水曜日, 10月 10, 2007

憧れの靴だったオニツカ・タイガー

先月29日に大手スポーツ用品メーカー、アシックスの創業者で会長の鬼塚喜八郎さんが死去した。享年89歳だった。大往生の人生だったに違いない。私たちの年代でバスケットボールをやっている者にとって、オニツカ・タイガー(現在のアシックス)は憧れの靴だった。それは小学生がゴム靴でなく革靴を履くぐらいの憧れの靴だった。

鬼塚さんは1950年代半ばに高校のバスケットボール部の活動を見学して、急ストップ・急スタートに対応する凹型靴底を考案して、タイガー・バスケットシューズを誕生させた。また、ローマ・オリンピック(1960年)で裸足でマラソンを優勝したエチオピアのアベベ選手が、毎日マラソンで来日した際に、鬼塚さんはアベベ選手を訪ねてシューズを使うよう説得して世界一軽いシューズ履いて、毎日マラソンを制覇したという逸話の持ち主でもある。。

私がバスケットを始めたのは小学校6年生(1966年)のときである。ポートボールが得意で、校庭の片隅にあったリングにボールを投げるのも好きだったので、バスケットを始めるのはごく自然なことだった。ただ、小学生のときはお遊び程度だったので、靴はゴム製運動靴だった。

そして、中学に入るとすぐにバスケット部に入った。私の学校のバスケット部は私が入学する4年前に都大会で優勝するなど強豪チームだった。そのおかげで、練習は毎日でそれはそれは厳しかった。入学時に最初に履いた靴は布製の市販されているバスケットシューズで、走るとかジャンプするにはまったく問題はないが、ストップやターン時には少し滑るために、とてもじゃないが本物のバスケットシューズとは言えなかった。それでも、1年生は基礎体力や基礎練習の繰り返しなので、ちゃんとした靴は必要とされていなかった。というより、履くことすら許されるような状況ではなかった。

しかし、夏休みが過ぎて新入部員も半分以上は辞めていき、来年のことを見据えるような時期に入ると、一番怖い先輩から「お前たちも早くタイガーを買えよな」と言われた。その言葉が嬉しかったことを今でも覚えている。タイガーを履けるという喜びと同時に、頑張れよという意味が重なっていた。

私が最初に買ったタイガーは布製のものだったが、靴底がキュッキュッと鳴るぐらい素晴らしいものだった。確か当時の値段で2500円はしたように思う。今では中学生でも革製のアシックス、コンバース、ナイキなどを履いている時代となったが、私は高校まではずっと布製であったし、当時は革製を履いていたのは日本リーグの選手だけのような時代だった。

オニツカ・タイガーは1977年(昭和52年)スポーツウェア・用具メーカーの株式会社ジィティオ、スポーツウェアメーカーのジェレンク株式会社と合併し、社名を株式会社アシックスに変更して、ご承知のように現在では世界的なスポーツ用品メーカーになっている。

そして、いま私がジムで使っているトレイニングシューズはもちろんアシックス製である。

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