木曜日, 8月 04, 2016

「戦争を知らない子供たち」と「戦争に実感のない子供たち」

人は自分の近親者たちの生死をどのあたりまで実感しているであろうか。親兄弟姉妹までは絶対にあるだろう。ましてや夫や妻、そして子供ならなおさらであろう。ところが、これが従兄弟伯父伯母となると薄れてくる。ましてや、祖父母の兄弟(姉妹)である大伯父大伯母になると、もう近親者という感じでなくなる。

これが一般的な人間の感性であり、飛躍的な論理ではあるが、歴史を怖くしている、と思う。

私はいわゆる「戦争を知らない子供たち」世代である。確かに戦争を直接知らない。それでも父親は中国戦線に2年以上も従軍しているし、母親は横浜大空襲の恐ろしさを何度も話してくれる。また、父方の伯父は東大病院の医者だったのに沖縄で軍医として戦死した。また母方の伯父はノモンハン事件で捕虜になった皇族関係者を救う決死隊に選ばれて自宅に遺書を送っている。ただ、その直後にノモンハン事件は停戦となり、伯父は無事に帰還した。このように「戦争を知らない子供たち」は近親者から戦争の恐ろしさを知る機会を得ている。また、1955年から1975年までのベトナム戦争の報道で、嫌というほどの戦争の恐ろしさを知らされてきた。

ところが、今の45歳以下は戦争で亡くなった近親者がほとんどいない上、ベトナム戦争の惨状を知らない。戦争といえば湾岸戦争以降のまるでゲーム感覚のような戦争しか知らない。彼らは「戦争を知らない子供たち」ではなく「戦争に実感のない子供たち」なのである。

こうした結果、むやみやたら愛国心という言葉を使ったり、戦争がまるで経済活性化のための必要悪なんだと肯定する者まで出てくる。こうした風潮というか、時代背景をうまく利用して安倍晋三および自民党はヒトラーと同じように「戦争に実感のない子供たち」を煽動して、憲法を改正(改悪)して、いつか来た道を繰り返させようとしている。

歴史は繰り返す、時代は繰り返す、とはよく言ったものである。日本はまさに今その真っ最中である。

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