木曜日, 7月 31, 2008

高校野球を二部制にしたら

高校野球が明後日8月2日より始まります。昨年の日記にも書きましたが、私はほとんど高校野球を見ません。理由は下記の日記に書いてあります。

さて、今年は記念大会とか言って、どさくさにまぎれて55校も出場する。そして、そのほとんが生徒獲得のための宣伝行為という私立高校で、今年も相変わらず「全国私立高校売名野球大会」であり、朝日新聞と高野連は規制すると言ったにもかかわらず、これまた相変わらずの「大阪出身高校生野球大会」になっている。

そこで、提案である。高校野球を二部制にしてはどうだろうか。もう何でもありの「私立高校大会」と、地域密着型の「公立大会」にしてはいかがであろうか。もし、「公立大会」が開催されれば、本来の姿である地域密着の応援ができ、地域活性化にもつながるのではないだろうか。例えで申し訳ないが、外部出身者だらけの青森山田高校が出る「私立大会」よりは、文武両道の青森高校か往年の三沢高校が出場する「公立大会」の方が青森県は盛り上がるだろう。そのためにも、ぜひとも二部制にはしてはいかがだろうか。

そして、NHKはBS普及やデジタル放送普及のためにも、ここらで1日中高校野球を総合放送などの地上波でたれ流すのを止めて、BSだけにしてもらいたい。大相撲ですら地上波では幕内以降の取組しか放送していないのに、1日中「かっとばせ〜」しか聞こえてこない放送するのはおかしい。いずれにしろ、私には憂鬱な季節である。

高校野球は見ません
http://k21komatsu.blogspot.com/2007/08/blog-post_20.html

水曜日, 7月 30, 2008

プロ・オケ楽団員の平均年収

先日、ある人から朝日新聞にオーケストラの楽団員たちの給料が載っていたと聞かされたので、新聞を読み返してみると、7月25日付朝日新聞(朝刊)の「揺らぐ音楽の地位」という記事のなかに、日本音楽家ユニオン調べによるオーケストラ・メンバーの平均年収(2007年)が掲載されていた。

札幌交響楽団          575万円
仙台フィルハーモニー管弦楽団  559万円
NHK交響楽団         945万円
東京都交響楽団         684万円
日本フィルハーモニー交響楽団  405万円
名古屋フィルハーモニー交響楽団 633万円
京都市交響楽団         540万円
大阪フィルハーモニー交響楽団  578万円
広島交響楽団          485万円
九州交響楽団          522万円

日本のサラリーマンの平均年収は435万円(2006年調査)であるが、音楽をやっている人から言わせると、音楽家は楽器などの諸経費がかかり、もっと収入がほしいと言うだろう。

しかしである。音楽家というのは共働きが非常に多い。上のリストにはないが東京フィルなどは楽団員同士の夫婦が10組以上いる。知人のチェロ奏者やヴァイオリン奏者の奥さんは共にピアニストで先生をしている。また、音楽家はこれらの収入以外にもご祝儀やお礼といった不透明な収入があると思われるので、これぐらいが妥当ではないだろうか。

それにしても、N響と日本フィルが倍以上も違うというのには驚いた。私はN響会員であるが、同時に今年から日本フィル・サポーターズメンバーにもなった。陰ながら貧乏オケを応援していきたいと思う。

月曜日, 7月 28, 2008

『アメリカ彦蔵』(吉村昭)を読む

少しでも海外生活を経験した者にとっては、涙なくしては読めない本である。550ページにもおよぶ長編だが、3日かけて夢中になって読んだ。

幕末期、ジョン万次郎をはじめ数多くの漂流民がアメリカにたどり着いたが、彦蔵ほど流転の人生、まさに漂流した人生を送った者はいなかったのではないだろうか。

播磨国に生まれた彦蔵(幼名彦太郎)は1850年に13歳で「永力丸」の船乗りになるが、初めての航海で大しけに遭う。彦蔵をはじめ乗組員17人は2ケ月に渡る漂流生活の末、アメリカのオークランド号に助けられ、サンフランシスコに上陸する。

その後、乗組員全員は1ケ月ほどサンフランシスコに滞在するものの、ペリーの対日開国工作の外交カードとして香港へ行かされる。しかし、彦蔵はモリソン号事件で日本に帰れなかった力松の話を聞いて、無事に帰国することはできないと思い、アメリカへ戻ることにする。

その後、彦蔵は3人のアメリカ大統領に謁見するなど、波乱万丈の人生を送る。

この本の素晴らしいことは、単に彦蔵の歴史だけを書くだけことなく、数十人にもおよぶ漂流民のことがかかれていて、サブタイトルに『〜幕末の漂流民たち〜』とつけてもいいぐらいである。作者の吉村昭は「あとがき」でも書いているが、「今までこれほど手こずったことはない」というぐらい漂流者たち全員のその後を追い求め、そのノンフィックション性への追求には感服する次第である。

彦蔵は明治30年12月11日に隅田川近くにあった自宅で息をひきとる。享年61歳。新聞は「アメリカ彦蔵死す 日本で新聞の創設者」という見出しで報じたという。そして、翌年12月に青山の外国人墓地に墓碑が建てられた。碑文は英語で書かれ、その下に漢字で「浄世夫(ジョセフ)彦之墓」と刻まれている。

