水曜日, 1月 16, 2019

日本の影が薄くなっている

海外に住む日本人が一時帰国すると、友人たちに「日本の影は薄くなっているわね」とか「日本の存在感はもうなくなっている」などと言うことが多いらしい。
 
現在、私は日本に住んでいるので、一概にこうしたことを言うのは不謹慎かもしれないが、世界で日本の輝きがなくなっているのは間違いない。
 
高度経済成長期の日本は数多くの企業戦士たちが世界の奥深いところまで行って開発援助や技術指導なりをしていた。私の父親も公務員ではあったが1960年代にマダガスカル、タンザニア、ケニアなどで技術指導をしていた。1970年代から90年代にかけては海外青年協力隊が世界各地で学問、医療、文化、スポーツなどの指導を積極的に行っていた。そして、多くの若者がバックパックを担いで世界を旅していた。
 
それが今はどうだろうか。日本中が「インバウンド」なんてまさに内向きな思考になってしまい、若者は海外で働くことを拒絶したがる、旅すら行こうとしない(できない)。以前はアメリカ大陸横断だの、ユーロシア大陸横断だの、ヨーロッパ巡りなどをする日本人のバックパッカーがいっぱいいた。ところが、今やそんなことをする奴はほとんどおらず、バックパッカーは日本では死語になりつつある。
 
この20年間の日本の平均所得はほとんど変わらず、世界各国にどんどん抜かれている。そして、現在の安倍政権は行った先々でお金をバラマキするものの人材派遣をしよとしない。加えて原発輸出など危険きわわりないものを輸出しようとしていて、安倍商売というかトップセールスは頓挫しまくっている。
 
このような状態であるから、冒頭に書いたように海外に住む日本人が嘆くのも当然である。ではどのようにしたら、日本が再び輝きを取り戻せるのだろうか。その答はみなさんが出すしかない。その第一歩は選挙へ行くことである。

日曜日, 1月 13, 2019

春風亭小朝・立川志らく・林家たい平 新春落語三人会@パーシモンホール

一昨日(11日)はめぐろパーシモンホールで開かれた「春風亭小朝・立川志らく・林家たい平 新春落語三人会」を聞く。出演者と演目は下記の通り。チケットは完売。

立川志らぴー 「子ほめ」
林家たい平  「紙屑屋」
春風亭小朝  「葬式に行かない訳 〜菊池寛原作〜」
 〜 仲入り 〜
柳貴家雪之介  水戸大神楽
立川志らく  「子別れ」

立川志らぴーは立川志らくの末弟子。隠居を訪ねた八五郎を口がとんがって演じたり、隠居を身動きせずに演じるなど、落語の基本動作をしながら噺を進めるのだが、今ひとつ何かが足りない。その何かを求めて精進してもらいたい。

2日前に恵比寿で林家たい平(演目は「替り目』)を聞いたばかりだが、この日もたい平は絶好調。マクラで桂歌丸や三遊亭小遊三など「笑点」メンバーに関するエピソードを話しながら観客を引き寄せて本題へ。その本題でもところどころで脱線しながら(お得意の「花火」芸も披露)、しっかりオチをつける。この人のすごいところは、観客に喜んでもらえるよう芸人に徹していることである。たい平は今聞かずしていつ聞くのだというぐらい、今もっとも脂ののっている落語家の一人である。

春風亭小朝のマクラはちょっとシュールな小話の連続。そして本題の「葬式に行かない訳」もバーテンダーとお客のたわいもない会話を演じる。これには真剣に聞いていた高齢者や女性客もなかなか理解できず、最後はほとんどの人が白けていた。新作に挑戦するのは決して悪いことではないが、この演目はいくら何でも新春落語にはふさわしくない。もはや死語かもしれない言葉だがKYな小朝だった。

柳貴家雪之介は大神楽宗家の跡取り。おそらく幼い頃から見よう見まねで曲芸を覚えてきたのだろうと思うが、そのテクニックは見るごとに進化している。出刃包丁を使った芸に会場もハラハラドキドキ。

立川志らくは初めて聞く。名作「子別れ」を淀みもなくテンポよく演じるが、これまた開口一番の立川志らぴーと同じように何か物足りない。その何かがわからない。立川流の落語は理解するのが難しいのかもしれない。あと2〜3回聞けば、それが何かが解るのだろうか。それすら疑問に思ってしまうほどだった。

