金曜日, 9月 16, 2011

被災地を訪れて(その4) 〜聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥〜

9月11日(日)は震災から半年にあたる日だったが、その日はちょうど岩手県知事選挙および県議会選挙の日でもあった。釜石市では市議会議員選挙も重なったために、前日まで選挙カーがめまぐるしく走っていた。ただ、釜石の中心街に人はほとんどおらず、余所者の私がいうのものも何だが、選挙カーの姿と音声がなにか虚ろに思えてならなかった。

さて、今回の被災地の訪問の目的のなかに、以前取材でお世話になった人に会うということもあった。特に10年前に雑誌『旅』の取材でお世話になった橋上(きょうじょう)市場の菊鶴商店のおばさん(菊池静子さん)にはなんとしても会いたかった。

橋上市場は町の中心部を流れる甲子川に架かる大渡橋に並行する形で1958年に完成した橋(長さ110m、幅13m)で、その上に鮮魚、野菜、お土産品、日用雑貨、食堂など約50店舗が営業する市場だった。ここは日本で唯一の橋の上の市場としても知られ、市民や観光客に親しまれたが、河川法の改正などにより2003年1月に閉鎖され、現在は橋そのものも存在していない。

そのなくなってしまった橋上市場のおばさんに会いたいと思い、ホテルで聞くとすぐに駅前にある「サン・フィッシュ釜石」に居ますよ、という答えが返ってきた。橋上市場の店舗のほとんどは「駅前橋上市場 サン・フィッシュ釜石」に移転していたのである。そして、おばさんは釜石でもそれなりの有名人のようで、後に訪れた平田の仮設住宅の人たちの誰もが知っていた。というわけで、おばさんとは簡単に再会できたのだが、おばさんも家が津波の被害をうけて、以前取材したときの本は流されてしまった。いつしか本を上げたいのだが・・・。

このように再会もあったが、新しい出会いもあった。1日目に大槌町へ行ったとき、プレハブで酒店(酒店というよりコンビニのような感じ)をオープンしたいわき(岩喜)酒店のご主人からいろいろな話を伺うことができた。

ご主人は俳優の勝村政信に似ていて笑顔を絶やさない人だったが、「私も隣にあった自宅と一緒に流されたんですよ。で、左腕を挟まれて九死に一生でした。左腕はその後しばらく痺れていました」と。また、お店周辺の被災前のGoogle Earthの写真と被災後の写真を見比べさせていただき、その違いに言葉を失ってしまった。以前の写真ではお店の周囲には民家が数多く立ち並んでいたのが、被災後の写真は土台しか写っていなかったのである。(続く)

菊鶴商店サンフィッシュ釜石
http://kikuturu.com/

大槌町地場産品復興プロジェクト
http://www.otsuchi.jp/index.html

写真上:いち早くお店を再開した市の中心街青葉通りにある「養老乃瀧」釜石店。

写真下:大槌町のいわき商店。遠くにはまだ瓦礫と化した建物が立っている。写真は撮らなかったが、すぐそばの鉄筋コンクリート製の大槌病院は変わり果てた姿だった。

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