彦蔵はアメリカ人として、祖国の地で眠っている。

土曜日, 7月 26, 2008

夏はやっぱり冷酒の季節です

東京も梅雨明けして1週間になりました。今年の気象庁の梅雨明け宣言は、昨年のようなまやかしの梅雨明け宣言と違い(下記日記を参照)、見事に的中している。というのも、18日以前と19日以降では明らかに体感湿度は異なり、加えて陽ざしの強さが全く違います。18日は湿度はジトジト。ただ肌が陽ざしに照らされていても、別に苦痛ではありませんでした。ところが、19日からは湿度はあるものの意外にさわやか。しかしながら、陽ざしは強烈で少しでも陽に照らされていると、腕が痛くなってきました。夏です。完全に梅雨明けです。

ということで、梅雨明けと共に先日京都から届いた佐々木酒造の「夏の冷酒セット」を飲ませていただいております。1本300mlの日本酒セットです。美味しいです。京の香りがします。ほろ酔いかげんになります。京の風が聞こえます。美味しいです。

まやかしのような梅雨明け宣言
http://k21komatsu.blogspot.com/2007/08/blog-post_02.html

隠れた銘酒の蔵元は佐々木蔵之介の実家
http://k21komatsu.blogspot.com/2007/06/blog-post_29.html

木曜日, 7月 24, 2008

映画『クライマーズ・ハイ』を観る

昨晩、渋谷東映で映画『クライマーズ・ハイ』を観た。面白い。非常に面白い。

『クライマーズ・ハイ』は作者の横山秀夫が、上毛新聞勤務時代に経験した日航ジャンボ機墜落事故をもとに、その新聞社(映画では北関東新聞となっている)を舞台にした、記者魂を描いた作品である。また、タイトルになっている『クライマーズ・ハイ』とは、登山家が山登りのときに覚える異様な興奮状態のことであり、映画はその登山家心理と新聞記者魂を交錯させながら描いていく。

映画は2時間25分にも及ぶ大作だが、演出の展開はスピーディで観る者を飽きさせない。また、出演者たちの熱気と狂気に満ちた演技も素晴らしい。主役の堤真一はこの作品が代表作になるであろうし、いくつかの映画祭で主演男優賞も取れるかもしれない。加えて、彼と対立する部長を演じた遠藤憲一、デスクを演じた田口トモロヲなども助演男優賞ものである。映画の後半に堤が遠藤にスクープ記事を打診するとき、現場組(田口、堀部圭亮)の2人が上司(蛍雪次朗、中村育二)を懐柔しているシーンなどはやや漫画チックではあるものの、映画ならではの醍醐味があり見ごたえがあった。

しかし、この映画は後味が悪い。なぜなのだろう。それは、日航ジャンボ機墜落事故の死者に対する畏敬の念がないとかそういうことではない。それは墜落原因が「圧力隔壁の破損」ということに対する疑念が弱いと感じたからであろうか。それとも、新聞記者の心理と登山家の心理の交錯を私がうまく理解できなかったからであろうか。

もう一度、じっくり観るつもりでいる。

映画『クライマーズ・ハイ』公式サイト
http://climbershigh.gyao.jp/

火曜日, 7月 22, 2008

「とりあえず」はビールの枕詞???

とりあえずビール。「とりあえず」という言葉は、飲み屋でのビールの枕詞になっている。だから、「とりあえずビール」という銘柄のビールを出せば、間違いなく売れると思うのだが・・・。(笑)

さて、この「とりあえず」という言葉の意味をご存知であろうか。「とりあえず」を漢字にすると「取敢ず」もしくは「取り敢ず」と書く。元々は「不取敢」と書いた。

今日、「とりあえず」は「とりあえず、〜をする」という使われ方をしていて、「まずは、〜をする」という感じで、「とりあえず」にはさほど強い意志や意図がない副詞となっている。つまり、「とりあえずビール(を飲む)」という言葉には「最初はビールで、その後に別のものを飲むよ」という意味が含まれているわけである。

しかし、「とりあえず」を辞書を調べてみると、意味は少し異なってくる。かの広辞苑大先生によると、「とるべきものもとらずに。他の事をさしおいて。さしあたって。早速に。すぐに。猶予なく」となっている。

ということで、本来は「取るものも取らず」という意味で、「いざ鎌倉に」と同じように「とりあえず鎌倉に」と使われてもおかしくないのである。つまり、何か急変が起きたときに「とりあえず」駆けつける、といった具合に使うのが本来の使い方であった。

しかし、言葉は生き物である。時代時代によって意味は変わっていく。今の時代には「とりあえず鎌倉に」はありえないので、「とりあえず」がビールの枕詞であってもおかしくはない。ということで、夜は「とりあえずビール」から始まる。(笑)

日曜日, 7月 20, 2008

行ってみたい日本のお祭り

お祭りの季節である。下記の「日本の人気祭りランキング 2008」によると、行ってみたいお祭りのベスト3は、1位は青森のねぶた、2位は富山八尾のおわら風の盆、3位は京都の祇園祭となっている。

