金曜日, 11月 28, 2008

七面鳥の日

アメリカでは11月第4週の木曜日はThanksgiving Day(感謝祭)で休日である。通称、Turkey Day(七面鳥の日)とも言い、この日は七面鳥受難の日でもある。

一般的なアメリカの家庭では、この日の昼食もしくは夕食に感謝祭の伝統的な料理を食べる。そして、そのメイン料理が七面鳥の丸焼きであることは言うまでもない。その作り方はいろいろであるが、基本的に一羽丸焼きである。

実は私も一度、遊学中にInternational Student Clubパーティのためにメキシコ人のルームメートと一緒にこの七面鳥料理を作ったことがある。

近くのスーパーで特大の七面鳥を買ってきて、内蔵を取り出し、その部分に野菜やパンなどを煮込んだスタッフィングを詰め込むなどして、何時間もオーブンで焼いて作ったことがある。ところが、この七面鳥料理はアジア人やヨーロッパ人にはあまり評判がよくなく、半分も残ってしまった。

捨てるのももったいないので、我々はアパートに持ち帰り、それから1週間は七面鳥漬けの日々を送った。ターキー・サンドウィッチ(美味しくなかった)、ターキー・スパゲティ(意外にも美味)、ターキー・シチュー(全然ダメでした)、ターキー・カレー(これもダメでした)、ターキー・ハンバーグ(失敗作でした)、フライド・ターキー(そこそこの味でした)などを作り、やっとの思いで七面鳥を食べ尽くした。

そして、二人で「一生分のターキーは食った」と笑わざるをえなかった。

それにしても、アメリカ人はあんなパサパサして決して美味しいとはいえない肉を感謝祭とクリスマスと食べるのである。このために年間1億羽以上の七面鳥が受難にあっている。

火曜日, 11月 25, 2008

婿二人

久しぶりに江戸小噺です。

「火事と喧嘩は江戸の華」とよく言われるが、その語源は「火事、喧嘩、伊勢屋、稲荷に犬の糞」に由来するらしい。

で、そのどこにでもあった伊勢屋の娘に縁談が一度に二つ舞い込んできた。

一人は醜男だが、大変なお金持ちの跡取り。もう一人は金はないが役者絵から抜け出したような色男。

母親はどちらにするか迷って、娘に話すと、娘は
「それなら、両家に嫁ぎましょう」
という。母親はあきれて、
「両家に嫁ぐとは、一体どういうこと?」
と尋ねると、娘は
「昼はお金持ちの家で食べたいものを食べ、夜は色男に抱かれたい」

土曜日, 11月 22, 2008

メタボ予備群の「正規軍」

先日受けた「平成20年度目黒区特定健康診断」の結果を聞いてきた。

結論はタイトルにも書いたように「メタボ予備群」と言われた。

私自身は予備群などと思っていない。「正規軍」である。(笑) 身長168cm、体重80ンkg、腹囲96cm(これは思いっきりお腹を膨らませたときの数値なので、実際は90cm以下)。これで「予備軍」はないだろう。ということで、先生に「正規軍」にしてください、と伝えたら、「う〜ん、血糖値、糖質などの数値はみんなOKだから、まあ、予備群の正規軍ぐらいですね」と言われてしまった。

ということで、血液検査、尿検査、大腸ガン検査、胸部レントゲン、エコー、心電図、すべて問題はありませんでした。これでじっくりと酒が飲める。ただし、先生はしっかりと「最低でも週2回は休肝日をもうけるしてください」と。

健康である人も、少し問題がある人も、飲み過ぎには注意しましょう。

木曜日, 11月 20, 2008

暑いときは暑く、寒いときは寒く

今シーズン一番の寒気が日本列島に流れ込んでいるようである。昨日(19日)は西日本で軒並み最低気温を記録したようで、大阪で6.2度(平年8.8度)、京都で2.4度(同6.9度)、神戸で4.4度(同9.4度)、福井で1.2度(同6度)、松江で1.3度(同6.6度)、松山で2.6度(同8.2度)といずれも今季最低を記録した。

東京も今朝は最低気温が6.6度だったようで、かなり冷え込んだ感じがした。そして、札幌では本日早朝に「ササラ電車」が今季初めて出動した。昨年より3日早いという。札幌では積雪がすでに14センチもあり、今日は一日中氷点下だという。すでに本格的な冬が到来しているようだ。

