日曜日, 12月 14, 2008

新幹線の食堂車

先月末(11月30日)、初代新幹線車両である0系新幹線がラストランをした。その0系新幹線の思い出となると、私はどうしても食堂車を思い出してしまう。

新幹線は1964年開業以来、ビュフェと呼ばれる小さなカフェテリアみたいな車両があった。そして、山陽新幹線が博多まで通じることを機会に、1974年より食堂車が連結されるようになった。

私はこの食堂車が好きだった。というのも、あの5人掛けの狭い座席が嫌いだからである。それゆえに、新幹線に乗ると食堂車へよく行った。ビールを飲みながら本を読んだり、ビールとカレーライスで外の景色を見ながら、普通車両の車窓とは少し違った旅情を味わったりしていた。

食堂車は最盛期に東京〜新大阪間では、日本食堂、ビュフェとうきょう、帝国ホテル列車食堂、都ホテル列車食堂と4つの会社が味を競いあい、時刻表には列車ごとに担当の会社が書かれていた。そのために、自分好みの列車を利用する人がかなりいた。私もその一人で、記憶が定かではないので申し訳ないが、カレーライスは帝国ホテル列車食堂、えびフライは日本食堂が美味しかったような・・・。

この食堂車も80年代終わりごろまでは混雑していたが、90年代に入り、バブルが崩壊、そして「のぞみ」が登場したことによって徐々にお客は減っていた。そして、1995年の阪神・淡路大震災発生以降、0系新幹線の食堂車は営業休止となり、2000年には100系新幹線の食堂車も営業を止めてしまい、すべての新幹線から食堂車が消えてしまった。

今となっては食堂車がある列車は寝台列車「北斗星」や「カシオペア」などだけになってしまった。

私が最後に食堂車を利用したのはいつのことであろうか。

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