土曜日, 1月 30, 2010

サユリストは永遠なり!?

テレビ朝日が本日公開された映画『おとうと』(監督:山田洋次)の宣伝に躍起になっている。先日も朝のワイドショーで司会の赤江珠緒が吉永小百合をインタビューして、赤江がいつになく、自分がオジサンのような気持ちになるのが解る、と興奮していた。

それを見ていたスタジオの鳥越俊太郎が、自分は吉永小百合と同じ誕生日(3月13日)ということを誇らしげに語っていた。(笑)その気持ち、実はよく解る。私もジョン・F・ケネディと大鵬と誕生日が一緒というだけで、なんとなく誇らしくなってしまう。w

さて、世間にはタモリ(森田一義)をはじめ星の数ほどサユリストと呼ばれる人がいる。私の知人にも熱烈なサユリストがいる。これまでもこのブログに何度か登場している、昔の飲み屋仲間の某先生(大学教授)である。

某先生の名誉のために書いておくが、某先生はある女流作家研究の第一人者である。しかしながら、根っからのサユリストである。(笑)というのも、某先生は行く気もない大学の受験をしているだ。少し前に広末涼子が早稲田大学を受けるために、受験生が増えたということがあったが、吉永小百合はその先駆けで、某先生はその受験生のひとりだった。

某先生はよく力説する。

「吉永小百合に会えようが会えまいが、同じ時間と空間を共有したことが大切なんです」

しかし、そのサユリストの某先生も最近はバレエのポリーナ・セミオノワにご執心である。w

私はサユリストではないが、吉永小百合という女優は偉大だと思う。小学6年生でラジオドラマ『赤胴鈴之助』にデビュー。そして、中学3年生で映画デビューしてから今日まで、常に時代の最前線の女優として活躍している。その存在はすでに国民栄誉賞もしくは文化勲章ものだ。サユリストにとっては彼女の存在はすでに人間国宝か観音様かもしれない。

こんなことを書くと、某先生は「そんなのはとうに越えているよ」と言うに違いない。

木曜日, 1月 28, 2010

今はラブホテル街だが、昔は花街だった円山町

今はラブホテル街として有名な渋谷の円山町。昔は東京でも指折りの花街だった。

江戸時代、弘法大師の弟子という人が神泉谷(現在の井の頭線の神泉駅付近)にあった湧水を使って浴室を作り、それがいつしか「弘法湯」となり、人々が集まるようになった。明治時代に入ると、その「弘法湯」に料理屋が作られ、それと共に隣接する円山町には置屋、料亭、待合茶屋などが次々と生まれいった。そして、明治時代後半に代々木練兵場ができると、円山町は一大花街となっていった。

大正時代に入ると、円山町は三業地(料理屋・待合茶屋・芸妓屋の三種の営業を許可された場所)に指定され、1921年(大正10年)には料理屋36軒、待合茶屋96軒、芸妓置屋137軒、芸妓の数は400名にもなったという。関東大震災(1923年)後は道玄坂の「百軒店」を中心に再開発が進み、昭和に入ると歓楽街として栄えた。

亡父は戦前まで宇田川町(渋谷西武B館の裏辺り)に住んでいたのだが、家の人たちからは円山町には近づくなと言われていたそうだ。しかし、旧制高校の時にはどうやら足を踏み入れていたようである。

円山町は1945年(昭和20年)の空襲で大半が焼けてしまった。戦後は進駐軍のためのキャバレーやダンスホールが建ったようだが、待合茶屋に代わる場として次第にホテルも建つようになり、ワシントンハイツがなくなり進駐軍がいなくなってからはいつしかホテル街に変貌を遂げていった。

私が初めて円山町に足を踏み入れたのは1972年のことで、映画少年だった私は日活ロマンポルノを観たいがためであった。あのときに観た田中真理の美しい肢体はいまだに目に焼きついている。私も父親の血を受け継いだようである。

月曜日, 1月 25, 2010

安易なパスワードはやめましょう

アメリカのセキュリティ企業・インパーバ社が個人情報流出の被害を受けた人のパスワードを報告書にまとめ、安易なパスワードの上位10件を発表した。最もよく使われていたパスワードの上位10件は下記の通り。

1位. 「123456」
2位. 「12345」
3位. 「123456789」
4位. 「Password」
5位. 「iloveyou」
6位. 「princess」
7位. 「rockyou」
8位. 「1234567」
9位. 「12345678」
10位. 「abc123」

報告書には5人に1人が「123456」とか「Password」という安易なものを利用しているという。また、自分の名前や普通の単語、数字の羅列といった安易なパスワードを使っているユーザーが50%近くいることも判明したという。

