火曜日, 8月 31, 2010

日刊スポーツ・世紀の大誤報

昨日(8月30日付)の日刊スポーツ1面は「代表監督は超大物!ペケルマン氏と合意」という見出しで、元アルゼンチン代表監督のホセ・ペケルマンと合意、30日にも日本協会から発表されると報じた。また、記事のなかには「ペケルマン氏は同2日の代表招集に合わせて来日する予定」とまで書いてあった。ただ、スポーツニッポンや東京中日スポーツなど他紙は前ユベントス監督のアルベルト・ザッケローニの就任が濃厚と書いていて、日刊スポーツのみペケルマンが日本代表監督の就任が決定的と報じたのである。

そして、ご存知のように昨日午後に日本サッカー協会は、「アルベルト・ザッケローニの代表監督が就任が決定した」と発表した。日刊スポーツの大誤報であった。

さて、本日の日刊スポーツにどのようなことが書かれているか興味津々だったが、やはりというか案の定、言い訳に徹していた。日本サッカー協会はペケルマンとも交渉していたとか書いているものの、前日の記事のなかには元レアル監督ペジェグリニ、現オリンピアコスのバルベルデ監督の名はあれど、ザッケローニという名はなかった。もちろん誤報に対する謝罪もお詫びもなかった。

日刊スポーツは過去にもオシム日本代表監督の後任に、当時の浦和レッズ監督のオジェックが就任と報じる失態をおかしている。今回はそれに続く大失態で、日刊スポーツ紙のサッカー取材に対する信用は失墜した。これほどの誤報なので、可哀想だがサッカー担当デスクおよび編集長はなんらかの処分は免れないのではないだろうか。

月曜日, 8月 30, 2010

東京のさんま祭り情報

今年は例年になくさんまが不漁とのこと。それでも、東京では4つのさんま祭りが開催されます。高くて手がでないさんまをこの機会に食べてみてはいかがでしょうか。ただし、目黒の2会場は整理券をもらっても食べるのに1〜2時間待ちは当たり前ですのでご注意を。

◉第15回目黒のさんま祭り(品川区側にある目黒商店街主催)
http://www.owarai.to/meguro/
日時:2010年9月5日(日)
場所:誕生八幡神社界隈・目黒通り沿い周辺(目黒駅東口下車徒歩1分)

岩手県宮古産さんま6000匹無料配布
徳島県神山町産の豊潤すだち10000個用意

とにかく駅から近い。東口に出るともう煙と匂いが充満している。寄席なども行っている。

◉第15回目黒のさんま祭(目黒区民まつり実行委員会主催)
http://sunma.emeguro.com/index.html
日時:2010年9月19日(日)10時
日時:東京都目黒区田道広場公園および区民センター周辺(目黒駅西口下車徒歩5分)

宮城県気仙沼産さんま5000匹無料配布
大分県臼杵産かぼす

すり身汁(100円)、フカヒレスープ(300円)など日本各地の物産販売や世界各地の露店が出る。

◉三陸・大船渡東京タワーさんままつり
日時:2010年9月23日(木)10時
場所:東京タワー下

岩手県大船渡産港さんま3,333匹
大分県竹田産かぼす

◉第5回恵比寿となりのサンマ祭り
日時:2010年10月3日(日)
場所:恵比寿ビール坂下 恵比寿4丁目児童遊園地前(渋谷区恵比寿4-26-1)

こちらも出店、和太鼓演奏など見られる。

木曜日, 8月 26, 2010

「明治生まれは大正生まれより長生きするよ」

高齢者の所在不明問題で、各地で江戸時代生まれの高齢者が続出している。三重県志摩市では、黒船来航以前の弘化4年(1847年)生まれの163歳の男性が戸籍上いることが判明。大阪市でも「安政の大獄」の前年となる安政4年(1857年)生まれの152歳がいると発表した。

こうなると、幕末好きとしては時代ロマンを感じてしまう。ただ、私が子供の頃はまだまだ江戸時代生まれの人が存命していて、文久(1861年〜1863年)か元治(1864年)か慶応(1865年〜1868年)かよく解らないが、江戸時代生まれという方が近くに住んでいた。

最後の江戸時代生まれは世界最長寿人物にもなった泉重千代さんで、慶応元年6月29日(1865年8月20日)に生まれ、1986年(昭和61年)2月21日に亡くなられた。

そして、いずれ最後の明治時代生まれの人も出現する。しかしながら、生前大正生まれ父親が言っていた。「明治生まれは頑固で丈夫で長生きだ。大正生まれは戦死者も多いから、明治生まれより先に大正生まれがいなくなってしまうよ」と。

火曜日, 8月 24, 2010

「熱帯夜」という言葉はもはや死語!?