私は日本各地を旅していて、上記の青森、富山、京都は好きな都道府県であり、何度も行っているが、残念ながらこれらのお祭りを見たことがない。というのも、お祭りの時期は宿をとるのも大変であり、また一人旅しても味気ないので行く気になれない。ということで、私は日本各地のお祭りには当分縁がないようである。

それでも、やはり上記の3つのお祭りはいつの日にか行ってみたいものである。この他では、札幌の雪まつり、秋田県羽後町の西馬音内盆踊り、京都の鞍馬火祭りなども機会があれば行ってみたいものであるが、いつになったら行けるであろうか。ちなみに、私の地元の碑文谷八幡の秋の例大祭は今年は9月13日と14日だそうである。

「日本の人気祭りランキング 2008」を発表
http://4travel.jp/aboutus/pressroom/news/20080219_news.html

金曜日, 7月 18, 2008

映画『奇跡のシンフォニー』を観る

一昨日、日比谷スカラ座で映画『奇跡のシンフォニー』を観た。原題は「August Rush(八月の興奮)」というのだが、かなり興奮して観てしまった。

孤児院で過ごしていた11才の男の子が、両親から受け継いだ遺伝子により、音楽に目覚めて、ジュリアード音楽学院まで進み、最後はセントラルパークでNYフィルを指揮して、自作の曲を演奏するという、かなり奇想天外・荒唐無稽的なストーリーである。

しかし、俄然面白い。観ていて全然飽きなかった。腕時計など一度も見なかった。NYが舞台ということで、ロック、ジャズ、クラシック、ゴスペルといった音楽、そして、NYの町が奏でる雑音ともいうべき音楽が猥雑に、そして見事に重なりあっていて、NY特有の雑踏を表現している。その効果を引き立てるドルビー・サウンドも素晴らしい。

個人的にはNYのワシントン広場周辺を中心に撮影していたのも嬉しかった。というのも、80年代から90年代にかけて毎年のようにNYへ行っていたとき、私はこのワシントン広場に面して立つワシントン・スクエア・ホテルをよく利用していたので、「ああ、この場所はあそこだな」なんて悦に入りながら観ることができた。

残念なことに、この映画はほとんどの劇場で本日18日限りで放映が終わってしまう。見逃した人も多いと思うので、レイトショーとかで続映してもらいたい。

奇跡のシンフォニー
http://www.kiseki-symphony.com/

木曜日, 7月 17, 2008

読売新聞押し売り販売の一例

一昨日、読売新聞販売店「YC東調布」従業員2人が集団強姦と住居侵入の疑いで逮捕された。以前より新聞販売員や拡張販売員はガラが悪いとか、押し売りがしつこいとか言われているが、強姦となるともう言語道断である。新聞社自体のモラルが問われてもおかしくない。朝日新聞の記事によると「現場に残された指紋などから両容疑者が浮上した」ということは、この2人には前科があったということであろうか。新聞は「インテリが作って、ヤクザが売る」と言われたりするが、まさにその象徴的な事件である。

そもそも、読売新聞(ゴミ売り新聞とも言う)の勧誘は目にあまるものがある。私もつい2〜3週間前に友人から次のようなメールをもらった。


「申しわけありませんが、購読料を私どもが負担しますので、6ヶ月間貴殿が嫌いな読売新聞を取っていただけないでしょうか。

理由はあるエリアの販売店が私どものお客様で、夏のキャンペーンで購読者を探している、と懇願されているのです。

もしご了解いただけるならば、近日中に貴殿宅近くの読売新聞販売店がお宅を訪れ、6ヶ月の購読契約をすることになります。6ケ月以降は購読しない旨の断りを言っていただいて構いません」


私はもちろんこの依頼をすぐに断った。理由は簡単である。私はナベツネ(渡辺恒雄)が大嫌いだからだ。ナベツネは日本の諸悪の根源の一人であり、絶対に彼に利益を与えるようなことはできない。いくら友人の依頼といえども、私に到底受け入れられるものではない。

それにしても、このような販売依頼をする会社なのだから、読売新聞そのものの知的レベルが知れている。とても読むに値する新聞とは思えない。今回の販売員の事件で、読売新聞東京本社は「当社と取引関係にある販売店の従業員が行った行為は、到底許されるものではありません。極めて遺憾であり、再発防止のための従業員教育を徹底させるよう、雇用主に強く求めます」と言っているが、読売新聞はナベツネ専制体制を変えなけらば、今後も似たような事件が起きる可能性があると思う。

http://www.asahi.com/national/update/0715/TKY200807150189.html

水曜日, 7月 16, 2008

けっこう有名みたいな「鷹番の湯」

Googleで「鷹番」と検索すると、一番上に登場するのは母校である「鷹番小学校」。その次が「鷹番の湯」である。鷹番の湯はそれなりに有名なようである。ちなみに「碑文谷」と検索すると一番は「碑文谷警察署」で、二番目は「スイング碑文谷」であった。みなさんも、自分の地名をググッてみてはいかがでしょうか。意外な結果が出たりするかもしれませんよ。

