金曜日, 6月 03, 2011

国難を生きる国民と、国難に背を向けた国会議員

国難といわれる時代を生きている、という実感がある。我々は100年に一度とも1000年に一度とも言われる大震災に直面した。その結果2万4千人近い尊い命が失われてしまった。加えて、いつ収束するか解らない原発事故という現実も存在している。

そんな国難と言われる時代のなかで、国会議員はドタバタ茶番劇を演じた。最後に君子豹変した鳩山由起夫、相変わらず優柔不断で曖昧模糊な菅直人、そして、そろそろ孤城落日になるか小沢一郎。自民党政権下でも見れなかった3人のヒステリックな憎悪劇は本当に見苦しかった。

一方で、被災地を省みずこうした時期に内閣不信任決議案を提出した自民党と公明党の醜態も酷かった。国民のほとんどが政局の混乱を望んでいないのにもかかわらず、「国民は、国民は」といって、国民という言葉をダシにつかった言動は許しがたく、犯罪者といっても過言ではない。

結局、から騒ぎのすえに不信任決議案は否決されたが、政局はますます混迷を続けていくばかりとなった。こうしたことがなぜ起こったかといえば、その背景には必要のない国会議員が多すぎるということがある。もし、衆議院議員が350人、参議院議員が200人だったら、国難に対して誰もが真摯に向き合っていただろう。こうしたことをなぜ国会議員もそしてマスコミも言わないのだろうか。

国難のなかでほどんどの日本人が冷静に行動している。これは凄いことだと思う。誇りに思っていいことだ。これがもし他国だったら、どうだっただろうかとよく思う。大震災後、最初に騒いだのは一部のマスコミとネガティブな報道しかしない外国のマスコミぐらいだった。しかし、2ヶ月半経って、自己顕示欲と責任転嫁の集団である国会議員が大茶番劇を演じた。彼らのなかには国難という時代を生きるという意識はさらさらなかったようである。

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