水曜日, 3月 11, 2015

「防ぐ」より「逃げる」という認識を

3月11日。
あの日から4年たった。
誰もがあの日のことを覚えていると思う。
忘れように忘れらない日である。

一昨日の朝日新聞朝刊1面には「被災地 続く人口減」と大見出しが打たれ、沿岸39市町村で約92,000人が地元を離れたと伝えている。ただし、この調査は住民票や不動産取得などをもとに調査したもので、実際はおそらく10万人以上の人口減になっていると思われる。

このように多くの人が震災および原発事故のために町を出ざるをえなくなった。この最大の理由は被災によって仕事が減少したこと、また交通機関が不便になったことなどがあげられるだろう。そして、もちろん放射能の危険性もある。

こうしたなかでも、復興に力強く挑んでいる人たちはいっぱいいる。震災から半年後にボランティアで現地を訪れたとき、この復興への闘いは5年10年、いやそれ以上かかると感じた。実際、現地では未だにまったく手付かずの場所もあるという。これは仕方がないことなのかもしれない。とにかく、何年かかろうとも産業の振興を伴った復興を実現してもらいたいと願うばかりである。そのために、今後も以前より繋がりのある個人や団体およびクラウドファンディングを通じて支援していきたいと思う。

また僭越かもしれないが政治的な声も今後続けたい。特に高い防潮堤を作ることには反対の声をあげ続けたい。なぜならば、防潮堤ができると海を見る機会が少なくなり、海の豊かさや有難さ、そして恐さを希薄にさせてしまうからだ。現地に行ったときも多くの住民が高い防潮堤には反対していた。防潮堤を作ることも大事だが、まずは先に避難路の確保、そして高台へ通じる道路の拡張などを優先するべきだ。津波に関しては今は「防ぐ」ということより「逃げる」という認識の方を大事にするべきだと私は信じる。そうした安全意識および体制が確立されれば、復興はもう少し早く進むのではないだろうか。

写真上:周囲の建物がすべて流された陸前高田駅近く
  中:津波で流されてきた燃料で焼けただれた大槌小学校
  下:いち早く牡蠣養殖を復活させた山田湾


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