月曜日, 12月 21, 2009

幕末の京都に死す 〜会津藩、薩摩藩、長州藩のお墓〜

来年の大河ドラマは坂本龍馬である。そのおかげで書店には坂本龍馬に関連する本が氾濫している。また、坂本龍馬のお墓がある京都霊山護国神社を訪れる人も増えているという。しかしながら、幕末の京都で亡くなったの坂本龍馬や有名志士だけではない。藩のために、国のために、家族のために命を落した人が他にもいっぱいいるのである。その数は二千数百人とも三千人とも言われている。本当の人数はもはや解かるすべもない。

会津藩のお墓は金戒光明寺内に「会津藩殉難者墓地」というのがある。ここには文久2年(1862年)〜慶応3年(1867年)に亡くなられた237名と、鳥羽伏見の戦いの戦死者115名を祀る慰霊碑があり、それとは別に禁門の変(蛤御門の戦い)の戦死者22名が祀られている。

写真を撮るのを忘れてしまい申し訳ないが、墓地保存会が建てた石碑の廻りには、会津若松の鶴ケ城の写真パネルや絵が数多く飾られ、その他にも会津のお酒などが置かれていて、墓参に訪れた会津の人々の優しさに胸がつまる思いだった。

薩摩藩のお墓(写真上)は相国寺にある。ただ場所は塀内ではなく東門から50メートルほど東へ行った北側にある。ここには禁門の変(1864年)と鳥羽伏見戦争(1868年)に戦死した薩摩藩士72名が埋葬されていて、石碑には「甲子・戊辰役薩藩戦死者墓」と刻まれている。ただ、ここはなぜか柵で囲まれていて、入口にしっかりした錠前がかけられていて中に入ることができない。

長州藩のお墓(写真右)も相国寺内の西にあたる延寿院墓地にある。長州藩は禁門の変で数百人の藩士を失ったが、そのうちの約20人だけがここに合祀されている。ただし、氏名が判明している者は2人しかいない。そして、何故か不思議なことにこの墓の隣には藤原定家、足利義政、伊藤若沖の墓が並んでいる。

京都には有名志士の墓はいくつもあるが、こうした無名の人々の墓碑もある。

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