水曜日, 12月 27, 2006

ベースボール・イヤー Baseball Year

2006年は野球(ベースボール)の年だった。

第1回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)。始まる前はその開催に対して疑心暗鬼な人が多かった。実際、私が観にいった東京ドームでのアジア予選・日本vs台湾戦の観客数は非常に少なく、落胆してしまった。しかし、舞台をアメリカに移してからは、王ジャパンが一旦崖っぷちにたたされるものの、最後は王者キューバを破って優勝。このときは日本中サッカーのWカップ出場より盛り上がっていた。王ジャパンは文句なく今年の野球界最大のヒーローであり功労者だ。

好打好守好走塁をできるメンバーを揃えた王監督の采配も見事だったが、それに応えた出場選手たちもスゴかった。これまで見たことがなかったイチローの闘志。ここぞというときに快打を放った福留孝介の勝負強さ。松坂大輔や清水直行の快投。3月だというのに選手たちはみんな真剣勝負の戦いを挑み、優勝を勝ち取った。

その後1ヶ月ぐらい選手たちは「燃え尽き症候群」で本番のペナントレースに力が入らなかったほど、彼らはWBCでよく闘い、栄えある勝利を手に入れたと思う。あんなによく打ち、よく走るチームは未だかつて観たことがなかった。私自身も最後はサンディエゴまで観にいきたくてたまらなかった。あの準決勝・決勝戦を観た人は末代までの誇りとして語り伝えてもらいたい。それぐらい準決勝・決勝戦を観た人が私は羨ましい。

8月になった。今年の甲子園は本当に熱い戦いだった。高校野球夏の大会は関西では夏の一大イベントだ。なぜならば、いつも決勝戦に関西のチームもしくは有名出身選手(例:駒大苫小牧・田中将大)が出場して盛り上がるからだ。しかし、今年はこれに東男、ハンカチ王子こと早稲田実業・斉藤佑樹が加わったことで、例年以上に甲子園は熱狂した。というより一部の女性陣は発狂していた。そして、久しぶりに高校野球の決勝戦が社会現象化した。高校野球には醒めた姿勢の私ですら、今年の大会だけはまじめにテレビ観戦してしまった。

高校野球に比べてすっかり色褪せた感のある都市対抗野球だが、今年はこちらでも新風が吹き荒れた。今では北海道以上に野球未開発地域となった北東北のTDK(秋田県にかほ市)が黒獅子旗を手にしたからだ。TDKは「ドーム初勝利」を目指していチームにすぎなかったのが、強豪チームをあれよあれよと倒し、初優勝してしまったのだ。地元では準決勝からパブリック・ビューイングが行われ、優勝した後は秋田県が数日間狂喜乱舞したという。

メジャーでは松井秀喜の手首骨折からの復活劇がマスコミの話題をさらったが、それ以上に私は2Aの経験もあるセントルイス・カージナルスの田口壮が、昨年の井口資仁(シカゴ・ホワイトソックス)に続きチャンピオンリングを手にしたことの方が印象深かった。また、城島健司(シアトル・マリナーズ)が孤軍奮闘しながらマリナーズ投手陣を立て直そうとしている姿勢にも共鳴を覚えた。来年も日本人選手の活躍を期待するが、私としてはずっと応援しているオークランド・アスレチックスが来年も最低限でも地区優勝することを願っている。

そして、最後に日本シリーズだ。3つどもえになったパリーグの首位争い、プレイオフ、「シンジラレナ〜イ」北海道日本ハム・ファイターズの優勝&日本一と今年もパリーグが熱かった。03年のダイエー・ホークス、04年の西武ライオンズ、05年の千葉ロッテ・マリーンズ、そして今年の北海道日本ハム・ファイターズと4年連続パリーグの異なるチームが日本一に輝いたことはパリーグファンとしては嬉しい限りである。来年もパリーグに栄光があることを願う。

このように2006年は野球(ベースボール)にとって話題豊富な年であった。そして、来年も熱い戦いが繰り広げれるに違いないだろう。みなさんも野球を観に球場(ボールパーク)に足を運ぼう。

退院しました

予定より1日早く25日退院しました。

退院したというより、追放もしくは脱出したという感じです。その理由はノロウィルスです。入院したいた病棟にノロウィルスが出没してしまい、健康体の人は退院、外泊をすすめられたのです。しかし、その健康体の私もかかってしまいました……。 しかし、私の症状は熱は出たものの、嘔吐や下痢はさほどひどくなく、看護婦さんのおかげで1日半で完治してしまいました。

それにしても、1ヶ月余りの入院生活はやはり長かったです。いくら看護婦さんが可愛くても最終的にはシャバの空気とアルコール消毒の方がいいです。ただ、2〜3人看護婦さんをお持ち帰りしたくはなりましたが。(笑)

木曜日, 12月 07, 2006

病室からの眺望は大事な癒し

今日はあまりいい天気ではなかったが、私が入院している病院の周囲はただいま紅葉まっさかり。

入院している病院は元海軍病院という由緒あるシロモノ。今はなくなってしまったが、5年ぐらい前までは昭和初期に建てられた石造りのりっぱな病棟があった。階段や廊下は大理石でできていて、とても風格のある外観の建物だった。

そんな歴史ある病院なので、敷地内にはイチョウやカエデなどの大木が残っていて、今のシーズンは紅葉を楽しむことができる。加えて病院前にある公園にはアカシデ、楡、エゴノキなど紅葉する木々を植えていて、近所の人および入院患者の憩いの場所になっている。また近くを流れる川の両岸にはサクラ並木があり、こちらも先週までは紅葉がきれいだった。

入院患者にとって、病室からの眺望はけっこう重要なものだと思う。自宅や仕事場と違って入院患者は四六時中同じ景色を見なくてはならない。私の病室は6階建ての西館3階西側にあり、部屋からは大きな楓の木とビルの谷間に沈む夕日が見える。となりの東館しか見えない東側の部屋に比べれば数段いい眺望である。

一方、10階建て新館の6階以上の病棟になると、東側の病室からは東京タワーをはじめとして、六本木ヒルズ、新宿副都心などが一望にでき、西側の病室からは晴れた日には富士山がくっきりと見える。こんな眺めのいい病室なんてそう滅多にあるものではない。

病院によっては病室からの眺望が幹線道路だったり。駐車場だったりなんていう殺風景なところもある。または眼下が市場だったり、ネオン街だったりなんていう困ったところもある。それに比べて私が入院している病院は周囲は静かだし、眺望は悪くないし、看護婦さんは若くて献身的。これでは退院したくならない患者がでるのも、わからなくもない。

