土曜日, 6月 08, 2013

サッカー専用競技場がなかなかできない理由

2002年の日韓ワールドカップが開かれるときに、横浜に大きなサッカー専用競技場ができるという話があった。ところが、出来上がった競技場はトラックを緑のシートで隠した偽りのサッカー競技場=陸上競技場(日産スタジアム)だった。

それでは、なぜいつの間にこのような施設に成り代わったかといえば、横浜が1996年に2008年オリンピック開催に立候補表明したからである。この立候補表明の裏には体育教師たちの強い要望があり、そのときに「競技場を作るならば、サッカー専用競技場ではなく陸上競技もできる施設を」と圧力をかけたからだという噂を聞いたことがある。

体育教師というのはそのほとんどが、東京教育大学=筑波大学、東京学芸大学、横浜国立大学、日本体育大学などの出身者であり、それも陸上競技出身が過半数を占めていると言われている。そして、彼らの多くは自民党の支持母体(=圧力団体)である日本陸上競技連盟や体協の末端会員であり、それは自民党の大きな票田になっている。

というわけで、こうした陸上競技出身の体育教師たちの存在が、日本各地になかなかサッカー競技専用競技場ができない理由のひとつになっている。

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