金曜日, 10月 19, 2007

NHK交響楽団創設秘話

ネットやMixiをやっていると、時として面白いことや凄いことを教えてくれる。2週間前に私がたまたま見つけたMixiの日記に、NHK交響楽団の歴史にとって秘話というべきものがあった。それは先月読んだ『N響80年全記録』(佐野之彦著・文芸春秋刊)にも載っていない大変興味深いものであった。これから書く文章はその日記を書かれた方の了解を得て書いています。

1925年、NHK交響楽団の前身である日本交響楽協会が創設された。その中心人物は山田耕筰と近衛秀麿の二人で、楽団員は映画館の学士や東京六大学の管弦楽部員だった。ところが、楽団を作ったはいいが、練習場所探しなどで困った近衛は、大学の後輩である東大オーケストラ部員だった鈴木勇に場所の提供を頼んだ。

この秘話をMixiの日記に書いたのはその“鈴木勇”のお孫さんにあたる方である。

鈴木勇は1900年生まれで、大学では近衛の1年か2年後輩になる。大学卒業後は大手銀行に勤めてN響や音楽とは関係ない80余歳の人生を過ごしている。ただ、彼は大変マメな人だったようで、数十冊の手帳型日記帳をはじめ数多くの書簡を遺品として残している。そのなかには近衛からの依頼のハガキ、御礼のハガキがあり、それと一緒に「勝手に練習場所を提供するな」という東大教授のお怒りのハガキも混じっている。

鈴木は東大オケでベートーヴェン交響曲第4番の日本初演時にクラリネットソロを吹いた人でもあり、学生時代はクラシック音楽に相当造詣の深い人だったようだ。しかし、近衛と大学の板ばさみに合って、なにかと気難しい立場にあったと思われる。それでなくとも、当時(1920〜30年頃)の東大オーケストラは、近衛秀麿の兄である後の内閣総理大臣近衛文麿に資金を提供してもらい、演奏旅行に出掛けたりしていた。これでは鈴木は近衛の言うことには何を言えなかったに違いない。

この鈴木の書簡は、震災などによって多くの史料を失ってしまった東大オーケストラ、そしてNHK交響楽団にとって貴重な史料であることは間違いない。いつの日にかこの秘話が明らかになる日も来るに違いない。

最後にこの貴重な話を私がブログに転載・執筆することを快諾してくださったたま子さんに感謝いたします。

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