いずれにしろ、新春落語会にはふさわしくない演目とメンバーだった。主催の目黒区文化芸術財団も頭が痛かったに違いない。


木曜日, 1月 10, 2019

恵比寿まめかな寄席<1月公演夜の部>

昨日(9日)は恵比寿エコー劇場で開かれた「恵比寿まめかな寄席<1月公演夜の部>を聞く。出演者と演目は下記の通り。

元気丸     前説・漫才
柳亭小痴楽  「浮世根問」
U字工事    漫才
立川談笑   「片棒改」
三遊亭愛楽  「火焔太鼓」
 〜 仲入り 〜
マギー審司   マジック
一龍斎貞寿  「夫婦餅」
林家たい平  「替り目」

柳亭小痴楽は今年9月に真打昇進が決まっている。本人曰く高校1年を2回やって基礎を勉強したとマクラで述べる。これが本当かどうか知らないが、落語の基礎をどこまで勉強したかはちと疑問。「成金」メンバーとしてすっかり売れっ子になったが、ただ少し投げやりな話し方が鼻につく。もっと観客に寄り添った落語をすべきでなかろうか。

栃木弁丸出しの漫才U字工事。栃木弁の滑舌は良くともカタカナ言葉はしっかり滑るというローカル色がいい。ネタのなかでも披露していたが、テレビで売れっ子になったにもかかわらず、舞台を大事にしている姿勢がいい。テレビは収入がいいかもしれないが、今後もライブでしっかり話芸を磨いていってほしい。

あまり立川流を聞く機会がないために立川談笑を聞くのは初めて。しかし、この談笑はとても上手い。加えて、高座にいながらなんか勉強熱心だなあと思ったので、帰って彼の経歴を調べてみたら「高田馬場」大学法学部卒とのこと。一緒に聞きに行った友人と同じ。ただ、こちらはいまだに麻雀にとても勉強熱心。(笑)

全然しらなかったが「笑点」で座布団運びをしている山田隆夫に座布団を渡すアシスタトをしているという三遊亭愛楽。「火焔太鼓」を小気味よく演じる。

マギー審司。何が上手いといえばマジックではない。観客を飽きさせない話術と間である。師匠のマギー司郎譲りの「くだらない芸」は見ていて飽きない。ある意味天才だ。

一龍斎貞寿。一龍斎貞心門下で2017年4月に真打昇進。講談のことはよくわからないが、相撲好きが生じて菓子屋を潰した男と当時の大横綱との逸話を硬軟取り混ぜながら歯切れよく進めていく。よく「落語は語りで聞かせ、講談は話で聞かせる」というが一龍斎貞寿は話だけでなく、語りでもしっかり聞かせる。加えて着物姿も艶やかで色香も漂わせる。

トリは林家たい平。とにかく面白い。この人の落語にスベりはない。w 酔っ払いの旦那と奥さんの会話を縦横無尽に演じる。たい平がこんな新作落語をやるのかなと思って、帰りに演目を見たらなんと「替り目」。え〜〜っ。導入部の人力車は出てこないし、舞台は現代だからすっかり新作落語かと騙されてしまった。騙す騙されるも落語のうちという妙味を教えてくれた一席だった。

水曜日, 1月 09, 2019

NYタイムズがゴーンの勾留状況と日本の司法制度に疑問を抱く

ニューヨーク・タイムズが日産元会長のカルロス・ゴーンの勾留状況について「弁護士が取り調べに同席できず、接見相手も限られている」と伝え、勾留理由の開示手続きの請求件数が少ないことを紹介し「今回の逮捕劇は日本の司法制度に目を向けるきっかけを与えた」と報じた。

そもそも日本の勾留期間というのは非常に曖昧だ。本来、勾留期間というのは原則として10日間という決まりがあり、その間に検察官が起訴か不起訴か決めることになっている。ただ、例外的に勾留延長があり更に最大10日間勾留期間を延長するができる。

ところが被疑者が罪を認めていないとなると、証拠隠滅の恐れがあるとか、逃亡の恐れがあるとか勝手な理由をつけて検察は勾留期間を延長する。

それゆえに、罪を認めた村上ファンド事件の村上世彰はたった3日で保釈されたし、田中角栄も調書にサインをしたために20日間の勾留で済んだ。しかし、罪を認めないと勾留期間がどんどん延長され、疑惑の総合商社と言われた鈴木宗男は437日も勾留され、籠池夫妻も10か月も勾留された(このことについてはFBでも何度も述べた)。いずれも証拠隠滅も逃亡の恐れにもないにもかかわらずである。

