土曜日, 7月 31, 2010

“猛暑のなかの涼しさ”をぬってお墓参り

昨日、梅雨の晴れ間ならぬ、猛暑のなかの涼しさをぬって、母親と一緒に青山墓地にお墓参りに行ってきた。お盆と父親の命日を兼ねてである。

日本にはお盆(新盆もしくは旧盆)、お彼岸(春分の日と秋分の日)、そして命日と年4回お墓参りする習慣がある。ただ、私のように二つの日を兼ね て、年3回という人も少なくないだろう。というのも、夏場は暑かったりするし、私の場合は青山墓地へのタクシー代往復5,000円、お花代2,000円と お墓参りとしてはかなりの出費である。なので年4回を3回と節約している。(苦笑)

一方、田舎ではお墓が家に近いこともあったりするので、月1回お墓参りをする家も少なくない。逆にそうしないと雑草が生えたりして維持が大変だからでもある。都会にしろ田舎にしろお墓参りは大変である。

それにしても、日本人ほどお墓参りする民族はいるのだろうかと思う。ただ、最近はお墓参りの代行サービスがあったり、ネットでお墓参りというのもあり、お墓参り事情も様変わりしているようだ。

木曜日, 7月 29, 2010

恋の悩みは毛髪活性 !?

例によってジムの風呂場でのおじさんたちの会話。

客A「最近、変わった“整髪料”を使ってませんか?」
客B「よく見ていますねぇ。“毛髪活性”ですか」
客A「ああいうの、効くんですかねぇ」
客B「無駄な抵抗かもしれまんが」
客C「なにごとも信じればですよ」
客D「Bさんはそんな整髪料を使う必要ないじゃないですか」
客B「最近は抜け毛も増えたし、髪にハリはないし・・・」
客D「Bさんみたいなロマンスグレーは女性にもてるからいいよね」

客A「それに比べるとですか」と言いながら、Dさんを見る。
客D「そうそう。それに比べると、俺なんかロマンスグレーにはほど遠いね」
客C「ロマンスボールドなんて聞かないね」(笑)
客D「『髪の毛の不平等を改善しよう〜!』という政党があれば投票するんだけど」
客B「自分で作ってみてはいかがでしょうか」
客D「選挙に出るほどアホじゃないよ」
客A「それ、禁句。このジムには区長も議員もいますから」

客B「経済の活性化も大事だけど、毛髪の活性化もお願いしたいもんですよ」
客A「やっぱりそっちに行きますか」
客D「髪の悩みは恋の悩みと一緒で切ないんですよ」
客A「とてもそうは見えませんが」
客C「奥さんが何人もいる人の言うセリフじゃないですよね」
客D「だから、恋の悩みと一緒なんだよ」(笑)

水曜日, 7月 28, 2010

魔法瓶がかかせない夏

この猛暑で誰もがいろいろな対策を行っていることと思う。エアコンや扇風機はもちろんのこと、氷枕だったり保冷剤枕だったりと寝苦しい夜をなんとかしようと努力をしているに違いない。

私はこうした対策とは別に魔法瓶を使っている。魔法瓶といってもお湯を入れるわけではない。中味はもちろん水と氷である。500mlしか入らない小さなものだが、これが結構重宝する。

私はだいたい深夜2時頃に就寝して7〜8時頃に起床する生活をしているが、こう暑いと寝つきはよくないし、寝てもやはり4時頃や6時頃に起きてしまう。時には1度ならずとも2度も起きてしまう。そうしたとき、枕元においてある魔法瓶から冷たい水を出して飲むと、すると身体が楽になる。

昼も仕事部屋には冷蔵庫ないので、机のそばに魔法瓶を置いている。魔法瓶がフル回転の夏。こんな夏が過去にあっただろうか。

火曜日, 7月 27, 2010

その昔、並木橋という駅があった

亡父は戦前に渋谷から府立高校(都立大学)に通っていたので「お前、並木橋って駅があったのを知っているか」とよく聞かされた。並木橋駅は渋谷駅より約500mほど南、明治通りと八幡通りが交差する並木橋交差点近くにあった。

