果は案の定である。というのも、タイトルに書いたように、セリーグしか知らない星野仙一では勝てないと思っていたからである。

星野仙一という男は中日と阪神でリーグ優勝経験はあるものの、日本一になっていない。つまり短期決戦に勝てない監督なのだ。今回のオリンピックやWBC(ワールド・ボールベース・クラシック)などような短期決戦では、知力と運を兼ねそなえた監督でないと勝てない。そういう意味では、最初から星野は日本代表の監督に向いていないのである。

その星野が選んだ首脳陣も問題である。山本浩二、田淵幸一という仲良しトリオに、大野豊ではあまりにも野球の世界観が狭すぎる首脳陣である。というのも、この4人のなかでパリーグを経験したことがあるのは田淵ひとりだけ。他の3人はパリーグで一度もプレイおよび指導をしたことがない。つまり、この首脳陣はパリーグ野球を熟知していないのだ。加えて、星野は日本人選手のメジャーリーグ進出に批判的であり、世界最高峰の野球であるメジャーリーグもほとんど知らない。このように、基本的に首脳陣の野球観が広くないのである。ちなみに、WBCのとき王貞治監督はコーチ陣全員をセパ両リーグ経験者で固めていた。

次に選手選考がおかしい。24人しかない選手枠なのにキャッチャーを3人にしたことが不思議でならない。ブルペン・キャッチャーが入れられないので、3人にしたというが、やはり1人は小笠原(巨人)、和田(中日)、北川(オリックス)のようなキャッチャー経験の野手をいるべきであった。もし、ブルペン・キャッチャーがいないときは田淵がやるぐらいの気構えが欲しかった。

そして、最大の問題は選手起用法である。すでにいろいろなところで言ったり書いたりしてきたが、星野の中日および阪神選手偏重の選手起用には呆れはてた。新井(阪神)の4番は解るとしても、第1戦、第2戦の3番に森野(中日)を起用したことには啞然とした。3番打者はある意味で4番打者より重要なのに、国際経験の乏しい森野を据えたことは、星野の選手起用がいかに盲目的であるかを象徴しているようであった。加えて、投手起用にしても重要な場面では常に中日・阪神の投手を登板させて、ほとんどが裏目に出ている。つまり、星野は子飼いの選手しか信用していないのである。しかし、結果としてそれがことごとく裏切られた。

これ以上書くと、選手個々の批判になってしまうので止めるが、星野には二度とジャパンのユニフォームを着てもらいたくない。来年3月開催予定のWBC監督なんてもってのほかである。

最後に余談になるが、日本のプロ野球はもっと国際化を進めるべきである。ボールを国際球と同様のものにする。ストライク・ボール・アウトの呼び方、つまりSBOをBSOにする。年に何回は国際審判員を起用して公式戦を行う。また、両翼98メートル以下センター115メートル以下の狭い球場での公式戦を行わないなど、あらゆる面で世界基準にすべきである。

最後の最後に、日本プロ野球機構が用意していたであろう報奨金はすべて女子ソフトボール・チームにあげてほしい。

木曜日, 8月 21, 2008

枕はどちら向き

枕の向きを気にする人は結構多い。私はまったく無頓着で、部屋の作りによって枕の位置はあちらこちらを向いている。現在の寝室では南側に枕が置いてある。しかし、何年か前に部屋替えをするまでは西向きであった。以前借りていた高田馬場の仕事場で、週2〜3回は寝床として使っていたソファ(折りたたみ式)の枕は北向きにあった。

旅行に行っても枕の向きは都合のいいように変えている。ホテルはベッドなのでさすがに変えようがないが、旅館では夜になって布団が敷かれても、テレビや机の配置などによって好き勝手に変えたりしてしまう。もちろん、そのときに南がどっち、北がどっちなどと考えようもしない。

日本では昔から「北枕」は縁起が悪いと言われてきているが、風水などでは「北枕」と「東枕」が良いとされているようだ。北は落ち着く方向で、ゆったりと眠られ身体にたまった悪い運気を流してくれるそうだ。また、東は発展の運気や若々しい気を与えてくれる方角のようで、「東枕」は別名「若返りの枕」とも言うそうである。しかし、風水をよく知らないというか、そういうことに興味のない私にとっては、これまたどうでもいい話である。

東南アジアやアメリカではあまり枕の向きの話を聞いたことない。枕の向きより枕の高さや柔らかさを調整しろとは言われたりすることはよくあるが・・・。

火曜日, 8月 19, 2008

『バス通り裏』の元子さん

その昔『バス通り裏』というテレビドラマがNHKにあった。放映開始は1958年4月7日で、終了は1963年3月30日。放送時間は平日の19時15分からの15分間。夜7時のニュースのあとの生放送(当時はVTRなどなかった)だった。

下町商店街のバス通り裏に住む高校教師の赤沢家(小栗一也と織賀邦江)と、その向かいにある美容院の川田家(露原千草と武内文平)を中心に、近隣の商店街の日常生活を描いた明るいホームドラマで、朝の連続テレビ小説の原点となったとも言われる作品である。

この番組からは川田家の娘・元子役を演じた十朱幸代、その友達役を演じた岩下志麻、赤沢家の居候の五郎役を演じた佐藤英夫の3人がデビューして、後に人気者になった。他にも、宗方勝巳、田中邦衛、米倉斉加年、荒木一郎などが出演して、番組は若手俳優の登竜門的存在でもあった。

それにしても、この番組での十朱幸代が演じた元子さんは明るく溌剌としていた。「当時は私自身が女学生でしたから、学校の帰りにスタジオに行っていた。アルバイトして楽しんで通っているみたい。町で “元子さん” と呼ばれるのが嬉しかったですね」(テレビドラマ全史より)彼女の元気な姿を見ることが私も楽しみだった。そして、この番組が私をテレビドラマ好きにしたのかもしれない。しかし、それからしばらくして元子という名の子に恋するとは思わなかった。(笑)

金曜日, 8月 15, 2008

靖国神社には行かない

今日は終戦記念日である。

以前にも書いたが、私の伯父は沖縄の終戦前後に軍医として亡くなっている。それゆえに、おそらく伯父の御霊も靖国神社に祀られているのであろう。しかし、5年前に亡くなった父は靖国神社へ一度も行くことはなかった。彼も陸軍の下士官(職業軍人ではない)として、中国で終戦を迎えている。その父にしても靖国神社に対しては何かワダカマリがあったのだろう。

毎年、気象庁が東京のサクラの開花宣言を靖国神社で行っていることに対しても、私は少なからず抵抗感がある。

沖縄旅行3日目(平和の礎へお墓参り)
http://k21komatsu.blogspot.com/2008/03/blog-post_06.html

木曜日, 8月 14, 2008

肉離れは全治3週間 リハビリは一ヶ月以上

オリンピック女子マラソン代表の野口みずきが、左太もも裏肉離れのために出場を辞退した。賢明な判断と思う。オリンピックだけがすべてではないし、今後の彼女の競技人生を考えれば、今は治療およびリハビリに専念にするのが一番である。なぜ、こんなことを簡単に書けるかというと、実は私も現在肉離れの治療中であり、走ることがどれほど難しいかを痛感しているからである。

私は8月3日(日)にジムで左足ふくらぎ(ひ腹筋)の肉離れを起こしてしまった。ステップという台に上がったり降りたりするエクササイズをしている最中、着地に失敗して左足にバキッという音がした。と同時にふくらはぎが硬直して、軽い痛みが走った。音がしたので、初めはアキレス腱を切ったかなと思ったが、実際は肉離れ=筋肉断裂であった。

すぐにインストラクターたちが飛んできて、氷や保冷剤を使ってふくらはぎの損傷部分を冷却した。そして、翌日(4日)整形外科へ赴き診察をうけた。結果は全治3週間、その後は一ヶ月以上のリハビリということであった。それでも、翌日(5日)に川崎で行われるコンサートへ行くことは許され、ふくらはぎを包帯でぐるぐる巻きにして、左足を引きづりながらも駆けつけた。

肉離れの治療はとにかく冷却して安静にすることである。最初の1週間は処方の冷湿布薬「モーラス」を貼り、その上から保冷剤で足を冷やし続けた。仕事をしているときも、テレビを見ているときも、本を読んでいるときも、そして、寝るときも保冷剤を手ぬぐいで縛りつけていた。その効果が表れたのであろうか、痛みはほとんどなくなっていた。それでも、歩き方には注意して、特に階段を降りるときは今でも細心の注意を払っている。

11日に2回目の診察を受けた。先生は「あと2週間は安静にしてください。今までどおり、湿布を続けて、その上からサポーターをしてください」と言われた。また、寝るときだけは冷やしてください」とのことである。野口選手とは肉離れの損傷部分も違うが、肉離れは全治するのに3週間、それから1ヶ月以上のリハビリが必要らしい。

ということで、私もしばらくはジムで運動をすることはできない。旅に出ることもできない。先斗町へ飲みに行くこともできそうにない。ただし、地元の飲み屋へは行っている。(笑)

それにしても、私の病院好きは困ったものである。

火曜日, 8月 12, 2008

オリンピックでマスコミは大政翼賛会

高校野球ほどではないが、オリンピックもさほど興味がある方ではないので、テレビ中継をあまり見ない。それでも、好きな野球だけは今回はなんとか優勝してほしいと思っている。それ以外では、女子ホッケーとかマスコミにあまり注目されていない競技に期待を寄せている。