こうなると、検察はまるで江戸時代の取り締まりと同じで、寒い拘置所に勾留させる一種の拷問をしていて、勾留制度の本来の趣旨を明らかに逸脱歪曲化している。

今回のゴーン逮捕で、欧米メディアは日本の司法制度に疑問を抱き始めている。そして、おそらくこの疑問もしくは批判は世界にもっと知れわたっていくだろう。それにしても、こうした疑問点を長年放置してきた司法に関わる人々およびそれをまったく批判してこなかったマスコミは情けない。

火曜日, 1月 08, 2019

日本一恥ずかしい駅名・高輪ゲートウェイ


高輪ゲートウェイ駅。南アルプス市、中部国際空港セントレアに匹敵するに日本一恥ずかしい駅名である。

この駅名決定は明らかにおかしい。公募をしておきながら130位だった名前を採用することなど普通なら到底考えられない。「高輪」「芝浦」「芝浜」などに応募したたちの声はJR東日本には届かなかったのだろうか。「高輪ゲートウェイ」ありきで公募をしたというアリバイ作りではなかったのかと疑いたくなる。

それにしても、英語を入れた名前が新しいと思っている会社の体質がすでに時代遅れだ。東京は確かに新しい町だが、今回の駅ができるところは江戸と品川宿の境目。江戸にあった3つの大木戸(四谷、板橋、高輪)のそばである。ならば素直に「高輪」にすればいいのに。ゲートウェイを大木戸に引っ掛けいるいるのかもしれないが、ならば「高輪大木戸」の方が歴史的にしっくりくるし、親しみもわくのではないだろうか。

インターネットの「Jタウンネット」で「新駅名『高輪ゲートウェイ』、どう思う?」と題したアンケートを実施したところ、95・8%が「別の名前に変えた方がいいと思う」と結果がでた。今からでも遅くない。JR東日本は「E電」の二の舞にならないように、駅名を直ちに変更するべきである。そうでないと、必ず「高輪ゲートボール」とか「高ゲー」と呼ばれるようになるだろう。

金曜日, 1月 04, 2019

元号が変わろうが時代は変わらない

年末から年始にかけてテレビや新聞は馬鹿の一つ覚えのように「平成最後」を連発している。しかし、平成が終わろうが2019年は終わらないし、元号が変わろうが時代はそう簡単には変わらない。
 
そもそも日本だけが元号によって時代区分をする考え方がおかしい。江戸時代と明治時代が全く違うことに異論はないが、では明治時代と大正時代がどう違うのかはっきり説明できる人はいるだろうか。大雑把に言えば、明治・大正・昭和初期(20年まで)は一緒に括ることができ、「薩長・華族・軍部時代」もしくは「富国強兵時代」といえる。そして、昭和20年(1945年)以降は「日米安保時代」であり、これは今なお続いている。
 
一方、世界的な時代区分は18世紀後半の1776年のアメリカ独立と1789年のフランス革命、1700年代後半から始まる産業革命、1917年のロシア革命、第二次世界大戦終結の1945年などを境に時代は大きく変わった。近年ではベルリンの壁崩壊の1989年を境に時代は変化した。また21世紀に入っても2008年のリーマンショック以降は時代も地殻変動している。
 
このように世界は元号が変わることなど全く関係なく時代は変わっている。ということで、元号が変わるからといって時代が変わるかのように言うのはおかしいというか愚かでしかない。だから、日本はいつまでも「島国根性」から抜けきれないし、世界から1歩も2歩も時代遅れになってしまう。

木曜日, 1月 03, 2019

賢明な方は株式投資をしない方がいい

2018年年頭の大発会(1月4日)はアメリカや中国の良好な経済統計を受け、日経平均株価の上げ幅は前日比741円39銭で、終値は2万3506円33銭となり、ロケットスタートをきった。そして、写真にあるようにほとんどの証券アナリストは年末の株価を25000円〜27000円あたりと予想した。なかには30000円なんていう者までいた。


それから12ヶ月。大納会(12月28日)の終値は2万14円77銭だった。つまり、この1年で3491円56銭下がったことになる。よく株屋(=証券アナリスト)は競馬の予想屋よりアテにならないというが、まさにそれが証明された1年であった。
 
