日曜日, 10月 14, 2007

「もとけいば」と「馬と近代美術」展


以前にも書いたが目黒区には珍しい地名が数多く残っている。そのなかで、実際の地名ではないがユニークな俗称がバス停と商店街名として残っている。「元競馬場前」である。正しくは「もとけいばじょうまえ」であるが、住民は誰もが「もとけいば」と呼んでいて、後ろの「じょうまえ」は省略されている。その昔バスに車掌が乗っている時代、彼女たちは「次はもとけいば、もとけいば」と言っていた。そして、今でも運転手が時折「次はもとけいば、もとけいばです」と言ったりする。

「元競馬場前」の名前の由来は目黒競馬場である。目黒競馬場は1907年(明治40年)に現在のJRA(日本中央競馬会)の前身である日本競馬会によって創設された。そして、1932年(昭和7年)に記念すべき第1回日本ダービー(東京優駿大競走)を開催した。しかしながら、ここが借地であり地主からたびたび地代値上げを要求されたり、周囲の宅地化が進んだことにより、翌年に第2回ダービーを開催後、現在の府中にある東京競馬場に移転した。

目黒はもともと馬と関連が深い土地柄である。区内には駒場や鷹番といった江戸時代から将軍家に縁の深い土地があり、また隣の世田谷にも駒沢、下馬、上馬、駒留、駒繋と馬につながる地名が昔からある。明治時代になると、世田谷と目黒が隣接する一帯に陸軍練兵場ができ、陸軍は競馬で馬の血統を調べられるために競馬を後押しをしていた。そのために、目黒競馬場にあったたすき掛けの障害コースを利用して、軍人による障害レースも行われていたという。

今年は目黒競馬場開設100周年にあたり、今月11日から目黒区美術館でが開催されている「馬と近代美術」展に行ってきた。

美術展は5部構成になっていた。その内容はだいたい次の通りである。
[目黒競馬場の歴史]
目黒競馬場時代の写真、馬券、出走表など
[馬の彫刻]
ハイセコーなどの名馬の彫刻など
[浮世絵や錦絵などに歴史的絵画]
歌川広重などの浮世絵、上野不忍池の周囲をまわる競馬の錦絵など
[日本人画家による馬の絵画]
荻須高徳、山口薫、坂本繁二郎など有名画家の馬に関する絵画
[海外の画家による馬の絵画]
ロートレック、ピカソ、藤田嗣治など世界の画家による馬に関する絵画

目黒美術館はさほど大きな美術館ではないので、展示品の数は総数はあまり多くはない。しかし、パンチで数字を打っている馬券や、まるで一冊の手帳のようになっている出走表は興味深かった。また、絵画では荻須高徳や山口薫の目にはちょっと目を奪われた。馬と美術に興味のある方は行かれるといいかもしれない。11月25日まで開催。

目黒美術館
http://www.mmat.jp/

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