そんななかで、昨日女子バトミントン・ダブルス準々決勝で世界ランク8位の末綱・前田組が、世界ランク1位で第1シードのペアを下す金星を挙げた。素直にこれは嬉しかった。こうした大番狂わせは爽快である。このように各種の競技でメダルうんぬんより想定外の良い結果を出していただきたい。

それにしても、各テレビ局は朝から晩までオリンピックだらけである。膨大な放映権を払っているからである。テレビ局の親会社である新聞社も同様で、紙面はオリンピックの文字が踊っている。そして、その内容は美辞麗句とお涙頂戴記事ばかりである。どうして、男子サッカーは予選敗退したのか(あの監督は大会前にメダルがちらついていると言っていたのに)、どうして予選を突破できない水泳選手(おそらく陸上も)や、柔道で1回戦で負けるような選手を選んだのかなど批判する記事を書けないのだろうか。それは想定外の可能性があるからと、反論されるからだろうか。

日本のマスコミは大政翼賛会状態である。

月曜日, 8月 11, 2008

野茂英雄よ、ありがとう

先日、野茂英雄が現役引退を表明した。

近鉄バッファローズで活躍した野茂英雄は1995年にロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結んだ。この前年、メジャーリーグでは大きなストライキが行われ、この年も開幕戦が1ケ月も遅れた。このことから、野茂英雄が初めてメジャーのマウンドに立ったのは5月2日の対サンフランシスコ・ジャイアンツ戦で、場所はサンフランシスコのキャンドルスティック・パークだった。

そして、6月2日の7度目の登板で野茂は初勝利をあげ、それから、野茂の快進撃が始まった。投げては勝ち、投げては勝ちと連戦連勝になり、いてもいられなくなった私はその勇姿を見たいと思い、急遽ロサンゼルスまで行ってしまった。

1995年6月24日、私はドジャー・スタジアム1塁側スタンドでいた。トロネード投法から繰り出す速球とフォークボールは冴え渡り、野茂は9回13奪三振を奪い、完封勝利を得た。試合中、私は周囲のドジャース・ファンから、野茂についてあれこれ質問され、できる限りのことを答えた。アマチュア時代にすでに日本代表(アメリカでは大学のオール・アメリカンに匹敵する)だったこと、ドラフトで史上最多の8球団から同時指名を受けたこと、新人の年に最多勝をはじめありとあらゆる賞を獲得したこと、などなど知る限りのことを話した。

野茂はこの6月の活躍が評価されて、オールスターにも選ばれ先発登板する栄誉をえた。この年、野茂は13勝6敗でナショナル・リーグ新人王を獲得した。そして、翌年にはノーヒットノーランを達成した。2001年にはアメリカン・リーグのボストン・レッドソックスでもノーヒットノーランを達成ししているので、彼は両リーグでノーヒッターを成し得た。このような投手は野茂を含めて4人しかいない。

野茂が最後にメジャーに登板したのは今年の4月10日でカンザスシティ・ロイヤルズの一員としてであった。その登板は2005年7月15日以来でなんと1000日ぶりだった。

野茂英雄よ、夢と感動をありがとう。

木曜日, 8月 07, 2008

先斗町で飲んでみたい

当たり前の話だが夏は暑い。夏は祭りが多い。お盆もある。そのために人出が多い。観光客もいる。帰省客もいる。それゆえに、夏には旅に出かない。

しかし、夏に行ってみたいところはいっぱいある。なかでも、京都の貴船で川床料理を食べていみたい。そして、夜には先斗町で飲んでみたいと思う。

先斗町は南は四条通から北は三条通の一筋南にいたるまでの南北500メートル余りの細長い路地である。東側は鴨川をのぞみ、西側は高瀬川に沿った木屋町通の間にあり、京都を代表する花街のひとつである。

その昔、京都に数多くの花街があったは、現在は上七軒、祇園甲部、祇園東、宮川町、そして先斗町の5つだけだそうで、『五花街』(ごかがい)と呼ばれている。

先斗町にお茶屋が建てられたのは江戸時代の半ば頃と言われ、高瀬川を上り下りする、いわゆる高瀬舟の船頭や客目当ての旅籠が、茶くみ女を置いていたことから始まったようである。そのご、文化10年(1813年)に芸妓渡世が公儀より許され、祇園と並ぶ花街として栄えるようになったそうである。

その先斗町の通りは木屋町通と南北に平行に走っているが、その間を抜ける横(東西)の路地は何番と記されて、北から南に10数本あり、まるでビルの合間をすり抜けるかのような路地も何本かある。そして、こうした薄暗い路地の左右には、値段が安くて味もいい飲み屋が数多くある。

結局は貴船の川床料理より先斗町で飲みたいだけのようである。(笑)

日曜日, 8月 03, 2008

ラーメン屋の色紙

暑い季節にはほとんど行かないが、私はラーメン屋に飾ってある色紙が嫌いである。それこそ、言葉は悪いが「ウザイ!」のである。

いわゆる芸能人の色紙はラーメン屋に限らず、そば屋やうどん屋でも目にする。しかし、私にはあの色紙がみんな目障りでならない。壁一面に貼ってあるような店などに入ったりすると、二度と行きたくならないばかりか、その場でラーメンがマズイという気分になってしまう。

いつ頃からラーメン屋の色紙が始まったのか知らないが、当初はテレビ局や劇場や稽古場近くなどに、芸能人がお世話になっている証しという感じで色紙を書いていた。ところが、こうした風習がテレビで紹介されると、あっという間に「ラーメン屋の色紙」は全国に広まってしまった。

今では芸能人とおぼしき人がくると、食後に店主が色紙とマジックをもってきて、書いてもらうようである。まあ、頼まれればなかなかイヤとは言えないので、芸能人は仕方なしに書かざるをえない。しかし、知人の芸能人などは「「仕事などで訪れてお礼としてサインをするのはいいけど、プライベートで食べに行ってサインしてくれと言われると、その店には二度と行きたくなるね」という。

ラーメン屋にとって、芸能人の色紙をいっぱい飾ってあることが宣伝になると思っているようであるが、私には脂まみれなって飾られている色紙は汚くしか見えない。あれでは書いてくれた人にも失礼である。

木曜日, 7月 31, 2008

高校野球を二部制にしたら

高校野球が明後日8月2日より始まります。昨年の日記にも書きましたが、私はほとんど高校野球を見ません。理由は下記の日記に書いてあります。

さて、今年は記念大会とか言って、どさくさにまぎれて55校も出場する。そして、そのほとんが生徒獲得のための宣伝行為という私立高校で、今年も相変わらず「全国私立高校売名野球大会」であり、朝日新聞と高野連は規制すると言ったにもかかわらず、これまた相変わらずの「大阪出身高校生野球大会」になっている。

そこで、提案である。高校野球を二部制にしてはどうだろうか。もう何でもありの「私立高校大会」と、地域密着型の「公立大会」にしてはいかがであろうか。もし、「公立大会」が開催されれば、本来の姿である地域密着の応援ができ、地域活性化にもつながるのではないだろうか。例えで申し訳ないが、外部出身者だらけの青森山田高校が出る「私立大会」よりは、文武両道の青森高校か往年の三沢高校が出場する「公立大会」の方が青森県は盛り上がるだろう。そのためにも、ぜひとも二部制にはしてはいかがだろうか。

そして、NHKはBS普及やデジタル放送普及のためにも、ここらで1日中高校野球を総合放送などの地上波でたれ流すのを止めて、BSだけにしてもらいたい。大相撲ですら地上波では幕内以降の取組しか放送していないのに、1日中「かっとばせ〜」しか聞こえてこない放送するのはおかしい。いずれにしろ、私には憂鬱な季節である。

高校野球は見ません
http://k21komatsu.blogspot.com/2007/08/blog-post_20.html

水曜日, 7月 30, 2008

プロ・オケ楽団員の平均年収

先日、ある人から朝日新聞にオーケストラの楽団員たちの給料が載っていたと聞かされたので、新聞を読み返してみると、7月25日付朝日新聞(朝刊)の「揺らぐ音楽の地位」という記事のなかに、日本音楽家ユニオン調べによるオーケストラ・メンバーの平均年収(2007年)が掲載されていた。

札幌交響楽団          575万円
仙台フィルハーモニー管弦楽団  559万円
NHK交響楽団         945万円
東京都交響楽団         684万円
日本フィルハーモニー交響楽団  405万円
名古屋フィルハーモニー交響楽団 633万円
京都市交響楽団         540万円
大阪フィルハーモニー交響楽団  578万円
広島交響楽団          485万円
九州交響楽団          522万円

日本のサラリーマンの平均年収は435万円(2006年調査)であるが、音楽をやっている人から言わせると、音楽家は楽器などの諸経費がかかり、もっと収入がほしいと言うだろう。

しかしである。音楽家というのは共働きが非常に多い。上のリストにはないが東京フィルなどは楽団員同士の夫婦が10組以上いる。知人のチェロ奏者やヴァイオリン奏者の奥さんは共にピアニストで先生をしている。また、音楽家はこれらの収入以外にもご祝儀やお礼といった不透明な収入があると思われるので、これぐらいが妥当ではないだろうか。

それにしても、N響と日本フィルが倍以上も違うというのには驚いた。私はN響会員であるが、同時に今年から日本フィル・サポーターズメンバーにもなった。陰ながら貧乏オケを応援していきたいと思う。

