日曜日, 12月 30, 2007

2007年政治・経済・社会10大ニュース

1.参議院選挙自民党大敗、安倍晋三首相無責任放り投げ辞任
2.不二家、赤福、白い恋人、船場吉兆など次々と食品偽装発覚
3.切り札舛添厚生労働大臣カラ回り、いつまで続く年金問題
4.残忍極まりない遺体切断や斧で殺害の家族間の殺人事件続発
5.長崎市長射殺事件や暴力団員間違え射殺事件など銃犯罪多発
6.ゴルフ好き守屋前防衛省事務次官、夫婦で逮捕
7.原油高、穀物高で生活圧迫で、来年はインフレ懸念
8.サブプライムローン問題で金融・証券界大揺れ
9.NOVAの倒産、グッドウィル事業停止など新興企業は要注意
10.熊谷と多治見で40.9度、猛暑で74年ぶり最高気温更新

1位から3位は数多くの人に納得していただけると思うので、説明は省略させていただきます。この3つは本当に2007年をなんか凝縮しているような気がします。

4位と5位は日本の治安事情が悪化している象徴的なことであり、本当に嘆かわしい限りです。これは警察力の低下が最大の要因もしくは背景にあるのではないでしょうか。

6位は夫婦で逮捕。おねだり妻を逮捕したことは検察のヒットでした。これは今後の抑止力になるでしょう。それにしても、国家公務員のトップがこのような無様では情けない。この原因が政治にあることは言うまでもないでしょう。

7位から9位は経済です。ホリエモンのライブドア以来、数多くの新興企業が不祥事を起こしているのがかなり気になっています。10位は暑さです。最高気温更新とは地球温暖化の証しでもありますね。

こうして見ると、どれもこれも悪いニュースばかりで良いニュースは全くありません。来年は一つでも二つでもいいから、良いニュースが10大ニュースに入るような年になってもらいたいものです。

木曜日, 12月 27, 2007

クリスマス・イブのサプライズ

クリスマス・イブの日は行きつけの飲み屋の忘年会だった。

常連客が10数人集まって、いろいろな酒を飲みながら和気靄々楽しい時間を過ごしていた。が、最後に店主がいきなり「来年からはお店は居酒屋形式でなく、食堂形式にする予定です」と挨拶して、座は一挙に冷えきってしまった。

お店は開店してすでに10年以上になる。最近は以前よりお客さんが少なくなり、常連客の何人かは引っ越しをして、店に通う回数も減っていたので、経営が少し苦しくなっているとは感じていたが、いきなりの発表だったので、誰もが驚いてしまった。

某大学文学部の先生などは「ここは居酒屋でなく文化だったのに」と嘆き、一番数多く顔を出していたオジサンは、早々と家路についてしまった。私も酔いがさめてしまったので、飲み直したい気分になり、お店を後にした。

常連客のあまりの反応に店主は少し戸惑っていたが、今後どうなるか正直見当もつかない。これから、新たに行きつけの飲み屋を探さなければならないかと思うと、寂しい思いにならざるをえない。

水曜日, 12月 26, 2007

2007年スポーツ10大ニュース

昨年はWBCや冬季五輪があったので、スポーツ十大ニュースを書くのは簡単だったが、今年は話題が意外に少なかった。それでも、年の後半になってバタバタとニュースが起きたような1年であった。

1.星野ジャパン 北京五輪出場決定(12月)
2.U22以下サッカー日本代表 北京五輪出場決定(11月)
3.松坂・岡島活躍 レッドソックス王者に(10月)
4.浦和レッズ AFCチャンピオンズリーグ優勝(11月)
5.ボクシング界 亀田一家大騒動(10月)
6.高校野球 「特待制度」問題で大揺れ(5月)
7.オシム監督 脳梗塞で倒れ岡田監督再登板(11月)
8.イチロー 7年連続の200本安打達成(9月)
9.ウオッカ 牝馬は64年ぶり日本ダービー制覇(5月)
10.中日 53年ぶり日本一に(10月)
番外.大相撲 不祥事連発(1年中)

1位は正直迷ったが台湾戦でのスクイズを成功させた星野ジャパンにした。正直、私は星野監督らの仲良しトリオでは韓国、台湾に勝てないのではないかと思っていましたので、いい意味でのサプライズであった。2位も崖っぷちから出場を決めたサッカーU22代表にしました。これもある意味ではサプライズだった。

3位と4位は赤がキーワード。3位はタイトルを「レッドソックス 松坂100億円契約」にしようかと思いましたが、1年を通して頑張った岡島に敬意を表して上記のようにしました。4位は本当は1位でもいいかと思いましたが、浦和レッズの活躍です。クラブ世界選手権でも3位になるなど、その活躍は目覚ましいものがありました。

5位は話題にもしたくないことなのコメントさしつかえます。6位は高校野球がいかに泥まみれであるかを象徴したような出来事でした。

7位は非常に残念でした。無能な前監督のジーコと比べるすべもないが、いろいろな戦術戦略を披露してくれるオシムが倒れたことは本当に残念でした。快復に向っていることが非常に嬉しい。

8位はイチロー。7年連続200本安打も凄いが、オールスターで初のランニング・ホームランを打ってMVPを獲得したことも凄かった。9位はウオッカのダービーでの快走。しかし、秋以降はあまり走らず少し淋しい。10位はパリーグ・ファンとしてつらいが中日の優勝。来年も中日で決まりのような気がする。

そして、番外(論外)として大相撲にしました。

2006年スポーツ10大ニュース
http://k21komatsu.blogspot.com/2007/01/200610.html

火曜日, 12月 25, 2007

年賀状は一年に一度の悪筆直し?

昨年は暮れ近くまで入院していたこともあり、年賀状は頂いた人だけに返事を書いただけだったが、今年は五体満足ピンピンしているので、そういう訳にはいかない。一応、社会人であるのだから最低限の社会慣習には従わなければならない。

それにしても、なぜ年賀状を書くということは面倒なのだろうか。郵便局のCMでは上野樹里や二宮和也らが出演して「年賀状は贈り物だと思う」なんて都合の良いこと言っているが、贈り物を一挙に何十個もすることはないので、年賀状は書き手にとっては苦痛でしかない。年賀状は貰って嬉しいが書くのは苦痛なのである。それでなくとも、最近は手書きをする機会が殆んどなくなってしまったので、なおさらでもある。

しかしである。こうした機会でもないと手書きをすることは益々なくなってしまう。ワープロ、パソコンを利用して既に20年以上になる。そのおかげで達筆だった(?)文字もいまや蛇が這ったような悪筆になってしまった。一年に一度の悪筆直しのためにも年賀状は面倒ながらも書くしかないようである。

月曜日, 12月 24, 2007

ベートーヴェン「第9」演奏会

昨日(23日)、NHK交響楽団のベートーヴェン「第9」演奏会をNHKホールに聴きに行ってきました。指揮はアンドリュー・リットン。ソプラノは角田祐子、メゾ・ソプラノは石津なをみ、テノールのカン・ヨゼプ、バリトンはキム・テヒョン、合唱は国立音楽大学。チケットは完売。

あまり多くを書くのは野暮なので、今回はコンパクトにまとめたいと思う。

第1楽章。ベートーヴェンらしい重厚な音色が轟く。

第2楽章。ティンパニーとホルンを筆頭に情熱的な火の打ち所のない演奏。

第3楽章。弦主体によるため息がでるような抒情的な調べ。

第4楽章。荘厳な低弦から若者たちの歓喜の歌声へ。

これまでに何度か「第9」を聴いているが、これほど素晴らしい演奏は初めてである。特に第2楽章は凄いの一言であった。会場から思わず拍手が沸き起こったのも頷けるほどN響ならではの一致団結した音色が聴衆を圧倒した。

第4楽章の合唱も若さ爆発で、感涙せざるをえなかった。若いソリストたちは全員がN響初登場のうえに、昨日が初日だったにもかかわらず、4人とも物怖じせず堂々と歌いきっていた。また、300人近くはいたであろう国立音楽大学の合唱も若さに満ち溢れていた。

昨日の演奏会は下記の予定でそれぞれ放送される。テレビであの興奮が伝わるかどうかわからないが、チャンスがあればぜひとも聴いてみてもらいたい。

12月28日(金)BS-hi「N響『第9』演奏会」 08:00〜09:30
12月31日(月)BS2「N響『第9』演奏会」 16:30〜18:00
12月31日(月)NHK教育「「N響『第9』演奏会」 20:00〜21:30

木曜日, 12月 20, 2007

まだまだ元気な明治生まれと大正生まれ

客A「西口にある飲み屋に100歳のおじいさんが毎日飲みにくるんですよ」
客B「100歳というと、明治生まれですな」
客C「明治40年生まれがちょっど100歳」
客D(横を向いて)「そういうあなたは82歳」
客E「私はまだ大正生まれだから」(笑)
客A「子供の頃は慶応生まれなんて人がいましたよね」
客B「知らないうちに慶応生まれがいなくなったね」
客C「オレは『最後の明治生まれ』は見とどけたいなぁ」
客D「明治45年生まれは1912年だから・・・」
客A「110歳まで生きるとして2022年。あと15年だね」
客E「それなら、私も可能だなぁ」(笑)
客D「あなたは97歳ですよ」
客A「最後の明治生まれが15年後となると、最後の大正生まれは30年後かぁ」
客B「30年後は90歳かぁ・・・」
店主「私は無理ですわぁ」
客C「さすがに私も30年後となると・・・」
客D(横を向いて)「あなたは112歳ですよ」
客E「となると、私が最後の大正生まれかぁ」
(一同、空いた口どころか、もっていたグラスが凍りました)

明治生まれも、大正生まれもまだまだ元気です。

火曜日, 12月 18, 2007

いつになったらターンは出来るのだろうか

週に3回ぐらいはジムに通っている。途中怪我&入院で中断したことはあるが、それでもすでに4年以上になるから、三日坊主体質の私としてよく続いているもんだ、と我ながら感心している。

ジムに通い始めた当初は、ランニングマシーンで早歩きしても10分で息が上がってゼイゼイしていたのが、今では大して苦もなく1時間は早歩き(そのうち10分ほどは走っている)もできるようになり、かなり体力がついた。この他にも各種マシーンを使って筋力アップにも努めている。そして、週に1〜2回はエアロビクスのクラスにも参加している。

私が通っているジムのエアロビクスは4段階に分かれている。
・初級者向けの「エアロスタート」40分
・エアロビクスに慣れてきた人向きの「ビースリム」50分
・中級者向けの「エアロファン」50分
・上級者向けクラスの「エアロジャム」60分

私が参加しているクラスは下から2段階目の「ビースリム」。しかし、この「ビースリム」のクラスからなかなか脱することが出来ない。というのも、私はくるりと回るターンが上手くできないからである。私より後から始めたオバサンたちが、いとも簡単にターンすることができるのに、私はターンとなると右に回っていいのか、左に回っていいのか、頭の中が真っ白になってしまう。インストラクターの人たちは「ターンは慣れですから」と言ってくれるが、いっこうに慣れる気配がない。どうしても、身体でなく頭で考えてしまう。

その頭で何故かと考えていくと、いくつかの「言い訳」が思い浮かんできてしまった。第一に私は小学校6年から高校2年までバスケットボール(ガード)をプレイしていて、相手に背中を向けるという、つまりターンすることは半ば禁じられていたからであろう。第二に女性陣は子供の頃からゴム縄飛びなのでくるくる回る遊びをしているが、男性陣にはこうした遊びがなかったからであろう、と考えついてしまった。

どちらも、私の身勝手な「言い訳」にすぎないが、一理はあると思う。ただ、このように頭で考えているようでは、いつまでたってもターンはできないだろう。いつになったらターンを克服できるのだろうか・・・。

金曜日, 12月 14, 2007

子供の頃、夢中になって見ていたテレビ番組

定かな記憶はないが、私の家にテレビが来たのは私が小学生になった年の1960年(昭和35年)だと思う。その前は、テレビというと隣の家に行って見ていた。それも夕御飯前までだから、記憶に残るテレビ番組といえば大相撲かプロ野球ぐらいしかない。

しかし、テレビが自宅に来てからは、私は夢中になって子供向け番組を見ていた。当時は「テレビを見ると目が悪くなる」とか「テレビを見るとバカになる」などと言われたが、私の両親はあまりこうしたことには口うるさくなく、寛大にテレビを見せてくれた。おかげさまで、現在に至るまで、当時のテレビ番組のタイトルや大まかなあらすじを憶えている。ということで、私が子供の頃、夢中になって見ていたテレビ番組を列記してみたい。

■ヒーロードラマベスト5
 1 快傑ハリマオ(60年・日テレ)
 2 ナショナルキッド(60年・テレ朝)
 3 少年ケニヤ(61年・テレ朝)
 4 少年ジェット(59年・フジ)
 5 七色仮面(59年・テレ朝)

「真っ赤な太陽〜、燃えている〜♪」三橋美智也が歌う『快傑ハリマオ』は大好きだった。子供心に独立運動に頑張る姿に心が打たれていました。また『ナショナル・キッド』は哀愁とロマンに満ちていて、間違いなく後の『ウルトラマン』シリーズに多大な影響を与えたと思う。『月光仮面』は58年から59年なので、残念ながらリアルタイムでは見ることができなかった。ただ、後に再放送で見たが、さほど感動はしなかった。

■子供向け時代劇ベスト5
 1 隠密剣士(62年・TBS)
 2 紅孔雀(61年・テレ朝)
 3 白馬童子(60年・テレ朝)
 4 琴姫七変化(60年・日テレ)
 5 矢車剣之助(60年・日テレ)

時代劇というとどうしても高齢者向けの番組になりがちな今日だが、その昔は子供向けの時代劇がいっぱいあり、そのおかげで、子供たちは風呂敷を頭巾にしてチャンバラごっこに明け暮れていた。今ではチャンバラごっこをする子供の姿を見ることはない。いったいいつの頃からなくなってしまったのだろうか。

■アニメベスト5
 1 鉄腕アトム(63年・フジ)
 2 スーパージェッター(65年・TBS)
 3 エイトマン(63年・TBS)
 4 オバケのQ太郎(65年・TBS)
 5 狼少年ケン(63年・テレ朝)

日本初のアニメーションは『鉄腕アトム』だった。これだけは絶対欠かさず見ていた記憶がある。また、『スーパージェッター』にもかなりのめり込んでいた。この番組の脚本家は後にSF作家となる筒井康隆、眉村卓、辻真先、半村良、豊田有恒など錚々たるメンバーが執筆していた。なんという時代だったのだろうか。

■人形劇ベスト5
 1 ひょっこりひょうたん島(64年・NHK)
 2 サンダーバード(66年・NHK)
 3 ブーフーウー(60年・NHK)
 4 伊賀の影丸(63年・TBS)
 5 チロリン村とくるみの木(56年・NHK)

『ひょっこりひょうたん島』はテレビ史に残る不朽の名作である。原作は井上ひさしと山元護久(この人は童話作家としても有名だったが43歳で急逝してしまった)の二人。前作の『チロリン村とくるみの木』がどちらかというとほのぼのとしていたのに対して、『ひょうたん島』は『十五少年漂流記』のように子供たちによる冒険活劇で、めちゃくちゃにワクワクした。いまでも人形劇をテレビでみると『ひょうたん島』を思い出してしまう。

■西部劇ベスト5
 1 ララミー牧場(60年・テレ朝)
 2 ローハイド(59年・テレ朝)
 3 ライフルマン(60年・TBS)
 4 名犬リンチンチン(56年・日テレ)
 5 怪傑ゾロ(61年・日テレ)

1960年代は日本のテレビ局には製作能力があまりなかったので、アメリカのテレビドラマが数多く放送された。なかでも、西部劇は子供にも大人にも人気で、『ララミー牧場』に出演していたロバート・フラーが来日したときは、ヨン様なんかの比ではないぐらい空港にファンが押し寄せた。

■外国ドラマベスト5(西部劇を除く)
 1 タイムトンネル(67年・NHK)
 2 コンバット(62年・TBS)
 3 宇宙家族ロビンゾン(66年・TBS)
 4 逃亡者(64年・TBS)
 5 スーパーマン(56年・TBS)

西部劇も好きではあったが歴史少年だった私をめちゃくちゃに虜にしたの『タイムトンネル』だった。この番組のおかげでタイタニック号の悲劇やリンカーン暗殺など数々の歴史的出来事を知ることになった。私が後にアメリカへ行く最初のキッカケはこの番組かもしれない。私は過去の番組のDVDとかビデオを買ったりしないが、もしこの番組のDVDが今でたら、間違いなく買うだろう。

■私が好きだった青春ドラマペスト5
 1 青春とはなんだ(65年・日テレ)
 2 若者たち(66年・フジ)
 3 これが青春だ(66年・日テレ)
 4 若い青春(61年・NHK)
 5 おくさまは18歳(70年・TBS)

青春ドラマや青春群像劇は子供の頃からお気に入りだった。その代表作は『青春とはなんだ』と『若者たち』だった。『青春とはなんだ』はラグビーを通じて生徒と触れ合い、そして学校の闇と戦う教師を夏木陽介が熱演した。一方、『若者たち』は5人兄弟(田中邦衛、橋本功、山本圭、佐藤オリエ、松山政治)が貧乏ながらもひたむきに生きていく社会派ドラマでいつも熱い兄弟ケンカを食い入るように見ていた。

このように、私はかなりのテレビっ子だった・・・。

日曜日, 12月 09, 2007

「開演前の室内楽」を堪能

NHKホールでのN響定期演奏会のときは開演45分前から、毎回「開演前の室内楽」というのが2階北側ロビーで行われる。これを聞きたいがために、開場時間(開演1時間前)には、NHKホール入口にはちょっとした列ができる。

演奏は基本的に1ヶ月ごとで、Aプロ公演2日間Cプロ公演2日間の計4回行われる。演目は室内楽というもこともあるが四重奏の曲が多く、演奏時間は20分〜25分ぐらいである。

この「開演前の室内楽」が行われる2階北側ロビーはさほど広くはない。パイプ椅子が150席ほど、それ以外に簡易ソファがあるだけなので、立ち見を含めてこの「開演前の室内楽」を聴くことができるのは300〜400人ぐらいかと思う。

12月の開演前の室内楽は、石川達也、植松透、久保昌一、竹島悟史のN響打楽器陣によるセッション。1曲目はクリスマス風にアレンジされた『アイスクリーム・スィートラグ』。なんと1台のマリンバを4人で叩きながら、前に吊るした鐘や太鼓なども叩くという楽しいもの。途中からは電球が灯ったりとちょっと凝っていたりする。

2曲目は『マリンバ・スピリクチュアル』。マリンバ(竹島悟史)を主体に和太鼓(久保昌一)、鼓太鼓(植松透)、うちわ太鼓&鐘(石川達也)を加えたセッションで、これがめちゃくちゃに素晴らしかった。お客さんからはやんややんやの大喝采をうけて、拍手が鳴り止まなかった。これまで数多くの「開演前の室内楽」を聴いたが、あんなに拍手がなりやまなかったものは初めてだと思う。

これまでは5月に行われたチェロ・カルテットの演奏が一番印象に残ったのですが、今日の打楽器陣のセッションはそれ以上の楽しさと迫力を味わうことができ、すっかり堪能させてもらった。みなさんもNHKホールでN響定期演奏会を聴くときは「開演前の室内楽」も楽しみましょう。これだけで入場料の2割か3割はお得したという気分になれます。

金曜日, 12月 07, 2007

日本人があまり行かない観光地 ポーツマス


日本史のなかでは必ず登場するポーツマス。しかし、その場所がどこにあるかはほとんどの人は知らない。ポーツマスはアメリカ東海岸、ニューハンプシャー州の南端にあり、その人口は約25,000人という小さな町である。町の歴史は古く1623年にまで遡るが、大した産業はなく、最大の企業はピスカタカ川を挟んだ対岸のメイン州にあるアメリカ海軍造船所(海軍工廠)、ポーツマス海軍工廠である。

そして、そのポーツマス海軍工廠で1905年9月に日露戦争終結のための日露講和条約が結ばれた。この条約で日本は満州南部の鉄道及び領地の租借権、朝鮮半島の排他的指導権などを獲得して帝国主義への道へまっしぐらになった。しかしながら、ロシアから1文の戦勝賠償金を得ることができず、帰国した全権大使の小村寿太郎は国民から売国奴呼ばわりされた。

さて、ポーツマスは正直訪ねるところがない。海軍工廠は海軍の施設なので観光客は入ることができないし、使節団が滞在したホテルも隣町にあり、ポーツマス市内にはポーツマス条約に関する史跡がまったくない。このために、町の人たちも私が説明しても、全然その条約の存在を知らない。私がこの条約締結によって、仲介者であるルーズベルト大統領が後にノーベル平和賞を受賞したんだよ、と言っても、みんな「へぇ〜」なのである。

典型的な東海岸の田舎町である。2005年には日露講和条約調印100周年の記念式典が行われたそうだが、おそらく今行ってもポーツマスには何もないだろう。

写真:ポーツマス海軍工廠
  (観光船右上の黒く見える物体は原子力潜水艦)

水曜日, 12月 05, 2007

大相撲のおもしろい入場料

大相撲九州巡業の最後となる天草場所が4日に行われたが、この日、チケット販売に苦しんでいた主催者は報道機関19社から1社1万円の入場料を徴収した。こうしたことは異例である。

天草場所は当初から前売券の売れ行きが不調と伝えられていたが、実行委員長の牛深(天草市)商工会議所会頭によると「赤字が予想されるため、10日前の委員会で(徴収を)決めた。金額に根拠はない」という。これは朝青龍目当てに東京からも数多くの報道陣が集まるのを見越してのことのようである。これに対して、抗議した記者らの会場入りが1時間半余り遅れる騒ぎにもなったという。ちなみに、この日の観客動員は2700人収容の会場に1900人だった。

この入場料徴収は非常におもしろいと思う。

私は以前より大相撲はスポーツでなく興行といっているので、入場料収入をとってもいいと思っている。あまり知られていないが、スポーツニュースでの映像は放映権をもっているNHK以外はすべて相撲協会提供のものを使っている。ただ、新聞の写真などは各社独自のものを使っている。

報道機関、特にテレビ局というのはなんでも土足で入ってくる傾向がある。報道機関ならばどんな場所でもタダでできるもんだと思っている。取材の依頼もしていないし、事前に許可をとっていない事でもズケズケとやってくる。ワイドショーなどはまさにその典型だろう。

今回の入場料は興行である大相撲だから構わないが、このことがスポーツ全般までなると問題である。今後は報道をする側もされる側もこうした問題が起きないように、スポーツ団体は事前に協議した方がいいのではないだろうか。

火曜日, 12月 04, 2007

インフルエンザの流行がもっとも早い

厚生労働省は「この20年間でもっとも早くインフルエンザの流行に入った」と発表した。それによると、保育所から中学校までの教育機関のうち、今シーズンなってインフルエンザで休校したのは教育機関は全部25校(昨年同期0校)。学年閉鎖は109校(同1校)、学級閉鎖は305校(同3校)に上り、昨年同期を大きく上回っている。

現在の流行しているインフルエンザはこれまで感染したことがないAソ連型が中心だという。ただ今後、A香港型やB型が流行する可能性もあり、早急に予防接種を呼びかけている。

実は私も先週からインフルエンザではないが、ウィルス性胃腸炎に悩まされている。このために、酒の量を控えたり、消化のよくない食べ物はなるべく避けている。まあ、熱も下痢もあまりないので、仕事にはさしつかえないが、用心だけはしている。