東急東横線は1927年(昭和2年)に渋谷駅ー丸子多摩川駅(現・多摩川駅)が開通したが、このときに並木橋駅は同時に開設された。駅周辺には青山学院、国学院、実践女子、女学館、後に移転した東京農業大学や常磐松高等女学校(現・トキワ松学園)などの学校があったためである。しかしながら、1945年(昭和20年)5月の空襲で駅が破損してしまい、結局はそのまま廃止されてしまった。

今日、並木橋駅の面影はほとんど残っていない。20年近く前までは煉瓦で築かれたプラットフォームの桁跡を見ることができたが、今はそこもコンクリートで覆われてしまい、一見しただけではそこが駅跡とは解らない。そして、東横線も2012年度内には渋谷ー代官山間は地下化されて地下鉄副都心線と相互乗り入れをするので、おそらくこの駅跡も跡形もなくなるのであろう。

もし、今でも並木橋という駅があったら、並木橋交差点周辺は女子高生や女子大生たちでもう少し華やいだ場所になっていたに違いない。そして、センター街に一極集中している渋谷の若者地図も変わっていただろう。

下記のgoo古地図「昭和22年」の航空写真から駅跡が垣間見れる。
http://map.goo.ne.jp/history/map.php?st=100&kr=23

土曜日, 7月 24, 2010

猛暑で景気回復となるか

「夏は暑く、冬は寒く」が経済の原則である。今年の猛暑はその原則をしっかりと推進しているようで、夏物商戦が活況を呈している。

まずエアコンと扇風機などがもの凄い勢いで売れているという。ヤマダ電機で連日昨年の3倍以上の売り上げを記録しているようである。こうした涼しいところで販売をする人はいいが、「エアコンの取り付け工事なんて1日に3〜4軒でもヘトヘトなのに、今はもう何軒やっているか解らないよ」と、知り合いの電機屋さんは悲鳴を上げていた。

食料品関係では、ビール、スポーツドリンク、アイスクリームなどの売れ行きが半端ではないようだ。先日もダイエーに行ったら、ビールはいくらでもあったがポカリスエットの500mlボトルが売り切れだった。また、アイスクリームのショーケースもどことなく品揃えが手薄に見えてしまった。

他にも猛暑になると、活気づく業界がいくつもある。プールをかかえるホテルやスポーツジム、そして海の家、また旅行も北海道、沖縄が人気だという。私が通っているジムのプールも時間帯によってはもはや芋洗い状態である。w

民間のシンクタンクである第一生命経済研究所では、東京・大阪の7〜9月の平均気温が1度上昇すると個人消費を4333億円押し上げると試算している。もしこれが本当ならば、今年7月の平均気温は間違いなく1〜2度ぐらいは高くなりそうなので、2000億円ぐらいの経済効果はありそうである。

そのためか、昨日(23日)の東京市場は金曜日にもかかわらず6営業日ぶりに反発して、前日比210円8銭(2.28%)高の9430円96銭で引けた。ビール各社、江崎グリコ、森永、明治といったアイスクリーム各社、エアコンのダイキン工業と富士通ゼネラル、業務用製氷機のホシザキ電機などの値上がりが顕著だった。

気象庁が22日に発表した3カ月予報(8〜10月)によると9月は全国的に残暑が厳しい見込みだとか。このまま9月まで暑いとさすがに人間の機能は低下してしまい、それは景気回復のための足止めになりかねないので、やはり「夏は暑く、秋は涼しく」という経済の原則の天候になってもらいたい。まあ、気象庁の長期予報は当たらないので半分安心はしているが・・・。(笑)

木曜日, 7月 22, 2010

あえてアンチ阪神・シンパシー広島

昨日ジムで泳いで帰宅後、食事をしながら何気にテレビ(スカイA)で阪神 vs 広島の試合を観ていた。しかし、それはパリーグ・ファンの私から言わせてもらうと、なんか不思議な野球を観ているようでならなかった。

というのも、阪神の打撃陣は2番バッター・平野から、クリーンアップのマートン、新井、ブラゼルの3人、6番・金本、7番・城島と、1番・鳥谷と8番・浅井を除いては野手の8分の6は多国籍軍なのである。これでもし来年松井秀喜が阪神に加入でもしたら、阪神というチームはもうほとんど生え抜きがいないチームになってしまう。