月曜日, 7月 28, 2008

『アメリカ彦蔵』(吉村昭)を読む

少しでも海外生活を経験した者にとっては、涙なくしては読めない本である。550ページにもおよぶ長編だが、3日かけて夢中になって読んだ。

幕末期、ジョン万次郎をはじめ数多くの漂流民がアメリカにたどり着いたが、彦蔵ほど流転の人生、まさに漂流した人生を送った者はいなかったのではないだろうか。

播磨国に生まれた彦蔵(幼名彦太郎)は1850年に13歳で「永力丸」の船乗りになるが、初めての航海で大しけに遭う。彦蔵をはじめ乗組員17人は2ケ月に渡る漂流生活の末、アメリカのオークランド号に助けられ、サンフランシスコに上陸する。

その後、乗組員全員は1ケ月ほどサンフランシスコに滞在するものの、ペリーの対日開国工作の外交カードとして香港へ行かされる。しかし、彦蔵はモリソン号事件で日本に帰れなかった力松の話を聞いて、無事に帰国することはできないと思い、アメリカへ戻ることにする。

その後、彦蔵は3人のアメリカ大統領に謁見するなど、波乱万丈の人生を送る。

この本の素晴らしいことは、単に彦蔵の歴史だけを書くだけことなく、数十人にもおよぶ漂流民のことがかかれていて、サブタイトルに『〜幕末の漂流民たち〜』とつけてもいいぐらいである。作者の吉村昭は「あとがき」でも書いているが、「今までこれほど手こずったことはない」というぐらい漂流者たち全員のその後を追い求め、そのノンフィックション性への追求には感服する次第である。

彦蔵は明治30年12月11日に隅田川近くにあった自宅で息をひきとる。享年61歳。新聞は「アメリカ彦蔵死す 日本で新聞の創設者」という見出しで報じたという。そして、翌年12月に青山の外国人墓地に墓碑が建てられた。碑文は英語で書かれ、その下に漢字で「浄世夫(ジョセフ)彦之墓」と刻まれている。

彦蔵はアメリカ人として、祖国の地で眠っている。

土曜日, 7月 26, 2008

夏はやっぱり冷酒の季節です

東京も梅雨明けして1週間になりました。今年の気象庁の梅雨明け宣言は、昨年のようなまやかしの梅雨明け宣言と違い(下記日記を参照)、見事に的中している。というのも、18日以前と19日以降では明らかに体感湿度は異なり、加えて陽ざしの強さが全く違います。18日は湿度はジトジト。ただ肌が陽ざしに照らされていても、別に苦痛ではありませんでした。ところが、19日からは湿度はあるものの意外にさわやか。しかしながら、陽ざしは強烈で少しでも陽に照らされていると、腕が痛くなってきました。夏です。完全に梅雨明けです。

ということで、梅雨明けと共に先日京都から届いた佐々木酒造の「夏の冷酒セット」を飲ませていただいております。1本300mlの日本酒セットです。美味しいです。京の香りがします。ほろ酔いかげんになります。京の風が聞こえます。美味しいです。

まやかしのような梅雨明け宣言
http://k21komatsu.blogspot.com/2007/08/blog-post_02.html

隠れた銘酒の蔵元は佐々木蔵之介の実家
http://k21komatsu.blogspot.com/2007/06/blog-post_29.html

木曜日, 7月 24, 2008

映画『クライマーズ・ハイ』を観る

昨晩、渋谷東映で映画『クライマーズ・ハイ』を観た。面白い。非常に面白い。

『クライマーズ・ハイ』は作者の横山秀夫が、上毛新聞勤務時代に経験した日航ジャンボ機墜落事故をもとに、その新聞社(映画では北関東新聞となっている)を舞台にした、記者魂を描いた作品である。また、タイトルになっている『クライマーズ・ハイ』とは、登山家が山登りのときに覚える異様な興奮状態のことであり、映画はその登山家心理と新聞記者魂を交錯させながら描いていく。

映画は2時間25分にも及ぶ大作だが、演出の展開はスピーディで観る者を飽きさせない。また、出演者たちの熱気と狂気に満ちた演技も素晴らしい。主役の堤真一はこの作品が代表作になるであろうし、いくつかの映画祭で主演男優賞も取れるかもしれない。加えて、彼と対立する部長を演じた遠藤憲一、デスクを演じた田口トモロヲなども助演男優賞ものである。映画の後半に堤が遠藤にスクープ記事を打診するとき、現場組(田口、堀部圭亮)の2人が上司(蛍雪次朗、中村育二)を懐柔しているシーンなどはやや漫画チックではあるものの、映画ならではの醍醐味があり見ごたえがあった。

しかし、この映画は後味が悪い。なぜなのだろう。それは、日航ジャンボ機墜落事故の死者に対する畏敬の念がないとかそういうことではない。それは墜落原因が「圧力隔壁の破損」ということに対する疑念が弱いと感じたからであろうか。それとも、新聞記者の心理と登山家の心理の交錯を私がうまく理解できなかったからであろうか。

もう一度、じっくり観るつもりでいる。

映画『クライマーズ・ハイ』公式サイト
http://climbershigh.gyao.jp/

火曜日, 7月 22, 2008

「とりあえず」はビールの枕詞???

とりあえずビール。「とりあえず」という言葉は、飲み屋でのビールの枕詞になっている。だから、「とりあえずビール」という銘柄のビールを出せば、間違いなく売れると思うのだが・・・。(笑)

さて、この「とりあえず」という言葉の意味をご存知であろうか。「とりあえず」を漢字にすると「取敢ず」もしくは「取り敢ず」と書く。元々は「不取敢」と書いた。

今日、「とりあえず」は「とりあえず、〜をする」という使われ方をしていて、「まずは、〜をする」という感じで、「とりあえず」にはさほど強い意志や意図がない副詞となっている。つまり、「とりあえずビール(を飲む)」という言葉には「最初はビールで、その後に別のものを飲むよ」という意味が含まれているわけである。

しかし、「とりあえず」を辞書を調べてみると、意味は少し異なってくる。かの広辞苑大先生によると、「とるべきものもとらずに。他の事をさしおいて。さしあたって。早速に。すぐに。猶予なく」となっている。

ということで、本来は「取るものも取らず」という意味で、「いざ鎌倉に」と同じように「とりあえず鎌倉に」と使われてもおかしくないのである。つまり、何か急変が起きたときに「とりあえず」駆けつける、といった具合に使うのが本来の使い方であった。

しかし、言葉は生き物である。時代時代によって意味は変わっていく。今の時代には「とりあえず鎌倉に」はありえないので、「とりあえず」がビールの枕詞であってもおかしくはない。ということで、夜は「とりあえずビール」から始まる。(笑)

日曜日, 7月 20, 2008

行ってみたい日本のお祭り

お祭りの季節である。下記の「日本の人気祭りランキング 2008」によると、行ってみたいお祭りのベスト3は、1位は青森のねぶた、2位は富山八尾のおわら風の盆、3位は京都の祇園祭となっている。

私は日本各地を旅していて、上記の青森、富山、京都は好きな都道府県であり、何度も行っているが、残念ながらこれらのお祭りを見たことがない。というのも、お祭りの時期は宿をとるのも大変であり、また一人旅しても味気ないので行く気になれない。ということで、私は日本各地のお祭りには当分縁がないようである。

それでも、やはり上記の3つのお祭りはいつの日にか行ってみたいものである。この他では、札幌の雪まつり、秋田県羽後町の西馬音内盆踊り、京都の鞍馬火祭りなども機会があれば行ってみたいものであるが、いつになったら行けるであろうか。ちなみに、私の地元の碑文谷八幡の秋の例大祭は今年は9月13日と14日だそうである。

「日本の人気祭りランキング 2008」を発表
http://4travel.jp/aboutus/pressroom/news/20080219_news.html

金曜日, 7月 18, 2008

映画『奇跡のシンフォニー』を観る

一昨日、日比谷スカラ座で映画『奇跡のシンフォニー』を観た。原題は「August Rush(八月の興奮)」というのだが、かなり興奮して観てしまった。

孤児院で過ごしていた11才の男の子が、両親から受け継いだ遺伝子により、音楽に目覚めて、ジュリアード音楽学院まで進み、最後はセントラルパークでNYフィルを指揮して、自作の曲を演奏するという、かなり奇想天外・荒唐無稽的なストーリーである。

しかし、俄然面白い。観ていて全然飽きなかった。腕時計など一度も見なかった。NYが舞台ということで、ロック、ジャズ、クラシック、ゴスペルといった音楽、そして、NYの町が奏でる雑音ともいうべき音楽が猥雑に、そして見事に重なりあっていて、NY特有の雑踏を表現している。その効果を引き立てるドルビー・サウンドも素晴らしい。

個人的にはNYのワシントン広場周辺を中心に撮影していたのも嬉しかった。というのも、80年代から90年代にかけて毎年のようにNYへ行っていたとき、私はこのワシントン広場に面して立つワシントン・スクエア・ホテルをよく利用していたので、「ああ、この場所はあそこだな」なんて悦に入りながら観ることができた。

