金曜日, 4月 27, 2012

テレビ局の電波料に疑問あり


深夜の民放BS放送はほとんどがテレビショッピングになっている。これって少し可笑しくないだろうか。本来、電波は公共のものであり、それを放送局は譲りうけているはずだ。それなのに、テレビ局は制作費をまったくかけず、放送枠を通販会社などにまた貸しして、商売をしている。

少し例えが間違っているかもしれないが、テレビ局は借地ともいうべき電波を、また貸しして金儲けしている、と言っても過言ではないだろう。確かにテレビ局は国に対して年間一定の借地料ともいうべき電波料を払っているが、それはあくまでも自社制作する放送に対する使用料であって、また貸しするテナント料ではないはずである。それゆえに、公共の電波をまた貸しする場合は、国(総務省)はテレビ局から追加の電波料を徴収するべきではないだろうか。

ほかにもテレビ局は公共電波を利用して、自社制作の映画やイベントの宣伝を無料で行ったりして、明らかに電波を私物化している。総務省はこうした現実を厳しくチェックして、テレビ局に徹底した指導をするなり、それ相応の電波料を追加徴収してほしいと思う。

火曜日, 4月 24, 2012

プロ野球「投高打低」の打開策


プロ野球が開幕して1ヶ月近くなったが、今年は全体的に完封試合が多く「投高打低」状態になっている。これは昨年から導入された“飛ばないボール”・統一球の影響によるものだが、どうやらそればかりではないようだ。

というのも、昨年より審判団が進めてきた「迷ったら積極的にストライクを取る」という方針が徹底してきたからだそうだ。つまり「ストライクかなあ? ボールかなあ?」という投球はすべてストライクになっているのである。そのせいもあるだろうが、今年は見逃しの三振が多いように思える。

このように「投高打低」の試合が多くなったために、ファンのなかからは「試合が面白くない」「“飛ぶボール”に戻せ」などという声が上がっているという。しかし、私は統一球をまた“飛ぶボール”にするのは絶対に反対だ。バッドにちょっと擦ったような当たりがスタンドに入るホームランなんて二度と観たくない。やはりホームランは打者が豪快に振り抜いたバットに当たったボールがスタンドに入ってこそ価値がある。

それでは、現在のような完封試合が多い状態を脱するにはどうすればいいのだろうか。一番簡単なのはストライクゾーンを狭くすることだろう。これは安易な考えであるが、もっとも即効性がある。「迷ったら積極的にストライクを取る」という方針を転換して、「迷ったらボールにする」と方針にすれば、確実にストライクゾーンは狭まる。こうなると、打者がヒットを打てる確率が高くなるに違いない。

次に、メジャーと同じように試合中に投手がベンチ前でのウォームアップをすることを禁止する、というのはどうだろうか。これによって、投手は若干だろうがコントロールに狂いが生じる可能性がある。そのコントロールミスを、プロの打者ならば突くことができるはずである。

他にも、20秒ルールを徹底するというのはどうだろうか。バスケットボールの試合会場と同じようにバックスクリーンやネット裏にタイマー表示をする。もちろん、この20秒ルールを守らなければ主審は直ちにボールを宣告する。

また、中長期的には打者有利な球場を改装する必要もあるだろう。最近の球場はエキサイトシートなる座席が出来て、少しはファールグラウンドが狭まったが、バックネット裏などはまだまだ広い。そこでバックネット裏に記者席などをもうけてファールゾーンをもっと狭めるべきである。

統一球が登場したことによって投手が有利になったことは間違いないが、それでも今年から予告先発が両リーグで始ったのだから、打者は前日から投手対策を出来るはずである。なのに「投高打低」というのは情けない。打者の勉強不足も「投高打低」の要因ではないだろうか。

水曜日, 4月 18, 2012

目黒区よ、三匹目のドジョウを狙おう


目黒区は9月に「さんま祭り」、3〜4月に「目黒川のお花見」と2つの大きな目玉行事を作りつつある。こうなれば、2匹目ならぬ3匹目のドジョウではないが、昭和初期まではタケノコの産地と名を馳せたのだから、タケノコが旬なときに全国のタケノコの産地と連携して「たけのこ祭り」を行ってはどうだろうか。

今ではあまり知られていないが、目黒は明治後期から昭和初期にかけてタケノコの産地として有名だった。なかでも柔らかく歯ごたえのあったものは「白子(しろこ)」と呼ばれ、高値で取引されたそうである。当時、タケノコ栽培が盛んなところは私が住む碑文谷および鷹番あたりで、私が子供だった昭和30年代にはまだ少し竹林が残っていた。しかし、現在では「すずめのお宿公園」に少し残るだけとなってしまった。

今日、タケノコの産地としてもっとも有名なのは京都府向日市や大山崎町あたりで、ここらあたりで取れるタケノコは1個が2,000円もするという。一方で、出荷量がもっとも多いのは福岡県立花町らしく、ここは全国の1割以上を出荷している。ただし、残念なことに全国の消費量の9割以上が中国などからの輸入品に占められている。