短くて単純なパスワードは簡単に見破られる。ましてや、数字の羅列や英単語、自分の名前なんてもってのほかである。私もいくつかのパスワードを使っているが、必ずアルファベットと数字を組み合わせるようにしている。

もし、上記のような安易なパスワード、自分の名前や普通の単語を使っている方はすぐに変更することをおすすめします。

木曜日, 1月 21, 2010

お召し列車が通るので、洗濯物を出さないように

お召し列車(おめしれっしゃ)とは天皇・皇后・皇太后が乗車する特別臨時列車のことをいう。皇太子など他の皇族が利用するための列車は御乗用列車(ごじょうようれっしゃ)と呼ぶそうである。

戦前の話である。私の母親は鎌倉に住んでいた。その家は田圃を挟んで横須賀線が見える家であったらしい。昭和天皇が葉山の御用邸もしくは軍港があった横須賀へ行くときに、お召し列車が横須賀線をよく走ったそうである。そして、そのときには事前に警官か町会の人が来て「お召し列車が通るときは、洗濯物を出さないように」と伝えていったそうだ。

洗濯物を出さないようにというのは外観の問題と共に、洗濯物の陰からの狙撃などを恐れていたと思われる。また、場所によっては2階の窓も閉めるようにと言われたそうだ。これは2階から見下ろすのは不敬にあたるという理由からであったが、こちらも防犯上の理由があったに違いない。そして、お召し列車が通るときは全ての踏切には警備のために警官が立ち、また線路沿いに何百メートルおきに警官が立ったそうである。

今ではこのようなことはないと思うが、高校生の頃に原宿駅北側にある宮廷ホーム(原宿駅側部乗降場)からお召し列車が出る光景を偶然に見たことがあるが、そのときの警備は厳重で原宿駅にも相当数の警官がいた。

月曜日, 1月 18, 2010

1月は物産展フリークの季節?

「物産展フリーク」という人種がいる。デパートなどで行われる物産展に出かけて、都会でなかなか買うことができない地方の特産品を買い求める人たちのことだ。私もその一人かもしれない。全国各地を旅したおかげで、地方には美味しいものがいっぱいあることを知っている。そのせいで、こうした物産展にはなんとなしに足を運んでしまう。

下記の「東京のデパート物産展」というホームページを見ていただければ解るが、1月の東京の百貨店は物産展のオンパレードである。もっとも有名なのは“駅弁大会”として名が通っている京王百貨店新宿店の「有名駅弁と全国うまいもの大会」。今や京王百貨店の目玉企画となり、年中行事の感すらある。もちろん私も何度も行ったことがある。

今年はその“駅弁大会”をパスして、一昨日東京芸術劇場に行く前に、東武百貨店池袋店で開かれている「食の大北海道展」に立ち寄った。会場は多くの買い物客でごったがえしていて、実演販売のお店はどこも長蛇の列。やはり誰もが本場ならではの美味しいものを食べたいのである。

私はこうしたお弁当のお店を無視して、特産品探しに徹するべくまずは一通り試食を行う。その結果選んだのが、岩見沢市の市川燻製屋本舗の燻製各種(サーモン、たらこ、帆立など)と、札幌市のわらく堂のスイートオーケストラ(フロマージュ)。

燻製各種はその晩行きつけの飲み屋へ持ち込んで、店主らと食べたが実に香ばしくて、飲兵衛にはたまらない美味しさ。また、お菓子の方も昨日昼頃に食べたがこれまた美味。「物産展フリーク」の面目躍如である。(笑)

東京のデパート物産展
http://www.odm.co.jp/saladbar/bussan.html

土曜日, 1月 16, 2010

ロケ弁(仕出し弁当)を注文するのも一苦労

ロケ弁とは映画、テレビなどの出演者スタッフが撮影・収録現場で食べる弁当の事である。演劇でも公演前の仕込み時には弁当が出る。こうした弁当はいわゆる仕出し弁当であり、時間通りに運んできてくれるが、残念ながらやはり冷たくなっているものが多い。

私が舞台に関わっていたときも仕込み時にはいくつかの弁当屋に頼んでいた。ただ、演劇は映画やテレビほど予算的に余裕がないために、有名な仕出し屋さんに頼むことがでず、劇場近くのお弁当屋さんに頼むことが多かった。だが、その分温かいお弁当を食べることができ、出演者やスタッフからは喜ばれた。

そして、常に3種類ぐらいの弁当を用意するようにした。幕の内弁当がもっとも無難ではあるが、それだけでは厭きられてしまうので、とんかつ弁当、唐揚げ弁当、ノリ弁当、シャケ弁当、カレーライスなどを混ぜたりした。頼む方はそれなりに結構気を使うのである。人間、やはり食べ物で仕事の善し悪しが決まり、まずい弁当を出したりするとその恨みは恐いのだ。(笑)