こうした身体が少し弱まっている状態なので、インフルエンザ予防のために手洗いやうがいはできる限りするようにしている。そして、なるべく早いうちに予防注射を受けたいと思う。みなさんも、帰宅時のうがいや手洗い、早めの予防接種を行いましょう。

金曜日, 11月 30, 2007

フィラデルフィア美術館展、一見の価値あり

20代30代にアメリカを旅行したとき、私は数多くの美術館や博物館を訪れた。そのなかでも印象に残っている美術館のひとつがフィラデルフィア美術館である。

映画『ロッキー』の撮影地としても知られているフィラデルフィア美術館だが、その所蔵品は約25万点にも及び、その質もメトロポリタン美術館、ボストン美術館と並ぶアメリカでも屈指の大美術館である。もし、その展示品を全部見て回るとなると、一日以上かかるだろう。

フェラデルフィア美術館は印象派の作品を数多くコレクションしている美術館として有名だが、今回の展覧会も「印象派と20世紀美術」と題している。出展されている作品はマネ、モネ、ドガ、ゴーギャン、ルノワール、ゴッホ、セザンヌといった印象派の傑作がずらりと並び、加えて、ピカソ、マティス、シャガール、ミロ、デュシャンなど20世紀の天才たちの名作も出品されている。その数は油彩画72点(うちヨーロッパ絵画57点、アメリカ絵画15点)、彫刻が5点の計77点で構成されている。

今回展示されている作品のなかでは、ルノワールの「ルグラン嬢の肖像」とピカソの「自画像」「三人の音楽師」の3点に釘付けになった。ルノワールは裸婦画が有名だが、「ルグラン嬢の肖像」は彼がまだ注文肖像画家時代に描いた作品で、その繊細で淡い色彩感覚と筆のタッチには驚かされた。ピカソの「自画像」は大胆にして華麗。若くして自分自身をここまでデフォルメする力量は凄いの一言と言わざるえない。また『三人の音楽師』はフォービズムの傑作のひとつと言われ、秀れたデッサンと滑稽さを見事に融合させていて、見るものをほのぼのとさせてくれる。

この他にも下記の作品に興味を抱いたが、どうしても女性を描いた作品が多くなってしまう。仕方がないことである。(笑)

クールベ:「スペインの女」
マネ:「カルメンに扮したエミリー・アンプルの肖像」
ブーダン:「エトルタの浜辺」
ドガ:「14歳の小さな踊り子」(彫刻)
モネ:「ポプラ並木」
ルノワール:「ルノワール夫人」
デュシャン:「画家の父の肖像」
マティス:「青いドレスの女」
モジリアーニ:「ポーランド女の肖像」
ガーバー:「室内、朝の光」

フィラデルフィア美術館展は上野の東京都美術館で12月24日まで開催中(月曜休み、最終日の月曜のみ開催)。午前9時〜午後5時。入場料は当日一般1500円とちょっとお高いが、一見の価値は十二分にあると思います。

火曜日, 11月 27, 2007

ミシュラン調査員入店お断り

東京中の飲み屋で、今もっとも話題になっている話はこのネタでしょう。

客A「あそこの店がミシュランのひとつ星なんだって」
客B「まあ、この辺りで一番高い店だからね」
客C「いくらするの?」
客A「ランチ6,000円、夜は15,000円」
客C「ここなら夜は5〜6回は飲めるね」
店主「5回以上飲めるよ。食事だけで15,000円だから、飲んだら20,000円」
客C「ヒェ〜、だな」
客D「フランス人に日本料理が解かると思えないのにね」
客A「ミシュランの選んだ店って、みんな値段が高いよな」
客B「まあ、ここは最初からミシュランの対象外だしな」(笑)
店主「ミシュランはお断りですよ」
客C「わかる、わかる」
客E「入口に『ミシュラン調査員入店お断り』の看板でも出しておけば」
客B「それ、いい。うけるよ」
客C「おれの店も出そうかな」
客D「衣料品店にミシュランですかぁ」(笑)
客E「女子高生とかに受けるかもしれませんね」
店主「うちも看板だそうかなぁ」
一同「え〜〜〜」

そのうち、文房具屋さんに「駐車お断り」と同じように「ミシュラン調査員入店お断り」というプレートが売られることでしょう。(笑)

金曜日, 11月 23, 2007

夕日が目に沁みる「ALWAYS 続・三丁目の夕日」

これから下記に書く日記には、映画のネタバレがかなり含まれていますので、映画をこれからご覧になろうとしている人はなるべく読まないようにしてください。お願いします。(笑)





ネットにある数多くの映画評やマスコミの論調は「前作を上回る出来」と書いているが、私には残念ながらそうは思えない。どう贔屓目にみても「前作と同等ぐらいの出来」もしくは「前作に同等ぐらいの上出来」である。

お話は前作同様夕日町三丁目に済んでいる人々を描いていて、主要キャストは前作と全く変らない。前作で話題になった昭和30年代を再現したCGは今回も全編にうまく散りばらめられている。その完成度は非常に高いのだが、あまりにもCGで再現されているシーンが多いせいか、その時代を実際に知っている私としては、何故か時折白々しく見えたりしてしまった。このために、前作では全編に漂っていた昭和30年代の郷愁感というか哀愁感が、私には薄らいでしまった。

映画の冒頭、私と同い年のゴジラが夢の世界で登場する。このシーンはすべてCGで撮影されていて迫力満点で効果的なのだが、どうも納得がいかない。というのも、やはりゴジラは人間が入ってうごく着ぐるみの動きの方がしっくりくるからだろう。いずれゴジラ映画は復活するだろうが、もし全編にわたってゴジラがCGだったら、興ざめするに違いない。せめて着ぐるみとCGをうまくミックスして製作してほしいものである。

少し話が脱線するがゴジラは第1作が昭和29年に公開され、第2作が昭和30年で、その後は昭和37年まで製作されていない。となると、この映画は昭和34年が舞台なので、冒頭でゴジラを登場させることは時代考証的には少し無理がある。だが、その意気込みだけは買いたい。

ゴジラ以外にも、昭和30年代の東京駅前、羽田空港、日本橋、特急こだまなどがCGで再現されている。その映像は実に素晴らしい出来ばえである。人によっては昔の東京を見ているのではないかと錯覚するかもしれない。ただ、天の邪鬼なのかもしれないが、自分の記憶とオーバーラップはできるても、どうもうまく感情移入できなかった。なぜなのだろうか。それは私のなかにある残像がカラーでなく、映画ニュースや写真などにあるものがモノクロかセピアでしかないからであろうか。

さて、お話の方だが、前作は鈴木オートをメインに描かれていて、堤真一と薬師丸ひろ子の演技に驚嘆させられたが、今回は茶川竜之介(吉岡秀隆)と淳之介(須賀健太)の話がメインになっている。それでも、鈴木夫妻のそれぞれの戦争秘話なども描かれている。また、鈴木家に世話になる親戚の娘の美加(小池彩夢)や、六子(堀北真希)の幼馴染の武雄(浅利洋介)らが登場して、話が少々もりだくさん気味になる。

しかし、映画の後半は茶川が芥川賞に臨む話に集約されていく。しかし、話の展開が誰にでも簡単に読めてしまう。それでも、観客を飽きさせないものは何故なのであろうか。昭和30年代の人間関係の良さなのだろうか。それともしっかりとした人物描写ができているからだろうか。答えは最後に登場する夕日のシーンに凝縮されているようであった。

結論、この映画は前作と2本で1作品である。前作をご覧になっている方は、間違いなく観るべき作品だ。前作を観ていないで、この映画に興味ある方、先にDVDかビデオで前作を観ておいた方がいいかもしれない。ただ、こう書くと東宝の思うツボでイヤなのだが・・・。ブツブツブツブツ。(笑)

木曜日, 11月 22, 2007

安いワインが一番おいしいと思う。ウィツ!

東京の巷ではミシュランの話題でもちきりだ。で、昨晩は料理には全く無頓着な友人に無理矢理ボージョレ・ヌーボーを飲まされた。

昨年の日記にも書いたが、私はボージョレ・ヌーボーが好きではない。理由は簡単である。ボージョレ・ヌーボーはめちゃくちゃまずいからだ。これは単なるアルコール入り葡萄ジュースとしか思えない。それなのにソムリエやメーカーは毎年お題目のように「フルーティで飲みやすく、今年のワインは近年で最高」などと嘘八百をいう。

で、今晩飲んだお味の結果は予想通りまずかった。それでも、味オンチの友人は「うまい、うまい」と言いながら何杯も飲んでいた。こういう奴がミシュランに騙されるのだ。

日本人はどうしてこうもヴァレンタイン・デーやハロウィーンなど西洋のお祭りが好きなのだろうか。まったく西洋人にとって日本人はいいカモネギだ。地元でボトル数百円以下で飲めるワインを2500円以上も払って飲んでいる。お馬鹿さん以外の何ものでない。

ところで、そこのボージョレ・ヌーボー通の方、アメリカ東海岸ヴァージニア州でワインを作っているって、知っていますか?

私はコンビニで買える安いカリフォルニアやチリのワインが一番おいしいと思います。ウィツ!
(飲み過ぎに注意)

水曜日, 11月 21, 2007

日本人があまり行かない観光地 オレゴン・コースト


太平洋を挟んで日本の対岸にあるオレゴン・コースト。冷たい海流の関係でほとんど泳ぐことはできないが、約600キロにおよぶ海岸線は、切り立った崖、白い砂が広がる浜辺、そしてその浜辺に迫る森林と、起伏に富んだ光景は日本では目にできない、雄大にして美しい光景が広がる海岸線である。

オレゴンは日本から飛行機に乗って約8時間。シアトルのあるワシントンとカリフォルニアに挟まれているせいか、ここを訪れる日本人観光客は非常に少ない。オレゴンには観光客を呼ぶような大都市もアミューズメントパークもない。ただ、オレゴンには日本の北海道のような豊かな自然がある。

日本の約3分2の広さのオレゴンには、豊饒な森林、常に白い雪をいただく山々、ドラマチックな渓谷など自然の美しさが保たれている。そのなかでも、オレゴン・コーストは何も海岸線が広がるだけだが、ゆっくりと流れる時間がある。コースト沿いには養殖業で栄えるニューポート、リゾート地のリンカーン・シティ、野生動物が生息するフローレンスなどいくもの小さいながらも魅力的な町も散在している。

サンフランシスコからロサンゼルスへのカリフォルニア・コースト101号線をドライブする人は日本人にも数多いが、オレゴン・コーストをドライブする人はほとんどいない。

オレゴンコースト・スライドショー
http://otc.traveloregon.psykel.com/japanese/slideshow.cfm?regionNum=1&CFID=80401&CFTOKEN=50628581

火曜日, 11月 20, 2007

スカートめくりが好きだった

小学生の頃(1960年代です)、スカートめくりが好きだった。といっても、毎日のようにスカートをめくるのでは女の子にも嫌われるので、不意をついて効果的にするのが好きだった。いわゆる確信犯です。(笑)では、なぜスカートをめくるかといえば、別に女の子の穿いているパンツを見たいわけではありませんでした。脚を見たいわけでもなかった。キャーッという女の子の姿を見たかっただけで、そのあとに見せるふくれっつらがとても可愛く愛おしかったのです。今思えば、なんと大人げなかったのでしょう。(笑)

ウィキペディア(Wikipedia)によると、スカートめくりの起源は、マリリン・モンローが映画『七年目の浮気』で見せたあの有名なスカートの舞い上がりシーンを、子供が真似たことに端を発しているという。私がスカートをめくっていた時代はまだ男の子と女の子のじゃれあい程度ですんでいました。しかし、マンガ『ハレンチ学園』が登場した以降は、スカートめくりは小学生から中学生へ、中学生から高校生へ、そして大人へと進み、その行為はまさに破廉恥化して、女性へのセクシャルハラスメントとになった。

そして、1990年代以降はミニスカートや女の子のズボンの定着、ブルマーやハーフパンツなどによる重ね穿きなどから、男の子ににスカートをめくる行為を失わせてしまい、スカートめくりは減少していったという。

私がスカートをめくっていた女の子たちのなかには、すでにお祖母ちゃんになっている子もいる。

月曜日, 11月 19, 2007

ゲルギエフのNHK音楽祭

今年のNHK音楽祭はオペラ・バレエ音楽を主体にした音楽祭で、登場するオーケストラはパリ管弦楽団、ドレスデン国立歌劇場管弦楽団、マリインスキー劇場管弦楽団、そしてNHK交響楽団と錚々たるメンバーで行われている。すべての公演を聴きにいきたいところだが、そこまで経済的余裕はとてもないので、このなかから演目も吟味してワレリー・ゲルギエフ指揮のマリインスキー劇場管弦楽団選んだ。

この日は10数年ぶりの「妹」とのデート。久しぶりに会う彼女は体型こそ変らないが、以前に比べてすっかり落ち着いていた。その彼女に「コンサートに行くのは10数年前に一緒にサントリーホール以来」と言われて、「え、そんなことあったっけ」とまるで記憶にない私は完全に50過ぎのオッサンだ。国会議員の言う「記憶にありません」が笑えなくなってしまった。

さて、NHKホールは2日前に定期公演で行ったばかりなのだが、ロビーなどは赤と黒のペナントや花が飾ってあり、なんか音楽祭というよりクリスマス・ムード。客席は休日公演ということもあるせいか、チケットは前売の段階で完売になっていたために満席。我々の席は2階席なのだが、こちらは勝手知ったるホールなのですんなり着席できるが、この日は初めてここを訪れる人も多く、あっちへ行ったりこっちへ行ったり。加えて、2階席の案内係のお姉さん2人は全くのド素人。これまたあっちへ行ったりこっちへ行ったりで失笑すらかっていた。サントリーホールではとても考えれない光景だったので、これには私もアングリだった。

マリインスキー劇場管弦楽団はロシアのピョートル大帝時代の18世紀に創設された。1860年からはサンクトペテルブルクのマリインスキー劇場にて、数多くのオペラ、バレエを初演して名声を極めた。20世紀に入ってからも、ムラヴィンスキー、テミルカーノフといった優れた芸術監督の下で名演奏を行ってきた。そして、1988年ゲルギエフがオペラの芸術監督に選出され、彼は新人歌手を発掘・成功させて、マリインスキー劇場および管弦楽団の名を世界のトップレベルまで引き上げた。

演目(※アンコール曲)
チャイコフスキー/バレエ音楽「白鳥の湖」から
プロコフィエフ/バレエ音楽 組曲「ロメオとジュリエット」から
  〜休 憩〜
ストラヴィンスキー/バレエ音楽「春の祭典」
※チャイコフスキー/バレエ音楽「くるみ割り人形」からパパドゥ
※プロコフィエフ/オペラ「三つのオレンジへの恋」から行進曲
※チャイコフスキー/バレエ音楽「くるみ割り人形」からトレパック

最初に結論の半分、これまでNHKホールでいくつかのオケを聴いてきたが、このマリインスキーほど音量のあるオケを聴いたことはない。ホールの大きさを考えてなのかもしれないが、普段聴くN響の1.2倍いや1.5倍は音がでかい。

1曲目の「白鳥の湖」。当初の予定は「眠りの森の美女」第3幕の演奏だったが、この演目変更は大正解だったようだ。いきなりあの有名なメロディなのだが、第一ヴァイオリンと第二ヴァイオリン総勢28人が一糸乱れず弓を弾くのである。もちろん、音色も素晴らしい。ロシアのオケというのはあんまり聴いたことがないのだが、人づてに「弦も弓もボロボロだから」などと聞いていたが、そんなことは全然ない。金満ロシア経済が背景にあるせいか、弦も弓もしなやかで緊張感みなぎる音を奏でる。さすがチャイコフスキー、さすがゲルギエフという見事なものであった。

2曲目は難曲のプロコフィエフ。ここでも第一ヴァイオリンと第二ヴァイオリンは乱れません。しかし、これでは第一と第二に分かれている意味がないのでは・・・。そして、ゲルギエフは金管をこれでもかというぐらい音量を上げる。おかげで、木管がまるっきり聞こえない。金管フェチには嬉しい演奏かもしれませんが、音のメリハリやバランスを重視する私にとってこの演奏は完全にペケ。ゲルギエフが大音量主義なのかどうなのか知らないが、もし、この演奏を褒めるような評論家がいたら顔がみたいくらいであった。2階席にいても耳鳴りがするぐらいの超弩音響の演奏で正直辟易した。もう少し、音の出し入れ、抑揚と考えて指揮をしろといいたい。大きい音を出せばいいってもんじゃないぞ、ゲルギエフ。

休憩を挟んで本日のお目当ての「春の祭典」。舞台には100人近いメンバーがいる。あ〜、また大音響か〜と危惧してしまう。しかし、今度はそんな危惧も徒労に終わる。冒頭のファゴットやフルートなどの木管の音色が弱音ながらも美しい。そして、ジャンジャンジャンジャンとチェロの低音が響き渡る。いいです。痺れます。イケテマス。広いNHKホールの白い壁面を流れるかのように音が伝わってくる。ゲルギエフの指揮も前2曲と違って、身体を大きく動かしながらも慎重かつ繊細だ。時折、あまりない前髪を掻き上げては指揮をする姿はご愛嬌だが、音へのあくなき追求する姿勢はその後ろ姿からビシビシと伝わってくる。最後の《いけにえの踊り》では全身全霊をこめて指揮している印象をうけた。

私にとって今回が初ゲルギエフだったが、衝撃的な印象はさほどなかった。音量は別にして指揮そのものは大胆というわけでなく、割りとオーソドックスなタイプと見受けした。聞くところによるとゲルギエフと東京交響楽団の演奏がすばらしかったようなので、ロンドン交響楽団だけでなく日本にも単身指揮者としても来日してタクトを振っていただきたい。

金曜日, 11月 16, 2007

いつまでも閑古鳥が鳴く大相撲九州場所

相撲という世界はいつまで前近代的な世界なのだろうかと思う。今年は朝青龍騒動や時津風部屋の新弟子リンチ事件など数多くの悪材料があったとはいえ、九州場所はここ数年ずっと閑古鳥が鳴いている。収容人数9348人あるのに対して、4日目の入場者数は3971人と約3分の1しかなかった。最後の一番になっても3分2は空席なのである。こんなことでいいのだろうか。このままでは大赤字は必至という。

そもそも、大相撲の6場所制は多過ぎる。春夏秋冬の4場所でもいいのではないだろうか。東京2場所、大阪1、名古屋1にして福岡をなくせばいいので、非常に簡単でありすっきりする。

もし、6場所制を維持したいのなら、東京3場所、大阪1、名古屋1、福岡と仙台を隔年開催にすのがいいだろう。いくら夏に東北巡業があるといっても、東北出身力士が多いのだから本場所が開催されないというのも興行的にはもったいない話である。

と、こんなことを書いたところで、相撲協会は聞く耳をもたないだろう。なぜならば、こうした改革に対して相撲利権で食べている相撲茶屋が絶対に反対するからだ。つまり、大相撲改革をするにはまず相撲茶屋制度を改革しないと無理なのである。しかし、その相撲茶屋の運営しているのが、親方衆の身内だったりするので、これまた無理な話なのである。

ということで、相撲は当分の間は前近代的な世界でしかないだろう。九州場所の閑古鳥は今しばらくは鳴き続けるしかないだろう。

木曜日, 11月 15, 2007

アスレチックス vs レッドソックス@東京ドーム


メジャーリーグは来年3月25、26日に東京ドームで、オークランド・アスレチックス対ボストン・レッドソックスの開幕戦を行うと正式に発表した。このことは、先月26日のメジャーリーグのホームページでもこの2チームによる開幕戦が有力と報道されていたが、移動距離などの問題からレッドソックスの選手たちの同意がなかなか得られかったようで、対戦カードが変更される可能性もあったという。

それでは、なぜこの2チームが選ばれたかといえば理由は簡単である。アスレチックスは本来は2003年3月にイチロー(鈴木一朗)、佐々木主浩、長谷川滋利がいたシアトル・マリナーズとの開幕戦を東京ドームで迎えるはずだった。ところが、ブッシュによるイラク攻撃が不可避となったために、選手や関係者の安全を考えて中止となってしまったのである。私はそのときに苦労して開幕2戦のチケットを手に入れたが、試合は泡となって消えてしまった。しかし、チケットを払い戻したら、なぜか幻となった公式プログラムや関連グッズをもらってしまった。

当時のアスレチックスには「ビッグ3」と言われたティム・ハドソン、マーク・マルダー、バリー・ジトという3人の20勝およびサイヤング賞投手がいて、打線もエリック・チャベス、ミゲール・テハダ、ジャーメイン・ダイという強力クリーンアップを擁していた。しかし、現在のアスレチックスには「ビッグ3」はおらず、選手全部を見渡してもチェベスとマーク・エリス以外誰も残っていない。今年のアスレチックスは76勝86敗、勝率.469という散々な成績で2000年以降では最低だった。

そんなアスレチックスの対戦に選ばれたのがレッドソックスである。もはや説明の必要がないぐらい今年日本でもっとも有名になった球団である。おかげで、この開幕戦のチケットを入手するのは大変になりそうである。

なお、開幕2連戦のほかに、セ・リーグの球団とのエキシビションゲーム(オープン戦)4試合も行われる。ただ、ナベツネ新聞主催なので、どうせ巨人が2試合で、あとは阪神と中日であろう。

写真:幻となった2003年公式プログラム

水曜日, 11月 14, 2007

西鉄ライオンズと南海ホークス

「神様、仏様、稲尾様」と言われた大投手・稲尾和久氏が昨日急逝した。

1960年(昭和35年)前後のパリーグは三原脩が率いる西鉄ライオンズと、鶴岡一人が率いる南海ホークスが強く、私が好きだった東映フライヤーズは大毎オリオンズと共に常に3番手に甘んじるチームだった。

1956年から1965年までの10年間で西鉄ライオンズと南海ホークスはそれぞれ4回優勝していて(後の2回は60年の大毎オリオンズと62年の東映フライヤーズ)、パリーグは完全に西鉄と南海の2強時代だった。

それでは、なぜこの2チームが強かったかといえば、西鉄には鉄腕稲尾和久がいて、南海に下手投げの名投手杉浦忠と皆川睦雄の二人がいたからである。また、西鉄は「野武士軍団」と言われた高倉照幸、玉造陽二、豊田泰光、中西太、大下弘、仰木彬、和田博実という個性的な打線が強力だった。

私は駒沢球場か神宮球場で稲尾和久や杉浦忠、皆川睦雄の投げる姿を見ている。しかし、3人とも故人となってしまった。西鉄ライオンズのフランチャイズだった平和台球場、南海ホークスのフランチャイズ球場だった大阪球場および日生球場もすでにない。

昭和も遠くになりにつつあるのかもしれない。寂しい限りだ。

稲尾和久さん
心よりご冥福をお祈りします。そして、ありがとうございました。


[追記]中学へ登校する道沿いに玉造陽二の家があった。窓ガラス越しに見える部屋には写真やトロフィーが飾ってあり、西鉄ライオンズの隆盛を毎日垣間見ていた。玉造さんは球界を引退後、実業家になり成功したという。

