水曜日, 9月 28, 2016

若き才能が逝くのは勘弁してもらいたい

1973年に渡米して以来私はメジャーリーグ・ファンである。その私にしても今回のマイアミ・マーリンズのホセ・フェルナンデス投手の死ほど衝撃的なことはかつてなかった。

これまでに現役中のメジャーリーガーは飛行機事故などで何人も亡くなっている。もっとも有名なのは1972年にニカラグア地震の救援物資搬送中に飛行機事故に遭ったロベルト・クレメンテ外野手(ピッツバーグ・パイレーツ)だろう。また、1979年にはニューヨーク・ヤンキースのサーマン・マンソン捕手が自家用飛行機の墜落で亡くなっている。この2人の背番号は共に永久欠番になっている。他にも、日本ではあまり知られていないが、2006年にアスレチックスやヤンキースで活躍したコリー・ライドル投手が自家用機でマンハッタンの高層マンションに衝突したのも私には記憶に新しい。

今回のフェルナンデスの死がなぜ衝撃的かといえば、彼の若さである。フェルナンデスは肘靭帯の再建手術(いわゆるトミー・ジョン手術)を克服して、2015年後半より復活して今年(2016年)は16勝を上げてメジャーを代表する投手として名乗りをあげようとしていた24歳だったからだ。上記のクレメンテは38歳、マンソンは32歳、ライドルは34歳と絶頂期を過ぎてからの死だったが、フェルナンデスはまだ24歳と若く絶頂期を迎えた選手とはとても言えない。加えて、誰もが彼の才能を認めていて、今後の活躍が期待されていたからだ。それゆえに、彼が夭折してしまったのが悔やまれてならない。

スポーツ選手は時に自分の動体視力を過信して過ちをおこすことがままある。フェルナンデスの死の原因は明らかではないが、スポーツ選手がこうした過ちを繰り返すことはもう勘弁してもらいたい。特にまだまだ才能を伸ばせる若き選手たちの死はもう知りたくない。

火曜日, 9月 27, 2016

買い物難民という負担増

5月に碑文谷ダイエーが閉店してから(現在は12月オープンのイオンスタイルに改装中)日常生活に負担が掛かっている。というのも、これまでは何か欲しいものがあれば、徒歩1分でほとんどのものを取り揃えることができた。

ところが、今は自宅周辺は陸の孤島化してしまい(コンビニすらない)、いわゆる「買い物難民」になってしまった。そのために、買い物は自転車に乗って近場の駅周辺へ行くしかなくなった。自転車の買い物というのは意外に限界があり、籠一杯分しか買うことができない。そのために2往復しなければならない日もある。加えて、8月中旬以降は雨が多かったために自転車を使うことができず、徒歩で行かなければならない日も多かった。

こうした生活の変化というか負担増は色々なところに響いている。ブログを書く時間も減るし、また書く気も失せてしまう。ネットを見ることする滅入ってしまったりする。料理にしてもどうしてもレトルト食品や出来合いの惣菜などにしてしまう。

秋雨はやっと終わりになったようだが、目の前のスーパーがオープンするには2ヶ月以上もある・・・。早くオープンしてくれ〜。

木曜日, 9月 22, 2016

地方政治批判は安倍政権批判へのガス抜き

テレビのワイドショーやニュース番組は豊洲市場の地下空洞問題や富山市議会の領収書問題など地方政治のことは取り上げるが、甘利明の金銭疑惑、稲田防衛大臣の領収書問題などは一切報じない。いかに今のテレビが政権に媚びているかがわかる。

では、どうして地方政治のことは取り上げるのに国政のことは取り上げられないからといえば、政権による報道機関への圧力以外の何ものでない。テレビ局は電波法の免許を盾に安倍政権に雁字搦めにされている。このことによって利益を得ている親会社である新聞社も同様に何も言うことができない。