残念なことに、この映画はほとんどの劇場で本日18日限りで放映が終わってしまう。見逃した人も多いと思うので、レイトショーとかで続映してもらいたい。

奇跡のシンフォニー
http://www.kiseki-symphony.com/

木曜日, 7月 17, 2008

読売新聞押し売り販売の一例

一昨日、読売新聞販売店「YC東調布」従業員2人が集団強姦と住居侵入の疑いで逮捕された。以前より新聞販売員や拡張販売員はガラが悪いとか、押し売りがしつこいとか言われているが、強姦となるともう言語道断である。新聞社自体のモラルが問われてもおかしくない。朝日新聞の記事によると「現場に残された指紋などから両容疑者が浮上した」ということは、この2人には前科があったということであろうか。新聞は「インテリが作って、ヤクザが売る」と言われたりするが、まさにその象徴的な事件である。

そもそも、読売新聞(ゴミ売り新聞とも言う)の勧誘は目にあまるものがある。私もつい2〜3週間前に友人から次のようなメールをもらった。


「申しわけありませんが、購読料を私どもが負担しますので、6ヶ月間貴殿が嫌いな読売新聞を取っていただけないでしょうか。

理由はあるエリアの販売店が私どものお客様で、夏のキャンペーンで購読者を探している、と懇願されているのです。

もしご了解いただけるならば、近日中に貴殿宅近くの読売新聞販売店がお宅を訪れ、6ヶ月の購読契約をすることになります。6ケ月以降は購読しない旨の断りを言っていただいて構いません」


私はもちろんこの依頼をすぐに断った。理由は簡単である。私はナベツネ(渡辺恒雄)が大嫌いだからだ。ナベツネは日本の諸悪の根源の一人であり、絶対に彼に利益を与えるようなことはできない。いくら友人の依頼といえども、私に到底受け入れられるものではない。

それにしても、このような販売依頼をする会社なのだから、読売新聞そのものの知的レベルが知れている。とても読むに値する新聞とは思えない。今回の販売員の事件で、読売新聞東京本社は「当社と取引関係にある販売店の従業員が行った行為は、到底許されるものではありません。極めて遺憾であり、再発防止のための従業員教育を徹底させるよう、雇用主に強く求めます」と言っているが、読売新聞はナベツネ専制体制を変えなけらば、今後も似たような事件が起きる可能性があると思う。

http://www.asahi.com/national/update/0715/TKY200807150189.html

水曜日, 7月 16, 2008

けっこう有名みたいな「鷹番の湯」

Googleで「鷹番」と検索すると、一番上に登場するのは母校である「鷹番小学校」。その次が「鷹番の湯」である。鷹番の湯はそれなりに有名なようである。ちなみに「碑文谷」と検索すると一番は「碑文谷警察署」で、二番目は「スイング碑文谷」であった。みなさんも、自分の地名をググッてみてはいかがでしょうか。意外な結果が出たりするかもしれませんよ。

さて、「鷹番の湯」であるが、ここは天然温泉のお風呂屋さんである。泉質はメタ珪酸・メタ硼酸というもので、都内にある温泉としては珍しく無色透明無味無臭。浴室は1階と2階にあって、奇数日と偶数日によって男女の浴室が変わる。結構お客さんが来るお風呂屋さんなので、脱衣所は広くロッカーの数も多い。その分洗い場や浴槽が狭いような気がしないでもない。

湧出量が100ℓ/分ということで、お湯は豊富に湧きでている。浴槽はいくつかのジェットバス形式になっているが、2〜3人も入ればいっぱいになってしまう小さな露天風呂もある。この他に別料金だがサウナ室も備えてある。また、1階には8畳ほどの広さの休憩室、マッサージチェア、各種自動販売機があり、ビールやラーメンの販売機もあるので、入浴後軽く休息もできる。

ちなみに、私はこの「鷹番の湯」へは1〜2ケ月に1回ぐらいの割合でしか行かないが、ここの温泉に入った後に、行きつけのマッサージ屋さんへ行くと、それはそれは極楽状態の気持ちいい世界に浸れます。w

行き方は東横線線学芸大学駅下車。徒歩7〜8分。東口商店街をまっすぐ進み、突き当たりのコンビニなどがある五差路を北側方向へ左折。2ブロック行った左手にある。

東京都目黒区鷹番2-2-1 電話:03-3713-1005
営業時間15:00〜25:00(日祝は14:00〜) 
定休日は第1、第3金曜日。料金は大人380円。

温泉みしゅらん 鷹番の湯
http://www.asahi-net.or.jp/~ue3t-cb/spa/takabannoyu/takabannoyu.htm

月曜日, 7月 14, 2008

7月は酒と美人に入り浸り

7月はクラシック音楽のコンサートに行く回数が少ないので、飲む機会が減るかと思っていたが、「全く然に非ず(さにあらず)」状態。困ったものである。

1日(火)は目黒にある行きつけの寿司屋「寿しながもと」で、常連のお客さんたちと氷見から送った岩ガキやらさざえを食す。飲んだ酒は富山の地酒「黒部峡」。辛口で非常に男っぽい酒。何杯もグイグイ飲める酒ではないが、じっくり味わうのに適している。

3日(木)は渋谷の「むつ湊」で、小学校時代の同級生たちと飲む。ここは東北から産地直送のものを仕入れていて、刺し身が文句なしに美味しい。で、ここでも三陸釜石産の岩ガキを食べてしまう。ここでは日本酒でなく焼酎を悪友たちと2本飲む。

5日(土)は武蔵小山の「居酒屋亜壇」。ここは河豚、焼鳥、鰻など各種のメニューがある。無口だけど仕事が丁寧なご主人の造る品々は逸品。注文してから茹ではじめる「ゆでたて枝豆」や超格安の「焼き鳥盛合せ」などなど。もう何を食べても美味しい。締めに食べた「茶そば」も最高。酒は久保田や立山を飲んでいたような気がする・・・。

7日(月)は学芸大学のよく行く店「風」。この日は浴衣など和服で来た人には「ほたての炙り&生ビール」をサービスする「七夕イベント」。私は和服をもっていないので、和服姿で行くことはできなかったが、富山で買った「おわら娘」という和服美人が描かれた酒を持参。そして、このお酒が浴衣美人たちに大受けで、私は某航空会社の国際線CAのお姉さんとハグしてゴキゲンな時間を過ごす。(笑)

9日(水)はイギリスに帰任する駐日イギリス大使夫人である従姉妹とウナギを食べに行く。そして、翌10日(木)はジムでよくご一緒するお医者さん夫妻と飲む。

私の胃袋は梅雨明けどころかもはや夏バテかもしれない。(笑)

土曜日, 7月 12, 2008

木造校舎は永遠なり

小学校4年生まで、木造校舎で過ごした。木造校舎は歩くたびに床が軋む音がしたり、床に塗る油の匂いがきつかったり、掃除のときの雑巾掛けがきつかったり、虫が入ってきたり(たまに動物まで入ってくる)と、当時はあまり良い印象がなかった。それでも、階段の踊り場に飛び降りたり、階段の手すりを滑ったりと楽しい思い出も数多い。

しかしながら、こうした昔ながらの木造校舎の小学校は現在、全国に2〜3百ぐらいしか残っていないと言われている。そして、その多くはすでに廃校になっている。そのなかには、町や村の施設として使われていたり、映画やテレビの撮影用に維持されているものがあるが、残念ながら朽ち果てていくものも少ない。

ただ、最近は木造校舎の良さを再認識する運動が起き、耐震構造のある新築の木造校舎が各地で作られている。木造校舎は永遠なり、である。

写真は木曽福島の黒川小学校(廃校)

木曜日, 7月 10, 2008

言ってはいけない冗談

冗談やダジャレは時と場所、そして相手によって、受けたり受けなかったりするもので難しい。先日、行きつけの寿司屋で言った冗談は、今でも反省するぐらいどうしようもないものだった。m(_ _)m

氷見から送った岩ガキやさざえなどを常連のお客さんと一緒に食べているうちに、隣りに座っていた会津出身の綺麗なお姉さんからこんなことを聞かれた。

「小松さんって、面食いなんでしょう?」
「え・・・」

戸惑う私にちょっと酔っている彼女はまた、

「そうなんでしょう〜?」

「えぇ、うどんは得意じゃいけど、ラーメンとおそばは好きです」

「・・・サ・イ・テ・イ」

最低のジョークでした。
深く反省しています。

火曜日, 7月 08, 2008

大学の名前も酒の肴

10年以上も通った飲み屋が閉ざされて、居酒屋難民っとなった人間たちが今度は地元・学芸大学を離れて、なぜか武蔵小山に集結して、ああだこうだと飲みはじめた。

そして、話題はいつのまにか大学の話に・・・。前回は戒名だったのに。(笑)

客A「先生の大学ってローカルな名前ですよね」
客B「まあ、大学の名前なんてみんな地名ですからね」
客C「先生の出た大学もローカルですよ」
客D「ああ、本郷大学ね」(笑)
客C「駒場大学もあるよ」
客B「わ、わ、私は本郷、本郷」w
客E「国立大学の名は、みんな都道府県名で味気ないですよね」
客B「そんなことはありませんよ、弘前大学、信州大学とか」
客C「九州大学もそうですね」
客D「私立大学でも都道府県名がついています」
客B「神奈川大学、愛知大学、福岡大学」
客D「沖縄大学は私立で、琉球大学が国立」
客A「都道府県名がついていない大学がひとつあるんですよ」
客E「え、どこですか?」
客C「青森、岩手、秋田、宮城…、宮城大学ってあります?」
客A「県立大学がある」
客C「山形、福島、群馬、栃木、栃木……」
客D「栃木大学、聞いたことないですね」
客A「宇都宮大学があっても、栃木大学はないんです」
客E「Aさんの地元じゃないですか」
客A「どうもウチの県だけがないんです」
客B「栃木大学、あってもおかしくないですね」
客C「そのうち作新学院あたりが変えたりするんじゃないの」
客A「それは勘弁だなぁ、それならない方がいいよ」

