火曜日, 9月 13, 2011

被災地を訪れて(その1) 〜私のなかに流れている東北の血〜


何を書いていいのか、よく解らない。

何から書けばいいのかすらよく解らない。


被災地へは以前より行きたくて堪らなかった。それは以前に釜石や宮古を訪ねたことがあるからでもあるが、最大の理由は私のなかを流れている東北の血のせいだろう。

以前の日記にも書いたが、私の身体のなかには東北と京都の血がクロスオーバーのようにして流れている。そのなかでも、一番強く感じるのは父方の祖父の血である。昭和5年に亡くなった祖父は山形県庄内地方の出身で、東京で立身出世をして小金持ちになった。そして、そのお金を地元の人に還元したり、庄内出身者たちのための学生寮を建てたりと慈善事業にも相当なお金を注いだようである。そんな祖父や、沖縄で戦死した軍医だった伯父の血が何処か自分の身体のなかを流れているようでならなかった。

それゆえに、大震災後ずっと被災地へボランティア活動および自分なりのジャーナリスティックな視察をしたくて堪らなかった。しかし、3月11日以降も6月頃までは余震が頻繁に続き、年老いた母親を独りにして、現地へ向かうことはとてもできなかった。そして、夏は暑さのために体力的にも無理があり行くのを控えざるをえなかった。ただ、その夏の間にお会いした被災地出身の人たちやボランティアをしている人たちの話を聞いていると、9月になったらという思いがどんどんと募っていった。

そして、やっとの思いで行けるようになった。震災からもう半年になっていて、なにを今更と言う人もいるだろうが、私が被災地へ行く道は遠かったのである。そして、実際に行ってみて、被災地はまだまだ遠い世界にある。それを自分なりにもっと身近な世界にしていきたいと思う。(続く)

写真:私が呆然と立ち尽くした大槌小学校。1階は津波で、2階以降は漂流してきたプロパンガスなどによって火災が発生したそうです。現在、校庭に町役場、消防署、釜石警察署の仮庁舎があります。

東北人と京都人の血が流れています
http://k21komatsu.blogspot.com/2011/06/blog-post_17.html

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