では、今年の株価はどうなるのだろうか。そんなことは神のみぞ知るである。ただ、個人的な無責任な予想では今年も株価は低迷すると思っている。東京オリンピック景気は先が見えているし、消費税増税前の駆け込み需要もたかがしれている。海外のことを考えてもトランプは今年もまだ大統領なので米中貿易摩擦は継続されるだろうし、インド、東南アジアの新興国景気を安倍政権がうまく吸収できるとはとても思えない。
 
賢明な方は株式投資をしない方がいい。

金曜日, 12月 21, 2018

春風亭正太郎百貨店 赤坂支店 歳末大感謝祭五夜の第四夜

昨日(20日)は赤坂会館稽古場(本来は赤坂芸者のお姐さんたちが踊りの稽古をするところ)で開かれた「春風亭正太郎百貨店 赤坂支店 歳末大感謝祭五夜」の第四夜を聞く。春風亭正太郎は1981年目黒区生まれの二つ目。限定60席の会場はほぼ満員。演目は下記の通り。

入船亭扇ぽう  「寿限無」
春風亭正太郎  「堪忍袋」
入船亭扇遊「   棒鱈」
  〜 仲入り 〜
扇遊・正太郎   対談
春風亭正太郎  「死神」

開口一番の前座・入船亭扇ぽうは入船亭扇遊の弟子。イガグリ頭にして童顔。あとで春風亭正太郎に「定吉(落語に出てくる丁稚の代名詞)みたいでしょ」といわれるが、今回が寄席以外の高座は初めてということだったらしい。それでも、さして緊張することもなく入船亭一門が最初に習うという『寿限無』を実直に好演。

「堪忍袋」は熊五郎とおかみさんの口喧嘩の仲裁をするために作られた‘’堪忍袋‘’が近所中に大評判となり、最後は商家のお嫁さんがその袋に姑の悪口を言うまでに、ということを描いたお話。作者は明治大正の実業家にして劇作家でもあった益田太郎冠者。正直、お話はたわいもない。しかし、それをいかに面白く演じるかが落語である。春風亭正太郎は緩急の抑揚をつけながら、噺を巧く進めていく。特におかみさんの嫉妬する表情や喋りは滑稽。彼にはこの噺が合う。あと蛇足だが、マクラで正太郎と奥さんが京都旅行に行った時に正太郎が「鳥獣戯画、見に行かない?」と言ったら、奥さんは「なんでそんな大容量のスマホが欲しいの」と。これには腹を抱えた。

ゲストの入船亭扇遊は今年3月に芸術選奨を受賞。もはや誰もが認める落語名人の一人。そして、その芸はあくまで清麗にしてスマート、そしてシックである。マクラ以外では余計なことをほどんど喋らない。下手な下ネタなどを入れない。とにかく格好いい落語家である。その師匠が意外にも「棒鱈」を披露。その話ぶりは小気味よく、前座や二つ目が演じる「棒鱈」とは一味も二味も違う。酒を飲むさま、胡椒でくしゃみをする仕草は秀逸で名人ならではと感心させらる。

対談では正太郎の師匠である春風亭正朝がまだ学生で、前座だった扇遊師匠の話を批評されて、師匠はムカついたといい、その正朝師匠が5代目春風亭柳朝に入門して寄席で会った時に「お前かあ」と叫んだのは爆笑モノ。これには、弟子の正太郎が平謝りでおかしかった。

正太郎の「死神」は決して怖くない。なったって、呪文が「アジャラカモクレン、アパマンショップ、テケレッツのパー」である。風刺をきかせていることによって、話がちょっと現実的になってしまう。それゆえに、話の比重はどうしても死神より一攫千金を求める男の方にいってしまう。それゆえか、男が商家で値段を吊り上げていく貪欲さや、枕元で死神が寝てしまう描写などが傑出している。これまでに春風亭小朝や柳家喬太郎が演じる怖い「死神」を聞いてきたが、正太郎のようにさっぱりした「死神」も悪くはない。ただ、もっと強欲な医者になった男の弱さをもう少し際立たせてもらいたかった。いずれ正太郎が真打になってからの「死神」を聞いてみたい。

水曜日, 12月 19, 2018

ふるさと納税、あなたが住んでいる自治体の財政事情をご存知ですか

今年も残り2週間になった。そのせいかどうか知らないが、テレビではやたら「ふるさと納税」を扱っているCMが流れる。しかし、この「ふるさと納税」で得している自治体もあれば、損している自治体もあることを、納税者は自覚しているのだろうか。