月曜日, 12月 04, 2006

病院食は痩せない……

私は整形外科病棟患者なので、食事はいわゆる「常食」というもので1日1800カロリー。朝は薄いパンが2枚、牛乳、野菜サラダ少々、フルーツ。お昼はご飯、みそ汁、サラダ、漬け物、豆腐or卵料理。そして、夜はご飯、みそ汁、肉or魚料理with野菜、漬け物、酢の物といった具合だ。食事は朝は8時に、昼は12時に、そして夜は18時にきっちりと運ばれてくる。

これだけの食事だと通常生活では全く物足りない。間食をしたり、お酒を飲まなくてはとてもじゃないが一日もたない。しかし、病院である。カロリーを消費する場がほどんどない。睡眠で1時間100カロリー、その他の時間で50カロリーだと消費カロリーの合計は100×8+50×16=1600カロリー。1日200カロリーも余ってしまう。

その200カロリーを消費するために毎日運動や散歩をしている。散歩は朝7時頃に売店横にある自動販売機で新聞を買うことから始まる。そして、1階のまだほぼ無人の外来診察が並ぶメインフロアをほぼ一周してくる。次に午前10時半ごろに他の病棟の最上階にあるレストランまでわざわざコーヒーを飲みにいく。そして、その帰り際にリハビリ室で10分間足踏み(ランニング?)を行い、その後両足首に1.5キロの重りをつけて、足上げや膝上げをする。この運動で汗をかいて、部屋に戻って看護婦さんに体を拭いてもらう。これが気持ちいい。(笑)まだ抜糸をしていないので、風呂に入ることができないのだ。

午後は昼食のあと13時半ごろに病院敷地内や隣接する公園を歩いてくる。外の空気がとても新鮮でおいしく感じられる。何ぶん病棟のなかは常に20度以上はあり、看護婦さんのほとんどが半袖の制服なのである。いいやら悪いやら……。(笑)

こうかくと毎日ブラブラしているばかりで、リハビリをしていないように思われるが、リハビリは朝8時半からと、夕方16時からの2回はちゃんと行っているのでご心配なく。このように酒も飲まず、間食もせず、品行方正な1日を送っているのに、私の体重は減らない。どうして? どうして? どうしてなの?(笑)

水曜日, 11月 29, 2006

入院、手術、リハビリ開始

11月22日入院。24日に手術無事終了。27日よりリハビリ開始。

病室はリッチに個室をとる。2つの外資系保険にそれぞれ入院1万円の保険をかけていたおかげである。やっぱり保険はケチってはいけない。保険は掛け捨てで実をとる方がいい。

個室といっても部屋の広さはトイレを含めても6畳ぐらいしかなく、快適空間といった感じではない。加えて、洋服タンスなどの収納スペースが少なく、自殺防止のためか壁には衣紋掛けすらない。綺麗な部屋のわりには使い勝手はよくない。

ただ個室ということで、テレビもラジオもある程度の音量ならばイヤホンなしで見聞できるのが嬉しい。携帯電話も整形病棟ということで容認されている。しかし、パソコンは通信代がかかるので、Mixiをはじめネット関係は新しく買った携帯電話(N903i)で見た方が安上がりだ。あらかじめパケホーダイに入っていたのも正解だった。ただ、長い文章をアップするときはテキストで原稿を打っておいて、パソコンでアップする方が楽である。

手術の翌日はさすがに肩が痛く何もできなかったが、その翌日からは違和感もすぐにとれた。ただ、常に24時間左腕を吊っているいる上、左脇に大きな枕をかかえているような状態なので、左手での作業はうまくできない。また、睡眠も寝返りをうつことができないので熟睡することができない。その代わりといってはなんだが完全看護なので、いつでも看護婦さんが手伝ってくれる。看護婦さんはみんな若い。かわいい。こんな天国のような場所ははじめてだ。(笑)

いや〜、入院っていいもんです。結構楽しく過ごしています。

金曜日, 11月 17, 2006

ベトシチ、知っています?


ドラマ『のだめカンタービレ』(フジテレビ月曜9時)のおかげでクラシック音楽がブームになっています。なかでもオープニング曲にもなっている『ベートーベン交響曲第7番』(通称ベトシチ)が大人気で、着うたのクラシック部門で3週連続1位、クラシック楽曲では驚異的な3万ダウンロードを突破したそうだ。

私は現在2枚のベトシチのCDを持っています。一枚はレナード・バーンスタイン指揮のウィンフィル(写真上 交響曲1番とセット)、もう一枚はヘルベルト・フォン・カラヤン指揮のベルリンフィル(交響曲4番とセット)です。どちらが好みかと言えば、バーンスタインの方です。

というのも、私はカラヤンのような重厚な演奏があまり好みでなく、バーンスタインのような軽やかな演奏が好みだからでしょう。ニューヨークで3回ほどバーンスタインの演奏を聞いたことがありますが、88年リンカーンセンターでの『チャイコフスキー交響曲第5番』の演奏は最高でした。あの壮大な名曲を彼は踊りながら指揮していました。会場からは演奏中にもかかわらず拍手する人までいました。彼が亡くなる2年前の最後の絶頂期の演奏だったのかもしれません。

話がずれました。『ベートーベン交響曲第7番』は1813年2月8日、ウィーンでベートべーン自身の指揮によって初演されました。第2楽章はアンコールを求められたほど成功したと伝えられています。そして、彼はこの交響曲で最低限の人数のオーケストラで軽やかでリズミカルな音楽を創造することにも成功した。

第1楽章
何か乗り物に乗っているようなスピード感に満ちたメロディは、芝居でいうところのツカミがあり、次につながる期待感、高揚感など興奮を覚えます。特に最後のホルンが高らかに歌い上げるところは感動ものです。

第2楽章
前楽章とはうってかわり葬送曲のような旋律になります。しかし、これも他のベートーベンの交響曲ほど重厚や荘厳ではありません。片想いの恋に破れたながらも、次への恋を期待させるかのような楽章です。

第3楽章
軽快なメロディがオーケストラの各パートを駆け巡ります。交響曲ではよくあるパターンですが、ベートべーン自身が長い髪をかきわけながら、オーケストラの頭上をスキップしているような感覚を抱かせる楽章です。

第4楽章
「タンタカタン」という小気味いいリズムとともにスタート。その後はジェットコースターに乗ったか、暴走したメリーゴーランドに乗ったかのように、「タンタカタン」のメロディと共にメロディとリズムの氾濫状態になり、船酔いをするかそれとも陶酔感にひたるような感覚に陥いる楽章です。ワインを片手にもって聞いている人は、間違いなくもう一方の手で指揮をするようになります。(笑)