そうした意味においては、国産のタケノコをPRするためにも目黒区は是非とも「たけのこ祭り」を開催してほしい。

火曜日, 4月 17, 2012

瓦礫の広域処理に反対な方はまず現地を訪れよう


瓦礫の広域処理の反対理由、それは最初は放射能拡散だった。それが次に利権絡みの反対(これは一理ある)、その後はなぜ瓦礫を広域処理しなければならないのか、なんでそんなに急いで処理しなけらばならないのか、なんで税金を使って瓦礫を運ぶのか、と変わっていった。こうなると、最初に反対ありきで理由はなんでもよくなっている。

そもそもこうした反対理由を高らかに述べる人たちのほとんどは、被災地の瓦礫の山を見ていないし、現地の状況を把握しているとは思えない。もちろん現地で線量測定もしていないだろう。そして、瓦礫が復興への足かせになっていることを知る由もない。ただ頭の中で京都の大文字焼き騒動による「東北=放射能」という固定概念が出来上がってしまい、あとはツイッターなどに蔓延する反対理由を盲目的に信じていくだけになってしまっていった。

たとえば、阪神大震災の瓦礫(約2,000万トン)がすべて兵庫県で処理されたというツイッターなどによる誤った情報に、多くの人が乗ってしまった。しかし、実際は兵庫県生活文化部環境局環境整備課(http://web.pref.hyogo.jp/wd33/documents/000044725.pdf)の報告書によれば、百数十万トンが広域処理されている。

また、反対している人たちは政府の言うことを信用しないと言うにもかかわらず、阪神大震災の瓦礫と東日本大震災の瓦礫の総数があまり変わりないという政府発表をそのまま鵜呑みにしている。東日本大震災の瓦礫は推計(東北3県で2,252.8万トン。岩手・宮城2県で2,044.6万トン)だが、今後も取り壊されるであろう建物や土台などの数字は入っていない。阪神大震災でも上記の報告書によれば、最初の推計は1,280万トンで、次の推計が1,800万トンだった。

いずれにしろ、テレビなどでは阪神大震災と東日本大震災を比較する人はいなくなったのに、まだまだ多くの人がこうした比較論でしか判断できない。もういいかげんに阪神大震災との比較は止めようではないか。

震災からすでに1年過ぎてしまったが、残念ながら瓦礫はまだまだ出る。そして、岩手・宮城の両県が広域処理をお願いしている瓦礫の量は約400万トンである。瓦礫の広域処理に反対の人はまずは現地の瓦礫の山を見てから発言しようではないか。瓦礫問題は会議室で起きてるんじゃない、現地で起きているのだから。そして、現地を訪れることは最大の被災地支援にもなるのだから。

月曜日, 4月 16, 2012

三陸に空港は必要か不要か


これは暴論かもしれない。空港建設などという大金のかかるものは必要ないとも思う。しかし、よくよく考え出した私なりの結論は三陸に空港は必要ではないかだった。

以前より三陸復興のためには三陸に空港が必要ではないか、と思っていた。しかし・・・待てよ・・・、そんなことする前にやることはあるだろう、と少し縮みかけている脳みそを絞って考えてみた。

空港の必要性
・人的交流が活発になる。
・新鮮な海産物を貨物便で運べる。
・観光客誘致が楽になる。
・災害時に拠点になる。

空港の不要性
・採算はおそろく赤字だろう。
・騒音問題が発生する可能性がある。
・鉄道再建が困難になる可能性が非常に高い。

岩手県はご存知の通り日本で一番大きな県(広さは1万5278.77㎢)である。それなのに空港は花巻空港しかない。ところが、岩手県よりも面積も狭く日本一人口の少ない鳥取県には鳥取空港、米子空港があり、お隣りの島根県にしても出雲空港と岩見空港がある。この2つの空港があるおかげで、鳥取県も島根県も関西および東京との関係が多方面で密接になっている。それを考えると、一部では陸の孤島とも言われている三陸に空港の必要性を感じざるをえない。仮に釜石か大船渡あたりに空港ができると、北は宮古から南は気仙沼あたりまでの沿岸部の住民にはいろいろな意味で便利になり恩恵をあずかることになるだろう。

一方で、空港を作るとどうしても鉄道再建への道のりが遠のいてしまうだろう。というのも、空港を作るとなると、鉄道よりも三陸縦貫自動車道などの道路整備が優先となり、そのために津波で流された鉄道再建が遅くなる、もしくは断念せざるをえないということになりかねない。つまり、「空港+道路」を取るか「鉄道」を取るかという究極の選択になりかねない。それゆえに、結論は簡単に出せないとは思うが、もしこういう仮題をつけられたならば、地元では現状では「空港+道路」を選択せざるをえないのではないだろうか。いずれにしろ、このようなことを私のようなアカの他人が書くことではないかもしれない。しかし、いずれ問題提起される課題であろう。