そもそも「ふるさと納税」は自分の出身地の自治体や自然災害にあって困っている自治体を支援するために発足した制度である。ところが、昨今は自治体自身がCMを流すなどして、完全に返礼品目当ての利己主義的というか本末転倒な制度になっている。

このために、首都圏近郊の自治体は税収が減ってしまい、公共サービスや道路整備に支障を起こすことになりかねない。例えば、私が住む目黒区だが「ふるさと納税」のために毎年10億〜12億円の税収減になっている。確かに目黒区は税収が400億円余もあるが、実は決して裕福な自治体ではない。目黒区は特殊な事情からリーマッションクの2009年度以降ずっーと財政赤字が続いている。似たような自治体は東京にはいくつもある。

私は「ふるさと納税」そのものを否定するつもりはないが、自分が住んでいる自治体の財政事情を知らずして、返礼品目当てで「ふるさと納税」をするなんていうことは納税者として恥ずかしくないだろうか。あなたは自分が住んでいる自治体の財政事情をご存知ですか。

月曜日, 10月 22, 2018

柳の家の三人会@パーシモンホール

先日(18日)めぐろパーシモンホールで「柳の家の三人会」を聞く。

出演者と演目は下記の通り

柳家圭花  「浮世根問」(うきよねどい) 
柳家喬太郎 「夢の酒」
 〜 仲入り 〜
柳家三三  「金明竹」
柳家花緑  「紺屋高尾」

開口一番は柳家花緑の弟子の柳家圭花。風貌や語り口から柳家三三の弟子かなと思ったが(三三に弟子はいない)、1200人満員の客席にも全く物怖じせず飄々と話す大器。じっくりゆっくり古典の王道を歩んでもらいたい。

喬太郎のマクラはお得意の沿線駅語り。今はもうないが東横線「高島町」駅と代官山駅の終点ひとつ前の駅の比較。これにはお客の多くが東横線沿線住民ということもあり、いきなり大盛り上がり。続けて彼が住む池袋愛を発揮して隣駅(目白と大塚)の違いを力説する。いつもながら喬太郎のマクラは楽しい。で、このままマクラで終わってしまうかと思ったら、池袋でAVを借りてしまったという夢話から「夢の酒」へ。「夢の酒」は若旦那の夢に嫉妬する嫁(お花)をなだめる大旦那が同じ夢を見に行くというお話。本来ならばお花が夢に対していじらしく焼き餅を描くのだが、そこは喬太郎、膝を立ててお花の嫉みを大きく表現して場内を笑わす。

「寿限無」と並んで早口言葉で有名な「金明竹」。普段は前座噺として後半部分だけが寄席などで頻繁に掛けられるが、今回は松公がどうして骨董屋の店番をしているかなど前半部分も詳細に演じる。これまで柳家三三の落語は何度も聞いているが、私はどうも相性が良くなく、いつも感心することがなかった。しかし、今日は違った。喬太郎、花緑には申し訳ないが、この日一番の出色の出来だった。というのも、なんというかこれまで感じていた師匠(柳家小三治)の色を全く感じさせなかったからだ。三三は落研出身でなく小三治の純粋培養で育った落語家のため、どうしても小三治の色を出してしまう。しかし、この日は弾けていた。飛んでいた。怖いもの知らずで自分を曝け出していた。落語はやっぱり無の境地で馬鹿にならないと。

「紺屋高尾」は神田紺屋町の染物職人、久蔵が吉原の三浦屋・高尾太夫に恋患いをして、3年間あくせく働きお金を貯めて彼女と会い、その心意気に惚れた彼女が翌年の年季明けに久蔵に嫁ぐというハッピーエンドな廓噺。これまでに何人ものこの噺を聞いたが、柳家花緑の「紺屋高尾」は心地よい。なんというかお客と一緒になって親近感を感じさせる。艶っぽいところも明るく演じて心をウキウキさせてくれる。人によって「こんな軽い『紺屋高尾』なんか」と云うかもしれないが、ハッピーな気持ちで家路(私は飲み屋だが)につかせてくれるのも嬉しいものである。

今回の「柳の家の三人会」は演目はいわゆる定番中の定番だったかもしれないが、喬太郎の熱演、三三の好演、そして、花緑の快演と三者三様で大満足の落語会だった。