さて、「鷹番の湯」であるが、ここは天然温泉のお風呂屋さんである。泉質はメタ珪酸・メタ硼酸というもので、都内にある温泉としては珍しく無色透明無味無臭。浴室は1階と2階にあって、奇数日と偶数日によって男女の浴室が変わる。結構お客さんが来るお風呂屋さんなので、脱衣所は広くロッカーの数も多い。その分洗い場や浴槽が狭いような気がしないでもない。

湧出量が100ℓ/分ということで、お湯は豊富に湧きでている。浴槽はいくつかのジェットバス形式になっているが、2〜3人も入ればいっぱいになってしまう小さな露天風呂もある。この他に別料金だがサウナ室も備えてある。また、1階には8畳ほどの広さの休憩室、マッサージチェア、各種自動販売機があり、ビールやラーメンの販売機もあるので、入浴後軽く休息もできる。

ちなみに、私はこの「鷹番の湯」へは1〜2ケ月に1回ぐらいの割合でしか行かないが、ここの温泉に入った後に、行きつけのマッサージ屋さんへ行くと、それはそれは極楽状態の気持ちいい世界に浸れます。w

行き方は東横線線学芸大学駅下車。徒歩7〜8分。東口商店街をまっすぐ進み、突き当たりのコンビニなどがある五差路を北側方向へ左折。2ブロック行った左手にある。

東京都目黒区鷹番2-2-1 電話:03-3713-1005
営業時間15:00〜25:00(日祝は14:00〜) 
定休日は第1、第3金曜日。料金は大人380円。

温泉みしゅらん 鷹番の湯
http://www.asahi-net.or.jp/~ue3t-cb/spa/takabannoyu/takabannoyu.htm

月曜日, 7月 14, 2008

7月は酒と美人に入り浸り

7月はクラシック音楽のコンサートに行く回数が少ないので、飲む機会が減るかと思っていたが、「全く然に非ず(さにあらず)」状態。困ったものである。

1日(火)は目黒にある行きつけの寿司屋「寿しながもと」で、常連のお客さんたちと氷見から送った岩ガキやらさざえを食す。飲んだ酒は富山の地酒「黒部峡」。辛口で非常に男っぽい酒。何杯もグイグイ飲める酒ではないが、じっくり味わうのに適している。

3日(木)は渋谷の「むつ湊」で、小学校時代の同級生たちと飲む。ここは東北から産地直送のものを仕入れていて、刺し身が文句なしに美味しい。で、ここでも三陸釜石産の岩ガキを食べてしまう。ここでは日本酒でなく焼酎を悪友たちと2本飲む。

5日(土)は武蔵小山の「居酒屋亜壇」。ここは河豚、焼鳥、鰻など各種のメニューがある。無口だけど仕事が丁寧なご主人の造る品々は逸品。注文してから茹ではじめる「ゆでたて枝豆」や超格安の「焼き鳥盛合せ」などなど。もう何を食べても美味しい。締めに食べた「茶そば」も最高。酒は久保田や立山を飲んでいたような気がする・・・。

7日(月)は学芸大学のよく行く店「風」。この日は浴衣など和服で来た人には「ほたての炙り&生ビール」をサービスする「七夕イベント」。私は和服をもっていないので、和服姿で行くことはできなかったが、富山で買った「おわら娘」という和服美人が描かれた酒を持参。そして、このお酒が浴衣美人たちに大受けで、私は某航空会社の国際線CAのお姉さんとハグしてゴキゲンな時間を過ごす。(笑)

9日(水)はイギリスに帰任する駐日イギリス大使夫人である従姉妹とウナギを食べに行く。そして、翌10日(木)はジムでよくご一緒するお医者さん夫妻と飲む。

私の胃袋は梅雨明けどころかもはや夏バテかもしれない。(笑)

土曜日, 7月 12, 2008

木造校舎は永遠なり

小学校4年生まで、木造校舎で過ごした。木造校舎は歩くたびに床が軋む音がしたり、床に塗る油の匂いがきつかったり、掃除のときの雑巾掛けがきつかったり、虫が入ってきたり(たまに動物まで入ってくる)と、当時はあまり良い印象がなかった。それでも、階段の踊り場に飛び降りたり、階段の手すりを滑ったりと楽しい思い出も数多い。

しかしながら、こうした昔ながらの木造校舎の小学校は現在、全国に2〜3百ぐらいしか残っていないと言われている。そして、その多くはすでに廃校になっている。そのなかには、町や村の施設として使われていたり、映画やテレビの撮影用に維持されているものがあるが、残念ながら朽ち果てていくものも少ない。

ただ、最近は木造校舎の良さを再認識する運動が起き、耐震構造のある新築の木造校舎が各地で作られている。木造校舎は永遠なり、である。

写真は木曽福島の黒川小学校(廃校)

木曜日, 7月 10, 2008

言ってはいけない冗談

冗談やダジャレは時と場所、そして相手によって、受けたり受けなかったりするもので難しい。先日、行きつけの寿司屋で言った冗談は、今でも反省するぐらいどうしようもないものだった。m(_ _)m