熱帯夜とは夜間(もしくは1日)の最低気温が摂氏25度以上のことをいう。ただ、気象庁が発表しているデータには夜間という括りがないので、統計的には1日の最低気温が25度以上の日のことをいうようになる。

さて、この熱帯夜は私が子供の頃の東京では年に10日もあるかないかだった。ウィキペディアによると、東京の熱帯夜は1941年〜1970年までは年11.8日だったのが、1971年〜2000年は23.1日とほぼ倍に膨れ上がり、2001年〜2008年になると27.9日まで上昇している。

そして、今年2010年猛暑の年である。まだまだ熱帯夜が続きそうであるが、8月に信じられないことに熱帯夜でなかった日が1日だけある。それは9日でその日の最低気温は23.6度だった。本当だろうか。全然記憶にない。(笑)ちなみに、東京は私が勝手に梅雨明け宣言をした14日の翌日15日から8月9日を除いては連続的に熱帯夜である。

また、熱帯夜は6月に2日、7月に19日に記録しているので、今夏の東京はすでに2日+19日+21日=42日にもなり、平均の27.9日をすでに大きく上回っている。熱帯夜は9月になってもあるので、このままの状態でいくと今年は50日を軽く上回りそうな勢いである。

こうなると、もはや25度以上の夜は当たり前になってしまい、マスコミでも熱帯夜という言葉は使われなくなってしまった。「熱帯夜」という言葉はもはや死語なのかもしれない。

土曜日, 8月 21, 2010

光化学スモッグのない猛暑

夏になると毎度お馴染みのはずの光化学スモッグ。ところが、その光化学スモッグが今年はほとんど発生していない。ちょっと不思議である。

気象庁は今夏から光化学スモッグの発生予想「全般スモッグ気象情報」を前日に発表することになったが、これまで発表されたのは17日だけのようで、その内容は下記の通りである。

「全般スモッグ気象情報(光化学オキシダント)」
関東甲信地方の一部の地域では、今日(17日)昼過ぎから夜のはじめ頃にかけて、光化学スモッグの発生しやすい気象状態となるでしょう。関東甲信、東海、近畿地方では、明日(18日)は光化学スモッグの発生しやすい気象状態となる見込みです。

しかしながら、この日(18日)に光化学スモッグが発生したというニュースは流れなかった。今年は猛暑である。猛暑だから光化学スモッグが発生してもよさそうなのだが発生しない。あまりにも猛暑すぎるために発生しないのかもしれない。ただ、実際は排気ガスなどの大気汚染の減少が要因と思われるが・・・。

いずれにしても、光化学スモッグが発生しないことはいいことであるが、熱中症による死亡者の多さにも困りものである。早く猛暑が終わることを切に願っている。

木曜日, 8月 19, 2010

夏野菜が美味しい

猛暑、猛暑、猛暑の夏で野菜が高騰しているが、私は例年以上に夏野菜を楽しんでいる。楽しんでいるといっても別に家庭菜園をやっているわけでなく、なぜか今年は夏野菜を多くの人からいただいている。

ジム仲間のオジサンからはキュウリと茄子を、行きつけの飲み屋の店主からはカボチャと野菜ではないが夕張メロンをいただいた。そして、山形の知人からはだだちゃ豆とトマトが送られてきた。

夏野菜というとキュウリ、茄子、ピーマン、トマト、トウモロコシ、カボチャなどが代表的なものだろう。あとはピーマンとトウモロコシだけである。誰かくれないかなぁ。(笑)

水曜日, 8月 18, 2010

いったいいつがピーク!?

この3〜4日、テレビのニュースは「お盆休みをふるさとや行楽地で過ごした人たちのUターンラッシュがピークを迎え、高速道路では渋滞が続いている」と報じている。

毎日ピークのようである。ピークとはご存知のように山頂という意味であり、毎日ピークがあるとなると山ではなく山脈になってしまう。

それにしても、マスコミはピークという言葉を安易に使いすぎるような気がする。昨日の毎日新聞にも「今年3回目の猛暑のピークになっている」とある。どうやら、Uターンだけでなく猛暑も山ではなく山脈になっているようである。

いずれにしろ、もうピークという言葉は聞き飽きた。(苦笑)

土曜日, 8月 14, 2010

髪が薄い人ほど喫煙者!?