知人のテレビ・ディレクターに昨今のロケ弁事情を聞いてみた。「和食系ならやはり『金兵衛』か『津多屋』、中華系なら『喜山』、安くてフットワークがいいなら『元禄』ですかねぇ。カレーの『オーベルジーヌ』や天むすの『地雷屋』『今半』も相変わらずのようですが……」との返事が戻ってきた。

世に駅弁、空弁、速弁といろいろな弁当があるが、ロケ弁(仕出し弁当)は今も昔も種類にあまり代わりがないようである。

有名なロケ弁(仕出し弁当)のお店
・喜山飯店 中華弁当ナンバー1の評判
・まい泉  とんかつ弁当といったらここ。カツサンドも美味しい
・今半   すき焼き弁当で有名
・津多屋  幕の内弁当を頼むならここが一番かもしれない
・叙々苑  もちろん焼き肉弁当
・金兵衛  魚料理が定評のお弁当
・地雷屋  天むすといえばここ

ロケ弁ウオッチ
http://www.geocities.jp/blue_sky_00_77/locaben.htm

ロケ弁日記
http://www.kyodo-tv.co.jp/ja/rokeben/

水曜日, 1月 13, 2010

東京での最後の大雪は1984年1月

昨日(12日)東京で初雪が観測された。そして、今日は日本海側を中心に雪が降っている。今年の冬は寒い。全国各地で冷え込んで、例年以上に積雪も多い。それでも、東京では氷点下になることはまだなく、昔の寒さを知っている者にとってはさほど寒いという感じはしない。

私が子供の頃は冬になると、近くの碑文谷公園の池が凍ったり、年に2回ぐらいは20センチ以上の雪が積もり、学校の校庭で雪合戦に興じたり、坂道ではスキーをする人もいたりした。そんな東京で最後に降った大雪は1984年。

この年の1月、私は下北沢ザ・スズナリで『聖ミカエラ学園漂流記』という芝居の製作を担当していた。そして、その1月9日と15日に、表現は少し可笑しいがサラサラの粉雪による大雪に見舞われ、雪下ろしや雪かきを何度も行った。また、あまりの寒さのためにトイレの水道管が凍ってしまい、水道管にお湯をかけたりもした。この年はそれ以降も何度か雪がチラつき、ひと月以上も道端から雪が消えることがなかった。

この1984年以降も10センチ以上の積雪のある年は何度かあったが、しかしながら、それらは水分を含んだボタ雪ばかりで、3日とたたないうちに跡形もなくなってしまう。雪国の人には失礼かもしれないが、もう一度東京にも1984年1月のようなサラサラの粉雪が舞うことを願っている。

月曜日, 1月 11, 2010

「やぶ医者」の語源とその意味

世間的に「やぶ医者」とは下手クソな医者のことを意味するが、私にとっては医療機材にあまり頼らず、どんな病気でも診てくれる医者がヤブ医者だ。昭和30年代の町医者のほとんどは軍隊帰りの医者で、1人で内科だろうが外科だろうがなんでもかんでも診察した「やぶ医者」だった。

さて、その「やぶ医者」という語源だが、これには諸説いろいろある。もっとも有力な説は、江戸時代に田舎で祈祷や呪術で治療(?)をしていた「野巫医者(やぶいしゃ)」がそのまま「やぶ医者」となったと言われている。次に有力な説が単純に「野暮な医者」が訛って「やぶ医者」になった説だそうだ。

しかし、私はこうした説よりも、薮蚊のようにあっちこっちと東奔西走した医者が「やぶ医者」の語源という説だ。江戸時代、腕のいい高名な医者は武家屋敷や金持ち商人しか治療に行かず、庶民のところに来てくれる医者さほど高名な医者ではなかった。そうした町医者は風邪が流行ると、裏店の長屋だろうが、河岸の掘っ立て小屋であろうと、薮蚊のように働いたという。そこで「やぶ医者」という言葉生まれたという説である。

この他に「藪井竹庵」という下手な医者がいて、その名前から「やぶ医者」になったとする説もあるが、この「藪井竹庵」という名は落語などで使われるだけで、実在した医者ではないという。

いずれにしても「やぶ医者」の語源は定かではない。ということで、私のなかでは「やぶ医者」は昭和30年代のようにどこにでも往診に出向き、どんな病気を診てくれる医者で、とても下手な医者という意味には当てはまらない。

金曜日, 1月 08, 2010

ブックカバーをかけてもらわなくなった

この1〜2年、本屋で書籍を購入してもブックカバーをかけてもらわないようにしている。家には紙製、ビニール製、革製などブックカバーがいくつもある。

以前はどんなブックカバーがかけられるのかが楽しみであった。しかしながら、数年前からブックカバーは味気のない薄いものが多くなり、新鮮味がなくなってしまった。また、amazonなどネットで購入するケースも多くなり、文具店で売られるビニール製のカバーをいくつも用意するようになった。