月曜日, 11月 12, 2007

『ちりとてちん』が底抜けに面白い

いま放送されているNHK朝の連続テレビ小説(朝ドラ)『ちりとてちん』が面白い。

最近は民放のテレビドラマをめっきり見なくなってしまったが、過去にドラマに関する本を何冊か編集および執筆した者としては、朝ドラと大河は最低でも見るようにしている。まあ、他にも話題性のあるドラマは押さえているつもりでいるのだが。

朝ドラはいつの頃か知らないが、4月スタートを東京製作、10月スタートを大阪製作とするようになった。しかし、90年代の大阪製作の朝ドラは製作能力が弱く、東京製作と大阪製作では視聴率にかなり差が生じた。このために90年代半ばより、東京からNHKのなかでも凄腕のプロデューサーを大阪に移動させるなどテコ入れを図った。そして、99年秋放送の『あすか』あたりから大阪製作の朝ドラが面白くなり、逆に東京製作の方が『ちゅらさん』(01年春)と『純情きらり』(06年春)を除いて面白くなくなってしまった。特に前回の『どんと晴れ』や『天花』(04年春)のように無惨な作品を東京が製作している。

で、『ちりとてちん』のどこが面白いかといえば、いまのところ全てが面白い。

ヒロインを演じる貫地谷しほりの演技力は表情豊かで、一見コメディアンヌそうなのだが一本芯の通った演技も堂にいっている。最近のヒロイン(藤山直美は除く)では抜群の演技力である。加えて、脇を締める小浜の家族や飲み屋の連中たちもいい。なかでも光っているは和久井映見と松尾貴史の二人である。和久井映見もいきなり18歳の母親とは可哀想な気もするが、彼女のすっとんきょな母親は笑わせられるばかりでなく、凄さを見せつけられる。松尾貴史は普段のアクの強いキャラクターを完全に殺して、落語好きの床屋さんを地味に演じながらもドラマをまとめている。他にも京本政樹のダメ男ぶりや、江波杏子のおばあさん、きまじめ美人の佐藤めぐみ、頼もしい友人役の宮嶋麻衣などが魅力的である。

そして、このドラマがもっとも面白い最大の理由は藤本有紀の脚本だ。私はこの藤本有紀という人をよく知らない。『二千年の恋』とか『花より男子』などの脚本を書いているのだが、私はこれらのドラマを観たことがなかった。なのでどうだかよく解らないが、彼女の描くストーリーがとても新鮮でならない。なかでも、和久井映見演じる母親が本来は宅配便で送るものを、そのまま割烹着姿で抱えて大阪まで来てしまうなどといったマンガチックなことを書いていたり、つっぱりの弟弟子が飼っていた九官鳥に落語の稽古をしていたことを解らせてしまうところなど、ドラマならでの面白さを脚本のあちらこちらに入れている。また、これは誰もが言うであろうが、落語を題材にした劇中劇も非常に面白い。

ドラマではこれからヒロインの貫地谷しほりが渡瀬恒彦演じる徒然亭草若に入門して、落語家の道を進んでいく。今後は大阪を舞台に展開していくだろうが、あのユニークな小浜の家族や友人2人たちの新たなる登場と活躍も期待している。

ちなみに、「ちりとてちん」とは上方落語の演目で、東京では「酢豆腐」と言う。

「ちりとてちん」の視聴率とBSの普及率
http://k21komatsu.blogspot.com/2008/04/blog-post_03.html

土曜日, 11月 10, 2007

諏訪内晶子&パリ管弦楽団

7日に続いて、一昨日(8日)もサントリーホールでパリ管弦楽団の演奏会を聴いてきました。指揮はクリストフ・エッシェンバッハ。ヴァイオリンは日本の至宝・諏訪内晶子。7日のラン・ランのときは女性客や女子高生が多かったサントリーホールだったが、諏訪内になると俄然背広姿の男性陣が目立った。

7日の公演も素晴らしいものがありましたが、8日の公演はもう興奮の坩堝でした。チケットを買ったときはプログラムからすると「1日目の方がいいのかなぁ」なんて思っていましたが、どうしてどうして、もう昨日の公演は大当たりです。万馬券をとったような気分でした。高いお金出して2日間のチケットを買ったかいがありました。パリ管よ、ありがとう。

演目(※はアンコール曲)
チャイコフスキー/ヴァイオリン協奏曲二長調
※バッハ/無伴奏ヴァイオリンソナタ第3番よりアンダンテ
  〜休 憩〜
ラヴェル/ラ・ヴァルス
ストラヴィンスキー/バレエ音楽「火の鳥」組曲(1919年版)
※ラヴェル/ボレロ

1曲目の『ヴァイオリン協奏曲』。冒頭から諏訪内晶子の1714年製ストラディバリウス「ドルフィン」が唸ります、呻きます、軋みます、泣きます、叫びます。私はこれまでに諏訪内が奏でるこの協奏曲を2度ほど聴いているが、昨晩の演奏はもう鬼気迫るものであった。

諏訪内は出産のために昨年はほとんど演奏活動を行いませんでしたが、今年に入って再開。5月にミューザ川崎で見たときより、幾分ふっくらした感じで貫録さえ感じます。そして、その音色も以前にもまして豊饒です。低音部には明らかに母親としての強さが加わり、高音部に技術的な精密さが増した感じがしました。昨日のラン・ランを「いま最高のピアニスト」と書きましたが、諏訪内ももはや「日本の至宝」ではなく、名器「ドルフィン」と共に「世界の至宝」になりました。

プログラムには、この協奏曲は初演のときヴァイオリンの名手や批評家たちにけんもほろろにされそうだが、この人たちがもしいま諏訪内の演奏を聴いたら、何というだろうか。私は「この協奏曲は諏訪内晶子とドルフィンのためにある。いや、諏訪内晶子とドルフィンのためにこの協奏曲は生まれた」と言いたい。

さて、休憩を挟んで後半のプログラムであるが、諏訪内に酔いしれてしまった私は、休憩時間には普段はビールだけしか飲まないのに、ワインまで飲んでしまった。(笑)

『ラ・ヴァルス』とはフランス語でワルツという意味で、本来はバレエ音楽として書かれている。全体に流れるゆるやかなメロディを、エッシェンバッハは弦と2台のハープを巧みに操りながら、ちょっと幻想的で優しい音色を築き上げていった。これを聴いているとき、パリ管の十八番は昨日の『幻想交響曲』のような交響曲ではなく、バレエ音楽なのではないかと思ったが、その予想はいみじくも的中する。

3曲目の「火の鳥」組曲(1919年版)。これぞパリ管というキラビヤカにしてオシャレな演奏だった。一昨日はパリ管の弦の上手さに驚かされたが、昨日は弦の上回る木管金管打楽器陣の艶やかさを堪能させてもらった。なかでも、この曲の最後を飾るところでのトランペットとトロンボーンの上品な響きは、残念ながら日本のオケでは聴くことはできない。終演後、エッシェンバッハはクラリネット(昨日の頭剥き出し感情むき出しの人ではなかった)やファゴットなどの木管の首席をスタンディングさせていたが、私は金管のみなさんに最大の拍手を送っていました。ブラボー!

そして、アンコールがなんと『ボレロ』。『ボレロ』がアンコールなんてもちろん初めてである。ところが、いきなりアクシデント。フルートがメロディを奏ではじめると、第2ヴァイオリンの首席のお兄さんが咳込んでしまったのです。でも、エッシェンバッハは演奏を止めません。そして、なんとエッシェンバッハはタクトを振っていません。アイコンタクトで指揮をしている。咳込んでいるお兄さんは涙目ですが、演奏は続いていく。クラリネット、バスーン、ソプラニーノクラリネット、オーボエ・ダモーレ、トランペットと続いていく。そして、弦のピッチカットあたりで咳も止まり、オケは徐々にエンジンもフル回転です。そして、オケが完全に一体化して、音響もグラデーションのように上がっていき、最後にはサントリーホールの空間には情熱の赤い炎が陽炎のように見えました。凄かった。

至福の2日間だった。

木曜日, 11月 08, 2007

武蔵小杉がトンデモナイ


武蔵小杉駅前の開発が凄い。武蔵小杉とは東急東横線と南武線が交差するところで、川崎市にとっては重要な交通の要所である。しかし、駅周辺には工場が立ち並び、これまではいたって静かなローカル駅だった。

ところが、現在はかつての東京銀行(現三菱UFJ銀行)丸子グラウンドおよび東京機械製作所工場跡地に、40階以上の高層マンション建設がいくつも進んでいて、まるで西新宿のオフィス街か、豊洲の高層マンション街のような近未来都市に変わろうとしている。

これは2009年末に、横須賀線(湘南新宿ライン含む。いわゆる品鶴線)の西大井駅と新川崎駅間に武蔵小杉新駅ができることで、川崎市が広範囲にわたって再開発を行っているのである。

新駅がオープンして横須賀線および湘南新宿ラインが止まるようになると、武蔵小杉からは横須賀線で東京と横須賀へ、湘南新宿ラインで新宿と湘南へ、南武線で立川と川崎へ、東横線で渋谷と横浜みなとみらいへ、目黒線で南北線および三田線へと行くことができるようになり、通勤通学の立地条件としては最高の場所になる。そのために、東横線の武蔵小杉駅と横須賀線の武蔵小杉駅に挟まれた再開発地域にはいくつもの高層マンションが建つ予定になっている。

いくら時代の流れとはいえ、こんなに高層マンションができたら、ますます人口の一極集中は加速されていく。こうした高層マンション群の建設をみるたびに、地方の活性化が遅れていくのである。

〜 武蔵小杉南口 再開発予想図〜
http://www.alles.or.jp/~salut/gallery20040208.html

水曜日, 11月 07, 2007

老害あって一利なし

タバコは百害あって一利なしだが、読売新聞は老害あって一利なし、である。

今回の大連立構想&小沢一郎辞任劇騒動を仕掛けたのは、福田康夫総理でも小沢民主党代表でもなく、どうやら読売新聞の渡辺恒雄(ナベツネ)らであったことが徐々に判明してきた。このことに関しては、馬鹿げた報道機関の「紳士協定」(馴れ合い)によって、新聞やテレビは報道できないが、いずれ週刊誌が大々的に書くであろう。

ナベツネという男はもともとは大野伴睦の番記者を行っていて、その関係で児玉誉士夫とも、親しくなり、児玉らと共に九頭竜ダム建設の補償問題や日韓国交正常化交渉の場でも暗躍した。大野の死後は中曽根康弘元総理と親密になり、その関係は今日までも続いている。ナベツネと中曽根は共に大の改憲論者であり、その後ろ盾にはロン&ヤス以来親密なアメリカがいる。

もし、今回の大連立構想が成功すれば、憲法改正へのお膳立てができたことになり、この二人にとって万々歳である。仮に失敗したとしても、民主党だけが傷つくだけであって、読売新聞(ナベツネ)および自民党(中曽根康夫)に損することはないのである。そんなことも解らず、ひょいひょいと出てきた小沢一郎は軽薄短小であった。

ナベツネや中曽根などという過去の遺物(妖怪ではない)に踊らされた小沢は相変わらずの壊し屋だが、それに依存しようとしている民主党も所詮子どもでしかない。小沢一郎もあと半年静かにしていれば、民主党政権になろうというのを解っていたにもかかわらず、ここで一騒動起こすようでは大人げないというか、民主党議員たちを自ら信じていないことを露呈してしまった。

いずれにしろ、こうした状況が生まれるだろうことを解っていた上で、党首会談のお膳立てをつくった読売新聞はもはや報道機関でなく完全に第二の権力者である。

読売新聞を購読しているみなさん、あなたの読んでいる新聞は報道機関だけではなく、ナベツネや中曽根による情報操作を行っている特務機関でもあることをご承知ください。

火曜日, 11月 06, 2007

オザワとカメダ

客A「オザワも馬鹿だよなぁ、ナベツネやナカソネの口車にのって」
客B「フクダはヘラヘラしているのに、オザワは辞めるなんて肝っ玉小さいねぇ」
客C「オザワも全く軽薄短小だよ。なんで半年待てないないのかねぇ」
客D「半年待てば政権が転がりこんできたのに、オザワも所詮壊し屋でしかないね」
客E「オザワ、オザワって、うるさいんだよ。まったく、もう」
客C「ああ、ここにもオザワがいた」(笑)
店主「さっきから苦虫かんでいましたよ」
客B「ああ、ここのオザワちゃんは人畜無害だから平気ですよ」
客E「こら〜」
客A「オザワと言っても、昭一もいるし、征爾もいるし」
客C「カメダに比べればオザワなんて可愛いもんですね」
客B「オザワは大人しか言わないけど、カメダは子供でも言うからなぁ」
客D「小学生のカメダくんたちは学校で大変だろうなぁ」
客C「その点、オザワくんは大人にしかイジメられないだろうしな」
客E「こら〜」

昨日の飲み屋の会話は白熱していました。オザワは大人間の話で済みますが、カメダは子供たちの間でも話題になっていて、全国のカメダくんは苦い思いをしていることと思います。亀田一家、TBSならび電通などで仕事している連中は、こういうことを考えたことがあるのでしょうか。全く罪作りな連中です。もちろん、小沢一郎もですが。

土曜日, 11月 03, 2007

週刊文春の「女が嫌いな女」2007

今週発売の週刊文春が面白い記事を掲載している。タイトルは『小誌恒例「女が嫌いな女」2007 細木数子から王座を奪った「新女王様」』とある。小誌恒例とあるのが、今回で4年目を迎える。で、そのランキングは下記の通りである。( )内は昨年のランキング。

1 沢尻エリカ (圏外) 
2 細木和子  (1)
3 和田アキ子 (3)
4 神田うの  (8)
5 西川史子  (8)
6 久本雅美  (18)
7 田中真紀子 (圏外)
8 工藤静香  (20)
9 さとう珠緒 (2)
10 長澤まさみ (圏外)

以下、浜崎あゆみ、小倉優子、泉ピン子、倖田来未、青木さやか、梨花、あびる優、叶恭子、松野明美、叶姉妹、磯野貴理、熊田曜子、ほしのあき、黒木瞳、三船美佳、松田聖子、松嶋菜々子、上戸彩、デヴィ夫人、にしおかすみこ、坂下千里子と続く。

1位になったのは主演映画の舞台挨拶で無愛想な態度をしめしてバッシングされた沢尻エリカ。たった1回の失態で1位なのであるから、女性は恐い。

このランキングを見ていると、「何様という女」「図々しい女」「品がない女」「ブリッコな女」「男に媚びる女」「身体を売り物にする女」「男にもてる女」といったイメージのある女性が嫌われているようである。ちなみに、このワースト10のなかでは、私は1位の沢尻エリカと10位の長澤まさみ以外はみんな嫌いである。

水曜日, 10月 31, 2007

手近な代替エネルギーはやっぱり石油

世界の原油価格の指標となるWTIの先物取引価格が1バーレル90ドルを越して、100ドルになるのも時間の問題と言われている。これはドルがユーロや円に対して連日安くなっていることが最大の理由だが、その他にもトルコやイラクなどの中東情勢の不安も材料になっている。

こうしたなかで、新聞の報道によると、11月からの石油製品の値上げをにらみ、各地の灯油販売店には冬に備えて灯油を買い込んでおこうとする人たちが相次いでいるという。埼玉のホームセンターでは、開店直後からポリタンクを持った客が次々と訪れ、この日の売り上げは前日の4倍になったという。

こうも原油高になると、すぐに石油の代替エネルギーとしてエタノール、水素ガス、太陽電池などが話題になるが、私はもっとも良い石油の代替エネルギーは石油だと思っている。その石油は石油でも油田から採れる原油ではなく、主に露天掘りされるオイルサンドである。

オイルサンドとは重質油を含んでいる砂のことであり、世界全体に約2兆バレルの埋蔵量があると推定されている。そのほとんどがカナダとベネズエラに集中してて、なかでもカナダ・アルバータ州にはサウジアラビアの原油埋蔵量に匹敵するほどオイルサンドが存在といわれてい。このことから、アルバータ州の州都エドモントンはカナダのオイル・シティと呼ばれている。

オイルサンドから1バレル(159リットル=42ガロン)の原油生産をするには、1〜2トンのオイルサンドが必要になる。そして、そのオイルサンドから砂などの成分を取り除くために生産コストが以前はかなりかかった。しかし、現在ではいくら高くても1バーレルあたり40ドル以下と見られているので、原油価格が高騰している今日では十分に採算がとれるのだから、その生産性をアップすることは可能であろう。そして、今後技術改良が進めばさらに安くなるのではないだろうか。

ただ、このオイルサンドからできる石油(ビチューメンという)は重油質なためにガソリンにはあまり向いていない。しかし、船や航空機の燃料、機械やボイラーなど産業には向いているので、その生産性を早急にあげてもらいたい。ちなみに日本の企業では鉱業会社や商社がカナダでこのオイルサンド開発に力をいれている。そして、昨今では韓国や中国の公社企業も開発に参加しているので、日本はもっと力を入れないと、もっとも手近な代替エネルギーを失いかねないと、私は懸念している。

火曜日, 10月 30, 2007

マリナーのN響ロマンティック・コンサート

昨日(29日)、サントリーホールでのNHK交響楽団による「N響ロマンティック・コンサート」を聴いてきました。指揮はサー・ネヴィル・マリナー。ヴァイオリンはN響のソロ・コンサートマスターである堀正文。

演目(※はアンコール曲)
ヴィヴァルディ/ヴァイオリン協奏曲集「四季」
※ヴィヴァルディ/ヴァイオリン協奏曲集「四季」冬の第2楽章
  〜休 憩〜
モーツァルト/交響曲第41番「ジュピター」
※モーツァルト/ディヴェルメント二長調K136第3楽章

今回もまずは余談から。最近サントリーホールへ行くたびに入場前にN響メンバーとよく遭遇する。もちろん、コンサート会場へ行くのだから遭遇するのは当たり前なのかもしれないだが、3回たて続けとはびっくりである。最初がバレンボイムのときに第一ヴァイオリンの宇根京子さん、次が先週の「Soup Stock」でのチェロの銅銀久弥さん、そして今回は地下鉄のなかから会場までほぼ一緒に歩いていた第一ヴァイオリン次席の大宮臨太郎くんである。大宮くんは今どきの若者らしく、まだ暖かいのに黒に緑のストライプの入ったマフラーをして、颯爽としていました。体型もスラッとしているので、ちょっとモデル風にも見える。それにしても、3回も続くと次は誰に出会えるのかなと楽しみになってくる。次にサントリーホールに行くのは11月7日のパリ管弦楽団である。う〜ん、池田昭子さん、来ませんかねぇ。(笑)

さて、本題である。コンサートの感想は非の打ち所がないぐらい素晴らしいものでした。しかしである。あえて苦言を呈させていただきたい。あ、また寄り道にそれそうだ・・・。

コンサートは素晴らしい。しかしである。料金が高過ぎる。最近のクラシック音楽コンサートの料金は異様に高くなっている。例えばチョン・ミョンフンが振るときの東京フィルのS席は11,000円、11月1日の西本智実が振る日本フィルもS席が10,000円である。そして、昨日のロマンティック・コンサートも演奏者は普段の半分の人数にもかかわらずS席は9000円だった。そのためか、2階のS席の半分は空席というN響コンサートとしては珍しい状態であった。この料金設定は明らかに主催者であるサントリーホールのミスであり、コンサートの内容がいくら素晴らしくても、興行的には失敗である。

「のだめ」のおかげで若者たちがクラシック音楽に足を運ぶようになったのに、それを拒むかのように高い料金を設定するクラシック業界は少しおかしいとしかいいようがない。昨日などは「ロマンティック・コンサート」と銘打つぐらいなのだから、30歳以下の人にはS席をペアで10,000円で販売するぐらいの器量はないのだろうか。N響のサントリーホールでの定期公演のチケットが手に入りくいことはわかっているのだから、今回のように若者向けのプログラムならば、音楽を好きになろうとしている若者たちにもっと求めやすい値段設定をすべきでないだろうか。業界のみなさんは一考していただきたい。


ああ、前置きが長くなりました。すみません。m(_ _)m


1曲目の『ヴィヴァルディ/ヴァイオリン協奏曲集「四季」』。実は私はこの曲を生で聴くのが初めてである。といのも、幼い頃、父親が年がら年中イ・ムジチ合奏団の『四季』をレコードで聴いていて、私のなかではトラウマのようになった音楽だったので、あえて聴くことはなかった。そのために、この曲のCDすら持っていない。

『四季』はご存じのように、春・夏・秋・冬の4つのパートに分かれていて、それぞれが3楽章でなりたっている。第1部の春は主に田園風景を、第2部の夏は暑さと嵐を、第3部の秋は実りと祭りを、第4部の冬は寒さと風を、それぞれ主題に表現している。

楽器編成は第1ヴァイオリン8人、第2ヴァイオリン6人、ヴィオラ4人、チェロ4人、コントラバス2人、そして、チェンバロ、オルガン、ソロの堀正文だった。オルガンが入っているという編成はどうも珍しいようである。

堀正文の奏でるヴァイオリンの音色は派手ではない。しかし、味がある。洗練された味がある。堀は一流のシェフが四季おりおりの季節感ある料理を作るかのように、ヴァイオリンを奏でるのだ。そして、チェンバロ(すごく上手い人だった)やチェロの藤森亮一が隠し味を加えていく。それを支配人のネヴィル・マリナーがお客であるテーブルの前に出してくれる。一度に4つの季節料理を味わえるとはなんと幸せなことであろう。音楽のなかにも風味のきいたコンソメ・スープやとろけるようなビーフ・シチューがあると実感した演奏だった。

2曲目はモーツァルトの『ジュピター』。『四季』同様にお馴染みの曲である。ここではネヴィル・マリナーが完全にシェフである。そして、それを支えるサブが篠崎史紀、永峰高志、店村眞積、藤森亮一といった4人の首席奏者たちだ。

マリナーは83歳にもかかわらず矍鑠(かくしゃく)としていて、鍋(タクト)を返す(振る)手つきも小気味いい。その姿はマスコミに多く出てくるような鉄人ではないが、隠れた名店の匠の味を出してくれる一流のシェフである。

マリナーの一番の素晴らしさはバランス感覚の良さではないだろうか。それは人によってはメリハリが効いていなくて面白くないというかもしれないが、彼はサントリーホールのなかでも自宅でCDを聴いているかのような安心感のある音を作り出すのだ。それは長年数多くの録音に携わってきたからかもしれないが、これは熟練した職人しかできない味なのである。そういう意味では彼は巨匠ではないにしろ、「匠」な人なのだ。まだまだ元気な様子なので近いうちの来日を期待したい。

土曜日, 10月 27, 2007

山火事とエゴイズム

カリフォルニア南部の山火事被害が拡大している。新聞などの報道よると、4日目を迎えた山火事は、東京都の8割りにあたる1800平方キロを焼き、まだまだ燃え続けている。これまでに民家や商業施設1500軒以上を焼失、死者は6人になり、90万人以上の住民に避難命令もしくは勧告が出されている。

カリフォルニアは山火事が多いところである。私がカリフォルニアに滞在して
いた70年代にもサンフランシスコ郊外のマウント・ダイアブロという山が10日間に渡って燃え続け、木が生い茂っていた山が禿げ山になってしまった。当時、私はフェアフィールドという町に住んでいたが、夜になると南の空が赤くなっていたことをよく覚えている。また、91年10月にはサンフランシスコ対岸のオークランドからバークレー一帯が山火事になり1日で3500軒以上の民家が焼失した。

