3日目はゴルフ組も一緒に観光。2日間ゴルフとお酒漬けだったせいか、ゴルフ組はみなさん完全にお疲れモード。それでも、琉球王朝の歴史や伝統文化を体験できるテーマパーク「おきなわワールド」へ。ここには沖縄を代表する鍾乳洞・玉泉洞をはじめ、ハブとマングースのショーなどもあるハブ博物館、テント・ステージでのエイサーショーなどが楽しめ、沖縄の特有の赤瓦の古民家を再現した町並みでガラスや陶器などの伝統工芸を体験できる。
私は以前にもここに来たことがあるが、そのときは時間があまりなく、エイサーショーを見ただけで玉泉洞とハブ博物館を見ることができなかった。それゆえに、今回はその2本に的を絞って観光。玉泉洞は全長5kmにもおよぶ大鍾乳洞だが、そのうちの890mを公開しているが、これが結構長い。早足での見学だったのもかかわらず1時間近く費やしてしまった。その後は、ハブとマングースのたわいもないショーを見る。
昼食後、最後に訪れた沖縄平和祈念資料館内にある「平和の礎(いしじ)」は、私にとってお墓参りの場所でもあった。
平和の礎は1995年6月に太平洋戦争・沖縄戦終結50周年を記念して建立された。世界の恒久平和を願い、沖縄戦で亡くなった全ての人々(国籍、軍人、民間人の区別なく)240,609人の名(2007年6月23日時点)が屏風型の花崗岩に刻まれている。そのなかに私の伯父の名前もある。
私の伯父・小松三郎は東大医学部を卒業後、東大病院に勤務。しかし、その後軍医として徴用されて、南方戦線を転戦して、最後に沖縄に配属された。
よくある話だが、終戦後父の実家に、伯父に手術をうけて帰還した兵士が「軍医殿はおりますか。お礼を申しに参りました」と訪れたという。彼の話によれば、伯父は沖縄終戦の日である1945年6月23日の前日まで生存していた。彼が最後に伯父を目撃した場所は、平和の礎がある摩文仁の丘近くの壕で、伯父はそこで手術を行っていたという。しかし、伯父は結局本土に帰ってくることはなかった。そして、いつ何処で亡くなったのかも解らない。
もし、伯父が生還していたら、私の人生は少し変わっていたかもしれない。従兄弟の数は増えていただろうし、私の医学に関する興味はもう少し助長されていただろう。
写真上:ハブとマングースの水泳大会
下:平和の礎に刻まれている伯父の名
沖縄平和祈念資料館
http://www.peace-museum.pref.okinawa.jp/
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