氷見から送った岩ガキやさざえなどを常連のお客さんと一緒に食べているうちに、隣りに座っていた会津出身の綺麗なお姉さんからこんなことを聞かれた。

「小松さんって、面食いなんでしょう?」
「え・・・」

戸惑う私にちょっと酔っている彼女はまた、

「そうなんでしょう〜?」

「えぇ、うどんは得意じゃいけど、ラーメンとおそばは好きです」

「・・・サ・イ・テ・イ」

最低のジョークでした。
深く反省しています。

火曜日, 7月 08, 2008

大学の名前も酒の肴

10年以上も通った飲み屋が閉ざされて、居酒屋難民っとなった人間たちが今度は地元・学芸大学を離れて、なぜか武蔵小山に集結して、ああだこうだと飲みはじめた。

そして、話題はいつのまにか大学の話に・・・。前回は戒名だったのに。(笑)

客A「先生の大学ってローカルな名前ですよね」
客B「まあ、大学の名前なんてみんな地名ですからね」
客C「先生の出た大学もローカルですよ」
客D「ああ、本郷大学ね」(笑)
客C「駒場大学もあるよ」
客B「わ、わ、私は本郷、本郷」w
客E「国立大学の名は、みんな都道府県名で味気ないですよね」
客B「そんなことはありませんよ、弘前大学、信州大学とか」
客C「九州大学もそうですね」
客D「私立大学でも都道府県名がついています」
客B「神奈川大学、愛知大学、福岡大学」
客D「沖縄大学は私立で、琉球大学が国立」
客A「都道府県名がついていない大学がひとつあるんですよ」
客E「え、どこですか?」
客C「青森、岩手、秋田、宮城…、宮城大学ってあります?」
客A「県立大学がある」
客C「山形、福島、群馬、栃木、栃木……」
客D「栃木大学、聞いたことないですね」
客A「宇都宮大学があっても、栃木大学はないんです」
客E「Aさんの地元じゃないですか」
客A「どうもウチの県だけがないんです」
客B「栃木大学、あってもおかしくないですね」
客C「そのうち作新学院あたりが変えたりするんじゃないの」
客A「それは勘弁だなぁ、それならない方がいいよ」

家に帰ってネットで調べてみた。確かに栃木県だけが都道府県名がついている大学がない。青森、神奈川、長野、愛知、兵庫、奈良、福岡、沖縄は私立大学で、宮城と石川は県立大学。そして、やはり栃木だけが宇都宮、足利の名がついた大学はあっても県名のついた大学がない。

飲み屋話もたまには勉強になる。

日曜日, 7月 06, 2008

北陸の旅(ちりとてちんと音楽会編)

2日目に氷見で魚と牛を堪能しまくった私は、翌日に富山ライトレールに乗りたいがために、富山駅前にあるホテル(富山エクセルホテル東急)に宿をとった。しかし、夕方から予報通りに雲行きが怪しくなりはじめ、少しパラパラと降り始めてきてしまった。ということで、夕食はホテルのすぐ近くにある居酒屋・桜亭で簡単に済ませることにした。しかし、結局、ビール、日本酒(三笑楽と立山)を飲んでしまい、つまみも岩ガキ、煮込み、刺し身の盛合せなどを注文してしまった。仕方がない・・・。(笑)

3日目の朝、外は大雨。これでは富山ライトレールに乗って、終点の岩瀬浜まで行っても何の観光もできない。ということで、午前中の予定をすべて取りやめることにする。おかげで、いい休息にもなり、ホテルのレストランで朝食をとった後に、ひと眠りすることができた。こういうとき、チェックアウトが午前11時というホテルは嬉しいものである。

この日、たまたまNHK総合(富山ローカル)では午前10時10分より北陸スペシャル「ちりとてちん 正平・順子のふるさと福井を旅しよう」を放送していたので、これを思わず見てしまう。これは6月初旬に北陸および関西で放送された番組の再放送であったのだが、ちりとてちんファンとしては嬉しい番組に遭遇したものである。パチパチ。

番組内容は喜代美の弟・正平(橋本淳)と喜代美の親友・順子(宮嶋麻衣)の二人が舞台となった小浜、勝山、三方五湖などを訪ねて回るというものだったが、少女時代の喜代美(桑島真里乃)も登場したりと、なかなか興味深く見させてもらった。若狭地方へはまだ行ったことがなかったので、いつか行くときのための良い勉強になった。

ホテルをチェックアウト後、金沢へ向かう。午後3時から石川県立音楽堂コンサートホールで開かれるオーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)と群馬交響楽団の合同演奏会を聴くためである。石川県立音楽堂コンサートホールには以前にも一度行ったことがある。今回の演奏会は高崎市と金沢市が友好交流都市協定締結を記念して企画された。

指揮は井上道義。ヴァイオリンはアビゲイル・ヤング。ピアノはリリヤ・ジルベルシュタイン。演目はオール・チャイコフスキー・プログラム。

演目
チャイコフスキー/ゆうつなセレナード(OEK)
チャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番(群響)
チャイコフスキー/交響曲第4番(群響&OEK)

開演前トークで三枝成彰が「チャイコフスキーとラフマニノフは音楽家の間では好きと言ってはいけない作曲家」と話した。というのも、この二人の音楽には情念があるからだそうだ、ということである。ふ〜ん、情念のない音楽なんてつまんないじゃん。宗教や政治、思想や哲学といった音楽より人間的でいいじゃないか。