ブックカバーは本屋の販促用に作られたという。そのために、ブックカバーには書店名が印刷されている。そして、景気が良かった頃はブックカバーを宣伝媒体として利用して、カラフルなブックカバーも数多く登場した。このためか、ブックカバー・コレクターなる人も現れた。

ブックカバーの本来の目的は、本の痛みや汚れを避けるためか、その本がどんな本かを解らせないためにかけられた。しかしながら、ブックカバーを無駄と思うような人も増えている。私は決して無駄とは思わないが、本屋ではブックカバーをもらわないようになった。これもエコという時代の流れなのだろうか。少し寂しい気はするのだが・・・。

水曜日, 1月 06, 2010

いつか大河ドラマで奥羽越列藩同盟の話を

3日(日曜)に始まったNHKの大河ドラマ『龍馬伝』の初回視聴率が関東地区で23.2%(関西地区21.0%)だったそうだ。昨年の『天地人』の初回24.7%を下回ったが、2000年以降では5番目の高さだったという。

それにしても、大河ドラマはいつもながら、歴史上の人物や舞台が限られている。これまでに北海道が舞台になったドラマはない。東北も『独眼竜政宗』『炎立つ』ぐらいである。別に朝ドラのように全国各地の舞台に取り上げろとは言わないまでも、幕末となると坂本龍馬をはじめとした薩長土肥の官軍側の人々のことを描くが多い。

過去に『勝海舟』『徳川慶喜』『新撰組』と幕府側の人間を題材にしたこともある。しかしながら、「朝敵」とされながらも最後まで戦った会津藩や長岡藩、官軍に連戦連勝ながらも降伏した庄内藩など、薩長土肥によって「賊軍」とされた白虎隊や奥羽越列藩同盟のことを描いた大河ドラマは残念ながらない。

今回の大河ドラマでは岩崎弥太郎の視点から坂本龍馬が描かれるそうだが、NHKもいつまでも薩長土肥の明治新政府視点でなく、もっと多角的視点で幕末を捉えれる大河ドラマを製作してもいいのではないだろうか。その意味では、長岡藩の河井継之助、米沢藩の雲井龍雄、庄内藩の菅実秀といった人々に目を向けてもいいだろう。

火曜日, 1月 05, 2010

仕事始め、遊び始め

今日は全国各地で初競りが開かれ、本格的な仕事始めとなった。築地の中央卸売市場でも早朝に初競りが行われ、青森県大間産のマグロ1本(232.6キロ)が1,628万円で競り落とされた。1キロあたり7万円というから、100グラムでも7,000円である。このマグロは高級寿司店「銀座久兵衛」と香港の寿司チェーンへ行くそうだが、いったいマグロの一握りの値段はいくらなのだろうか。(笑)

さて、こうしたこととは関係なく、私も今日から仕事を始めた。これといって原稿を書いたりするわけではないが、仕事部屋に入っていろいろとガサガサゴサゴサ始めた。加えて、今日は競馬始めでもある。金杯で乾杯といくか、金杯で完敗となるか・・・。

結果は中山も京都も惜敗。つまり完敗である。
今年の競馬運は、どうやら怪しい雲行きである。

このあとは夕方に指圧マッサージに行き、その後は飲み屋の新年会に出向く予定である。大間産のマグロを食べることはできそうにもないが、養殖のマグロでも食べれればいいだろう。

いつもながらの仕事始め、遊び始めとなった。

日曜日, 1月 03, 2010

初夢・2010年無責任予想

バンクーバー・オリンピックで日本チームが予想外の大健闘
普天間基地問題で社民党が連立政権より離脱
W杯日本代表1勝もできず予選突破ならず
東京株式市場夏場に急騰
8月の参議院選挙で民主党は過半数の60議席確保ならず
松井秀喜、エンジェルスで大活躍
ノーベル賞で2〜3人の日本人が受賞
まさかまさかの横浜ベイスタースが活躍も、結局は巨人が優勝
石川遼、アメリカでホールインワン達成
大相撲朝青龍電撃引退

2010年、経済はエコブームおよび海外経済の回復基調にのり、また12月の羽田空港4本目滑走路オープンなどもあって、夏場に株価が急騰するのではないでしょうか。一方、政治は混迷期に入るかもしれません。普天間基地問題で与党のゴタゴタが続き、社民党は連立政権から離脱。といって、参議院選挙で民主党は単独過半数を獲得できないと思います。科学では今年こそ日本人ノーベル賞受賞者が出るでしょう。スポーツはサッカー以外は結構面白そうです。芸能界は今年も薬物汚染で右往左往か・・・。