このように、住宅街に被害をおよぼす大きな山火事は5〜10年に1回の割合であるが、小さな山火事は毎年必ずある。なぜこのような山火事が起きるかといえば、答えは単純明快である。雨が降らないで乾燥しているからだ。カリフォルニアという土地は毎年4月から10月までほとんど雨が降らない。その降らないは本当に降らないのである。一滴も降らない年もある。加えて、10月は内陸から海に向う強い風が吹く時期で、いったん火がつくとすぐに燃え広がり、手におえないのだ。だから、大きな山火事はほとんど10月に起きる。

それでは、対処策はないのかというと、ないこともないのである。人工雨を降らせればいいのである。しかし、山火事に見舞うような地域に住んでいる人のほとんどは裕福な白人家庭であって、こうした環境破壊的な対処策には批判的である。ただ、こうした地域に住むこと自体が環境破壊でもあるのだから、不条理な反対理由で身勝手でしかないと思う。

今回の山火事によって、こうした考えがどう変わるかわからないが、カリフォルニアで大きな山火事が起きるたびに、私は人間のエゴイズムを感じざるをえない。

水曜日, 10月 24, 2007

クラシック音楽を聴くようになったキッカケ

最近「どうしてクラシック音楽を聴くようになったのですか」とよく聞かれる。大概「まあ、歳をとったからでしょう」と答えているが、この答えはあながち間違いではない。

私は幼稚園の頃から小学校5年までピアノを弾いていた。といっても「バイエルン」「ツェルニー」程度で、有名な曲では「エリーゼのために」「乙女の祈り」が限界で、ショパンやシューベルトの名曲を弾くことはできませんでした。そして、小学校5年のときにクラシック音楽しか教えてくれない先生(この方は陸軍軍楽隊出身で『加藤隼戦闘隊』の作曲者の一人)に反発して、なぜかフルートを始めました。

そして、中学に入ると部活(バスケット部)が忙しくなり、先生に通うことは辞めてしまいまったが、吉田雅夫(フルートの大先生)の本を参考にしながら、独学でフルートを吹くようになりました。と同時に吹く曲はクラシックよりポップスが主体になり、ビートルズのメロディを好んで吹いていました。他にも、友人が組んでいるフォークバンドに参加させてもらったりして、それなりにフルートを楽しんでいましたが、ピアノはその頃から弾くことはなくなってしまった。

このようにクラシックを聴く土壌は小さい頃に培われていました。でも、実際にオーケストラを聴くようになったきっかけは、30代にたびたび仕事で訪れたニューヨークです。

私はガイドブックの仕事をしていたので、80年代半ばから90年代前半まで毎年取材のために、2週間から1ヶ月半ぐらいニューヨークに滞在していました。昼間は観光スポットやレストランの取材、夜はミュージカルやストレートプレイ、そしてベースボールなどのライブに毎晩のように出かけていました。今思えば「よくもまぁ」という感じです。全くバブルの時代でした。

ということで、クラシック音楽を聴きに行くのもさほど時間がかかりませんでした。カーネーギーホールやリンカーンセンターまでは定宿にしていたホテルから歩いていける距離にあり、当時はチケット料金もさほどは高くなかったので、気軽に聴くことができました。亡くなる前のレナード・バーンスタインやズビン・メータの指揮するニューヨーク・フィル、リカルド・ムーティ指揮のフィラデルフィア管弦楽団、クリストフ・フォン・ドホナーニ指揮のクリーヴランド管弦楽団、ゲオルグ・ショルティのシカゴ交響楽団と、この頃にアメリカ5大オーケストラのうち4つを聴いています(残りのひとつは小澤征爾のボストン交響楽団)。他にもレナード・スラットキンのセントルイス交響楽団、シャルル・デュトワのモントリオール交響楽団なども聴きに行った。

こうした恵まれた環境にいたこともあり、91年には少し図に乗ってミュージカル、クラシック、映画など文化と施設を紹介した『New York Culture Book』(弓立社)という本まで出してしまいました。若気のいたりとはいえ、よく作ったものと我ながら感心します。

バブルが崩壊した後は、なかなかクラシックを聴くことはできませんでしたが、2003年ぐらいから、再びボチボチと聴くようになりました。それは少し時間的余裕ができたからでしょう。クラシック音楽を聴くようになったキッカケは、やはり歳をとったからという答えに間違いはないようです。

日曜日, 10月 21, 2007

巨人をダメにしている燦燦会

私はパリーグファンだが、今回の巨人の弱さは目を覆いたくなるようなものだった。

プロ野球のセリーグ・クライマックスシリーズは、リーグ2位の中日がリーグ優勝の巨人を3タテして、2年連続8度目の日本シリーズ進出を決めた。パリーグのクライマックス・シリーズが毎回白熱したゲームを展開して予定されていた全試合行ったのに対して、セリーグは中日が第1、第2ステージ5戦とも危なげなく勝って味気のないシリーズとなり、リーグによって明暗を分けた。

今回の巨人はホームコート・アドバンテージという特権を全然活かしきれなかった。巨人は2週間以上も実戦から離れていて試合感が全然なかったというが、そんなことは言い訳にすぎない。

巨人はセリーグ・クライマックスシリーズ第1ステージ(中日vs阪神)が行われる前日の12日に、ホテルニューオータニで1500人のファンを集めてホテルで優勝祝賀会を開いている。この祝賀会には上原多香子や比嘉愛未などの芸能人も出席して、ファン代表として山口信夫・日本商工会議所会頭(旭化成会長)や長嶋茂雄・終身名誉監督が祝辞を述べている。

なんと緊張感のない球団なのだろう。こんなことするなら、なぜ北海道日本ハムのようにお客さんを入れて、真剣な紅白戦を行ってお客さんに厳しい目で見てもらわなかったのだろうか。

それでは、なぜこのような優勝祝賀会を行ったかといえば、それはナベツネ(渡辺恒雄)やその取り巻きである燦燦会の存在が大きいと言われる。燦燦会とは巨人を応援する財界人の組織で、巨人しか知らないで育った脳天気な大企業の社長や、読売新聞に媚を売る企業の社長たちの集まりである。こうしたオッサンやオジイサンたちは、何かといえば祝賀会とか飲み会を開きたがるが、この燦燦会の存在が現在の巨人をダメにした要因のひとつでもあるのだから、もし巨人を強くしたいと考えるならば早急に解散するべきである。

まあ、ここに書いたことは所詮結果論でしかないが、巨人が準備不足であったことは否めない。それにしても、巨人というチームは選手が育たないチームである。このことについてはいずれまた書きたいと思う。

金曜日, 10月 19, 2007

NHK交響楽団創設秘話

ネットやMixiをやっていると、時として面白いことや凄いことを教えてくれる。2週間前に私がたまたま見つけたMixiの日記に、NHK交響楽団の歴史にとって秘話というべきものがあった。それは先月読んだ『N響80年全記録』(佐野之彦著・文芸春秋刊)にも載っていない大変興味深いものであった。これから書く文章はその日記を書かれた方の了解を得て書いています。

1925年、NHK交響楽団の前身である日本交響楽協会が創設された。その中心人物は山田耕筰と近衛秀麿の二人で、楽団員は映画館の学士や東京六大学の管弦楽部員だった。ところが、楽団を作ったはいいが、練習場所探しなどで困った近衛は、大学の後輩である東大オーケストラ部員だった鈴木勇に場所の提供を頼んだ。

この秘話をMixiの日記に書いたのはその“鈴木勇”のお孫さんにあたる方である。

鈴木勇は1900年生まれで、大学では近衛の1年か2年後輩になる。大学卒業後は大手銀行に勤めてN響や音楽とは関係ない80余歳の人生を過ごしている。ただ、彼は大変マメな人だったようで、数十冊の手帳型日記帳をはじめ数多くの書簡を遺品として残している。そのなかには近衛からの依頼のハガキ、御礼のハガキがあり、それと一緒に「勝手に練習場所を提供するな」という東大教授のお怒りのハガキも混じっている。

鈴木は東大オケでベートーヴェン交響曲第4番の日本初演時にクラリネットソロを吹いた人でもあり、学生時代はクラシック音楽に相当造詣の深い人だったようだ。しかし、近衛と大学の板ばさみに合って、なにかと気難しい立場にあったと思われる。それでなくとも、当時(1920〜30年頃)の東大オーケストラは、近衛秀麿の兄である後の内閣総理大臣近衛文麿に資金を提供してもらい、演奏旅行に出掛けたりしていた。これでは鈴木は近衛の言うことには何を言えなかったに違いない。

この鈴木の書簡は、震災などによって多くの史料を失ってしまった東大オーケストラ、そしてNHK交響楽団にとって貴重な史料であることは間違いない。いつの日にかこの秘話が明らかになる日も来るに違いない。

最後にこの貴重な話を私がブログに転載・執筆することを快諾してくださったたま子さんに感謝いたします。

木曜日, 10月 18, 2007

気持ちいい応援のクライマックス・シリーズ

パリーグのクライマックス・シリーズが熱い。今日の第5戦の予告先発はダルビッシュ有 vs 成瀬善久というパリーグを代表する投手同士。最後に最高の投手同士が投げ合いが期待される。

ここまでの4戦をテレビ観戦していて、とても気持ちがいいのが両チームの応援合戦である。両チームとも鳴り物を使っているが、他のチームに比べて鳴り物への依存度は低いと思われる。

なかでも嬉しいのが、両チームの応援団が、相手チームの打者がアウトになったときに、侮辱行為のラッパを鳴らさないことである。セリーグの応援団にはこのような侮辱行為をする応援団が多々ある。これは明らかに応援団がすることでなく侮辱団だ。パリーグでは残念ながら福岡ソフトバンクと西武がやっているが、パリーグファンとしてこの行為はぜひとも止めてもらいたい。

また、両チームには応援団員かのように、揃いのハッピきて内外野席をウロチョロする人がいないこともいい。通路を動き回るのは観客に失礼であり、静かに観戦したい人も数多くいるのだから、応援を強要する応援団員の存在なのど必要ないのである。

あと、意図的なブーイングを慎むようになったこともいい。昨年まで千葉ロッテのファンは相手投手の牽制球に対して執拗にブーイングをして相当の批判された。そのせいか、今年はかなり慎むようになった。ブーイングは突発的なことに対して自然発生的に起きるものであり、計画性および意図的なブーイングは明らかに応援ではない。

プロ野球の応援が今のような鳴り物入りのスタイルになって、はや10年以上になる。ただ、「カーン」という打球音を聞きたい、鳴り物が好きでない人のためにも、できれは何試合かに1試合とか何曜日は鳴り物を禁止という日をもうけてもいいのではないだろうか。

火曜日, 10月 16, 2007

腐ったテレビ局TBSを個人的に処分する

昨日、日本ボクシングコミッション(JBC)は先日のWBCフライ級タイトルマッチで、亀田一家が反則行為を繰り返した問題で、当事者である亀田大毅に対して1年間のボクサーライセンス停止、親父の史郎に対して無期限のセコンド資格停止、兄の興毅に厳重戒告の処分を出した。ここまでの処分は妥当だろう。ただ、JBC自体が謝罪しないのはおかしい。

そして、徹底的に処分されるべきなのはTBSである。

TBSはこれまで亀田一家を数多くのテレビ番組に出演させ、暴言・誹謗・中傷のたぐいの発言をすべて放送してきた。下記のブログを見ていただければわかると思うが、私はTBSに対しては1年前から苦言を呈してきた。しかし、今回の亀田問題で完全に堪忍袋の緒が切れた。これまで私は楽天がTBSを買収するのに反対してきたが、もうTBSなど潰れた方がいいと思っている。先輩たちが築いた「報道のTBS」「ドラマのTBS」という看板は、現在いるバカな後輩たちによって完全に奈落の底に葬られた。

TBSがこれまで亀田一家を擁護してきた放送は、法律でいうところの「幇助」である。つまりTBSが亀田一家の言動を放送したことは、世間に暴力行為および侮辱行為は黙認するという放送をしたことにほかならない。よって、JBCが処分を下したように、民放連(民間放送連盟)はTBSに対して、最低でも「厳重注意」ぐらいの処分を下すべきである。そして、視聴者も同様にTBSに対して処分を下すべきだろう。私は個人的に今後しばらく(少なくとも年内いっぱい)TBSの放送を見ないように処分を下した。これによって「日曜劇場」も「金八先生」も見ない。「情熱大陸」も見ない。再放送が予定されている「砂時計」も見ない。もちろん報道番組・情報番組なんか見ない。

腐っているテレビ局TBSを見る必要性はないでしょう。

一年前に私がブログでTBSを批判した記事は↓
http://k21komatsu.blogspot.com/2006/10/blog-post_116001742649842805.html

月曜日, 10月 15, 2007

トリスタンとイゾルデ

先日(11日)はNHKホールで約3年ぶりのオペラ鑑賞をしてきました。演目はベルリン国立歌劇場の『トリスタンとイゾルテ』。音楽はリヒャルト・ワーグナー。演出はハリー・クプファー。指揮:ダニエル・バレンボイム。出演者は下記の通り。

トリスタン:クリスティアン・フランツ
マルケ王:ルネ・パペ
イゾルデ:ワルトラウト・マイヤー
クルヴェナル:ロマン・トレケル
メロート:ライナー・ゴールドベルク
ブランゲーネ:ミシェル・デ・ヤング
牧童:フロリアン・ホフマン
船乗り:パヴォル・ブレスリク

舞台装置(舞台美術:ハンス・シャヴァノフ)は天使が羽を広げて伏せていることをモチーフにした大きな岩のようなセットがあるだけ。これが360度回転することによって、場面場面の情景および情感を表わすようになっている。この舞台美術はシンプルかつシンボライズされていて効果的なセット。ただ、セットがベルリン国立歌劇場用に作られたセットなのだろうから、NHKホールの舞台では広過ぎるので、もう少し袖を幕で切るなりにして舞台を狭くした方がもっと効果が上がった可能性がある。

ストーリーは下記のHPを参照にしていただきたいので、ここでは割愛させていただく。

出演者ではイゾルデを演じたワルトラウト・マイヤーの歌声が素晴らしい。彼女の歌声は知的であり理性のある響きがある。加えて、演技力が高く、目の配り方、顏の動かし方など単に歌を歌っているのでなく、イゾルデという役を見事に演じ切っている。そして、最後に歌う「愛の死」の歌声も透明感に満ちていて観客の視線を釘付けにした上、舞台の最後を優美に終えさせた。

一方、トリスタンを演じたクリスティアン・フランツは歌はいいが、演技がまるっきりダメである。ちょっとメタボリックすぎて動けないのである。舞台装置の傾斜がきつかったりと演じづらいかもしれないが、演者ならば舞台装置に対応するぐらいの力量がなくてはならい。いくらオペラだからといって、その甘えは現代では通用しない。オレは歌うだけというオペラ歌手は舞台に立つ資格はない。

観客をもっとも魅了したのはマルケ王を演じたルネ・パペであった。彼の伸びのあるバスは非常に緊迫感があり、舞台に緊張感を漂わせてくれる。できれば、彼にトリスタンを演じてもらいたかったと思うのは私だけではないだろう。

さて、音楽についてだが、ベルリン・シュターツカペレは第1幕や第2幕では結構外していた。第3幕でなんとか持ち直したが、バレンボイムはこのオーケストラに本当に満足しているのだろうか。

http://www.nbs.or.jp/berlin2007/detail02_top.html

日曜日, 10月 14, 2007

「もとけいば」と「馬と近代美術」展


以前にも書いたが目黒区には珍しい地名が数多く残っている。そのなかで、実際の地名ではないがユニークな俗称がバス停と商店街名として残っている。「元競馬場前」である。正しくは「もとけいばじょうまえ」であるが、住民は誰もが「もとけいば」と呼んでいて、後ろの「じょうまえ」は省略されている。その昔バスに車掌が乗っている時代、彼女たちは「次はもとけいば、もとけいば」と言っていた。そして、今でも運転手が時折「次はもとけいば、もとけいばです」と言ったりする。

「元競馬場前」の名前の由来は目黒競馬場である。目黒競馬場は1907年(明治40年)に現在のJRA(日本中央競馬会)の前身である日本競馬会によって創設された。そして、1932年(昭和7年)に記念すべき第1回日本ダービー(東京優駿大競走)を開催した。しかしながら、ここが借地であり地主からたびたび地代値上げを要求されたり、周囲の宅地化が進んだことにより、翌年に第2回ダービーを開催後、現在の府中にある東京競馬場に移転した。

目黒はもともと馬と関連が深い土地柄である。区内には駒場や鷹番といった江戸時代から将軍家に縁の深い土地があり、また隣の世田谷にも駒沢、下馬、上馬、駒留、駒繋と馬につながる地名が昔からある。明治時代になると、世田谷と目黒が隣接する一帯に陸軍練兵場ができ、陸軍は競馬で馬の血統を調べられるために競馬を後押しをしていた。そのために、目黒競馬場にあったたすき掛けの障害コースを利用して、軍人による障害レースも行われていたという。

今年は目黒競馬場開設100周年にあたり、今月11日から目黒区美術館でが開催されている「馬と近代美術」展に行ってきた。

美術展は5部構成になっていた。その内容はだいたい次の通りである。
[目黒競馬場の歴史]
目黒競馬場時代の写真、馬券、出走表など
[馬の彫刻]
ハイセコーなどの名馬の彫刻など
[浮世絵や錦絵などに歴史的絵画]
歌川広重などの浮世絵、上野不忍池の周囲をまわる競馬の錦絵など
[日本人画家による馬の絵画]
荻須高徳、山口薫、坂本繁二郎など有名画家の馬に関する絵画
[海外の画家による馬の絵画]
ロートレック、ピカソ、藤田嗣治など世界の画家による馬に関する絵画

目黒美術館はさほど大きな美術館ではないので、展示品の数は総数はあまり多くはない。しかし、パンチで数字を打っている馬券や、まるで一冊の手帳のようになっている出走表は興味深かった。また、絵画では荻須高徳や山口薫の目にはちょっと目を奪われた。馬と美術に興味のある方は行かれるといいかもしれない。11月25日まで開催。

目黒美術館
http://www.mmat.jp/

土曜日, 10月 13, 2007

日本人があまり行かない観光地 モニュメント・バレー

テレビのCM、映画のロケ地などとして、誰も知っているような有名な場所だが、意外にもここを訪れる日本人観光客は少ない。その理由は近くに大きな都市がなく、アクセスが不便だからである。

モニュメント・バレーはユタ州、コロラド州、ニューメキシコ州と州境を接っせる、アメリカ唯一の地、フォーステイト・コーナーに近いアリゾナ州北東部にある。ここはナヴァホ族の居留地になる。

モニュメント・バレー近くには空港がないため、訪れるには車で行くしかない。それも一番近い大都市であるラスヴェガスからだと車だと8時間はかかる。また、その途中にあるグランド・キャニオン国立公園からでも6時間はかかる。加えて、近くにおおきな宿泊施設がないために、団体旅行でここを訪れる人はほとんどいない。

ラスヴェガスから日帰りツアーなどがあるようだが、朝5時半出発という強行スケジュールのためか参加者は少ない。もし、ここを訪れたいと思うなら、ラスヴェガスからのグランド・キャニオンとセットになった1泊2日のツアーをおすすめする。そして、ただ景色を眺めるだけではなく、赤茶けた大地のなかに入れるヴァレー・ドライブを楽しんでもらいたい。グランド・キャニオンは自然の怖さを見せつけてくれる観光地だが、モニュメント・バレーは自然の偉大さを見せつけてくれる。

この二つの場所を見れば、アメリカの自然の凄さが解るであろう。

金曜日, 10月 12, 2007

パリーグ若手投手陣の成長は素晴らしい

今年から新設されたプロ野球のクライマックス・シリーズが始まり、パリーグの第1ステージは投手陣の好投とサブローの活躍で、千葉ロッテ・マリーンズが福岡ソフトバンク・ホークスを2勝1敗で下した。これでマリーンズは日本シリーズ出場権をかけて北海道日本ハム・ファイターズと戦うことになった。それにしても、今年のパリーグは若手投手が成長した。嬉しい限りである。

防御率と勝率の2冠をとった千葉ロッテ・マリーンズの成瀬善久(22歳)。奪三振王となり優勝の立役者のひとりになった北海道日本ハム・ファイターズのダルビッシュ有(21歳)。最多勝は松坂が抜けても孤軍奮闘した西武ライオンズの涌井秀章(21歳)。このように今年のパリーグの投手部門は若い投手が活躍した。

これに加えて、新人王候補は東北楽天イーグルスのマーくんこと田中将大(19歳)と西武ライオンズの岸孝之(22歳)と共に11勝7敗の好成績を残した投手である。

こうしたパリーグの若手投手陣が台頭したのに比べて、セリーグは残念ながらこれという若手投手陣の活躍はなかった。その昔は「人気のセ、実力のパ」と言われたが、ここ数年はパリーグの優勝チームが日本シリーズを制覇していて、このように若手投手陣が人気も実力を兼ね添えて成長しているので、もはや「人気も実力もパ」の時代になったといっても過言ではないだろう。セリーグが人気も実力も取り戻すには、今度の日本シリーズで勝つしかない。

パリーグ・ファンとしてセリーグの奮起を期待したい。

木曜日, 10月 11, 2007

インスタント・ラーメンは永遠の味

この歳になってもインスタント・ラーメンは大好きです。初めて食べたインスタント・ラーメンは「チキンラーメン」だと思いますが、「サッポロ一番みそ味」を食べたときの衝撃は今でも忘れません。

インスタント・ラーメンは1958年に「チキンラーメン」が発売されたのが始まりです。この「チキンラーメン」を作ったのは、後の日清食品会長で今年の1月に96歳でなくなった安藤百福です。安藤は「おいしい」「保存できる」「調理が簡単」「価格が適正」かつ「安全」と5つを目標掲げて「チキンラーメン」を完成させた。販売価格は35円と当時の物価を考えると割高ではあったが、あっという間に人気商品になった。その後、各社がインスタント・ラーメンを開発、明星食品が「味付けラーメン」を、エースコックが「カレーラーメン」を発売した。

そして、1960年代に入ると各社が数多くのヒット商品が登場した。1966年1月、サンヨー食品が「サッポロ一番」を、9月に明星食品がホタテ味をベースにした「明星チャルメラ」を発売した。それから2年後の1968年2月、日清食品が胡麻ラー油付き「出前一丁」を、9月にサンヨーが「サッポロ一番みそラーメン」を発売した。

それまでラーメンといえば、しょうゆ味か塩味しか知らなかった私にとって、みそ味の「サッポロ一番みそラーメン」は衝撃的だった。東京には絶対なかった味であり、中学生で食べ盛りということもあってか、濃いめのみそ味は忽ち病みつきになり、毎日食べても平気だった。

インスタント・ラーメンは発売当初は即席ラーメンと言われ、熱湯をかけるだけだったり、お湯で簡単に煮るなどの簡易に作って食べることを目的としていた。そのせいかどうかしらないが、マンガ『おそ松くん』のなかで、小池さんはいつもインスタント・ラーメンしか食べていなかった。(笑)

「チキンラーメン」「サッポロ一番」「明星チャルメラ」「出前一丁」といったブランドは現在でも第一線で活躍している。最近のインスタント・ラーメンは「具だくさん」とかかなり高額なものが発売されていますが、私は昔ながらのインスタント・ラーメンが好きである。このところ「明星チャルメラとんこつ味」に浮気がちだが、「サッポロ一番みそ味」も密かに味わっています。