ベトシチ、みなさんも一度聞いてみてはいかがでしょうか。

月曜日, 11月 13, 2006

紙一重のアジアチャンピオン


北海道日本ハムファイターズがアジアシリーズで優勝した。元東映フライヤーズファンとしても嬉しい限りだ。しかし、昨年の千葉ロッテマリーンズのような際立った強さの優勝ではなかった。今回のアジアシリーズを終えて、多くのプロ野球ファンは「日本のプロ野球と台湾、韓国との差はほとんどない」ということを感じたに違いない。

昨年のマリーンズは日本シリーズ圧勝の勢いからか、アジアシリーズでも台湾(興農)、韓国(サムソン)に対して、投手力、攻撃力、守備力などすべての面で上回っていて完勝に近かった。しかし、今回のシリーズでは台湾(La New)と韓国(サムソン)の投手力と攻撃力はファイターズと遜色はなかった。ただ、守備力には大きな違いがあった。

私が見た金曜日の試合でも台湾の内外野の守備陣形はドシロウト状態だった。相手打者を知らないからか、常に守備陣形が変わらない。さすがにランターが一塁にいるときはサードは前進守備をしたが、レフトはバッターが左もかかわらず定位置だった。これではお話にならない。緻密な守備陣形を知らないのだ。そして、決勝では緊張からか3つのエラーをおかして、墓穴をほってしまった。もし、あのエラーがなけらば、ファイターズの優勝はなかったかもしれない。

台湾や韓国にはドーム球場はない。彼らは人工芝にも慣れていない。彼らはアウエイのなかで戦った。こうした悪条件があったにもかかわらず、台湾La New ベアーズは1点差で優勝を逃した。その1点差が大きいのか小さいのかは、今はまだ解らない。

台湾や韓国のリトルリーグはすでに世界トップレベルだ。そして、高校野球でも日本と同じレベルに近づいている。これでしっかりとした守備力を身につければ、台湾や韓国のチームが日本チームを倒して、アジアチャンピオンになってもおかしくはない。

アジア野球との差はもはや紙一重なのだ。うかうかしていられないぞ、日本プロ野球!

※写真はファイターズガール。左側の子はスタイルもよく、踊りのキレもよかった。(笑)

木曜日, 11月 09, 2006

GoogleとYahoo!の違い

私が検索エンジンをYahoo!からGoogleに変えて1年半以上経つ。その最大の理由はYahoo!があまりにも広告が多くなり、全然目的のサイトに行くことなく、広告関係のわけのわかんないサイトにいくようになったからだ。

例として、私の名前「小松克彦」または私が好きな「アスレチックス」とGoogleで検索すると、1番目に「小松克彦のホームページ」または私が運営する「アスレチックス ファンページ」が登場する。しかし、Yahoo!だと「2000年度ドラマ総合ベストテン・個別賞【小松克彦】」と「ぐるなび - ビアパラダイス アスレティックス」になってしまう。Yahoo!は余りにも広告主体の検索エンジンなのである。

http://www.imsfd.jp/new/gyoumu/web/kensaku_syurui.html

GoogleとYahoo!のシステムの違いは上記のサイトを見ていただくとして、結果的に検索能力が低下してしまったYahoo!よりも、Googleに切り替える人が増えたに違いない。もはやYahoo!の検索は使えないといっても過言ではない。

日本グーグルはYahoo! Japanにまだ遅れをとっていて、アメリカのように大きな売上高・利益を上げていないかもしれないが、いくら売上高・利益をあげても、Yahooのように広告だらけの使えないないような検索エンジンにならないようにしてもらいたい。このブログもGoogleサイトを利用しているのだから。

水曜日, 11月 08, 2006

11月22日入院、24日手術

10月18日のブログにも書きましたが、腱板損傷=棘上筋断裂による入院は今月22日、手術は24日と決まりました。このために、24日以降のブログはしばらく難しいかと思われます。病院にパソコンを持ち込めますが、ブラウザを見ることはできても、キーボードを打つまではしばらく時間がかかりそうです。

入院は最低でも1ヶ月間になる予定。なんとか年末年始は自宅で過ごせるよう頑張ります。病院食で1ヶ月5キロ以上のダイエットに挑戦します。(笑)

月曜日, 11月 06, 2006

バリ島ウブド


これまで数多くの地域に旅に出かけたが、そのなかでいくつかの場所が気にいりました。なかでもバリ島だけは何回も行きました。バリ島は他のお気に入りの場所(中国雲南省の麗江、タイ北部のメンホーソーンなど)より行きやいということもあり、80年代後半から90年代前半にかけて毎年行っていました。そのバリ島でもウブドが大のお気に入りで、ここに1週間〜10日ぐらい滞在するのが、当時の私にとっての唯一のバカンスでした。

ウブドはガムラン、バリ舞踊、影絵、バリ絵画など芸術が盛んな村です。場所はデンパサール空港から車で約1時間ほど北へ行った、標高は約300メートルほどにあり、1年を通して温暖で湿度もなく、とても過ごしやすいところです。今日ではウブドにも日本からも多くの観光客が訪れるようなりましたが、私が訪ねていた頃はまだマニアックな旅行者だけしか訪れない静かな村でした。

ウブドに初めて訪れたとき、宿泊先の簡易ホテルでやたら私に日本語で話しかける男がいた。人懐なつこっく物腰が低く、たどたどしいながらも丁寧な日本語を話した。名をマニックといった。彼はそのときホテルで働きながら、自分でロスメン(民宿)PONDOK KECIL BUNGALOWSを造っていた。翌年ウブドを訪れたときにはロスメンは完成して、私はそこに半強制的に泊まらさせられた。そして、翌年には私は英語と日本語のパンフレット(コピーだけど)まで作らされ、そこが私の定宿になった。

マニックは後に可愛い日本人の奥さんをもらい、ウブドでも日本人観光客に人気のロスメンになった。野茂英雄がメジャーリーグに行った1995年からは、毎年メジャーリーグ観戦に行ってしまっているので、もう10年以上バリ島に行く機会を逸してしまっている。もう一度ゆっくりとバリ島に行ってノンビリと過ごしてみたい。そして、なによりも子豚を丸焼きしたおいしい“バビグリン”が食べたい。

※写真は15年前ぐらいのPONDOK KECILのハガキ。現在のマニックはもっと太っている(笑)