こうしたことによって、テレビ局にしても新聞社にしても政権の不正を取り上げようとすると、上層部から潰されてしまうのである。それに対して地方政治は直接安倍政権を批判することにならないので、ハードルが下がり取り上げることができるのである。つまり、安倍政権批判はできないが地方政治批判で憂さ晴らしをしているのである。このことは政権側にとってはマスコミのガス抜きにもなり好都合でもある。

何とも情けない話である。

このようにマスコミがいかに政権に屈しているかが分かる。マスコミで働いている人々は、自分たちが政権に飼いならされているかを解っているのだろうか。

木曜日, 9月 15, 2016

パラリンピックのメダル目標などいらない

写真は今日(9月15日付)の朝日新聞夕刊である。1面トップにリオデジャネイロで開かれているパラリンピックのことが書かれている。

今回のパラリンピックには日本から17競技に132人の選手が出場している。そして、記事には「メダル量産」と書かれている。しかし、日本のメダル目標は当初金メダル10個、メダル総数40個の獲得というものだった。ところが、日本は大会8日目を終わってメダル数は銀7個、銅9個の合わせて16個で金メダルは0である。残り日程は4日なので金メダル目標の10個もメダル総数40個も正直とても無理である。

私は別にバラリンピックを否定をするつもりはない。しかし、なんでパラリンピックまでメダル目標を設定する必要があるのだろうか。パラリンピックは身体障害者の祭典である。ただ、その祭典も義足など道具の発展によって疑わしく思う競技もある。一方で、車いすバスケット、車いすラグビー、ブラインドサッカー、シッティングバレーボールなど健常者でも難しく面白いスポーツもある。それゆえに、私も深夜にテレビ観戦したりする。

ただ、観ながら思ってしまうのがメダル目標が必要なのかどうかということである。別に健常者と障害者を差別・区別するつもりはないが、障害者スポーツはどうみても健常者スポーツより身体的ハンデが大きいように思う。車いすバスケットを見ていても、背の高い選手は普通のバスケット以上に有利であり、日本は相対的に不利であり如何ともしがたい。また、陸上競技にしても、義足の進化進歩は明らかに欧米人の方が上で日本をはじめ東洋人は苦渋を舐めている。

こうなると、メダル目標なんて作ること自体がどことなくおかしいと思わざる得ない。しかしながら「目標なくしてメダルなし」みたいな前時代的な発想を抱く体育関係者は多い。健常者のオリピックにしても「国威発揚」とか馬鹿な解釈のもとにメダル目標を作っている。

いい加減メダル至上主義を止めてもらいたい。

水曜日, 9月 14, 2016

言論の自由、表現の自由を守るために「日刊ゲンダイDIGITAL」を購入

以前私は朝日新聞、日本経済新聞、日刊スポーツと3紙を購読していた。だが、2010年ごろに日経の購読をやめた。株価が低迷していたこともあるが、ネットで株式情報を容易く得ることができるようになったからである。

最近は朝日新聞の購読もいずれ辞めようかと考えている。なぜならば、紙面の半分は広告、その上、スポーツに4面から6面も割いたりしている。以前は充実していた夕刊の文化面も色褪せてきた。そして、何よりも本来伝えなければならない出来事や裏事情を伝えていない。骨抜き状態である。こうなると、もう読む気がしない。ただ、母親が読んでいるのでしばらくは購読を続けるが・・・。

で、今月より日刊ゲンダイDIGITALを購入した。今日ある新聞のなかでまともなのもはや東京新聞と日刊ゲンダイぐらいだろう。というのも、この2社は総務省に牛耳られているテレビ局を抱えていないので、自分たちの主張をしっかりと伝えられるジャーナリズム精神が宿っているからだ(と信じたい)。

ご存知のように日刊ゲンダイは今でも自由な発言が多く紙面を賑わしている。政府や原発村に媚びることはない。大手マスコミが報道しない沖縄のこともしっかりと書いている。小池都知事のグレイなところも追及している。スポーツ界芸能界の裏話も面白い。

日刊ゲンダイDIGITALの1ヶ月の購読料は2,200円である。この値段か高いか安いかは人によって判断が異なるだろうが、私は言論の自由、表現の自由を守るためならば決して高いとは思わない。