つい少し前までは平気で半袖で過ごしていたのが、いまではセーターやカーディガンが欠かせない。温暖化現象が問題になっている近年であるが、今年の冬は到来が早いようであるが、今年は暖冬ではなく日本列島全体がしっかりした冬になってもらいたい。季節というのは、やはり「暑いときは暑く、寒いときは寒く」がベストである。このことが農作物を育てることになり、経済の循環にも良いことになる。

「ちゃっぷい、ちゃっぷい」といっている方々、冬は寒いものなのですよ。(笑)

月曜日, 11月 17, 2008

アジア・シリーズは存続させるべき

埼玉西武ライオンズのサヨナラ勝ちで終わった第4回アジア・シリーズだが、その存続が微妙になっているという。というのも最大の要因は採算面が合わないからだという。

2005年 千葉ロッテ   12万0877人
2006年 北海道日本ハム 7万3698人
2007年 中日      7万6801人
2008年 埼玉西武    5万5073人

4日間の観客動員はこのように毎年減り続けている。私も第1回と第2回は観戦に行ったが、3回目はパリーグのチームでないということで、今回は時間的に余裕がなくて観にいくことができなかった。しかしながら、この観客動員の減り方は少し異常である。仮に巨人が出場していても、おそらく10万人は行かなかっただろう。

この大会は昨年までのコナミが冠スポンサーをしていたが、今年はどこも冠スポンサーがつかず、すべての費用は日本プロ野球機構(NPB)がまかなったという。しかしながら、おそらく今大会は間違いなく赤字で、来年以降の開催に暗雲が漂いはじめているという。

これに対して主催者のトップである加藤良三コミッショナーは「どういう形であれ、アジアシリーズは、日本やアジアのチームが世界のチャンピオンを目指すステップ。有意義なシリーズだ」と存続への意向を強調したという。

今大会の結果を見ればわかるように、韓国や台湾のレベルは日本と全く遜色がない。正直、今年は日本が負けるのではないかと思っていたぐらいである。それぐらい、ハイレベルな戦いを繰り広げている。コミッショナーが言うように、この大会はいずれ世界チャンピオンを決めるためのものであるのだから、日本で開催するにしても、韓国や台湾で開催するにしても、ぜひとも来年以降も存続させてもらいたい。

そのためには、有力なスポンサー探しも大事だろうが、プロ野球12球団全体の意識向上、およびファンの意識改革も必要ではないだろうか。また、今回はテレビ中継がCSの有料チャンネルだけで、地上波やBSで放送をしなかったことも、観客動員減少に大きく影響したのではないだろうか。

土曜日, 11月 15, 2008

ボストン美術館 浮世絵名品展

10月中に見に行くつもりでいたのが、ついついノビてしまい、先日(12日)やっと見にいくことができた。

ボストン美術館は世界最大の浮世絵コレクションと言われ、その数は5万点以上はあるという。ただし、そのほとんどがまだ未整理状態とか。私が80年代後半にかの地の美術館を訪れたときも、飾られるている浮世絵は数点ぐらいしかなかった。

今回の展覧会ではそのなかから150点余を、第1章「浮世絵初期の大家たち」、第2章「春信様式の時代」、第3章「錦絵の黄金時代」、第4章「幕末のビッグネームたち」と時代ごとに4つのコーナーにわけて展示している。

第1章の「浮世絵初期の大家たち」
ここではやはり、浮世絵独自がもつ遠近法を屈指した奥村政信の「駿河町越後屋呉服店大浮絵」という現在の三越を描いた作品に目がいく。「浮絵とは、透視図法を用いることで距離感を強調して描いた絵のこと。近景が浮き出しように見えることから、この名称がついた。歌舞伎の劇場や遊郭の座敷、あるいは建物に挟まれた町の通りなど、奥行きが強調しやすい画題が好んで書かれた」という説明も非常にわかりやすい。

第2章「春信様式の時代」
タイトルに入っているように、やはり鈴木春信の絵がずらりと並ぶ。なかでも「雨中美人」「見立浦島」「座鋪八景 ぬり桶の暮雪」「座鋪八景 鏡台の秋月」などの美人画が素晴らしい。そして、今回の図録(上写真:2300円もする)の表紙にもなっている磯田湖龍斎の「雛形若菜の初模様」シリーズの「四つ目屋内 かほる 梅の しげの」や「がくたはらや内 れん山」などの逸品もある。

