火曜日, 6月 10, 2008

秋葉原通り魔事件と死刑制度を考える

先月上旬にジュネーブで行われた国連人権理事会のなかで、日本を対象とする「普遍的定期審査(UPR)」というのが開かれた。そのなかで日本の死刑制度、従軍慰安婦問題などが人権侵害にあたるのではないかとの指摘がヨーロッパ諸国から相次いだ。UPRというのは、国連人権理事会が国連全192加盟国の人権状況を、4年をかけて審査するという新しい制度で、今春から導入されたらしい。

この日本に対するUPRの対日審査では、42か国が発言を求め「最近、死刑執行が増加していることに強い懸念を覚える。死刑は非人道的だ」(ルクセンブルク代表)と死刑制度の廃止を迫る声が多かったという。これは昨年12月に国連総会で採択された“死刑執行停止決議”を受け入れるよう日本に求めたものでもあった。

現在、世界にある約200カ国中、死刑制度を廃止もしくは事実上廃止している国は約125カ国で、死刑制度を存続している国は約75カ国と言われている。先進国で死刑制度があるのは日本とアメリカぐらいで、ヨーロッパ諸国は廃止している。しかし、日本では国民の8割以上が死刑制度廃止に反対と言われている。

私は日本で死刑制度がなくならない根幹には「仇討ち」という歴史的背景があるからではないかと思っている。もちろん、今日では仇討ちは違法であることは言うまでもないが、時代劇では仇討ちを題材したものが多く、日本人のなかには仇討ちという概念が沁み込んでいる。そのために、仇討ちができなくとも、裁判で仇を討ってほしいという考えがある。私はこの考えを否定することはできないと思う。

現在の鳩山邦夫法務大臣による死刑執行命令の乱発には問題があるが、オウム真理教による松本および地下鉄サリン事件、神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇事件)、池田小学校児童殺傷事件、長崎市長銃撃事件、そして、今回の秋葉原通り魔事件などを考えると、日本にはやはり死刑制度を存続させざるをえないだろう。日本はヨーロッパのようなキリスト教精神と異なる国なのだから、それを日本に強要するようなヨーロッパの意見を取り入れる必要性はない。

ただ、死刑執行を限りなく少なくするためにも、また裁判員制度を円滑に進めるためにも、死刑の次が無期懲役刑でなく、終身刑(重無期刑)という刑を早急に設ける必要がある。そしてこの終身刑には囚人が70歳を越えるまでは仮釈放はできないという付帯条項を必ず入れてもらいたい。

4 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

はじめまして 私も欧州流の人権思想というものがいまだに理解できませんが、
私は長い目で見て 死刑が被害者遺族のためにほんとになるのかと疑問です。

アメリカ事情は貴殿のほうがお詳しいと思いますが、アメリカでは死刑執行に被害者遺族がたちあえる州もあるそうですね、それで被害者遺族が慰撫されることは ないそうです。その後は空回りする復讐感情だけがのこってしまうそうで 恐ろしいことです。これは日本でも同じではないでしょうか。むしろ死刑執行後の被害者遺族は 水に流せ という日本的な世間の圧力に苦しんでいるのかも。
どんな死刑囚にも無実の家族や関係者がいます。かれらの苦しみも考えるべきでしょう。
私にはなんの同情心もわいてこない麻原にだって娘がいます。死刑を望む被害者遺族も彼らにおもいがおよぶ余裕ができたら 後悔するのではないかと心配です。

そういえば時代劇で、仇をやっとさがしだしたら そいつにも あたらしい家族がいるのがわかって困ってしまったというストーリーもよくありますね。
むつかしい話です。また考えます。

小松克彦 さんのコメント...

雨森さんへ
コメントありがとうございます。

私には死刑が極刑なのか、終身刑が極刑なのか解りません。今回の事件には裁判員制度が導入されませんが、1年後だったら間違いなく6人の裁判員が起用されます。もしそうなったら、6人がどのような判断を示すか注目されるでしょう。

話がずれましたが、私はやはりヨーロッパ流の考えを日本が採用することには反対です。歴史・文化が異なるのですが、日本は独自の制度をもつべきだと思います。

今回の事件でも、昨日加害者の家族がマスコミにさらされました。確かに彼らの教育が原因のひとつかもしれませんが、それをマスコミが彼らに対してとやかく言うことはできないし、それを報道する必要性もないと思います。そのようなことは、今後の裁判で明かされるのですから。

とにかく、今回の事件は本当にいろいろと考えさせられます。

匿名 さんのコメント...

法学部出身者としては(別にそうじゃなくてもいいんだけど)、日本の裁判員制度ほど恐ろしい制度は今までなかったと断言できます。小泉内閣がなぜ導入を目論んだか、そして日弁連上層部、最高裁がなぜそれに乗ったか。後期高齢者問題、自衛隊派兵などと軌を一にした動きであり、決して「国民の司法参加」が目的ではありません。本当に国民の司法参加を促進するなら、裁判員制度ではなく「陪審制度」にすべきなのです。ホント、これほどメチャクチャな法律は知りません。裁判員制度に関する批判本は書店に行けばいくつかあります。ぜひ読んでみて下さい。
 裁判員制度は「戦争への一里塚」という意味が分かると思います。

小松克彦 さんのコメント...

想さんへ
裁判員制度の本、読んでみます。陪審員制度との違い、また人数に関しても疑問点がいくつかあるので。