最近は飲み屋でもタバコを吸う人が少なくなったが、昨日行った飲み屋では遠慮しながらも3人の男性がタバコを吸っていた。そして、その3人がいずれも髪が薄い人だった。

喫煙は髪に絶対によくない。ニコチンは血行を悪くするので、髪に栄養が行き届かなくなるからだ。つまり発育不全になりやすいのである。

昨日の飲み屋でもタバコを吸わない人はみんな髪の毛がフサフサであった。禁煙すると髪の毛が増えるという人が多々いるようなので、髪の悩みがあり喫煙している人は、いくらストレス発散とはいえ禁煙するべきであろう。

髪の薄い人に喫煙者が多いのか、それとも喫煙すると髪が薄くなるのだろうか。どちらにしろ、喫煙は身体にも髪にもよくない。

木曜日, 8月 12, 2010

あの日のことは憶えている

四半世紀たった。25年前の1985年8月12日。誰もがあの日のことを憶えているに違いない。あの日何をしていたか、何処にいたか、いつその一報を聞いたかなど、誰もがあの日の自分を憶えているだろう。

私は渋谷ジァンジァンで公演していた芝居の制作を担当していた。その一報である「日航ジャンボ機が行方不明」は劇場事務所で聞いた。そして、終演後大阪から来ていた人をホテルに送るために乗ったタクシーのなかで、初めて「520名以上を乗せた日航ジャンボ機が行方不明」と、その人数の多さに驚いた。

飛行機に520人以上の人が乗れるのか耳を疑った。いくらジャンボ機といっても350人ぐらいじゃないかと思っていた私には衝撃であった。そして、その日の深夜からテレビは特別番組が開始され、最初は相模湾で機体の一部が発見という報道がされた。しかしながら、翌朝テレビ画面に映し出された映像は山の尾根に散らばる無惨な機体の姿であった。

慎んで哀悼の意を表します。

火曜日, 8月 10, 2010

初代三人娘のひとりはどっち?

三人娘という言葉がある。その時代・時代に活躍した女性三人に対するユニットとしての称号であり、また同一化して売り出そうという称号でもある。

さて、その三人娘でもっとも有名なのが昭和20年代後半から30年代前半にかけて歌謡界ポップス界をリードした美空ひばり、雪村いづみ、江利チエミの「元祖三人娘」(後にこういわれるようになった)であり、三人娘の称号にふさわしかった。

ところが、この「元祖三人娘」の前に「初代三人娘」というのがいた。Wikipedia(ウィキペディア)によると、里見京子、黒柳徹子、横山道代となっているが、私のおぼろげな記憶で申し訳ないが、水谷良重(現・水谷八重子)、黒柳徹子、横山道代の3人ではなかっただろうか。

ただ、里見、黒柳、横山の3人はNHK傘下の東京放送劇団の同期生であり、NHKがこの三人に対して「三人娘」と言っていたのかもしれない。一方で、初代水谷八重子の娘である水谷良重は、伊東深水の娘である朝丘雪路、東郷青児の娘である東郷たまみと共に、服部良一の下で歌を習っていて、服部が彼女たちを「ドラネコ・シスターズ」と呼んだものの、結局「七光会」というのを結成して後に「七光り三人娘」とも呼ばれるようになった。

ということで、「初代三人娘」のひとりは里見京子なのだろうか、それとも水谷良重なのだろうか。

土曜日, 8月 07, 2010

真夏なのに富士山が見えた

一昨日(5日)の東京の空は非常に澄んでいた。そのおかげで思わぬ恩恵にうけた。というのは、真夏なのに東京から富士山が見えたのである。

冬には東京からは富士山をしばしば望むことができる。しかし、真夏に富士山が見えることは珍しい。ある程度の風があり、空気が澄んでいて、車の量が少ないなどいくつかの条件が揃わないと夏富士を見ることはできないと思う。

一昨日の夕方、東横線に乗っていて何気に西の空を見ると、遠くの方に入道雲が見えるなぁと思って、富士山も見えるかなぁ、などボンヤリ思っていたら、高架線の上からは富士山がくっきり見えるではないか。心地良い驚きであった。

そして、学芸大学駅のプラットホームの7両目あたりの広告板の隙間からも富士山が見えることを初めて知った。ただ、目の前にテレビのアンテナがあるのがちょっと興ざめでもあったが・・・。