家に帰ってネットで調べてみた。確かに栃木県だけが都道府県名がついている大学がない。青森、神奈川、長野、愛知、兵庫、奈良、福岡、沖縄は私立大学で、宮城と石川は県立大学。そして、やはり栃木だけが宇都宮、足利の名がついた大学はあっても県名のついた大学がない。

飲み屋話もたまには勉強になる。

日曜日, 7月 06, 2008

北陸の旅(ちりとてちんと音楽会編)

2日目に氷見で魚と牛を堪能しまくった私は、翌日に富山ライトレールに乗りたいがために、富山駅前にあるホテル(富山エクセルホテル東急)に宿をとった。しかし、夕方から予報通りに雲行きが怪しくなりはじめ、少しパラパラと降り始めてきてしまった。ということで、夕食はホテルのすぐ近くにある居酒屋・桜亭で簡単に済ませることにした。しかし、結局、ビール、日本酒(三笑楽と立山)を飲んでしまい、つまみも岩ガキ、煮込み、刺し身の盛合せなどを注文してしまった。仕方がない・・・。(笑)

3日目の朝、外は大雨。これでは富山ライトレールに乗って、終点の岩瀬浜まで行っても何の観光もできない。ということで、午前中の予定をすべて取りやめることにする。おかげで、いい休息にもなり、ホテルのレストランで朝食をとった後に、ひと眠りすることができた。こういうとき、チェックアウトが午前11時というホテルは嬉しいものである。

この日、たまたまNHK総合(富山ローカル)では午前10時10分より北陸スペシャル「ちりとてちん 正平・順子のふるさと福井を旅しよう」を放送していたので、これを思わず見てしまう。これは6月初旬に北陸および関西で放送された番組の再放送であったのだが、ちりとてちんファンとしては嬉しい番組に遭遇したものである。パチパチ。

番組内容は喜代美の弟・正平(橋本淳)と喜代美の親友・順子(宮嶋麻衣)の二人が舞台となった小浜、勝山、三方五湖などを訪ねて回るというものだったが、少女時代の喜代美(桑島真里乃)も登場したりと、なかなか興味深く見させてもらった。若狭地方へはまだ行ったことがなかったので、いつか行くときのための良い勉強になった。

ホテルをチェックアウト後、金沢へ向かう。午後3時から石川県立音楽堂コンサートホールで開かれるオーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)と群馬交響楽団の合同演奏会を聴くためである。石川県立音楽堂コンサートホールには以前にも一度行ったことがある。今回の演奏会は高崎市と金沢市が友好交流都市協定締結を記念して企画された。

指揮は井上道義。ヴァイオリンはアビゲイル・ヤング。ピアノはリリヤ・ジルベルシュタイン。演目はオール・チャイコフスキー・プログラム。

演目
チャイコフスキー/ゆうつなセレナード(OEK)
チャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番(群響)
チャイコフスキー/交響曲第4番(群響&OEK)

開演前トークで三枝成彰が「チャイコフスキーとラフマニノフは音楽家の間では好きと言ってはいけない作曲家」と話した。というのも、この二人の音楽には情念があるからだそうだ、ということである。ふ〜ん、情念のない音楽なんてつまんないじゃん。宗教や政治、思想や哲学といった音楽より人間的でいいじゃないか。

さて、演奏会の内容は全身を使って大らかに指揮するミッチー節炸裂という感じで、非常に楽しく面白かった。なかでもチャイコフスキーの交響曲第4番では、第1・2楽章を群響が表を、第3・4楽章をOEKが表で演奏するという試みを行う。ミッチーが「これで音が変れば面白いのだが」と言っていたが、私にはあまり変わったようには聴こえなかった。というのも、この時点で私は午後5時17分発の帰りの特急に乗らなければならず、どうも気がきでならないで演奏を聴いていたからである。やはり、コンサートは余裕をもって聴くものである。ということで、残念なことにアンコール曲を聴くことはできなかった。

なお、この北陸の旅の一番最初にかいたブログに登場する特急のなかにいたチェロ奏者のみなさんは、この舞台にもちろんいました。

最後に今回の2泊3日の旅費であるが、交通費は以前にも書いたJR東日本大人の休日倶楽部の「3日間乗り放題の会員パス」を使ったので、万葉線以外はすべてフリーパスで12,000円。かなりお得感でした。宿泊は1泊目の華山温泉が15,000円(砂風呂と飲み代は別)、2泊目の富山エクセルホテル東急が9,400円(朝食付)とリーズナブルな値段だった。ただ、今回の旅では土産物が一番高くつき(笑)、日本酒6,500円、岩ガキ・さざえなど9,600円、氷見牛7,500円と贅沢をしてしまいました。
(終わり)

写真上:氷見線
  中:金沢駅の荷物一時預かり所
  下:金沢県立音楽堂

富山ライトレール
http://www.t-lr.co.jp/index.html

オーケストラ・アンサンブル金沢
http://www.orchestra-ensemble-kanazawa.jp/

土曜日, 7月 05, 2008

北陸の旅(魚も美味いが牛も美味い編)

やっと旅の2日目に突入である。1日目を書くだけで3日も費やしてしまった・・・。

福光を9時05分に経ち、高岡で乗り換えて氷見に向かう。氷見へ向かう電車(氷見線)は忍者ハットリくんで彩られている。氷見は忍者ハットリくんの作者である藤子不二雄?(安孫子素雄)氏の出身。氷見の町なかにも忍者ハットリくんのカラクリ時計があったり、写真のようにキャラクターがあちこちに飾られている。

氷見は新湊と同じように富山湾にある漁師町で、その漁獲高は全国有数を誇る。氷見の魚というとブリが有名だが、夏の時期はなんといっても岩ガキである。ということで、行きつけの寿司屋と飲み屋に送る美味いものを求めて、まずは氷見港近くにある海鮮館に直行する。

海鮮館はいわゆる観光客相手の市場で、お土産屋、食事処、情報センター、遊覧船などがある。大型バスも停まるようで、館内は多くの人で賑わっていた。新湊にもこのような施設があれば、あのような閑散としたイメージはしなかっただろう。やはり、地方では車で来れるような集客能力のある施設がないとダメなのだろうかと思ってしまう。

海鮮館で岩ガキとさざえをクール宅急便で頼んでから、今度は潮風通りという商店街を中心に街中を散策する。そこで、見つけたのが氷見牛というノボリのある精肉問屋牛勝。

氷見は魚ばかりでなく牛も美味しいところである。氷見牛は一般的には知名度は高くないが、肉質、鮮度、脂肪交雑の三拍子揃っている。特に肉質は等級が最高位のA5にランクされている牛の比率が高く、この氷見牛は牛肉業者の間では知らない者はいないと言われている。氷見市のHPによると現在氷見では12戸の農家が、1,300頭の肉牛を愛情込めて育てていて、富山県一の産地になっている。

そんな美味しい牛をお土産に買わないわけにはいかない。値段は100g750円から1500円まであったが、750円のすき焼き用の薄切りを1kg購入して、宅配便で送ってもらう。後日それを自宅で食したのだが、いや〜もう凄いです。もう肉が口のなかで溶けます。これまで、日本各地のブランド牛を食べてきたが、間違いなく5本の指に入る逸品です。今度は写真にあるようなステーキ用のぶ厚い肉を食べてみたい。

そして、この日の昼食は牛勝のご主人に教えてもらったお寿司屋・鮨よし(中の橋店)で地のものランチ(2000円より)をいただいた。う〜ん、満足、満足、大満足。

写真上:忍者ハットリくんの郵便ポスト
  中:牛勝
  下:氷見牛(パンフ写真)

氷見観光協会
http://www.kitokitohimi.com/

海鮮館
http://www.kaisenkan.com/index.html

鮨よし
http://www.himi-sushiyoshi.co.jp/

金曜日, 7月 04, 2008

北陸の旅(砂風呂にお酒編)

新湊でお寿司と高校野球話を満喫したので、そろそろ本題の酒と温泉に浸かるべく、高岡発城端行のローカル電車に乗った。下校時間ということで、車内は地元の高校生でいっぱいなのだが、それにしても、どこもかしかも地方の高校生のファッション・センスというのは悪いのだろうか。昨年何度も訪れた青森もそうだし、今年2月に訪れた沖縄にしてもそうだが、う〜ん、申し訳ないがみんなダサい。

地方といえども最近の制服は結構バラエティに富んでいる。しかし、その着こなしがもう完全に田舎ルックなのである。というより、だらしないのである。シマリがない。崩して少しファッションぶっているヤツもいるのだが、それでもワンポイントがない。このファッション・センスはどうにかならないのだろうか。それに加えて体型もなっていない・・・。

とか考えているうちに、電車は30分ほどで福光駅に着いた。福光は富山の砺波平野の南部に位置する町で、現在は南砺市の一部になっている。ここはあの天才版画家・棟方志功が1945年に疎開し、その後6年間創作活動を行った地である。現在はその住居跡に「棟方志功記念館愛染苑」が建てられ、多くの作品が展示されている。料金大人300円。駅前にも棟方作品のレリーフが数多くある。

