火曜日, 12月 13, 2022

一乗谷の朝倉孝景から義景までの5代ならば大河ドラマになるかも・・・

先週の福井の旅の最大の目的は蟹でしたが、次の目的は歴史的なことで、一乗谷とはどんなところなのだろか、なぜ朝倉家は一乗谷に拠点を構えていたのかを知りたかったことでした。

一乗谷は福井市内中心部から南東約10キロ離れた山間にある。その名の通り「谷」であり周囲を小高い山々に囲まれている。その谷間を越前平野の一級河川である足羽川(あすわがわ)に繋がる一乗谷川が流れている。

そんな谷間に朝倉家の7代目当主である孝景が城下町を作り上げた。ただ城下町といっても天守閣があるお城はなく、朝倉家の邸宅を中心に武家町、町人町を計画的に形成した。そして、最盛期には1万人が住んでいたといわれ、もちろん北陸では最大の町であった。ちなみに当時の京都の人口は10万人だった。

ではなぜこのような場所に朝倉家は拠点をおいたかというと、第一に朝倉家が守護(斯波氏)でも守護代(甲斐氏)でもなかったということ、第二に敦賀港や三国港を抑えた第7代当主孝景が、港の近くには兵を置くだけにして、越前平野の農業を見守れることができ、防御に優れた地として一乗谷を選んだのではないかといわれている。いずれにしろ、このような地に居を構えた戦国武将は朝倉家以外にいたのだろうか。

そして、現在の一乗谷はというともう完全に遺跡・史跡という感じである。今年10月にオープンした「一乗谷朝倉氏遺跡博物館」でその歴史を知ることができると共に数多くの遺跡品が見ることができる。また、そこから車で5分(自転車だと10分、徒歩だと30分)のところには朝倉館跡、復原町並みがあり、往時を偲ぶことできる。

来年の大河ドラマはまたもや徳川家康が主人公・・・。朝倉義景だけでは大河ドラマの主人公にはなりえそうもないが、朝倉孝景から義景までの5代ならば大河ドラマになるかもしれない・・・。すでにしているかと思うが、福井県はNHKにもっと積極的に働きかけてみてはどうだろうか。



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