水曜日, 11月 01, 2006

責任は自民党と公明党にある

 高校の必修逃れ問題で国が救済措置という名の超法規的政策をとろうとしている。必修科目を履修しないまま卒業した生徒について、卒業資格は取り消さない方針を決め、在校生に関しては70時間を限度に補習授業を行うよう指導することを決めた。

 今回の必修逃れ問題の責任はいったいどこにあるのかというと、それは生徒でもなく、学校でもなく、教育委員会でもない。責任はまちがいなく文部科学省、つまり国にある。

 そして、こうした結果になったのは、受験制度の弊害ではなく、本質は国(もしくは自民党・公明党)に対してイエスマンを育成している教育の弊害以外なにものでもない。

 私が高校に入学したとき、私は必修単位が最低85単位(当時)と教えれた。そして、必修科目が何単位で、選択科目が何単位かということも聞かされていた。その時点で履修科目に関しては生徒にも責任が課せられた。1年、2年はほとんどが必修科目だったが、3年になると半分以上が選択科目となり、同じクラスのヤツでも理系のヤツとは顔を合せない日もでるようになった。誰もが自分が卒業まであと何単位必要かを知っていて、最低単位を取れなかったヤツは留年した。

 しかし、今の高校生たちはこれを知らない。彼らは「悪いのは僕たちじゃないのだから」とか「受験があるから、補習はもうないでしょ」と全く自覚がない。おそらく、文部科学省に務めている高級官僚たちも進学校出身者だから、学校のお膳立てのカリキュラムで卒業しているから必修単位のことを知らない。それは、学校や教育委員会が教えないからだ。なぜならば、文部科学省がこうしたことについて厳しく指導しなかったからだ。

 最初にも述べたように、国は超法規的政策を取ろうとしている。それは生徒のためでなく生徒の親のためでなく、学校のためでも、教育委員会のためでもない。自民党と公明党の票が減ることを恐れるために行うのだ。こんな政策をとるヤツらに教育を語る資格は全くない。

月曜日, 10月 30, 2006

タイムトラベルの世界


先週の土曜日に開かれた高校の同期会に出席しました。これまでに同窓会(クラス会)が開かれたことはあったが、同期会ははじめて。約270人にいた同期のうち90人が出席したのだから、なかなかの盛況ぶりだった。

同じクラスのヤツとは今でも付き合いがあったり、今だに近所に住んでいたりと何人も顔見知りがいるが、他のクラスのヤツとはほとんど面識がなかったので、卒業以来34年ぶりの再会にはお互いにビックリ。正直、全然思い出せないヤツもいた。

私も高校卒業時に比べて体重は20余キロ増えているし、長く伸ばしていた黒髪もすっかり真っ白になっていたのだから、とても言えた筋合いではない。戸惑うヤツがいても仕方がない。ただ、多くのヤツに「仕事は何をやっているんだ?」と聞かれ、「しがないライターだよ」と答えると、誰にもが「ぴったりだ」「やっぱり」と言われたのには、少々恥ずかしさもあるが嬉しかった。

「光陰矢の如し」だの「時は人を待たず」など時の流れを表すことわざ(意味は少し異なるが)は数多くあるが、そんなことわざの世界でなく、タイムトラベルした時空であった。しかし、これが毎年開かれるようになれば、過去を過去としてでなく、過去を現実にひきよせていくのかもしれない。

※写真は昔は可愛い子が多いと言われた女子バレー部。今ではすっかりおばさんになっていました。(笑)

水曜日, 10月 25, 2006

凱旋門賞馬よ、JCに参戦しろよ

ディープインパクトがジャパンカップに参戦することが決定。

私は武豊と相性の悪い男です。彼を買えば彼は来ないし、彼を買わないと彼は来るのです。でも、さすがディープインパクトだけは裏切りませんでした。まあ、ヒモが裏切ったから馬券は取れませんが・・・。

凱旋門賞は明らかにハメられたレースでした。理由を書くとめちゃくちゃ長々となるので割愛しますが、所詮フランスという国は御都合主義の国です。3着は恥じることありません。

さあ、これでジャパンカップがおもしろくなりました。ハーツクライは出るのでしょうか。女傑スイープトウショウは出るのでしょうか。アメリカやオーストリアの強豪馬は来るのでしょうか。

凱旋門賞馬レイルリンクの厩舎さんよ、ハリケーンラン、そしてシロッコ3頭を引き連れて日本に来てくださいよ。日本にはディープインパクト以外にもいっぱい強い馬はいますよ。

火曜日, 10月 24, 2006

女子アナにつける薬はあるのか

「ニュース23」に抜擢された山本モナ(元朝日放送、現オフィス北野所属)が民主党代議士との不倫騒動で番組を降ろされた。当然である。

 これまでにも女子アナの不倫騒動は数え切れないほどあった。しかし、その相手はだいたい同僚であったり、上司だったり、芸能人だったりと、いわば身内だった。しかし、今回は取材対象である国会議員なのだから、その自覚の無さには呆れかえるしかない。

 今後テレビ局は相手が誰だろうが、不倫騒動を起した女子アナ(男性アナも)は解雇するぐらいの決意でないとダメだ。テレビ局はいくらドラマやバラエティを放送していても公的報道機関であり、公序良俗に反する行為は基本的に処罰をしなければならない。そうでなければ、報道機関が掲げる「客観中立公正報道主義」(これはナンセンスなもの)という看板を放棄していただきたい。

 いずれにしろ、世間の常識から掛け離れた浮世の世界で生活するようになってしまった女子アナたちにつける薬はあるのだろうか。女子アナよ、キミたちは芸能人ではない。キミたちはテレビ局の顔であり、看板でもある。そして、サラリーウマンなのだ。

追記:TBSが山本モナを番組降板させたのだから、民主党も不倫相手ある細野豪志衆院議員に処分を下すべき。政調会長代理辞職だけで済まされる問題ではない。議員辞職とまでは言わないが、半年間の党員資格停止処分ぐらいが妥当なのではないだろうか。

土曜日, 10月 21, 2006

月曜日は客寄せパンダ


 写真をクリックしてみてください。これは行きつけの居酒屋の開店10周年記念招待状です。10月19日から21日までの3日間に限り、生ビール(たぶん500mlぐらい)が一杯100円。ウーロンハイが一杯100円。そして、つまみもほとんどが普段の半額以下と、いたりつくせりの感謝祭です。

 私がこの店に行くようになったのは開店して1年後ぐらいだから、既に9年も通っている。最近は月曜に必ず飲みに行っている。というのも、月曜は新鮮な魚や野菜が入る確率が他の曜日に比べて高いからだ。築地市場のHP
を見れば解りますが、河岸は日曜と水曜に休むことが多い。当然ながら月曜と木曜に新鮮なものが多く入ります。そのことを居酒屋を切り盛りするママさんも周知で、月曜に良いものを多く仕入れてくれるのです。