宿泊先とした華山温泉は1982年にボーリングにより源泉が開発された比較的新しい温泉。泉質はナトリウム塩化物泉で、薄緑がかったにごり湯である。ここの名物は建物最上階にある砂風呂である。宿に到着して、お茶を一服してから早速この砂風呂に入った。

ガウンに着がえて約40度に暖められた砂のなかに横たわること20分。額や頬は完全に汗だらけ。う〜ん、気持ちがいい。本当に全身が暖まる。ちょっと病みつきになりそうである。今度鹿児島へ行ったおりには、砂風呂の元祖ともいうべき指宿温泉に行ってみたくなった。砂風呂のあとには、1階にある大浴場と露天風呂に入る。この華山温泉は少し高台にあるために、露天風呂から、砺波平野の散居村を一望することができる。

さて、食事は写真のように、最初のお膳からして期待大の雰囲気。このあとにも、手の込んだ美味しい料理が何品もでてきて、お腹は完全にメタボ状態になる。そして、ここでは織田信長に仕えた戦国の武将・佐々成政の銘をとった「成政」を飲ませもらった。このお酒は地元・福光のもので、キリリとした辛口のキレがある美味しいお酒である。

富山県は全国でも指折りの日本酒の名産地である。立山連峰からの美味しい水と米どころでもあるのだから、当然といえば当然であろう。東京でも比較的手に入りやすいお酒は「満寿泉」「立山」「銀盤」などがあるが、これ以外にも数多くの美酒銘酒が揃っている。なかでもおすすめなのが「三笑楽」。このお酒は五箇山で造られていて、高校卒業後に友人らと五箇山訪れたときに、毎晩飲みまくるほどハマってしまったお酒である。

ということで、今回の旅のお土産として、ある処でチョコチョコときき酒しながら、4合瓶の「三笑楽」を2本、朝日町の「黒部峡」と八尾の「おわら娘」を各1本買ってしまった。富山のお酒については下記のHPを是非ともご参照ください。

写真上:露天風呂
  中:成政
  下:夕食の最初のお膳

ふくみつ華山温泉
http://www.hanayama.tv/

富山の酒
http://www.toyama-sake.or.jp/

木曜日, 7月 03, 2008

北陸の旅(漁より高校野球編)

今回の旅の目的は、酒・温泉・魚・電車・音楽であるが、一応、先月の誕生日に手術をうけた扁桃結石からの快気祝いも兼ねている。今年は1月に入院、6月に簡易手術と健康面で散々である。こうした風潮を一掃したいためにも旅に出ることにしたのである。で、なぜ北陸を選んだかというと、これは7月5日に東海北陸自動車道が全線開通する前にと思ったからだ。

東海北陸自動車道が全線開通すると、名古屋から五箇山までは約2時間。富山までは約3時間で行くことができるようになり、富山県は完全に名古屋圏に取り込まれる。このことによって、名古屋でもその日の内に富山産の新鮮な魚介類が食べられるようになったり、美味しいお酒が飲めるようになる。一方で、富山には数多くの観光客が訪れるようになり、富山が「ミャーミャー」化するのではないかと思い(笑)、その前に行っておこうと考えた次第である。

さて、万葉線で海王丸パークまで行った後、昼食を取るべく新湊の寿司屋通りへ向かった。観光パンフレットによると、新湊には10数軒の寿司屋があり、さぞや活気があるのかなぁと思っていたが、実際はその多くの店が開いているのか、閉めているのか解らないような有様で、非常に閑散としている。観光客など私以外に誰も歩いていない。これは観光客用の大きな駐車場が近くにないのが一因ではないだろうか。

そんななかで、古い造りの「寿し竹」というお店に入ってみる。店内にはお客さんは誰もいなかったが、ネタケースにはおいしそうな地の魚が並んでいたので、ホッとする。そして、もちろん鮨も美味かった。なかでも、地でしか食べられない白海老、赤鯛が非常に美味しかった。値段は地ものおまかせランチ+赤鯛&マグロで2800円。ちょっとお高いランチになってしまったが、味は本当に言うことなしでおすすめのお店である。

ここで面白い話を聞いた。高校野球ファンならば知っていると思うが、新湊は20年前に「新湊旋風」を巻き起こした町である。そのために、ここでの高校野球熱は異常なほどで、高校野球が始まると、町をあげて人間が変わるらしい。それは県大会の初戦からで、新湊高校が登場すると漁師は漁そっちのけでスタンドにかけつけ、異様な熱気に包まれるそうである。


最近、新湊高校が甲子園出場したとき、町は120台のバスを連ねて甲子園に応援に行ったとか。このパス120台というのは高校野球記録(笑)だそうである。もちろん、富山県に120台もの貸切バスはなく、石川県のバスも使わざるをえなかった。120台のバスが北陸自動車道を連ねた姿は壮観だったそうである。ちなみに、バス以外にもマイカーなど何百台も甲子園に向い、町の人口の約半分の2万人がアルプス・スタンドを埋めたそうである。新湊高校野球部は阪神タイガースの次に甲子園で動員力のあるチームだそうである。w

なお、新湊は「やまびこ打線」「さわやかイレブン」で有名になった池田高校のある徳島県池田町、甲子園で何度も名勝負をしたことがある箕島高校のある和歌山県有田市と一緒に「日本三大高校野球狂の町」と呼ばれているそうだ。

新湊で面白い話を聞いた後は、高岡市内にもどり土蔵造りのまち資料館(旧室崎家住宅)を見学。ここの係員のおばさんに高岡の町づくりなどを聴いてから、高岡発城端行の普通電車に乗って、この日の宿である福光の華山温泉へ向かった。

写真上:新湊の寿司竹
  中:高岡の土蔵造りの街並み
  下:洋館造りの富山銀行本店

水曜日, 7月 02, 2008

北陸の旅(酒はまだ登場しない編)

旅は酒と温泉です。いや、酒と魚です。いや、酒と女です。もとい、酒と電車です。酒と音楽です。ということで、この4ついや5つ(酒、温泉、魚、電車、音楽)を満足させるべく北陸は富山県へ向かった。

富山県は私のお気に入り都道府県ベスト5に入る好きな県である。高校生のときに立山連峰や五箇山に行っている。仕事でも富山、高岡、入善町などへ行っている。しかし、今回は高校以来の完全プライベートな旅である。それゆえに、あれも観たい、これも飲みたい食べたい、それも乗りたい聴きたい、といろいろ欲張ってみた。

午前7時48分、東京駅より新幹線Maxとき307号に乗って一路、越後湯沢へ。朝早い新幹線にもかかわらず、自由席は上野、大宮と止まるにつれて完全に満席状態になる。午前9時05分に越後湯沢に到着、ここで第3セクターほくほく線の特急はくたか4号に乗り換える。この特急は自由席が3車両しかなく、そのうちの1両は喫煙車。このために私が乗った禁煙車は完全に満席状態で、10数人も座れない状態であった。そんななかに、ヴァオイリンやチェロを抱えた人々が何人もいた。これはもしかして・・・。

乗車率100%を越している特急はくたか4号は午前9時13分、定刻通りに越後湯沢を出発。六日町、そして十日町に止まる。そのあとは長い、長い、長いトンネルを何本か走り抜けて日本海の見える直江津まで進む。この特急に乗ったのは初めてなのであるが、意外にスピードが早いのに驚く。トンネルが直線ということもあるからだろうが、「こんなに早いのなら北陸新幹線なんかいるのかいな」と思ってしまう。午前10時08分直江津到着。ここで結構乗客が降りたので、自由席の立ち客は解消される。

順調に走ってきた特急はくたか4号だったが、ここからがやはり長かった。新潟県は広い、長い。ガタンゴトン、ガタンゴトンと揺れながら走る特急。変わらない日本海の風景にも飽きてしまう。それでも約1時間10分かけて富山に到着。ここで乗客の半数近くは降りる。私はここで降りず、それから10分後の高岡で特急に別れを告げる。

高岡は加賀藩第2代藩主・前田利長が1609年(慶長14年)に開いた町であり、商工業地として栄え、また戦災に見舞われなかったことから、古くからの街並みが残っている。さて、その高岡に着いて私がすぐに向かったのは駅前にある路面電車・万葉線である。

私は鉄ちゃん・鉄子ではないが、それでも路面電車となると、やはり乗りたくなってしまう。現在、日本には約20の路面電車が走っているが、私はその半数以上には乗っている。今回の旅の楽しみの一つはこの万葉線と富山ライトレールに乗ることであった。

万葉線は高岡市と射水市(昔の新湊)を結ぶ路線で、高岡市内を路面で走り射水に入ると昔の新湊港線を走る。現在は超低床車両のライトレールも走っている上、本数も平日の昼間でも15分に1本間隔で運行されていて、お年寄や主婦には非常に便利な電車である。そして、私をなぜかウキウキさせてくれる電車でもあった。

写真上:新しい万葉線(2両編成)
  中:昔ながら万葉線(1両編成)
  下:海王丸

海王丸は1930年(昭和5年)から約半世紀にわたり文部省航海練習船として、「海の貴婦人」として親しまれた大型帆船である。

万葉線
http://www.manyosen.net/

海王丸パーク
http://www.hitwave.or.jp/kaiwomaru/

火曜日, 6月 24, 2008

目黒区と宮城県角田市が友好都市に

新聞の折り込みに入って来る「めぐろ区報」(目黒区広報誌)はなるべく読むようにしている。先日入っていた6月15日号の紙面トップには、デカデカと「宮城県角田市と友好都市協定を締結しました」と書かれていた。