第3章「錦絵の黄金時代」
ここでは鳥居清長、喜多川歌麿、東洲斎写楽の絵が並ぶが、なかでも歌麿の「蚊帳」の繊細な描写には誰もが溜め息げでるばかりである。写楽ファンには申し訳ないが、歌麿を観てしまうと写楽の役者絵が大胆ではあるが、面白みにかけてしまった。

第4章「幕末のビッグネームたち」
このコーナーは凄い。歌川一門(豊国、国政、国貞、広重、国芳)、葛飾北斎、渓斎英泉の風景画が並ぶ。北斎の「富嶽三十六景 尾州不二見原」(通称「桶屋の富士」)、「山下白雨」の斬新な構図は目を見張るものがある。他にも渓斎英泉の「木曽街道三十一 塩尻嶺 諏訪ノ湖水眺望」、広重の「東海道五十三次」シリーズの「丸子 名物茶店」や「庄野 白雨」、「名所江戸百景」シリーズの「両国花火」や「深川木場」など素晴らしい作品がいっぱいである。しかし、ここで一番見とれてしまったのは歌川豊国の肉筆画「遊女と禿図」。これは素人目に見てだが、国宝・重文クラスの価値があるではないだろうか。これまで江戸時代の肉筆画を見てきたが、これほど素晴らしいものはかつてない。この1点だけはぜひとも日本に返してほしいと思ってしまった。

それにしても、アメリカの美術館というのは昨年のフィラデルフィア美術館展での印象派コレクションといい、今回のボストン美術館の浮世絵展といい、その保存状態が素晴らしい。国賊と言われるかもしれないが、今回の浮世絵展を見ていて、これらの作品がボストンにあったからこそこれだけ状態が良かったのではないかと思えてしまう。まだまだボストン美術館の浮世絵は未整理状態なのだから、今後も知られざる名品や状態の素晴らしい名品が発見されるだろう。ぜひとも、何年か後にパート2を開催してもらいたい。

そして、今回は同時に江戸東京博物館で開催されている特集「錦絵にみる忠臣蔵」も見てきた。こちらはお客さんが少なく、十二分に堪能することができた。私が行った日は掲載第2期(11月24日まで)にあたるために、歌川(安藤)広重の「忠臣蔵」と渓斎英泉の「仮名手本忠臣蔵」などが展示されていた。なかでも広重の「忠臣蔵」は素晴らしい。「大序」から「十段目」で松の廊下から討入り前夜までを描き、「十一段目」では「夜討押寄」「乱入」「本望」「引取」「両国引取」「焼香場」と6枚の絵を描いている。そのどれもが、鮮やかな情景描写で忠臣蔵ファンにはたまらないだろう。

第3期(11月26日〜12月21日)には葛飾北斎の「新板浮絵忠臣蔵」と北尾政美の「浮絵仮名手本忠臣蔵」などが展示される。できれば、こちらも見てみたいと思う。

ボストン美術館 浮世絵名品展(11月30日まで)
http://ukiyoeten.jp/index.html

錦絵にみる忠臣蔵(12月21日まで)
http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/

金曜日, 11月 14, 2008

どうやって飛んで来るの?

昨日の時事通信のHPに、日本航空が来年2月から投入するブラジル製小型ジェット「エンブラエル170」を名古屋空港で公開した、とあった。

記事よると、ブラジル製ジェット機が日本で定期運航されるのは初めてとか。アメリカもしくはカナダ製、ヨーロッパ製以外のジェット機があることに少し驚きを覚えたが、それよりもブラジルからどうやって日本へ飛んできたが不思議でならない。

この飛行機、どうみても短距離飛行機であり、最大飛行距離は約3100kmもあるそうだが、それでも、ブラジルからどうやって飛んできたのかが不思議でならない。

太平洋のいくつかの島々に止まって、給油しながら飛んできたのだろうか。それとも、ブラジルからアフリカ大陸に渡って、南インド、インドシナ半島を経由して飛んできたのだろうか。それとも、機内に燃料を余分に積んで、それを補充しながら飛んできたのだろうか。それとも、空中給油機を使って補給しながら飛んできたのだろうか。

昔の春日三球・照代の地下鉄漫才ではないが、考えると眠れなくなってしまう。(笑)

ブラジル製小型ジェット公開=来年2月就航、客室ゆったり−日航
http://news.goo.ne.jp/article/jiji/nation/jiji-081113X302.html