木曜日, 4月 12, 2012

目黒川の桜


今年の東京の桜は平年より5日遅い3月31日に開花宣言をされたが、実質お花見の見頃は4月6日(金)から10日(火)までの5日間だった。その間に近場の桜の名所巡りをしたが、目黒川の花見客の多さは信じられないほどの多さだった。

今やお花見人気スポットランキング1位にもなり、東京の代表的な桜名所の一つになってしまった目黒川。上流の大橋から下流の太鼓橋まで約3.8kmに約830本の桜が植えられている。では、この桜がいつ植えられたかというと、実はその歴史はさほど古くはない。

目黒川に最初に桜が植樹されたのは昭和の初めの1927年(昭和2年)らしい。ただ、その後目黒川は何度も護岸工事が行われていて、そのたびに桜も植え替えられているために、木の大きさに少しバラツキがある。現在もっとも綺麗な花を咲かせている木は、おそらく私が小学生だった昭和30年代半ばに植えられたものと思える。

ちなみに、目黒区は目黒川だけでなく、呑川や立会川沿いにも桜を植樹していて、目黒川同様に綺麗な花を咲かせているが、こちらはどちらも暗渠のために川そのものが見えない。そのせいもあってか、目黒川のような人出はまったくない。桜には川もしくは水は欠かせないようである。

写真上:中目黒駅近くの目黒川
  下:自由が丘駅近くの吞川(九品仏川)緑道

木曜日, 4月 05, 2012

日直の仕事って何があったっけ


テレビ番組で黒板が出てくると、必ず右下に相合傘マークと共に「日直」と書かれている。日直とはもちろんその日の当番(当直)のことであり、誰もが小学校や中学校で経験している。しかし、その仕事内容がなかなか思い出せない。なんかいっぱい仕事を課せられたいたように思うが・・・。日直のお仕事って、いったい何があったのだろうか。

まず第一に思い出されるのが起立・礼および給食時の号令をかける。「起立〜!」「礼!」「着席〜!」「いただきます」「ごちそうさまでした」という掛け声を元気よく発しなくてはならない。しかし、これも中学3年ぐらいになると、随分ダレていたように思う。

次に思い出されるのが黒板を消す。これは日直の仕事のなかで、誰もが嫌がる仕事だった。特にちょっと色気づいてオシャレに目覚めはじめた中学生にとって、白墨のカスが飛び散って学生服がついてしまうことは許せなかった。

あと、歳がバレてしまうが、冬場ストーブに入れるコークスをもってくる、という仕事があった。これもコークス置き場へ行くとススの匂いがしたり、バケツにコークスに入れるときにススが舞い上がったりして決して楽しい仕事ではなかった。

他にもいっぱい日直のお仕事があったはずだが思い出せない・・・。でも、よく考えてみると、結構日直の仕事はハードであったように思う。これがだいたい20日に1回は回ってくる。まあ、若かったからやっていたようなもので、これを今会社などでやってみろと言われたら、多くの人は拒絶するに違いない。(笑)

火曜日, 4月 03, 2012

東京に被災地支援のための「復興食堂」を


以前より被災地復興のために観光の重要性を書いてきたが、それでも観光に行きたくても行けない人は世の中にいっぱいいる。また、現地企業のサポーターになったり、特産品を通信販売で買い求めるような提案もしてきた。しかし、その両方ともを出来ない人もいっぱいいる。

そうした人たちのためにも、そして、被災地(東北太平洋沿岸部)で立ち上がろうとしている人たちのためにも、東京に被災地の特産品を販売するお店とか、被災地の食材を題材にしたお店を開店することはできないだろうかと思っていた。そんななかで、先月、新橋に店舗の利益を全額岩手・宮城・福島の3県に寄付する「復興支援酒場」がオープンした。ここでは岩手、宮城、福島の3県の90種類以上の地酒が揃い、いろいろな郷土料理も味わえる。

確かにこうした酒場もいいが、私は未曾有な被害をうけた岩手および宮城、そして福島3県沿岸部を直接的に支援する「復興食堂」のようなお店があったらいいのではないかと思う。例えば昼は釜石ラーメン、三陸海鮮丼、海鮮焼きそばなどが食べられ、夜になれば被災地のお酒とともに焼き牡蠣など新鮮な魚介類を食べられるといったお店はどうだろうか。こうすれば男性だけでなく女性も訪れやすくなるだろう。

半年とか1年とか期間限定でも構わないのだから、行政がある程度の後押しをすれば、出来るのではないだろうか。また、東京でそうしたポテンシャルに協力してくれるお店だってあるかもしれない。こんな話は今更と思う人もいるかもしれないが、大震災や被災地を風化させないためにも、これからでもまだまだ遅くはないと思う。