一方の広島は3番・赤松と7番・石井を除いては生え抜きの選手で、その多くが地元中国地方出身者で固めらている。つまり、阪神は自前の選手を育てられない“金満球団”で、これは今や巨人以上のような気がする。逆に広島は地元選手をドラフトしなけらばならい事情もあり、走攻守揃った選手が並ぶものの、残念ながら威圧感に乏しいチームと言わざるをえない。

試合は前半に点数を入れた広島が逃げ切った形であったが、やはりなんか違和感を覚えざるをえなかった。プロ野球は勝ってナンボ、優勝してナンボの世界である。ただ、ほとんど生え抜き選手のいないチームを応援するのは虚しい気がする。若手選手が頑張って成長していく姿を観るのもプロ野球の醍醐味ではないだろうか。

水曜日, 7月 21, 2010

まぐろのない寿司屋はない

客A「こういうの見ると、食いたくなってくるねぇ」
客B「回転寿司なんか、忙しなくて食いたくないですよ」
客C「回転寿司の客の滞在時間って、どれぐらいなんでしょうかねぇ」
客A「10分から15分ぐらいじゃないの?」
客D「家族連れだと20分から30分じゃないんですか」
客B「回転寿司なんて皿が回転するんじゃなくて、客が回転しているだけですよ」

客A「どこか美味しいお寿司屋さんありませんかねぇ」
客B「寿司屋はやっぱり江戸前じゃないと」
客C「あと、まぐろが美味しいところじゃないとね」
客D「まぐろのない寿司屋なんてないですよ」(笑)
客B「まぐろのない寿司屋はない・・・かぁ」
客D「やまない雨はない、と同じです」
客C「お天気おじさんですね」
客B「でも、それを言うなら、朝の来ない夜はない、でしょう」
客A「○○さんの場合は、飲まない夜はない、じゃないですか」

客B「それをいうなら、○▲さんは、女性のいない夜はない、じゃないですか」
客A「そうなのよ、髪サンに、売れ残っている娘が2人」
客C「○○さん、なんとかしてあげなさいよ」
客B「勘弁してくださいよ」w
客A「たまにもう一人まぐろみたいなのが帰ってくるけど、それじゃダメ?」(笑)

火曜日, 7月 20, 2010

「ぶら下がり」なんて要らない

参院選で民主党が敗北したためか、菅直人首相のマスコミへの対応が微妙に変わっているという。なかでもこれまで消極的だった番記者たちへの「ぶら下がり」取材にも積極的に応じるようになったそうである。

ところで、私はこの「ぶら下がり」取材というものに予てから反対である。「ぶら下がり」は新しい首相官邸の警備強化に伴い、マスコミ取材が制限されたことから首相官邸とマスコミの取り決めによって1日2回行うことになり、いつしかそれが定着してしまった。

小泉元首相は「ぶら下がり」で「抵抗勢力」という言葉を乱発してうまく活用した。ところが、その後の福田、安倍、麻生、鳩山といった首相たちは「ぶら下がり」で失言や感情的発言をしてしまい、うまく活用することはできなかった。

それではなぜ私が「ぶら下がり」に反対かというと、国政は常に開かれている必要性はなく、秘密も大事である。それゆえに、どこの国でも一国の首相たる者、そんなにマスコミにリップサービスなどしない。官房長官が毎日2回も会見を行っているのだから、首相は週1回ぐらいの定例会見や特別会見だけで十分である。

常々、私は日本のマスコミの横暴と横柄さに呆れている。マスコミは「知る権利」とか「開かれた国政」とか言ってネタが欲しいだけなのである。それは裏を返せば、取材をしない(できない)記者たちへのネタ提供でしかない。

首相はマスコミ(記者クラブ)と「持ちつ持たれつ」の茶番劇を行う時間があるぐらいなら、もっとやることがいっぱいあるはずである。

金曜日, 7月 16, 2010

気象庁はなぜ東京に梅雨明け宣言をしないのか

気象庁は昨日(15日)奄美地方が梅雨明けしたとみられると発表した。昨年に比べ10日遅く、平年に比べ17日も遅く、1983年と並んで最も遅い記録だった。

一方、東京を初めとした南関東では14日(水)から“梅雨明け状態”である。風は強いものの、空はカラッと晴れあがり、それまでのようなジメジメとした湿度もあまり感じることもなくなった。

