火曜日, 2月 19, 2008

やっぱりマーラーは不得手

先日(15日)、NHKホールでのNHK交響楽団第1614回定期公演に行ってきた。指揮は東京フィルのスペシャル・アーティスティック・アドヴァイザーでもあるチョン・ミョンフン。

演目
メシアン/忘れられたささげもの
  〜休 憩〜
マーラー/交響曲第9番ニ長調
《19時00分開演、21時05分終演》

開演前の室内楽はバルトークの「弦楽四重奏曲第4番」の1、4、5楽章。出演はヴァイオリンが斎藤真知亜&大宮臨太郎、ヴィオラは店村眞積、チェロが藤森亮一というオジサンズ+若者1名という豪華メンバー。バルトーク特有の不協和音と低音強調の四重奏。初めて聴いたがこの曲はプロだけしか演奏しないだろうなぁ、と思う。学生が演奏したら不協和音がとんでもない方向に行きそうである。

1曲目。今年はメシアン生誕100年。そのためか、あちこちのオケでメシアンの曲が演奏されている。N響も前公演で『キリストの昇天』を、4月には代表作『トゥランガリア交響曲』を演奏する。さて、初めて聴く『忘れられたささげもの』だが、非常に落ち着いた流れの曲でタイトルの通り「忘れられた」感じという忘却感、望郷感を漂わせてくれる。『トゥランガリア交響曲』ほどのドラマチックさはないにしろ、ひとときの瞑想の時間を与えてくれる心地よい曲だった。

2曲目はマーラー。私が不得手なマーラーである。食わず嫌いというところもあるのかもしれない。この曲もCDでは聴いているが、オケで聴くのは初めてである。

今回のN響の布陣は大編成。次記の人数が正しいかどうかわかりませんが、第1ヴァイオリンは堀・酒井ほか全18人、第2ヴァイオリンは永峰&大林ほか全18人、ヴィオラは店村&佐々木ほか全16人、チェロは藤森&桑田ほか全14人、コントラバスは吉田ほか全12人、オーボエは茂木ほか全4人、フルートは甲斐ほか4人、ピッコロは菅原、クラリネット横川ほか全5人、ファゴットは水谷ほか全4人、ホルンは全5人(トップは日高?)、トランペットは関山ほか全3人、トロンボーンは新田ほか全3人、チューバは池田、打楽器はティンパニー久保ほか全6人、ハープは早川ほか全2人。

さて、演奏であるが、チョン・ミョンフンの指揮は非常に懇切丁寧でオケを煽ることもほとんどなく、大編成だからといって大音響による迫力を狙ってなく、統一感を強調している。特に第3楽章と第4楽章の出だしの弦楽器の太く重く深みのある演奏はなかなか聴けるものではないなと、唸らざるをえなかった。しかし、弦と木管や金管のアンサンブルはところどころでズレているというか、拡散をしている感じもした。

そして、この曲を聴くうちに私がなぜマーラーと相性がよくないかがどことなく解るようになってくる。マーラーは曲のなかに自分のアイデンティと共に信仰心を重ね合わせているのではないだろうかと思えてくる。それは希望も絶望も、生も死も、セックスも不能も、アグレッシブもデカタンスといった相反する言葉となり、二重的複合性の音となって現れてくる。そして、その背景にどことなく彼の信仰心が見え隠れするのである。私はこうした宗教観に非常に疎く、また興味がまったくない。それゆえに、こうした音楽が受け入れられないのだろうなと、思うようになってきた。

終演後、最前列の人々(当日券のチョン・ミョンフン応援団と思われる)はスタンディング・オベーションをして、ブラボーの声があちこちから聞こえる。しかし、2階席では足早に帰る人々が普段よりも多く、宗教観と共に国民性を考えさせられる思いがした。

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