木曜日, 11月 13, 2008

法律覚えるより箸の使い方覚えろ

ご存知の方も多いかと思うが、海外の日本料理店へ行くと、箸袋に箸の使い方を英語とイラストによって説明書きがされている。外人のお客さんたちはそれを見ながら、すぐに器用に箸を使いこなすようなる。それゆえに、日本でも箸袋にこうした説明書きを入れてほしい、と私はつくづく思っている。

先日、甥っ子が司法試験に合格したので、母親と一緒にいつもの寿司屋でお祝いをしてやった。法科大学院に行って一発で合格したのだから、初めて御祝儀もはずんでやった。しかしである。彼の箸の使い方がいただけない。内に居候していたときは、朝早く起きて夜遅く帰ってくるような生活をしていたので、一緒に食事をしたことなどなかったので気がつかなかったが、箸の使い方はまるっきりなっていないのに驚いた。

で、思わず、

「法律覚えるより、箸の使い方覚えろ」

と言ってしまった。

まあ、彼もそのへんのことが解っているのか解っていないのか、「まだ覚える法律や判例もあるから、そのあとで勉強するよ」と素っ気ない。

今月下旬から彼は司法研修生として地方で実務研修が始まる。そのときから、一般社会に出て、自分の箸の使い方がおかしく恥ずかしいことと感じるようになってもらえればいいのだが・・・。いくらお偉い弁護士か検事か裁判官になっても、正しい箸の使い方ができないようでは、とても一人前の大人とは言えない。

日本の箸袋にもしっかり日本語で箸の使い方を明記した説明書きを入れた方がいいのかもしれない。

月曜日, 11月 10, 2008

何事も良いときもあれば悪いときもある

昨日(9日)、東京文化会館で行われた東京バレエ団によるモーリス・ベジャール追悼特別公演の『くるみ割り人形』を観てきた。

開演してまもなく主役のひとりである猫のフェリプス役のダンサーが足のアクシデントを起こしてしまった。バレエなのだからアクシデントがあるのは仕方がない。しかし、この後が良くなかった。客席の中央にいた関係者が2〜3人席を立ってしまう。こういうアクシデントはあり得ることなのだから、関係者が客席の真ん中で動くなど、アクシデントがあったことを観客に知らせるようなものでいただけない。そもそもこのような場所に関係者が座っていることすら疑問に思う。

急遽、松下裕次が代役となり舞台はつつがなく進んだが、やはりダンサーたちには動揺の色は隠せなかったようで、第一幕の踊りはどれもが小じんまりしていて面白みにかけてしまった。加えて、音響オペレーターの操作の悪さも手伝って、会場はずっとどんよりした曇り空のなかでバレエを観ているような印象だった。

バレエといえば、本来はオーケストラピットにオーケストラがいて上演するものだが、故ベジャールのようにテープを好む演出家もいる。こうした場合は、指揮者ではなく舞台監督、音響オペレーター、照明オペレーターなどのスタッフのセンスと力量が問われる。特に昨日のようにアクシデントがあったときは尚更である。

しかしながら、結局第二幕に入って、チャイコフスキーの名曲が並ぶところでも、残念ながらダンサーたちとスタッフの歯車はなかなか合うことはなかった。舞台セットはシンプルで素晴らしい。照明も素晴らしい。衣装も素晴らしい。しかしながら、ひとつ歯車が狂うと舞台というのはなかなか立て直せない。

何事も良いときもあれば悪いときもある。

唯一の救いは急遽代役で奮闘した松下裕次の踊りだった。高さあるジャンプ。テンポのよいステップ。そして、人を引きつける愛嬌のある仕草。彼はそう遠くないうちに間違いなくトップダンサーになれるだろう。

金曜日, 11月 07, 2008

『ロベルト・デヴェリュー』(演奏会形式)

先日(4日)、東京文化会館で行われたウィーン国立歌劇場による『ロベルト・デヴェリュー』(演奏会形式)公演に行ってきた。『ロベルト・デヴェリュー』は1837年にナポリで初演された作品で、作曲はガエターノ・ドニゼッティ。

指揮はフリードリッヒ・ハイダー。この人は主役を演じるプリマドンナのエディタ・グルベローヴァの旦那さん。演奏はウィーン国立歌劇場管弦楽団。コンマスは世界のコンマスともいうべきライナー・キュッヒル。