最初、どうして目黒区が角田市と友好都市なのだと思ってしまった。というのも、目黒区に住んでいる人ならば多くの人は知っているだろうが、角田(つのだ)は目黒区、特に碑文谷一帯の大地主一族で、なんで角田と友好都市だなのだ?と思ってしまった。そしたら、ルビに角田(かくだ)市と書かれているのではないか・・・。

紙面によると目黒区と角田(かくだ)市は昭和57年(1982年)に「目黒氏の子孫を訪ねて」ということで、目黒区民が角田市に住んでいる目黒氏の子孫を訪ねたことに始まるという。目黒氏は武蔵国目黒村出身で、室町時代に伊達氏から現在の角田市島田に領地を与えられ、住み移ったという。

今回の友好都市協定によって、目黒区と角田市は今後、教育文化、産業経済、防災などの幅広い分野で支援しあうということになった。友好都市や姉妹都市というのは、海外と結ぶことが多いのだが(目黒区は北京市崇文区と友好都市協定を結んでいる)、最近は国内の都市部と地方の友好都市関係が目立ってきている。中野区と福島県田村市、大田区と秋田県美郷町などがそのいい例である。そして、このような傾向は今後も続くように思われる。

目黒区は「目黒のさんま祭」のおかげで、さんまの水揚げ港である宮城県気仙沼市とかぼすの産地である大分県とも友好関係にあるので、今後もこうした地方自治体と友好関係をより一層すすめていってもらいたい。

月曜日, 6月 23, 2008

カリフォルニアの日本人ワイン王・長沢鼎

長沢鼎(かなえ)という名を御存じであろうか。彼は1852年(嘉永5年)に薩摩藩天文方という学者一族の家に生まれた。本名を磯永彦助という。幼少の頃より英明だった彼は藩校である開成所で学び、1865年(元治2年・慶応元年)に弱冠13歳で藩費英国留学生としてイギリスに向う。

この藩費英国留学生は15名おり、そのなかから森有礼(後の文部卿)、寺島宗則(後の外務卿)、鮫島尚信(後の駐仏公使)、吉田清成(後の駐米公使)、松村淳蔵(後の海軍中将)、畠山義成(後の東京開成学校初代校長)といった明治新政府で活躍する人物が何人も生まれた。そんななかで、長沢鼎だけは海外で数奇な人生を送った。

イギリスに渡った後、長沢は他の留学生と分かれ、単身でスコットランド・アバディーンにあるトーマス・グラバーの実家から中学校に通った。しかし、それから2年後に留学生らはアメリカ人宗教家トーマス・レーク・ハリスと会い、長沢もその教えに共感して、1867年に森、鮫島、吉田、松村、畠山と共にアメリカに渡った。

渡米後、長沢らはニューヨーク州ブロクトンにあるハリスの指導する教団コロニーで、ワイン醸造などの仕事をしながら自給自足の集団農場生活を送る。翌年、明治維新の知らせを聞くと森らは帰国したが、長沢だけがハリスのたっての希望でコロニーに残った。それから、7年後、コロニーはカリフォルニア州サンタ・ローザ(Santa Rosa)近郊に移住。ハリスはその地をファウンテン・グローブと名付けた。この頃になると、長沢はワイン作りに没頭するようになり、ファウンテン・グローブ・ワイナリーは数多くの賞を受賞して、その名は次第に有名になっていった。

1892年、長沢が40歳になったとき、ハリスがニューヨークに戻ったために、ワイナリーは長沢の手に託されることになった。その後、彼は人種差別や排日運動が吹き荒れるなかで、次々と美味しいワインを生産して、地元白人たちから「プリンス」「バロン」などと呼ばれ、一目置かれる存在となった。そして、彼は日系社会に対する貢献も忘れることなく、カリフォルニアの日系社会で「ワイン・キング長沢」の名を知らぬ者はいなかったという。

1934年(昭和9年)、長沢は生涯独身のまま82年の波乱万丈な人生を終えた。

1983年に日本を訪れたレーガン元大統領は国会演説のなかで「侍から実業家になった長沢鼎は、日米両国の友好の歴史の中で特筆すべきことである」と彼を称賛した。

金曜日, 6月 20, 2008

グリーンピース・ジャパン理事長の妻

以前、東南アジアを旅行していたときに、グリーンピースに毎年寄付をしていると自慢しているフランス人と口論をしたことがある。彼は日本の捕鯨を批判するだけで、日本における鯨の食文化や、アメリカが日本を開国させたのは捕鯨船の中継地を作りたかったという歴史認識など全く知らなかった。

日本人もそうであるだろうが、欧米人は表面上のことだけで、他国の歴史文化や慣習を批判することが非常に多い。こうした自国の文化・共通認識=他国の文化・共通認識にと押し付けようとする人たちは、原理主義者か盲目主義者でしかない。グリーンピースも似たりよったりだと思う。そして、その日本機関であるグリーンピース・ジャパンはその手先だ、売国奴と言われても仕方がないだろう。

現在のグリーンピース・ジャパン理事長は弁護士の海渡雄一で、社民党党首・福島瑞穂の事実上の夫(夫婦別姓)である。私は今回のグリーンピース・ジャパンの窃盗事件および逮捕に関して、弁護士・福島瑞穂の見解が聞きたい。

木曜日, 6月 19, 2008

戒名も酒の肴

久しぶりに以前の飲み屋仲間と飲む機会をえた。私が10年も通った店が閉じたのは今年の2月。あれから、いろいろな飲み屋を探している飲兵衛たちだが、携帯とメールをやりとりして久しぶりに集合。今回のメンバーは得体の知れない元サラリーマン、大正生まれの日本酒大好きおじいさん、某超有名女流作家専攻の大学教授、某芸術団体職員、そして私の5人である。

話題はなぜか戒名の話に・・・。

客A「戒名って、誰でも勝手につけられるんですよ」
客B「そろそろだから、考えないといけないねぇ」
客C「そういう人はシブトイんですよ」
客D「ただ、勝手につけると、坊さんは葬式には来てくれませんよ」
客E「私は無宗教だから、坊さんは必要ないです」
客A「戒名でも“院・居士”は高いんですよ」
客B「いくらぐらいするんですか」
客A「70万から100万」
客B「それは高いねぇ」
客E「私の親父のときは50万ぐらいだったと思いますが」
客C「私が戒名をつけるとしたら・・・・」
客A「酩酊院はどうですか」
客D「Cさんなら、泥酔院でしょう」
客A「酩酊院放蕩居士というのはどうでしょうか」
客B「“院・居士”は七文字でなく九文字なのでは」
客E「では、泥酔院放蕩三昧居士というのは」(笑)
客C「オイコラ、墓場まで酔っ払いにするのか!」
客A「酩酊院と泥酔院では酔っ払いの差がでますね」
客B「う〜ん、格調が違いますな」
客E「私は酩酊院女難彷徨居士がいいなぁ」
客D「女難はちょっと無理なのでは」
客C「彷徨居士は恰好つけすぎだよ」
客A「酩酊院、いいななぁ・・・」

一人、悦に入る客Aこと大学教授でした。

火曜日, 6月 17, 2008

先発投手はパリーグばかり?

北京オリンピックまであと2ケ月と迫ってきた。私がオリンピックでもっとも興味のある競技は野球である。オリンピックで野球が行われるのは、ヨーロッパ人のご都合主義によって今回が最後になり、しばらく無さそうである。残念である。

さて、今回の日本代表チームの先発投手は完全にパリーグ陣で固められるのではないだろうか。昨年のアジア予選の3本柱だったダルビッシュ有(北海道日本ハム)、成瀬善久(千葉ロッテ)、涌井秀章(埼玉西武)は今年はさほど活躍はしていないものの、キャリアとマウンド度胸を考えると外せないだろう。これに加えて、中継ぎもできる小林宏之(千葉ロッテ)も外すのは難しい。その上で、今年は絶好調の岩隈久志(東北楽天)、左腕では和田毅(福岡ソフトバンク)、杉内俊哉(福岡ソフトバンク)、帆足和幸(埼玉西武)がおり、下手投げの渡辺俊介(千葉ロッテ)も捨て難い。

一方、セリーグで先発ができそうなのは、吉見一起(中日)と岩田稔(阪神)の2人ぐらいだが余りにもキャリア不足で、結局のところ中継ぎもできる川上憲伸(中日)ぐらいしかいない。

投手陣の枠はおそらく予選同様に9人と思われる。抑えはセリーグの藤川球児(阪神)と岩瀬仁紀(中日)の二人で決まりなので、残り7人に誰を選ぶかが興味津々である。基本的に1チームから1人ということで、ダルビッシュ、成瀬、涌井、岩隈、和田となり、オリックス分を千葉ロッテの小林か渡辺にするのではないだろうか。そして、セリーグからは星野監督が使いやすい川上を入れるだろう。巨人の上原浩治の出る幕はなさそうである。

木曜日, 6月 12, 2008

たばこ増税より議員削減が先

明日(13日)、国の税収増や健康被害防止のため、たばこ価格の大幅値上げを目指す超党派議員よる「たばこと健康を考える議員連盟」が設立総会を開くという。彼らの目論みは、現在の1箱(20本入り)300円前後の価格を500円から1000円に値上げし、増収分を医療など社会保障費に充てるというものである。