水曜日, 10月 10, 2007

憧れの靴だったオニツカ・タイガー

先月29日に大手スポーツ用品メーカー、アシックスの創業者で会長の鬼塚喜八郎さんが死去した。享年89歳だった。大往生の人生だったに違いない。私たちの年代でバスケットボールをやっている者にとって、オニツカ・タイガー(現在のアシックス)は憧れの靴だった。それは小学生がゴム靴でなく革靴を履くぐらいの憧れの靴だった。

鬼塚さんは1950年代半ばに高校のバスケットボール部の活動を見学して、急ストップ・急スタートに対応する凹型靴底を考案して、タイガー・バスケットシューズを誕生させた。また、ローマ・オリンピック(1960年)で裸足でマラソンを優勝したエチオピアのアベベ選手が、毎日マラソンで来日した際に、鬼塚さんはアベベ選手を訪ねてシューズを使うよう説得して世界一軽いシューズ履いて、毎日マラソンを制覇したという逸話の持ち主でもある。。

私がバスケットを始めたのは小学校6年生(1966年)のときである。ポートボールが得意で、校庭の片隅にあったリングにボールを投げるのも好きだったので、バスケットを始めるのはごく自然なことだった。ただ、小学生のときはお遊び程度だったので、靴はゴム製運動靴だった。

そして、中学に入るとすぐにバスケット部に入った。私の学校のバスケット部は私が入学する4年前に都大会で優勝するなど強豪チームだった。そのおかげで、練習は毎日でそれはそれは厳しかった。入学時に最初に履いた靴は布製の市販されているバスケットシューズで、走るとかジャンプするにはまったく問題はないが、ストップやターン時には少し滑るために、とてもじゃないが本物のバスケットシューズとは言えなかった。それでも、1年生は基礎体力や基礎練習の繰り返しなので、ちゃんとした靴は必要とされていなかった。というより、履くことすら許されるような状況ではなかった。

しかし、夏休みが過ぎて新入部員も半分以上は辞めていき、来年のことを見据えるような時期に入ると、一番怖い先輩から「お前たちも早くタイガーを買えよな」と言われた。その言葉が嬉しかったことを今でも覚えている。タイガーを履けるという喜びと同時に、頑張れよという意味が重なっていた。

私が最初に買ったタイガーは布製のものだったが、靴底がキュッキュッと鳴るぐらい素晴らしいものだった。確か当時の値段で2500円はしたように思う。今では中学生でも革製のアシックス、コンバース、ナイキなどを履いている時代となったが、私は高校まではずっと布製であったし、当時は革製を履いていたのは日本リーグの選手だけのような時代だった。

オニツカ・タイガーは1977年(昭和52年)スポーツウェア・用具メーカーの株式会社ジィティオ、スポーツウェアメーカーのジェレンク株式会社と合併し、社名を株式会社アシックスに変更して、ご承知のように現在では世界的なスポーツ用品メーカーになっている。

そして、いま私がジムで使っているトレイニングシューズはもちろんアシックス製である。

火曜日, 10月 09, 2007

報道機関はなぜ実名報道をしないのか

6日未明、大阪府・寝屋川市のコンビニで、ビールなどをカゴに入れて万引き(強盗)した少年2人を追跡してアルバイト店員が殺されるという事件があった。

殺されたアルバイト店員は上内健司さん(27)と実名報道がされているのに、殺した側の工員(19)と少年(15)の名前は報道されない。

なぜなのだろうか。それは少年法という存在があるからである。少年法では裁判所の審判に付された少年を実名報道を含めて、人物が特定できる情報を報道することを禁じている。

ナンセンスな法律である。ただ、最近は事件によっては実名を報道するマスメディアもある。今回の事件は万引きという「些細な出来事」から起きた事件であろう。しかしである。万引きは明らかに犯罪であり、少年はナイフを携行している。これも銃刀法違反の可能性がある。

少年たちに犯罪意識が薄かったにせよ、今後の万引き事件を防ぐためにも、実名報道をすべきである。犯罪の低年齢化、凶悪化を防ぐためにも、今回の事件は実名報道をすべきである。週刊誌よ、頼みます。

月曜日, 10月 08, 2007

小山実稚恵の初ブラームスと「運命」の返り討ち

一昨日(6日)、NHKホールでのNHK交響楽団第1602回定期公演を聴いてきました。指揮はN響正指揮者の外山雄三。ピアノは日本を代表するピアニストの小山実稚恵。小山実稚恵は他のオケの共演で聴いたことはあるが、N響との共演を聴くのは私にとっては初めてであった。

演目
ブラームス/ピアノ協奏曲第1番ニ短調
  〜休 憩〜
ベートーヴェン/交響曲第5番ハ短調

私はブラームスのピアノ協奏曲第1番を密かに「ブラームスの交響曲第0番」と呼んでいる。この作品は彼が25歳という若い時に書いた作品であり、実際にこの曲を途中まで交響曲として書いていたようである。そのために、ピアノ協奏曲としては稀にみる大規模かつダイナミックな曲となっていて、演奏時間も約45分にも及ぶ。ブラームス好きにはたまらない曲でもある。

第1楽章。小山実稚恵は最初の約5分間に及ぶ序奏を身体を左右に振りながら、身を委ねるようにしてN響の演奏を聴いている。そして、ピアノに指が触れると同時に、力強く鍵盤を叩いていく。しかし、それは決して日本人女性としての品位を忘れることなく、優しさ、淑やかさ、慎ましさを体現している。この人の音色には日本人だからこそ解るオーラみたいなものがあり、それがまるでエコーがかかったように、広いNHKホールに響き渡っていく。途中、いくつかのミスタッチもあったが、小山はそんなことおかまいなしに、自分独自の内面的な世界を築いていく。それはまるで綺麗な洋館で孤独にピアノを弾くお嬢様のように見える。そして、外山雄三およびN響のメンバーはしっかりとその洋館を囲む木立を築いていく。

第2楽章。ここはアダージョだ。小山が奏でるピアノは洋館の部屋で悲しく泣いている。それはあたかもピアノ台に頭をもたげながらも、涙が指に代わって音を叩くかのような痛々しさでもある。こんな表現力のあるピアノは未だ嘗て聴いたことがない。その寂しさと悲しさにお客を倒錯の世界に導いていく。その証のように客席のあちこちで膝においてある物を落すような音がする。つまり小山はまるで催眠術師のように、お客を洋館の一室に眠らせていくのである。人によっては睡魔に襲われる世界かもしれないが、私にとっては身の毛もよだつような恐ろしい世界に導かれるような音色であった。

第3楽章。今度は小山の指先は撥ねる、翔ぶ、そして舞う。それは洋館のガラスが割れ、外壁が落ち、屋根が傾いていくような凄まじい勢いがある。またオケが奏でる木立にも強い風を送り込む。まるで前衛的芝居を観ているかのような錯覚すらおぼえる。そして終楽章では、小山の内面的な世界は色彩溢れるきらびやかな外面的な世界になり、オケと連動していく。小山実稚恵の表現力には無限の可能性を秘めているようだ。彼女にはブラームスがお似合いのようである。

休憩を挟んだ2曲目は3日前に「不満ボイム」と書いたベートーヴェンの交響曲第5番である。この交響曲第5番は日本では広く「運命」という題名で知られている。先日のベルリン・シュターツカペレの公演プログラムにも、はっきり「運命」と書かれていた。ところが、この題名は日本だけの通称であり、世界共通の標題ではない。N響では「英雄」や「田園」は標題として記しているが、「運命」という名はプログラムに記していない。

第1楽章。あの「ダダダダーン」という緊張感溢れる音色が腹にこたえる。前曲のブラームスピアノ協奏曲では外しまくっていたホルンが、今度は息もピッタリとオケをリードしていく。また、ティンパニーの植松透の的確な響きが、コンマス堀正文率いるヴァイオリンをはじめとした弦を支えていく。心地よい緊張感が会場を漂う。やっぱり「運命」はこうでなくちゃと悦に入る。

第2楽章。ここはソナタ風な二重変奏曲。ここもホルンの高らかな音色がメロディをリードしていく。そして、フルートの神田寛明、オーボエの茂木大輔、クラリネット磯部周平(?)、ファゴット岡崎耕治の4人がしっかりとソロパートを演奏する。木管陣のいつもながら安定しているなぁと感心させられる。

第3楽章。冒頭にこれまた高らかにホルンが鳴り響く。そして、私が大好きなチェロ、ヴィオラ、第二ヴァイオリンとメロディが流れていくパートでは、それはまるで心臓の鼓動が左胸から脳裏に伝わるように流れるように連なっていく。これです。「運命」はこうでなくちゃとまたもや悦に入る。

第4楽章でもホルンは冴えまくり、トランペット、トロンボーンと共に金管の色鮮やかな音色を轟かせる。そして、弦も木管も完全に協働作業として、ベートーヴェンの緻密で緊張感あふれるメロディを奏でていく。そして、終曲部分では第4楽章だけのためにずっと座っていた日本一のピッコロ奏者と言われる菅原潤がピロロロッ〜♪ピロロロッ〜♪と引き締まった音を奏でる。これですよ、これですよ。思わず納得してしまう。パチパチパチパチ。

最後にN響の「運命」は見事に3日前のベルリン・シュターツカペレの返り討ちをしてくれた。その意味では非常に満足して、当然ながら帰り道は飲み歩き「不満ボイム」が解消した。(笑)

土曜日, 10月 06, 2007

早食い大食い番組はマナーとモラル違反だ!

最近またテレビで早食いや大食いの番組が増えてきた。ニュース番組や情報番組のなかで特集としてやることがある。これには呆れかえる。早食いや大食いはニュースや情報の意味をなさない。もちろん身体にもよくないし、子供の教育によくない。

早食いや大食いをする人は大食漢のスポーツマンではなく、見た目はごく普通の人たちである。つまり、やせの大食いでこういった人たちのほとんどが胃下垂である。

胃下垂とは胃が腸へと垂れ下がった形をしていて、食べたものが胃に溜まることなく、直接腸へと流れていくのである。これは病気ではないにしろ、異常体質の持ち主であり、このような人たちの食事を一般の人が行うと大変なことになる。過去には早食いが原因で喉に食べ物を詰まらせ窒息死した事件がある。ホットドッグの早食いで有名になった奴ですら、顎関節症なる怪我になったぐらいだから、危険なことでもある。

豊作を願って食の神様に感謝をするなどの早食いや大食いは、伝統行事もしくは神事として行われているは問題はないが、テレビが見せ物として放送するのは絶対に止めてもらいたい。早食いや大食いは食べ物に対する冒涜であり、その素材となっている家畜、海産物、お米、野菜などの食材を作る人に対しても失礼である。また、マナーにも反する。

このような番組を平然と流しているテレビ屋がいることが信じられない。彼らにはモラルとかマナーという理性がないのであろうか。

木曜日, 10月 04, 2007

ベルリン・シュターツカペレには不満ボイム


昨日(3日)、サントリーホールでベルリン国立歌劇場のオーケストラであるベルリン・シュターツカペレの公演を聴いてきました。指揮は今や世界の5本の指に入るぐらいの実力と人気を兼ね備えていると言われる帝王ダニエル・バレンボイム。

演目
R.シュトラウス/交響詩「ドン・キホーテ」
  〜休 憩〜
ベートーヴェン/第5番ハ短調「運命」

バレンボイムと言えば、パリ管弦楽団やシカゴ交響楽団の指揮者として名声を馳せた人である。私はアメリカでシカゴ交響楽団を聴いてことがあるが、そのときはまだ音楽監督がサー・ゲオルク・ショルティが君臨していた時代。私がバレンボイムを聴いたのはシカゴ響に赴任間もないころで、今回が10数年ぶりになる。

ところで、いきなり余談ですが、開場前にスタバのコーヒーを飲みながら、ホールが開くのを待っていたら、私の前を黒と赤の洋服で纏った綺麗な若い女性が歩いていきました。あれまあ、私のご贔屓のN響のヴァイオリン美人奏者・宇根京子さんではありませんか。第三種接近遭遇(ちと古いか)です。オーボエの池田昭子さんとは開演前の室内楽で2〜3回遭遇していますが、宇根さんとは初めてです。思わず後を追いかけようかと思いましたが、私は「ストーカーではない、ストーカーではない」と自問自答しながら自制しました。(笑)

さて、コンサートです。これがいただけません。正直、久しぶりの海外オケの外れでした。何が悪いと言えば、コンマスです。この人、なんというか音色もよくないし、統率力もありません。バレンボイムがなんでこんな人をと思うぐらいです。それに比べて凄かったのは身長2メートルはあろうかというヴィオラ首席奏者の方です。「ドン・キホーテ」は基本的に、チェロ、ヴァイオリン、ヴィオラのソロの掛け合いが聴きどころなのですが、若いチェリストくん、ヴィオラの巨人さんはいいのですが、コンマスがマッチしていないのです。

そのためか、演奏後は若いチェリストとヴィオラ首席奏者に盛大な拍手が送られましたが、コンマスへの拍手は弱かったです。お客さんは正直です。

休憩後は「運命」です。バレンボイムはじっくり腰を落して、そして時に鋭い動きを加えて指揮します。しかし、オケがついていけません。例えば、第一楽章の終曲部分はキレがなく力強さが伝わってこない。第三楽章ではチェロ、ヴィオラ、第二ヴァイオリンとメロディが流れていくパートがあるだが、ここではヴィオラがめちゃくちゃに弱くて、全くバランスがとれていない。また、第4楽章でも金管の主要な音色とそれを支える弦の音色が調和されておらずどことなくチグハグでした。

それでも、演奏後はお客さんからは会場は割れんばかりの拍手。ただ、これはオケに対してというよりも、バレンボイムの指揮とアンコール期待にあった。というのも、舞台下手(左側)にはなぜか使われもしないグランドピアノが置かれていたからである。もし、バレンボイムが機嫌よければ、ピアノを弾くつもりでいたのあろう。そうだとしたら、このコンサートはバレンボイムにとっても不満だったに違いない。

水曜日, 10月 03, 2007

私にとって駅名はまだ「二子玉川園」駅のまま


昔のアルバムをひも解くと、小学校2年生のときの遠足は二子玉川園だった。学校からどのようにして行ったか覚えていない。しかし、学校の近くを走る東急バスの路線に「目黒駅=二子玉川駅」というのがあるので、学校からは簡単に行くことができる。

二子玉川園は現在の二子玉川駅の南東側の多摩川沿いにあった遊園地である。1922年(大正11年)に玉川第二遊園地として開設されたのがその起源とされている。そして、1925年に隣接して玉川プールが開設された。その後、二子玉川園は玉川電気鉄道の直営となったり、読売新聞と提携して読売遊園と改称したりしたが、第2次世界大戦中の1944年に一端閉園となる。

戦後は1954年に東急不動産によって二子玉川園が再開。翌年東京急行電鉄に経営権が移り、フライングコースターを設置したり、隣接した土地に映画館・二子東急を開館したり、五島ローズガーデンを開園して多角的な遊園地経営をすすめた。私がここを訪れていたのは1960年代であったが、当時はミニ自動車、ジェットコースター、メリーゴーランド、コーヒーカップなどが充実していたように思う。

ここは東宝、国際放映、円谷プロといった映画関係の会社が近くにあったために、数多くの映画やドラマの撮影地として使われた。なかでも、ウルトラ・シリーズ(最近こればっか)や『ブースカ』の撮影が数多く行われた。そして、映画館もあったためか、春休みや夏休みには特設ステージで「ウルトラマンショー」や「仮面ライダーショー」が行われて数多くのチビッコが押し寄せた。おそらくこの頃が遊園地の最盛期ではなかっただろうか。

しかし、その後は各地に絶叫マシーンを揃えたテーマパークが出来たり、沿線の少子化が進んだことになどによって、入場者数は減っていき1985年に閉園されて、ナムコ・ワンダーエッグになった。しかし、これも2000年末を閉園となり、跡地は現在二子玉川東地区再開発地域となっているが、反対運動もありまだまだ建設は進んでいない。

そして、二子玉川園の変貌によって、多摩川駅同様に二子玉川駅の駅名も何度も変更された。

1907年に玉川電気鉄道(後の東急玉川線)が開設した当時の駅名は「玉川」駅。それが20年後の1927年に目黒蒲田電鉄二子玉川線(現在の大井町線)が開通して駅名は「二子玉川」駅と別名をつけた。そして、1939年に玉川線「玉川」駅が「よみうり遊園」駅に改称。翌年の1940年には大井町線・玉川線の両駅を統合して「二子読売園」駅となった。ところが読売遊園が休園になったために、1944年には「二子玉川」駅に改称。そして、1954年に二子玉川園が開業すると、「園」がついて「二子玉川園」駅となった。しかし、2000年に新玉川線を田園都市線に統一する機に駅名は「二子玉川」駅に改称され現在に至っている。

ただ、私にとってここの駅名は「二子玉川園」駅のままである。

火曜日, 10月 02, 2007

Mixiの衣替えは明らかに失敗

昨日、10月1日正午ぐらいに私も参加しているMixiのデザインが変更された。最初はう〜んなんか妙に明るいなぁ程度と思い、いずれは慣れるんだろう〜なぁなどと思っていましたが、いっこうに慣れるどころか、目がチカチカして見づらくてしようがありません。

このデザイン変更に賛成の人は非常に少数のようで、その不満はMixiの機能要望のページを見れば明らかです。Mixiをご利用の方はぜひとも、そこをご覧になってください。

このデザイン変更によって、Mixiの利用率は間違いなく減少すると思われます。そのことはいずれ広告費の減少、株価下落という方向になると思われまので、Mixiの株をお持ちの方は注視した方がいいでしょう。

月曜日, 10月 01, 2007

10月1日は衣替え

今日は10月1日。衣替え(衣更、更衣とも書く)の日です。

私が制服を着ていたのは幼稚園の2年間と中学の3年間。小学校、高校、大学は制服がなかった。加えて、社会人になってからはほとんどノーネクタイの生活なので、衣替えという習慣があまり身についていません。今日の私の服装はまだ半袖です。(笑)

この衣替えは平安時代に宮中で始まったと言われ、もともとは中国の習慣に倣っている。しかし、当時は、旧暦だったのので今と違って4月1日と10 月1日に行われていたという。これを新暦に変えると、今年だと5月17日と11月10日になる。え〜、うそ〜。そんな遅い時期まで薄着でいるのと、あちこちから悲鳴が出そうである。しかし、昔の日本人は今より薄着であったこともなんとなく察しがつくので、これは事実なのであろう。季節感の私でも11月10 日まで薄着でいるのは無理である。

東京も先月29日から気温が低くなり、めっきり街は秋の様相になりました。それにしても、若い女性はどうしてすぐにブーツを履くのだろうか。秋のファッションをもう少し楽しむ余裕はないのだろうか。

こんなことを書いていると、「オジサン、ウザイよ」と言われそうだが。

日曜日, 9月 30, 2007

フルート、オーボエ、コンマスのブラームス交響曲第1番

昨日(29日)、NHKホールでのNHK交響楽団第1601回定期公演を聴いてきました。指揮はモーシェ・アツモン。ヴァイオリンはセルゲイ・クリーロフ。当初、指揮はコンスタンティノス・カリーディスが予定されていたが、健康がすぐれず来日ができなくなり、代わって、モーシェ・アツモンが指揮するようなった。

演目
R.シュトラウス/交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」
モーツァルト/ヴァイオリン協奏曲第5番イ長調 K.219「トルコ風」
  〜休 憩〜
ブラームス/交響曲第1番ハ短調

1曲目。いきなり100人編成の大オーケストラ。フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴットなどが4人もいる。ヒェ〜。それゆえに見知らぬ顔も何人かいる。まあ、そんなことどうでもいい。指揮のモーシェ・アツモンはいきなり全開です。エンジンがローからいきなりトップギアに入ったかのような指揮ぶりです。この曲はオケで聴くのは初めてですが、かなりダイナミックで劇的で、聴いていて楽しくなった。アツモンにとって今回が初のN響の指揮だが、彼は名古屋フィルハーモニーや東京都交響楽団の指揮者をしているので、日本のオケはかなり熟知しているのであろう。1曲目でオケを掌握してしまった。

2曲目。私があまり得意でないモーツァルト。なぜ得意でないかというと、メロディがダラダラ流れるようになるところが多く、非常に眠くなるからです。それはこのヴァイオリン協奏曲第5番も同じで、聞こえてくるセルゲイ・クリーロフの音色は心地良い。そのせいか、右隣のオジサンも左隣のオバサマも心地良い世界に入っている。こういう緊張感のない曲はどうも私には向かない。私までウトウトしてしまいました。

そして、休憩を挟んでブラームスの交響曲第1番。数多くある交響曲のなかでも、私はこの交響曲が3本の指に入ると思うぐらい偉大な交響曲だと思っています。それはなぜかといえば、バラエティに富みながらも整然としたメロディの数々、交響曲全体を引っ張る弦楽器の厚みと深みのあるテンポとリズム、木管金管など各楽器の特徴を際出せるソロの音色など、この交響曲には凄さと怖さの魅力が満ち溢れているからです。演奏すること自体はおそらくさほど難しくはないだろうが、指揮者およびオケの力量がはっきり表れる交響曲でもある。

第1楽章。ブラームスとしては非常にゆっくりとした入り方。人によっては何? この間延びした出だしは? と思うだろう。しかし、ティンパニー(久保昌一)の威厳のある音、弦のゆったりと流れるN響がもつ独自の統率力のある音がNHKホールの観客を一瞬にして制圧する。しかし、ファゴットかホルンあたりの和音が乱れる。それでも、アツモンはぐいぐいとオケを引っ張っていく。それに応えるべく、藤森亮一率いるチェロおよび店村眞積率いるヴィオラが、まるで地の底から音を這い上がていくかのように低音を奏でていく。いや〜、この厚みと深みです。他の日本のオケにないリズムと音色です。これを聴かずして何を聴くというのだろうかと思うぐらいです。

第2楽章。緩徐楽章。最初にオーボエ(茂木大輔)が高らかにメロディを奏でて、この楽章をリードしていく。それから、穏やかなヴァイオリンの音色が続き、クラリネット(横川晴児)、フルート(客演の高木綾子)などの美しい音色がNHKホールにこだまする。終章部分ではコンマス(篠崎史紀)のヴァイオリンソロとホルン(今井仁志)による掛け合い。篠崎の高音の響きは綺麗な余韻を残していく。短い楽章なのだが、観客からため息が漏れそうであった。

第3楽章。間奏曲。かなりロマンチックな楽章でもある。流れるようなメロディを木管金管の各楽器がリレーしながら奏でていく。この辺りになると、オケ全体の緊張感が和らいでてきて、メンバーはノリノリで演奏していく。

第4楽章。この交響曲のハイライトというか。ブラームス音楽のエキスがすべて入っている楽章です。第一楽章同様にティンパニーが轟く。弦による不吉な感じのメロディで始まる。しかし、それを覆すかのようにホルンが夜明けを告げていく。加えて、この日最高の音色と思われた高木綾子のフルートが響く。そして、あの有名なメロディが怒濤のように流れていく。なかでも、ヴィオラの響きが冴え渡る。あ〜、やっぱりこの曲はヴィオラなんだよなぁと、ひとり悦に入ってしまう。それは不協和音のように聞こえる部分で更に納得してしまう。アツモンは最後の最後は堅実にまとめていく。見事な仕事ぶりでした。

