火曜日, 2月 12, 2019

ガリ版切り

先日あるところで「昔は字が上手かったんだよ。なにぶんガリ版切りをしていたから」と言ったら、周囲の目がみんなキョトンとしていた。それもそうである、みんなガリ版を知らないのである。
 
ガリ版(謄写版)はコピーがまだ普及していない時代(1980年ごろ?)までの簡易印刷だった。学校ではテスト用紙はむろんのこと家庭への通知状などはみんなガリ版で刷られていた。また、映画や演劇の台本、サークル活動的な同人誌なども同様にガリ版によって刷られ製本されていた。

印刷の元となる蝋原紙は「ロウ紙」と言われ、そのロウ紙をヤスリ版の上に乗せて、鉄筆でガリガリ原稿を書くことを「ガリ切り」もしくは「ガリ版切り」と言った。でも、なぜ「ガリ切り」と言ったのかが不思議だ。切ってしまったら原紙が元も子も無くなってしまう。正確には「切る」でなく「削る」だと思うが・・・。

ガリ切りは通常字を書くのが上手い者が行ったり、絵心のある者が行っていた。学校の先生の中には「ガリ切り名人」と呼ばれる人がいたりもした。私が初めてガリ切りをしたのは小学校の時だったと思うが、なぜガリ切りをさせられたかといえば、字体が四角ばっていたからだろう。角ばった字体の方がロウ紙のマス目に書きやすくかつまた読みやすく印刷されたからだろう。

それゆえに、小学校、中学校の生徒会報などは随分とガリ切りをしたような記憶がある。ところが、高校に入るとクラスにFというガリ切り名人がいて、彼はタテカンからガリ切りまで書くモノをほとんど請け負っていた。また、私は新聞部に所属したこともあり、ガリ版からオフセット印刷をするようになったために、1970年にはガリ切りを卒業してしまった。

そして、時代は流れ、アメリカではタイプライターを使い、帰国してからもすぐにワープロやパソコンを使うことようになり、手書きはほとんどしなくなってしまい、私の字体はどんどん退化していった。ただ、最後に負けずらいのことを書くようだが、私は決して字は下手ではない。(笑)

東近江市のガリ版伝承館
https://www.youtube.com/watch?v=ggkK6zE08k0

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