金曜日, 1月 25, 2008

アメリカで日本映画を知る

中学・高校時代は年に100本以上の映画を観ていた。私の周りには年300本以上も観るツワモノも何人かいた。誰もが「映画少年」という時代を過してきた。

昔は繁華街には格安な料金で映画を観れる名画座があり、映画少年たちは学校をさぼっては名画座に入り浸り状態だった。名画座がほとんど消えてしまった今日では、若者たちは自宅でDVDかビデオで観て、映画少年という時を過ごしているのだろう。しかし、いくら時代の流れとはいえ、大きなスクリーンを数多くの人たちと共有しながら一喜一憂しながら映画を見るのと、ひとりでカウチボテト族しているのではどことなく味も質も違うようでならない。

さて、そんな映画少年だった私が日本映画全盛期(ちょうど私が生まれた頃)の名作を観たのはアメリカにいるときだった。私は70年代の半ばにカリフォルニアで遊学生活を送っていたが、その頃は当然ながらビデオもなく映画は映画館で観るものであった。アメリカは今日でも映画は映画館で観るという習慣があるお国柄だが、意外にも旧作や名作を上演する映画館は少ない。

そんななかで、カリフォルニア大学本校(私はここの学生ではなかったが)のあるバークレイには、古い外国映画を上映する映画館があり、そこで私は『雨月物語』(溝口健二)『羅生門』(黒沢明)『東京物語』(小津安二郎)などの日本映画の名作を観た。また、大学の授業でもシネマトロジーという授業を半年間受けていたが、そのとき先生に「小津、溝口、黒沢だけが日本映画じゃないぞ、川島雄三や成瀬巳喜男も観ないとダメだぞ」と教えられた。そのおかげもあって、帰国してから『幕末太陽伝』(川島雄三)、『浮雲』(成瀬巳喜男)などを観て、日本映画の奥深さを知ることができた。

私が生まれた1954年(昭和29年)には『七人の侍』(黒沢明)『二十四の瞳』(木下恵介)『ゴジラ』(本多猪四郎)といった後の映画界に多大な影響を与えた名作が生まれた。そして、日本映画は1958年(昭和33年)に観客動員数が11億3千万人(当時の人口は9千万人余)と黄金期を迎えた。

上記の文中に挙げた映画はどれもが絶対に一見の価値のある作品ばかりである。

参考までに1999年のキネマ旬報「オールタイムベスト・ベスト100」日本映画編は下記の通りである。

1位『七人の侍』(黒澤明)
2位『浮雲』(成瀬巳喜男)
3位『飢餓海峡』(内田吐夢)
3位『東京物語』(小津安二郎)
5位『幕末太陽伝』(川島雄三)
5位『羅生門』(黒澤明)
7位『赤い殺意』(今村昌平)
8位『仁義なき戦い』(深作欣二)
8位『二十四の瞳』(木下恵介)
10位『雨月物語』(溝口健二)

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