さて、演奏会の内容は全身を使って大らかに指揮するミッチー節炸裂という感じで、非常に楽しく面白かった。なかでもチャイコフスキーの交響曲第4番では、第1・2楽章を群響が表を、第3・4楽章をOEKが表で演奏するという試みを行う。ミッチーが「これで音が変れば面白いのだが」と言っていたが、私にはあまり変わったようには聴こえなかった。というのも、この時点で私は午後5時17分発の帰りの特急に乗らなければならず、どうも気がきでならないで演奏を聴いていたからである。やはり、コンサートは余裕をもって聴くものである。ということで、残念なことにアンコール曲を聴くことはできなかった。

なお、この北陸の旅の一番最初にかいたブログに登場する特急のなかにいたチェロ奏者のみなさんは、この舞台にもちろんいました。

最後に今回の2泊3日の旅費であるが、交通費は以前にも書いたJR東日本大人の休日倶楽部の「3日間乗り放題の会員パス」を使ったので、万葉線以外はすべてフリーパスで12,000円。かなりお得感でした。宿泊は1泊目の華山温泉が15,000円(砂風呂と飲み代は別)、2泊目の富山エクセルホテル東急が9,400円(朝食付)とリーズナブルな値段だった。ただ、今回の旅では土産物が一番高くつき(笑)、日本酒6,500円、岩ガキ・さざえなど9,600円、氷見牛7,500円と贅沢をしてしまいました。
(終わり)

写真上:氷見線
  中:金沢駅の荷物一時預かり所
  下:金沢県立音楽堂

富山ライトレール
http://www.t-lr.co.jp/index.html

オーケストラ・アンサンブル金沢
http://www.orchestra-ensemble-kanazawa.jp/

土曜日, 7月 05, 2008

北陸の旅(魚も美味いが牛も美味い編)

やっと旅の2日目に突入である。1日目を書くだけで3日も費やしてしまった・・・。

福光を9時05分に経ち、高岡で乗り換えて氷見に向かう。氷見へ向かう電車(氷見線)は忍者ハットリくんで彩られている。氷見は忍者ハットリくんの作者である藤子不二雄?(安孫子素雄)氏の出身。氷見の町なかにも忍者ハットリくんのカラクリ時計があったり、写真のようにキャラクターがあちこちに飾られている。

氷見は新湊と同じように富山湾にある漁師町で、その漁獲高は全国有数を誇る。氷見の魚というとブリが有名だが、夏の時期はなんといっても岩ガキである。ということで、行きつけの寿司屋と飲み屋に送る美味いものを求めて、まずは氷見港近くにある海鮮館に直行する。

海鮮館はいわゆる観光客相手の市場で、お土産屋、食事処、情報センター、遊覧船などがある。大型バスも停まるようで、館内は多くの人で賑わっていた。新湊にもこのような施設があれば、あのような閑散としたイメージはしなかっただろう。やはり、地方では車で来れるような集客能力のある施設がないとダメなのだろうかと思ってしまう。

海鮮館で岩ガキとさざえをクール宅急便で頼んでから、今度は潮風通りという商店街を中心に街中を散策する。そこで、見つけたのが氷見牛というノボリのある精肉問屋牛勝。

氷見は魚ばかりでなく牛も美味しいところである。氷見牛は一般的には知名度は高くないが、肉質、鮮度、脂肪交雑の三拍子揃っている。特に肉質は等級が最高位のA5にランクされている牛の比率が高く、この氷見牛は牛肉業者の間では知らない者はいないと言われている。氷見市のHPによると現在氷見では12戸の農家が、1,300頭の肉牛を愛情込めて育てていて、富山県一の産地になっている。

そんな美味しい牛をお土産に買わないわけにはいかない。値段は100g750円から1500円まであったが、750円のすき焼き用の薄切りを1kg購入して、宅配便で送ってもらう。後日それを自宅で食したのだが、いや〜もう凄いです。もう肉が口のなかで溶けます。これまで、日本各地のブランド牛を食べてきたが、間違いなく5本の指に入る逸品です。今度は写真にあるようなステーキ用のぶ厚い肉を食べてみたい。

そして、この日の昼食は牛勝のご主人に教えてもらったお寿司屋・鮨よし(中の橋店)で地のものランチ(2000円より)をいただいた。う〜ん、満足、満足、大満足。

写真上:忍者ハットリくんの郵便ポスト
  中:牛勝
  下:氷見牛(パンフ写真)

氷見観光協会
http://www.kitokitohimi.com/

海鮮館
http://www.kaisenkan.com/index.html

鮨よし
http://www.himi-sushiyoshi.co.jp/

金曜日, 7月 04, 2008

北陸の旅(砂風呂にお酒編)

新湊でお寿司と高校野球話を満喫したので、そろそろ本題の酒と温泉に浸かるべく、高岡発城端行のローカル電車に乗った。下校時間ということで、車内は地元の高校生でいっぱいなのだが、それにしても、どこもかしかも地方の高校生のファッション・センスというのは悪いのだろうか。昨年何度も訪れた青森もそうだし、今年2月に訪れた沖縄にしてもそうだが、う〜ん、申し訳ないがみんなダサい。

