水曜日, 9月 18, 2013

叔父が作った復元地図で神楽坂・矢来町散歩

先日神楽坂へ食事に行ったとき、亡くなった叔父(母親の弟)がクラス会のために作った「復元・昭和10年頃の愛日小学校界隈」という地図をもとに神楽坂から牛込矢来町方面へと散歩してみた。その地図には下記のような文章も添えられている。

「この地図は新宿区歴史博物館で所蔵の昭和6年版牛込区地図、昭和35年版住居地図を見つけて、その写しをとって下図を作り、現地を数回歩き回って作成しました。(中略)手書きの地図ですが、もう60余年も前の記念として頂ければ幸いです」(1996年10月12日 愛日竹乃会 久保田誠)

そして、地図には昔の建物やお店など共に当時のクラスの人々が住んでいた所在地も記されていて、当然ながら叔父(一級建築士だった)や母親が住んでいた場所も記されていたので、そこを訪ねてみた。

愛日小学校は都内でももっとも古い小学校のひとつで、前身は1870年(明治3年)7月15日に牛込筑土八幡町にあった吉良家の菩提寺でもある万昌院に設けられた東京府小学第三校(後の吉井学校となる)。それが1880年(明治13年)7月31日に牛込柳町にあった市ヶ谷学校と合併して、愛日学校として創立された。で、その旧校歌は次のようなもので、母親は今でも歌える。(笑)

1.初めはよしゐ 市ヶ谷の
  二校合わせて 名づけたる
  わが愛日の小学校 柱は強く門広し

さて、訪ねた場所は矢来町のちょっと込み入った住宅街のなかにあったが、現在は駐車場(矢来町パーキング)になっていて、昔の面影は何もなく、ただ叔父や母親たちはここに住んでいたんだなあと思うしかなかった。広さは100坪ぐらいだっただろうか。

ただ、この地図のなかに書かれていた「酒井さんのお屋敷」(若狭小浜藩酒井家下屋敷跡・旧酒井伯爵邸)という広大な敷地がどうなっているのかをちょっと知りたくなり、そこまで足を伸ばすとそこは矢来町ハイツという幾つもの棟からなる立派なマンション群となっていた。

みなさんも、もしクラス会や同窓会などで幹事をやるときは出身校近辺の復元地図を作ってみて、そこに誰々があった家とか記したりして配ると喜ばれるのではないだろうか。

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