今夏の太平洋高気圧の勢力は例年とは少し違っているようで、九州南部よりも先に南関東に迫り出したような形になっている。このために南関東一帯が“梅雨明け状態”になっている。

それでは、なぜ気象庁が東京をはじめとした南関東に対して梅雨明けを宣言しないかというと、気象庁の梅雨に関する日本の地域分けは、沖縄、奄美、九州南部、九州北部、四国、中国、近畿、東海、関東甲信越、北陸、東北南部、東北北部(北海道は梅雨がないので入っていない)となっている。そのために、関東甲信越に入る南関東だけを抜きがけのようにして、梅雨明け宣言することができないのだろう。また、西日本を中心に各地で豪雨が降っていることで心情的にも梅雨明け宣言を出すのも辛いであろう。

それにしても、この地域分けのなかで関東甲信越というのは、地理学的にも広いような気がする。九州と東北がしっかり南部と北部に分かれているし、中部地方も東海と北陸に分かれている。こうなると、関東甲信越というはかなりだだっ広いのではないだろうか。やはり南関東、北関東、甲信越に分けるべきであろう。ただ、このときに埼玉は南関東に入るのか、北関東に入るのかで揉めるであろうが。(笑)

昨日の午後に学校帰りの小学生たちを見かけたが、何人もの子供たちの顔が赤くなっていた。おそらく学校のプールに入って日焼けしたのであろう。加えて、誰もが少しお疲れ気味のようであった。小学校も20日の終業式を残して、今日で実質終了である。もう明日から夏休みといっていいだろう。

木曜日, 7月 15, 2010

意味合いが薄れたFIFAランキング

南アフリカで開かれたワールドカップの成績を反映した最新のFIFAランキングが発表された。 優勝したスペインが当然ながら前回発表の2位から1位へ浮上。準優勝のオランダも4位から2位になった。また決勝トーナメント1回戦で惜敗した日本も45位から32位へとジャンプアップした。

全体としてはベスト10のなかにブラジル、アルゼンチン、ウルグアイ、チリと南米の4チームが入り、ヨーロッパ偏重のランキングが是正されたことは喜ばしい。だが、相変わらず不可解なランキングもある。まず不思議なのがW杯に出場できなかったエジプトがなぜか13位から9位へと上昇。日本同様に決勝トーナメントに進出した韓国は47位から44位と3つしかランキングを上げることができなかった。

もともとランキングなんてどうでもいいものなのかもしれないが、何も知らない人にとってはひとつの目安になっている。その意味では重要であろう。ただ、もうW杯も終わってしまったのでFIFAランキングの意味合いは相当薄れてしまったことも事実であろう。

いったいFIFAランキングとは・・・
http://k21komatsu.blogspot.com/2010/06/fifa.html

水曜日, 7月 14, 2010

菅直人の敗北、官僚の敗北、小沢一郎の敗北、マスコミの敗北

今回の参議院議員選挙での民主党の敗北は、考えようにとっては菅直人首相にとっては良い結果になったのかもしれない。もちろん、参議院で過半数を穫れな かったことによって、国会運営は辛いものになるだろう。しかし、菅首相および内閣は官僚に対して、財政再建は消費税増税だけではダメなんだとうことを強く 言えるようになった。

また、今回の民主党の敗北は消費税増税といった菅首相1人の責任だけではなく、政治とカネの問題を起した小沢一郎前幹事長、普天間基地問題で辞任 した鳩山由紀夫前首相にも当然ながらある。なかでも、小沢前幹事長は選挙対策を2人区や3人区に重点を置きすぎて、結局のところ1人区をおざなりにしてし まった。そして、このことが1人区で8勝21敗という無惨な結果として表れた。

こうした各種の敗因要素がいっぱいあることを解っていながら、マスコミはただ「民主党の大敗」とセンセーショナリズムなことを書くだけである。つ まり、マスコミも敗北しているのである。選挙結果としては、自民党とみんなの党が美酒を味わった形になっているが、実際は勝者なき参議院選挙だったのでは ないだろうか。そして、そのことを国民の多くは知っている。