地方といえども最近の制服は結構バラエティに富んでいる。しかし、その着こなしがもう完全に田舎ルックなのである。というより、だらしないのである。シマリがない。崩して少しファッションぶっているヤツもいるのだが、それでもワンポイントがない。このファッション・センスはどうにかならないのだろうか。それに加えて体型もなっていない・・・。

とか考えているうちに、電車は30分ほどで福光駅に着いた。福光は富山の砺波平野の南部に位置する町で、現在は南砺市の一部になっている。ここはあの天才版画家・棟方志功が1945年に疎開し、その後6年間創作活動を行った地である。現在はその住居跡に「棟方志功記念館愛染苑」が建てられ、多くの作品が展示されている。料金大人300円。駅前にも棟方作品のレリーフが数多くある。

宿泊先とした華山温泉は1982年にボーリングにより源泉が開発された比較的新しい温泉。泉質はナトリウム塩化物泉で、薄緑がかったにごり湯である。ここの名物は建物最上階にある砂風呂である。宿に到着して、お茶を一服してから早速この砂風呂に入った。

ガウンに着がえて約40度に暖められた砂のなかに横たわること20分。額や頬は完全に汗だらけ。う〜ん、気持ちがいい。本当に全身が暖まる。ちょっと病みつきになりそうである。今度鹿児島へ行ったおりには、砂風呂の元祖ともいうべき指宿温泉に行ってみたくなった。砂風呂のあとには、1階にある大浴場と露天風呂に入る。この華山温泉は少し高台にあるために、露天風呂から、砺波平野の散居村を一望することができる。

さて、食事は写真のように、最初のお膳からして期待大の雰囲気。このあとにも、手の込んだ美味しい料理が何品もでてきて、お腹は完全にメタボ状態になる。そして、ここでは織田信長に仕えた戦国の武将・佐々成政の銘をとった「成政」を飲ませもらった。このお酒は地元・福光のもので、キリリとした辛口のキレがある美味しいお酒である。

富山県は全国でも指折りの日本酒の名産地である。立山連峰からの美味しい水と米どころでもあるのだから、当然といえば当然であろう。東京でも比較的手に入りやすいお酒は「満寿泉」「立山」「銀盤」などがあるが、これ以外にも数多くの美酒銘酒が揃っている。なかでもおすすめなのが「三笑楽」。このお酒は五箇山で造られていて、高校卒業後に友人らと五箇山訪れたときに、毎晩飲みまくるほどハマってしまったお酒である。

ということで、今回の旅のお土産として、ある処でチョコチョコときき酒しながら、4合瓶の「三笑楽」を2本、朝日町の「黒部峡」と八尾の「おわら娘」を各1本買ってしまった。富山のお酒については下記のHPを是非ともご参照ください。

写真上:露天風呂
  中:成政
  下:夕食の最初のお膳

ふくみつ華山温泉
http://www.hanayama.tv/

富山の酒
http://www.toyama-sake.or.jp/

木曜日, 7月 03, 2008

北陸の旅(漁より高校野球編)

今回の旅の目的は、酒・温泉・魚・電車・音楽であるが、一応、先月の誕生日に手術をうけた扁桃結石からの快気祝いも兼ねている。今年は1月に入院、6月に簡易手術と健康面で散々である。こうした風潮を一掃したいためにも旅に出ることにしたのである。で、なぜ北陸を選んだかというと、これは7月5日に東海北陸自動車道が全線開通する前にと思ったからだ。

東海北陸自動車道が全線開通すると、名古屋から五箇山までは約2時間。富山までは約3時間で行くことができるようになり、富山県は完全に名古屋圏に取り込まれる。このことによって、名古屋でもその日の内に富山産の新鮮な魚介類が食べられるようになったり、美味しいお酒が飲めるようになる。一方で、富山には数多くの観光客が訪れるようになり、富山が「ミャーミャー」化するのではないかと思い(笑)、その前に行っておこうと考えた次第である。

さて、万葉線で海王丸パークまで行った後、昼食を取るべく新湊の寿司屋通りへ向かった。観光パンフレットによると、新湊には10数軒の寿司屋があり、さぞや活気があるのかなぁと思っていたが、実際はその多くの店が開いているのか、閉めているのか解らないような有様で、非常に閑散としている。観光客など私以外に誰も歩いていない。これは観光客用の大きな駐車場が近くにないのが一因ではないだろうか。

そんななかで、古い造りの「寿し竹」というお店に入ってみる。店内にはお客さんは誰もいなかったが、ネタケースにはおいしそうな地の魚が並んでいたので、ホッとする。そして、もちろん鮨も美味かった。なかでも、地でしか食べられない白海老、赤鯛が非常に美味しかった。値段は地ものおまかせランチ+赤鯛&マグロで2800円。ちょっとお高いランチになってしまったが、味は本当に言うことなしでおすすめのお店である。