 このために、私はこの居酒屋の月曜担当の店番になってしまった。店番といってもただ座って飲んでいるだけだから、客寄せパンダか招き猫みたいなもんです。(笑)

水曜日, 10月 18, 2006

腱板損傷⇒棘上筋断裂

 8月中旬頃から左肩に鈍痛と妙な違和感があり、左腕をうまく挙げることができなくなたった。そのために好きだったジムでの水泳も控えるようした。しかし、9月中旬に筋が切れている可能性があると病院で診断されて、先週の11日(水曜)に左肩のMRI検査を受け、本日その結果を知らされた。症状は一般的には腱板損傷と言われ、肩に接する4本の筋の1本(たいがいは棘上筋=きょくじょうきん)が断裂しているとのことだった。私もMRI写真を見たが、確かに筋が完全か不完全かよくわからないが、切れているのがなんとなく解った。

 この結果、私は年内もしくは年明けに手術・リハビリのために1ヶ月間も入院しなければならないことになってしまった。日程は11月8日に決まる予定。それにしても、いや〜1ヶ月とは長い。そんな長い入院なんて生まれて此の方したことがない。入院といえばガキのときの盲腸炎と、10年ぐらい前に胸の検査入院だけである。担当医師によれば、手術することは内視鏡でできるが、リハビリに特殊器具を使い、病院内でリハビリを行わないと外部で再発したりすると元もこうもなくなるから、1ヶ月間の時間的期間は最低必要なのだそうだ。

 こうなった以上は、「後はおまかせします」「俎板の上の鯉」「あとは野となれ山となれ」という心境だ。ただ、年末年始の病院生活だけはなんとか避けたい。酒が飲めない年末年始なんて考えられない。しかし、入院した際は個室をとってもらって平日は株、土日は競馬をやればいい。ギャンブル三昧も悪くない。酒は飲めなくなるが、食事が計算されているからダイエットができるに違いない。1ヶ月で5キロ以上痩せることも可能かもしれない。とにかくマイナス思考でなくプラス思考に回路を変えなければ・・・。

金曜日, 10月 13, 2006

野球は球場で観るもの


今から3年前、日本ハムファイターズが札幌に移転することが決まったとき、北海道に住む友人が「一番来てほしくない球団が来てしまった」と言った。彼は巨人ファンであり、生まれて此の方パリーグの試合など観たこともなかった。しかし、そんな彼も今ではファイターズの帽子を被り、札幌ドームで声援を送っている。

この話を彼に向けると、1年前は「もう勘弁してよ、反省しているから」と謝ってばかりいたが、今では「もうどうでもいいよ。何処にでも好き勝手に書いてくれ」と笑い飛ばすようになった。北海道日本ハムファイターズは強くなった。彼も強くなった。

最後まで頑張ったソフトバンク・ホークスや西武ライオンズには申し訳ないが、日本ハムファイターズの優勝はパリーグにとって喜ばしいことだ。昨年のボビー・マジックによる千葉ロッテ・マリーンズは、日本シリーズでの圧勝でセリーグの野球しか知らない野球ファンをギャフンと言わせしめた。そして、多くの野球ファン、マスコミの目がパリーグにも向くようになった。今年は地域密着をめざしてガンバってきたファイターズに勝利の女神が微笑んだ。この地域密着の力をもって日本シリーズも制覇してもらいたい。

二つ下の10月9日の「キミはミは駒沢球場を知っているか」にも書いたが、私は小さい頃、ファイターズの前身である東映フライヤーズのファンであり、Fと書かれた帽子を被っていた。現在は特にファイターズのファンというわけではないが、パリーグファンであることに変わりはない。現在はまだまだ巨人、阪神のファンが多くセリーグの方が人気が上だが、あと何年かすればパリーグがセリーグで観客動員を上回り、実力も人気もパリーグの時代がくることを願っている。

「野球はテレビで観るのもいいが、やっぱり球場で観るものだ」と北海道の友人は常々言っている。正論である。北海道日本ハムファイターズ、パリーグ優勝おめでとう。

※写真は1962年夏、小学校2年生のときです。

木曜日, 10月 12, 2006

創価学会に支配された自民党政権

 昨日、安倍晋三首相が就任前の9月22日に極秘裏に創価学会の池田大作名誉会長と会っていたことが明らかになった。一方、小泉純一郎前首相も退任直後の9月28日に都内の聖教新聞本社で池田大作と会談して、退任の挨拶をしたという。

 新聞報道によりば、池田大作は「お父さんがなし得なかったことを頑張ってやり遂げてほしい」と激励し、安倍首相は政権運営への協力を求めたという。自民党と公明党が連立政権を組んでいるのだから、当然といえば当然の会談かもしれない。しかし、創価学会は政党ではなく、公明党の支持母体にすぎず、宗教団体だ。憲法で定められている政教分離(聖教分離か)の原則を全く無視した行動である。

 少子化現象の昨今、創価学会の家だけは子供の数が増えているという。まるで、戦前の「生めや増やせ」ではないが、いずれ世の中は学会の子だらけの時代がきて、日本そのものが創価学会の国になる日がくるかもしれない。そうなれば、創価学会および公明党を批判してきた文献はすべて抹殺され、一家に一枚池田大作の写真を飾るよう強要され、キリスト教徒に対しては踏み絵が行われるだろう。

 日本という国はすでに創価学会の前に沈没しているのかもしれない。

月曜日, 10月 09, 2006

キミは駒沢球場を知っているか


北海道日本ハムファイターズがレギュラー・シーズンを1位で通過して、優勝目前だ。私は小学生の頃、ファイターズの前身であった東映フライヤーズのファンだった。なぜかといえば、本拠地・駒沢球場が家の近くにあったからだ。これほど身近な球団は後にも先にもない。そんな駒沢球場の薄暮ゲーム(薄暮ナイターともいった)に私の父はよく家族を連れていってくれた。

東映フライヤーズは別名“駒沢の暴れん坊”と言われたぐらい、血の気の多いチームとしてして知られた。投手では尾崎行雄、土橋正幸、久保田治の3人がローテションを組み、打者では張本勲、毒島章一、山本八郎、西園寺明夫、安藤順三、種茂雅之と一癖も二癖もある選手たちが自由奔放なチームカラーを形成して、パ・リーグの異端児集団として人気を集めていた。