火曜日, 7月 13, 2010

ヤンキースの名物アナ、ボブ・シェパード死去

日本の野球場では場内アナウンスといえば“うぐいす嬢”だが、メジャーリーグには何人もの有名な場内アナや実況アナがいる。そのなかでも「ザ・ボイス・オブ・ヤンキースタジアム」を知らないメジャーリーグ・ファンはいない。その彼が11日に亡くなった。99歳だった。

ボブ・シェパードはジョー・ディマジオの引退年であり、ミッキー・マントルがデビューした1951年の開幕戦からアナウンスを開始して、2007年9月5日まで約4500試合を担当した。

私が初めてヤンキース・スタジアムを訪れたのは80年代後半であったが、その頃にはすでに彼のアナウンスは有名で、その後何度もヤンキース・スタジアムへは行ったが、滑舌がはっきりして少しエコーがかかったような声は今でも耳に焼きついている。

彼に関するエピソードはいくつもあるが、そのなかでも彼はミッキー・マントルと共にエンジェルスやマリナーズに在籍した長谷川滋利投手のアナウンスをするのが楽しみだった。「SHIGETOSHI HASEGAWA」という長い名前を「メロディを奏でているようで、声に出すのが楽しかった」と語っている。長谷川はメジャーリーグに9年在籍して、残念ながらチャンピオン・リングを手にすることはできなかったが、それ並の、いやそれ以上の素敵な逸話をボブ・シェパードからもらったといってもいいだろう。

現在のヤンキースのキャプテンであるデレク・ジーターは自分が引退するまで、シェパードが背番号を2度コールする「遊撃手 背番号2 デレク・ジーター 背番号2」の録音テープを使う予定でいる。

Bob Sheppard Tribute, Yankee Stadium, 5/7/2000
http://www.youtube.com/watch?v=vj434vCtNRw

月曜日, 7月 12, 2010

嘆かわしき参議院議員選挙比例区の結果

参議院議員選挙の1人区で自民党が民主党に対して21勝8敗と大勝した。これは地方で消費税が毛嫌いされている証しであろう。このことは都市部でも同様で、みんなの党が東京、神奈川、千葉の3つの選挙区で議席を獲得したのも、菅首相の唐突な消費税論議の恩恵によるものだろう。そして、みんなの党が比例区で7,943,799票(13.59%)も獲得したのもその証しである。

結局、国民は消費税はいずれ上げなくてはならないと解っていても、「その前にやることがあるだろう」という人が多かったということが顕著に表れた選挙結果であった。ただ、みんな党にしてもいずれは消費税アップと言うに違いない。

さて、一方で比例区ではいわゆるタレントおよびスポーツ系候補が軒並み落選した。民主党では池谷幸雄、桂きん枝、庄野真代、岡崎友紀が落選。自民党では堀内恒夫、松浪健四郎、神取忍という体育会系候補が全滅。同様にたちあがれ日本の中畑清も、国民新党の江本孟紀氏、西村修も当選に至らなかった。これは結局のところ、国民の賢明さと谷亮子が35万余票もとってしまい一人勝ちしてしまったからである。それはそれで嘆かわしいことである。

金曜日, 7月 09, 2010

大相撲を支えてきた自民党・警察・ヤクザ

以前の自民党政権下では「自民党は警察に強く、警察はヤクザに強く、ヤクザは自民党に強い」という権力構造があった。こうしたトライアングル構造の恩恵をうけていた団体や企業は星の数ほどあったが、考えてみれば日本相撲協会はその最たるものだったのかもしれない。

野球賭博にしてもこれが自民党政権だったら揉み消されたいたかもしれない。また、「公益法人としての見直し」などという発言もありえなかっただろう。また、名古屋場所の相撲案内所が違法建築ということで取り壊しになったが、こんなことは警察は知っていて黙認してきただけのことである。

つまり、これまでの大相撲を支えてきたのは、外国人力士でもなく相撲ファンでもなくNHKでもなく、自民党・警察・ヤクザによる権力のトライアングル構造だったのだろう。それにしても、ここまで堕落して「国技、国技」と言うは止めてもらいたい。

