水曜日, 11月 14, 2007

西鉄ライオンズと南海ホークス

「神様、仏様、稲尾様」と言われた大投手・稲尾和久氏が昨日急逝した。

1960年(昭和35年)前後のパリーグは三原脩が率いる西鉄ライオンズと、鶴岡一人が率いる南海ホークスが強く、私が好きだった東映フライヤーズは大毎オリオンズと共に常に3番手に甘んじるチームだった。

1956年から1965年までの10年間で西鉄ライオンズと南海ホークスはそれぞれ4回優勝していて(後の2回は60年の大毎オリオンズと62年の東映フライヤーズ)、パリーグは完全に西鉄と南海の2強時代だった。

それでは、なぜこの2チームが強かったかといえば、西鉄には鉄腕稲尾和久がいて、南海に下手投げの名投手杉浦忠と皆川睦雄の二人がいたからである。また、西鉄は「野武士軍団」と言われた高倉照幸、玉造陽二、豊田泰光、中西太、大下弘、仰木彬、和田博実という個性的な打線が強力だった。

私は駒沢球場か神宮球場で稲尾和久や杉浦忠、皆川睦雄の投げる姿を見ている。しかし、3人とも故人となってしまった。西鉄ライオンズのフランチャイズだった平和台球場、南海ホークスのフランチャイズ球場だった大阪球場および日生球場もすでにない。

昭和も遠くになりにつつあるのかもしれない。寂しい限りだ。

稲尾和久さん
心よりご冥福をお祈りします。そして、ありがとうございました。


[追記]中学へ登校する道沿いに玉造陽二の家があった。窓ガラス越しに見える部屋には写真やトロフィーが飾ってあり、西鉄ライオンズの隆盛を毎日垣間見ていた。玉造さんは球界を引退後、実業家になり成功したという。

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