駒沢球場は1953年に旧陸軍駒澤練兵場跡地の一角、現在の駒沢陸上競技場あたりに東急フライヤーズの本拠地として自前の球場としてオープン。そして、東映フライヤーズと名を改めてからも1961年まで使用された。しかし、東京オリンピックのために解体され、わずか9年という短命の球場だった。東映フライヤーズはその翌年の1962年に移転した神宮球場において水原茂監督に率いられて日本一に輝いた。

私の父が野球好きだったのかフライヤーズファンだったのかは知らない。だが、駒沢球場の週末によく開かれていた午後4時開始の薄暮ゲームは、家族づれがピクニック気分で野球を見るには絶好の環境だった。外野席はすべて芝生席で子供は走りまわることができ、応援団なんて我がもの顔をしている集団もなく、みんな寝転がったり、お弁当を食べたりとほのぼのと観戦していたた。そして、この駒沢球場から見た夕焼けは、今でも私の脳裏から離れることはない。「三丁目の夕日」(映画「ALL WAYS」の原作)の世界だった。

※写真の駒沢陸上競技場の後方に見える東京医療センター(元の国立第二病院)は旧陸軍病院。ちなみに中目黒にある東京共済病院は旧海軍共済組合病院。

木曜日, 10月 05, 2006

TBSがおかしい


 その昔、TBSは「報道のTBS」「ドラマのTBS」という二枚看板をもち「民放の雄」として、他社を大きく引き離し実力も視聴率もナンバー1のテレビ局だった。しかし、1980年代に入るとフジテレビが「ひょうきん族」をきっかけにバラエティで全盛期を築き、1990年代に入ると今度は日本テレビが「電波少年」などをきっかけに黄金期を迎えた。そして、TBSはこの20年以上ずっと2番手3番手のテレビ局に甘んじるようになった。

 そして、1989年10月に坂本弁護士一家殺害の引き金となるオウム幹部たちに坂本弁護士インタビュー未放送映像を見せたことを皮切りに、TBSは視聴率だけでなく会社体制も「落日の日々」をたどるようになり、オウム事件関連での数々報道やサブリミナルなど、TBSは歯車の狂ったような放送をするようになってしまった。

 21世紀に入っても、2003年11月に石原都知事が「日韓併合を100%正当化するつもりはない」といった発言を「100%正当化する」と「サンデーモーニング」と完璧に誤って放送した。この放送を私はたまたま見ていたが、これにはさすがに呆れ返り、TBSに電話して怒鳴ってやろうかと思った。

 今年になってもTBSは不祥事の連続だ。まず1月に「サンデー・ジャポン」に出ていた局アナの青木裕子が不倫。続いて、5月には「ぴーかんバディ!」で紹介した白いんげん豆によるダイエット法で中毒者が続出、150人以上が入院する事態になった。6月には「ニュース23」でハイド米下院国際関係委員長がの発言を誤訳字幕を放送。そして、7月には「イブニング・ファイブ」で内容と無関係の安倍晋三の顔を注入するなど、その報道体制はもうめちゃくちゃである。

 こうした不祥事が内部で起きる間に、TBS株は楽天に20パーセント近く買い占められ、統合を提案される。また、その筋の親分衆がリングサイドを独占した亀田興毅の世界タイトルを電通と共に大々的に放送したり、そして、今回新たに「ニュース23」に抜擢した山本モナ(元朝日放送、現オフィス北野所属)が民主党代議士と不倫騒動を起すなど、もうつける薬がない状態だ。

 こうなったら、TBSは徹底的に膿を出すべきだろう。不倫女子アナはもちろん解雇、捏造報道をした者は更迭。役員は減給処分。そして、社内に外部関係者による綱紀粛正委員会でも作って、徹底的な監視体制を作るするしかないだろう。本来、報道機関にこのようなことがあると報道の自由を束縛することで正しいことではないが、TBSの常識はずれのゆるみたるみは、これぐらいしないと治らないだろう。

 番組審議会なんてお茶を濁したようなオンブズマン会議なんかやめて、もっと会社の体制や放送姿勢へも踏み込んだ審議会を作成するべきだろう。いずれにしろ、世間の常識から掛け離れた浮世の世界で過ごすようになったテレビ局の人たちに、真の報道ができるとは思えない。まずは自ら襟をただす姿勢を作れないものなのだろうか。

月曜日, 10月 02, 2006

「空白の5年間」だった小泉政権

 小泉政権は歴史に残る高い支持率と長期政権だったという。はたしてそうであろうか。私はサッカーの歴史でよく言われるジーコの「空白の4年間」と同様に、小泉政権はいずれ歴史上で「空白の5年間」と言われ、小泉純一郎は外見の見てくれの良さと滑舌の良さで国民を翼賛した政治家として後世に名が残るだろう。

 これまでにも無責任であったり無気力な総理大臣は何人かいた。どうみても器でない首相もいた。しかしである。小泉ほど責任のすり替えと詭弁を連発する首相はいなかった。こんな男にだまされるなんて、国民も情けないが、マスコミも情けない。特に田原総一朗や安藤優子といったテレビキャスターたちのちょうちんぶりは酷かった。

 小泉の歴史観の無さと経済音痴ぶりには言葉もでなかった。経済は「改革なくして成長なし」とお題目というか呪文を言うだけで、すべてを竹中平蔵らに丸投げした。で、結局彼らが作ったものは、ホリエモン、村上世彰、三木谷といったろくでもない「ネットと株の亡者」たちだけである。実際の経済を成長させたのはこんなバカどもではなく、トヨタをはじめとした有能な経営者たちのリーダーシップのもと、地道な活動をつづけてきた技術者や営業マンたちの努力のおかげである。決して政府や日銀といった官の努力ではない。民間の活力が今日の経済を復活させたのである。

 そして、靖国問題に端を発する歴史認識の問題は筆舌にたえない。小泉純一郎は韓国や中国の国民たちの声を聞いたことがあるのだろうか。首相を退任して暇になったのだから、ぜひとも韓国、中国に旅をして彼らがおよびその両親たちがどれだけ日本軍に酷い目にあったかを直接聞いてくるがいい。私は中国と東南アジアでいくらでも聞いた。それだけ、彼の歴史認識はかけ離れているのであり、無知といっても過言ではない。

 退任会見も相変わらずの責任のすり替えと詭弁の連発した小泉純一郎。次の安倍政権がどのような道を歩むかはまだ解らないが、少なくとも外交では世界に通用する歴史観を据えた上での政策を、経済では都市部だけでなく農村部を含めた包括的な政策を構えてもらいたい。安倍晋三は未来を見据えた現実を直視し、小泉純一郎は未来を据えた過去を勉強するべきである。