結論としては、私は昨年1月にヘルベルト・ブロムシュテットが指揮したときの名演奏を聴いているので、残念ながらそのときほどの感動は味わえなかった。それでも、フルートの高木綾子(またN響に出演してほしい)、オーボエの茂木大輔、コンマスのまろ様こと篠崎史紀の3人には心からブラボーと言いたい。また、低音部を支えたヴィオラ、チェロ、コントラバスのみなさんに大きな拍手を送りたい。

この日の演奏会の模様は11月2日(金)午前10時からのBS2「N響演奏会」で放送予定になっている。

金曜日, 9月 28, 2007

変わる学校名、進む共学校・中高一貫校化

先日、タクシーで外苑西通りを走っていると、前方の信号標識に「広尾学園前」という見慣れぬ看板が目に飛び込んできた。「そんな学校、あったか?」とまず思い、そして、目を左に向けると「広尾学園」と書いてある学校があるではないか。あ〜、順心女子学園が改名して、共学化に踏み込んだのだとすぐに悟った。というのも、最近都内近郊では数多くの私立校(特に女子校)が急速に共学校・中高一貫校化になっている。

こうした私学の共学校化、そして中高一貫校化への移行は少子化がその最大の理由である。学校といえども、やはり受験者・入学者がいなければ経営は成りたたない。これまでは女子校として長い歴史をもった学校といえども、女子だけでなく男子を入学させることによって経営基盤はしっかりする。このことは男子校も同様である。また、中高一貫校にすることによって、有名大学受験合格者を増えやすことによって、学校の名声を上げて、これまた経営基盤をしっかりすることができる。

少子化の影響は私立校間および大学間の競争を煽ることになり、私立校は早い時期に優秀な学生を確保し、有名大学受験者を多くすることにより、生き残っていこうとする経営戦略である。学校といえども企業と変わりがないのである。

近年共学化の中高一貫校 <首都圏・私立>
http://eri.netty.ne.jp/data/jr_02.htm

木曜日, 9月 27, 2007

大相撲はスポーツではない

朝青龍問題、力士リンチ死亡事件と問題山積みの大相撲だが、私は大相撲をスポーツと思ったことが一度もない。あれはスポーツでなく、彼らが言っているように「興行」でしかない。こんなことはマスコミで働いている人なら誰もが周知しているであろう。それなのに、大相撲は国技だと政府に断わりもなく厚かましく名乗っている。文部科学省は大相撲を国技と認めたことはこれまで一度もない。

私が大相撲がスポーツでないという理由はいくつもある。まず第一に同部屋対決がない。以前は一門対決すらなかったので、少しはマシになったと思う人がいるかもしれない。しかし、柔道、剣道、テニス、卓球、バトミントン、アマチュア相撲・・・、どんなスポーツでも同一チームの選手同士で試合をしている。しかし、大相撲にはそれがない。剣道なんかいつも警視庁同士で戦っているような気がする。(笑)

次に大相撲の取組表は協会が勝手に作り変えることができる。どんなスポーツでも対戦表というのは事前にすべてわかっているはずだ。大相撲がスポーツならば、横綱は上位15人と対戦すると初日に決めるべきである。こうなれば、いくら新入幕力士が勝ち進んだとはいえ、横綱にあたるなんてことはありえない。

いずれにしろ、取組表は横綱を優勝させるようなために作られている。ナンセンスとしかいいようがない。なんで平幕力士が優勝しちゃいけないのだろうか。幕内最高優勝は横綱を倒さなければいけないのだろうか。そうならば、幕内だの十両だの区分けする必要性はなくなる。全く矛盾に満ちている。そもそも相撲は取組といって、試合と言わない。これは習慣かもしれないが、やはりスポーツならば試合というべきだろう。

大相撲は巡業やトーナメント戦を積極的に行って、相撲の普及活動に力をそそいでいる。しかしである。これらの取組はいつも怪我しないように、手抜きで行っている。これも信じられない。高い入場料を取って取組を行っているのだから、どんなときでも真剣に行うべきではないだろうか。つまり、これらは所詮「顔見せ」でしかなく興行なのである。

また、大相撲は入場者数を発表していない。今日どんなスポーツでも入場者数を発表している。それなのに、8割ぐらいしかお客が入っていないのに、満員御礼という垂れ幕を下ろしたりする。税務署は何をしているのだろうか。こんな税金にルーズなスポーツが他にあるだろうか。

だから、私は大相撲をスポーツと呼ぶことはできない。ただ、大相撲は日本の伝統文化であり、歌舞伎などと同様に世界に誇れるものである。それなのに、リンチで力士を死亡させるとは憤懣極まりない。これはスポーツと興行を混同している証なのかもしれない。

火曜日, 9月 25, 2007

ゾンビのような人たちと斜陽な人たち

先日の参議院選挙まで冷や飯を食っていた人たちが生き返った。まるでゾンビのようだ。そして、栄華をほしいままにしていた人は斜陽な人になった。

ゾンビのような人とは幹事長になった伊吹文明(伊吹派)、政調会長になった谷垣禎一(谷垣派)、総務会長になった二階俊博(二階派)、そして党四役に格上げされた選挙対策委員長になった古賀誠(古賀派)の4人の派閥の領袖たちである。彼らはいずれも自民党総裁選でいち早く福田康夫支持を表明した人たちである。

斜陽な人の筆頭は中川秀直だろう。小泉、安倍政権の裏の根回しをしていたのはこの男である。また、中川昭一、石原伸晃、鳩山邦夫といった自民党内タカ派も今度の政権下では完全に冷や飯をくらうであろう。

しかしである。本当に冷や飯どころかまずい飯を食ってもらいたいのは安倍晋三である。

安倍は首相を辞任して一議員として頑張るなんて脳天気なことを言っているが、そんなことは勘弁だから、さっさと議員辞職してくれ。そうでないと自民党選対本部も選挙区の有権者も困るのである。自民党は安倍という貧乏神を抱えていたら、選挙は戦えない。また安倍が次の選挙で立候補したら、山口4区の有権者は安倍に投票するのだろうか。それは常識的にはありえない話である。国政を2週間も停滞させ、国費を数十億も無駄にした男を選挙民は投票できるのだろうか。もし、それでも当選なんてことになったら、山口県は永遠の笑い者である。

政治家は世襲でも家業でもないのだ。

月曜日, 9月 24, 2007

ウルトラの世界は人間愛と宇宙愛の芸術なり


先日青森県立美術館で知った『怪獣と美術 ー成田亨の造型芸術とその後の怪獣美術ー』(三鷹市美術ギャラリーで10月21日まで開催中)に行ってきました。

成田亨は『ウルトラQ』『ウルトラマン』『ウルトラセブン』といった初期のウルトラシリーズの特撮美術総監督として、怪獣・宇宙人・メカニックなどのデザインを行い、特撮の世界では神様とまで言われた人である。

三鷹駅前にある会場には休日ということもあってか大勢の来場者。お父さんの手をひきつれてくる子供、美術を勉強していそうな学生カップル、いかにも業界の人々などなど、老若男女が本当にいっぱいなのである。怪獣人気衰えずという感じである。

会場に入ると、まず最初に青森県立美術館などが収蔵している怪獣たちのデザイン画が並ぶ。カネゴン、ガラモン、バルタン星人、ジャミラ、メトロン星人などなど。子供たちが怪獣たちの名前を上げながら、食い入るように見つめている。40年前の絵がまだまだ燦然と輝いていて、子供たちには眩しいのである。その子供たちのためか、展示位置が普通の美術展より10センチか20センチぐらい低くしてある。

成田亨は1929年に神戸市に生まれ、すぐに青森市に移住する。青森高校卒業後、武蔵野美術学校(現在の武蔵野美術大学)で絵画と彫刻を学んだ。その在学中に映画『ゴジラ』スタッフとして関わったことをきっかけに映画美術の世界に入り、その後は東映撮影所で特撮美術監督となる。そのときに彼は『ナショナル・キッド』を手がけている。『ナショナル・キッド』には地底人や海底人が登場していて、それがウルトラマンに登場した宇宙人に似ていたような気がする。今思えばナショナル・キッドそのものもウルトラマンに似ていなくもない。

東映撮影所を辞めたあと、成田は円谷プロに入社する。そこで前述のウルトラシリーズで手腕を振るった。そして、その後は数多くの映画の特撮美術監督、彫刻家として活躍して、2002年に72歳で他界した。

美術展を見て率直な感想は、成田さんは芸術家だなと思った。それも彫刻の分野では大家に匹敵する力をもっていたと思う。彼が描く怪獣のデザイン画はすべて立体的に描かれている。展示されている彫刻やオブジェなどは鋭敏な感性で作られている。彼は「怪獣=鬼」と考えていたようで、その鬼気迫る個性は現代アートのなかでも突出しているのではないだろうか。

一方、彼が若いころに描いた油絵は意外に凡庸だ。こうした油絵には残念なことに立体感が乏しく、デザイン画のようなこれから生誕するんだという勢いが感じられない。ところが、晩年の2000年にアクリルに描いた2枚のカネゴンの絵は素晴らしい(1枚は下記のアドレスのページに載っている)。この2枚には彼が「人間愛とは何か、宇宙愛とは何か」を問いかけているようなメッセージが込められている。

追記:11月3日から12月24日までは足利市立美術館で行われます。

三鷹市美術ギャラリー
http://mitaka.jpn.org/calender/gallery/

土曜日, 9月 22, 2007

タケノコが名産品だった碑文谷


碑文谷八幡宮のお祭りもあったので、ちょっと私が住んでいる目黒区碑文谷の歴史を調べてみた。意外や意外、この碑文谷という土地の歴史はまだまだ解らないことが多く結構面白い。

碑文谷という地名の由来は諸説あるが、碑文谷八幡宮に碑文の書かれた「碑文石」があり、「碑文石のある里(谷)」にちなんで碑文谷という地名が生まれたというのが、もっとも有力とされている。

碑文谷という地名がいつから使われはじめたかは定かではない。碑文谷八幡宮の創建は鎌倉時代とも室町時代とも伝えられるだけで、正確な記録はない。ただ、江戸時代の文献には碑文谷という地名は記されていて、農家が散在していたという。

1868年(明治元年)、明治新政府武蔵県事令で、碑文谷村は現在の目黒区の区域内に入る三田村、上目黒村、中目黒村、下目黒村、衾(ふすま)村と共には武蔵県に属するとされた。しかし、翌年の1869年(明治2年)には三田村は東京府に、その他の5村は品川県に属することになり、碑文谷村も品川県に帰属することになった。ところが、明治4年の廃藩置県によって品川県は廃止され、東京府荏原郡に編入された。

明治に入ってから碑文谷村および衾村ではタケノコ栽培が活発になり、大正時代にその最盛期を迎えたという。「目黒のタケノコ」は太く、柔らかく、おいしいと言われ、名産品となった。多くの人が目黒のタケノコは自然栽培のように思っているが、農家が手間ひまをかけて作った重要な農産物だった。私が子供の頃にはあちこちに竹林が広がっていたが、今は「すずめのお宿公園」にその面影を残しているだけとなってしまった。

1889年(明治22年)、東京は市制施行となり、荏原郡三田村、上目黒村、中目黒村、下目黒村は目黒村に、碑文谷村と衾村は碑衾村になった。ここで現在の目黒区の大まかな骨格ができあがったといってもいいだろう。その後、荏原郡目黒村は荏原郡目黒町になり、荏原郡碑衾村は荏原郡碑衾町になり、1932年(昭和7年)目黒町と碑衾町が合併して東京市目黒区となった。

ただ、この目黒区になる前に碑衾町は「朝日町」と改称する予定があったという。これは「碑衾(ひぶすま)」という名の読み間違えや書き間違えがあまりに多いため、公募の結果で決定したようだ。ところが、目黒村との合併話と共に立ち消えとなった。今となってはなんと良かったことか。目黒区朝日町なんて味も素っ気もない名前を使うことがなくて、非常に嬉しい限りだ。ちなみに、先日書いたお祭りの碑文谷八幡は旧碑文谷村の鎮守様で、旧衾村の鎮守様は宮前にある氷川神社になる。

碑衾町地図の説明:
東横線学芸大学駅は「碑文谷」、都立大学駅は「柿の木坂」だった。
碑衾町役場は現在の碑文谷警察署から少しダイエー寄りあったと思われます。
碑文谷地区と衾地区の境を現在は環状7号線が走っています。

金曜日, 9月 21, 2007

プレヴィン&N響が奏でるラフマニノフの世界

昨日(20日)、サントリーホールでのNHK交響楽団第1600回定期公演を聴いてきました。指揮はアンドレ・プレヴィン。笙は宮田まゆみ。N響の定期公演も今回で第1600回。凄い数字です。ちなみに、第1回定期公演は1927年(昭和2年)2月20日に予約演奏会として開かれたそうです。

演目
武満徹/セレモニアル——An Autumn Ode(1992)
コープランド/バレエ組曲「アパラチアの春」
  〜休 憩〜
ラフマニノフ/交響曲第2番ホ短調

1曲目。プレヴィンがなぜ武満徹を選んだのかよく解らない。宮田まゆみの笙の音色は澄んでいていて綺麗だが、プレヴィンは難解な武満の音楽を戸惑いながら指揮しているようにしか見えなかった。

2曲目のコープランドはアメリカ音楽に親しみのある私には非常に楽しめた。プレヴィンがこのバレエ音楽をどう料理するのかを、私は密かに期待していたが、彼は得意な映画音楽風に演奏する。目を閉じて聴いていると、私の脳裏には西部の大平原、映画『駅馬車』の撮影で有名になったモニュメント・バレーの風景が浮かぶではありませんか。う〜ん、プレヴィンの術中にはまってしまったような気になりながらも、悠々と流れていく音色に浸っていました。

そして、本日のメインエベントのラフマニノフの交響曲第2番。

まずは結論。この演奏をなんでNHKホールでやらなかったのだろうか! 私はアシュケナージがラフマニノフのピアノ協奏曲の最大の理解者と思っているが、この交響曲第2番に関してはプレヴィンが最大の理解者であろう。ただ、78歳のプレヴィンは渾身の力をふりしぼって自分の十八番を指揮したが、おそらくもう二度とこの曲を日本で振ることはないだろう。

なのに、観客の多くはもう60歳を軽く過ぎようとしている高齢者ばかりで、若い人はほとんどいなかった。NHKホールでやっていれば、10代、 20代に聴くチャンスはあっただろう。ラフマニノフのメロディの優雅さと甘美さ、そしてそれを的確に指揮するプレヴィンの指揮ぶりを若い世代に聴かせたかった。プレヴィンがどれだけラフマニノフを愛して、そして次世代に伝えたかったかを感じた演奏だった。

第1楽章。ゆったりとした悲しみを帯びたメロディ。それに加えてイングリッシュホルン(和久井仁)の悲しい音色。ただ、時間の流れと共にメロディが徐々に悲しみが薄らぎ、喜びに代わっていく。長い長い序奏であるが、プレヴィインはオケに指揮棒をもつ右手、そして柔らかい手首の動きをする左手で指示を次々とオケにしていく。それに応えるべくN響のメンバーも繊細にそして懇切丁寧に音を奏でていく。う〜ん、痺れます。

第2楽章。冒頭にホルンが軽やかなスケルツォのメロディをサントリーホールにこだまさせる。第1楽章とは打って変わってきらびやかなラフマニノフの世界の始まりである。楽章の途中では何度か静寂になったりするが、そのたびにホルンの高らかな音色が響きわたり、まるで立ち上がれかというように鼓舞する。そして、その後にはヴァイオリンの美しいメロディが広がっていく。う〜ん、たまりません。

第3楽章。この曲最大のハイライトはいきなりやってくる。「のだめ」で何度も使われた、あのスラヴ調の優雅にして甘美なメロディがビオラ、チェロ、そしてヴァイオリンから流れてくる。そして、横川晴児が吹くクラリネットがロマンチックな世界へ誘う。胸が高鳴り、足が震えてくる。そして、涙腺も弛んでくる。いつの間にか身を乗り出して聴いている。クラシック音楽を好きになって良かったなと思う瞬間である。恍惚の世界に浸っているかのような気さえする。このメロディ、この音色、この世界、いろんな人に聴いてほしい、感じとってほしい。いつまでもこの時間が流れていてほしい。う〜ん、凄い、凄い、凄いです。

第4楽章。冒頭から勇ましいメロディが奏でられる。プレヴィンの手は水を得た魚のように右に左に動き、オケを明るいラフマニノフの世界へ導いていく。それに呼応するかのように、N響のメンバーたちもワクワク感を自分たちで感じながら楽しそうに演奏している。プレヴィンとN響は完全に一体化して音を奏でている。ラフマニノフを楽しんでている。ラフマニノフを自分たちのものしている。う〜ん、羨ましいです。

終演後、第2ヴァイオリンの女性が代表して、プレヴィンに赤い花束を送った。それを受け取るときの顔は厳しいマエストロの顔ではなく穏やかおじいさんの顔だった。

この日の演奏会の模様は10月12日(金)午前10時からのBS2「N響演奏会」で放送予定になっている。ぜひとも録画して、ラフマニノフだけでも聴いてもらいたい。

火曜日, 9月 18, 2007

自民党に明日はない

小泉純一郎は「自民党をぶっ壊す!」と言って、5年間総理大臣の座にいた。だが、結局彼は自民党および自民党政治を壊すことなく、「郵政民営化」というひとつだけの改革のために、「刺客」という手段を使って国民の政治認識を誤った方向に煽動して、国民の政治認識を麻痺させた。

小泉在任中の5年間に、外交では靖国参拝によってアジア外交のリーダーシップの座を完全に中国に奪われた。国内では竹中平蔵に丸投げした経済政策によって勝ち組負け組などの格差を生み、自分が得意分野であるはずの年金制度や医療制度などの厚生問題には全くメスを入れず5年間放置し続けた。このように小泉は問題を山積にしたまま、勝手に退任した無責任な総理大臣であった。

そのあとを「小泉改革」を継承すると言った安倍晋三は、小泉が残した問題を解決する能力は全くなく、加えて自分の任命能力および監督能力の無さで、ご存じのように政権を放り投げた。そして、現在は次期総理の候補として福田康夫と麻生太郎が立候補している。さて、この二人に総理大臣になる資格があるのだろうか。その答えは明確にノーである。

福田康夫は小泉純一郎、安倍晋三と無責任な二人と同じ町村派(小泉は今は無派閥)であり、ましてや小泉政権の官房長官を務めた人であり、前回の総裁選では安倍を支持した人である。つまり、安倍の政権能力を見誤った人なのである。こんな人に総理大臣になってもらいたくない。一方の麻生太郎にしても同じである。麻生は1年前の総裁選では安倍と競って負けたが、その後は安倍政権の要職にいて安倍を支えた身である。安倍が辞任したのであるから、当然ながら一緒に辞任するのが筋であろう。

自民党総裁選に出る資格のある人は限られないだろうか。前回の総裁選で「安倍」と書かなかった人、そして安倍政権から身を遠ざかっていた人しか資格はないはずだ。となると、谷垣禎一、古賀誠、山崎拓の3人ぐらいしかいない。ところが、この3人はいち早く談合で福田支持を決めた。もう救いようのない人たちである。

田中真紀子は「変人・小泉純一郎」を総裁にした。しかし、現在の小池百合子には舛添要一を総理大臣にする力量はない。自民党はもはや人材不足の政党になってしまった。自民党に明日はない。

月曜日, 9月 17, 2007

ふたつのお祭り(碑文谷八幡宮の秋祭り編)


碑文谷八幡宮の秋祭りは正式には「秋季例大祭」と呼びます。このお祭りは毎年雨に祟れますが、今年はお祭りの期間である15日、16日は両日とも晴天で、こちらも「目黒のさんま祭」同様にもの凄い人出でした。

碑文谷八幡宮は旧碑文谷村の鎮守様で、その氏子の地域は現在の碑文谷、鷹番、目黒本町、原町、南、洗足、中央町の一部にあたり、区立中学も目黒六中、七中、八中、九中と4つあります。

子供の頃の祭りというと、神輿を担いでお菓子をもらったり、フロ券をもらったりした思い出がありますが、中学生の頃は夜のお祭りに出かけては、隣の中学校の可愛い子を追っかけたりと、戯いもないことをした記憶があります。

それにしても、昨年に続いてお祭りに行ってみてびっくりしたのが、その規模がまた大きくなっていることです。昔は地元だけのお祭りだったのですが、最近は神輿の担ぎ手に助っ人を呼ばざるをえなくなったりしているので、外から来る人も多くなりました。地元住民としては嬉しいような寂しいようなちょっと複雑な心境です。

日曜日, 9月 16, 2007

ふたつのお祭り(目黒のさんま祭編)


今日はふたつのお祭りに行ってきました。一つは先日の日記でも書いた目黒区側で行われた「目黒のさんま祭」。もう一つは地元の碑文谷八幡宮の秋祭り。どちらの祭りも晴天に恵まれたこともあってか、もうすごい人出でした。まあ、私のようなミーハーが掛け持ちするのですから、人出が多くのなるのも当たり前ですが・・・。

「目黒のさんま祭」は正式には目黒区民まつりで、今年で31回目になります。ただ、サンマをメインにした「目黒のさんま祭」にしてはからは今年で12回目。会場は田道(でんどう)広場公園および目黒区民センター一帯でかなりの広さです。

無料で配られるサンマは約5000匹。その会場で配られる「さんま引換券」を求めて、目黒川沿いには長蛇の列。その数は私が訪れた10時半頃にはすでに3000人以上になっていたとか。100円で食べられるすり身汁でもその列は100メートル以上にもなっていて、「え、目黒区にこんなに人がいたの?」と思うぐらいです。

会場には日本各地の名産品が出されるふるさと物産展、世界各国の物産販売および模擬店、これ以外にもスタンプラリー、和太鼓、落語などイベントが盛りだくさん。

私はまず一通り見て回ってから、ドイツビール片手にタイのグリーンカレーをいただきましたが、これが実にうまかった。また、帰り際に大分県産のしいたけとカボス、長野県産のじゃがいもなどの野菜を購入しました。結局、サンマは匂いだけのさんま祭りとなりましたが、あまりの人出の多さと暑さに、1時間半ほど見物して退散してきました。(笑)

木曜日, 9月 13, 2007

安倍首相は議員辞職するべし

安倍晋三総理大臣が辞意を表明した。

安倍首相は7月29日の参議院選挙開票時から今日まで、顔はずっとウツロで健康状態はとても正常とは思えなかった。特にテロ特措法延長の話が本格的に持ち上がった以降は、完全に精神的にまいっている様子だった。このことは誰の目にも明らかであっただろう。8月下旬からは風邪も引いていたという。

そんな健康状態だったのにもかかわらず、内閣改造を行い、APEC閣僚会議などの外遊を行い、先日は所信表明演説まで行った。そして、「さあ、質疑応答だ」という日に国会を中止させて、首相官邸で辞意表明の記者会見を行った。なんと無責任極まりない。とても一国の長の行動とは思えない。昨日の辞意表明の記者会見にしても、答弁は的をえないものばかりで、責任を党首会談になすりつけていたりした。これまた首を捻ざるをえない。

安倍首相がいずれ辞めることは、自民党内ではある程度規定路線になっていたという。そして、次は麻生太郎幹事長というのも規定路線になっていたという。しかし、突然の辞任で麻生では総選挙に勝てないという声があり、小泉再登板もあるという。これも無責任極まりない。安倍政権樹立の立役者は小泉前首相である。1年前の自民党総裁選では彼は安倍支持を鮮明にしていた。であるから、今回の安倍辞職には小泉前首相にも任命責任がある。その小泉を再度担ぎ出そうとしている自民党は全く不条理かつ無節操な政党である。