金曜日, 8月 06, 2010

2012年大河ドラマ『平清盛』の脚本は藤本有紀

一昨日(4日)NHKは2012年の大河ドラマは『平清盛』と発表した。脚本は私が好きな『ちりとてちん』の藤本有紀が担当、オリジナル作品を書くという。彼女がいつか大河ドラマの脚本を書くとは思っていたが、こんな早くなるとは思っていなかった。

私が初めて彼女の名前を知ったのはフジテレビで放送された中山美穂と金城武が主演した『二千年の恋』だったが、改めて藤本有紀のプロフィールをウィキペディアで調べてみると、彼女はなんと私の知人である関秀人が主宰していた関西の劇団・立身出世劇場に台本を書いているではないか。う〜ん、知らなかった。

昨日の記者発表でチーフプロデューサーは「源氏に滅ぼされた悪のイメージもあるが一掃したい。平安絵巻でなく瀬戸内で海賊討伐を行い、やがて日本の覇者になるサクセス物語」と語り、清盛の死後も、子どもや妻の視点から平家滅亡までを描くとのこと。

藤本有紀にはぜひとも斬新な脚本を書き上げてもらいたい。そして、主人公の清盛を演じる役者は間違ってもジャニーズ系と歌舞伎役者の起用だけはやめてもらいたい。

火曜日, 8月 03, 2010

水木しげるも面白かったが、ちばてつやはもっと面白かった

NHKの朝ドラ『ゲゲゲの女房』のなかに登場する水木しげるの漫画『悪魔くん』や『墓場の鬼太郎』(後の『ゲゲゲの鬼太郎』)が掲載される漫画誌「少年ランド」とは「少年マガジン」である。そして、その編集部に掲げられているライバル誌「少年アワー」とは「少年サンデー」である。

「少年マガジン」と「少年サンデー」は共に1959年3月17日に創刊された。創刊当初の両誌は全く知らないが、私は翌1960年に小学校入学、その1年後ぐらいからまず「少年サンデー」を読み始めるようになった。

当時の「少年サンデー」には手塚治虫、寺田ヒロオ、横山光輝など人気漫画家が執筆していたが、私が最初に夢中になったのは創刊号から掲載されている寺田ヒロオの『スポーツマン金太郎』、1961年連載開始の横山光輝の『伊賀の影丸』、その翌年連載開始の九里一平『大空のちかい』などだった。

そして、そのうちに近所の友達が買っていた「少年マガジン」と交換・回し読みをするようになり、「少年マガジン」に載っていた『ちかいの魔球』の虜になった。おそらく、この『ちかいの魔球』が「少年マガジン」最初のヒット作であったと思う。

『ちかいの魔球』は1961年から原作福本和也、作画ちばてつやのコンピによって連載された野球漫画で、巨人に入団した二宮光が、浮き上がる魔球、ボールがいくつにも見える魔球、そして消える魔球を投げるというストーリーで、いうまでもなく後の『巨人の星』のモチーフとなった漫画である。

ちばてつやはその後『紫電改のタカ』(1963年〜65年)『ハリスの旋風』(1965年〜67年)『あしたのジョー』(原作:高森朝雄 1968年〜73年)とヒット作を連発して、少年マガジンが最大発行部数の雑誌になるのに貢献し、私もいつしか少年マガジンも買うようになっていた。そして、「少年マガジン」は「右手に朝日ジャーナル、左手に少年マガジン」と言われるほどの時代の寵児たる雑誌になっていった。

ドラマ『ゲゲゲの女房』では水木しげるが、少年マガジンの発行部数100万突破の功労者のひとりとして描かれているが、最大の功労者はちばてつやであっただろう。

月曜日, 8月 02, 2010

夏バテ防止の食材はナシ

夏バテ防止にナシ(梨)が良いそうである。

先日の日刊スポーツ紙の生活面に書いてあったことなのだが、食材には「熱性」「温性」「平性」「涼性」「寒性」と5つの性質があり、当然のことながら夏には「涼性」と「寒性」を供えた食材がよろしいそうである。

なかでも、ナシが優れた食材のようで、その甘味には滋養強壮作用があり、消化の働きをよくするそうである。また、ナシに含まれている酸味も肝臓の働きをよくしてくれる。ただ、ナシを食べるのは血糖値があがる夕方以前にということなので、朝食か昼食のデザートに食べるようにしよう。

ただ、ナシは残念ながらまだスーパーの店頭にほとんどない。それではナシ以外の「涼性」と「寒性」を供えた食材となると、カモ肉、アワビ、トマト、ホウレンソウ、レンコン、ゴボウ、セロリ、レタス、ショウガなどのこと。