しかし、この安易な発想は非常に怖い。このような発想が許されるならば、たばこの次のターゲットは酒である。その次にはガソリン、いずれは市販されている飲料水にも税金を課すかもしれない。こうした、なんでも税金を取ろうとすることよりも、まず先にやることは自分たちの身を削ることではないだろうか。議員定数削減である。国会議員をはじめとして現在日本全国には5万人以上の「議員」という肩書きをもった人がいる。そして、その5分の1ぐらいは少なくとも削減できるのではないだろうか。

「たばこと健康を考える議員連盟」より「議員を減らすことを考える議員連盟」がなぜ作れないのだろうか。まあ、無理か・・・。

それにしても、10日に行われた「たばこと健康を考える議員連盟」世話人会では、共同代表に中川秀直元幹事長(自民党)、前原誠司副代表(民主党)、北側一雄幹事長(公明党)の政界再編に含みのあるメンバーを選んでいる。「たばこと健康を考える議員連盟」=「禁煙党」になる日があるかもしれない。そうなると、これはこれで怖い。

【追記】私は10数年前に禁煙したノン・スモーカー。

水曜日, 6月 11, 2008

映画「築地魚河岸三代目」を観る

昨日(10日)、渋谷シネパレスで「築地魚河岸三代目」を観た。松竹はこの映画に総力をかけていて、「寅さん」「釣りバカ」に続くシリーズ化をしようとしている。しかし、館内はお客さんが10数人と閑散としていた。いくら午後6時15分上映の回といっても、6月7日に公開されたばかりの映画とはとても思えない。ちょっと寂しい公開第一週である。これでも明日か明後日の新聞には「大ヒット!」という文字が踊る広告が載るのであるが・・・。

で、映画の評価は「可もなく不可もなく」という映画だった。シリーズ化へのためのプロローグのような映画と言ってもいいかもしれない。

それでは、私がなぜこの映画を観に行ったかといえば、単なる酒の肴好きだからである。つまり、飲み屋へ行く前の話のネタにと思ったからである。それゆえに、この映画は私にとって「とりあえずビール」程度だった。

ということで、映画鑑賞後は予定通り、地元の飲み屋へ行った。これが正解であった。私が行ったときは綺麗なお姉さんが二人だけ。そして、私のあとに来るお客さんもこれまた綺麗なお姉さんが相次いだのである。男は私とむさ苦しい店主だけ。50過ぎのオジサンのピッチは上がり、珍しく酔いが回ってしまった。どうやら来年公開予定の「築地魚河岸三代目」第2弾も観なくてはいけないようである。

映画「築地魚河岸三代目」公式サイト
http://www.uogashi3.jp/movie/

火曜日, 6月 10, 2008

秋葉原通り魔事件と死刑制度を考える

先月上旬にジュネーブで行われた国連人権理事会のなかで、日本を対象とする「普遍的定期審査(UPR)」というのが開かれた。そのなかで日本の死刑制度、従軍慰安婦問題などが人権侵害にあたるのではないかとの指摘がヨーロッパ諸国から相次いだ。UPRというのは、国連人権理事会が国連全192加盟国の人権状況を、4年をかけて審査するという新しい制度で、今春から導入されたらしい。

この日本に対するUPRの対日審査では、42か国が発言を求め「最近、死刑執行が増加していることに強い懸念を覚える。死刑は非人道的だ」(ルクセンブルク代表)と死刑制度の廃止を迫る声が多かったという。これは昨年12月に国連総会で採択された“死刑執行停止決議”を受け入れるよう日本に求めたものでもあった。

現在、世界にある約200カ国中、死刑制度を廃止もしくは事実上廃止している国は約125カ国で、死刑制度を存続している国は約75カ国と言われている。先進国で死刑制度があるのは日本とアメリカぐらいで、ヨーロッパ諸国は廃止している。しかし、日本では国民の8割以上が死刑制度廃止に反対と言われている。

私は日本で死刑制度がなくならない根幹には「仇討ち」という歴史的背景があるからではないかと思っている。もちろん、今日では仇討ちは違法であることは言うまでもないが、時代劇では仇討ちを題材したものが多く、日本人のなかには仇討ちという概念が沁み込んでいる。そのために、仇討ちができなくとも、裁判で仇を討ってほしいという考えがある。私はこの考えを否定することはできないと思う。

現在の鳩山邦夫法務大臣による死刑執行命令の乱発には問題があるが、オウム真理教による松本および地下鉄サリン事件、神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇事件)、池田小学校児童殺傷事件、長崎市長銃撃事件、そして、今回の秋葉原通り魔事件などを考えると、日本にはやはり死刑制度を存続させざるをえないだろう。日本はヨーロッパのようなキリスト教精神と異なる国なのだから、それを日本に強要するようなヨーロッパの意見を取り入れる必要性はない。

ただ、死刑執行を限りなく少なくするためにも、また裁判員制度を円滑に進めるためにも、死刑の次が無期懲役刑でなく、終身刑(重無期刑)という刑を早急に設ける必要がある。そしてこの終身刑には囚人が70歳を越えるまでは仮釈放はできないという付帯条項を必ず入れてもらいたい。

日曜日, 6月 08, 2008

スピード社製水着は違反でしょう・・・

私はヨーロッパ人のスポーツにおけるご都合主義に辟易している。スキーのジャップで日本人がメダルをいっぱい獲得するようになると、レギュレーションを変更した。このことはF1でも同じで日本社製車が勝ちつづけると、レギュレーションを変更した。他にも何かあったように思う。

今回のスピード社製水着レーザー・レーサーをもし日本の会社が開発していたら、どうなっていただろう。ヨーロッパ人は「日本製水着はレギュレーション違反だ」とクレームをつけただろう。しかし、今回のスピード社はイギリスの会社なので、ヨーロッパからはまだクレームは起きていない。水泳大国のアメリカやオーストラリアは元々「なんでもあり」というのがレギュレーションの国なので、スピード社製水着にクレームをつけることはない。

そもそも、スエットスーツみたいな水着で水泳をすることがおかしい。これならば、手ヒレ足ヒレがついた全身スエットスーツの水着を穿いてもいいではないか。浮力をつけて泳ぐ水着など、ドーピングとなんも変わりがない。男性の場合は水着は膝から腰までモノに、女性は肩から股下までのモノという規定にしなければ、水泳という競技はおかしなものになっていくだろう。

今後、もしミズノ、アシックス、デサントの日本の会社がスピード社製を上回る高性能な水着を開発したら、ヨーロッパ人は間違いなく「日本製水着はレギュレーション違反だ」というだろう。そうなる前にスピード社製水着はレギュレーション違反だと、水泳関係者は主張するべきではないだろうか。

土曜日, 6月 07, 2008

オシムのサッカーをもう一度見てみたい

昨年11月に脳梗塞で倒れたサッカーの元日本代表監督のイビチャ・オシムが、一昨日元気な姿を見せ、記者会見した。会見のなかで彼は「日本の選手はもっと走らなければいけない。走らなければ、いいサッカーはできない」「またベンチに座りたい。しかし、ベンチで死にたくはない」などと語り、現場復帰を考えていることを示唆した。

サッカーの日本代表監督は1992年にハンス・オフトが初の外国人監督と就任してから、下記のようにヨーロッパ人3人、日本人2人、ブラジル人2人と、ほぼ均等に起用されている。

1992年ー1993年 ハンス・オフト(オランダ)
1994年      パウロ・ロベルト・ファルカン(ブラジル)
1994年ー1997年 加茂 周(日本)
1997年ー1998年 岡田武史(日本)
1998年ー2002年 フィリップ・トルシエ(フランス)
2002年ー2006年 ジーコ(ブラジル)
2006年ー2007年 イビチャ・オシム(ボスニア・ヘルツェゴビナ)
2007年ー現在   岡田武史(日本)

私はサッカーに関しては門外漢なのであるが、素人目に見ても結果的に成功したと思える監督はいるとは思えない。ただ、戦術面戦略面を考えると、ヨーロッパ人の監督の方が日本人やブラジル人監督より上手くいっている気がする。確かにジーコはネームバリューからヨーロッパや南米の強豪チームと試合をするということで戦略面ではプラスだったが、中田英寿ひとりに頼り切った戦術面はお世辞にも知的だったのはいえない。

それに比べて、オフトは「ドーハの悲劇」でワールド・カップ進出を逃したが、日本サッカーの技術力を向上させた。また、トルシエは有名でないことからジーコのように強豪チームとの対戦は少なかったが、DFの攻撃参加やFKからの変わった攻撃など新しい戦術を披露して、日本サッカーに新鮮味を与えた。そして、オシムは「考えて走るサッカー」を提唱して、新しいサッカーを築こうとした。

こうしてみると、日本サッカーにはブラジル人や日本人よりもヨーロッパ人の方がフィットしているように思える。現在の岡田武史のあとは、できればヨーロッパ人の監督であってもらいたい。

話が大きくずれてしまった。

オシムが日本代表監督に復帰することはないとしても、日本サッカーへ刺激を与えるためにも、Jリーグの監督をやってもらいたい。病気のことを考えると、遠征での指揮が難しくなるので、首都圏にあるチーム(千葉、柏、浦和、東京、川崎、横浜)しかないだろう。個人的にはフロンターレ川崎か柏レイソルあたりが面白いと思うのだが・・・。

しかし、くれぐれも健康面を留意していただきたい。