木曜日, 7月 08, 2010

話を10倍20倍に膨らます男、道や通路をふさぐ女

男女差別でも偏見でもない。

買い物やジムなどで近所に外出すると、どうして「おばさん」と言われる世代の女性は道端や通路をふさいでお喋りに熱中しているのだろうかと思う。そして、最近は歩道の真ん中に立ち止まって携帯電話をする(もしくはメールする)女性もよく目にする。

こうした道をふさぐ女性とは別に、エレベーターではどうして降りる人を確認することなく、すぐに乗ろうとする女性が多いことにも驚かされる。

どうも女性という生き物は、車の運転でもそうだが周囲がよく見えていないようでならない。それとも、そうした余裕がないのだろうか。

一方で、男性という生き物は本のタイトルではないが、どうして人の話をはっきりと聞かないのかが不思議でならない。また、どうして嘘八百ではないが、話を10倍20倍にして膨らませて喋る男性が多いのかにも呆れかえる。ま、人のことを言えるギリではないのかもしれないが・・・。w

火曜日, 7月 06, 2010

なんで円は強いかを考えてみる

円相場がついに87円台に突入してしまった。いったいなんで円がこんなに強いのだろうか・・・。世界経済には少しうとい頭で考えてみた。

日本は首相がコロコロ変わる。政権が安定しているわけではない。それなのに、日本経済は信用があるようで円は強い。マスコミではギリシャなどヨーロッパ経済が先行き不安定であり、アメリカ経済も復調の兆しがないなど、外的要因ばかりをとりあげている。はたしてそれだけなのであろうか。

日本の財政状態はとてもじゃないが、しっかりしているとはいえない。しかしながら、他国に比べればまだまとものようで、これが円を強くしている最大の要因ではないだろうか。日本の財政赤字は約830兆円近くあるようだが、これに対して日本の国内預金高は1200〜1300兆円ある。また、日本はアメリカ国債を約80兆円以上保有しているほか、日本企業がアメリカの国債や社債を保有していて、その額はトータルで300兆円とも500兆円といわれ、実態すらよく解っていない。このように他国からみれば、日本のお金の収支はプラスと受け取られているのである。

また、小泉純一郎の靖国参拝のおかげで5年間も中国と冷ややかな関係になってしまったが、やはり日本は欧米に比べて中国市場や、またインド市場に近いという優位さがあり、今後の経済発展が見込まれている。ただ、中国経済がいずれ崩壊するのは火を見るより明らかなので、いつまでも円高が続くとはとても思えない。

というわけで、日本は財政状態は決して良いとはいえないが、他国から見ると日本はやはり金持ち国と映るようである。

日曜日, 7月 04, 2010

吉村昭著『ふぉん・しいほるとの娘』(上下巻)を読む

歴史小説の傑作中の傑作。これほどの歴史小説はそうそうあるものではないと思う。

小説は1823年(文政6年)のシーボルト来日から、明治36年(1903年)のシーボルトの娘であるお稲の逝去までの80年間を、劇的に変わる歴史と共にそのなかで慎ましくもあり逞しくもある女三代(お滝、お稲、タカ)の生き様を懇切丁寧に描いている。

舞台が長崎、宇和島、岡山、江戸、大阪といろいろ変わり、加えて幕末史にかかせない人物が次から次へと登場する。このことが、いかにこの女性たちの生涯が波瀾万丈であったかを物語っているだろう。それは下手な大河ドラマを観ているよりも、圧倒的ダイナミズムな読書感を味わうことができる。

3人の女性の生涯は美人ゆえの苦難と苦渋にも満ちていて、途中何度となく涙なくしては読めないところがあるが、1866年(慶応2年)に宇和島藩主・伊達宗城のはからいでタカと三瀬周三(後の諸淵)の祝言を上げる箇所は、3人の女性にとって生涯最良の日であっただろうと嬉し涙なくしては読むことができなかった。

吉村昭の小説は徹底した資料追求と下調べに裏付けたされたものであるが、歴史好きならばこの小説を読むと、3人が歩んだ町を訪れたくなってしまうだろう。


余談になるが、下記のサイトに永島正一著「続長崎ものしり手帳」に書かれていたという、生前のタカが語った祖母(お滝)、母(お稲)、そして自分のことが転載されている。

シーボルト君記念碑と、たき・いね・たか
http://www2.ocn.ne.jp/~oine/kinenhi/index.html