エリザベッタ:エディタ・グルベローヴァ
ノッティンガム公爵:ロベルト・フロンターリ
サラ:ナディア・クラステヴァ
ロベルト・デヴェリュー:ホセ・ブロス
セシル卿:ペーター・イェロシッツ
グアルティエロ・ローリー卿:甲斐栄次郎
小姓:伊地知宏幸
ノッティンガム公爵の従者:マリオ・ステッラー
合唱:ウィーン国立歌劇場合唱団(男性38名、女性38名)
合唱指導:トーマス・ラング。
《18時30分開演、21時15分終演》

話のあらすじは、優柔不断な女王に愛人、友人、そしてその夫が翻弄され、最後は誰もが悲劇で終わってしまうという救いようのないお話である。ただ、そこまでの過程は非常にドロドロしていて、まるで浄瑠璃か歌舞伎を観ているようでもあった。

この作品は歌にかなりの比重が置かれているようで、舞台上演形式より演奏会形式の方が魅力的なようである。しかしながらも、出演者はまるで役を演じているかのように、感情豊かに歌い上げる。なかでも、主役を演じたエディタ・グルベローヴァと、まだ若手のようであるサラを演じたナディア・クラステヴァの2人の歌声には本当に聴き惚れてしまった。

グルベローヴァはソプラノとしてはかなりマイルドな声で、ソプラノ特有の尖った感じは全くしない。その分、奥行きのある深みのある声で包容感に満ちている。一方、クラステヴァはジプシーのような情熱的なメゾ・ソプラノの美声で、非常に好対照で楽しませくれた。この2人の女性陣に比べると、ロベルト・デヴェリューを演じたヘセ・ブロスは声にあまりキレや幅が感じられず少し残念であった。

久しぶりのオペラの演奏会形式だったが、東京文化会館がとても優れている音響のホールであることを再認識させられた。


【追記】主演のエディタ・グルベローヴァは11月13日にサントリーホールで、18日に新潟りゅーとぴあ、27日に横浜みなみらいホールでリサイタルを行う。指揮はラフル・ヴァイケルト。演奏は東京交響楽団。

木曜日, 11月 06, 2008

テミルカーノフとサンクトペテルブルク・フィル

昨日(5日)、東京オペラシティで開かれたサンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団のコンサートに行ってきた。指揮は1988年からサンクトペテルブルク・フィルの芸術監督兼首席指揮者を務めているユーリ・テミルカーノフ。チェロはタチアナ・ヴァシリエヴァ。

まずはこのことを書かなければならない。オペラシティのコンサートホールへ入ってびっくり。というのも、客席にお客さんがまばらのである。客席は3割、いや2割ぐらいの人しかいない。その光景に目を疑わざるをえなかった。しばし、茫然である。いくらチケットが高いとはいえ、いくら実力があっても人気のないオケといえ、こんな悲惨な状態の客席を見たのは初めてである。これは明らかに招聘元(梶本音楽事務所)の興行的失敗であり、ちょっと先が思いやられた。

しかし、そんなことはすべてが危惧に終わり、最後は感動的なシーンで終わるコンサートだった。

演目(※はアンコール曲)
チャイコフスキー/幻想序曲「ロメオとジュリエット」
チャイコフスキー/ロココ風の主題による変奏曲
  〜休 憩〜
チャイコフスキー/交響曲第6番「悲愴」
※エルガー/「エニグマ変奏曲」からニムロッド
《19時00分開演、21時15分終演》

1曲目。舞台に入ってきた楽団員たちの表情はどことなく暗かった。誰もその観客数の少なさに驚いたからであろう。苦笑いを浮かべている人もいた。しかし、テミルカーノフが指揮台に上がったときには、その顔はみんな引き締まっていた。

「ロメオとジュリエット」といえば、多くの人がプロコフィエフの曲を思い浮かべるが、チャイコフスキーの「ロメオとジュリエット」も傑作である。テミルカーノフは大らかにして、しなやかにして、緩やかな身振り手振りの指揮である。その指揮から弦を荘厳にして大胆な音色を引き出し、木管金管からは華麗にして優美な音色を醸し出す。この曲はこれまでも2〜3回生演奏を聴いているが、今回はその傑作ぶりを思いっきり再認識させられた。

