水曜日, 6月 27, 2007

サレジオ教会=ダルフィオール神父

サレジオ教会の名は信じられないほど有名だ。その最大の理由は松田聖子と神田正輝が結婚式を上げたことによる。ただ、私にとってはサレジオ教会は通ったサレジオ幼稚園の教会であり、街のランドマークでもある。そして、私のようにサレジオ幼稚園に通った者にとっては、サレジオ教会=結婚式ではなく、サレジオ教会=ルイジ・ダルフィオール神父ではないだろうか。

現在のサレジオ教会の大聖堂は、私が生まれた1954年(昭和29年)に完成した。その外観はロマネスク様式建築で、総建坪317坪、奥行き47m、幅16m、高さ23m、塔の高さ36mという当時では国内最大級の大きさであった。また、内装にはイタリア産の大理石やステンドグラスが使用され、今でも屈指の美しい大聖堂と言われている。そして、この大聖堂の建設と平行して幼稚園の開設が準備され、同年5月9日には70人の園児で開園された。その初代園長がダルフィオール神父だった。

ダルフィオール神父は1913年イタリア・ベローナに生まれ。1930年に弱冠17歳にして来日。以降その人生すべてを日本での布教活動に捧げた。戦前は彼は「歌う宣教師」として、サレジオ会初代日本管区長のチマッティ神父と共に日本各地を回り宣教活動を行っていた。1947年にサレジオ会が碑文谷に土地を購入した翌年から、彼は木造の簡素な建物に最初の住人となり、1948年に碑文谷で最初のミサを執り行なった。そして、1952年から大聖堂の建築が開始され、前述したように1954年に完成して、なんと私が生まれた5月29日に大聖堂で1300人が参列して、チマッティ神父によって初のミサが行われた。先日書いた日記で私が生まれた日は何もなかった、と書いてしまったが非常に身近なところで意外な出来事があった。

ダルフィオール神父は幼稚園開設以降、一環して園長として子供たちにも親しまれてきた。おそらく入園した園児を毎年抱き上げていたに違いない。というよりも、神父はいつも誰かを抱き上げていた印象がある。私ももちろん抱き上げられたに違いない。そんな子供にいつも優しい神父だが、名テナーぶりはもちろん戦後も健在で、音楽をこよなく愛し続け、晩年まで声楽の指導を行っていた。また有名オペラ歌手がイタリアに音楽留学する際には紹介の労をとったという。ただ、私は幼稚園児のときの神父しか知らないので、その歌声を聞いたことはあるのだろうが、残念ながら記憶にない。

ダルフィオール神父は2001年6月19日に腎不全のため教会内修道院で帰天した。しかし、彼は今でもサレジオ幼稚園に通った者にとって忘れられない存在である。そして、戦後の目黒区史に名をとどめるべき人で、人々に大きな影響を与え、社会貢献した人であった。私にとっては間違いなく最初に接した外国人であり、始めて異文化を教えてくれた人でもある。

※写真は現在のサレジオ教会と1960年頃のダルフィオール神父

サレジオ教会のHP
http://home.m06.itscom.net/salesio/

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