ここで面白い話を聞いた。高校野球ファンならば知っていると思うが、新湊は20年前に「新湊旋風」を巻き起こした町である。そのために、ここでの高校野球熱は異常なほどで、高校野球が始まると、町をあげて人間が変わるらしい。それは県大会の初戦からで、新湊高校が登場すると漁師は漁そっちのけでスタンドにかけつけ、異様な熱気に包まれるそうである。


最近、新湊高校が甲子園出場したとき、町は120台のバスを連ねて甲子園に応援に行ったとか。このパス120台というのは高校野球記録(笑)だそうである。もちろん、富山県に120台もの貸切バスはなく、石川県のバスも使わざるをえなかった。120台のバスが北陸自動車道を連ねた姿は壮観だったそうである。ちなみに、バス以外にもマイカーなど何百台も甲子園に向い、町の人口の約半分の2万人がアルプス・スタンドを埋めたそうである。新湊高校野球部は阪神タイガースの次に甲子園で動員力のあるチームだそうである。w

なお、新湊は「やまびこ打線」「さわやかイレブン」で有名になった池田高校のある徳島県池田町、甲子園で何度も名勝負をしたことがある箕島高校のある和歌山県有田市と一緒に「日本三大高校野球狂の町」と呼ばれているそうだ。

新湊で面白い話を聞いた後は、高岡市内にもどり土蔵造りのまち資料館(旧室崎家住宅)を見学。ここの係員のおばさんに高岡の町づくりなどを聴いてから、高岡発城端行の普通電車に乗って、この日の宿である福光の華山温泉へ向かった。

写真上:新湊の寿司竹
  中:高岡の土蔵造りの街並み
  下:洋館造りの富山銀行本店

水曜日, 7月 02, 2008

北陸の旅(酒はまだ登場しない編)

旅は酒と温泉です。いや、酒と魚です。いや、酒と女です。もとい、酒と電車です。酒と音楽です。ということで、この4ついや5つ(酒、温泉、魚、電車、音楽)を満足させるべく北陸は富山県へ向かった。

富山県は私のお気に入り都道府県ベスト5に入る好きな県である。高校生のときに立山連峰や五箇山に行っている。仕事でも富山、高岡、入善町などへ行っている。しかし、今回は高校以来の完全プライベートな旅である。それゆえに、あれも観たい、これも飲みたい食べたい、それも乗りたい聴きたい、といろいろ欲張ってみた。

午前7時48分、東京駅より新幹線Maxとき307号に乗って一路、越後湯沢へ。朝早い新幹線にもかかわらず、自由席は上野、大宮と止まるにつれて完全に満席状態になる。午前9時05分に越後湯沢に到着、ここで第3セクターほくほく線の特急はくたか4号に乗り換える。この特急は自由席が3車両しかなく、そのうちの1両は喫煙車。このために私が乗った禁煙車は完全に満席状態で、10数人も座れない状態であった。そんななかに、ヴァオイリンやチェロを抱えた人々が何人もいた。これはもしかして・・・。

乗車率100%を越している特急はくたか4号は午前9時13分、定刻通りに越後湯沢を出発。六日町、そして十日町に止まる。そのあとは長い、長い、長いトンネルを何本か走り抜けて日本海の見える直江津まで進む。この特急に乗ったのは初めてなのであるが、意外にスピードが早いのに驚く。トンネルが直線ということもあるからだろうが、「こんなに早いのなら北陸新幹線なんかいるのかいな」と思ってしまう。午前10時08分直江津到着。ここで結構乗客が降りたので、自由席の立ち客は解消される。

順調に走ってきた特急はくたか4号だったが、ここからがやはり長かった。新潟県は広い、長い。ガタンゴトン、ガタンゴトンと揺れながら走る特急。変わらない日本海の風景にも飽きてしまう。それでも約1時間10分かけて富山に到着。ここで乗客の半数近くは降りる。私はここで降りず、それから10分後の高岡で特急に別れを告げる。

高岡は加賀藩第2代藩主・前田利長が1609年(慶長14年)に開いた町であり、商工業地として栄え、また戦災に見舞われなかったことから、古くからの街並みが残っている。さて、その高岡に着いて私がすぐに向かったのは駅前にある路面電車・万葉線である。

私は鉄ちゃん・鉄子ではないが、それでも路面電車となると、やはり乗りたくなってしまう。現在、日本には約20の路面電車が走っているが、私はその半数以上には乗っている。今回の旅の楽しみの一つはこの万葉線と富山ライトレールに乗ることであった。

万葉線は高岡市と射水市(昔の新湊)を結ぶ路線で、高岡市内を路面で走り射水に入ると昔の新湊港線を走る。現在は超低床車両のライトレールも走っている上、本数も平日の昼間でも15分に1本間隔で運行されていて、お年寄や主婦には非常に便利な電車である。そして、私をなぜかウキウキさせてくれる電車でもあった。

写真上:新しい万葉線(2両編成)
  中:昔ながら万葉線(1両編成)
  下:海王丸

海王丸は1930年(昭和5年)から約半世紀にわたり文部省航海練習船として、「海の貴婦人」として親しまれた大型帆船である。

万葉線
http://www.manyosen.net/

海王丸パーク
http://www.hitwave.or.jp/kaiwomaru/