さて、安倍晋三は議員を辞職するべきである。その理由は第一に狭心症の疑いがある病人であるからである。第二に無駄な国費を歳出したからである。第一の理由は誰でもわかることだが、第二の理由は参議院選挙後の無駄になった国費の責任をとるべきである。内閣改造による無駄な閣僚の増産、信用を失った外遊などおそらく10数億円以上の国費を浪費した責任は重い。それゆえに、安倍晋三はその責任をとって議員も辞職するべきである。

首相は激務である。戦後、在任中に亡くなった首相は二人いる。大平正芳は衆参同日選挙の初日に心臓発作を起こして1週間後に死去。小渕恵三はドコモ株疑惑を追及されて、脳梗塞になって1ヶ月後に死去した。安倍晋三は二人のようにならなかっただけ幸いである。しかし、首相という座を放棄したのであるから、潔く議員辞職して政治家から身をひいて、自分の健康に留意するべきである。

安倍晋三さん、議員辞職しましょう。

水曜日, 9月 12, 2007

昨日は夏目雅子の命日


9月11日というと、誰もが2001年の同時多発テロのことを思い浮かべるだろう。しかし、私は22年前の1985年のこの日のことを忘れることはないだろう。

22年前のこの日、夏目雅子は亡くなった。享年27歳だった。

この日、私は下北沢にある本多劇場の事務所に打ち合わせに行っていた。そして、打ち合わせが終わった帰り際に、事務所に届いていた夕刊を勝手に広げたら「夏目雅子、死去」と書かれていた。それを見たとき、私の身体は震えざるをえなかった。そして「ウソだろう〜」と胸の中で叫んだ。

1980年に私は夏目雅子と遭遇したことがある。

その日、朝から仕事で横浜に行っていた私は、池袋にあった会社に帰社するために横浜駅で東横線に乗った。すると、目の前に白い帽子を深く被っている綺麗な女性が座っていた。私はすぐに気がついた、夏目雅子だと。

私の胸はいきなりハイテンションになった。初恋の人に再会したとき以上にドキドキした。彼女はそれから渋谷駅までずっと台本のようなものを読み続けた。私は車窓の景色を眺めたり、週刊誌を見たり、車内広告を見たりといったフリをして、ずっと彼女を見続けていた。今思えばあんな至福の時間はなかった。

そして、その年の12月に彼女の転機となるテレビドラマ『ザ・商社』(和田勉演出)がNHKで放送された。

夏目雅子、永遠に忘れることのない女優さんである。

火曜日, 9月 11, 2007

青森の一八寿司はおすすめです


旅先で寿司屋に入るというのは度胸がいる。これまでに数多くの土地で寿司屋に立寄ったが、正直、ここは絶対おすすめという店はなかった。もちろん寿司屋を訪ねる前には、宿泊先の従業員やタクシー運転手などに聞いて、最低限の情報収集をするが、それでも当たりというお店はなかなかない。

今回、宿泊先で紹介されたお店は二つ。一つは青森県庁前にあり、もう一つは駅前から伸びる新町通り一歩裏の通りにある。共に歩いていける至近距離にある。どっちに行くか迷ったが、後者の方を選んだ。

お店は写真を見ても分かるように、最近店舗を改装したようで、道を挟んだ反対側には別館もあり、地元でも人気の店のようだ。

本館の店内は8席ほどのゆったりしたカウンター、テーブルが4つ、2階にはお座敷があるようだ。私が訪れたのは夕方の6時半過ぎだったが、店内は地元の商店主やサラリーマンでほぼ満席状態だったが、私は幸運にもカウンター席の左端に座ることができた。

まずは生ビールを注文する。普段はアサヒの生を飲む私だが、この日は津軽塗りで出来たカウンターの前に並ぶネタを見て、サントリー・モルツの生を注文する。そして、このお店の親父さんらしき人に「ニギリますか、ツマミますか」と言われたので、刺し身を適当にお願いしますと答えた。

すると、出てきます、出てきます。ホタテ、イカ、赤身、サーモン、ヒラメ、ボタン海老などがあっという間に目の前に整然と並んだ。まずは当然ながら青森なのでホタテを食します。一言、旨いです。文句のつけようがありません。次にイカを食べます。美味しいです。言葉になりません。ここで一杯目のビールがなくなったので、二杯目をお代りする。

青森に来たら、必ずホタテやイカは食します。大抵は駅前にある「食事処おさない」で定食やラーメンを頼みます。ここは良心的な値段で地元の人や出張サラリーマンで賑わっています。ここのホタテやイカも文句のつけどころがありませんが、一八寿司のホタテやイカは非の打ち所がありません。親父さんに「青森のホタテとイカは日本一旨いですね」と言うと、「みなさん、そうおっしゃいますね」とちょっと素っ気ない。こっちも挨拶代わりのセリフなのだから、仕方がないだろう。

サーモンやボタン海老を食しているうちに二杯目のビールもなくなった。やはり、ここは地元の酒を飲むべきだろうと思うと、壁には地元の酒の札が掛かっている。「辛いのにしますか、あっさりしたのにしますか」と若い板前さんに聞かれたので「あっさりをお願いします」と答えると、彼は七戸町の特別純米酒「作田」というお酒を勧めてくれた。これが本当にあっさりしている。アルコールなのに渓流の水のような爽快感がある。これでは、ぐいぐい飲んでしまいそうだ。ガラス製の徳利も一合以上入るようなしっかりしたものだ。酒が旨い。

「いい飲みっぷりですね」親父さんが褒めてくれた。「本当に旨いのですから、飲みっぷりも良くなりますよ」と返した。すると、親父さんは北寄貝のキモを出してくれた。こうなると、酒が益々すすんでていってしまう。そして、私はホヤをお願いした。すると、今度は見事なみかん色のホヤが出てきた。う〜ん、見た目だけでちょっと唸ってしまったが、その味はもっと唸りたくなるような渋味と甘味が調和されたものだった。こうなると、日本酒もお代わりをせざるを得なくなってしまった。

これ以降のことはよく覚えていない。もちろん、握りも食べたが、何を頼んだかよく覚えていない。かといって、酔っ払っていたわけではない。私は刺し身や寿司を肴に、親父さんとの会話を楽しんでいたのである。全国津々浦々、美味しい寿司屋さんはいっぱいある。しかし、その味も板さんの腕と会話次第だと思っている。寿司屋の醍醐味は板さんと丁々発止しながら、新鮮な味覚と会話を楽しむところにある。

最後に気になるお値段。約2時間いたがこれで8000円を下回っている。東京では到底考えられない値段だが、青森でも価値ある価格であろう。ランチの握りもある。

一八寿司(いっぱちずし)
青森市新町1-10-11・TEL 017-722-2639

月曜日, 9月 10, 2007

日本人があまり行かない観光地 デュランゴ


コロラド州南西部、ロッキー山脈のなかにあるサンファン山系の山々に囲まれた町、デュランゴ。人口約1万5千人余の小さな町は、毎年夏になると観光客で賑わっている。なぜかといえば、ここにはアメリカで
もっと有名なSL(蒸気機関車)デュランゴ・シルバートン狭軌鉄道Narrow Gauge Durango & Silverton Trainが走っているからだ。

アメリカには日本のように「鉄ちゃん」「鉄子」といった鉄道マニアはほとんどいないが、それでもやはりSLだけは例外のようで、5月から10月の運行期間中、特に6月から8月のサマー・シーズンには全米各地からドドドッと観光客が訪れてくる。もともとこの鉄道は鉱石などを運ぶための鉄道だったが、車窓からの景色がいいということで、観光鉄道に生まれ変わった。また、西部劇の映画の撮影にもよく使われている。

SLはサンファン山脈の景色を堪能しながら、デュランゴとシルバートンの山間(約45マイル)を、片道3時間かけてゆっくり走る。途中渓谷を走ったり、車窓からいくつもの廃坑となった探鉱跡などを見ることができる。鉄道マニアならば往復6時間の旅を楽しむのだが、ほとんどの乗客は片道だけ鉄道に乗り、帰りはバスでもどってくる。こちらは1時間15分とめちゃ早い。

デュランゴシルバートン狭軌鉄道
http://www.durangotrain.com/

金曜日, 9月 07, 2007

わだば、ゴッホになる


棟方志功記念館は棟方志功の文化勲章受章を記念して、彼の業績を後世に伝えるため1975年11月に建てられた。残念ながら棟方はそのオープンの2ヶ月前に他界している。建物は校倉造り風の鉄筋コンクリート二階建で、前庭には池泉回遊式の日本庭園があり、落ち着いた佇まいである。

記念館に入ると最初に出迎えてくれるのが、高田博厚の手による棟方志功の銅像。棟方と高田は共に鎌倉に住んでいたこともあり、旧知の仲だったようだ。彫刻家でもある棟方を高田は非常に精悍な姿で描いている。我々がよく映像などで見る人懐っこい姿とは違い、この銅像を見ると、展示室には「真面目に見てくれよ」と言われているようだった。

記念館の展示室は2室しかなく、展示点数も数十作品とかなり少ない。この展示規模は、「あまり数多くの作品を展示して、観覧する人々が疲れたり、作品の印象が薄くなったりするよりは、やや少なめの作品数でも一点一点をじっくり見て欲しい」という棟方本人の希望によるものだそうだ。



展示品は板画(棟方は版画と言わない)以外にも、倭画[やまとが](棟方は肉筆画(水彩・墨彩・顔彩など)のことをこう呼ぶ)、初期の油絵、書、陶器などいろんなジャンルに渡る。ただ、棟方には悪いが、展示品の数はやはり少なく、私には少々消化不良だった。私は彼の肉筆画が好きなのでもっと収蔵されているはずの作品を見たかったというのが本音である。記念館では年4回の展示替えを行い、棟方の業績を紹介するようしているというが、遠方からでは簡単に訪れることはできないので、やはり残念でならない。

棟方志功は明治36年に青森市生まれ。彼はゴッホのヒマワリを見て「わだば、日本のゴッホになる」と画家を志して21歳で上京する。彼の油絵は帝展などに入選はするもののあまり認められなかった。しかし、彼が創る版画は昭和13年に帝展に特選に入選する。そして、戦後まず海外で認められ、その後国内にもその素晴らしさが知れわたるようになった。詩人の草野心平は「ゴッホにはならずに。世界の。Munakataになった。」と記している。

記念館ではロビーで棟方を描いたドキュメンタリー映画『彫る 棟方志功の世界』(1975年毎日映画社製作 カラー38分)が随時放映されている。非常に興味深い映画なのでできれば全編見るといいだろう。

棟方志功記念館
http://www.lantecweb.net/shikokan/

木曜日, 9月 06, 2007

青森県立美術館はもう一度訪れたい


昨年、仕事で青森に3回ほど行ったが、行った場所といえば仕事先と温泉だけであった。で、今回はまったくのプライベートな旅なので、温泉だけではなく市内にある美術館巡りをすることを楽しみにしていた。なかでも、最大のお目当ては青森県立美術館だった。

青森県立美術館は2006年7月13日にオープン。三内丸山遺跡の隣に位置していて、市内の南西の外れにある。またすぐそばには陸上自衛隊青森駐屯地もあるせいか、私が訪れたときは隊員たちがメタボリック防止のためか、美術館の周辺をジョギングをする姿が目立った。

美術館は写真にあるように、白い平坦な作りなのだが、その構造はかなりユニークだ。建物の入口は1階にあるものの、美術館の入口はエレベーターで地下2階まで降りて、そこにチケットカウンター(入場料500円)がある。そして、美術館に入るとすぐに目の前に、ここの最大の売り物である、シャガールの舞台背景画3枚が掛けられたアレコホールがある。

アレコホールにはシャガールが1942年にニューヨークで手がけたバレエ『アレコ』の背景画全4点のうちの3点で掛けられている。1点の大きさは縦が約9メートル、横が約15メートルもあり、大きな空間をうまく利用したその迫力と色彩に圧倒される。私も数多くの舞台を見てきたが、これほど素晴らしく迫力の背景画を見たことがない。そして、舞台美術をこのように芸術として展示している美術館を嬉しく思った。

美術館はアレコホールのAから、Qまでの部屋に分かれていて、それぞれが独立したものを展示している。展示作品は主に棟方志功、奈良美智、寺山修司、阿部合成など青森県にゆかりのある芸術家の作品を紹介している。そのなかで、私をもっとも引きつけたのは成田亨と澤田教一の展示だった。

成田亨は1929年神戸市生まれだが、生後すぐに青森市へ移住して、青森中学校(現県立青森高校)を卒業後、武蔵野美術学校(現武蔵野美術大学)に入学。卒業後の54年に映画『ゴジラ』制作に参加したのをきっかけに、映画美術、特撮美術の仕事を始める。そして、彼がもっとも活躍したのはテレビでのウルトラシリーズだった。展示室には『ウルトラQ』『ウルトラマン』『ウルトラセブン』に登場した怪獣たちのデッサン数十点が飾られている。

ベトナム戦争の報道写真で有名になった澤田教一は1936年青森市生まれ。54年に青森高校を卒業。米軍三沢基地内の写真店勤務を経て、61年にUPI(United Press International)通信社東京支局に入社する。そして、65年から70年までの5年間、ベトナムやカンボジアなどで戦場カメラマンとしてインドシナ半島の現況をカメラを通じて全世界に伝えた。今回の展示にはピュリッツァー賞を受賞した有名な写真《安全への逃避》や《泥まみれの死》などの他に、遺族から借用したヘルメットやカメラなどの遺品も展示されていた。

青森県立美術館はオープン30日で入場者数が5万人を突破。また今年の5月までの約10ヶ月間で25万人の総入場者数を記録するなど、過疎地の美術館としては人気の美術館となった。今回、私が美術館にいた時間は2時間余だったが、それだけでは到底展示品を堪能することはできなかった。青森県立美術館にはもう一度訪れようと思っている。

青森県立美術館
http://www.aomori-museum.jp/ja/

水曜日, 9月 05, 2007

青森に買い出しに行ってきました


行きつけの飲み屋に送った品物
・本マグロの中トロ1片
・すじこ約1キログラム
・十三湖のしじみ約1.5キログラム
・生うに2皿

行きつけの寿司屋に送った品物
・ほたて20枚
・ホヤ1皿
・すじこ約500グラム


自宅に持ち帰った品物
・日本酒(佞武多)760ml2本
・十三湖のしじみ約500グラム
・すじこ約500グラム
・青森産にんにく(大)10ヶ
・黒石牛すき焼き用500グラム

自宅に送った品物
・りんご10個

http://www.auga.co.jp/com/guide/floor_guide_bf.html
すじこは内山商店
ほたてとマグロは中畑商店
しじみ、うに、ホヤなどは野呂商店
黒石牛は肉のナリタ


というわけで、青森の温泉や美術館巡りをしてきました。(笑)
このへんの話は今度書きます。今晩はとりあえず行きつけの飲み屋です。

金曜日, 8月 31, 2007

ホームページ改造終了

ブログやMixiをやり始めて、そろそろ1年近くになる。その間に書いた日記は何本になるかわからないが、それを少し整理してホームページを改造してみた。

これまでは「ぶらり温泉ひとり泊」「オークランド・アスレチックス ファンページ」「東京第一検察審査会」「勝手きままにコラム」の4本立て構成だったが、今回はそれに「碑文谷&鷹番・東横線沿線(地元話)」「クラシック音楽鑑賞記録」の2本を付け加えた。

「碑文谷&鷹番・東横線沿線(地元話)」はブログのページと直接リンクさせている。このことによって、写真掲載などもそのままになるので、視覚的にも楽しめる。一方、「クラシック音楽鑑賞記録」はMixiに書いた原稿を少し加筆訂正して、記録として保存していきたいと考えている。いずれ可能な限りの写真もつけ加えたい。

今回1年ぶりにホームページの大改造を行ったが、しばらくレイアウトをやっていなかったので、最近は深夜遅くまで時間をかなり費やしてしまった。ブログやMixiは書き流しでOKだがホー厶ページはそうはいかない。全く面倒である。でもよくもまあ、こんな面倒なことを10年もやっているかと思うと我ながらつくづく関心する。

http://www.macnet.or.jp/co/ok21/

木曜日, 8月 30, 2007

惨めな世界陸上 ぶざまなTBS

大阪で開かれている世界陸上が惨めでならない。メダルが期待されていた男子ハンマー投げの室伏広治は6位、男子400メートル障害の為末大、女子走り幅跳びの池田久美子らはいずれも予選落ち。男子200メートルの末続慎吾も準決勝にすら進めなかった。地元開催という地の利を全くいかしきれていない。

ただ惨めなのはこうした選手の成績だけではなく、あまりの観客動員の少なさも同様である。真夏にやる大会だから、観客数がある程度は減るのは仕方がないが、あまりにも空席が目立つ。その最大の理由はおそらくチケット代が高いからであろう。いくら夕方からの少しは涼しくなる時間帯といっても、チケットを4000円から17000円も払って見にいくであろうか。世界最高峰の大会といえども、8月という時期とシブチンの土地柄を考えれば、この値段では集客は難しい。加えて、日本選手団の不振である。これでは主催者側は赤字になるのではないだろうか。

こうした大会運営の惨めさに輪をかけてぶざまなのがTBSだ。TBSはこの大会のオフィシャルIAAFブロードキャスターとして、国内の独占放映権を得ているばかりでなく、海外放送の製作も行っている。しかし、先日中継スタッフが食中毒になって、大阪市保健所によると中継に携わっていた男女計57 人が発症して、このうち症状が重かった13人が入院したという。

まあ、このことはTBSだけの責任ではなく、仕出し業者が悪いのだからまだいいが、放送内容はから騒ぎバカ騒ぎのオンパレードでお寒い限りだ。ハイテンションで何を言っているのかわからない織田裕二。あとは訳のわからない、的を得たことを話せないレポーターという名のおねえちゃんがキャバクラまがいで勢ぞろい。こんなにスポーツの醍醐味を伝えられない番組を見たことがない。正直ぶざまである。

いずれにしろ、日本選手の成績が振るわない要因のひとつは、TBSに大会前に宣伝のために振り回されたことにあるのは言うまでもない。選手たちに鎧甲まで着せてポスターを撮ったり、いろいろな番組やイベントに出演させたりして、選手たちは明らかに体調管理を妨げられたに違いない。

大会はまだ続いているが、世界陸上を惨めなもにした責任は主催者とTBSにあることは誰の目には明らかであろう。

水曜日, 8月 29, 2007

朝青龍より高砂親方の方が

客A「朝青龍を処分するんだったら、なんで親方を処分しないのですかねぇ」
客B「処分はされたよ。たしか減給にされたはず」
客C「甘いですよ、減給なんか。理事・広報部長を降格すべきだね」
客A「それも甘いですよ、高砂部屋なんて廃止にすればいいんですよ」
客D「そんなことしたら、朝青龍はどうすんの」
客B「モンゴルに帰ればいい」
店主「それじゃ、相撲協会の思うツボですね」
客A「朝青龍は千代の富士のいる九重部屋に行儀見習いに行く」
客B「いいねぇ。あそこは恐いぞ」
客C「私ならモンゴルに帰るね」
客D「で、高砂親方はどうすんの」
客A「近大相撲部の監督になる」
客D「それじゃ、近大相撲部が可哀想だ」
客B「相撲協会の広報部長だけをやればいい」
客A「どうして」
客B「高砂や〜♪、この浦舟に帆を上げて〜♪」
客C「歌えるあんたはスゴイ」

こうして、飲み屋の会話はとりとめもなく続いていきます。

月曜日, 8月 27, 2007

秋の味覚、サンマをいっぱい食べよう

日本の漁業というのはどうも計画性がない。その昔、乱獲のためにニシンは激減した。そして、ここ数年イワシも激減した。ただ、この理由は乱獲だけでなくクジラにもよる影響も大きい。他にもサバなど20種類以上の魚が資源枯渇の危機にあるという。

ところが、サンマは資源量が豊富なのに、漁獲高は制限されている。現在、サンマは年80万トンの捕獲が可能とされているのに、今年の国が認めた漁獲高は30万トン。業界の大漁貧乏を警戒して、漁獲高を制限しているそうだ。

国が漁獲量を決めるのは乱獲を防ぐためと業界からの要望で、科学的な根拠に基づいていない。だから、サンマは漁獲高を増やして、余った分は養殖用の魚粉などに加工することが可能らしい。サンマを魚粉にするとは、もったいないと思われるが、日本は魚粉を大量に輸入しているので、サンマを加工した魚粉が出回れば、魚粉の価格が下がるということで養殖業者にも好都合のようだ。

サンマ漁は11月末ごろまで続く。今年のサンマは、大型で脂の乗りがいい。私が住む目黒はなにかとサンマと縁が深く、消費量も多いという。私も今月だけですでに数匹は胃袋に収めている。魚粉にすることも大事なことかもしれないが、まずは美味しいサンマを味わうようにしましょう。

日曜日, 8月 26, 2007

28日は皆既月食

月を見るのが好きな私としてはワクワクしています。というのも、28日には6年半ぶりに全国で皆既月食見られるのです。

今回の皆既月食は地平線から昇って来たときには、月はすでに欠けていて18時52分から皆既食になるそうです。そして、20時23分まで続き、その後は月の一部分が欠ける部分食が21時24分まで続くそうです。

とにかく天候が良くなければ見れないのですが、28日の東京の天気予報は曇り。

暑いのあと2日間は我慢するので、なんとか晴れてくれ!

