月曜日, 9月 29, 2008

日本初の健康診断は新選組

6月に目黒区から特定健康診査のご案内というのが届いた。一昨日は「お済みですか」という督促状まがいのハガキまできてしまった。早い話が健康診断とがん検診である。6月から11月までに区内の医療機関で検診ができる。ただ、この医療機関には大病院は含まれておらず、個人医院に対する政策ともいえる。その善し悪しは別にして、私も来月には検診をするつもりでいる。

ところで、この健康診断のルーツは新選組と言われている。慶応元年(1965年)初夏、近藤勇が幕府典医松本良順による新選組隊士170数名に対して健康診断が行った。そのうち、70数名が感冒(風邪)、食傷、梅毒などの病気にかかっていた。また、1人は心臓肥大、1人は肺結核であった。肺結核と診断されたのはおそらく沖田総司だったであろう。

隊士の3分の1が病人ということで、松本良順は西洋の病院の概略を話したら、新選組はその日のうちに病室をつくったり浴槽を改装させたりして、衛生面の気をつけるようになったという。

私は新選組のことがあまり好きではないが、健康診断という当時としては画期的なことをしたことに対しては敬服せざるをえない。司馬遼太郎の小説「胡蝶の夢」のなかにこういう文章がでてくる。

「この当時も、これ以後半世紀以上そうであったが、この国の社会で医師に診てもらうということは普通、半ば死にかけの重病人にかぎられていた。集団一般に対して健康診断というかたちのことをやったのは(松本)良順自身も最初の経験であったし、隊士たちもむろんはじめてであった。この種の形式が日本で行われたのは、あるいはこの慶応元年初夏の新選組屯所でのことが最初であったかもしれない。もっともそれ以前の長崎時代、良順は稲佐の仮設の遊郭で梅毒検査をやったことがある。万延元年のことで、相手は外国艦船の乗組員を客とする娼妓たちであった。しかしその集団検診とこの場合は当然ながら内容が異なっている。」

ということで、日本初の健康診断は新選組だったようである。

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