金曜日, 9月 29, 2006

青森駅前アウガ地下の新鮮市場


 先日3日間ほど青森へ行っていました。ここ数年青森へ行く機会が多いのですが、その青森で必ず立ち寄るところがあります。青森駅前のアウガ地下にある新鮮市場(朝市)
です。青森駅前にはいくつかの市場があるのですが、その大きさ、新鮮さ、活気さで間違いなくここが一番で、青森市民の台所として賑わうばかりでなく観光名所にもなっています。

 この市場は青森駅前にあったバラックづくりの駅前朝市が移ったものだそうで、現在は約87店が朝5時から旬の生鮮魚、海産物、生肉、青果などを販売しています。市場には定食や麺類などが食べられる食堂やレストランもあり、ここで朝食や昼食をとるのもいい。

 飲兵衛の私はいつもここで市場をひと巡りしてから、お目当てのものを行きつけの居酒屋、鮨屋、自宅などへ宅配便で送っています。今回はホタテ、ウニ、しじみ、すじこなどをケース一杯に入れてそれぞれの場所に送りました。

 もし青森へ行くことがある方は是非ともここに立ち寄って、美味しい食材を手にいれてみてはいかがでしょうか。ちなみに、私のおすすめの店はめちゃくちゃ美味しいすじこと明太子専門店の内山商店と、ウニなど品数が豊富でお姉さんたちが綺麗な野呂商店です。

水曜日, 9月 27, 2006

アスレチックス優勝!


 オークランド・アスレチックス(A's)が2003年以来のアメリカン・リーグ西地区の優勝をさきほど決めた。「マネーボール」で有名になったA'sだが、今年はその題材であるビリー・ビーンGMが獲得した元シカゴ・ホワイトソックスのフランク・トーマスの活躍なくしては、ありえない優勝だった。

 A'sはお金がない貧乏球団なので、スーパースターのトーマスと50万ドル+出来高払いという破格の値段で契約したときは本当に驚いた。そして、それ以上に驚いたのは彼の活躍だ。本日の時点で彼の成績は打率269、本塁打38、打点108で打率以外はチーム2冠だ。また「マネーボール」で重要な出塁率でも380でチープトップだ。

 トーマスがここまで活躍すると予想した人はいただろうか。私もミニコラムでも書いたが疑問を抱いていた。主砲のチャベスが一年を通して不調、生え抜きのスゥイッシャーは一発多いが三振も多く粗過ぎるといった中で、トーマスは途中しばらくケガででれなかったものの、コンスタントに活躍した。

 さあ、この勢いでプレイオフで中地区のデトロイト・タイガースもしくはミネソタ・インズを打破して、リーグチャンピオンシリーズに進んでもらいたい。頼むぞ、トーマス!

金曜日, 9月 22, 2006

青山墓地の桜の木


 お彼岸ということで、青山墓地(正式には青山霊園)に墓参りをしてきました。いつもはやぶ蚊に悩まされるのですが、昨日は強い日差しが墓地を照らし、アゲハチョウやクマンバチ(スズメバチ)が飛んでいました。

 青山墓地に墓参りというと、よく「すごい〜」とかいわれる。今から何年か前に青山墓地の抽選会が開かれて、一坪900万円の永代使用料のお墓が数十倍の倍率にのぼり、人によっては「一億出してもいいから買いたい」とまで言わしめて話題にはなった青山墓地だからかもしれない。しかし、東京生まれの東京育ちの私にとっては、「すごい〜」といわれても「別に〜」と首を傾げるしかない。昭和初期に亡くなった祖父が自分自身および一族のために買ったものだから、祖父に先見の明があっただけなので、末裔の私はなにも「すごく」はないのです。ただ祖父に感謝するしかないのです。

 その青山墓地はもちろん東京の桜の名所としても有名だ。その昔、私もここに墓参りと桜見物を兼ねてデートをしたことがある。ただ、その桜の木がかなり老朽化しているようでならない。根元が大きく空洞化したり、すでに傾斜化している木も見られた。

 ソメイヨシノは一般に樹齢約20〜30年が最盛期とされ、約50〜60年で衰退期を迎えるそうです。約700本あるという青山墓地の桜がいつ植えられたものなのかは知らないが、少なくとも60年以上は経っていると思われます。つまり、青山墓地の桜はすでに衰退期をすぎ老齢期を迎えている。青山墓地を管理する東京都はもちろん対策を練っていると思うが、早く再生もしく植え替えを行うが必要があるのではないだろうか。

水曜日, 9月 20, 2006

タイの不安は政権だけではない


 タイで15年ぶりにクーデターが起きた。以前はよくクーデターが起きたお国柄だが、タイの不安は政権だけではありません。観光以外でタイを訪れた人ならば分かると思いますが、タイ国民の王室への崇拝と尊厳の念は日本の皇室の比ではありません。1946年に即位した現在のラーマ9世プーミポン国王は、歴代国王のなかでももっとも国民に信頼されている国王といっても過言ではないくらいの絶大な人気と支持があります。

 ただ、今年在位60周年を迎えた国王も来年には80歳となり、タイの巷では次期国王に関することが日本の皇室以上に話題になっています。というのも、次期国王はシリキット王妃の寵愛を受けているワチャラコーン皇太子が次ぐことは間違いないのですが、国民の間では人気もあり海外でも評価の高いシリンドン王女を推す声が絶えない。というのも、皇太子の言動が国民には不安でならないからです。そのことを詳しく書くと「王室不敬罪」(タイでは存在する)になりかねないので、ここまでにしておきます。

 タイは微笑みの国として、多くの観光客が訪れる素晴らしい国です。国民の教育レベルは東南アジアで最も高く、21世紀に入ってからは経済成長も著しく高度成長を遂げています。しかし、そんなタイも政権だけは今回のクーデターにも見られるように安定はしていない。そして、それ以外の不安が国民の間にあるということも知っておいていただきたい。

月曜日, 9月 18, 2006

碑文谷八幡宮・秋季例大祭


10数年ぶりに碑文谷八幡宮の秋祭り「秋季例大祭」に行ってきました。子供の頃は毎年楽しみにしていましたが、さすがにこの歳になると昔のようなワクワク感はありません(笑)。私が子供の頃は曜日に関係なく9月14日と15日に行われていましたが、祝日の移動(ハッピーマンデー制度というそうだ)によって、現在は9月15日前後の土日に催されるようになった。ただし、昔から変わらないのは、このお祭りは必ずといっていいほど雨に祟られます。今年も16日の土曜は青空もありましたが、日曜は神輿が宮入りするころから雨が降ってきました。