1曲目から場内は割れんばかり拍手とブラボーが響き渡った。観客は2〜3割しかいないのにである。

2曲目。チェロのタチアナ・ヴァシリエヴァは2001年の第7回ロストロポーヴィチ国際チェロ・コンクールで優勝したロシア人。使用楽器はフランスのルイ・ヴィトン・モエ・ヘネシー社から貸与された1725年ストラディヴァリウス製のVaslin。

この人、とっても上手いでなく美味い。テミルカーノフのまなざしと笑顔にアイコンタクトで応えながら、颯爽とチェロを奏でる。チェリストとしはちょっと華奢な身体だが、その音色はいつも好奇心旺盛で、高音は軽やかに低音は重くといった単純なものでなく、常に何かを探るような若さと勢いの音を奏でる。

今回の演奏ではテミルカーノフの優しさに包まれながらの演奏だったが、もっともっと激しい感情的なチョロ協奏曲を彼女で聴いてみたいと思った。ブラヴァー!

休憩後は「悲愴」である。


3曲目は感無量であった。これはあの場にいた人だけが共有するような演奏だったので書かないことにしておく。書くのは野暮というものである。


「悲愴」のあとは普通はアンコール曲はない。私自身もあまり聴きたい方ではないが、このときはなぜかアンコールを聴いてみたいと思ったので、「悲愴」の余韻を崩すことのない素晴らしいエルガーは嬉しかった。

終演の舞台挨拶が終わり、舞台から楽団員が引き上げていったが、3〜4百人しかいなかった観客のほとんどは帰らず、最後の最後までスタンディングオベーションで彼らを送りつづけた。そして、テミルカーノフが再度舞台に登場したときの光景は今までにない熱いものを感じた。テミルカーノフは1階、2階、3階席の四方に残っていたすべての人に何度も何度も感謝の視線を送り続けた。

観客全員が指揮者と視線を合わせたコンサートなどめったにない。

テミルカーノフは最初から最後まで全く手を抜くことなく、サンクトペテルブルク・フィルと観客をチャイコフスキーという糸で結びつけ、完全に一体化させたコンサートにした。ひょっとして、これは伝説になるようなコンサートなのかもしれないと、そのとき思わざるを得なかった。

火曜日, 11月 04, 2008

麻生首相の祝電の意義は大きい!?

昨日の日刊スポーツの紙面によると、麻生太郎首相がJリーグナビスコ杯初優勝を飾ったトリニータ大分の事務所に祝電を送ったという。

記事のなかで「首相がプロ野球やJリーグなどの優勝クラブに祝電を送ることはめったにないい」と書かれている。私もこのような話を聞いたことはない。麻生首相は隣りの福岡県(小学3年以降は東京)出身という好しみと、選挙対策への意外性のパフォーマスとして祝電を送ったのであろう。

しかし、この異例ともいうべき祝電は、麻生首相がひょっとすると地方分権論者なのではないかと思わせてくれる。というのも、その祝電の内容は「地方の元気が日本の元気をつくります。私は、そう信じています。今回の快挙に、敬意と感謝の意を表します」とあり、かなり思わせぶりなのである。

世間的には「地域の活性化、地方の活性化」と呼ばれるが、実際にそれを行うことは非常に難しい。日本各地ではサッカーや野球などのスポーツ、音楽や演劇などの芸術文化活動などによって「地域の活性化、地方の活性化」を試みている。しかしながら、それが完全に実を結んでいる場所はまだまだ少ない。

もし、麻生太郎がこのような祝電を送るなら、消費税増税を言う前にもっと地方活性化を後押ししてもらいたい。そして、地方分権への道も拓り開いてもらいたい。

月曜日, 11月 03, 2008

目黒通りの空が広くなっている

日本各地で電線などを地下に埋める地中化、無電柱化工事が行われている。この無電柱化計画は幹線道路や歴史的街並み保存地区を中心に行われている。

東京でも平成16年からその計画が進めれているようで、その恩恵で目黒通りの電柱も取り除かれ始めている。そのために、イチョウ並木が鮮やかに見えるようになり、空が広くなった。

この無電柱化推進計画には相当なお金がかかっているが、地中に共同溝を作ることによって無駄な工事がなくなり、景観もよくなるので、今後も推進してもらいたい。

空が広く見えることは気持ちがいい。

東京都「無電柱化推進計画」の策定について
http://www.metro.tokyo.jp/INET/KEIKAKU/2004/04/70e4q100.htm