水曜日, 4月 03, 2013

浦和は埼玉?それとも東京?


東横線が地下鉄副都心線と繋がってはや2週間。この間に4回ほど地元学芸大学駅のホームに立つ機会があったが、やはりホームの行先表示板に「和光」や「川越」と書かれているのを見ると違和感を覚える。というのも、別にそんなところまで行くつもりもないのにと思ってしまったり、え、それって埼玉県じゃないのと思うからだろう。

つまり、それは東横線としてのプライドが許さないからだろう。そもそも東横線とは東京と横浜を結ぶ路線名なのだから、埼玉まで行くとなるともう東横埼線とか京浜玉線と改名した方がいいのではと思ってしまう。それぐらい、申し訳ないが行先表示に埼玉の地名が書いてあるのに違和感がある。

ところが、地下鉄南北線につながる目黒線の行先の多くは「浦和美園」行きであるのに、こちらはなぜかさほど違和感を覚えない。なぜなのだろうか。それは私にとって目黒線(旧・目蒲線)がさほど親しみがないということもあるだろうが、「浦和」という地名にもあるのではないだろうか。

埼玉の人と話すと「浦和の人はスノッブで、浦和を埼玉だと思っていない」という。確かに浦和は文教都市で埼玉らしくない。となると、浦和は東京なのだろうか・・・。

【追記】
とここまで書いて、Mixiの日記(id=6592246)にアップしたら、知人の某大学の先生で歴史にも詳しい順子さん(秩父出身)が次のようなコメントを寄せてくれた。

「明治に埼玉県ができた時、県庁をどこに置くかということが問題になり、東京に家がある官吏が日帰りできる範囲で浦和が県庁所在地になりました。だから埼玉県域のあんな南の端に県庁があるのです。10万石の城下町の川越、中山道の宿場として栄えた熊谷、鉄道交通の要所である大宮があるのに、浦和に県庁が置かれたのは「東京から通えるから」という(埼玉県民にとっては)情けない理由なのです。」

ということは、浦和はどうやら東京の飛び地のようである。w

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