この碑文谷八幡宮・秋季例大祭はおそらく目黒区内のお祭りでは一番大きいでしょう。氏子が住む地域は碑文谷・鷹番・中央町、目黒本町、洗足、原町、南といった町会にわたり、この地域内には目黒六中、七中、八中、九中と4つの中学校があります。やんちゃな中学生にとってはなぜか対抗意識(縄張り争い?)のあるお祭りで、昔は小競り合いやケンカがよくあったのです。そのために境内には教師、PTA関係者などがかなり巡回するようなったとか(笑)。


それにしても、お祭りが以前より盛大になっているには正直ビックリ。写真にあるように祭殿にお参りするまで行列ができ、お参りするのに15分以上も待たされてしまった。また、露店の数も増えたような気がしてならない。昔ながらの金魚すくい、ヨーヨー、射的、ラッキーボール、お面売りなどもあり懐かしく感じたが、焼きそば、たこ焼き、いか焼き、チヂミなどといった食べ物とビール売りが多いのにも驚かされた。露店が子供向けより大人向けの比率が増えたのは、少子化の時代だから仕方がないのだろうか・・・。

碑文谷周辺に住んでいて、一度もこのお祭りに行ったことがない人は、ぜひとも来年は行ってみてください。そして、以前住んでいた人も子供のころの自分を再発見するために、再度訪れてみてはいかがでしょうか。

金曜日, 9月 15, 2006

東京オリンピック開催に反対


先月30日に東京が福岡を下して、2016年のオリンピック国内候補地に決定した。私はこのオリンピック招致に反対です。2016年のオリンピックが東京で開催される可能性は、世界の立候補地をみればまずありえないのですが、東京の狙いはその次の2020年でしょう。しかし、それでも私は反対です。なぜかといえば、1964年のトラウマがあるからでしょう。

1964年。日本は高度成長期の真っ只中にあり、東京オリンピックは華やかに開催され、そして、さしたる問題もなく盛況のうちに終了した。しかし、この東京オリンピック開催のために東京は大きく変わった。その変貌ぶりを目の当たりにしているので、どうしてもオリンピックを再度東京で開催することに賛成できません。

東京オリンピックのために東海道新幹線ができ、高速道路もできインフラが整備されるようになった。加えて、国立競技場、代々木体育館、駒沢競技場といったスポーツ施設も充実していった。しかし、である。

私の住んでいる碑文谷周辺はオリンピックのために激変した。目黒通りが等々力方面まで延長され、そして環状七号線が多くの家の立ち退きをしいながら完成した。そして、下水にはフタがされ、碑文谷公園が源流の立会川までもがフタをされてしまった。多くの家の木塀がブロック塀に変わり、街から土と水と緑の匂いが消えていった。

東京が木と緑の町からコンクリートとアスファルトの町になった東京オリンピック。今さらここまで凄い変貌はとげないだろうが、それでも、私はオリンピック開催には反対です。

木曜日, 9月 14, 2006

二つのさんま祭りがあるとは


 目黒に住んで50余年。目黒にさんま祭りが二つあるとは知りませんでした。まあ、言い訳になりますが、私が住んでいる碑文谷は目黒区の南半分にあたる旧碑衾村にあり、旧目黒村の行事についてはよく知らないのです(笑)。と言いいつも、25年以上も旧目黒村近くの目黒駅(品川区にある)を利用していたのだから、我ながらこの無知さに気恥ずかしい。
※目黒区は目黒村と碑衾村が1932年〔昭和7年)に合併、東京市に編入した。
 
 さて、さんま祭りですが、ひとつは目黒駅前商店街振興組合が主催で、岩手県宮古産のさんま徳島産すだち付の「目黒のさんま祭り」、もうひとつは目黒区民まつり実行委員会が主催で宮城県気仙沼産のさんま大分県産カボス付の「目黒のさんま祭」だ。共に1994年からスタートしていて今年で11年目になる。

 前者は目黒駅東口の商店街で行われ、当日は目黒駅周辺がさんまの匂いで充満します。一方、後者は田道広場公園で行われ、目黒川沿いの区民センター一帯が煙で充満するという。つまり、前者はある種の商店街の宣伝・観光アピールの催しであり、後者は区民祭りの一環として地域親睦を目的に行われているようだ。共にさんまを焼いて振る舞うだけでなく、全国各地の名産を試食・販売しているようだから、物産展の意味あいも含まれている。

 前者の「目黒のさんま祭り」は先日9月10日にすでに開催され、後者の「目黒のさんま祭」は今度の日曜日9月17日に開かれる。ただ、さんまが振る舞われるのは午前中なので飲兵衛の私にはどうやら縁がない。この17日には地元の碑文谷八幡のお祭りが開かれます。こちらも盛大なお祭りで、久しぶりに足を運ぼうかと思っています。

水曜日, 9月 13, 2006

ゴジラ松井・リターンズ


 ヤンキース松井秀喜が復帰戦でいきなり4打数4安打と大当たり。すべて単打でクリーンヒットばかりとはいえないが、ちゃんと振り切っているから安打になった。

 初回に松井が打席に入るときに、観客がスタンデディング・オベーションで出迎えることは予想されたことだったが、4本目のヒットを打ったあとに、観客がスタンディング・オベーションすることを予想した人は誰もいなかっただろう。観客はこのときにゴジラ松井の復活を素直に喜んだに違いない。そして、松井自身もヤンキースに戻ってきたことを強く実感したに違いない。

 松井に関してはオークランド・アスレチックス ファンページのミニコラムのなかで「ヤンキース・スタジアムでの松井の評価」などというコラムを書いていますので、そちらも読んでください。掲載した写真は2005年5月のヤンキース・スタジアムで撮ったもので、打席にいるのは松井です。

火曜日, 9月 12, 2006

次のお札は誰だろう?


 みなさんご存知のように、現在のお札は1000円札が野口英世、5000円札が樋口一葉、10000円札が福沢諭吉です。いずれもが2004年に発行されたものです。それ以前の夏目漱石、新渡戸稲造、福沢諭吉の旧札が発行されたのは1984年だったので、次の新札が発行されるのは2020年以降になりそうです。

 しかし、ちょっぴりセッカチな私としては、次のお札は誰かを予想してしまいました。次の新札発行では必ず昭和期に活躍した人が肖像画として載ると思われます。で、その本命は湯川秀樹、対抗は吉田茂、大穴は双葉山と予想します。

 いつ発行されるかもしれない新札ですが、あなたなら誰の肖像画のお札が見たいですか。私は夏目雅子のお札が欲しいです。