金曜日, 8月 24, 2007

夏はお化け話に限る

暑い夏が続いています。そこで江戸小話にあるお化け話をひとつ。


博打好きの男は来る日も来る日も賭場通いをしていました。その日はすっかり負けがこんでしまい、フンドシひとつの丸裸で長屋に帰ってきました。

「寒くてしょうがねぇ。着るものはないのか?」
「あるわけないじゃないですか! おまえさんがみんな博打ですってしまったんですよ!」

お髪さんは涙ながらに言いました。
ところが、男はお髪さんがきているものを見て、言いました。

「おい、その着物をほどいて、裏と表の二枚にして一枚を俺にくれ」

お髪さんは渋々合わせの着物をほどいて、男に裏地を渡しました。

「おまえさん、もう、博打をやめておくれよ。この寒いときに、一重の着物では、ほんとに死んでしまうよ。死んだら、幽霊に化けて出てやるからね」

お髪さんは恨めしそうに言いました。

それからまもなくして、お髪さんは本当に死んでしまいました。そして、ある日の丑三つ時に化けて出ました。

「うらほしやあー」
「着物の、うらほしやー」

水曜日, 8月 22, 2007

ちょいワルオヤジより普通のオヤジがもてるらしい

『なぜかモテる親父の技術』という本がある。著者は「サンデー毎日」編集長を経て、現在は「週刊金曜日」編集長というバリバリの硬派な人だ。そんな硬派なジャーナリストが、この本のなかではオヤジはチビでも、デブでも、ハゲでもモテると書いているらしい。

と、ここまでは昨晩の飲み屋情報。

私が30代前半の頃、時代はバブルだった。その頃はよく仕事をして、よく遊んだ。若い女の子ともよくデートした。しかし、自分がモテたという気は一度もなかった。あれは時代の流れでしかなかった、と思っている。しかし、50代になってから不思議とモテるような気になっている。一人よがりかもしれないが、そういう気がしてならない。六本木の飲み屋のお姉さんたち、入院した病院の看護婦さんたち、ジムの奥さまたちと、ここのところ綺麗どころからよく声をかけられている。50男を哀れんでいるからかもしれないが、不思議である。

私はチビではなく、ハゲでもないが、少々肥満気味である。そして、男前でもないし見栄えがいい方でもない。もちろんちょいワルでもない。以前は自分から女の子に誘いをかけていたが、今はお誘いの声がよくかかる。

バブルの頃はちょっと洒落たレストランとかで食事をしたが、今はそんなところに行く気もない。普通の居酒屋かすし屋かビヤホールぐらいしか行かない。もう気取るような歳ではない。で、話と言ったら政治からエッチな話までなんでもありだ。たまに女性に聞くことがある。こんなオジサンと話をしていておもしろい?と。

今の時代、どうやら妙に女の子に媚びたり、擦り寄ろうとしている男はモテないようだ。とにかく自然体にしていること、普通でいることが女性にモテる秘訣のようだ。そして、相手の女性の話をよく聞いてあげる、聞き上手になることである。世の中年男性よ、普通であれ。(笑)


と、ここまで昨日、Mixiの日記に書いたら、Mixiをやっているオヤジはもてるという、女性陣からの声がかなり寄せられた。あなたもMixiオヤジになって、女性にモテてみたいと思いませんか。(笑)

月曜日, 8月 20, 2007

高校野球は見ません

プロ野球を見るのが好きです。メジャーリーグを見るのも大好きです。しかし、高校野球はほとんど見ません。昔は見ていましたが、今は全然といっていいほど見ません。理由は簡単です。今日の高校野球(甲子園大会)はスポーツのなかでもっともイビツなイベントになっているからです。

今日の高校野球、つまり甲子園で行われている全国高校野球選手権大会の実態は、端的に言えば「全国私立高校売名野球大会」であり、「大阪出身高校生野球大会」であり、朝日新聞とNHKによる「美談(お涙頂戴話)連発報道大会」でしかないからです。

まず最初の「全国私立高校売名野球大会」とは、出場校の校名を見れば明らかです。私立大学の付属高校、新興宗教関係の高校、進学校へのステップを図る高校、女子高から共学校へのアピールする高校と、出場校のほとんどは純粋に野球を楽しんでいる生徒の学校ではなく、背景に明らかに学校の目論みがある学校ばかりでです。今回の出場校でこうした背景がなさそうな学校は、群馬の前橋商、山梨の甲府商、福井の福井商、三重の宇治山田商、徳島の徳島商、山口の岩国、佐賀の佐賀北、熊本の八代東の8校しかありません。他の出場校はいわやる腹にイチモツどころかニモツをもった学校ばかりです。

次に「大阪出身高校生野球大会」とは、ご存知ように出場校の選手の約2割が大阪出身の高校生で占められています。つまり、甲子園に出場したいがために、地方の高校に「野球留学」しているのです。ひどい学校になるとレギュラー全員が大阪もしくは関西出身者で占められたりしてしまう。そして、彼らの多くは先日問題になった特待生制度で入学しているので、学費や寮費が免除になって、高校生の段階ですでにセミプロ化しているのです。

第三のNHKおよび朝日新聞による「美談(お涙頂戴話)連発報道大会」には辟易します。さすがに今年は特待生制度が問題になったから、選手個人を持ち上げる報道は少なくなりました。しかしながら、NHKは必要もないのに全試合を全国放送したり、朝日新聞は紙面を連日4頁も使って報道するなど、馬鹿まるだし状態です。こんなに報道するならば、なぜ高校野球の暗部を報道できないのか、と言いたい。

高校野球の指導者たちは、プロ野球、大学、用具メーカーなどから援助金という名のワイロをもらっていることは明白であり、また高校も甲子園に行くにあたって、多額の寄付金を募って最終的に潤っている。甲子園応援ツアーで大損をしたという話が今までであったでしょうか。

そもそも高校野球だけが、このように特権的に報道されることがおかしい。夏の甲子園が行なわれている同時期にインターハイが行なわれている。この大会は陸上競技、サッカーなど29競技も行われ、参加者は毎年3万人以上にのぼる。今年は佐賀県で開催されているが、いったいどれだけの人が、そのことを知っているでしょうか。

確かに高校野球は競技人口は多いし人気もある。それゆえに視聴者の興味が高いのも当然だろう。しかし、所詮高校生の大会である。プロではない。高校生スポーツはもっと平等に扱われるべきではないだろうか。このように偏った報道をするNHKおよび朝日新聞などの新聞社はかなり罪深くないでしょうか。

偏った価値観の上にあぐらをかいている高校野球。だから、私は見ません。

日曜日, 8月 19, 2007

日本人があまり行かない観光地 アッシュランド


オレゴン州の南、カリフォルニアとの州境近くにアシュランドという町がある。ここには南オレゴン大学があり、いわゆるカレッジ・タウンである。そして、この町の最大の呼び物は夏に開かれる「シェイクスピア・フェスティバル」である。

シェイクスピア・フェスティバルは1935年に南オレゴン大学の学生たちが6週間限定でスタート。その後毎年規模が大きくなり、現在では本家イギリスのストラットフォードおよびカナダのストラットフォードと並び、世界3大シェイクスピア劇タウンとなり、世界各地から毎年4〜5万の観光客が訪れるという。

公演は2月下旬から10月下旬までの間,3つの劇場で11種類の演劇がほとんど毎日のように行われる。劇場のなかでも最大の見物は、6月から9月に開かれるエリザベス屋外劇場(写真上)の公演。星空の下でのシェイクスピア劇は格別で、私はここで『十二夜』を見たが、後にも先にここで観た『十二夜』以上の『十二夜』はなかった。また、フェスティバルではシェイクスピア劇以外にも、世界各国各民族の演劇・舞踊なども行われたりする。

土曜日, 8月 18, 2007

夏休みのデートスポットは多摩川園のお化け屋敷

多摩川園は東急東横線および目黒線多摩川駅の東側にあった。

多摩川園は1925年(大正14年)12月に開設された東京でも古い遊園地のひとつだった。開業当初は敷地はかなり広く、田園調布駅の線路沿いから多摩川駅まで伸びる広大な遊園地だったようだ。しかし、次第に宅地開発のためにどんどん縮小されていった。

多摩川園は東京オリンピックが開かれた1964年(昭和39年)には年間入場者数100万人を記録して、東横線および目蒲線(現多摩川線)沿いに住む子供たちにとっては、楽しい遊び場だった。園内にはお猿電車、観覧車、樽型のジェットコースター、コーヒーカップなどがあった。そして、なんといってもここの呼び物は夏のお化け屋敷だった。

お化け屋敷には小学生のときは大人と行ったと思うが、中学校に入るとここは絶好のデートスポットになった。当時の中学生にとって、いわゆるグループ交際で出かける場所としては、スケート場とお化け屋敷は定番だったような気がする。私もご多分に漏れず、スケート場へもお化け屋敷へも行ったが、あまりいい思い出は残念ながら作ることはできなかった。(笑)それでも、あのお化け屋敷の中をみんなでワイワイキャーキャー言いながら、遊びまくったことはよく覚えている。

多摩川園は1970年代に入ると入場者が激減して、1979年(昭和54年)6月3日に閉園した。その後は多摩川園ラケットクラブとしてテニスコートになったが、こちらも今から5年前の2002年に閉じられた。現在は大田区が土地を取得し「田園調布せせらぎ公園」となっている。ただ、公園はまだ整備途中という感じで、多摩川寄りの南西部分は写真のようにテニスコート跡地として放置されたままである。

この多摩川園の歴史の変貌によって隣接している駅名も何度か変った。1923年に目蒲線が開設した当時の駅名は「多摩川」だった。それがわずか3年で「丸子多摩川」になり、多摩川園が出来てしばらくたった1931年に「多摩川園前」になった。ところが、1977年にはなぜか「前」が外れて「多摩川園」となった。そして、2000年8月に目蒲線の再編と同時に「園」を取り、開設当初と同じ駅名に帰結した。田園都市線二子玉川駅も多摩川駅と似たような変遷をたどっている。

木曜日, 8月 16, 2007

旧勧銀グラウンドがフランチャイズ


碑文谷公園は2001年4月に、これまでの碑文谷池を中心とした一画だけの公園から、隣接していた「旧第一勧銀グラウンド」の体育館、野球場、テニスコート(6面)などがある一画を合併して、新しい公園としてスタート。旧第一勧銀グラウンド側には体育館などのスポーツ施設以外にポニーに乗馬できるこども動物広場もある。

碑文谷公園は昔から動物が多くいた公園だった。昔はボート乗り場が砂場やブランコのある遊び場(遊具コーナー)に隣接していて、その乗り場の近くにはウサギ、クジャク、小さな猿などを飼う檻があり、子供たちがエサを上げたりすることができた。

その頃から、隣の勧銀グランウド(第一銀行と合併する以前なので)は子供たち、特にワンパク小僧たちにとっては絶好の遊び場だった。特に北東角にある門の前の一角(今は駐車場になっている)は、野球(といってもボールは小さいソフトだった)をやるのに絶好のスペースで、私たちは管理人のおじさんに怒られながらも、よくここで野球をやっていた。

私が子供だった1960年代には、東京といえどもまだあちこちに空地があった。しかしながら、野球をやると隣接する家のガラスを割ったりする危険性があったので、意外に野球をするスペースはあまりなかった。そんななかで、ここは私たちにとってフランチャイズ球場であった。今思うと、よくあんな狭いスペースで野球をやっていたかと思うと不思議に思うが、当時の子供たちにとってそこは天国のような空間に思えた。

そして、私たちが野球をやった一角の奥には、昭和初期に建てられた青い平瓦の2階建てクラブハウスがあった。そして、このクラブハウスを碑文谷公園に合併させるときに、住民の間では存続させようという運動があった。私はこの建物の中に何度も入ったことがあるが、素人目にはどうしても存続させるような建物には思えなかった。それよりも、南西角にあった明治時代の勧銀本店別棟と言われる建物、北東の門の道を隔てたところに建っていた「勧銀倶楽部」の看板があった二つの木造建築は残してほしかった。ただ、共に維持するには相当のお金がかかること、また地震や火災に弱いといったことなどから解体されてしまった。茶室や生け花教室など文化面でうまく使えるような建物だったので残念でならない。

今日、グラウンドでは野球やテニスをプレイする人が、周囲をウォーキングをする人が、芝生の上で子供と遊ぶ人がと、数多くの人が楽しんでいる。その昔、このグラウンドは週末だけ銀行員やその家族で賑わっていたが、平日はいつも閑散していたので、公園となってかなり有意義なスペースとなった。つまり、その昔、私たち子供が野球をすることは、平日の有効利用だったのである。(笑)

写真上:1964年(昭和39年)の野球少年たち
  下:私たちが野球をしていたところ

碑文谷公園
http://www.city.meguro.tokyo.jp/midori/park/detail/himonya.htm

水曜日, 8月 15, 2007

傷痍軍人を知っていますか

今日は8月15日。終戦記念日。それで思い出したのが傷痍軍人。ひと昔前まで街中には傷痍軍人という人がいました。覚えていますか。

今日では第二次世界大戦(太平洋戦争)の傷跡は、心の傷跡を除いて完全に消えました。しかし、昭和40年代前半までは、新宿、渋谷、新橋などの繁華街には傷痍軍人という人が街頭にいました。彼らは白衣をまとい、戦傷した腕や足を露呈しながら、アコーディオンで軍歌を弾き、オモライさん(募金行為)をしていました。

小学生の頃に、私は傷痍軍人のことについて、中国に出兵した経験のある父に聞いたことがある。
「傷痍軍人は全国に何万人もいる。だけど、外で乞食をする者なんてほんの一握りだ。そのなかにはインチキなヤツもいる。戦場で負傷した者でないヤツもいるんだ。戦場で戦ったヤツがあんな乞食をするなんて考えられない」
と、かなり荒々しく答えたことを覚えている。

そもそも傷痍軍人とは何かといえば、国のために戦ってケガをした人のことを言う。彼らは基本的に軍人恩給等で生活保護などはされるものの、それでもその金額は少なく、多くの傷痍軍人はケガの大きさに関係なく仕事をしていた。しかし、なかには前述したように乞食行為をする人も少なくなく、街中に戦争の傷跡を残す結果となってしまった。こうした行為は不正行為だったのだが、警察は哀れんだのかどうかわからないが、取り締まりをしたという話を聞いたことはなかった。

今日では傷痍軍人のこうした光景を見ることは完全になくなった。しかし、街中には「○○○地震被害者支援募金」だとかいって詐欺行為をする者がいる。街頭募金にはくれぐれも注意してもらいたい。とにかく同情心だけで物事を見てしまうのは、相手の思うツボですから気をつけましょう。

戦争の傷跡が何処にも無く、今日が何の日であるかを知らない人が増えた。それはある意味平和でいいことなのかもしれないが、あの戦争で亡くなった人や傷を負った人たちがいたから、いまの自分たちが存在していることだけは知ってもらいたい。

火曜日, 8月 14, 2007

神尾真由子 & 東京交響楽団

一昨日(12日)、ミューザ川崎で開かれている「サマーフェスタカワサキ」の東京交響楽団フィナーレコンサートへ行ってきました。指揮は大友直人。ヴァイオリンは先日のチャイコフスキー国際コンクールで優勝した神尾真由子。

演目(※はアンコール曲)
ベルリオーズ/劇的物語「ファウストの劫罰」より“ハンガリー行進曲”
ドビュッシー/牧神の午後への前奏曲
ペレグリ/クリザリッド
  〜休 憩〜
サン=サーンス/ヴァイオリン協奏曲第3番ロ短調
ラヴェル/バレエ音楽「ダフニスとクロエ」第2組曲
※ビゼー/歌劇「カルメン」前奏曲

演目はすべてフランス人作曲家をフィーチャーしたものばかりで、「おフランスよ」というちょっと気位が高くてお上品な曲のオンパレード。(笑)で、演奏はというと、前半の3曲はすべてが凡庸。とにかく、東京交響楽団の弦がいただけない。私にとってオーケストラの最大の魅力である、弦の厚みや深みが全然伝わってこない。今回の演目はフルートなどの木管をクローズアップしていて、弦が活躍する場は少ない。それにしても、オケを支えるチェロやヴォオラの音色が頼りないのである。前半終了時の客席からの拍手もさほど大きくなく、拍手が止みそうになったので指揮者の大友直人があわてて舞台袖から出てくるぐらいであった。私も正直帰ろうかと思ったぐらいだったが、それでは何のために来たのかわからないので、休憩時にビールを一杯ひっかけて、後半に期待した。

神尾真由子は1986年大阪生まれの21歳。小学校4年生のときに第50回全日本学生音楽コンクール全国大会小学校部門で第1位を獲得。翌年わずか10歳でシャルル・デュトワ指揮のNHK交響楽団と共演してソリスト・デビュー。その後、数多くの国際コンクールに出場すると共に世界各国の有名オーケストラと共演している。使用楽器はサントリーが貸与している1727年製作アントニオ・ストラディヴァリ(ストラディヴァリウス)。

神尾は淡いピンク色のドレスで登場。今回がコンクール終了後初の演奏会。つまり結果的に凱旋公演になった。場内からは演奏前にもかかわらず割れんばかりの拍手。期待のほどが窺える。

第1楽章冒頭、太く低い音がミューザ川崎にサラウンドして響きわたる。う〜ん、楽器が違う。演奏が違う。ただ、コンクール終了後初の演奏会ということもあり、緊張しているせいか音に少しブレがある。それでも彼女の奏でる音色は観客を、そしてオケを完全に凌駕してしまう。やはり世界のコンクールを席巻した音色は違うと感心せざるをえない。

第2楽章。神尾のヴァイオリンは伸びと張りのある音をビシビシと奏でていく。それはノリのきいた着物や浴衣に袖を通したときに感じる、引き締まった気分を味わうかのような心地良さである。彼女は癒しの世界を描くではなく、張りつめた緊張した世界を築いていく。

第3楽章。今度は一転して神尾は大友直人の指揮と呼吸を合わせながら、オケと協調してサン=サーンスの世界を描いていく。見事です。とても21歳のうら若き女性とは思えない。彼女にとってサン=サーンスのヴァイオリン協奏曲を今回は初めてとのこと。それでも、観客とオケを席巻した演奏だった。末恐ろしきヴァオリニストである。

それにしても、日本にはいったいどれだけの女性ヴァイオリニストの名手がいるのだろうか。諏訪内晶子、千住真理子、竹澤恭子、五嶋みどりなどといったキャリア15年以上のベテラン(失礼!)から、川久保賜紀、庄司紗矢香、そして神尾真由子という若手までいる。今や日本は世界に冠たる女性ヴァオリニスト王国になったようである。

さて、昨日最大の拾い物は東京交響楽団の首席フルートの甲藤さち。前半のドビュッシーの『牧神の午後への前奏曲』でもその演奏はひとり際立っていたが、後半のラヴェルの『ダフニスとクロエ』は完全に彼女の独壇場だった。彼女の奏でるフルートの音色は正確無比。加えて女性特有の優しく包容力のあるまろやかなな音色。ちょっとセクシーな音色でもある。この人は間違いなくフリーでも活動していける力量の持ち主なので、ぜひともいろいろなオケと共演してもらいたい。

というわけで、前半で帰らなくて正解の演奏会でした。おかげで、帰りも地元でビールを何杯も飲んでしまった。(笑)

神尾真由子
http://www.aspen.jp/artist/jp/mayuko_kamio.html

日曜日, 8月 12, 2007

日本人があまり行かない観光地 ツームストーン

アリゾナというと、デザート(砂漠)とサボテンというイメージがある。それにぴったりの町がフェニックスPhoenixに次ぐアリゾナ第2の都市、ツーソンTucsonだ。現在は高層ビルも少し立ち並ぶが、それでもスペイン文化を色濃く残した町である。このツーソン周辺には数多くの観光スポットがある。

「オールド・ツーソン」は西部劇のテーマパークだが、もともとは映画『アリゾナ』の撮影用に1939年に建てられたセットだった。「アリゾナ・ソノーラ・デザート・ミュージアム」はその名の通り、砂漠に生息する珍しい動植物を見ることができる。「ピマ航空博物館」は第二次世界大戦の戦闘機から最新のジェット機、ケネディが愛用した大統領専用機など200機近い航空機を見ることができる。「サンザビエル・ミッション」は1788年にインディアン居留地内に建てられた教会で、その優美な景観は観光客にとても人気がある。「コロッサル洞窟」はアメリカ最大級の鍾乳洞であり、ここに大量の金貨を隠したという伝説がいまだに言われている。

ここまではツーソンを訪れた観光客ならば誰もが訪ねるが、ここツーソン近郊にはもう一ヶ所訪ねる価値がある場所がある。それがツームストーンTombstoneだ。ツーソンからフリーウェイに乗って1時間余のところにツームストーンは、現在でも19世紀後半の街並みがそっくり残り、まるで西部劇の世界に迷い込んだかのような雰囲気になる。そして、ここでは毎日有名な「OK牧場の決闘」シーンが街中で上演されている。

ツームストーンは1800年代後半に銀鉱山の町として栄え、最盛期の1880年頃にはツーソンよりも大きく有名な町で、各地から一獲千金を求めた男たちとそれに群がる女たちで栄えた。1881年10月26日、保安官ワイアット・アープ兄弟3人&ドグ・ホリディは、町の外れにあった一時的に馬などを入れておく囲い(牧場という和訳は明らかに誤訳)で、ならず者のクラントン一家と銃撃戦を行い勝利する。この決闘の原因は政治的対立だったり、女性関係のトラブルだったり、闇取引のいざこざだったりと双方の鬱積した結果だったらしい。

アメリカ西部にはこのツームストーンのように、19世紀の町並みが残っているところは数多くあるが、ツームストーンのように木造建物ばかりで、まるで西部劇のセットような町並みの場所は数少ない。そして、そこで実際に起きた出来事を再現してくれているのだから、ちょっと訪れる価値がある場所である。

木曜日, 8月 09, 2007

笹崎ボクシングジムはメモリアルな場所

東横線学芸大学駅近辺でもっとも有名なお店といえば、洋菓子のマッターホーン。もっとも親しまれている場所といえば、碑文谷公園だろう。そして、もっともメモリアルな場所はどこかと言えば、それは笹崎ボクシングジムではないだろうか。

笹崎ジムは戦後の日本ボクシング界をリードした名門ジムであり、ボクシング史上に燦然と輝く歴史がある。ジムの創設は1946年で創設者は笹崎タケシ。笹崎タケシはピストン堀口のライバルとして活躍した昭和初期を代表するボクサー。鋭いストレートに威力があり「槍の笹崎」とも呼ばれ、日本ライト級チャンピオンの座についている。当初ジムは現在地にあったわけでなく、サレジオ教会に隣接した馬舎を修復して開設した。

ジムが現在の目黒区鷹番3丁目に移設したのは1951年5月で、昼はトレーニング場、夜は芝居、ストリップ、浪曲等の興行を催すホールだった。正式名は笹崎ボクシングホールだったが、近隣の人には笹崎座と親しまれた。

私が笹崎ジムを知るようなったのは小学校に入ってからだから1960年以降のことになる。その当時、ジムには1962年に世界フライ級チャンピオンになったファイティング原田が在籍していて、ジムの周りにはいつも黒山の人だかりができていた。

ジムは1964年7月に東横線高架工事のために、一時的に東口商店街から少しへ北へ入ったあたりに一時的に移転した。私は学校帰りに商店街を寄り道しながら、時折ボクシングジムを覗いたりしていた。ファイティング原田はビニール製のヤッケ姿で小学校の近くをロードワークをしていたので、登校時や帰宅時にその姿を見ていた私たちは「シュッ、シュッ、シュー」と口づさみながら、シャドウボクシングの格好を真似したりした。また、この年には後にコメディアン・たこ八郎として有名になった元全日本フライ級チャンピオンの斉藤清作が引退した。私は残念ながら彼が練習している姿の記憶が全くない。

当時のボクシングのチャンピオンというのは英雄だった。というのも、1960年代までボクシングの階級はフライ、バンタム、フェザー、ライト、ウェルター、ミドル、ライトヘビー、ヘビーの8階級しかなく、世界チャンピオンと名乗れる人は世界で8人しかいなかったのである。ところが、現在では階級は17にも分かれていて、世界タイトルを認証する団体は世界ボクシング協会(WBA)、世界ボクシング評議会(WBC)、国際ボクシング連盟(IBF)、世界ボクシング機構(WBO)などがあり世界チャンピオンと名がつくボクサーは世界で70人以上もいるのである。

それゆえに、ファイティング原田は私たちにとっては英雄であり、おそらく大人たちからすれば町の誇りであったに違いない。原田はその後、減量苦から階級をバンタムに上げ、そこでも世界チャンピオンになった。そして、3階級制覇をめざしてフェザーでもボクシングを続けたが、残念ながらベルトを巻くことはできなかった。

1968年12月に現在の目黒区鷹番に5階建ての笹崎ボクシングビルが完成して、現在に至っている。ここからファイティング原田を筆頭に、海津文雄、牛若丸原田、ムサシ中野、ライオン古山などの王者が輩出された。現在は日本フライ級チャンピオンの吉田健司が在籍している。

笹崎ボクシングジム
http://www.sasazakiboxinggym.com/