木曜日, 11月 06, 2008

テミルカーノフとサンクトペテルブルク・フィル

昨日(5日)、東京オペラシティで開かれたサンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団のコンサートに行ってきた。指揮は1988年からサンクトペテルブルク・フィルの芸術監督兼首席指揮者を務めているユーリ・テミルカーノフ。チェロはタチアナ・ヴァシリエヴァ。

まずはこのことを書かなければならない。オペラシティのコンサートホールへ入ってびっくり。というのも、客席にお客さんがまばらのである。客席は3割、いや2割ぐらいの人しかいない。その光景に目を疑わざるをえなかった。しばし、茫然である。いくらチケットが高いとはいえ、いくら実力があっても人気のないオケといえ、こんな悲惨な状態の客席を見たのは初めてである。これは明らかに招聘元(梶本音楽事務所)の興行的失敗であり、ちょっと先が思いやられた。

しかし、そんなことはすべてが危惧に終わり、最後は感動的なシーンで終わるコンサートだった。

演目(※はアンコール曲)
チャイコフスキー/幻想序曲「ロメオとジュリエット」
チャイコフスキー/ロココ風の主題による変奏曲
  〜休 憩〜
チャイコフスキー/交響曲第6番「悲愴」
※エルガー/「エニグマ変奏曲」からニムロッド
《19時00分開演、21時15分終演》

1曲目。舞台に入ってきた楽団員たちの表情はどことなく暗かった。誰もその観客数の少なさに驚いたからであろう。苦笑いを浮かべている人もいた。しかし、テミルカーノフが指揮台に上がったときには、その顔はみんな引き締まっていた。

「ロメオとジュリエット」といえば、多くの人がプロコフィエフの曲を思い浮かべるが、チャイコフスキーの「ロメオとジュリエット」も傑作である。テミルカーノフは大らかにして、しなやかにして、緩やかな身振り手振りの指揮である。その指揮から弦を荘厳にして大胆な音色を引き出し、木管金管からは華麗にして優美な音色を醸し出す。この曲はこれまでも2〜3回生演奏を聴いているが、今回はその傑作ぶりを思いっきり再認識させられた。

1曲目から場内は割れんばかり拍手とブラボーが響き渡った。観客は2〜3割しかいないのにである。

2曲目。チェロのタチアナ・ヴァシリエヴァは2001年の第7回ロストロポーヴィチ国際チェロ・コンクールで優勝したロシア人。使用楽器はフランスのルイ・ヴィトン・モエ・ヘネシー社から貸与された1725年ストラディヴァリウス製のVaslin。

この人、とっても上手いでなく美味い。テミルカーノフのまなざしと笑顔にアイコンタクトで応えながら、颯爽とチェロを奏でる。チェリストとしはちょっと華奢な身体だが、その音色はいつも好奇心旺盛で、高音は軽やかに低音は重くといった単純なものでなく、常に何かを探るような若さと勢いの音を奏でる。

今回の演奏ではテミルカーノフの優しさに包まれながらの演奏だったが、もっともっと激しい感情的なチョロ協奏曲を彼女で聴いてみたいと思った。ブラヴァー!

休憩後は「悲愴」である。


3曲目は感無量であった。これはあの場にいた人だけが共有するような演奏だったので書かないことにしておく。書くのは野暮というものである。


「悲愴」のあとは普通はアンコール曲はない。私自身もあまり聴きたい方ではないが、このときはなぜかアンコールを聴いてみたいと思ったので、「悲愴」の余韻を崩すことのない素晴らしいエルガーは嬉しかった。

終演の舞台挨拶が終わり、舞台から楽団員が引き上げていったが、3〜4百人しかいなかった観客のほとんどは帰らず、最後の最後までスタンディングオベーションで彼らを送りつづけた。そして、テミルカーノフが再度舞台に登場したときの光景は今までにない熱いものを感じた。テミルカーノフは1階、2階、3階席の四方に残っていたすべての人に何度も何度も感謝の視線を送り続けた。

観客全員が指揮者と視線を合わせたコンサートなどめったにない。

テミルカーノフは最初から最後まで全く手を抜くことなく、サンクトペテルブルク・フィルと観客をチャイコフスキーという糸で結びつけ、完全に一体化させたコンサートにした。ひょっとして、これは伝説になるようなコンサートなのかもしれないと、そのとき思わざるを得なかった。

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