土曜日, 1月 10, 2015

国によって違う表現の自由と風刺画

パリの新聞社を襲ったテロ事件。

日本のネット上では風刺画を載せている新聞社(シャリー・エブド社)側に問題があるという声が多い。その多くはいくら表現の自由があるとはいえ、他国の宗教や風習などを侮辱するのは、自己中心的であり不愉快でならないというものである。

確かにその通りだろう。襲われた新聞社でないが1年前ぐらい前に東京五輪と原発事故を関連づけて、痩せ細った奇形の力士が「相撲が新しい種目になった」という風刺画を掲載したり、国営放送がサッカーのGK川島に何本もの手をつけて放送したりと、日本もしっかりと風刺の標的にされている。

私はフランスという国をよく知らないが、ただフランスにはもともとこうした風刺を楽しむという風習がある。だから、数多くのフランス人が襲撃事件後、表現の自由の1つである風刺を守れということで、表現の自由を守れと言っているのではないだろうか。それゆえに、私は今回のことはフランスの国内の問題であって、それを日本に置き換えて風刺画を載せた新聞社側に問題があるというのは筋違いのような気がする。

いま日本で怖いのはこうした表現の自由を制限もしくは自粛させようとしている動きである。日本の表現の自由とフランスの表現の自由の土壌は明らかに違う。それゆえに、フランスの風刺画をもって日本の表現の自由まで制約を加えようとしている動きを私は危惧している。

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